ガールズ&パンツァー  五人の女神と魔神戦車   作:熊さん

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第41話  チャーチルの橋

  

 ◆◇◆

 

 二輌が進んでいた●×の滝に通ずるこの一般舗装道路は、元は登山道だったようで、車一台半が通れる幅の道路を挟んで、進行方向の左側は、道路から直接繋がっているような山肌の急斜面であった。その際の間を分けるものは幅30cmの蓋を乗せた側溝しかない。

 側溝を挟んで左の山肌は、傾斜角がおよそ七十度はあろうかという急な法面であり、それがまるで崖のようにして山頂へと向かって伸びている。

 法面は十メートルぐらいの高さで山肌を隠すように特殊セメントの補強工事が行われており、その上には五メートル間隔で鋼鉄の杭が打ち込まれ、その間に落石防止の網が法面にそって、道路にせり出すように設置されていた。

 その反対側になる右側は、道路に沿ってずっとガードレールが続いており、ガードレールより先の右側は、急な下り傾斜の斜面になっている。行きつく先は●×川の源流になる川だった。おそらく、この川をさかのぼると、●×の滝に行きつくのだろう。

 周りには雑木林しかない山と山の間を流れるこの川は、普段は穏やかな川なのだろうが、今は茶褐色に濁り、見た目にも濁流と呼べるほどの勢いと量の水が、下流に向かって流れていた。

 

 ◆◇◆

 

 

 みほ達を襲った突然のアクシデント。それが起きる直前の事――。

 チャーチルの後方15メートルの位置を保ちつつ、ハーフトラックを走らせていた健介の耳に、突然、石と石をぶつけて削るような音が一瞬聞こえた。

 チャーチルの後部を見ていた彼は、(ん?……なんだ)と思い、眉をひそめた次の瞬間、チャーチルの通った後のアスファルトが「ゴン」という音と共に、いきなり盛り上がると、行く手を塞ぐかのようにバラバラと捲り上がってきたのである。

 反射的に思い切りブレーキを踏んだ健介は、慣性の力に体が押し出されるように、体全体がハンドルの上に覆い被さり、つんのめるようになり、そしてすぐにまた元の体勢にもどる。

 健介の視線はもう前方のアスファルトを見ていない。

 その前にある、左に傾きバランスを崩しながら、道路の中に埋没していく漆黒のチャーチルを茫然とした目で見ていた……。

 あっという間の出来事で、健介の表情はどうすればいいのか分からず、ただ成り行きを見守るという能面の表情となっている……。

 すると、目の前のチャーチルの排気口から一瞬黒い煙が吐き出されると、車体が少し右に動き出した。それに合わせて、同じように砲塔も右へと動き出す。

 彼の目には、突然動き出した地面の上でチャーチルが、車体のバランスを保とうと必死にもがいているように見えた。

 チャーチルの車体は、左右に揺れながら、その半分が土の中に沈んでいっている……。

 そこまで来てようやく健介は我に返ると、ハンドル横に備え付けてある無線機の送受話器を左手で取り、すぐに送話ボタンを親指で押し込み、目の前のチャーチルを見ながら大声で送話器に呼びかけた。

 

「皆さん! 大丈夫ですか?! 優花里! ゆか……」

 

 妻の名前を繰り返そうとした彼は、呼びかける事を途中で止めた……。

 少し左に傾いてはいるが、それでも、あのどっしりとしたチャーチルそのままの姿勢で、沈降するのが止まったのである。

 健介は送話器を持ったまま、動きを止めたチャーチルを見ていたが、すぐに無線機のスピーカーから、明るい沙織の声が聞こえてきて、またハッと我に返った。

 

「健介さん、こちら武部沙織です。安心してください。みんな、怪我していません。大丈夫ですから」

「それは……、本当によかった。いきなり道路が陥没するなんて、思ってもみませんでした」

「はい、びっくりしましたぁ。でもね、みぽりんが凄かったんです。アッと言う間にみんなに指示を出して、全員怪我をしないで済んだんですよ。あっ……、それどころじゃなかった。健介さん、そちらの状況はどうですか?」

「はい、私もトラックも無事です。陥没に巻き込まれてはいません。現在、チャーチルの後方の道路で停車しています」

「わかりました。よかったです。早速、みぽりんに伝えますね!」

 

 沙織からの無線は、そこで切れた――。

 健介は、正面から右に二十度ほど向いた砲塔と左にわずかに傾いた車体上部が見える漆黒のチャーチルの後部を、無線機を持ったままで見つめている。

 彼が、あんこうチームからの次の連絡を待っていると、チャーチルのキューポラが開いて、簡易レインスーツ姿のみほが、そこから身を乗り出してきた。その右肩には無線機が担がれている。

 上半身だけの彼女は、すぐに後ろを向く。

 みほはそこにいる健介とハーフトラックの位置を確認して小さく頷くと、今度は、時計回りに体を動かしながら、陥没しチャーチルが埋まった場所の周囲を確認している。

 そして、一周した後の彼女は、健介から見て進行方向の左側になる道路の側溝と山の方を向き、視線を上下に動かしはじめた。山の様子を何やら確かめている様子である。

 みほの様子を黙って見ている健介だったが、上下を見ていた彼女の顔が、今度は左右に動き出した

 そしてみほの視線が彼女の左手になるチャーチルの左後部で止まる。そこで彼女は右手に持っていた無線機の送話器を取り、健介に指示を出してきた。

 

「健介さん、こちら西住です。すみませんが、一旦トラックを降りていただき、チャーチル後方と道路際までの距離。あと、山際の側溝とチャーチルの履帯カバーまでの幅の長さを確認してもらえますか? あっ、それから足元には十分に気を付けてください」

「えっ? あっ、はい。わかりました、すぐに確認します」

 

 みほからの指示に返事をした健介は、送話器を無線機に戻すと、運転席から軽やかに飛び降りた。

 小降りになった雨の中、ゆっくり歩いてチャーチルに近づいていく健介は、めくれ上がったアスファルトの多数の残骸を慎重に踏み越えて、チャーチルの後方へとやってきた。

 目の前には、自分を真剣な目で見ているみほがいる。

 健介は、一歩一歩足場を固めながら陥没ヶ所の際までやってくると、沈んだまま止まっているチャーチルの周りを見渡し、そして考えた。

 

(ここにあるはずの土砂が見当たらない……。陥没した分の土砂が見当たらないということは、道路を整備したころはあったのだろうが、幾年かの間に土そのものが沈降したのか、あるいは、何らかの理由でここから流れ出てしまったのか……、とにかく、チャーチルの重みで空洞の上にあったアスファルトに、一気に負荷がかかって崩落したのだろう。逆に、一般車両が通った時におこったのなら大事故になったかもしれない)

 

 健介は、陥没の原因を冷静に考えたあと、みほの指示を思い出し心で復唱しながら、目測で計る。

 

(履帯カバーの後ろから際まで、約20センチ、というところか……。側溝との間の幅は……)

 

 彼は、今見ているチャーチルの後ろの場所から左へゆっくり移動すると、陥没に巻き込まれずに生き残った山際の側溝のところまできた。

 側溝の側面がむき出しになっており、横から見て側溝の土木構造が分かるようになっていた。

 側溝の下に砂らしきものと砂利が均等に敷かれており、その下は……、地層みたいな茶色と白の混ざり合ったものが40センチほどあり、その下に黒茶色の粘土質の土が見えていた。

 

(側溝が残っているのは、下が岩盤だったからか……。この状態で一番広いところでは……、1メートル半というところか)

 

 足元から顔を真っ直ぐに上げながら、少し傾いているチャーチルと崩れなかった側溝までの幅を目測で計った健介は、自分の斜め右前方にいる、キューポラ上のみほの方を見た。

 

(報告をお願いします……、か)

 

 彼と目が合ったみほは、即座に左手のハンドサインで、次の指示を出してきた。

 健介も即座にハンドサインで(了解です)と返事をすると、踵を返し、急いでトラックへと駆け足で戻る。

 運転席に付いた彼は、無線機で自分を見ているみほへ報告を行った。

 

「報告します――。チャーチル履帯カバー後方部分から陥没の際まで、約20センチ。チャーチルの左側部から側溝までの幅、最大で1メートル30センチです」

「わかりました。ありがとうございます。それでは、健介さんに次の作戦を指示します。危ないですが、やってもらわなければいけない作戦です。健介さんなら実行が可能だと思います。宜しくお願いします」

「はい!」

 

 みほの真剣な声が、無線機のスピーカーから聞こえる。

 健介に対する彼女の、早口ではない力のこもった丁寧な言葉遣いでの指示が、彼にとって余計に緊張感を感じさせた。

 スピーカーから、みほの小さく短い「ふーっ」という深呼吸が聞こえた――。

 健介は(……命令がくる)と耳を象のように大きくする意識で、自分を見ているみほの顔とスピーカーからのみほの指示を待った。

 

「今から行う作戦は、健介さんのトラックを、向こう側に移動させることです」

 

 みほは左手を使って健介を指差し、次に大きく半円を描くように動かすと、向こう側に見える舗装道路の方を指差した。

 みほの命令に一瞬の間を置き「――はい」と返事をした健介。

 

「方法は、そのハーフトラックを道路左側ギリギリまで寄せて、左側半分を側溝の上に、右側半分をチャーチルの左履帯カバーの上に乗せて、そのまま前進して移動し、このチャーチルを追い越して、向こう側へと渡ってください」

 

 スピーカーからのみほの声を聴きながら健介は、右手に送話器を持ち、左手の一指し指で、その場所を差して指示するみほを見ている。

 健介はそのアイデアに驚き、そしてみほの指示の意図を即座に理解した。

 チャーチルだけなら、沈んだ地盤がそれ以上沈まないと条件はあるが、この穴を容易に乗り越え、向こう側へと脱出することができる。しかしそれでは、このハーフトラックが道路手前に置いてけぼりになってしまう。この救出作戦の目的は、健介の乗るハーフトラックを橋口家へと導き、無事に帰還することにある。

 みほは、冷静に現状を分析し、この状況での次の手を打ってきたのである。

 

「まずは、片輪ずつ側溝とチャーチルに乗せることからやりましょう」

「了解しました」

「行動を開始します!」

 

 健介の報告を聞いたみほの号令を発すると、体を車体へと引っ込める。そして、チャーチルとハーフトラックはそれぞれに行動を開始した。

 

 まず、チャーチルの方はというと、ゆっくりと砲塔を正面に戻し始めた。そして、正面に戻ったところで、キューポラが開き、そこから優花里が出てきた。

 優花里はキューポラから車体に降りると滑りやすくなった上部装甲の上を慎重に歩き、後部が目視できる位置まで移動する。

 優花里が上部に降りてすぐ、次にみほがキューポラから顔を出す。優花里が足場を決め、しゃがんで四つん這いの体勢になると、お互いの顔を見て頷き合う。

 すると今度は、超微速で、チャーチルが後退を始めたのである――。

 麻子の神業に近い、非常にゆっくりとしたバックである。

 エンストも起こさずに滑らかに、僅かずつ後退を続けるチャーチル。

 そして、優花里のストップという合図が、みほへと伝わり、即座にチャーチルは後退を止めると、直ぐにそのエンジンが切られ、チャーチルはその場で完全に停止する。

陥没の際からチャーチル履帯カバーまでの間は、ほぼ無くなったといっていいほどのわずかな空間である。

 四つん這いになっていた優花里は、その場にゆっくりと立ち上がると、左側部履帯カバーの上を歩いて、今度は前方へと移動する。

 そして、一番前まで行くと、今度は、彼女が前方の陥没の際と前に飛び出しているチャーチルの前方履帯カバーとの距離を調べている。

 目測での予測がついた優花里は、みほの方を見て、OKのハンドサインを送り、彼女の元へと戻り始める。

 サインを受けたみほは頷いて、身を車内へをひっこめた。その後を追うようにして、優花里も一度健介の方を見た後、キューポラからチャーチルの中へと戻っていったのである。

 

 ハーフトラックの方も、号令の後、バックを始める。

 十分に距離を取ったあと、健介はハンドルを左へと切り、変速ギアを後退から一速の前進へと切り替える。

 進行方向の左へと前進を始めたハーフトラックは、左前輪が少し山の斜面へと乗り上げたところで、健介が逆ハンドルを切ると、側溝と法面の際に左前輪が滑り落ちる。

 健介は、そこで一旦トラックから降りて、前方から回り込みながら、車体の左側へと来た。

 左側の前輪と後部無限軌道が、完全に側溝の上に乗っていることを目視確認すると、満足そうな表情になり、再び急いで運転席へと戻った。

 運転席に付いた健介が正面を見ると、妻の優花里がちょうどキューポラから車体へ戻ろうとしている所で、彼女は健介の方を見てにっこりと笑い、そして中へと戻っていった。

 中に入った優花里と入れ替わる様に、またみほが顔をキューポラから覗かせ、無線機をもって半身の状態となる。

 

「健介さん、準備はどうですか?」

「はい、こちら準備完了です」

「それでは、前進を始めてください」

 

 みほの指示に「了解! 前進します」と返事をした健介は、ゆっくりとハーフトラックを走らせ始める。

 散らばっているアスファルトの残骸を慎重に乗り越えながら前進を続けるハーフトラックは、いよいよ右前輪を左履帯カバーの上に乗せる瞬間が来た。

 健介の額から、ジワリと汗が一粒流れ落ちる。ボンネットが付きだしたハーフトラックでは、ここからは予測でしか走らせられない。

 一瞬、健介はみほの方を見る。

 みほの表情を見る限り、この位置で大丈夫だと確信した彼は、ハンドルを思い切り握りしめ固定させると、アクセルをわずかに踏み込んだ。

 ドンという衝撃がハンドルから健介に伝わり、一瞬、トラックの右側、運転席が下に沈む。

 ドキッとした彼だが、すぐにまた運転席が浮き上がった。

 無事に右側の前輪が履帯カバーの上に乗ったと感じた健介。すぐに彼の視線は、左側へと移りバックミラーを見る。

 左側も問題なく側溝の上を移動してきていた――。

 

(よし――。乗ったぞ。このまま、ゆっくりと前進だ)

 

 健介は、正面のチャーチルの履帯の上とバックミラーを忙しく見比べながら、ハンドルとアクセルワークを使い分けて、前進を続ける。

 そして、右側後部の無限軌道が、チャーチルに乗ったことがわかる「ドン」という衝撃を再び感じたところで、一旦停車した。

 すると、ハーフトラックを見ていたみほから、直ぐに無線が入ってくる。

 

「お見事です。それでは、そのままゆっくりと前進を続けて、車体の中ほどまで移動してください」

「了解しました。このまま、車体中央部まで移動を続けます」

 

 小雨の中、ハーフトラックは、左側が側溝の上、右側が履帯カバーの上という綱渡りを始めた。

 2メートルも進むとチャーチルの中ほどまで来る。

 そこで停車すると、またみほから無線が来た。

 

「ここからが一番難しい段階です。健介さんの技量を期待します」

「はい」

「このまま進んでも、向こう側に渡ることはできません。前方の空間は、約3メートルあります。この差を埋める為、チャーチルはトラックを乗せた状態でゆっくりと前進します。健介さんは、その速度に合わせて、一緒に前進してください。合図は全て私が出します」

「わかりました」

「それでは――。微速前進用意!」

 

 みほは、視線を正面に向けると、緊張感のある短い号令をかける。

 それに合わせて、止まっていたチャーチルのエンジンが、再び動き出した。

 健介は、ごくりと唾を飲み込んで、アクセルペダルに載せている右足に全神経を集中させる。

 一呼吸おいて、みほの次の号令がかかった。

 

「――微速前進、始め!」

 

 一瞬、健介の体に、左側へずれて後ろへスリップしようとする、わずかな衝撃が加わった。

 そして、健介もわずかにアクセルを踏み込む。

 チャーチルがゆっくりと進む履帯カバーの上を、ハーフトラックもゆっくりと進む。

 しかし、左側は側溝の上のハーフトラックの無限軌道だけの前進力だが、右側はハーフトラックだけでなく、チャーチルの前進力も加わっている。

 左右のアンバランスな前進力の中、健介はハンドル操作と、アクセル、ブレーキを使い分け、視覚と感覚を総動員して、自分の乗るハーフトラックがチャーチルから振り落とされないようにしながら、懸命に前進を続ける

 健介にとって、移動する3メートルが、まるで無限の長さに思えていた――。

 正面を凝視する健介の目の前に、どんどんと向こう側道路の陥没際が近づいてきた――。

 

「――停車用意!」

 

 正面を見据えたみほの指示が、またスピーカーから聞こえた。

 健介の全身に力が入る――。

 ハーフトラックは移動のバランスを取る為に、チャーチルより前進が速く、元いたチャーチルの中央部分から前、履帯カバー全体の三分の一前のところに移動していた。

 

「――二輌とも停車!」

 

 健介は思い切りブレーキを踏んだ。

 それと同時にチャーチルも動きを止め、すぐにエンジンが切られた。

 正面には、対岸の道路際が健介の目に映る。

 

「健介さん、そのまま前進を続けてください――」

「了解しました。前進を続けます」

 

 健介はまた、ゆっくりと前進を始めた。

 前方に近づく対岸のアスファルトの段差は、履帯カバーの上面から少しだけ向こうの方が高いのだが、乗り越えられないほどの高さではない。

 

(いける……。このまま渡りきるぞ!)

 

 健介は、少し強めにアクセルを踏み、わずかに加速すると、段差に向かってトラックを走らせる。

 ドンという衝撃をハンドルが受けた後、ボンネットの先端が上を向き運転席が上に向かって持ち上がる。その瞬間見えたのは段差ではなく、フロントガラスいっぱいに黒い雨雲が広がった後、直ぐに視界が下に落ち、目の前に短く真っ直ぐに伸びる細い道路が現れる。そして、今度は運転席全体が一気に持ち上がった。

 

「渡ったぞ。渡り切った――」

 

 渡り切るまでの一連の動きに対して、ハーフトラックから異状音は聞こえず、渡り切った後も、トラックは順調に前進を続ける。

十メートルほど進んで車を停車させた健介は、すぐに無線機を取ってみほへと無線を飛ばした。

 

「こちら、遠藤! 無事に対岸まで渡り終えました。トラックから異状音及び、不都合は起こっておりません」

「はい、確認しました! それでは、私達も続きます。そのまま、健介さんは車を左側に寄せておいてください。脱出した後、右側からトラックを追い越します」

「了解です」

 

 後方でエンジンが掛かる音が聞こえる。

 健介は急いでトラックを少し前進させ、左端ギリギリにつけると、運転席から身を乗り出して後方を見る。

 チャーチルは少しバックしているようで、直ぐに止まった。

 その後、一気にエンジン音が上がり、短い距離の中で加速してくるチャーチルが見えた。

 降り続く小雨の中、健介の目に今まで見えていた砲塔が、まるで穴からせり上がってきたと錯覚してしまうほど真っ黒なチャーチル下部装甲板の壁で見えなくなり、その壁がどんどん高くなる――。

 その壁の左右には回り続ける無限軌道が付いていて、それが直ぐに大きな地響きと共に健介の目の前に倒れこんできた。

 そして――。

 彼の目の前に、つきだした履帯カバーに挟まれた真っ黒な車体前面に浮かぶ『真』の白い文字が見えたのである。

 ガチャンという音が健介の耳に聞こえ視線を上げると、キューポラからみほが顔を出してくる。

 そしてすぐに無線機から、沙織の声が聞こえてきた。

 

「今からトラックを追い越すので、車間を見ててください。無線で指示をお願いします。多分ギリギリだと思うんです」

「わかりました。そのまま、真っ直ぐに前進してください」

 

 こうして、健介の誘導とみほの目視確認の元、チャーチルはゆっくりと前進する。

左側になるハーフトラックとのわずかな車間を取り、右のガードレールにも接触せずに、右側からチャーチルはトラックを追い越していく。

 再び、前方に出てきたチャーチルの後部を見ながら、運転席に座り直した健介。

 無線スピーカーから沙織の「このまま前進を続けます」という連絡の後、チャーチルは加速を始めた。

 ギアを一速に入れ、アクセルを踏み、徐々にニ速、三速と上げながら後を追う健介。

 

(帰りはどうするのか……。いや、今、それを考えてはいけない――。まずは、橋口さんの家族を安全に確保することが最優先事項。今は、あんこうチームを信じて、彼女達の後を追うだけ!)

 

 健介はハンドルを握り締め直すと、自分の前を走る真っ黒なチャーチルのキュラキュラという無限軌道の音を聞きながら、ハーフトラックを走らせていく――。

 


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