キューポラに備え付けてある外部目視用の窓から後方を見る、みほ。
ハーフトラックが順調についてきている様子を見た彼女は、ずっと続いていた厳しい顔をようやく崩して安堵した表情になる。
そして、左手前方に座る沙織に向かって、穏やかな声で指示を出した
「沙織さん、村長さんに無線を入れてください。今の陥没した地点を無線で伝えて、何らかの対策がとれるかどうかを聞いてみてください」
「うん、了解! すぐに連絡を入れるね」
村長から預かった電話型の無線機を取った沙織は、直ぐにスイッチを入れて、受話器に向かって話しかける。
「こちら、あんこうチーム通信手、武部沙織です。村長さん、聞こえますか?」
相手の村長は直ぐに無線に出たようで、沙織は話を続ける。だが、スピーカー型の無線機ではないため、他の四人に二人の会話は聞こえない。受話器に話しかけている沙織の声だけが聞こえている。
「えっと、土砂崩れを突破してから、約2キロほど山道を登ったところで、道路が陥没しました。……はい、私達は無事ですし、トラックも無事に陥没したところを突破して、橋口さんの家に向かっています。……はい。それでですね、そちらで陥没したところを塞いだりして、道路を渡る方法が、何かありますか? ……いえ、最低でもトラックが道路を渡れる方法です。……えっ? ちょ、ちょっと待ってください」
そこで沙織は、送話口を左手で押さえて、振り向きながら他の四人に尋ねてきた。
「ねえ、いまの穴ってどれくらいの長さと深さかな?」
「――チャーチルの車体の長さは、7メートル44センチで、車高は、3メートル25センチだ。それを基準にして、穴の長さは、全長に3メートル加えろ。深さは、約1メートル40センチというところだ」
沙織の質問に、ハンドルを動かしながら、麻子が即座に答える。
「麻子、はやっ……。 わかった。じゃあ、長さ10メートル50センチで、深さが1メートル40センチって伝えるね」
「お願いします!」
麻子の回答に沙織が復唱した後、すぐにみほの声が沙織に聞こえた。彼女は送話口を抑えていた左手を外すと、受話器を耳に当てて話を続ける。
「村長さんに報告を続けます。穴の長さは10メートル50センチぐらいで、深さは1メートル40センチぐらいです。……はい。その場所以外は大丈夫です。車は通ってこられますから。 ……はい。それでは宜しくお願いします。これで連絡と報告を終わります」
そう言って無線を切った沙織は、もう一度振り向き、会話を続けるように四人に報告をする。
「村長さんは、自衛隊に災害派遣の要請をしたって。それと、何とかできるか考えてみるって」
「はい、それが一番です。こういう時にこその自衛隊であります」
「優花里さん、嬉しそうですね」
自衛隊がくると聞いて弾んだ声になった優花里を見た華が、にこやかに笑いながら彼女に言う。
優花里は笑顔いっぱいの表情で、華を見る。
「ええ。自分も何度か災害派遣には参加しております。全部裏方の仕事でしたけど。何しろ早いんです。設営にしても救助作業にしても、ですね。最初参加した時は、そのあまりの速さにびっくりしましたよ」
「そうなんだぁ――。ゆかりんが言うと、とってもリアルだね」
「ええ、心強いですね」
沙織と華が優花里の体験談に相槌を打つと、みほも麻子も、それぞれの席で笑みを浮かべた。
覚悟を決めて出てきた彼女達だったが、やはり応援がくると知れば心に余裕ができたようで、途中で陥没が起こり、それに巻き込まれた五人の心中は、少なからず不安だったはずだからである。
「さあ、みんな、もうすぐ着くよ。気合入れていこう!」
沙織が副操縦席から、四人に向かって威勢のいい掛け声をかけると、メンバーはそれぞれが(……彼女がいると、やっぱり雰囲気が明るくなる)と心の中で思って、気を引き締め直す。
こうして、スマホナビと地図を見比べながらの沙織のナビゲーションとそれに従う麻子の操縦の二人三脚が再び始まった。
無事に陥没した箇所も突破した二輌は、順調に山道を登っていく。
急だったり緩やかだったりする大小のカーブをいくつも曲がりつつ、二輌は前進していく――。
救助チームが戦車倉庫を出発して約四十分が過ぎ、時刻はもうすぐ一時になろうとしていた――。
二輌は、左の山肌に沿うように続く一般道路を、順調に登り続けている。
その山肌は相変わらずの急斜面であり、右側にあるガードレールは、ところどころ切れたり現れたりしている。特に車両の転落事故がないようにという事で、急カーブのところには必ず設置されていた。ガードレールがない箇所は、全部といっていいほど大木や永年樹などの木々が生えており、そこから道路に覆いかぶさるほどの立派な枝が伸びていた。
みほ達には、樹々の種類までは分からないが、それでも紅葉の季節には、素敵な赤い景色の中を進める道路なのだと思われた。
しばらく登りながら進んでいくと、左側の山肌の部分が少なくなり始め、今度はごつごつとした岩肌が目立ち始めた。ちょうど、土の中の石や岩が、道路面に露出しているといった感じである。もちろん飛び出している感じではなく、あれは石だろう、あれは岩だろうとわかるぐらいなので、落石防止ネットも先ほどよりは簡易なものしかついていない。
しかし、みほ達はそんな変わり始めた斜面に気付くはずもなく、先ほどのアクシデントが頭の中にこびりついているから、道路と周囲の警戒を9:1の割合で道路の方に向けていた。
いくつかのカーブと上下に細かくアップダウンする橋口家へと続く道を、二輌が進んでいくと、道幅が広くなり始めた。そして、車二台ほどが並んで通れる、ここで自動車同士が離合する場所だろうと思われる地点に着いたのである。
そこで、クルッペから道路を見ていた麻子が、冷静だが驚いた声を出した。
「――おい、道の真ん中に、川が流れているぞ!」
「麻子さん、停車!」
「おう――」
彼女の声とみほの指示が重なり、麻子はすぐに返事をし、即座にブレーキを踏んだ。それと同時に、沙織が「停車します!」と健介に向かって、無線を飛ばす。
彼女達の行動に反応し、道路の中央から、やや右側の位置に止まるチャーチルと、その後方15メートルの位置に停車したハーフトラック。
停車すると直ぐに、車長席直上のキューポラを開け、脱いでいた簡易レインコートを急いでひっかけるように着たみほが、車外へと上半身を出した。その彼女の目に映ったものは、前方の道を、左の山手から右の下りへと、もの凄い勢いで濁った水が横断している様子で、そこにあるはずの道路が見えないほどの水量だった。
しかし、道路の左右両端には、どうしてそこに水が流れているのかを示す理由のようなものがある。
「みぽりん、地図ではね、ここに橋があるはずだよ」
「うん、橋があるね」
沙織の報告にみほはそう答えると、左右に横断している水流からまるで生えているように見える橋の欄干を見る。
それは、よくあるセメント製の欄干ではなく、鋼鉄製の欄干だった。
彼女の耳には、先ほどからゴーっという水が落ちてくる音が、左の方から聞こえている。
(そうか、下の川の水位が上がって、道路にまで溢れ出しているんだ……。どうする、チャーチルで渡る? これぐらいならチャーチルでも大丈夫だろうけど……)
そこまで考えたみほは、振り向き後ろの方を見た。
そこにいるハーフトラックは、アイドリングを続けながら停車していて、運転席の健介が、ジッと自分を見ていた
「沙織さん、止まった理由を、健介さんに伝えてくれる?」
「うん。了解!」
沙織の返事の後、健介の視線が自分から無線機の方へ動いたのを見たみほ。それから、彼女は視線を上に上げ、空を見上げた。
雨雲は低く広がり、雨は小降りのままだが、ずっと降り続いている。
(……しばらくは、これ以上雨脚は強くなりそうにはない)
みほはそう判断すると、チャーチルから十メートル前方を流れる『橋を超えて流れる川』を見ながら、車内の沙織へ尋ねる。
「沙織さん、橋口さんの家まで、あとどのくらいかな?」
「すぐだよ。ほら、向こう側の左カーブを曲がったすぐ右手に家があるはずだよ」
「わかった――。ありがとう」
みほが視線を川から前方に向けると、対岸の道路が緩やかに左に曲がっている。それを確認し、体を車内に戻しハッチを締めた彼女は、レインコートを脱いで、シートの後ろに素早くたたんで置くと、そのまま車長席に座り、その場で思考をフル回転させ始める――。
(40トンのチャーチルと3トンのトラックを同時に、この橋が支えられるのかな? 長さは、目測で20メートル――。鉄骨製の橋みたいだけど……。万が一にも支えきれない場合があるから、同時に渡るのはダメ。……かといってトラックをここに置いていくのもダメ。チャーチルだけで橋口さんのところに行っても、子供達は乗せられてもお婆ちゃんが乗せられないから意味がない。先にチャーチルで渡って、ワイヤーでトラックを引っ張る……? ううん、それもダメ。準備しているワイヤーは10メートルしかないから、一番、最初の考えに戻っちゃう――。それに水の勢いにハーフトラックが負け、それに引きずられてチャーチルまで橋から落ちる可能性がある。作戦のリスクが高すぎる――。)
自分の足を見つめながら考え込むみほの表情が、段々と険しくなっていく――。
すると、自分の前にいる華からの、彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「みほさん、よろしいでしょうか?」
みほは直ぐに顔を上げて、振り向いて自分を見ている華の顔を見る。
「えっ、あっ、うん、どうしたの?」
「はい、照準器越しなのですが、向こう側の山、左手正面の上の方に、何やら飛び出した大きな岩のようなものが見えるのです……。あれを川に落として、水を一時的にせき止めてはどうでしょうか?」
話の途中で華は、自分の言っていることが間違っていないかを確かめるかのように、彼女は振りむくのを止めると、照準器を覗き込んだ。
みほは、すぐさまキューポラを開けて、また車外に半身で出ると、華の言った前方左手の山の方向を見る。
「岩って……。あっ、あの岩の事?」
そこには、ここからでは手前の山肌で少ししか見えないが、大きな岩らしきものがあって、それは華の言った通り斜面から飛び出しているように見えた。
「麻子さん、少し右側によって、ゆっくり前進してください」
「わかった――」
エンジンかけっぱなしのチャーチルが、右側のガードレールに近づくように前進を始める。
みほの視線の中に手前の斜面に隠れていた、上辺が長い歪な逆台形の形をした大きな岩が、徐々に姿を現してきた。
大岩は、上の辺が大きく斜面から飛び出していて、下がわずかに斜面から出ている。
彼女の視線は大岩から下の斜面へと移り、そこに現れたVの字になった渓谷のような場所の様子を観察する。目測だが、その渓谷の深さから察するに、橋の高さはそんなに高いものではないようだ。3メートルから4メートルというところだろう。岩の飛び出し加減とその傾斜、落下して落ちそうな場所の三点をぐるぐると回る様に、みほの視線が動き回る。
すると、砲手席のハッチが開き、そこから華が顔を出してきた。
華は、半身の体勢まで体をハッチから出すと、大岩の方に左手の指を差しながら、みほに話しかける。
「照準器の目盛りから判断すると、上の幅が3メートル、下が1メートル。高さが5メートルぐらいです。濁流の下の谷底までの深さが分からないのですが、落とす角度さえ間違えなければ、少しは水の流れる勢いが分散されるのではないでしょうか?」
「あの岩を落として、勢いを和らげる……」
華の進言と目で確認した情報を基に、みほの頭の中でのシミュレーションが猛烈な勢いで開始された。
(確かにできるかもしれない……。でも、正確な深さがわからないから、ただ落とすだけになってしまうかも)
独り言をつぶやいたみほは、大岩の様子を見ながら考え込む――。
みほが率いた初代大洗戦車隊は、各校やマスコミから、常識では考えられない作戦を実行すると言われていた。しかしそれは、隊長であるみほが、誰よりも用心深い性格で、求める結果に一番確実な行動を見つけるまで、ありとあらゆる方法を考え抜く姿勢からきていて、それが初代チームの全チームに伝染していたからである。
『作戦立案は慎重に、作戦行動は大胆に』
みほを頭にしたチームの行動は、この言葉で全てが表される。
全国大会決勝戦での超重戦車マウスの撃破方法、大学選抜戦のカールの撃破方法。
この二輌の撃破方法は、みほの性格とそれに感染したチームメイト達を如実に表した成果だった。
みほは、今自分の考えの中に足りない情報を洗い出している――。
「西住殿、五十鈴殿の補足を、自分がさせてもらってもよろしいでしょうか」
「えっ、あっ、はい、どうぞ」
大岩を見ている二人に、優花里が車内から声をかけた。
二人はそれに合わせて、車内へと身をひっこめる。担当席についた二人を見て、少し濡れた華の髪を気遣い、優花里は自分のタオルハンカチを彼女に渡しながら、みほに進言を続ける。
「五十鈴殿の提案の問題点は、落とす予定の渓谷の場所の深さがわからないという事でした。この問題は三点を順番に確認することで解決できるものと思います。一つ目は、目視確認です。ギリギリのところまで行って、流れてくる水の傾斜から判断します。次に武部殿がお持ちの地図の等高線から判断することです。最後に橋自体の高さを村長さんに尋ねて、そこでもわからなかったら、役場の土木担当の方に聞いてもらって確認することで、橋を今超えている川の水位がどれぐらい上がっているのかがわかるかと思います」
「優花里さん」
「西住殿が決断くだされば、作戦の準備を、私達全員で手分けしてしますよ」
優花里の「全員で準備する」という最後の言葉を聞き、みほは目の前にいる四人を時計回りの順番に見る
メンバー全員がみほと視線が合うたびに、無言で頷く。
「わかりました。その方法が一番安全であると判断しました。華さんの作戦を決行します。私と優花里さんで目視確認。沙織さんは村長さんへ橋の高さの確認。麻子さんは地図からの読み取りをお願いします。華さんが仕上げを行いますが、おそらく、ピンポイントでの射撃になると思います。それまでの間、集中をお願いします」――『了解!』
こうして、みほの割り振りが指示されると、作戦成功の為に、一斉にあんこうチームが動き出した――。
チャーチルの外に出たみほと優花里は、揃って流れている水際まで近づくと、大岩の方を見て、どの位置に砲弾を撃ち込めば効果が出るか、指を差し身振り手振りを加えて相談している。
チャーチルの車内では、村長に無線を入れ、状況を説明した沙織が、村長からの返信を待っている。あんこうチームに正確な情報を伝える為、村長は村役場の職員に確認させている最中だった。待っている間、各担当席から砲塔内に上がってきた麻子と沙織は地図を見ながら、現在の場所と大岩がある位置との高低差を縮尺と等高線から判断している。
華も相談に加わり、三人は、現在位置から高さが4メートル25センチと結論付けた。
そこへ、副操縦席の無線の沙織を呼ぶコール音が聞こえてきた。
麻子と沙織は、それぞれの席に戻ると、無線に沙織が出る。
村長からは、橋は鉄骨製で完成年月日は、今から34年前であること。高さは一番深いところで3メートル30センチであると連絡がきた。余談ではあるが、彼女達の落とそうとしている岩は、●×村では『びっくり岩』と呼んでいることも伝えてきた。
連絡が終わる頃、みほと優花里が車内に戻ってきて、四人それぞれが、各人に情報を伝え合う。
こうして、華の考えた作戦の土台に、情報の共有という五本の柱が加わり、一つの形が作られた。
作戦の形がまとまると、みほは沙織を通じて、健介へと連絡をする。
これで全ての準備は終わった――。
いよいよ、作戦開始である。
流れ落ちるV字渓谷の濁流の上に、飛び出すように鎮座する『びっくり岩』。
その方向に向かって、ゆっくりと75ミリ戦車砲を装備した四角形の砲塔が左回転する。
そのキューポラ上には、半身を晒して双眼鏡で岩を見つめるみほがいる。
砲塔が停止すると、照準器を覗き続ける華からの懇願する声が戦車内に響いた。
「みほさん! 予想はしていましたが、それ以上に大岩の周辺が暗いです。もう少しあの周りに灯りが欲しいです」
「――華、待っていろ。私が灯りを作る」
華の助けを呼ぶ声に、麻子がすぐに反応し、チャーチルがその場で超信地旋回を始めた。
右の無限軌道は前進し、左の無限軌道が後進して、全く動かずにその場で車体のみが左を向くために動き出す
それに合わせて前照灯に照らされる光が、ゆっくりと左に移動していく。一度場所を決めた砲塔は、車体の動きと逆に、位置がずれないように右に戻り始める
「もう少し-――、もう少し――。はい!」
華の合図でチャーチルの超信地旋回が止まる。
「麻子さん、ありがとうございます。十分に明るくなりました――。これで、大丈夫です」
華の感謝の言葉に操縦席で麻子が「――気にするな」と照れたように言った。
華は照準器の中の中心、目盛りの付いた十文字の交点を、みほからの指示の位置、大岩の底辺1メートルの長さで、斜面から20センチほど飛び出したところの、岩と斜面の境目の場所に合わせる。
みほと優花里はチャーチルのいる位置から発射した徹甲弾が着弾する角度を判断し、この位置に撃ち込めば、徹甲弾が岩の最下部のところを滑り込むようにして、土の部分を貫通し岩を支える土砂を削り取るだろうと判断したのである。
「華さん」
「はい」
後ろにいるみほの呼びかけに、交点を睨みながら華は、そのままの姿勢で返事をする。
「緊張する必要はないですから。これは『幾つかある作戦の一つ』ということです。失敗してもいいぐらいで構いませんから」
「えっ?」
みほの話に驚いた華が、今度は体ごと振り返って彼女の方を見た。
そこには顔をかしげて微笑んでいるみほがいたのである。
彼女の横に座る優花里も、華の方を見て言う。
「そうですよ。あくまでも、これは『作戦No1』という事であります。もし岩が落ちなくても、他の方法が有りますから。五十鈴殿が緊張する必要はありませんよ」
操縦席の麻子も「――そうだ。こういう時こそ、過度の緊張は禁物だ。気楽に撃て」とクルッペを見ながら言う。
「華――。私は何もできないけど、応援することはできるから。頑張れぇ、華!」
華の緊張が、四人に伝わったのだろう――。
四人は、華の緊張を解こうとそれぞれが、それぞれの言い方で華を励ます。誰一人、彼女に作戦の責任を負わせようとする者はいなかった。
華は、眼下の沙織から右回りに車内をぐるっと見渡し、最後にみほを見ると、彼女に……、いや、メンバー全員に感謝しながら言った。
「ありがとうございます。ですが、わたくしは、このチームで『砲手』を任された者です。皆さんの協力に『結果』で答えてみせます」
そう言った後、華は再び正面を向くと、照準器の中に見える岩の最下部と土の境目。その一点だけに集中し、ピンポイントでの狙いを定めた。
そして華は、先ほどの指示された箇所に、微調整で照準器の中心を合わせ、そこからわずかに左へずらす。
(目標までの距離は14メートル。集中、集中ですよ――。わずかでもズレたら、岩を狙った場所に落とせません。砲手なのです。五十鈴華という女は――)
心の中で自分を鼓舞しつづける、五十鈴華。
その時、華の肩にみほの左手がそっと乗せられた。二人の間の決め事『任意発砲許可』の合図である。
みほの左手のわずかな重みを感じながら、華の目がわずかに細くなる。
彼女の意識が、センチ単位の着弾からミリ単位の着弾にまで移行していく。
そして――。
(ここです、撃ちます!――)
心で決断した華の右手が、ピクッと動き、次に口に出る。
「発射!」
発射時の轟音が車内に響いた。
華の目にはイメージした位置に飛んでいく徹甲弾が見えている。
大岩の下、斜面の土と岩の境目の場所。
その場所へ着弾した徹甲弾は、土の中へ滑るようにもぐりこむと、その砲弾の幅に乗っかるような形でびっくり岩が盛り上がる。
そして潜り込んだ徹甲弾の後に空いた空隙の高さの分、岩を支える土がなくなった。
華は発射トリガーを引いたまま、微動だにしない――。
(動きなさい――。落ちなさい!)
照準器を覗いたままの華が、心の中で、繰り返し続けている。
しかし、その大岩は華の願いもむなしく、鎮座したままだった。
「西住殿、もう一発いきましょう。自分はこの作戦は最善だと思っております。ただ一発では無理だったのです。動かすための空隙が足りないだけだと思います」
「――隊長、私も優花里の意見に賛成だ。あの削った後の隣、平行移動した場所に二・三発と撃ち込めば、下の土台となる土がなくなり、自然とバランスが崩れるはずだ。順番に砲弾で土を削っていくことが、この作戦の鍵だと思う」
発射した姿勢のまま動かない華の周りで、優花里と麻子が、みほに作戦の継続を提案する。
そして最後に沙織が、この作戦の概要を一言でまとめた。
「砂山の棒倒しの要領だからね」
「そうだ――」
麻子が沙織に返事をすると、華を除くメンバーが一斉に頷いた。
「華さん――。このまま、いけますか?」
「はい――。必ず、動かします」
「わかりました。徹甲弾、次弾装填!」
みほの問いに、力強く返事をする華。そして、優花里が即座に徹甲弾の準備に入る。
ホルダーに五発あった徹甲弾の残数は、残り四発。
そして、二発目の徹甲弾が、優花里の手で砲身にセットされた。
二発目が先ほどと同じ要領で発射される。大岩の最下部に75ミリ砲弾二発分の幅、15センチの幅に加えて、潜り込んでいく時に削り出された予幅になる約20センチの空間が開いた。
しかし、まだ動かなかった――。
三発目――。
まだ、ダメである。
華の気持ちに焦りが出てきた。
本数が限られた徹甲弾を、無駄にしているのかと自問自答している。
四発目――。
ついに、華の底知れない集中力も限界に達しようとしていた。
ミリ単位の着弾を、自分に求め続ける彼女。
だんだん呼吸も荒くなってきているが、みほや優花里に悟られないようにしているのか、努めて深呼吸をしているように見せかけている。
発射の後、華の(動きなさい。……動いてください)という声にならない祈りが続いている――。
そして――、ついにその時がきた。
「動いた。動きましたか?」――「ん? 動いたか?」
視力2.0の優花里と麻子が言うと、他の三人の目が皿のようになり、それぞれの席から前方を凝視する。
大岩の下を支えている部分から、パラパラと小さな石や土が、いくつも落ちている。
そして、いきなりグラッと岩が動き出すと、下に十センチほど沈んだ。
大岩は沈んだ後、手前に転げ落ちそうになったが、土の中の何かに引っかかったのか、動きを止めた。
「ああっ、惜しい。もうちょっとだったのに……」
沙織が思わず叫ぶと、華を除く三人が、溜息のような「あーっ」という声を、その場で上げる。
「華さん、大丈夫ですか?」
「ハアハア……。はい、大丈夫です。次がおそらく最後になるでしょうから……」
「うん、これで榴弾の爆発力が生かせるから間違いなく落ちると思う。華さん、ありがとう。優花里さん、お願いします」
「はい、榴弾を短遅延に設定し、装填します」
「華さん、あと少しです。頑張って。今の発射位置から、上に6メートル、左に30センチの位置、大岩の最上部から、上1メートルの位置に照準を合わせてください」
「――はい」
みほが「必ず動く」と言って、その着弾点を指示した。華は信頼する戦車長の指示を聞いて再び元気を取り戻す。
砲塔と砲身が左に、そして上へと動き出す。
そして、固定された砲身から発射音と共に、砲口から五回目の白煙が上がった――。
みほが示した場所に飛び込んだ榴弾は、一瞬飛び込んだ小さな穴を五人に見せた後、大きな爆発となり、その位置に3メートルほどの大きな穴を作る。
転げ落ちようとする大岩を止めていたと思われる、見えない土の中の障害物が、榴弾で吹き飛ばされ、土の中から大岩の動きを後押しする力となった。
ゴロンと飛び出てきた『びっくり岩』は、斜面に沿って転がりはじめた――。
二度三度と小さくバウンドしながらも大岩は割れない。そして、最後に流れ落ちる濁流の真ん中に飛び込んで、その場所に大きな王冠のような水しぶきを作った。
三分の一が濁流の中に浸った『びっくり岩』は、水の勢いに押され、一度橋の方に向かって一回転したが、それ以上は動こうとしない。
そして、水の勢いが左右に分散され始め、左右に分かれた濁流は、いろいろな水の道を作り始める。そのせいで橋の上に水の勢いが、見た目にもわかるほど弱くなってきた。
「健介さん! 先に行ってください。今がチャンスです」
みほが言うのと同時通訳のようにして、沙織が健介に指示を出す。そして濁流の水が横断する橋に向かって、ハーフトラックが走り出す。
渡り終わった後を見届けたみほが「パンツァー・フォー!」と号令をかけ、チャーチルも急発進の後、鉄骨の橋を渡っていく。
沙織が、渡り始めてすぐに健介へと無線を入れる。
「健介さん、正面のカーブを曲がった右手の家が橋口さんの家です」
「了解。このまま、先に目的地まで移動します」
沙織の無線に返事をした健介のハーフトラックは、橋を渡った後、そのまま左カーブを曲がっていった。