「遠坂、これは棚の上でいいんだよな?」
「いいわよー。あっ、横の瓶蔵を倒さないほうにね! この部屋ごと吹っ飛びたくないでしょ」
うん、それは嫌だ。そうならないようにと腕に抱えていた壺を慎重に棚上に置く。
ここは時計塔にある遠坂の工房ではなく、寮の中にある遠坂の自室とは違う部屋で利用しているふたつめの工房である。
掃除下手な遠坂の部屋。しかも魔術師の工房となれば心持ちも変わってくる。
俺とセイバーがこの場所に足を踏み入れているのも俺は遠坂の弟子であり、セイバーは遠坂の使い魔であるという前提があっての話だ。
そうでなければ入れないようにと工房には二重三重のトラップを施してあるみたいだし、セイバーは主従契約、俺に至っては、まあ…その…ごにょごにょなどが、あったわけで…。
「セイバー、そっちの方、雑巾掛けしてもらってもいいか?」
「はい、シロウ。凛、この調合用の小道具等は御自分で整頓するように。まさか魔術師が他者の手を借りて魔具の整備をするおつもりで?」
「わ、わかってるってば。あ、士郎、これも一緒に水で洗っておいて」
手渡された雑巾を手に部屋を出る。
今日は年末でもないのに遠坂の工房のみを大掃除。時計塔での講義が無く、ルヴィアさんのところでのバイトも無かったので、むしろそれを狙っていたかのようなこのタイミングの良さである。
朝食を三人でいただいてから少しの間を挟んで掃除に取り掛かり、時刻は昼前。もう結構時間が経ってしまった。なにせ雑巾掛けをする以前に部屋の散らかり様がすごくて、かといって俺やセイバーが不用意に触れるわけにもいかず、その点に関しては遠坂に頼るしか無く、気づけばそれだけでかなりの時間を喰っていた。
そうしてようやく俺たちが手をつけられる具合には整理がついてみれば気づけばこんな時間帯に突入していたわけだ。
「………問題は、数日後にはまた同じような光景になっていないかだな」
あの遠坂凛である。
こうして整理整頓をしたはいいものの、あの魔窟に逆戻りする期間が短ければ、悪夢再びというわけでーーー。
「おーい、ふたりともー! そろそろ休憩にしないかー!」
水気を搾りとった雑巾を手に部屋に戻る。
モップを手にしていたセイバーは振り向きざまに、
「ええ、そろそろその時間帯だと思っていました」
「うん。そう言ってくれると思った」
まあ、セイバーの食事情に関してはこの際置いておこう。もう一人はといえばーーー。ん?
「遠坂、何やってんだ?」
部屋の片隅にしゃがみ込んでいる遠坂に声をかければ、ビクッ‼︎と肩を震わしてこっちを振り向いた。
「え、あーえ〜と、な、なに呼んだ?」
「いや、そろそろ休憩にしようかーーーって?」
若干頬をヒクつかせる笑顔はいつも以上に胡散臭いのだが、それ以上にその微妙な態度に違和感しか感じなかった。よく見てみると遠坂の後ろには何処かで見覚えのあるような無いような朧げな記憶の片隅に保管されているこれまたフィクションで目にする木製の宝箱が鎮座しており、蓋がぱかっと開封されている。
そして、遠坂の身体の横幅からひょこっとはみ出しているソレに視線が移る。
「それ、なに持ってるんだ?」
「な、なんのことかしら?」
おほほほと、これまた古風な表現で微笑する遠坂さん。
「「ーーーーーーー」」
ーーー怪しい……。
もう何度目かという俺とセイバーによる目配せ。
この不安を掻き立てられる遠坂の様子。
繰り返される悲劇にもう何度俺たちはテーブルに着き、顔を俯かせて溜め息を零しあっただろうか。
セイバーにしてもすでに警戒態勢オールグリーンだろう。先ほどとは打って変わって鋭い眼差しを契約者に向けている。
「凛、その手に持っているモノは?」
「え、手って…」
「誤魔化せるとお思いで? 貴女が放さずにいるソレは一体何なのかと聞いているのです」
セイバーの落ち着きを持ちながらも、隠せない威圧感を含んだ言葉に遠坂は返答に詰まる。
諦めろ、遠坂。こうなったセイバーを止められないことはお前も重々承知のはずだ。
今すぐ王様に全てを打ち明けるのだ。
そうすればきっとセイバーから降り注ぐ雷を回避する事くらいは出来る、と思う……。
「ーーーーーーーーーー」
数秒の沈黙。
遠坂は表情を硬直させたまま微動だにしない。かと思えば、いきなり態度を崩し重い溜め息を吐いている。ようやく観念する気になったのかと、俺が思っているとーーー。
ーーーダッ!と。
いきなりの加速。
何事かと思えば、遠坂は脚に強化を施し、ここからの脱出を試みたのだ。
と、遠坂⁉︎ 今回はそこまでして隠しておきたい珍事なのかーーー!
「凛、待ちなさい‼︎」
咄嗟に対応出来なかった俺だが、隣にいたセイバーは違う。遠坂の素早い動きに瞬時に身体が反応、今まさに部屋から出ようとしていた遠坂の片腕をガシッと固く掴んで離さない。
負けじと遠坂も肉体に力を入れ、なんとか剥がそうと頑張っていた。
「往生際が悪いですよ、マスター!」
「いーやー! 離してってば! これだけはなにがあっても見つかるわけにはいかないのー!」
背後から腕を回され、動くに動けずにいる遠坂は子供のように喚き、俺はといえばその光景をなんとも言えない面持ちで見つめている。
なんだろうね、この状況。
そこでふと、遠坂が握りしめているモノに視線が向く。なんだ、あれ? 手の中に収まっているソレは子供向けのアニメで魔法少女が使っていそうな感じのやや派手めなデコレーションのステッキのようだった。ここにあるんだから遠坂の持ち物には違いないんだろうが。
子供の頃から大事にしていた思い出の品だろうか。それにしてはえらい反応を見せているが。
そうして騒ぎ立てる遠坂とセイバーをじっと佇んだまま見守っているだけの俺だったがいい加減に俺の方から仲裁に入るべきだろうと、声をかけようとした、その瞬間ーー。
ーーースポッと。
遠坂の腕からステッキがすっぽ抜けた。
「「「あ……」」」
弧を描き、セイバーの頭上を飛び越え、くるくると回転を繰り返しながら遠ざかっていくステッキ。そのステッキの落下地点を見遣ると、それはどう見ても遠坂が普段使っている様子の、俺が先ほど注意を受けたあの瓶蔵だった。
「ーーーって、やばっ!」
だめだ、遅い、間に合わない。
セイバーも遠坂の身体を抱えたまま、後方の様子をうかがっているのみ。そしてその遠坂はといえばーーー。
「いーやぁぁぁーーー! 誰か止めてぇぇーー!」
絶叫が木霊する。
ステッキはそのまま瓶蔵へと問答無用に突っ込んで行きーーー。
「ーーーーーーーーーーあはっーー」
何かが聞こえた気がした。
Fate/extra days
ーーーEXTRA・saber:sideーーー
「ーーーーー、ん……」
閉じていた目蓋を開く。
どうやら気を失っていたらしい。
ここはおそらく遠坂の工房だろう。
きょろきょろと辺りを見回して現状を探る。
綺麗に
セイバーも遠坂もいないようだ。
おかしいな、確か俺たちはここのーーー。
「あれ……なにやってたんだっけ…?」
そもそも俺はどうしてここで気を失ってたんだ。ていうかそもそも気を失ってたのか?
寝ていたって方が正しい表現のはずなのに。どうして「気を失ってた」なんて言い回しを取ったんだろう。
いずれにせよ、ここでじっとしていても埒があかない。立ち上がってさっさと部屋を後にする。今日は確か、遠坂は時計塔の方の工房にカン詰めだったっけ?昨日夕暮れ時に一回こっちに戻ってきて荷物の整理をしてから再び出て行く時にそんな事を言ってたような気がした。
「なんか記憶が曖昧だ。寝ぼけてんのかな」
顔を洗ってさっぱりしようかと考え、洗面所へ向かうためにリビングへと足を向ける。
不意に、キッチンの方を見遣るとーーー。
「シロウ、起きたか」
「ああ、おはようセイ……、バー?」
いつものようにセイバーに挨拶をする。
けど、なにか妙だ。
セイバーって……起きたか、なんて言葉を使うような子だったろうか。
声音も何処か
あと、決定的なのはーーー。
「どうした、シロウ」
「あ、いやーーー」
その姿を見て、あっけに取られた。
「セイバー、その服は……?」
「見ての通り、
いや、うん。それはわかる。
いかにもなメイドさんの姿。ご丁寧に頭にカチューシャまでお付けになっていらっしゃる。手に持っているモップからして掃き掃除でもしていたんだろうか。そんな風にモップの先を追いかけていたからだ。
一緒に視界内に収まるその短いスカートから下へと伸びる
「シロウ、ーーー何故目を逸らした」
「えっ?」
刺々しい声が届く。
その内から溢れた若干の怒りが隠れもせずに俺へと向けられている。俺を捉えるセイバーは眉根を寄せて不機嫌だと表情で提示していた。
「何故目を逸らしたのかと訊いている、答えよ」
「な、何故って……それはその…」
「……私には言えないのか、シロウ」
俺が言いあぐねているとセイバーは仁王立ち同然の姿勢から一転して、スタスタと素早く俺の元へと歩み寄ってくる。その迷いのない立ち振る舞いに動揺して、一歩後退ってしまった。
「ーーーーシロウ」
「な、なん…でしょうか?」
「私が怖いのか?」
「へ?」
へ? なんでさ?
その唐突な質問に驚いてセイバーの顔をしっかりと目で追えば、先ほどの不機嫌そうな表情から一変して、眉根を寄せながらも、その顔は何処か寂しそうに歪んでいる…ように見えた。
「私から後退ったように見えた。ーーー私が怖いか?」
「そんなわけあるか」
セイバーを怖いと思うなんてありえるか。
「今のはその……ちょっと驚いたっていうか、新鮮な姿に胸がいっぱいいっぱいで、あの…」
待て、なにを口走ってるんだ俺は?
でもしっかりと言わなきゃいけない気がした。そんな顔されたら黙ってられるか。
「ええい、とにかくドキドキしたっていうことなんです!」
「ーーーーそうか、なら良い」
ほのかに微笑むその表情はいつもより大人びて見える。清廉さを備えながらも隠しきれない大人の色香とでも言えばいいのか。妖しげな声と表情にまたしても鼓動が跳ねた。
そんな俺の心中を知ってか知らずか、セイバーはもう一度小さく笑みを浮かべてからくるりと背を向けーーー。
「シロウ、朝食だ」
「あ…ああ、今作るよ」
「もう作ったが?」
「えーーーーー」
「今日の当番は私だろう。作るのは当然だ」
ああ……うん、そうですね。
ていうかそのメイド服、なんでそんなに背中がオープンなんだろうか。カラダのラインが丸見えでこっちが恥ずかしくなる。頬の紅潮が抑えられないままにセイバーについて行き、椅子に腰を下ろした。なんかもう顔を洗うまでもなく目が覚めてしまった。
キッチンに立つセイバーに手伝おうと進言したが、「座っていろ」と言われてしまい、なんだか逆らえずに大人しく座っているとセイバーの手で朝食が並べられていく。
食パン二枚と、トマトサラダ、スクランブルエッグにベーコン二、三切れと、シンプルだが良いラインナップだ。そして先ほどからずっと気になっていた鼻腔をくすぐるこの匂い。
薄々感づいていたがセイバーの手で運ばれてきたソレを見て、少しだけ驚いてしまった。
「……味噌汁」
「よく味わって食すが良い」
この並びに味噌汁というのは違和感を覚えなくもないが、確かに朝に味噌汁も定番だ。
いただきますと言葉を紡ぎ、さっそく味噌汁に手を伸ばす。
まず一口と飲んでみれば、うん。
なかなか美味しい。
具にしてもジャガイモは口に含めば柔らかく、かといって箸で掴んでも崩れない。良い感じに形を整えている。ベーコンの焼き具合に関してもちょうど好みといったほどだ。
聖杯戦争以降、セイバーにはそれなりに料理指導をしてきたものだけど、まさかこんなにも上達しているとは。いずれ俺なんかよりももっと美味しい物が作れそうだ。
「んーーーー」
そうして舌鼓を打っていると、セイバーは俺の後ろに控えるように目を伏せて立っている。
「セイバー、食べないのか?」
「私はメイドだ。主と卓を共にするメイドが何処にいる」
今さらなにを口にしていると言わんばかりの口調だったけど、むう……それはそれでなんだか居心地が悪い。
「ん?」
ーーーーいま、何か引っかかる言葉が。
「セイバー、今なんて言った?」
「寝ぼけているのか、主と卓を共にする者がメイドなどと名乗れるか」
…………待て。
「俺、セイバーのマスターじゃないぞ?」
聖杯戦争以降も、セイバーへの魔力提供は遠坂が受け持っている。俺も幾分か、あれやこれやで協力してはいるが大部分は遠坂によるものだし、セイバーの契約主は遠坂なんだが。
セイバー自身もそれは十分に理解していると思っていたのだが、セイバーはふんと鼻を鳴らし。
「魔力に関しては凛の差配ではある。だがそれとこれとは別だ。凛はあくまでも魔力提供者であって、私が剣を預ける者ではない」
「なっ…」
さすがにそれは看過できないぞ。
遠坂にもセイバーがそんなことを言ったなんて口が裂けても言えない。きっと悲しむ。
それにセイバーだって、そんなことはどんなことがあっても口にはしないはずだ。
「けどセイバー、遠坂は……」
ここにはいない遠坂の代わりに俺がしっかりと言っておかなければならない。他の人が言えないからこそ、俺がきちんと言葉にしないと。
椅子から立ち上がり、セイバーに向き直る。
ーーーと、セイバーから漂う雰囲気が変わったような気がした。肌に伝わる空気が少しだけ重みを増したような……。
「ーーーやけに凛を庇うのだな、シロウ」
視線が突き刺さる。
セイバーの瞳に俺が映り込み、そして捕捉されたと感じた。逃がしてしまわないようにと、『蛇に睨まれた蛙』なんて言葉を何故か連想してしまった。
なんだ、これは。
この肌に付きまとう悪寒はなんだ。
かすかに頬を擽る冷たい感覚。
まるで、自分がしていけない選択をしてしまったかのように押し寄せる頭中の困惑。
ゴクリと唾を呑み込み、俺は口を開いた。
「当たり前だ。 セイバーが俺の事を考えてくれてるのは素直に嬉しい。 けど、遠坂のことについては聞き逃せないぞ」
言った。
この不安の正体はなんだ。
この緊張感は何処から生まれた。
どうしてセイバーは俺をそんなーーー。
そんな眼差しで見つめてくる?
「ほうーーーーー」
感心した、という感じで漏れた声。
値踏みされているような気持ちだ。
スッと、セイバーは俺を捉えて離さなかった瞳を横へとずらした。
「よく仕込んだものだ。凛め、どうやら手緩く扱ったのは間違いだったか」
ーーーセイバーはなにを言ってる?
けど、これだけはわかった。
わかってしまった。
感心しているのは俺に対してじゃない。
遠坂だ。遠坂に対してのものだった。
「ーーーーーーー
ほんとうに……。
セイバーは何を言っているんだ?
疑念など不要。
そう思うほどに、一瞬だった。
「えっーーーー」
足が浮いた。
胸元に添えられた手が緩く、しかし拒めないほどの圧で俺を巧みに床へと叩きつけた。
「ーーーーがっ、あ……」
頭部強打。背中越しに全身が揺さぶられた。
悲鳴をあげる肉体。
口から零れた息がやけに熱い。
押し倒された。
その事実だけで俺には十分だった。
それ以前に、それだけで十分過ぎた。
これ以上のモノは欲しくない。
そんな俺の意思とは正反対に。
「セイ、バー……?」
「ーーーー、ふふっ」
仰向けに倒れ込んだ俺の胴体にセイバーが上乗りとなって押し寄せる。
服越しに感じる温もり。
妖艶に笑む少女の影。
着衣が乱れ、白く艶かしい肌が露される。
不意に、伸ばされた手が俺の頬を撫でる。
本当に、本当にーーー。
愛おしさをはらんで。
「ずっと気になっていたが、もう限界だ」
顔が寄り、耳元で囁く。
「他のオンナの臭いを消しておかないとな」
カラダが動かない。
耳に感じる柔らかな感覚。
ーーーカプリと。
噛まれた痛みすら遠い。
それでも耳を蝕む終の刹那。
ぺろりと、舐められた感覚だけが強烈に魂に焼き付いた。
「ーーーあ……………せ、いばーーー」
意識がオチル。
呑まれたまま、揺蕩うように。
彼女の輪郭がぼやけていく。
「ーーーーーー、ーーー」
何かを言われた気がするが、もうそれすらも分からない。
最後に理解出来たのはーーー。
その艶やかな唇が、俺の元へと堕ちてゆく。
その一瞬の、終わりだけ。
END