Fate/extra days   作:俯瞰

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第六話

 

 

 そこはとても薄暗い場所だった。

 光源は淡い光で周囲を照らし、ぼんやりと視界の中を浮上させる。

 正直言ってしまえば、ずっとここにいたら確実に視力が落ちそうだと此処へやって来た当初から思っているけど、私の個人的感情は抑えておいて、さっさと仕事に没頭する。

 

「『18世紀における呪術的な心象概念と物体に有す』…って、これ学生が普通に立ち入れる棚に保管しておくモノじゃないでしょ…」

 

 埃にまみれた書本を手に「これは新書庫の閲覧規制庫ね」と独り言を呟きながら、中央に設置されたテーブルの前まで歩いて行くと、しっかりと区分けされた本の前で、ロードへと直接渡すべき物のカテゴリーの中へ置く。

 

 既に本としての媒体を失ったもの。

 新書庫の棚へと移行するもの。

 閲覧規制の掛かった書庫に厳重輸送するもの。

 魔術的な概念トラップ、もしくは霊装紛いに昇華されつつある危険物(・・・)として時計塔の方で処理して貰うもの等々を無駄に長いテーブルに選別していく。

 

 ここは魔術協会・時計塔の管理する旧書庫。

 骨組みとしては旧大英博物館図書館においてその地下空間に造られた枠の中で、歴史と共にその空間は拡大を続け、一般人に公開しても遜色のない立派なものになったものの、新書庫への移転が決まり、書籍の大部分が失われた今では、本の量に比べて異様に広い場所でしかなくなったわけだけど。

 

 中央に聳える巨大な螺旋状の階段は天井部まで到達しており、そこから上に昇っていくにつれ四方へと枝を伸ばした通路が二階、三階、さらに上の階へと繋がっている。古びた館内も真下からこうして覗き込めば脈々と続く魔術界の歴史を醸し出せるのだから大したものだ。

 フロアごとの広さも中々のもので、本の量に比べてなどと言ってしまったが、元々の蔵書の量を考えれば今現在でもまだ各階の本棚には其れなりのストックが残っている。

 だからこそ、未だここの管理権は時計塔に名を連ねる君主の一人が握っているわけで。

 

「凛、新しいダンボールを組み立てますか?」

 

「お願い。とりあえず問題無しのモノだけ入れといて〜」

 

 ああ、肩も足も腰も痛い…。

 帰ったら士郎にマッサージしてもらおう。

 どうして私たちがこんなところで雑務に励んでいるかといえば、それはそう、先日の時計塔からの依頼から始まった一連の事件の影響なわけで。現地に赴いてみれば私以外のこの件に絡んだ連中は全員がこの倫敦へ帰ってこれず、唯一生き残った私への事態究明の声はそれはそれは時計塔のお歴々からのものが大多数を占め、かといって私もあの件については大まかな部分は私的な憶測に過ぎず、確証にたる物証など皆無、聖杯の泥らしき異物は塵と消え、結果的に現時点では一学生でしかない私の意見を鵜呑みにするはずもなく、有耶無耶になったまま一旦は終わり告げた。

 

 かと思えば、突然ロード・エルメロイから呼び出しを受けーーー。

 

「ロード・ミスティールから直々の頼み事でね、現代魔術科(ウチ)の者から手伝いを募っていたので、是非にとキミを推薦(・・)しておいた」

 

「……………拒否権については?」

 

 現代魔術科(ノーリッジ)を受講しているのは別に私だけじゃないし、私と違って鉱石科(キシュア)や他の学科を受けてない奴だっているんだからそういう子に率先して回しては如何でしょうか?…なんて言えればいいだけど。

 

「なにやら疲れた顔をしているだろう。せっかくだ、気分転換にでもどうかと思ったのだがね」

 

 なにが疲れた顔、なにが気分転換。

 それは要するにロード・エルメロイを通して私への処罰みたいなものじゃない。それに対してロードが嫌々というわけでもなく、むしろいつも眉根を寄せて険しそうな眉間の皺が若干緩めなのはなんだか妙に腹たつ。ロードが楽しそうでなによりですわ、ええ本当に。

 つまりは『拒否権? あるわけないだろ』ってことなんでしょ。嫌々ながらやらせていただきますとも。

 

「聞いたところによればバイト扱いにも出来るらしい。働きに応じて幾らかの金銭的な報酬も用意は出来るそうだが…」

 

「ーーーーー」

 

 それを聞いて私が何を思ったかは言うまでもない。

 

 

 ーーーそうして今に至るわけで。

 

 

「遠坂、そこ雑巾で吹くからちょっと退いてもらっていいか?」

 

「なんでアンタは嬉々として雑巾掛けしてるのよ⁉︎」

 

 たくっ、このブラウニー。

 倫敦でも妖精になるつもりかしら、洒落にならないのよねー。変なものを引っ張り込まないことを今のウチに願っておこう。精霊って言っても質の悪いのだって腐るほどいるんだから。

 昼食を済ませてから三人で旧書庫を訪れて今何時なのかしら?ここってなぜか時計が無いから感覚でいえばもう三時間弱は経ってると思うんだけど。正直言ってさすがに足腰が限界ね。

 

「そろそろ休憩しましょっか」

 

「そうですね。そうしましょう。ちょうどおやつの時間頃の筈ですから」

 

 たすかるわー。セイバーのお腹があれば時計なんていらないわね。

 

「凛、何か失礼な事を考えませんでしたか?」

 

「まさか、気のせいよ。ほら、士郎もいい加減休むわよ」

 

「ああ、この棚が終わったらそうするよ」

 

 今休みなさいっての…。

 まずいわね、ウチの衛宮くんの家庭スキルを発揮するには絶好の環境だったわ。こうなると食事なんて忘れて何時までも雑巾掛け、埃取り、モップ掛けetc…と没頭しそうな気がする。

 

「二人で先に休んでていいぞ」

 

 そう言ってせっせと雑巾掛けを始める士郎の姿にセイバーと共に溜め息を一つ。こうなると士郎は聞かないだろうからここは女子二人で休憩タイムといこう。

 

「安易に本に触れちゃダメよー!下手したら死ぬからー!」

 

 わかったー!という士郎からの返事。

 気楽に言っているように聞こえるかもしれないけど、全然冗談ではなくマジで下手をすると死ぬ。時間の経過と共に魔を司る書というものはその定義を自身に問う。魔術世界において本とは時に魔術を司る為にファクターでもあり、そして同時に脈動を起す現存世界での()である。

 簡単にいえば本そのものが意思を持ち、自我を帯び、生命体として個を獲得するのだ。そうなった場合、本自体が自らを依代として使い魔の召喚や魔術を行使することもある。

 そうなった場合の対処法はしっかりと存在してはいるが、それならば面倒な事になる前に処分してしまった方が手っ取り早いという思考が常だ。実際そうした思惑の上で今私は似たような事をやらされているわけで。

 だって、これは文字通り命がけになるかもしれないほどの行動なのだから。そこに未だへっぽこの士郎だけを残していくのは気がひけるけど、危なそうな本は大体纏めてあるし、とびきりのものは結界で封じておいたからまあとりあえず心配は無いだろう。

 

「あー、なんか服が埃っぽい。シャワー浴びたいわね」

 

「一度アパルトの方に戻りますか?」

 

「うーん……それはやめときましょ。士郎が心配だし、チャチャっと行ってパパッと帰ってきましょう。それでセイバー、何が食べたい?」

 

「できれば、甘味を……いえ、金銭的な面では遠慮しておきたいのですが…」

 

「へーきへーき。お金なら入るんだから」

 

 幾らかは分からないけど。

 セイバーと士郎に手伝いを頼んだ際に、一応提示された条件を話した上で、「幾らでも構いません。足しになるのでしたら是非!」と真顔かつ丁寧にかつ張り切った表情でそう言われると、実は乗り気じゃないんだけどねーなんて事は今更言えない。このところの家計状況でセイバーの反応は身に染みている。小一時間説教コースは確実だろう。

 上に繋がる階段付近は灯りが無いので、暗闇の中を躓かないように慎重に登っていく。しかも結構急角度でこの暗闇だと精神的にも不明瞭な圧迫感を背負わされる。

 不意に、鼻先が妙な感覚を捉えた。

 

 ーーーここね。

 

 

 ーーーDer Geschichte(歴史の)

 

 ーーーBeschriften Sie einen Namen(名を刻みし)

 

 ーーーFür immer spielen(永久を奏でん)

 

 

 詠唱直後、微かな人の声。

 強い光に視界を遮られ一瞬閉じた瞼をゆっくりと開けてみれば、そこはもう地上だった。ここの結界っていきなり階段に繋がってるから危ないのよね。部分的に人除けの咒を掛けてあるから、その辺りの繋ぎ目が甘いのかしら。

 なんだか一気に気が抜けて軽く背伸び。

 それは隣にいたセイバーも同じ様だった。

 

「で、セイバー、甘いものだっけ?」

 

「それはそうなのですが…」

 

「大丈夫よ。セイバー達には手伝ってもらってるんだし、今日は私の懐から出すから」

 

「そ、そうですか。まあ…疲れた時は甘いものをと言いますからね、ええ仕方がありません。それでしたら良い場所を知っているのでそこへ向かいましょう」

 

 晴れやかな笑顔を浮かべるセイバーの後ろに続いて、二人で大英博物館を後にする。薄暗い場所にずっといたせいで日照りがきつい。そんな中をセイバーと一緒に歩いていれば、すれ違う人からはかなり視線を受ける。自画自賛してしまうけど私もセイバーもそれなりに身嗜みには気をつけている。倫敦へ渡る以前はセイバーはその辺の嗜みは遠慮がちではあったが、私の猛アプローチの末に、最近では自活的にそういった作業をするようになった。

 その効果が発揮されたのか、それはそれはウチのセイバーは人を惹きつける。まあなんたって私のセイバーだもの。当然ね。

 

「凛、どうしました?」

 

「う、ううん。なんでも無い!」

 

 そんな私を見て首を傾げる動作すら可愛いって本当反則なのよねこの子…。

 

 大英博物館から十分ほど歩いたのちにウォーダーストリートに入り、そこの人集りの出来ている店先でセイバーがピタリと足を止めた。

 Bubblewrap Waffleと描かれた看板の通り、店内から出てきた女性客二人は紙に包まれたワッフルらしきものを手に持っていた。

 

「セイバー、ここ?」

 

「ええ、以前シロウと買い物をしていた際に頂いたのですが……とても美味でした。早速並ぶとしましょう!」

 

 とっても良い笑顔で前進するセイバーにつられて待ちの列に並んでいれば、意外にあっけなく列は捌け私たちの番が回ってきた。ていうかちょっと待って。買い物っていうかそれってもはやデートっていうんじゃ…。

 いや、やめておこう。こんな事を言っても多分今更すぎるのよね。そんなこと言ってたら冬木でだってセイバーは基本マスターである遠坂の屋敷で生活してたわけだけど、私による士郎への魔術講座やセイバーによる剣の鍛錬で士郎の家に泊まる事だってあったわけで、買い出しもよく二人で行ったりしていた。

 もう一緒に外に繰り出す事が当たり前になってるのよね。正直私も、士郎が買い出しに行って、セイバーが家にいると「あらセイバー? 今日は衛宮くんについていかなかったのね」なんて素で聞いたりもしちゃってたし。

 

「凛、貴女はどうしますか?」

 

「え、何が? デート?」

 

「はい? 生地のことですが?」

 

「え、あ。ああ…生地ね、えっと生地はっと……」

 

 なにせ私は初めて食べるので、やっぱりプレーンにしておこうかしら。中に入れるアイスはバニラで良いとして…トッピングはどうしようかな。ストロベリーを乗せてからチョコレートソースをかけるのでもいっか。目の前で生地から作られていくその工程を見るのは結構楽しいし、しかも新鮮。

 セイバーは生地をチョコレートに選択し、アイスはストロベリーチーズケーキをチョイス、トッピングは無しでものの数分で用意され代金を払い店外へ出る。こうして手に持って見ると結構でかいし重い。見た目に関してもなかなか美味しそうでこれを写真に撮って映像に流せばそれだけで客寄せにはちょうどいいだろう。

 パクッと一口含んでみればワッフルの暖かさとアイスの冷たさが口の中で絶妙なハーモニーを奏でている。トッピングに関しても色んなバリエーションがあるから違う味を何回でも楽しめるし、新しい組み合わせを見つけるのも面白いだろうと思う。なるほど美味しい。それなりに高いだけあるわね。

 

 隣にいるセイバーを見てみれば、口に含むごとにゆっくりと味を噛み締めている。その幸せそうな表情を見ているのはなんだか気分が良い。士郎がセイバーにあれやこれやと買ってしまうのも頷けるものだ。

 

「ひぃん。ひほくひひょうへふか?」

 

 スッと手元のワッフルを差し出してくる。

 今の動作がなければ何を言いたいのかさっぱりわからなかった。というか口に含みながら喋るのをやめなさい。士郎め、可愛いからと思って注意してないな。いや注意してもやめないだけなのかしら?

 お言葉に甘えてセイバーから差し出されたワッフルを一口。うん、こっちもこっちで美味しい、トッピングを付けずにこれだけでも十分美味しいのね。士郎にも買っていこうかと思ったけど、さすがにコレを持って大英博物館に入ったら目立つでしょうね。今回のバイトが終わったら何か奢ってあげようと考えて、さっさと来た道を戻る事にする。

 

 セイバーも士郎が一人でやっている事を思えば早く戻るべきだと考えていたんだろう。特に異論は無く、ワッフルを胃に納め二人で再び大英博物館に戻る。またしても真っ暗な階段を今度は踏み外さないように降りていけば、ぼんやりと照らされた書庫に辿り着き、想定通り、そこにはぎゅっと雑巾を握りしめる士郎がーー。

 

 

「ああ、遠坂にセイバー。二人とも休憩行ってきていいぞ。俺もここが終わったらそうするから」

 

 

 ………………………………。

 

 ………………………………………ん?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fate/extra days

ーーー第六話ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シロウ?」

 

「別に俺の事は待ってなくていいからさ」

 

 ここの棚をやっちゃいたいからさ。

 そういって足元のバケツで水をぎゅっと絞った雑巾を手に脚立に足をかけ、分厚い本棚の誰も手を伸ばそうとはしないであろう天井部を拭こうといそいそと登っていく。

 その表情は普段にも増して生き生きとしたものだ。さっきまでの私ならそんな士郎の様子にしょうがないんだからなんて言ってたと思うけど、現時点では少々勝手が違ってきたらしい。

 

「凛…」

 

 セイバーも士郎の言動に違和感を感じ、おおよその見当を付けたようだ。私にだけ聞こえるようにぼそりと名前を呼んだ。

 

「わかってるわ。これは……困ったわね」

 

 現状把握。

 さっき、私・遠坂凛はセイバーを連れ立って休憩タイムということでデザートを食し、帰り道の中で軽い雑談を交えた後、ここに戻ってきた。当然士郎には出掛けてくることは伝えてあったし、行ってきていいと言われたのでその言葉通り二人で行ってきたわけなのだが。

 

「ねえ、衛宮くん?一つ聞いていいかしら?」

 

「な、なんだよ改まって、気味悪いぞ」

 

 うっさいわね。余計なお世話よ。

 

「今って、何時くらいだったかしら?」

 

「何時って、昼を食べてここに来て……まあ三時くらいじゃないか。さっきセイバーがおやつがどうこう言ってたろ。だから二人だけで行ってきていいぞ」

 

 確定ね。

 スッと、セイバーと一緒に士郎から遠ざかりこそこそと内密に話し合う。

 

「凛、これは…」

 

「ええ。士郎の中で私たちは休憩から帰ってきたことになっていない。行く直前のままストップしてる。原理は今の所不明だけど、はっきりと言えることは、士郎は気付いてない(・・・・・・・・・)。いえ、もしかしたらーーー」

 

 この空間ごと…?

 周囲を見渡す。何かしら術式が発動していれば気付くはずなのに。

 

「セイバー、貴女は何か感じる?」

 

「………いえ、コレといったものは何も…」

 

 まずい。

 セイバーでも気付けないということは。

 

「私たちも術中に嵌ったわね」

 

 何かしらの工作…とは考えにくい。

 わざわざこんなところで襲撃をかける理由は無いはずだし、となるとこれは、あんまり考えたくないけど…。

 

「見落としか…」

 

「魔導書の力、ということですか」

 

「そうね。私もセイバーも気付かない内に三人纏めて術式の中に閉じ込めるとは」

 

「ですが、シロウと違って私たちには外に出た記憶も経験も確かに有ります」

 

「私たちが外に出ていた間にもう一段階やらかされた可能性の方が高い」

 

 こうなると私の力で押し切ることは出来ない上に士郎を取られたのはやられた。士郎は歪みの感知に敏感だ。この状況で士郎をこっち側に引っ張り出すとしても、トラップを仕込まれている危険性がある。相手が分からない以上、対応だって変わってくる。今の手持ちでそれが出来るか不明だとすれば、士郎には掃除に精を出してもらっている方が安全ね。

 

 手っ取り早く、相手の正体も位置も掴める手段といえばーーー。

 

「…凛、その苦虫を潰したような表情にはどういった意図があるのですか?」

 

「うん、いや……でもなぁ…」

 

 手っ取り早く…なら。

 外部からの協力者を募るのが一番なんだけど、下手な者だと逆に呑まれてしまう可能性が高い。時間制限があるかも分からないこの状況を突破するなら、やっぱあいつかな…。

 このヘンテコな状況をルヴィアにでも知られたら絶対バカにされそうだから、口止めしたとしても軽口であっさりと喋っちゃいそうで怖いのよね。

 

 ええい、背に腹は変えられない。

 スカートのポケットに入れていた物を取り出す。何処にでもありそうなポケットティッシュだがちょっとした細工がしてあって、えっと…確か…ここを、こう押してから…呪を唱えて…。

 

 すると、手の中のティッシュがブルブルと震え始めーーー。

 

〈はい‼︎ フラットです‼︎〉

 

 即行で出た。どうやらこの中はある程度の魔術には寛容らしい。どのレベルの魔術に干渉してくるのか気になるけど今はこっち。

 

「あー、あー、も、もしもし。聞こえてる?」

 

〈あれ、もしかして凛ちゃん? というかコレって俺があげた『パクパクくん』使ってる⁉︎ 皆にあげたのに全然callが来ないから淋しかったんだよー!〉

 

 そりゃあそうでしょうとも。

 なにせロード直々に「使うなよ、諸君、分かっていると思うが、使ってくれるなよ」といつになく念押しされたんだから。本当は私だって使う気なんてなかったし。

 

「ミスタ・フラット、今ちょっと手空いてるかしら?」

 

〈どうしたの凛ちゃん、なんか気味悪いよ。いつもグレイちゃんを追っかけてるル・シアンくんが本人の前で有る事無い事言い訳を並べ立ててる様子より胡散臭いよ⁉︎〉

 

 一緒にしないでくれる? ていうか空いてるの空いてないの、早く答える。

 催促の言葉を紡げばふわりと宙に浮いたティッシュがその口をパクパクと開閉しながら「あはは」と朗らかに笑い声をあげる。

 

〈全然大丈夫だよー!〉

 

「じゃあ今すぐ大英博物館・旧書庫に来て」

 

 こいつなら多分、来ただけで異変に気付く。

 

〈オッケー! 待っててね!〉

 

 その言葉を最後にティッシュは力を無くし、ポトリと地面に落ちた。ああ、使っちゃったな…と思いながらそれを拾おうと手を伸ばし、手の中に収めた瞬間、ガサッと何かの音を耳が拾った。

 

「凛‼︎」

 

「きゃっ‼︎」

 

 セイバーに押し倒される。その頭上を右側から何かが通り過ぎ、反対側に置かれてあった本棚を直撃しガラガラと騒音を撒き散らせながら本を収納するスペースをうつ伏せの状態で倒れていくのが映った。埃と煙が舞い上がる中、先程の飛来物の方向へと顔を向ければ、滞空する一冊の本を見上げた。魔術に身を置く者なら見れば分かるほどに全体から溢れ出る瘴気。

 元凶はこいつか。応援を呼ばれたってくらいの認識はできるみたい。どうやらおつむの方は皆無というわけでもないらしい。

 すると、魔書はその身をガタガタと震わせたと思えば、直後に微かな風圧が肌を掠めた。

 牽制? いえ違う。

 素早く腕を掲げた。

 指先を標的に合わせ、ガンドを射出。

 指一本で放たれたそれは手を全体で利用した場合より威力は下がるけどスピードでは勝る。そして、命中するその手前、遮るように飛び込んできた一冊の本が身代わりとばかりにガンドを喰らい、床にボスンと風を巻き上げて落下した。自身以外のモノはコントロール可能…ってことはだ。

 

 私の瞳に映り込んだその光景。

 その魔書を中心に、棚に収められていた数多の蔵書が群れを為す。それは吸収されていく本の数に比例して段々とその大きさを膨れ上がらせていく。ガタン‼︎とけたたましい音が背後から聞こえて振り返ってみれば横倒しになっていた本棚が下から押し上げてくる本たちに負け、その大きな姿を仰向けに転ばされていた。

 それらの本はあの球体には吸収されず滞空したままだ。それがまるで私たちに狙いを定めたかのように見えて内心苦笑してしまう。

 

「凛、これは……」

 

「…………耐えてね、セイバー」

 

 さすが主従契約。

 私が考えていることをセイバーも分かってくれているようで安心したわ。ここでセイバーの力を無闇に解放して場を掻き乱したり、私がガンドやらを連発して無駄に本を台無しにすれば、後でどんな悲劇が待っているか。

 

「わかっていますとも。なるべく本は傷付けず、私も凛も傷付かず……そういえばシロウは?」

 

「私もそう思ったけど、見てアレ」

 

 セイバーに促して二人で誰かさんを見遣れば相も変わらず掃除に精を出していた。どうやら元々備わっていた頭の鈍さが、本のせいでさらに過剰になったらしい。今の現状にまるで気付いていない。まあそれはそれでいい。観測できない以上は観測されることもない。どうやらあちらさんも士郎に手を出す気はないと見える。

 なんかイラッとするけど今はいいわ。

 

「お金を貰いに来たのに、払う事になるかもしれないなんて真っ平御免よ!」

 

「同感です、絶対にそうなるわけにはいきません!」

 

 高らかな意思表示を宣戦布告とでも受け取ったのか、次の瞬間、眼前の球体が動いた。

 

 紙が捲れ、ぱらぱらと瞬きのような連続音が幾重にも重なって鼓膜に響き渡る。バサッと後方で待機してあった本達が一斉に私たちに向けて放たれた。屈むことでその場を回避し、セイバーと一緒に脇の通路に飛び込んだ。

 そのまま全力疾走で距離を取る。

 実験その一。

 本を制御下に置くとして、その効果には指定された範囲が存在するのか。

 このまま隅っこの方まで駆けていったとして、そこまで私達を追尾させることが可能かどうか。これを確かめてみれば時間稼ぎをするにあたって大いに有効な手立てとなる。

 

「って、ウソっーーー!」

 

 目の前の通路、そこに置かれていた棚が急にぐらりと傾いたかと思えば、そのまま道を塞ぐように倒れてくる。このタイミングだとちょうど真下を通過する位置で激突する。

 後ろから追いかけてくる本の群れを気にしながら、横の通路へと方向転換。チラッと目線を横に流せば、今にも押し寄せてきそうな飛翔する本達を捕捉してしまった。

 映画の中で津波とか炎とかから全力で逃げてる人の感覚がなんとなく分かったわ!分かりたくもなかったっていうのに!

 最近ほんっとにツイてないのよね!

 この前の事といいどうして!

 

「凛、正面です‼︎」

 

 セイバーの声に引き戻されて正面を見れば、地面を這うようにしてこちらに向かって飛んでくる本達を見つけた。回り込まれた⁉︎

 

「御免‼︎」

 

「セイバー⁉︎ ちょ、ちょっとーーー‼︎」

 

 グイっと引っ張られたかと思えば、そのままセイバーの腕に抱かれお姫様抱っこ状態になり、そのまま上空へと脚力で脱出。その位置までくれば俯瞰的に現状を認識する事が出来る。

 

 足元に広がる棚の数々から無作為に本が空中へと舞っていき、中心点に吸い寄せられていく。どうやら一定の制御の下に置くには一旦自分の手元に引き寄せてからじゃないと出来ないみたいね。

 そしてそんな私達の状態を連中が見逃すはずもなく、本達が急上昇して追い掛けてくる。私といえばお姫様抱っこされたままセイバーの次のアクションに集中していた。彼女がこの状態を考慮せずに、上空へと至るわけがない。

 間近に迫った本達をセイバーは見据えたまま、激突するその刹那に体の向きを変え、群れの中の一冊の本をピンポイントに狙い、足場として固定、瞬間な魔力上昇の末に一気に離脱を図った。風圧に一瞬瞼を閉じてしまったが、目を開けた瞬間には棚の長頭部にセイバーが足を着けた。

 

「セイバー、このまま逃げ続けられる⁉︎」

 

「無論です」

 

 じゃあお願いするわ。

 ここで体力使っちゃったらあとが持たない。

 

 早く来てよね、フラット‼︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈着いたよー〉

 

「おっそい‼︎」

 

 絶対あれから四、五十分は経ったでしょ!

 時計塔からなら大英博物館まで三十分もかからずに到着するっての‼︎

 

〈あらあら、呼ばれたから来たというのになんて品の無い返事なのでしょう。底が浅い事は重々承知ですけど、敢えて言わせてもらいますと、程度が知れますわよトオサカリン〉

 

 

 ……………………って。

 

「なんでアンタがいるのよ⁉︎ ルヴィアゼリッタ‼︎」

 

 もしかしてこいつら一緒にいたの?

 迂闊だった。ルヴィアがフラットと一緒に居るはずなんて無いと思ってたのに。

 

〈気づいてなかったんですのね。貴女がお使いになったあの魔具、連鎖的にすべての受信機に発信されていましたの。なので彼からアレを貰っていた方全員(・・)にお二人の会話が聞こえていましたのよ〉

 

「………………え、ウソ、嘘でしょ?」

 

 嘘よね。

 嘘だと言って。

 アレを持ってる人間なんてそれこそあの教室の面々。そしてソレは生徒だけではなくて、その教室の主である…。

 

〈 たしか教授はね…『会議中じゃ無かったのが不幸中の幸いだ』って言ってたかな!〉

 

 き、聞かれたあああああああ‼︎

 よりによってこの状況をロードにバレた。

 表面上は今回の件を持ち込んだのはロード・エルメロイだ。でもそれはあくまで上辺だけの事柄であって。当然その裏の方にも情報は確実に回るだろう。まずい、本当にまずい。

 これは是が非でもこれ以上の損害を出さないように細心の注意を払いながら行動しないと!

 それにまだチャンスはある。あの会話はあくまでも『なんなら清掃でもしておこうと、男手を増やしたいと思っただけです』的な感じにまとめなくては!

 

「その辺りの話は後でいいわ。とにかく現状打破、この一点! こっちの状況は把握してる?」

 

〈うん。大体はね。なんか面白いことになってるけど、そっちに行ってもいい?〉

 

「結構よ」

 

〈ええ〜! だって凄いよ映画みたいじゃん!俺もそんな風に本の山に追っかけられたい!〉

 

「アンタなら後でいくらでも再現出来るでしょ。ルヴィア、アンタもいるならフラットと協力して炙り出しして‼︎」

 

〈命令しないで頂けます。でもまあ、この程度も出来ないのかと無駄な勘繰りをされても鬱陶しいですから、ええ、いいですわよ〉

 

 憎たらしいけど、こういう時はルヴィアゼリッタの力も頼もしい。口は悪いけど腕はいいんだから始末に負えない。

 ーーーと、不意に飛来する本の影が薄くなった。何かあったのかとセイバーの腕の中で目線をあげればそこにあったのは……なに?

 攻撃を停止した本たちが私達の前で寄り集まっていく。そこから浮かび上がるのは、夥しい本の群で出来た(とぐろ)を巻いた大蛇がそこにいる。そして、その体をしねらせ。

 

 ーーー轟音と共にセイバーの足場であった本棚諸共、付近の本も棚もその巨体に任せて全てを吹き飛ばした。

 

 ちょっと! 結局その行動も全部私が背負わされることになりそうなんだからやめてー!

 この分だと他の階の所蔵本まで掻き集めてるわね。いったい事が終わったあとに誰か整理すると思ってるんだろうか。

 

〈すっごい! 凄いよ! やっぱりそっちに行ってもいい、凛ちゃん‼︎〉

 

「アンタにツッコミ入れてる暇無いから‼︎ お願いするから、はやくー‼︎」

 

〈ええい、やかましいですわ‼︎ アナタも教室では先輩先輩と仰るのですから、先輩らしくさっさと縫合(・・)の穴を探って頂けます⁉︎〉

 

〈だってルヴィアちゃん! こんなチャンス滅多にあるもんじゃないよ!凛ちゃんだけ一人占めしてずるいずるい!〉

 

 やっぱ失敗だったかな…。

 そんなことを思ってる間にも、本たちは、蛇や鳥、狼など、時にはそのスケールをさらに倍にし、時には数を増やし、セイバーの方へと群がってくる。ガンドを喰らわしてやりたくなる度に、なんとか手をぎゅっと握って指を構えるのを我慢する。

 

 数分の後、懐に抱えたティッシュが蠢いた。

 

〈終わったよ! 簡単だけど、思ったより良い感じの仕上がりだね。積み重なって今にも崩れそうだけど、とっても繊細で綺麗だ〉

 

「流れの位置は?」

 

〈旧書庫の中心点から少し北西にズレた……なんだろ、これ?ーーーーバケツ?〉

 

 あの辺りか…。

 

〈トオサカリン、貴方の持ち手は?〉

 

「赤と青が二つ、黒と緑が三つに、橙が一つ」

 

〈鉱石科に席を置く者がその程度のストックしか持っていないとはどういうことですの⁉︎ せめて紫くらいは保有しておきなさい‼︎〉

 

「うっさいわね、余裕がないのよウチは‼︎」

 

 ボンボンのお金持ちと違って、こっちは金欠気味で宝石の在庫だって日々節約して手一杯だっての!

 

〈いいでしょう、貸し(・・)ということにしてあげます。此方からラインを辿って静の言を送ります〉

 

「オニキスで良い?」

 

〈このレベルならそれで十分でしょう。ミスタ・エスカルドス、補強具合は?〉

 

〈バッチリだよ。結界の方も制御済みで向こうにもバレてないかな。なんなら合わせて俺の方でも重ねがけしてもいいけど!〉

 

「過剰にやり過ぎると強制転化する危険があるからいいわ。それならどっちかというとウチの不貞の弟子をどうにかしてくれると助かるわね」

 

〈暗示が掛かってるみたいだったから、一応もう覚ましてあるけど…アレマズかった?〉

 

 いえ、手間が省けて助かったわ。

 

「いち、にー、さん、で仕掛けるわよ」

 

 事前にセイバーと交わしていた順序通りに、回避行動を取り続けていた彼女の足が止まる。私達の会話を聞いて、セイバーの姿はすでにフラットの指定した場所の付近に迫っていた。

 それは当然あの球体も動かずにそこの浮遊しているわけで。再び現出した大蛇が二匹、私たちを塞ぐにように前後に回り込んでいる。

 

 いち。

 

 再度、突進攻撃が迫る。

 

 にー。

 

 その直前、真上へと跳ねるセイバー。

 互いに激突し、その形を崩落させた大蛇は、そのお互いの肉体をつなぎ合わせ、人の顔をしたそれが口を大きく開き、私達を飲み込まんと上昇してくる。

 

 さん。

 

「セイバー‼︎」

 

「ーーーーはっあっ‼︎‼︎」

 

 セイバーの力によって前方へと勢いよく投げ飛ばされる。

 

 その直後、口の中に飲み込まれたセイバーが視界にちらついた。そのままくるりとその身をくねらせ、ターゲットを私へと移した。そのまま大きな口が接近してくる。

 後方には呑み込まんと近づく口。

 前方には球体。

 あの質量ならどちらも触れればひとたまりもない。ここで止まることは出来ない。

 飛んでいく私の目標地点。

 そこは、あの球体の頭上。ちょうど真下へと計算通りに到達し落下していく。

 私の存在を感知したその球体がざわりと全体を振動させ形態を変化させていく。今度はその輪郭をぼんやりと浮かび上がらせ、長い髪の女のような顔立ちのその本達が後方にある自らの一部と同様に、その大きな口を開いて私へと迫る。

 

 そしてーーー。

 

「ーーーAnfang(セット)

 

 魔術基盤は私の方で形成。

 そこから数珠繋ぎでルヴィア達の出番だ。

 

〈ーーーRuhe(鎮め),Ruhe(鎮め),Ruhe(鎮め)

 

〈ーーーProduziere aus alten Zeiten(古より伝し), wir sind die Vorfahren(我らが祖よ)

 

 単一言語による同調詠唱?

 やってくれるわね、ルヴィアのヤツ。

 これじゃあこっちも半端出来ないじゃない。

 もともと、半端にする気もないけどね。

 手の中で転がるオニキスの宝石。

 あらかじめ籠めてあった魔力量じゃ、目の前の事象を打ち消すには足りない。

 

「ーーーAnruf(我は求める)Zur Seite(彼方より来る)

 

 そこにフラットが私とルヴィアの間にパスを構成し、宝石へと到る魔力出力を調整・圧縮し、一気に解放する!

 

 

「ーーーDämonen ausstoßen(魔を打ち祓いたまえ)!」

 

 

 詠唱直後。

 スッと、手から放した宝石が落下していく。

 

 それは流れ落ちるままに私へと肉迫する口の内部へと呑み込まれた。

 

 ーーー瞬間、圧倒的な光が書庫を包み込む。

 

 その眩さに瞼を閉じた中で、微かに耳に聞こえた甲高い女性の悲鳴。

 フラッシュに奪われた視界が戻ってくる。

 支配権を無効化・動作不良を発生させたおかげで、あちこちの本が勢いを無くし、ただの蔵書へと戻っていく。背後から迫っていた大口もその動きを停止し、欠片(ほん)たちがパラパラと剥がれ落ちていく。って、真下にいる私に降り掛かってくるのを考えてなかった。

 

 そしてその空間の中、瞳へ映り込んだうつ伏せに倒れている士郎の姿。

 

 気を失ったその手が掴む僅かな魔力の残滓。

 

 

 ーーーーアレか!

 

 

 落下中の身を翻し、照準固定。

 落下してくる本が、最後の悪足搔きのように私にスコープを阻害してくる。

 いい加減頭に血が上ってきたし、このイライラも一緒にぶつけてやる。

 指先にありったけの魔力を装填。

 渾身の一発を叩き込む。

 

 

「いっけぇっーーーーーーー‼︎‼︎」

 

 

 高速で発射されたガンドは降り続く本の束をすり抜けーーー。

 

 士郎の手元をピンポイントで打ち抜いた。

 

 やったっ‼︎

 て、私の状況をどうにかしないと。

 このままだと頭打って死ぬ。

 

 あ、でも必要ないか。

 だって。

 

 突如、本の山の一部が破裂した。

 突き抜けた風圧のみが本達を吹き飛ばし、そこから飛び出た影。気づけば、髪をなびかせ風のように舞う頼もしい彼女(パートナー)の腕の中に私はすっぽりと収まっていた。すれすれのところで私を追い抜き、先に地に足を着けた様子はさすがとしか言いようがない。

 

「さっすがね……。でもセイバーを呑み込ませるプランは反対だったのよ」

 

「ある程度の無茶は許容範囲です。こういった思考回路を持つに至ったのはマスターの影響でしょうね」

 

 言ってくれるじゃない。私はいくらなんでもあんな無茶はしないわよ。………たぶん。

 地面に下ろしてもらい、士郎の方へ目を向ければ、その手の中にあった一冊の本は私のガンドで弾き飛ばされ、端の方から蒼白い炎がゆらりと浮き出ている。

 

 発火……じゃないわね。

 ていうか、これって…。

 

「セイバー、士郎を起こしてくれる?」

 

「凛? ですが…」

 

 いいから、と催促し士郎に近づいたセイバーはゆさゆさと肩を揺らして名を呼ぶ。そうしていれば士郎の眉根が歪み、薄っすらと瞼が開いていく。

 

「……………ん、あれ?」

 

「おはようございます、シロウ」

 

「んぁ…セイバー? おはよう、あれ今何時?」

 

 なに呑気に寝てるのよ。

 この前の事件といい、最近寝すぎだっての。

 というか衛宮くん、あなたね…。

 

「ねえー、衛宮くん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」

 

「な、なんだよ遠坂、気味悪いぞ」

 

 やかましいわ、って、なんかデジャブ。

 

「私達が休憩に行ったこと覚えてる?」

 

「ああ、覚えてるぞ。ーーーってなんだこれ⁉︎ ぐちゃぐちゃじゃないか‼︎」

 

 士郎の絶叫が館内に響く。

 まあこの惨憺たる状況。寝て起きたらこの有り様でしたは絶叫したくもなるわよね。

 本棚は倒壊、本もめちゃくちゃ。

 テーブルや椅子も廃木同然の物も発生中。

 足場を探すのだって今や一苦労だ。

 

「遠坂、今度はなにやったんだ?」

 

「どうしてすぐにアタシだって断定するのよ‼︎」

 

「やかましい。お前しかいないだろ、この前科持ち。俺やセイバーが経済的に苦しい身に置かれてる原因を作ったのは誰だったっけ?」

 

 うっ…、それを話に出されたら。

 ーーーって、今はそうじゃなくて!

 

「衛宮くん、私達がいない間に何かあったりしなかった?例えば、何かに遭遇(・・)したりとか?」

 

「遭遇って……ああ、そうだ。遠坂にひとつ聞きたいことがあって、それから……あれ? どうしたんだっけ?」

 

「記憶が混濁してるのも無理ないわ。それでやっぱり何かに会ったの?」

 

「ああ、遠坂達が書庫から出ていったあと、メガネをかけた女の子が来たんだけど、どうもその子あんまり言葉が喋れないらしくてさ、何か本を探してる風だったから探すのを手伝ってたんだけど…」

 

「その女の子ってーーーあんな感じの子?」

 

 スッと、指を指して示す。

 ーーーそう。

 いつの間にか本に浮かび上がる炎は消え。

 その隣に見知らぬ女子が横たわっている。

 淡緑の色を帯びた長髪が艶やかな光沢を保ってさらりと顔にかかり、その閉じられた双眸には眼鏡が備わっていた。そしてここからでも分かるくらいにボリュームのある胸部に目が止まる。外見的には私とあんまり変わらないように見えるのにまあ随分逞しく実ってらっしゃる。

 

 しかもその身を包む衣は薄手の蒼いワンピース、というかキャミソールじゃないの、あれ。端的に言うとえらくきわどい。

 

 そんな彼女だが、おそらく外見と中身の釣り合いは人類の枠には収まらないだろう。

 

 私の指先が合図だったかのようなタイミングで、そのレンズ越しの瞼がピクリと動いた。

 

「……ん」

 

 ゆっくりと開かれた瞳。

 横になっていた身体を力なさげに起こし、キョロキョロと顔を動かしている。周囲を確認でもしてるのだろうか。そして、その視線が私たちを、もといーーー士郎を捉え。

 

「あ」

 

 一瞬のことだった。

 突然立ち上がったと思えば、駆け足で接近し、私とセイバーの間を通り過ぎ、もはやダイブに近い動きで士郎の元へと飛び込んだ。

 

「って、うわっ‼︎」

 

 いきなりの衝撃に声を荒げる士郎。

 あら、いったいどこを見て顔を赤くしていらっしゃるのかしら?まあ言わなくても分かるからいいけどね。

 

「衛宮くん……どういうこと?」

 

「シロウ? これはいったい?」

 

 セイバーは急展開に頭がついていかない様子だが無理もない。むしろこの状況を冷静に把握できる奴がいたら教えてほしい。いや別に連れてこなくてもいいけど。

 そうしている今も彼女は士郎の胸元に飛び込み、両腕を背に回し、私達から顔を隠す。と思えば、こっちを見て…あ、隠した。

 いや、そんなことはもうどうでもよくて、いやどうでもよくないけど。

 

「や」

 

 不意に、渇いた声が聞こえた。

 くぐもったその声はたぶんだけど。

 士郎の胸元に埋まった顔が少しだけ擦れ。

 私とセイバーを見つめる。

 その表情は何処か不安げで、陰鬱で。

 

「つれてっちゃ……や…」

 

 それだけ言うと、再び士郎の胸元にイン。

 耳元が赤いのは恥ずかしかったからなのか。

 

 ……………………はーん。

 …………ははーん。

 

 なるほどね。

 

「モテモテねー、衛宮くん」

 

「え? えっと…なにが?」

 

「察するに、その子は衛宮くんの事が大好き(・・・)みたいで、私とセイバーに奪われたくないらしいわよ」

 

 どうりで士郎には対処が緩いと思った。

 術式を解いて士郎を発見した時も、士郎の身体全体を覆い包むように本が取り巻いていたし。あれは万が一のためにと士郎の壁役をあらかじめ作っておいたのね。

 出会ってから数分しか経っていない筈なのに、いったいどんな手を使ったのかしら。

 まさか禁呪じゃないでしょうねぇ…。

 

 この騒動の原因も、私たちを士郎から引き剥がす為の工作だったってところかしら。

 

妖精(・・)にまで好かれるなんて、さすがは高校でブラウニーなんて呼ばれていた士郎らしいけどね。いい加減基本概念がそっちに傾いてるんじゃない?」

 

「どういう意味だよ、って、妖精?」

 

「そう、妖精よ。その子」

 

 どれかの書物の…じゃないか。

 驚いたわね。

 この旧書庫で生まれた人工種の精ね。

 人に想いが募り、集まり、人が残滓が結集し、積もり積もったこの場の歴史と時間、記録そのものが結晶化して生まれたのがこの子ってとこかしら。さすがに肉体のベースになったものが何かは知る由もないけど。

 

「この場自体が生み出したモノ。いわばこの空間における管理人であり、権能者」

 

 本を探してくれ云々は、まあアレね。

 話題作りっぽい感じかしらね…。

 といっても助かったわ。力の扱い方を覚えれば覚えるほどにどんどん手がつかない存在になる。現時点でこの程度で済んだのは不幸中の幸いってとこかしら。下手するとセイバーの力をフルに活用しなくちゃいけなかっただろうし。

 

「あ、その……」

 

「ここ、に。いる……ずっと」

 

 ……はあ、なんか、もう疲れた。

 とりあえずこの目の前で繰り広げられる光景へのイライラは後々士郎に倍返しするとして。

 

「じゃあ、衛宮くん、あとよろしくね」

 

「へ⁉︎ いや、遠坂、ちょっと待て! この状況で俺だけ置いてくっておかしくないか、話の流れ的に‼︎」

 

 うっさい。ばか、女たらし。

 あんぽんたん。

 あとで覚えときなさいよ、ばか。

 

「いきましょ、セイバー」

 

「そうですね、ええ。シロウ、では」

 

「待て待てセイバー‼︎ なんでそんな渇いた目で俺を見てから去ってくんだ⁉︎」

 

「申し訳ありません。マスターである凛の指示には逆らえませんので」

 

「嘘だ! それだけは絶対に嘘だ!」

 

「シロウは少し反省するべきかと」

 

「そうね、反省なさい反省。特別に今日だけはここにいることを許可してあげるわ」

 

 あとは自力で抜け出しなさい。

 あれ、それなら最初から私たちが出ていく方が早かったんじゃ……まあもういっか。

 ああ、それとここの掃除もよろしくね。

 大丈夫よ、衛宮くん掃除得意だし。

 大好きでしょ。

 

 

「あ、凛ちゃん‼︎」

 

「きましたのね、あら? シェロがいませんわよ?」

 

「ああ、いいのいいの。ね、セイバー?」

 

「ええ、問題ありません。いつものことです。シロウにとっては」

 

 上で待っていたルヴィアとフラットと合流。

 とりあえず世話になったし。

 

「二人とも、甘いもの食べない?奢るわ」

 

「え、いいの‼︎やったー! じゃあじゃあ、近場で美味しいワッフルのスイーツがあるからそこに行こう‼︎」

 

 ああ、あそこね。

 

 終わったらその足でロード・ミスティールに報告に行くべきか。

 エルメロイ先生の元へ先に行くのも悪くないけど、何か手土産でも持っていこうかしら。

 フラットのアレの件もあることだし。

 

「じゃあ、そこで。ルヴィアはいい?」

 

「まあ、たまにはそういった物を戴くのも悪くはありません」

 

「そ、じゃあいきましょう。セイバー、今度は何の味にする?」

 

「よければ、甘い物を。疲れましたので」

 

「同感」

 

 

 

 

 四人で連れ立って歩く。

 フラットがセイバーに絡む中。

 何処かから不意にーーー。

 

 

「なんでさーーーーーーー‼︎」

 

 

 なんて。

 そんな叫びが聞こえた。

 

 いっぺん溺死すればいい。

 

 

 

 正義の味方(アーチャー予備軍)

 

 

 

 







次回、6.5話ーーーー執筆予定です。

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