ガールズ&パンツァー  五人の女神と魔神戦車   作:熊さん

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第40話  戦車の中で

 

 

 六月六日、午後十二時十三分――。

 

 倉庫を出たチャーチルとハーフトラックは、ライスセンター跡の駐車場をゆっくりと進み、それと並行して走る県道へ斜めに合流して本道に出ると、しだいに速度を上げながら、西に向かって走る。

 幸いにも降り続く雨の勢いは少しずつ弱まってきて、幾重にも重なっていた雨雲も少し薄くなってきたような感じになってきた。

 ニ車線の県道には、側溝からあふれ出た雨水が所々に大きな水溜まりを作り、そこに留まり切れない雨水が、また県道を横切りながら反対側の側溝へと流れ込む。まるで、道の上を流れる小川のような状態だった。

 チャーチルとハーフトラックのニ輌は、雨に打たれながら、そのあふれ出た水を左右に切り裂いて、力強く進んでいく。トラックのワイパーは懸命に左右へ動き続け、ワイパー音はまるでロックのビートを刻むギターのように早いリズムを繰り返していた。ハーフトラックを運転する健介は、ただひたすらにフロントガラスを往復するワイパーの間から見える、チャーチルの後部、エンジンルームと排気管から出る黒い煙を目で追い続けている。

 その頃のチャーチルの車内では、無言の三人と会話を続ける二人がいた。

 みほと優花里は、砲塔内の各窓から、視界を遮るように上から下へと流れる雨粒の間から見える外の様子を見ている。華は、照準器越しに流れる景色を見ている。そして、車内に絶えず流れているエンジン音に交じって、車体の左右に座る麻子と沙織の会話が、三人の耳に聞こえていた。

 

「麻子、もうすぐ右カーブだよ。緩やかだから大丈夫」

「――わかった」

 

 両手に地図とスマホのナビを見ながら指示を送る沙織の声を聞きながら、麻子はクルッペ外に見えている、前照灯に照らされた進路にあたる道路の様子を見ている。そのヘッドライトの光は、前方右に曲がり始めた道路を照らしつつ、それを飛び越えて水浸しとなっている道路正面の田んぼの真ん中まで照らしていた。

 

「はい! 重なったよ!」

「――了解」

 

 沙織の合図に合わせて、麻子はブレーキを踏み、速度を落として、ハンドルを右に切る。「ガリッ、ガリガリッ」という音と共に、チャーチルの車体が右へと曲がり始めると、ヘッドライトがそれに合わせて右へと移動していく。そしてまた、道路のセンターラインが前照灯の先に戻ってきた。しかし、少し右に行き過ぎたようで、麻子は逆ハンドルを切りチャーチルの体勢を戻す。約四十トンの車体が、微妙にふらつくようにして、右カーブを曲がった。

 

「麻子さん、操縦の具合はどうですか?」

 

 みほから、少し心配そうな声が、麻子の耳に聞こえてきた。彼女は、少し唸って、みほに答える。

 

「うーん――。操縦すること自体には問題はないが、見る感覚と車重の感覚が微妙に一致しない。まだ手探りの状態だ」

「わかりました。まずは麻子さんの感覚で、安全運転を優先させてください」

「ああ――、急がなければいけないとはわかっているが、すまない。もう少し時間をくれ」

 

 麻子はそう答えると、ハンドルから両手を通じて伝わってくる感覚に、全神経を集中させている。すると沙織から、また連絡がきた。

 

「今度は左だよ。また緩やかなカーブ」

「了解――」

「はい! オッケー」

 

 麻子は、沙織の合図に合わせて速度を落とし、今度はハンドルを左に切る。チャーチルもそれに合わせて左に進路を変える。今度の彼女は、前方のセンターラインが中央に来る前にハンドルを戻した。するとチャーチルは、それに合わせて車体を戻し、ちょうど中央線に合わせた位置に戻っていく。

 

(このタイミングか……)

 

 麻子は少しずつ、重戦車に分類されるチャーチルの車重を体で記憶していく。

 沙織は麻子に絶妙のタイミングで指示を出しながら、左手の地図の道路に引かれている赤い線と、現在位置を表示し移動を続ける右手のスマホ・ナビの赤い点を、交互に目で追いかけ続けていた――。

 

 

 ◆

 

 沙織が見ている●×村全体を地図で表すと、大まかな六角形の形をしている。その中心に位置する繁華街となるスーパーや美容室がある東西に走る県道が全体を二分している。どの方向へ進むにしても、この繁華街を通る県道を経由していく事になる。みほ達が出発した倉庫は繁華街から東側にあり、一度、村役場の前を通り、西側に移動する。

 以前、ご飯会を開いたときに買い出しに来たスーパーの駐車場と隣接して北に分岐する交差点があり、そこを右に曲がり、今度は北上する。その道も一車線で群馬県側へと山越えで続く道となっている。その続く途中で三叉路となる西北西に向かう単線の細い道路がある。その道路は、●×川の源流の一つの川に沿うようにして、●×山へと途中から大きなRの曲がり道を何度も曲がりながら上っていく形で進み、行きつく場所は、●×村の数少ない観光地『●×の滝』へと続く一本道だった。

 直線距離にすると約十kmの距離になるが、実際に走ると十七kmと七キロのの差が出る。。

 もともと橋口家は、●×の滝の管理人的役目を持っている家族で、滝から下流に三百メートル下った道沿いに、一軒だけポツンと建っていた。

 

 ◆

 

 

 チャーチルの砲塔の中は、他の数ある戦車と比べて広く、居住性が高い。

 ダージリンとオレンジペコ、アッサム達が、よく砲塔の中で紅茶を飲んでいたが、実際、乗っていて息苦しいという感覚はなく、逆にこの砲塔に慣れてしまうと、他の戦車に乗った時に、とても狭苦しく感じてしまう。

 チャーチルの砲塔内の配置は、戦車長席が後方の左に位置し、その隣に装填手席がある。戦車長席の前が砲手席になっていて、上から見ると軽いLの字の配置になっている。

 みほは車長席に座り、華のGジャンに覆われた背中を見つめながら、琴音から注意された地形の情報を頭の中で繰り返していた。その時、エンジン音に交じって、鼻をすする音が彼女に聞こえてきたのである。みほは視線を上げると、隣に座る優花里を見てびっくりした顔になった。

 優花里が、真っ直ぐに前を向いたまま、涙を流していたのである。

 目の錯覚かと思ったみほは、ニ、三度、優花里を見ながら瞬きをする。しかし、錯覚ではない事に気付くと、優花里にそっと話しかけた。

 

「優花里さん……」

「はい! なんでありますか?」

 

 優花里は元気に返事をすると、みほの方を向く。優花里の頬を流れる涙と彼女の元気な返事が、彼女を見るみほに、もの凄い違和感を感じさせた。みほは戸惑いつつも話を続ける。

 

「その――、どうかしたの?」

「えっ? どうかしたのって……。どうしたんですか?」

「だって、優花里さん、泣いているから、どうかしたのかなって」

「自分が――、ですか? 泣いているって? あ、あれっ?」

 

 みほの指摘を耳で聞いた華も「えっ?」と言って、びっくりした様子で、覗いていた照準器から顔を離すと、優花里の方に振り向いた。二人の視線を受けた優花里は、よけいに驚いて左手にはめた装填グローブを、自分の顔に当て頬を拭うと、彼女の茶色のグローブの甲の部分が、少し黒くなった。

 

「ありゃ、お恥ずかしい。自分では、全然気づきませんでした」

 

 優花里はとても恥ずかしかったのか、今度は両手で頬を交互にゴシゴシと擦り、それを終えると今後は、自分の髪を右手で掻き混ぜた

 

「ご心配かけました。問題ありませんから――。これは嬉し涙です。まさか、自分の夢が現実になるなんて思ってもいませんでしたから――」

「えっ? 夢って、何の夢ですか?」

 

 華が尋ねると、優花里は笑顔で華の問いに答えながら、二人を交互に見る。

 

「私達、五人がそろって、最後に戦車に乗ったのは、祐子ちゃん達の訓練指導の時ですよね。もうずいぶんと前の事です。私は、皆さんと戦車に乗り、訓練や試合をやっている時『もう皆さんと一緒に戦車に乗ることはないんだなあ』と思っていました」

 

 優花里は、にこにこと笑いながらも、少し感傷深い思い出話を始めた。

 

「訓練指導の最後の日です。祐子ちゃん達から一騎打ちを申し込まれたのは……、私は、祐子ちゃん達と試合をしながら、ずっと自分の席から見えるⅣ号の車内や風景を絶対に忘れまいと思っていました。装填手席から見える、いえ、見えないところも忘れないようにしようと思いながら戦車に乗っていたんですよ」

 

 優花里の話を聞いているのは、みほ、華だけではなかった。沙織も麻子も、チャーチルを動かしながら、彼女の話に耳を傾けていた。

 優花里の思い出話は続く――。

 

「――それから、私は自衛隊に入り、戦車教導隊と自衛隊戦車道チームで戦車に関わる仕事を続けてこられました。――結婚もして、子供も授かり、そしていろいろありましたが、また西住殿とお会いできました。それから、生徒達に戦車道を教えながら生活する中で、時々寝ている時に、夢を見るようになったんです」

「夢?」

「はい、ずっと忘れないようにしようと目に焼き付けたⅣ号の中の風景が、夢に出てくるようになったんですよ」

「……」

 

 優花里の話を聞きながら、四人はそれぞれの場所で、自分達の親友の車内を思い出していた。

 

「そして、今、その夢が現実になっているんですよ、戦車は違いますけどね」

 

 そう言って優花里は、なおさら笑顔になると、視線をみほと華から、前方へと移した

 

「今、私の右前方にハンドルを握っている冷泉殿の後ろ姿が見えます。左前方には、ここからでは見えませんが、あの頃、ヘッドホンを付けていた武部殿の後ろ姿が、今、私には見えているんです。そして、左前には、照準器を覗き続ける五十鈴殿がいらっしゃいます。そして……、自分の隣から西住殿の声が――、インカムを付けた西住殿が隣にいるんですよ。まさか、もう一度、私達が揃って戦車に乗るなんて事は、夢でしかあり得ないと思っていましたから」

 

 そこで間を置いた優花里は、再びみほと華を見た。

 

「この作戦は、琴音先生がおっしゃる通り、とても危険が伴う救助作戦です。ですが、自分はこの作戦が失敗するなどとは髪の毛ほども思っておりません。私達五人が、全員そろって同じ戦車に乗っているんです。どんなことでも対処できます。必ず成功しますから、心配なんてしていません」

 

 優花里の話が終わると、操縦を続けながら、集中モードの時の麻子の短い返事がすぐに返る。

 

「――おう、その通りだ」

「うん、そうだね。ゆかりんの言う通り、同じ戦車に乗っているもんね」

「ええ、そうですわ。今、私達は一緒なのです」

 

 麻子に続くように暗い状況の時にも、周りを元気づける沙織の声と凛々しい落ち着いた華の声が嬉しそうに車内に聞こえる。そして、みほは……。

 

「うん。みんな一緒だもん。絶対に成功する!」

 

 あの笑顔と共に、戦闘モードのみほの声になっていた。

 それぞれの感情が戦車の中を包みながら、五人の乗るチャーチルは山道へと進んでいく――。

 

 

 川に沿って平行に進む単線の道路に入った二輌は、正面に迫ってくる山林の間へ続く上り坂へと進んでいく。左側に山際が迫り、正面の道を挟んで右側に●×川と棚田が並んでいる。上り坂は今のところ、それほどの急坂ではないが、道路を流れる雨水の量がすごい。まるで、とても浅い小川を進んでいるような錯覚を起こすほどの雨水が流れている。

 地図を見ている沙織の表情がだんだんと厳しくなり、やがて全員に聞こえるように、大きな声で連絡した。

 

「みんなぁ、もうすぐ土砂崩れの地点だよ」

 

 その連絡を聞いた四人は、一斉に表情を引き締め、窓やクルッペ、照準器から前方に伸びる道を見つめた。

 

「――見えたぞ」

「はい、見えましたわ」

 

 麻子と華が同時に言うと、みほと優花里が小さく頷いた。そして、二輌の前に、小山のような量の土砂が、行く手を真横に塞ぐように横たわっていた。その災害個所は、高さが約五メートルで、土砂と同時に押し流されたのだろうと思われる、折れた竹や杉の木、そして大きな石や小さな石が、土砂のあらゆるところから顔を覗かせている。

 

「停車してください!」

「わかった。停車する――」

 

 みほの指示で、チャーチルは土砂から、約五十メートルの地点で停車した。それに続いてハーフトラックも、チャーチルの後ろに停車する。

 優花里は、目を細めながら小窓から見える土砂の様子を、持ち前の観察眼で細かく観察する。

 

「ここから見る限り、あの土砂は粘土質のようですね――。迂闊に突っ込むと身動きが取れなくなる可能性が……、あっ! 西住殿、正面から右四メートルの地点。あれは、もしかして、倒れた電柱の一部ですか?」

「うん、電柱みたいだね……。ちょっと待って」

 

 みほも優花里と同じように、小窓からチェックをしていたが、その視線を上空に移して、電線の切れた場所を探す。どうやら一本だけ電柱は倒れているようで、その電柱の手前までの電線は繋がっていた。

 

「あの電柱は、ここから先に繋がる電線を支えていた電柱みたい」

「それじゃあ、橋口殿の家は、今、停電中なのでしょうか?」

「そうだと思う」

「では、なおさら、急がないとといけませんね」

「うん」

 

 優花里にそう答えたみほは、車長席の窓から正面に横たわる土砂の山全体を、もう一度見渡した。みほの目は真剣そのもので、どこかに突破口がないかを探り、それを確かめているようである。

 

(ここを突破するには、この方法しかない……)

 

 みほは、頭の中でありとあらゆる方法を考えて、一つの結論を出した。

 

「今からこの場所の突破を試みます。優花里さん、榴弾を装填! 信管は短延期で」

「了解、榴弾を瞬発から短延期信管へ変更します!」

「華さん、前方、零時方向、仰角をプラス一度上げてください。地面から、高さ三メートル五十センチの位置に照準を合わせて!」

「はい!」

 

 みほの指示に合わせて、優花里はホルダーから一発、榴弾を抜き取り、左の脇に抱え込むように持つと、右手で榴弾の先端にあるネジを回し『瞬発』にセットされた信管を『短延期』に切り替える。切り替えを終えると抱えていた榴弾を砲身にセットし、左手を握りこぶしに変え、砲身へと押し込んだ。そして、砲尾栓のスイッチを押し、砲身の蓋をしながら「――装填完了!」」と叫ぶ。

 華は、優花里が装填している間に、仰角ハンドルを回し、微妙に仰角を上げる。それにつられて、七十五ミリ長砲身が上に少しだけ動いた。

 砲塔内の準備が終わると、みほは、車体に座る二人へと指示を出した

 

「麻子さん、私の合図で一気にこの土砂を乗り越えます。いいですか?」

「――ああ、いつでもいいぞ」

「沙織さん、健介さんと村長さんに、榴弾で土砂を吹き飛ばし、進路を作ることを知らせてください」

「わかったよ。すぐ連絡するね」

 

 みほの指示を聞いた麻子は、左足のクラッチを踏むと、ニュートラルの位置にあった変速ギアを一速の位置に入れ、そのまま待機する。

 同じように沙織は、すぐに無線機を取ると、健介と村長宛の順に、みほからの指示を伝える。各無線機から「了解です」「わかりました」と応答がきた。

 

「連絡オッケーだよ」

「わかりました。――それでは、突破作戦を開始します」

 

 みほは、沙織の報告に答えると、一回深呼吸して気合を入れ直す。そして、短く凛とした声で、主砲発射の号令をかけた。

 

「撃て!」――「発射」

 

 彼女の号令とほぼ同時に小さく復唱した華が、戦車砲のトリガーを引く。

 轟音と一瞬の閃光が砲塔の中いっぱいに広がった後、砲身が一瞬バックして「ガゴン」という音と同時に七十五ミリ榴弾の薬莢を吐き出し、直ぐに元に戻る。吐き出された薬莢は、ゴンという音と共に、薬莢受けへと転がり落ちる。砲塔に立ち込めた硝煙の香りと煙が小型換気扇で外へと吐き出されていった。

 発射された榴弾は、雨の中、進路の延長線上を塞ぐ土砂の山の中心に向かって、真っ直ぐに飛んでいく。五人は、発射されてゼロコンマ数秒で着弾する榴弾の行方を、それぞれの席の窓から見守っていた。そして、着弾し泥の中にもぐり込んだ榴弾は、瞬きの間をおいて大きな音と共に泥の中で爆発する。そして、チャーチルの進路上に直径約三メートルほどのU字型の穴が開いた。しかし、まだその奥には土砂が残っており、完全に貫通したとはいえなかった。

 みほは、この結果を見て、矢継ぎ早に次の指示を出し、優花里と華が瞬時に対応する。

 

「二発目を撃ち込みます!」

「了解。短延期信管の榴弾準備! ――装填完了!」

「はい。照準変更なし。前方零時、仰角ゼロ。発射準備よし!」

「撃て!」

 

 チャーチルの漆黒の戦車砲が、再び火を噴いた。

 熱せられた砲身は、降り続く雨ですぐに冷やされ、砲身に留まろうとした雨粒は、瞬時に水蒸気に戻されて、白い湯気と共に空中へと戻る。

 発射された二発目の榴弾は、一発目と同じ軌道を描き、着弾のあと、一瞬の間をおいて土砂を四方へ吹き飛ばす。吹き飛ばされた後に見えたものは、今まで見えなかった進路上に真っ直ぐに伸びる雨に濡れた細い道路だった。

 

「沙織さん、健介さんに連絡! 麻子さん、今です!」

「うん!」

「――わかった!」

 

 みほの瞬時の指示に、間髪入れずに反応する沙織と麻子。

 沙織は、健介に繋がる無線機の送話器を持ち「前進します!」と短く伝え、麻子は、返事と共に一速の状態で待機していたところを、ペダルを瞬時に踏み変え、ブレーキペダルから右足を離し、アクセルペダルを踏み込む。次の一瞬で半クラッチを状態を作り、チャーチルが前へ進もうとした瞬間に、左足のクラッチを切った。

 チャーチルは麻子の操縦に反応すると、土砂に空いたU字の穴へと急発進で走り始める。麻子は、見事なペダルワークで加速しながら変速ギアを上げていき、戦車の前進速度を上げる。それに釣られるように、健介のハーフトラックも懸命にチャーチルを追ってくる。

 そして二輌は、行く手を阻んでいた土砂の山を一気に突破し、再び山懐へと延びる細い道路へと出てきたのである。

 

 見えずにいた道路に出てきたチャーチルとハーフトラックは、そのまま一定の速度に戻ると上り坂を前進する。まだしばらくはカーブよりも直線の方が多いが、上り勾配がきつくなってきた。地図上では、あと一キロほど進むと、大小のカーブが連続してくる。次の注意ヶ所を示す赤丸までは一・二キロほど先である。

 雨の勢いはだいぶ弱くなり、小雨程度になってきた。あいかわらず路面には雨水の川が流れているが、心なしか勢いが弱く見える。

 

「チャーチルって、いいよね、どっしりしてて、頑丈そうで……」

 

唐突に沙織が、楽しそうにつぶやいた。すると、即座に優花里が反応する。

 

「いい戦車でしょう。チャーチルMk.Ⅶは、イギリス戦車を代表する戦車ですから」

「久しぶりに戦車に乗れて、私ドキドキしてるよ。チャーチルの事、ちょっと好きになっっちゃったかも」

「沙織さん!」

「武部殿!」

「えっ? 何?」

 

 大きな関門を突破して、順調に前進するチャーチルの中で、少し心に余裕が生まれたのか、沙織が楽しそうに言ったが、何やら華と優花里が大声で沙織の名を呼んだ。みほも少し表情が強張っている。沙織のそれを聞いた麻子が、少し怒ったように彼女に言った。

 

「沙織、お前――、軽々しく好きというべきじゃない。今の発言は問題あるぞ」

「なんで?」

「『チャーチルが好きになったかも』って、Ⅳ号の前で言ってみろ」

「あっ!!」

 

 麻子が言ったあと、沙織はハッと我に返ったように、反省する。

 

「あっ、そうか。私、今、浮気しているのかな」

「そうだ――。私達が一度も勝てなかった戦車がこのチャーチルなんだぞ。それを好きになったかもって言われたら、Ⅳ号のやつ、滅茶苦茶に怒るぞ」

 

 弁護士の麻子が言うと、余計に説得力があった。華と優花里は、自分の席で小さく頷いている。

 五人が五人ともⅣ号が大好きなのだが、その中で、一番Ⅳ号と一緒の時間を過ごしたのが、麻子である。訓練や試合だけでなく、他の授業の時にもさぼって、いつもⅣ号に潜り込んでいた。文科省に、戦車が取り上げられそうになった最後の夜に、彼女はⅣ号の中で眠るつもりで枕を持参したほど、Ⅳ号を大切に思っていたので、沙織の軽はずみな発言が麻子には少し許せなかったのだろうし、他の三人も同じ気持ちだった。

 沙織は、麻子に注意されて素直に反省する。

 

「うん、そうだね、軽く考えて言っちゃったかも……。みんな、ごめんね。――でもさ、今、私達、全員チャーチルに乗っているじゃん。仕方がなかった事だけどさ。この事を知ったら、それだけでも、やっぱりⅣ号は怒ると思う?」

「もしも、Ⅳ号に感情というものがあったとしたのなら……ですか? どうでしょうか?」

「――私が、Ⅳ号だったら、きっと……」

 

 沙織が言うと華も同じように麻子に聞いた。麻子は操縦しながら考え込む。みほと優花里は、黙って三人の話を聞いていたが、優花里が三人のやりとりを聞いた後、決めつけるように言った。

 

「はい! Ⅳ号は、きっと私達全員を体育館の壁に並ばせてから、七十五ミリ砲を突きつけるでしょう。そして、私達に『仕方がないから許すけど、我慢できないから、とりあえず土下座をしなさい』と言うでしょうね」

 

 突拍子もなく、変なことを言った優花里。

 四人は、優花里の決めつけに一瞬「えっ!?」と言って戸惑ったが、それぞれの頭の中に、七十五ミリの大きな砲口が、自分の目の前に現れて「そこに座れ」と言っているかの様に、その長砲身を上下に小さく早く動かしているⅣ号の姿が映った。すると、みほが、いきなり「プッ」と吹き出す。それと同時に、他の三人も笑い出した。賑やかな笑い声が車内の空間に響いている。

 

「あはは! 確かにそうだね。私達全員、土下座かな」

 

 みほが笑いながら言うと、全員も同じように笑いながら頷いた。

 

「それじゃあ、チャーチルに乗った事は、Ⅳ号には内緒だね」

「――ああ、絶対に漏らしてはいけない」

「皆さん、この事は、墓場まで持って参りましょうね」

「はい! 我々、共通の秘密事項ですね」

「うん! 秘密だね」

 

 沙織からはじまったこのやりとりは、あんこうチーム五人のそれぞれが、愛機であり、大切な親友である『Ⅳ号』への愛情がいかに深いものかを、お互いに再確認することになった。チャーチルの中で五人は、大好きな鋼鉄の親友の事を思い出しながら、緩やかなカーブと直線の組み合わせの道を進んでいく――。

 

「さあ、もうすぐカーブが続き出すからね。麻子、注意してよ!」

「わかった――」

「皆さん、周囲の注意確認をよろしくお願いします」――『了解!』

 

 沙織の指示に麻子が答え、続けてみほが全員に気合を入れ直すと、五人の表情が引き締まる。

チャーチルとハーフトラックは、順調に山道へ突入していった。

 勾配は一層きつくなり、車内に居ても明らかに上っていると感じるほどの坂道を進む二輌。大小のカーブが続き始める地点に到達したチャーチルは、持ち前の登坂力を発揮しようとしたその時、いきなりチャーチル全体が「ゴワン!」という大きな音と共に大きく上下にバウンドを起こし、車内にいる五人が一瞬、自分の席から空中に放り上げられた。

 五人の一瞬の悲鳴が車内に響いたあと、車体のバランスが崩れていくのを全員が感じたのである。

 

 

 

 

 


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