牢獄の暗殺者   作:琥珀兎

21 / 22
第二十話:雨中の前夜

 単純な攻め手を失った組織ほど崩すに容易いのは、現状の不蝕金鎖を見るに明らかだ。

 人質を取られ、組織外の人間とはいえ裏切りに走った者も居るいま、民衆の目に映る不蝕金鎖はその名を冠するには重すぎるほど首が細くなっていると見ている。風錆の嫌がらせに徹底的な仕返しもせず、防戦一方な様は庇護の下に居る立場としては不安でしかない。堅牢で頼もしいと思えた防壁は厚みを失いハリボテのようで、いつ風錆に食い破られるかわかったものではない。

 このままではいつか、そう遠くない未来に両組織の抗争によって生まれる戦火の薪にされる。

 力のない民衆が考えるのはいつだって安全な手段と立ち場だ。いまのような情勢の場合、肝心なのはタイミング。庇護を受ける組織の乗り換えをするタイミングが重要になってくる。

 早すぎればそれまでの恩を仇で返したとケジメを付けさせられるかもしれないし、遅すぎれば庇護組織と共に心中するはめになる。恩あれど金のやり取りで繋がっていた縁だ、契約を履行出来ないのならば別のに乗り換えるだけだ。

 組織そのものに大恩ある者などもいて、頭のジークを信用しているとのたまい頑なになっている被害者もいるにはいる。が、商人たるもの安全圏で利巧たれとしているカーデュには“愚か”の一言に尽きる。関所下の市場ならともかくここは黒黴通り、大きな商店がならぶ場所ではあるが、関所から離れており、不蝕金鎖の縄張り(シマ)でもある事から風錆の的になりやすい。彼らにとってはかっこうの餌場なのだ。

 安価な靴屋を営むカーデュとしてはいつ狙われてもおかしくないと、最近は心休まる時がない。

 牢獄において靴は大事な履物だ。憲兵が買収されるほどに国の行政が届いていない牢獄は、当然ながら治安の悪さと死亡率なら一級だ。だがそれだけがこの地区の生き辛い点ではない。日々生活するには絶対に通る“道”にこそそれは現れている。

 まず第一に汚い、これは行政が機能してないだけでなく、掃除をする者が居ないからだ。国が下層や上層のように清掃賃金を制定したなら金目当てで清掃業を営む牢獄民も出てくるだろうが、そんな簡単な仕事はここには存在しない。よって道は糞尿に汚れる。それだけでなく、割れた硝子の破片や朽ちた家屋の廃材や、どこかの誰かが憂さ晴らしに破壊した陶器の破片などの多くが牢獄の道には当たり前に転がっている。裸足のままで歩いていたら百メートルも歩かない内に破傷風になってしまうだろう。だからよっぽどの貧者でない限り履物を履かない者は居ないだろう。

 しかし腹の足しにならない物に金を払うほど牢獄民は清廉ではない。出来ることなら金を支払わずに得たい所だ、故に靴屋は狙われやすい。金を払うなら靴より酒や飯だと考える輩に。

 だから庇護を得るしかないのだ、強力な庇護を。

 

「おい聞いたか? また果物屋ん所が襲われたらしいぞ」

「またか……連中、最近はずっとじゃねえか」

「不蝕金鎖はどうしたんだ、あそこの店主は毎月支払ってただろ?」

「警護に付いてたさ、だけど風錆の奴ら店じゃなくて店の倅を狙ったらしい。両脚を折られて寝たきりらしい……酷い話だ。恨むなら不蝕金鎖を恨めと言い残したんだってよ」

 

 店先から聞こえてくる世間話は、最近はずっと変わらず景気の悪い話ばかりで、カーデュの動悸は安定から程遠い位置まで跳ね上がっていた。

 

「おかしいだろ、風錆が襲ってるなら悪いのは風錆で恨むならそっちじゃねえのか?」

「馬鹿かお前、不蝕金鎖が始めっから守ってくれりゃなんともないだろ。こっちは安くない金払って安全を買ってるんだ、こんなんが続くんじゃ話が違ェよ」

「はぁ……ジークさんも落ち目かねぇ……」

「若すぎたんだよ、始めっからベルナドさんが後を継いでりゃ――」

 

 ジークではなくベルナドが不蝕金鎖の跡目を継いでいたら……そしたらどうなっていたか? くだらない、ベルナドがやっていることがジークに変わっただけに決まっている。

 腹を下したような憂鬱な絵空事を呟いた男を見てカーデュが思ったのはそれだった。ジークという同じ牢獄民なのに雲の上のような存在の為人を彼は知らない。しかし、想像には難くない。このような無法を野放しに好き勝手にさせてしまう状況を作ってまでして、“敵を排除しようとしている”のだから据えられた頭が変わったところで同じ顛末を歩んでいるだろう。

 もう少ししたら、俺も乗り換える時期だな。売り物を荒らされないように店じまいをしながらそう判じ、カーデュは被害が飛び火しないように周囲に警戒の目を配る。

 ちょうど事後処理を終えたのだろう不蝕金鎖の面々が、険しい顔で歩いているのを見つけた。

 

「これでもう十件以上、いい加減我慢なんねぇッスよサイさん。いっそのこと俺らだけででもベルナドをやっちまいましょうよ!」

 

 口ぶりからいかにもな手下がサイと呼ばれる男に食って掛かる。破砕音がした後の飲み屋の如く、後に続くように他の手下たちも声を上げる。鬱憤が伝播していく様はまるで事前に打ち合わせでもあったかのようで、これにはサイも無視は出来なかった。

 

「もう少しだ、もう少しすればベルナドの喉元までジークさんの手が届く。それまでの辛抱だ」

「辛抱って言ったって、あとどんだけ辛抱すれば……」

「あの人は俺に面と向かって言ってくれた『必ず、お前たちが納得する場を俺が用意してやる』って、この言葉を俺は信じる。いいか、絶対に早まった真似すんじゃねえぞ!?

 俺たちが我慢してる以上にジークさん達は歯ァ食いしばってんだ、それを邪魔する奴は俺が許さねえ!」

 

 決してジークは約束を、一度は発した言葉を撤回するような男ではない。それを理解し、信頼しているからこそサイは襲撃をねだる部下達に一喝出来た。

 この間まではこんなにもはっきりとした返答をしなかったサイの明確な言葉に部下達は驚き、強く言い返せるわけもなく頷くしかなかった。

 

「行くぞ、風錆のクソ共が他の地区を襲う前に警備を固めるんだ」

「兄貴、一つ報告したい事があるんですけど、いいスか?」

「なんだ? お前が言ってくるなんて珍しいなヘイデン」

「実は――」

 

 周囲に聞かれることを危惧してなのか、ヘイデンとサイに呼ばれた気弱そうな男は声を潜めて耳打ちした。内容は気になるが露骨に耳を立て凝視していては誤解されかねない為に、カーデュは閉店作業に集中するしかなかった。

 

「おい、そりゃホントか?」

 

 一段低くなったサイの神妙な声色が問い糺す。

 ヘイデンもまた信じてもらおうという誠意の表れか、彼の瞳を真っ直ぐに見返し、頷いた。

 

「どうします、兄貴の口からお頭に報告しますか? それとも……」

「……ジークさんはいま忙しい、このぐらい俺たちだけで済ませられる。今夜だ、月が王城の真上に来た頃に動くぞ」

 

 そこから先、何があったのかはカーデュにはわからない。それは彼にはなんら関係のない所で波紋を広げ、やがて広大な大地を侵食せんと勢いを増す推進剤になっていく。

 

 

 ※

 

 

 決行まで残す所あと一日となったのを良いことに、やることが無いアウルムは日がな一日ジークの私室にある豪奢なソファーに寝転がりだらけきっていた。今ここにジークは居ない。主なき部屋でふんぞり返るなんて、こんな場面、オズが見たら岩のような表情にひびが入りかねないが、その主であるジークが許可したのだからアウルムは怯まない。むしろ許可が無かったとしても怯むわけもないのだろう。

 久しぶりに怠けることが出来て身体が喜んでいるのか、この際だ思いっきり休ませろ、と主張するように身を起こす気に一切ならない。時折、思い出したように横のテーブルに置いてある葡萄酒を呷る姿は、傍目に堕落の極みと言って相違ないだろう。

 何度目かの微睡から覚めると、何者かが階上に上がってくる音が耳に届いてきた。足音の主を判別しようと耳を澄ませると、聞きなれた調子外れの声と高級絹の羽衣を纏ったような柔らかな声が聞こえて、アウルムは反射的に起こしかけた身体の力を抜いた。

 

「アウルム様、いらっしゃいますか?」

 

 遠慮がちに扉をノックする音と同時に幾多の男を手玉に取ってきた女の声がした。誰何するまでもなくアウルムは一言「開いてるぞ」と答え、入室を促した。

 

「では失礼します」

 

 開いた扉の向こうには、案の定この娼館の一番人気たる娼婦クローディアと、

 

「やっほー、元気に引きこもってる?」

「このまま一生引きこもっていたいぐらいには、元気だな」

 

 頭のネジを何処かに落としてしまったリサの二人が立っていた。

 今の時間はまだ昼を過ぎた頃、だからリリウムもまだ営業時間ではない。でなければリサはともかくクローディアが奉仕部屋以外を出歩くなんてことないだろう。

 大方暇を持て余してるのか、それともアイリスとティアのことで不安になったのだろうと想像したアウルムは二人に眠たげな視線を向け、クローディアの手元に香しい食べ物の匂いが漂う大皿がある事に気がついた。

 

「そりゃメルトの料理か?」

「ふふ、流石はアウルム様です。お考えの通りメルトさんの差し入れでございます」

「アウルの大好物、鳥の煮込み料理だよ」

 

 料理の盛り付けを損なわぬように気を使ってテーブルに大皿が置かれる。立ち昇る湯気と共に漂う香りはアウルムの食欲を掻き立てる。

 ちょうど腹具合も減ってきた所にこれだ、メルトかクローディアのどちらかが気を使ったのだとしたら最高のタイミングだ。何か食べようと思ってはいたが、つい最近、シェラが自殺した日に娼婦全員分の飯代を奢ってしまってせいで一文無しだった為に、あてが無かったのだ。食べようと思えばヴィノレタのツケで食べられただろう。しかし、風錆との決着もつかないままにメルトの顔を見るのも気まずかったので丁度良かった。

 ソファーの反発を利用して勢いよく起き上がる。すると待っていたかのように、いつの間にやら隣に控えていたクローディアがナイフとフォークを差し出した。関心と同時に、向かいのソファー席に着いて同じように得物を持ったリサが眼に入った。

 

「気が利くじゃないかクローディア、ちょうど腹が減ってきた所だ」

「わたくしはメルトさんに頼まれただけですわ、お礼なら是非ヴィノレタに仰って下さい」

「そうか、ならそうしよう……でだリサ、お前は何をしてるんだ?」

 

 名指しで呼ばれたリサは「ん?」と無邪気に小首を傾げて返事をした。が、それだけで肝心の質問に対する答えが返ってこない。

 そこでアウルムは質問の内容を彼女にもわかるよう、簡潔にまとめ再び問うた。

 

「言い換えよう、なんでお前も食べようとしてるんだ? これはメルトが俺にくれた飯だろ」

「えーー! いいじゃん、アウルも一人より三人で食べた方が楽しいでしょ」

 

 三人って事はクローディアも含まれてる……いや、勝手に含めてるのか。なんにせよリサの突拍子のなさは今に始まった事ではない。横でいつものように微笑むクローディアに目配せすると「どうしましょう?」といった顔をしているので、アウルムは仕方なしに溜息を一つ吐いた。

 

「ふぅ……キッチリ三等分だからな、俺も腹減ってんだ横取りするような真似はすんなよ?」

「わかってるって、さっすがアウルありがとね! 今度サービスしてあげる」

「いけませんリサ、アイリスが帰ってきたら折檻されますよ。

 アウルム様のご厚意に甘えさせていただきますわ、ありがとうございます」

「もぅわかってるって、アイリスに罵倒されたくはないしね」

 

 朗らかに言い放ち、二人はアウルムが先に料理に手を付けるのを待ってから口に運んだ。

 メルトの作った料理は、控えめに言っても最高だった。

 

 

 あっという間に大皿にあった料理を平らげた三人は、各々自分の胃袋を休めようと好きなようにしていた。

 最近痩せ気味なのを気にしてお客が減るのではとぼやいているリサは、大胆にもソファーに寝転がり、少しでも脂肪がつくように――単純に腹が膨れて眠くなった可能性も否めない――と先程までのアウルムのようにだらけきっている。

 当然、それを見過ごすクローディアではない。

 

「リサ、アウルム様の前でなんてだらしのない恰好をするのですか」

「でもお腹いっぱいでもう動けないよー」

「それにここはジーク様の私室です、ばれたら大変な目に遭うかもしれませんよ」

「うっ」

 

 それは不味い、とリサの額に汗が滲む。

 冗談のわかるジークならそれほど重い罰を科すとは思えないが、いまの不安定な時期ではそれも怪しい。最悪八つ当たりの対象にされたら堪ったものではない。

 などと考えているのだろう、と想像に難くないリサの単純な思考を大雑把に読み取りながらアウルムも彼女同様、ソファーに身を預けて天井を仰いでいる。こうしている限り、例え誰かに、ジークに見られたとしてもリサに非が行くことはない。本来諌めるべき立場のアウルムがだらけているのだから、ジークはリサより先にアウルムを責めなくてはならない。

 それを知ってのクローディアなのだろう。少しでもリサの意識改革に繋がればと思っての、お節介と言うやつだ。

 

「気苦労が絶えんなクローディア。大変だろ、こいつの面倒を見るのは」

「ちょっとアウルそれどういう意味ー? リサちゃんがめんどっちいっていうのー?」

「違うのか」

 

 違うに決まってるでしょー! などと反発しているリサを余所にクローディアは微笑みを絶やさずに口を開いた。

 

「リサを面倒だなんて思ったことありませんわ。リリウムの子達は皆家族、家族なら助け合うのは当然の事ですから」

 

 牢獄という地の底で娼婦などと男の慰み者になることで命を繋がれた彼女たちには、そうとでも考えなければ、助け合わなければ押し潰れてしまう。クローディアが語るのは、もしかしたらあらゆる娼婦の支えとなる支柱なのかもしれない。

 家族だと思う事で、彼女もまた自分を支えているのかも……などと下らないことを考え、アウルムは痞えを取り除くように葡萄酒を流し込んだ。

 

「ほら、クロは面倒じゃないって言ってるじゃん」

 

 もしかしたら、真に強いのはリサのように壊れることの出来る者なのかもしれない。

 平均的な胸を張り、太陽の光に当たれば忽ち透過するベビードールのような服から二つの突起が目立っていた。始め、アウルムは興奮でもしているのか? と思ったが、その要素も要因も思い当たらない。そこでもう一つの可能性を考え、この部屋唯一の窓を見やる。

 開け放たれた窓からは冷たい風が強く吹き込んでいた。

 

「こりゃあ一雨来るな……。クローディア、リサ、二人ともロビーで暖取ってこい。こっから一気に寒くなるぞ。

 構成員の誰かに止められたら俺の名前を出していい」

「別にこれぐらい大丈夫だよ、心配性だねアウルは」

「お前は自分の胸元を見てから物を言え、立ってるぞ」

 

 言われて視線を胸元へと落とすリサ。瞬時に何を言いたいのか理解したらしく、彼女は悪戯気な笑みを浮かべて生暖かい眼差しを向けた。

 

「アウルのスケベー、溜まってるなら言ってくれればいいのに」

「溜まってる分はアイリスに発散してもらうからさっさと行け、そろそろ仕事の始まる時間だろ」

「行きましょうリサ、邪魔をしてはいけませんわ」

「はーい。またねアウル……アイリスのことお願いね」

 

 最後の言葉の返事代わりに手を上げ二人を見送った。

 なんとなしにアイリスの話題が上っても明るい表情を崩さなかったのは彼女らなりの気遣いなのだろう。ただやはり心配は拭えず、言わずにいられなかったのだ。五体満足と贅沢なことは言わない、ただ生きてくれてさえいれば。リサの別れの言葉には、そんな思いが詰まっているように思えた。

 甘い考えだと思う。牢獄で一度攫われて無事などと、ましてや女であればその可能性はほぼ皆無と言ってもいい。けど、相手はベルナドだ。

 彼は果たして簡単に攫った相手を弄ぶだろうか。過去の人物像と性格から考えても、不安要素である不蝕金鎖を、限定的に言うならジークと自分を消すまでは安心しないだろう。それまであの男は何が何でも手札の一枚として入れたがる筈。

 思考を巡らせど結局の所行き会って見なければ分からないと判じた頃に、待ちかねた足音が聞こえてきた。

 

「待たせちまったか?」

 

 女との待ち合わせでもしてるかのように飄々と声をかけてきたのは、アウルムが帰宅を待っていた人物、この部屋の、館の主であり組織の頭たる男ジークだった。

 

「いや、リサとクローディアに相手してもらってたんでな、それほど退屈せず待たせてもらったよ」

「二人が来てたのか、どおりでクローディアの付けてる香りがするわけだ」

「アイリスの事が気になってしょうがないんだろ」

 

 リサは露骨な態度ですぐにわかったが、あの調子じゃ恐らくクローディアも同じ気持ちだったのだろう。自分を偽り、隠蔽することに長けた彼女の本音はアウルムでもわからないが、付き合いの長さがそう判断させた。

 

「ま、そうだろうな。あの三人は特に仲が良かった、気になるのも無理はない。

 じゃあ最後の仕込みをするとしますか、行くぞアウル」

「上の女か?」

「ああ、お前も会いたいだろ。恐らく、今夜が最後になるだろ。いや最後にならなきゃ全部がご破算になるかもしれない」

 

 手遅れは嫌だろ、お前も。と続けてジークは部屋に入って奥のクローゼットから外套を二着取り出した。一着は自分に、もう一着はアウルムに。

 

「店の裏手でカイムが待ってる、あいつが待ちくたびれない内に出るぞ」

「護衛二人か、随分“用心深い”んだな」

 

 ジークの周到さに思わず笑みが漏れ出た。

 それと同時に安心もした。彼は本気で風錆を叩き潰すつもりなのだと、理解したから。

 直ぐに装備を一式揃え、外套を羽織る。改めて外の空気に意識を向けると、今夜は顔を隠す以外でも外套が役立ちそうだ、と思い店を出るジークの後を静かに追従した。

 裏口から外へ出ると既に外套を着こんだカイムが待っていた。

 

「待たせちまったか?」

「ああ、待ったな」

 

 先程と同じ台詞を吐いたジークに、いつもの冷めたような口調でカイムは返した。

 

「つれないな、今夜のデートには付き合ってくれないってか?」

「そうは言ってないだろ、お前の冗談に付き合うつもりはないけどな」

「フラれちまったなお頭」

「自信あったんだがなぁ。それじゃ、本命を口説き落としに行くとするか」

 

 リリウムから離れどことも知れぬ路地歩きはじめる。目的地は下層。逢引きの相手は今を煌めく有力貴族様であるルキウス卿だ。

 打ち合わせの内容をアウルムは知らないが、恐らくは明日の作戦のことについてだろう。

 風錆との全面戦争。ジークはこの事態になるのを長年避けようと努力をしてきた。彼にしてみれば風錆の構成員も元は不蝕金鎖の仲間だった者が多い、故に元同胞と殺し合うようなことは極力したくなかったのだ。しかしもうそんな甘い感傷で非暴力を貫くのは無理だ。

 直接の構成員ではないが、仲間が攫われたのだ、それに――。

 

「結局、寝返った人数は何人になったんだ?」

「シグの件から続いて約四十人だ、サイを説得するのに骨が折れた」

 

 大袈裟に肩こりを揉みほぐすような仕草でアウルムの質問に答えたジークは、一見して表情を崩さない。もとより落ち込んだ様子を見せるとも思ってなかった。

 具体的な数字が出たことにカイムは眉を顰めた。

 

「四十か多いな……情報が洩れる心配はないのか?」

「いくらかは覚悟している、だが肝心要の策については問題ないだろ。絶対に洩れない自信があるからな」

「随分な自信だな」

「こんな日が来るまで何年もかけたんだ、ま、多少予定とはかなり違っちまったが。問題ないだろ」

 

 今にも降り出しそうな空模様とは真逆にカラッとした調子で答え、その視線がアウルムへと向けられる。

 頼りにしてるぞ、そう語っているかのような眼差しだった。

 自然と背負ったニホントウが音を立てた。

 

 

 下層に辿り着き、ルキウスと顔を合わせ、いつものようにシスティナと共に扉の前で警護をする。いつもと同じ光景、違いがあるとすればカイムが居ること。最初こそ参加していた彼だが、別件の仕事を優先してそれ以降は参加していなかった。

 だからアウルムとしては久しくもあり、なぜだか新鮮な面持ちでもあった。

 別段なにも訊く事がもうないので、無理に会話を繋いで彼女の機嫌を損ねるのも面倒だ、とも思っていた。が、それでも一つだけ確認したい事があったのを思い出したアウルムは駄目元で訊いてみることにした。

 

「そう言えば、上層ってのはどんな所なんだ? 牢獄からじゃよく見えないが、王城の先っちょぐらいだけでよく知らないんだよ」

「……」

「なあカイム、お前だって気になるだろ。俺たち牢獄民じゃ今後一生拝むことの出来ない上層の環境、土産話の一つにでもしたいもんだ」

 

 意図を持たせた視線をカイムに送る。

 伊達に元師弟関係という事だけあって直ぐにアウルムが何を言いたいのか理解したらしく、一度だけ長い瞬きをしてカイムが話を継いだ。

 

「ああそうだな、上層ってのは雲の上と変わらない。見上げるだけの俺らに、そこがどれだけ貴い場所なのか少しは学ばせてくれないか?」

「……随分と殊勝な心がけですね。なにか悪い物でも食べましたか」

「そうだなぁ、牢獄に良い物が流れてこないから悪い物を食べるしかないのよね。ルキウス卿はそこらへん、頑張ってくれるのかい? 俺ァいまいち信じらんないんだけどね」

 

 短く殺人を肯定する金属音が軋んだ。

 

「そこまでだ、短気が過ぎるぞ」

 

 柄に手を掛けたシスティナの手をカイムが上から塞ぐ。普通なら犯さないだろう無様な無力化、それを沸騰した頭が鈍らせ、カイムに許してしまった。

 数秒も経たずに彼女は自らの失態を自覚し表情がこわばった。

 柄にかけた手が弛緩するのを見て、アウルムは愉快にならずにいられなかった。目論見どおり、彼女はルキウス卿の事を殊更に信頼し、入れ込んでいる。まるで恋する盲目の乙女だ。だからこそつけ入り易い。

 

「おやおや、貴族様の優秀な副官様ともあろう方が一方的に剣を向けますか。それとも、牢獄の民など人間扱いする必要もないと、そういう考えなんですか?」

 

 きっといまの自分はとても嫌な顔をしている。それが理解出来つつ、努めてそうあろうとアウルムは表情を作る。

 

「……失礼しました。ですが、こちらの失態とはいえ、お言葉には重々気をつけて頂きたい。曲がりなりにもこちらと協力をするのであればなおさら」

「そんなことはどうでもいい、あんたはいま俺に剣を向けようとした。カイムが止めなければ確実に、な」

「なにが言いたいのですか、謝罪であれば――」

「必要ない。代わりに……一つ答えてくんない?」

 

 システィナから離れたカイムが、彼女に隠れて呆れた表情をしている。

 無理も無い、こんな手口まるで牢獄のチンピラだ。違いを探すとしたら、チンピラはありもしない言いがかりだが、アウルムの場合は相手側に明確な言い訳を出来ない行動をさせた上での脅迫。相手を袋小路に追い込んだ上で通行税を毟り取ろうという腹積もりなのだ。

 相手にだって簡単に見透かされる手だ。証拠にシスティナはアウルムの意図をいともたやすく読み取り、憎々しげに眼を眇めている。

 

「見下げた殿方ですね、まるで性質の悪い当り屋です。しかし、見抜けなかった私の未熟さ故。良いでしょう、仰って下さい聞くだけでしたら聞きましょう」

 

 スッと背筋を伸ばし、姿勢を整える。彼女にとってそれは意識の切り替えなのだろうか、なんにせよ無理矢理毟り取った好機を逃すわけにはいかない。

 元より質問の内容は決まっていた。前々から気になっていた事。黒羽の事件が発生した頃から、シコリのように残り続けた小さな違和感。

 

「長外套を着た双刀使いの女、こいつに見覚えはあるか?」

「存じ上げません」

 

 迷いの無い即答。予め何を問われてもそう答えるつもりだったのだろう事が覗える。瞳は瞼を閉じたまま、表情はまるで彫像のように微動だにしない。

“なるほど流石は副官殿って所だ、優秀だな。何一つ読み取らせないってつもりか……だが”

 いくら口を噤もうと、表情を隠そうと、隠蔽に長けようが、否、長けるが故の落とし穴が存在する。

 技巧者は成功率の最も高い手段を選びがちだ。完成された技術はそれだけに信頼性に富んでいるのだから当然だろう。だからこそ読みやすい。それ一手のみで切り抜ける“癖”が出来てしまうのだから。

 アウルムは以前、彼女と他愛ない会話をしつつ情報を盗もうと様々な会話をした。あの時の油断を、彼女は忘れていないだろう。だからこそ今回は最高の隠蔽を持って隠し通した。しかし、それこそがアウルムの狙いだった。彼女の癖はもう見抜いていた。いまの質問に至ってようやくそれを確信した。

 

「そうか、その答えで充分だありがとう」

 

 彼女の癖への確信と同時にもう一つの確信を得た。

 脳裏に長外套を着込んだ女を切り裂く映像を幻視する。背中の刀が切断を望んでいる。抑えながらに口角が僅かに上がるのを自覚した。

 始めから疑問は尽きなかった。あれほどの技術を持った人物、それも女となれば尚更に気がつかない筈がない。濃密な殺意を振り撒き、狂人である事を隠そうともしないわざとらしい杜撰さ。それでもこれまで気がつかなかった理由。ベルナドが新薬を流通してきたタイミング。足りない物は数多いが整合性は取れている。狭い牢獄でついぞ彼女の存在に自分が気がつかなかった理由に合点がいった。

“また一つ、お前に近づいたぞ”

 ――ガウは上層と繋がっている。

 

 

 ※

 

 

「降って来たな」

 

 最後と言っていた逢引きを終え、ルキウス達と別れた三人は下層と牢獄を繋ぐ裏道を歩いていた。その時だった、夜空を見上げてカイムが呟いたのは。

 小粒の雨が鼻先で弾ける。湿った空気が瞬く間に多くの雨粒を運んできた。カイムが呟いてから本降りになるまではあっという間のことだった。

 

「急ごう、この調子だとどしゃ降りになる。足元が見ずらくなる前にハイキングは終わらせた方が良い」

「同感だ、こっから落ちたら流石に死ぬわ」

「ここからじゃなかったら死なない自信があるかのようなお前に、俺は驚きだよ」

 

 裏道は決して楽な道ではない。まず舗装がされていないし、言ってしまえば崖に出来た幅を道に見立てたに近い。人の手が入ってるとはいえいつ機嫌を損ねて落とされるか分かったものじゃない。

 だから早めに牢獄へ降りようというジークの意見は最もで、アウルムの軽口に呆れを隠せないカイムも慎重に急ぎ足になった。

 幸いにも荷物らしい荷物も持っていなかった三人は苦あれど危険なく裏道を踏破し、馴染み深い牢獄へと帰る事が出来た。

 

「あーらら、あちこち詰まってらあな」

 

 牢獄に戻るなりそうそうに足元が浸水したのに気がつき、アウルムは面倒そうに独りごちた。

 突然の大雨に排水が追いついておらず、牢獄に転がっていた多くのゴミが排水溝を塞いでしまってるせいだろう。通路のほとんどが浅めの水溜りを作っていた。

 

「不味いな……」

「何がだ?」

 

 剣呑な雰囲気を隠さず呟いたカイムにすかさずジークが問うた。

 カイムは足元の水溜りを何度か強めに踏み鳴らした。が、その音は牢獄全域で振っているだろう大雨の雨粒が叩きつける音によってかき消されてしまう。

 

「この雨じゃ足音に気を使う必要がなくなる。気をつけろジーク、いつ来てもおかしくないぞ」

「なるほど、確かにこれは絶好のタイミングだな。――アウルム」

「ったく、この雨じゃ煙草が吸えないじゃねえか」

 

 ボスとしての声が暗殺者の名を呼ぶ。ジークは普段こそ彼を“アウル”と呼ぶが、真剣な時、不蝕金鎖の頭としての時などは一貫して“アウルム”と呼ぶ癖がある。意識してのことなのだろうか、公私を分ける意味もあるのだろう。

 ジークの前に出てアウルムは周囲の音や気配を敏感に掴みとるために集中する。煙草が吸えればもっと手っ取り早いのだが贅沢は言ってられない。やるとなったらヤる。準備に手間取っては死ぬ可能性だってあるのだから。

 アウルムが前、カイムが後方を警戒しつつジークを警護しながら娼館街へと向かっていると、そう遠くない場所から金属音と共に断末魔が鳴り響いた。

 

「北北西、距離約五十」

 

 大雑把な方角と距離を後方の二人に告げ、暗に問う。

 行くか、行かないかを。

 答えは迷う筈も無かった。

 

「行くぞ」

「了解、お頭」

 

 命令に即応して駆け出す。勿論、同行者の事も考え、移動中の襲撃にも備えて全速力では走らない。距離もそう遠くない為、目的地にはあっという間に到着した。

 雨は相変わらず強く振り続け、足元では小さな川が逃げ場を求めて流れ続ける。出所不明の薄汚れた雨水には、真新しい朱色が混じっていた。

 音のした場所に佇んでいたのは抜き身のナイフを持った一人の男と、地に倒れ伏した男の計二人だった。

 

「――っ! 誰だッ!?」

「落ち着け、俺だ」

「お頭……それに、お二人も」

 

 敵対者と勘違いしたのか、生き残りの男は振り返りざまにナイフを向けてきたが、ジークが制止の声を上げると状況を把握したらしく腕を降ろした。

 何をするにもまずは事情を訊かなければならない。そう判じたジークが口を開いた。

 

「何があった。そこに倒れてるのは……ムスクか」

「はい、いきなりの事で俺にもなにがなんだか。見回りの最中、急に雨が降ってきてリリウムに報告をしようと戻ってる時でした。突然どこからか矢が飛んできて、ムスクは……!

 それで、俺も自衛の為にナイフを抜いて、そしたらお頭たちが来たんです」

「何も見なかったのか? 敵の姿も、何も」

「はい、わかるのはムスクの背中に刺さったのから弓って事ぐらいしか」

 

 言われてジーク達は視線をムスクだった男の死体に向けた。

 うつ伏せに膝から崩折れたようにして倒れている背中には、一本の矢が生えている。伸びた片腕、その手先には小さな傷がある。

 カイムが近づいてそれを注視し、触れた。

 

「これは弓じゃねえ、(いしゆみ)だ。

 見ろ、弓矢にしては矢が太すぎる。それに体内に半分以上は刺さってる。この威力は弩にしか出ない。よっぽどの怪力でも弓が先に負けちまう」

「風錆、と考えて問題なさそうだな。急ごう、まだそこらに居るかもしれん。狙い撃ちにされるぞ」

「それでしたらお頭、俺たちがよく使う近道があります。こっちです」

 

 男が指を差し先行する。

 ジークは迷わず後を追う。カイムもまた、何か引っかかりを感じつつもそれに従う。

 ――アウルムだけが、その場で刀を抜いた。

 

「止まれ」

 

 決して大きな声ではなかった。しかしその制止の声にアウルムを除いた三人は立ち止まるしかなかった。

 体の芯に訴えかける強制力。

 振り返ったジークは抜き身のニホントウを見て険しい顔をした。

 

「なんのつもりだ、アウルム」

「こういうつもりだ」

 

 飛沫を上げて駆ける。

 カイムが咄嗟に腰に佩いたナイフを抜く素振りを見せた。その真横を駆け抜けジークへと肉迫し、

 

「――ぁッ!」

 

 生き残りの男の首を刎ねた。

 末期の断末魔を上げようかと瞬間、根本からそれを断たれた頭部は鞠のように跳ね、新たな血河の源流へとなった。

 即座に首を刎ねたその背中目掛け何かが飛来する。

 

「やっぱそういうこと、かよっ!」

 

 首を落とされても未だ直立したままの身体を掴み、カイムがアウルムの背中へとかざす。と、同時に重たい衝撃が死体を突き刺した。

 ――弩。

 予想が現実に追いついた時にはもう遅い。カイムが作り出した瞬間を逃さず、アウルムはジークを引き寄せカイムへと預けた。

 遮るように速射される弩を驚異的な反応で斬り落とす。

 

「遮蔽物に背を預けろ、盾を過信するなそいつは何発も耐えられる身体じゃない!」

「ちっ、死ぬ前に鍛えてくれりゃ良いものを」

 

 カイムのぼやきを遠くへやりながら、アウルムは感覚を広げる。

 弩が放たれた方向は今のところ二つ。だがそれだけの筈がない。複数人はいる、最低でも三人はいてもおかしくはない。

 弩とは高い殺傷力が魅力ではあるが、次弾装填までにラグが発生する。それは弓でも同じだが、威力と比例して装填にも力が必要になる。大の男でも速射にはかなりの鍛錬が必要になる武器だ。よってそれをカバーするためにも複数人必要になる。

 次に狙うのは自分とジークどっちなのか。

 悩んでいる暇はない。推考の時間は余命を縮めるに等しい。

 アウルムはすぐさま近くの民家の屋根へと駆け上がった。狙うなら高所からが都合が良い。単純な奴ならそうする。

 狙い通り、一人目の射手は屋根の上に伏せていた。

 

「間抜け」

 

 声も出す暇も与えず首を落とす。

 一発目に放たれた場所から動かず身を伏せていたのだ。見つけるなという方が無理だ。

 残りは何人か、雨の音が邪魔をするが……関係ない。

 切り落とした首を持ち上げ、思い切りその場へと叩きつける。と同時に、

 

「おおおおおおっ!」

 

 大気を殴りつけるような雄叫びを上げた。

 俺はここに居るぞ! 殺せるもんならヤってみろ! そう主張するように上げた雄叫びが、功を急いた経験の浅い暗殺者の気配を炙り出した。

“残り八人。方角は……”

 

「カイムっ! 蜻蛉から月の方角、距離七、三人!」

「了解、そこ動くなよジーク」

「わかってる、邪魔はしないよ。行ってこい」

 

 激励にも似たジークの言葉に頷き、カイムが雨中を駆けだす。

 無反射加工された二振りのナイフを両手に持ち、かつてアウルムと共に仕事をしていた頃の暗号に基づいた場所の標的を狩るために。

 二人だけならば逃走が好手だろう。しかしここにはアウルムが居る。彼が殺すと判断した時には、殺せるときなのだ。暗殺者は失敗を犯さない。それは確実でない仕事は行使しないが故に。

 二人の暗殺者が雨中の夜を駆ける。

 雨音と共に上がるのは死者の悲鳴と嗚咽、そして牢獄を彩る鮮血だ。

 

 

 怪我無く済んだ処理だが、如何せん雨が強すぎた。問題なく殺しを終えた三人は仕方なくジークが所有する隠れ家の一つに身を潜めることにした。というか、アウルムがごねたのだ。

 酒の一杯、煙草の一本でも吸わないと歩きたくない、と。

 仕方なしに入った隠れ家は、手入れなどされているわけもなく埃と蜘蛛の巣だらけだった。

 

「気がつかなかった、ここらの前は結構歩いたことがあるのに」

「おっ、カイム先生のお墨付きなら、今後も安心して使えるなこの家は。っと、ほらアウル酒と煙草だ。お前が持ってるのはもう駄目だろ?」

「もう雨なのか血なのか分からんレベルでぐずぐずだよ、サンキュ」

 

 びしょ濡れになった煙草の箱を取り出し顔を顰めるアウルムは、ジークから両方を受け取り、「まずは酒」と言って火酒をそのまま呷った。

 強い酒精が雨で冷えた身体を温める。

 

「あー、生き返るわ。死ぬかと思った」

「その台詞、殺された奴が聞いたら激怒しそうだな」

「ふっ、ちがいねぇ」

 

 カイムとジークの軽口に、言ってろ、と返して煙草を咥える。

 

「お頭、燐寸ないか? 俺のは全滅なんだ」

「それなら暖炉の隅にあるだろ、内側だからな、外じゃないぞ」

 

 言われた場所を弄るとそれらしき四角形の箱が手に。中から一本取り出し、まずはジークへとそれを向ける。

 

「使うか?」

「ああ、助かる。どうだカイム、お前もやるか?」

「遠慮する。煙草の匂いはつけたくないんだ」

「相変わらずその癖は抜けないんだな、お前」

 

 アウルムは笑いながら燐寸を点けジークの煙草に火を灯す。

 暗殺の仕事をしてたときからカイムは煙草を吸わない。身体に煙草の匂いをつけて殺す暗殺者が居てたまるかと、思えばそれはまだ未熟だった彼がアウルムに一つでも勝るために始めた矜持だったのかもしれない。本人はそれを口を固くして語ろうとしないが。

 ジークから煙が立ち上るのを確認して自分の煙草にも火を点ける。紫煙は外の天候のせいか、心なしかいつもよりも重く感じた。

 

「さて、さっきの事だが、どこからが罠だったと思う?」

 

 アウルムの意識がスイッチしたのを目視したジークが、抱えていた疑問を切り出した。

 

「俺はアウルがソレを抜いた時だな、それまでは怪しいぐらいで警戒しかしてなかった」

 

 あの時カイムは確かに生き残った男を訝しんではいた。しかし、犠牲者が出て偶然に生き残った可能性というのもあったために確信がなかった。もし死んだムスクに使われた武器を弓ではなく弩だと言い当てていたら、別だったかもしれないが。

 一体どこから嘘だと思っていたのか、カイムもそれが知りたくてアウルムを見やる。

 集まった視線に、アウルムは紫煙を吐き出し、冷めた瞳を携えて答える。

 

「始めからだ。ムスクの死に方、残りの奴が剣を抜いてた理由。その時点であいつが言ってた事は全部嘘だ」

「どういう事だ? 分かるように説明してくれ」

「お頭はともかく、カイムお前は気がつかなかったのか? ムスクの死に方、ありゃ不意を突かれて死んだにしてはおかしい」

 

 言われて、カイムは彼がどのような体勢で死んでいたのかを思い出す。

 

「……そうか」

「始めに俺は金属音が聞こえた。あれは鍔迫りの音だ。なのにムスクの手にナイフはない。なら別か? とも考えられるが、それも手に出来た刃の破片で付いた傷が否定した。あとはあの倒れ方。

 不意に背中から撃たれたらそのまま前に倒れる。弩ほどの威力ならそうなる。けどムスクは膝から崩れ落ちていた、そうなれば後はもう鍔迫り合いの最中に背中から撃たれたとしか考えられないだろ」

 

 前から支える相手が居たからこそ、背中を射られても縦に崩折れた。しかもムスクの手にナイフはなくなっていた。

 

「恐らく、あの間抜けが持ってたナイフはムスクのだろ。自分のは隠して、のこのこやってきた俺たちを嵌めようとしたんだ」

「邪魔者を一人殺して、ちょうどよく餌にかかった俺たちを一網打尽にってか、ベルナドがやりそうな手口だ。

 唯一計算を間違えたのは、カイムとアウルムが居たことだな」

「これで下層に行ってることは洩れてるってわかったな」

「ああ、だがもう遅い。明日にはまとめてケリをつける」

 

 そう言ったジークの眼差し、声音は間違いなく牢獄の王に相応しきものに近づいていた。

 成長した、心からアウルムはそう思った。だからだろうか、無駄をそぎ落とした今のアウルムからでも思わず笑みが零れたのは。

 

「……初めて見たな、煙草吸ってるアウルがそんな風に笑うの」

「なに別に珍しくもない。お頭が先代に似てきたのを嬉しく思っただけの事だ」

「先代、か……」

 

 先代という言葉に殊更強い反応を示し、自然とジークの視線が落ちた。

 外は大雨、中は隠れ家。他に誰が聞き耳を立てている可能性などない。アウルムがこうしているのが何よりの証拠だ。そして、直接的な裏切りを部下から受けた直後だ。

 様々な偶然が重なったせいだろうか、ジークはこの際だと思って、その胸に秘めていたものを吐き出してみようかと思った。

 切っ掛け作りにと、アウルムが持っていた火酒を手繰り一気に流し込む。

 

「これは酒に酔ってる上でだから話せることだが」

 

 わざわざ前置きを話すぐらいだ。忘れてくれと言われているのは、アウルムもカイムにも理解出来た。

 二人が小さく頷くのを見て、ジークは話を続ける。

 

「時々、自分が頭に収まって良かったのか考える時がある。あの夜、ベルナドが頭になっていたら離反もなく、不蝕金鎖は一つのままに上手く行っていたかもしれない」

「だが、麻薬を流通させる組織に変わってたかもしれないぞ。中毒者で染まった組織が見たかったのか?」

 

 そうカイムは言うが、実際はどうだっただろうか。少なくともジークはそう思っていなかったらしく、首を横に振った。

 

「あいつは俺が頭になった腹いせで今のようになったのかもしれない。だとしたら、問題なく先代の後釜に収まってたら素直に先代の思想を継いだ可能性がある」

「…………」

 

 不安を吐露するジークを、アウルムは何も言わずにただ眺めている。

 慰めのように声をかけるのはカイムだけだ。

 

「先代は、ベルナドの人格を見抜いてたんだろ。だからお前が選ばれた」

「確かにそうかもしれない、先代はいつだって間違わなかった。大崩落からこっち、民衆をまとめ上げ、役人を抱き込み、復興に力を広げ同時に勢力図を塗り替える。まさに牢獄の王そのものだ。

 だけどな、そんな先代も一つだけ間違えた」

 

 喉が鳴る。これまで隠していた真実を語ろうという重圧ゆえか、それでもジークは語る。

 

「ベルナドは……先代のガキなんだ」

「なんだと?」

「……」

「ずっと昔、召使いに手を出して産ませたガキなんだ。しかも先代と俺の母親の間には長く子供が出来なかった。

 そんな事もあって、先代はいづれベルナドを引き取って後継者に据えるつもりだったんだ。その時の為に副頭として重用したし、色々と教え込んでいた」

 

 先代は最後までベルナドに自分が親である事を明かさなかっただろう。しかし、人の口に戸を立てるのは難しい。他の幹部たちはベルナドの親を知って、媚を売っていた。それが彼に気付かせた可能性だってある。

 なんにせよ、

 

「それもお頭が生まれて状況は変わったな」

「ああ、そうか……アウルは昔から先代とベルナドについてたもんな。当然、知ってるか」

「お頭が生まれた後な、俺はそんなに歳行ってない」

「どうだか、まとにかくアウルの言うとおり、俺が生まれちまったもんだから、先代は我が子可愛さに俺ばっかり目をかけるようになった。その挙句、経験も年齢も遥かに下な俺を後継者に指名したんだ」

 

 そして、それをベルナドが納得するわけがない。

 あのプライドの塊のような男が、己の自尊心を極限まで穢し傷つけた相手を許すわけがないのだ。

 それを理解しているからこそ、カイムは言う。

 

「本気で禍根を断つつもりなら、ベルナドを始末しておくべきだった」

「その通りだ。だが、先代は間違えた」

 

 消えぬ悔恨を孕んだ瞳がアウルムへと向けられる。

 

「当時、ベルナドを始末する話は確かに合った。数少ないジーク派の幹部連中がベルナドの報復を恐れてな。だが、それを先代が揉み消した。

 先代に生かされたんだ、ベルナドは」

 

 それはアウルムだけが知る真実。この先を語らうにはまだ早く、またその資格もない。二人には早く、遅すぎたのだ。

 ベルナドの真実を明かされたカイムは、自分の知らなかった真実を知り、感傷的になっていた。

 カイムが男娼になるのを殺し屋という選択肢を与えることで掬い上げた先代を、彼はどこか尊敬さえしていた。

 暗殺者になってからも本当に汚い仕事はアウルムが引き受け、カイムは牢獄の、組織の為にならない屑ばかりが標的になっていた。だからカイムはどこか安心して、アウルムに任せることで仕事を全うできた。

 

「ま、先代が間違ったのは確かだが、ここまで問題をデカくしたのは俺が手をこまねいてたせいだ。

 さっさとベルナドを殺しておけばよかった。……思えばこれも情だな、ガキの頃は兄代わりに色々と面倒を見てもらってたから、それも見下して優越感に浸ってただけかもしれないが。

 俺のせいで、多くの仲間が迷惑を受けている。

 そのケジメはつけなきゃならない」

 

 牢獄の王たる先代ボルツ。

 そして現王にならんとするジークフリード。

 二人の情によってベルナドはいまを生きていると言ってもいい。

 ならそれを奪うのもまた二人なのだと、アウルムは考える。

 

「笑ってくれ、普段威張り散らいてる男が情一つに左右される情けなさだ」

「禍根は残すものじゃない、断ち切る為にある。お頭、一言……たった一言発すれば俺はいつでもヤる。

 覚えておいてくれ」

 

 いつかの何処か、アウルムがジークに言った誓いにも似た言葉だ。

 それが彼という人間の目を覚まさせる。

 

「……忘れたことなんてない、忘れられない。わかってるよ、俺は不蝕金鎖の頭だ。お前たちをまとめるのは、俺だ」

「それでいい……」

 

 いつの間にか、雨は上がっていた。

 行こう、そうカイムが行って三人は隠れ家を出た。多くの秘密を吐露した場は、再び人々に忘れられるように存在を消す。後に立ちこめるだろう朝霧に隠れるように。

 

 

 ※

 

 

 雨が上がるのを待ってから娼館街へと戻ると、いつもとは違う騒々しさがリリウムを中心に広がっていた。

 雨上がりに人だかりが出来るなど早々ない。しかもそれが自分らの居城なら尚更だ。

 

「どいてくれ、すまない」

 

 カイムが人だかりを押しのける。不満そうな住人もカイムと他二人の顔を見るなりギョッとして道を空ける。

 そうしてリリウムの中へと入るなり、ジークに気がついたオズが声を上げた。

 

「ジークさん! 戻りましたか」

「何があった、オズ」

「へい、それが――サイがやられました」

 

 決戦の前夜。

 全ての準備を整えたつもりの不蝕金鎖は、ここに来て一人の男の死を告げられた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。