「いーやぁぁぁーーー! 誰か止めてぇぇーー!」
絶叫が木霊する。
ステッキはそのまま瓶蔵へと問答無用に突っ込んで行きーーー。
「ーーーーーーーーーーおや?」
そんな声が聞こえてきた。
Fate/extra days
ーーーEXTRA・■■■■■:sideーーー
閉じていた目蓋を開く。
どうやら気を失っていたらしい。
ここはおそらく、
ーーーって、どこだここ?
頬に当たる茂った草木が意識を呼び寄せる。
擽ったい感覚に馴染めずに体を起こせば、辺りを見回すことが出来た。
空は遠く、流れる雲が視界を過ぎてゆく。
隙間から零れる陽光と青空。
息吹きのように不意に訪れた風が肌に柔らかく触れ、心地良さが胸の中に湧き上がる。
まるで俺を歓迎してくれているようだと、自然と口元が綻んでしまう。
ーーー草原に、俺はいた。
周囲に世界を遮るものは何もない。
草木が風に揺れる様が踊っているように見えてしまうほどに、ここにはそれ以外何もない。
静謐な空気に満ち溢れている。
俺は遠坂達と工房の整理をしていたはずなんだけど、いったいどうしてこんな場所にいるのか。あの時、何が起きたんだっけ。
よく思い出せない。
少なくとも、俺はこの場所に見覚えが無く、ましてや心当たりといったものも無い。
だとするとーーー。
「……なんだ、夢か」
それ以外考えられない。
最近妙な体験ばかりするもんだから、すっかり耐性が付いてしまったのかもしれない。
特に動揺もしないままだからな。
「ーーー意外。
「え?」
今度は動揺を隠せなかった。
気づけばすぐ後ろに誰かが立っていた。
なんの気配も感じなかったのだから。
驚きのあまりに勢いよく立ち上がって背後を振り向けば、そこにいたのはーーー。
「あれ、書庫の?」
そう、俺にギアスを付けた当事者。
今はもう説得の末に解除してもらい、その上で足繁く通っているあの旧書庫の妖精さんが俺の前に立っていた。言葉遣いも、拙く無いしどこか訛ってもいない。そうして俺の前に立つ彼女は顔に眼鏡をかけてもいない。
「眼鏡、かけなくて大丈夫なのか?」
「アレは、
そう……だったのか。
いまいち理解出来ない部分があるが、まあそれはそれとして、今は他に聞くべきことがある。
「さっき、どうして分かったのって言ったよな。それってどういう意味だ?」
「これは貴方の夢。
疑問と質問が湧き出てくるが、その言葉を拒否するように彼女は背を向けて草原の上を歩き出した。
「ついてきて。 貴方がここにいるってことは、きっと
知っているが故に話せない。
知るが故に話さないのか。
どちらかは分からないが、ついていけば何かがわかるんだろうと動くことのなかった足で大地を踏みしめる。その背を追って歩き出し、変わらない穏やかな世界に埋没していく。
それでも、聞かなければ何も始まらない。
「ここは、何処なんだ」
「ーーー■■■■■、■■■■■の眠りし、時を為す■■の果てよ」
……なんだ。
なんかノイズがーーー。
よく、聞き取れなかった。
「そう……。 やっぱりそうなのね。 一時的にここに繋がってしまったみたいだけど、これは私の影響でもあるのかな。お姉様方に叱られちゃいそうね」
静かな声音には、何処か悲壮な心が垣間見えた。それが誰に対して、何に対してなのかは分からない。けれど確かに何かに苦悶している様子だけは見て取れた。
絶えず続く道のりに果ては見えず。
けれど、その道程には不満も無い。
こうしていることがなんだかひどく心地良い。カラダが馴染む、というのか。
全身がほのかに火照っている。
この感覚は覚えがあった。
ーーーそう、あれは昔。
切嗣に引き取られ、俺を助ける時に使ったという
切嗣が亡くなり、俺が中学に入る頃には消え失せていた、あの熱さが振り返した?
シャツ越しに腹部の辺りに手を添える。
大丈夫、我慢出来ないほどじゃない。
目線を下に固定したままにしていると、前方を歩いていた彼女の足が止まる気配がした。
何かあるのかと思ったけど、正面の道には歩みを止めてしまうほどの障害物はない。どうしたのかと首を傾げていればーーー。
「ここからは、一人で行って」
「え?」
「私達は基本的にここから先へは行かないの。誰かが何かを取り決めたわけじゃないんだけど、私達が
だから、ここからは一人で。
と、目が語っていた。
よく分からないけど、この先に俺がここにいる理由があるんだろうか。なら、行ってみないことにはどうしようもない。
バッドエンドフラグは立っていないから大丈夫だろう。うん、大丈夫だ。
覚悟を決めて歩を進める。
そうして彼女の横を通り抜けるといったところで、俺を見つめている彼女の顔がやけに沈んでいるのが引っかかった。
その不安に満ちた表情が、いつものあの書庫で、俺が帰る時によく見せるものでーーー。
「ーーー、はーー」
張り詰めていた緊張の糸が幾らか緩んだ。
足を止め、ちょうど横に並ぶ形になる。
近くまで来ると、その顔色がよく分かる。
心配してくれてるんだな。
「ここまで連れてきてくれて、ありがとな。 じゃあ、ーーーまた、あの書庫で」
「ーーーうん。また」
お互い笑みを浮かべ、離れていく。
背中に視線が向けられている。
それを一身に受け止めながら歩みを進め。
「ーーーーーほんと、人間って、よく分からない」
くすっと、細やかな落ち着いた笑み。
優しい声色の言葉が耳に触れた。
☆
身体が、透明なナニカを通り抜けた。
全身を内側までごっそりと見つめられたような、奇妙な肌触りに鳥肌が立つ。若干気持ちが悪くなってきた。
「うっーーーー」
とっさに口元に手を当てる。
胃から上昇するその違和感を振り払いように意識をしっかりと保つ。どうにか吐き出すことは出来た。
そうして固く閉じていた目蓋を開くと、足元に広がるは豊かな緑の野原ではなく、色彩に溢れた花の庭園へと変化していた。
ーーー見渡す限りの花畑。
ーーー広大な庭。
そこに咲き誇る花の花弁、一枚一枚が地から離れ、ゆっくりと空へと舞い上がり、世界を華やかに色付かせている。
結界が張ってあったのだろうか。
彼女がここに入れない、いや入らない理由は不明だけどこんな綺麗な光景が見られないだなんてーーー。
「勿体無いな、遠坂やセイバーにも見せてあげたいもんだ」
『ーーーそうかい? それはそれで楽しそうなものだ。こんな所から手間暇をかけていた甲斐があるよ』
「うわっーーー!」
突如耳に響く甲高い音、違う声か。
『ああ、ごめんごめん。出力を間違えたようだ。あー、あー、……これでどうだい?』
「あ、うん、それぐらいで大丈夫です」
今のどぎつい音量で察せられたが。
この声、もしかして………。
「あの、ひょっとして、あの時の……」
『ん? ああ、はいはい、そうだったね。そういえば面識は一応あるんだったか。まさかキミが覚えているとは。 基本的にあんなこぢんまりした姿でいたものだから、窮屈な上に疲れて疲れてあれから暫く休んでいたんだよ』
「あの時は、どうもお世話になりました」
色々と力を借りるに借りての結果だ。
大部分はこの人のおかげなのだ。
『気にしなくていいさ。こっちも■■の問題にキミを巻き込んでしまったと思っていたからね。まあこれも運命かと思って流れに任せてみたら、案の定上手くいったから結果オーライさ!』
ははは……。
流れに任せたのかよ…。
いや、まあ結果オーライといえばその通りだが。にしても声の主は何処にいるんだろうか。
姿は見えないし。
ここには花以外は
『ーーーああ、そうか。 まあ見えない方が良いこともある。 キミの場合は特にね。ここには私とキミの他には誰もいないから気にしなくてもいいさ。妖精達はここを訪れることは無いし』
「訪れることは無いって?」
『ここは私のための
オリってーーー。
「閉じ込められてるのか?」
『いや、私が自分で引き篭もってるだけさ。しかし驚いたよ。まさか妖精まで
はははーーー。
なんだか一発殴りたくなってきた。
そのせいで俺がどれだけ藤ねえの顔を拝むことになったか。って、何言ってんだオレ……。
と、この人の口振りからすると。
「彼女は、知り合いなんですか?」
『知り合いであり、知り合いというわけでもない。ここにいれば、存在という振り幅の枠内には認識しているが、相互の理解を補ったことは一度もないね。私は一向に構わないんだけど、あちらさん方が私を見てくれないのさ』
そして、と声は続きーーー、
『キミが彼女と親しいのは知ってるよ。随分仲良くしてあげてくれているみたいだね。うんうん仲良きことはいいことだ。それだけのことが出来ないのがヒトという種の根本的な問題点ではある』
「まあ、最近ようやく落ち着いたんですけど」
ほんと、首輪取れてよかった……。
『ああ、刻印のことか。キミの持つ■■■■■の影響下で向こうに現出した際、反動で■■■しているようだけど、妖精種としてはかなりのモノだと思うよ』
やっぱり、ノイズがかかる。
重要な部分が聞こえない。
俺が持っている?
いったい、何を?
『おっと、踏み込み過ぎたか。まあなんにせよアレがキミに危害を加えることはないよ。この私が保証しよう』
「ーーーーそれは、頼もしいな」
正直、保証という言葉に、俺は若干抵抗を感じる。なぜなら魔術師の口にする保証とは不安の裏返しであり、これだけやったんだからあとは大丈夫という自身への戒めの面も含んでいる。それを俺は肝心なところでうっかりを発動する誰かさんから日々学んでいる。
本当に、いつか治る日が来るんだろうか?
『ーーーーーん、おやおや』
「え、なんですか?」
『どうも、向こうからの呼び出しみたいだよ。さすがにここには魔法使いの杖といえど、干渉するには
「それって、つまりーーー」
『うん、お目覚めの時間だね』
ああ、そうか。
なんだ、いつぞやの言葉を、実行してもらおうと思っていたのに。 もう時間か。
もし会えたらその時は、この人の
『そういえば、そうだったね。まあこんな短い期間の内にまた会えたんだ』
もう一度くらい会えるだろうさーーー。
そう言って、かすかに笑ったように聞こえた。
「じゃあ、またいつか」
あ、そうだ。その前に。
聞いておかないと。
「ーーー名前、教えてもらってもいいですか?」
『いいとも。私の名はーーーーー』
ああ、またか……。
ノイズが響く。
肝心な部分だけが聞こえない。
まったく、サービス悪いな。
夢のくせに。
『ーーーでは、よい
ーーー■■■■■によろしく。
そう、聞こえた。
誰かの名前を告げた。
けどやっぱりーーー。
聞くことは出来ないまま。
夢は、呆気なく覚めていく。
その一瞬にーーー。
「ーーーーーーーー」
誰かが、見えた気がした。
☆
夢の終わりは呆気なく。
目覚めは唐突に。
現実は容易く世界へと時を戻す。
ここは遠坂の工房だ。
「ーーー、んっ…」
ーーーなにか。
ひどい夢を見ていたような気がする。
あの人とは関係なく、別に。
バッドか、あるいはデッドか。
一転してR指定か。
思い出してはいけない気がするのに、なんでかどうしても思い出したいという願望が胸の中で渦巻いている。
ふと、耳が小さな吐息を拾った。
仰向けに倒れている顔を横に向ければ。
ーーードキリと。
セイバーの穏やかな寝顔が近くにあった。
あれ、なんだろう。
何かが思い出せそうな。
いや、でも待て、ステイ俺。
それは果たして思い出していい類の代物か?
それを思い出したが最後、生活に重大な支障が発生する可能性が無きにしも非ずな予感がビリビリと頭を直撃した。
俺の動揺が何かの作用をもたらしたのか、セイバーの片眉がピクッと動いた。ゆっくりと開いてく瞳に、その様子に目が奪われる。
パチリと、瞼が俺を捉え直したように瞬く。
「「ーーーーーーー」」
無言の俺たち。
目を合わせたまま、微動だにしない俺たち。
そして、
「ーーーーーは、ぁ……」
今まで見たことがないほどにセイバーの目が見開かれる。瞳孔が開くのではと思うほどには俺の方は冷静を保てている。
セイバーはといえば、噴火したように真っ赤に染まる顔。病気かと心配になるほどに顔から汗が滲み出している。
「ーーーーーー、シ、シロウ…」
「お、おはよう、セイバー……」
それが何かの引き金だったのか。
セイバーはバビュンーーー!と。
換装をすることもなく旋風を巻き起こし、どうやって立ち上がったのか、そのモーションが追えないほどの素早さで壁にピタリと背をくっつけて、俺から距離を取った。
けれどその目は俺を捉えたまま離さない。
「シシ、シシシ、シシシシシシシシロウ!いえ、これは違います! 何かの間違いというか、いえ間違いではあるのですが、過ちを犯すにしても、私は決して性的な欲求のみでーーー!」
「お、落ち着けセイバー! よくわからんけど、わからないからこそ落ち着いて!」
セイバーが何をそんなに慌てふためいているのかは不明だ。不明なはずなのに、その話題は色々危険すぎるというか!
いろんなところにデッドエンドフラグを乱立する羽目になるような気がするーーー!
こんなところを遠坂に見られたら!
っていや、遠坂に見られたら何が悪いのかは俺もいまいち理解が追いついてないが、
ーーーって、あれ?
遠坂は?
と、そんな疑問が浮かんだからだろうか。
この工房内において、気づけなかったモノに気付いてしまった。
その、煌びやかな姿のソレに。
「シェロー! やっと目を覚ましたのね!」
………、………………。
……………………なんか、いた。
いや、分かる。分かるんだけど。
やっぱり分からない。分かりたくない。
「り、凛?」
セイバーの方も、それに呆気にとられ、いくらかの冷静さを取り戻したようだ。
うん、そうなのだ。
なんか、遠坂がいました。
「魔法少女カレイドルビーの力でやっとシェロ達を助ける事が出来たわー!」
『ええ、バッチリです凛さん! いえ、さすがです、カレイドルビー!』
そして、なんか喋ってる。
「って、ステッキがしゃべったーーー⁉︎」
『あらあら、瑞々しい驚きは
「もちろんよ! 私の魔法少女の力で、困ってる人達を助けてあげなくっちゃ!」
『それならカレイドルビー、まずは同じく魔術を学ぶ学問の徒達のお助けを致しましょう!』
「そうね、そうしましょう! 私のミラクルパワーで、彼らの未来の手助けをしにいきましょう!」
まて、待て待て待て!
それはまずいだろ。それはやばいだろう。
全てが終わった後で、まず遠坂が死ぬ。
絶対死ぬ、いざとなれば俺たちも。
最悪、ロンドンごと道連れにしかねない。
『士郎さん達の目を覚ます為にと、苦悶し、のたうち回り、目から血流を流さんばかりの姿勢で私と契約した凛さんの姿を拝めただけで十分でしたが、やっぱり欲は持つべきですよねー!』
「ことの元凶はおまえかーー!」
絶対にここで食い止めなければ。
俺はまだ死にたくないんだ。
「セイバー、手伝ってくれ」
「は、はい。ですがシロウ……その、あ、あの……」
言い淀むセイバーの様子に思うところがないわけではないが、今はこっちに集中だ。
「セイバー、食い止めよう」
「……りょ、了解です、シロウ」
「そんなどうして邪魔をするの、二人とも⁉︎」
『カレイドルビー、おそらく士郎さん達は何者かによって暗示を掛けられているのでしょう。この私が言うんですから間違いありません!』
暗示をかけてるのはそっちだろ!
現在進行形で! 現に今も!
「そんな、許せないわ。きっと金髪ドリルテールの高慢チキなお嬢様魔法少女ね! 決めたわ、先に彼女を倒しにいかないと!」
それはある意味で最悪の展開では。
遠坂がこの姿を一番見られたくないといえば、たぶん俺とセイバーを除けばルヴィアさんに違いない。
「行くぞセイバー!」
「凛、今正気に戻します!」
「待ってて。すぐに助けてあげるからね二人とも!」
『いっけーー! カレイドルビー!』
ーーーー嗚呼、もう……。
これがいっそ、夢だったらよかったのに。