翌日の日曜日――。
「あんこうチーム」の四人は、朝早く、麻子のマンションを出ると、電車とバスを乗り継いで、茨城空港から熊本へと向かった。
熊本空港からタクシーに乗り込み、西住家へと向かう。
約束していた時間より、少し遅れて、お昼を過ぎてしまったが、西住邸の正門前で降りた四人は、正門のインターホンで来訪した事を告げた。すると、通用口から菊代がやってきて、四人を、本宅大広間へと案内した。
そこには、西住流戦闘服を着た、西住しほとまほが、正座をして待っていた。
まほの頭には、バンダナが巻いてある。
「こんにちは」と挨拶しながら、大広間へ入ってきた四人は、その坊主頭だと思われる彼女の、その様子を見て、思わず言葉を失った。
ちょうど二人の真向かい側に、四つの座布団が置いてあったので、四人は左から沙織、優花里、麻子、華の順で座る。
四人全員が座るのを見たまほが、彼女達に来訪してくれた感謝の気持ちを伝えた。
「皆さん、無理を言って本当に申し訳ない。よく来てくれた。感謝する」
「いえ、とんでもありません。まほ殿。――それで、あの……西住殿は?」
まほの感謝の言葉に対して、返事もそこそこに、いきなり優花里が、まほへ訊ねる。
それを聞いて今度は、彼女の隣に座るしほが、口を開いた。
「はい。その、みほ――なんですが……。実はもう一ヶ月前になりますが、帰国した、その日に家を出て行ってしまったのです」――『ええっ!』
俯いて告白した、しほを見ながら 四人全員が揃って驚いた。
「――隊長が……、家出をした? 本当なんですか?」
「信じられませんわ。あのみほさんは、そんな事はしないはずですが……」
麻子と華が顔を見合わせると、今度はしほの方から、身を乗り出すようにして、四人に訊ねてくる。
「皆さん、誰か……、誰か、みほから、連絡をもらった方はいませんか?」――『いいえ』
一斉に正座したまま、首を振る四人である。
それを見たしほは、座布団に座り直すと、大きく肩を落とした。
「皆さん、今、母が言ったように、みほは一ヶ月前に家を出ている。そして、何処にいるのか、全くわからないのだ」
「――まほさん、どこか心当たりとか、手掛かりとかはないのですか?」
母の落胆ぶりに、悲しそうな表情のまま、西住まほが説明すると、冷静に麻子が訊ねてきた。
彼女の質問に、まほは俯きながら答える。
「恥ずかしい話なのだが……。まったくないのだ。西住流の門下生達の、どこにも行った形跡がないし、みほの交友関係は、私達は全く知らない」
「もしかして、彼氏のところとか?」
「いや、みほに、彼氏と呼べるような、そういう男性はいないはずだ」
「そっ、そうなの……」
首を横に振りながらのまほの否定に、残念そうになる沙織であった。
「そこで、皆さんに、身内の恥と知りつつ、お願いしたいのだ。どうか、みほが行きそうなところを知っているなら、私達に教えて欲しい」
「私からも、お願いします。みほの気持ちをわかろうとしなかった愚かな母親ですが、もう、あんこうの皆さん達にしか、訊ねる術が無くなったのです」
そう言った西住母娘は、両手を畳に付けて、四人に向かって、深く頭を下げた。
「ちょっと――しほ先生、まほ殿! 顔を上げてください。もちろん、協力しますから」
「そうです。私達にできる事は、必ず、やらせていただきますわ」
「――心配でしょうが、隊長はバカな事は、絶対やりませんから、それは、私達が一番よく知っています」
「そうだよ。きっと、みぽりんは、どこかへ黙って旅行しているんだよ。皆で手分けしたら、すぐに見つけられるよ」
西住母娘の思わぬ行動に、身を乗り出すようにして、四人は口々に、二人を励ます。その言葉を、ありがたく感じた二人だった。
姿勢を戻した二人は「皆さん、ありがとう」と言って、再び頭を下げた。
こうして、西住みほの家出が、親友達にも知れてしまったのである――。
だが、相談された彼女達にも、実のところ、手がかりになりそうな、思い当たるところはなかった。
「西住殿の友達らしき人達というと、私達が知っている範囲ならば、戦車道の仲間しかいませんですよね」
「――ああ、カメさん、カバさん、あひるさん、アリクイさん、レオポンさんに、うさぎさん達ぐらいか」
下を向いて考え込みながら、優花里が言うと、麻子が一つ一つ確かめるように元チーム名を、順にあげていく。そこに抜けたチームがある事に気付いた沙織が、それを付け加える。
「ちょっと、麻子! カモさんもいるわよ」
「……そど子達か。――だが、どうだろう。確かに誰の所に行っても、隊長なら歓迎はされるだろうが、一ヶ月ともなるとそうはいかない。少なくとも、私達の誰かに、相談して来そうだけどな」
「うん、そうだよね――。となると、やっぱり彼氏のところ?」
「おい、沙織、いい加減そこから離れて考えろ――。いや、待て。沙織のその推理も、あながち間違っていない気がする」
畳の一カ所を見つめて考えている冷泉麻子の、この発言は、その場にいた一同を驚かせた。
「えっ、どういう意味ですの?」
「つまり――、さっき沙織が言ったように、隊長が行く先を決めずに、旅行みたいに移動しているのだとしたら、見つからないのもわかるんだ。そして、隊長は有名人であるのと、女の一人旅は、旅館側が特に注意すると、どこかで聞いたことがある」
「麻子さん、それって……、どういう意味なのでしょうか? ――えっ、まさか?」
「そう――。その、まさかの可能性があるらしいからだ。だから、絶対に何かがあったなら、警察なり、旅館から、この家に連絡が来るはず。だが、連絡が来ていない所をみると、それは除外できる」
「だったら、麻子! どうなのよ!」
沙織が焦れたように麻子へ聞くと、彼女は全員の顔を見ながら、自分の考えを話す。
「私は、沙織の考えからこう思ったんだ。――隊長を守っている人物がいるんじゃないかと」
「守っている人? それって何なのですか、麻子さん」
華が、首を傾げて、彼女に聞く。
「ああ、男性か女性なのかは分からないのだが、その人物が隊長をかくまっているんだと思う」
「一緒の家に住んでいるって事でありますか?」
目を丸くしながらの優花里の質問に、小さく頷いた麻子は、今度は顔を上げて、西住まほへと質問してきた。
「まほさん。大変失礼な質問なのだが、隊長は、お金はいくらぐらい持って出て行ったのだろうか?」
「みほは、通帳は置いて、出て行っている。現金はどうだろうか……。そんなに持ってはいないはずだが」
「――だとしたら、この考えは真実に近いように思える。隊長は家を出た後、その人物の所へ行き、そのまま一緒に暮らしているんじゃないだろうか……」
「そうかぁ。麻子! わかったよ。じゃあ問題は、その人物が、誰なのかという事なのね」
「――ああ、そして、その人物と言うのは、恥ずかしがり屋の隊長が、一緒に暮らしていける人物なんだ」
そこまで説明した冷泉麻子に、大広間にいた全員が納得した。
その後、全員が知っている人に、思い当たる人物がいないかを思い出してみたが、結局誰も該当しなかった。そこで、優花里が、まほへ訊ねてきた。
「まほ殿、代表チームの方達には訊ねてみたのですか?」
「いや、全日本のメンバーは、各流派の家元や師範クラスの人達だ。みほも行かないと思うし、もし、行ったにしても『家を出てきた』と言ったら、間違いなく帰るよう説得されるはずだ」
西住まほが言うと、五十鈴華も、それに同意する。
「確かに……。私の所に他の家元の娘さんが来られて『家出してきた』なんて言ったら、お小言を言って、追い返しますわ」
これで、八方塞がりとなった――。
しかし『西住みほは誰かと一緒に暮らしている』というあんこうチームの意見は、不安な気持ちでいっぱいだった、西住母娘を、多少安心させることができた。
「皆さん、ありがとう。少し希望が見えてきた気がする。確かに、皆さんの言う通りで、多分そうなのだろうと私も思えてきた。やはり、相談してよかった」
「はい、まほの言う通りです。みほは、とりあえず元気な気がします。ありがとう、皆さん」
二人は、四人を真っ直ぐに見ながら、一生懸命に相談にのってくれた彼女達に感謝した。
四人は、自分達も心当たりを探す事と、彼女の家出の事は誰にもしゃべらない事を、その場で二人に約束する。
西住家で昼食をいただいた四人は、しほから四人分の交通費と謝礼をもらった。
その日の夕方、熊本空港から茨城空港を経て、夜遅く大洗の街へ帰ってきた。そして、各々がこっそり探す事を確かめて、大洗駅前で四人は解散した。
それから二ヶ月後、つまり、みほが失踪して三ヶ月後に、新しい全日本代表候補メンバーの発表があった。しかし、新しいチームの中心となるべき、西住姉妹の名前がそこにはなかった。
姉の方は、大怪我をしてリハビリ中という事で仕方がないと誰もが納得したが、妹の名前がない事に、記者達が色めきだったのである。
当然、西住流の指導者クラスに、記者達から問い合わせが殺到したが「海外視察に出た」と告げるようにと、しほから話を合わせてあった。
だが、その中で彼女の渡航記録がどこにもない事に、ある週刊誌の記者が気付いた。「これは何かある」と考えた記者は色々と調べて回った。そしてすっぱ抜いたのである。
『西住みほ、失踪! 彼女は、何処へ消えた!』
この衝撃的な見出しから始まる疑問形だらけの記事は、人々の関心の的になった。
週刊誌の表紙を見た武部沙織は、急いで四人に連絡を取った。そして、再び「あんこうミーティング」となったのである。場所は、今度は麻子のマンションである。
冷泉麻子の、リビングとキッチンが一緒になった部屋の真ん中に卓上テーブルがある。その上にタブレットが置かれてあり、映っているのは秋山優花里だった。
西住みほの為にあった優花里のタブレットだが、その優花里が遠く北海道へ駐屯してしまったので、冷泉麻子に預けられて、あんこうミーティングの時に、優花里の顔が見られるようにしていた。
三人がリビングに集まり、タブレットから優花里に映っていることで開かれた、このあんこうミーティング。
武部沙織が、フローリングの床にペタンと座りながら、持ってきた週刊誌を、皆に見せる。
「皆、これ見た? どこから、みぽりんの事漏れたんだろう?」
「――いや、沙織。これはギリギリ許される表現での憶測記事だ。ほら、ほとんどが疑問形だし、聞き取った相手も『関係者に近い友人』というギリギリの表現になっている」
週刊誌をテーブルに置いて、それを見ながら座っている冷泉麻子は、弁護士の卵なりの解釈をする。その隣に座った五十鈴華は、テーブルの上の週刊誌を睨みつけながら怒りに震えていた。
「信じられませんわ。憶測記事を堂々と全国に流すなんて……」
「――だが、皆、これはチャンスだ」
「えっ……なんで? なんでチャンスなのよ? 麻子」
腕を組みながらの意外な麻子の反応に、他の三人が同時に彼女の方を見た。
「今まで誰にも知られないように、こっそり隊長の行方を探していたが、これで堂々と友人達に聞いて回れるぞ」
「あっ――はい! そうです。そうであります。私も蝶野隊長と陸自の友人達に探してもらえます!」
「そうですね。私も、五十鈴流のお弟子さん達や、他の華道のネットワークを使わせてもらいましょう」
考え込みながら言う麻子に、タブレットから優花里が、麻子の隣に座った華が力を込めて納得して答える。そして、沙織もそんな彼女達に負けまいと何かを言おうとした。
「私だって……。あっ――そう言いたいけど、私にそんなに力はなかった」
「大丈夫ですよ、武部殿。武部殿のかわりに、学園長達に動いてもらいましょうよ」
残念そうに言う沙織へ、映像の優花里が力強く提案する。それを聞いた沙織の顔がパッと明るくなった。
「あっ……そうだね。学園長に動いてもらうように、明日頼んでみるね」
「――私も大学の友人達に相談してみよう」
四人は卓上テーブルを囲んでお互いの顔を見ながら頷く。そうしてこの「あんこうミーティング」は解散となった。
翌日、武部沙織は、大洗女子学園にアポイントを取り、お昼過ぎに大洗女子学園の学園長室へとやってきた。
ドアの前に立ちノックすると中から「どうぞ」と言う声が聞こえた。「失礼しまぁす」と少し間延びした声で挨拶しながら入ってきた沙織を見て、嬉しそうに声が掛かった。
「おおっ、武部ちゃん! よく遊びに来てくれたね」
「会長! じゃなかった学園長! ご無沙汰してます。それに、小山先輩、河嶋先輩もお久しぶりです」
「ほんと、久しぶりね。武部さん」
「武部。お前、少し太ったんじゃないのか?」
「はい! 毎日おいしいケーキを作って試食していますから」
学園長室の中央に設置されている、応接セットに案内されて座った武部沙織の前に、彼女にとって一年先輩にあたる元カメさんチームの三人が座った。
相変わらず干し芋をかじる学園長である。そして、笑顔の絶えない副学園長と眼鏡がキラリと眩しい渉外部長の三人。
「ところで、今日はどうしたの? 武部ちゃん。まあだいたい予想はつくけど……」
「はい、角谷学園長。みぽりんの事で相談に来たんです」
「やっぱり……。あの記事は、本当なの?」
角谷杏の質問に沙織は答え、心配そうに聞く小山柚子である。
「はい、だから、戦車道OG会の力を使って、何とか、みぽりんを探せないかと相談に来たんです」
真剣に相談する沙織の依頼を聞いた杏は、即座に横に座っている柚子に訊ねる。
「おい、小山! 今、OG会はどうなっているの?」
「はい、全国の各都道府県に有りまして、復活前と後、合わせて五百名は下りません」
「河嶋! OG会に対して、依頼文を作りなさい。西住ちゃんの情報を求める依頼文だよ」
「ハッ! わかりました」
河嶋桃は、短く返事をすると立ち上がり、学園長室入り口にある自分の席に着いた。
「学園長、小山先輩、河嶋先輩。すみません」
「いいんだよ。でも、あんこうの皆は知っていたの?」
「はい。実は、二ヶ月前から皆で探しているんです」
「話してくれる?」
「はい」
こうして武部沙織は、二ヶ月前の西住邸でのやり取りを、三人に説明した。
学園長で、OG会会長でもある角谷杏と副学園長で副会長の小山柚子。渉外部長の河嶋桃の三人は、それぞれの席で、武部沙織の話を黙って聞いていた。
「そっかぁ……。確かに、冷泉ちゃんの考えが、一番合理的な気がするなぁ」
「はい。学園長、私もそう思います。三カ月になるんでしょう。西住さんが家を出てから……。だとしたら、西住さんは、今どうやって生活しているのかが、一番心配です」
「そうです。学園長――西住は、今どうやって食べているのかが、問題だと思われます」
「そうだね。そのあたりから、情報が集まればいいんだけどねぇ」
両腕を組み考える杏に対して、柚子、桃も同意した。
その後、角谷杏の名前で、西住みほに対する情報を求める依頼状が作られ、戦車道が復活する前のOG達から、かばさん、あひるさん等、復活後のチームメイト全員に郵送された。
あんこうチームの四人は、それぞれ自分にできる方法で西住みほを探している。自分の歩く道を進みながら、それでも大親友の事を心配している。しかし、日本中を巻き込んでしても、やはり、西住みほの行方が分からない。
そうしている内に、新チームの最初の親善試合が来た。――だが、それは見るも無残な大敗を喫してしまった。そこから全日本チームの暗黒の時代に突入してしまったのだ。
親善試合、国際試合、連戦連敗の全日本チーム。そして、三年が経ち、十八回世界大会はイギリスで、次の十九回世界大会はイタリアで行われたのだが、どちらも予選敗退という屈辱を味わってしまった。
二十回目になる世界大会は、日本で行われることが決まっている。
八年前、日本戦車道連盟は、日本大会を誘致しようとした。だが、それは、失敗に終わった。しかも、それは、日本戦車道の最大の大事件を引き起こしてしまったのだ。
もう救世主でも現れない限り、全日本チームに期待する事はできなかった。「西住まほの復活」が、最後の希望だが、彼女はまだ復活していない……。
西住みほが姿を消してから、六年の歳月が流れた――。
日本大会が、あと二年後に迫った、みほとその親友達が、二十七歳になった春。
あんこうチーム、五人の運命の歯車が、ついに繋がって回り出したのである……。