ガールズ&パンツァー  五人の女神と魔神戦車   作:熊さん

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第39話  みほと共に

 

 三分ほど経ち、雨に向かって発声練習をしていた沙織の背後から、彼女の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 

「武部さん――」

「はい?」

 

 返事をして振り向いた沙織の前に、『真』という楷書の白い文字が左胸のところに縫い付けられた、青い作業上着を着た加藤が立っていた。

 

「これを、持っていってください」

 

 そう言って、沙織の前に加藤が差し出したものは、ハンディカム。野戦の時に歩兵が使う送受信機の部分が固定電話の送受話器のような形をしている、小型の通信機だった。

 

「えっ? 戦車に通信機はあるんでしょ?」

 

 当然、沙織は疑問に思い、加藤に尋ねる。すると、加藤は首を振り、沙織に説明する。

 

「ありますが、ナナの通信機は使えないようにしてあるんです」

「えっ? 使えないんですか?」

「はい」

「どうして?」

 

 沙織がびっくりして尋ねると、加藤は静かに言った

 

「真田の訓練では、通信機を使うことがないからです」

「えっ? でも、五人乗りなんですよね。車長、砲手、装填手、操縦手で、あとの一人は?」

「副操縦手と機銃の砲手を兼務します。正操縦手のナビゲーターもやりますね。それに、通信機は車長席の後ろにありますから、あえて言うなら、通信手は車長が兼務するんです」

「そ、そうなんだ……」

 

 沙織は、Ⅳ号と同じ通信手席の所に通信機があるものと信じ込み、通信機の使い方ばかりに教本で見ていて、設置場所まで見ていなかった。

 がっくりと肩を落とした沙織だが、彼女を見て加藤が言う。

 

「いえ、だからこそ、これを持っていってもらいたいのです。みほ先生は、この村に住んではいますが、自宅周辺しか知りません。先生の負担を少しでも減らす為と通信機が使えないから、武部さんにお願いするのです。武部さんの担当は通信手なのでしょう」

「そうですけど、どうしてわかるんですか?」

 

 沙織はハンディカムを受け取りながら加藤に尋ねると、彼は笑って答える。

 

「わかりますとも――、戦車の担当を考えた時に、発声練習している人なんて、通信手の人しかいませんよ」

 

 そう言って、加藤はハーフトラックの方を指差して説明する。

 

「このハンディカムは、あのハーフトラックの無線機と繋がるようにしています。ハーフトラックは琴音先生の訓練指導車です。ナナの通信機が使えないのは、元々が真空管式なので、使えてもあまり聞き取れない事と真田流の教えの為です」

「それは、どうしてですか?」

 

 沙織がさらに聞くと、加藤は首を横に振った。

 

「これ以上は言えません。真田の掟に関わりますから……。武部さん、何も聞かずに、このハンディカムを持っていってください」

「……わかりました。預かります」

「みほ先生の事を、宜しくお願いします」

 

 加藤はそう言って、またハーフトラックの所へ戻っていった。

 不思議に思いながら沙織は、手にしたハンディカムを傍に置くと、また雨に向かって発声練習を続ける――。

 

 それからほどなくして、みほと琴音は打ち合わせを終えると、みほが地図を持って、二人は事務所から揃って出てきた。

 四人は、それぞれの準備に集中していて、健介と加藤の二人はハーフトラックの点検に没頭しており、出てきた二人には気付いていない。

 二人は、チャーチルの左側部のところまで来ると、そこでみほが、倉庫いっぱいに響く大きな声でみんなを呼んだ。

 

「皆さん、集合してください!」

 

 その声を聞いた四人と二人――。

 事務所へ続くドアがある壁の角隅で、壁と対面して座っている華は、後ろ姿からでは分からなかったが、沙織から預かった教本を読んだあと、座ったまま、ずっと目を閉じていたのである。

 ゆったりと深く、そして、長い腹式呼吸をしながら華は、神経を集中させていたところで、みほの呼ぶ声を聞いた。彼女は静かに目を開け、小さな声で「……参りましょう」と呟いて左手で教本を取ると、正座を解き、右足の片膝を立て、背筋を伸ばしたまま、すっと立ち上がる。そして、その場でクルリと回れ右をして、二人のところへとゆっくり歩き始めた――。

 優花里は、チャーチルを挟んで、華が座っていた場所と反対側になるハーフトラックの荷台の後ろの所で、床に座り、女座りの体勢から後方へと体をひねって全身をほぐすストレッチ運動をやっていた。

 みほの指示を聞くとストレッチ運動を止め「……了解です! ヨッと!」と小さく掛け声をかけ、女座りの体勢から両腕を振り上げる。その反動を使って、その場にジャンプして立ち上がると、駆け足で二人のところへやってくる――。

 沙織は、チャーチル正面のシャッターの下、外に向かって大声を張り上げていた。

 発声練習を終え早口言葉を叫んでいたが、叫ぶのを止め、足元のハンディカムを肩にかけるとその場で振り向く。すると目の前のチャーチル右側、履帯のそばで無限軌道に顔を近づけ、履帯を覗き込むようにしている麻子を見つけた。沙織は「麻子、行くよ」と言って、麻子のそばに近寄ると彼女は「――あと少しだ」といって、上部の履帯中央の三枚の溝を指でなぞっている。それを終えると、覗き込むのを止め、体を起こして「……待たせた」と言った。沙織と麻子は、一緒にチャーチル前方部分から、みほと琴音のいる左側部側へと回り込む――。

 

 

 最初に二人に近づいてきた華が、みほの前に立つと、「お待たせしましたぁ」と言って優花里が、華の隣に並ぶ。そして、チャーチルの陰から沙織と麻子が現れると、三人は目を丸くして驚いた。

 

「麻子さん! スカートが……」

 

 いきなり短くなった麻子のスカートを見て、みほは驚いて尋ねる。華も優花里も、唖然として麻子を見ている。琴音も同様に、麻子の変身を凝視していた。

 麻子と沙織は、優花里の隣に並びながら、麻子が三人に向かって答える

 

「――気にするな。どうしても、こうする必要があったからだ」

 

 フレアロングスカートをバッサリと切って、黒のフレアミニスカートから伸びる生足がとても白く見える麻子。

 本人は笑って言ったが、隣にいる沙織の真剣な表情を見て、麻子の決意を知り、華と優花里、そしてみほの三人の表情が厳しくなった。

 彼女達三人の、それぞれの気持ちがわかる表情である――。

 

 

 みほと向かい合い、横一列に並んで立つ四人。

 左から、青いブラウスに茶色のキュロットスカート姿の沙織。

 白のブラウスにミニスカートとなった黒のフレアスカート姿の麻子。

 黒のポロシャツに迷彩色のキュロットを履いた優花里。

 ジージャン、ジーパン姿の華。

 そして、彼女達の前に立つ白のプリントトレーナーにタイトなジーパン姿のみほ。

 パンツァージャケットではない私服姿で、初めて戦車に乗り込むあんこうチームである。

 健介と加藤も、ハーフトラックに異状がないことを確かめると、最後に駆け足で近づいてきた。そして、健介は沙織達の後ろに並ぶ。

 加藤は琴音の隣に立ち、二人は後ろ姿のみほを見つめていた。

 

「みんな――。私一人では、きっとどうすることもできなかった……。きっと、一人でオロオロするばかりで、なんにも――。でも……、でもね」

 

 みほは、感情と思いのこもった言葉を一つ一つ繋ぎながら、五人を見ながら話し始めた。

 五人は、みほの言葉を聞きながら、彼女を見つめている。

 そしてみほは、抑えきれない自分の気持ちを五人へと伝えた。

 

「今、みんなが、私の傍にいてくれる。みんなが私と一緒に行ってくれるから。だから、私……、私ね、この作戦を絶対に成功させてみせるから!」

「ええ、そうですとも」

「はい!」

「――任せてくれ」

「みぽりん! 思いっ切り、私達を使っていいからね」

 

 口々に、みほの思いに答える四人と、後ろで黙ったまま、強く大きく頷く健介。

 みほは、五人へ感謝の気持ちを笑顔で返しながら言った。

 

「うん! ありがとう――。頑張ろうね!」

 

 そう言ったみほは、四人の前に、右手の甲を上にして差し出した。すると、沙織、麻子、優花里、華の順に、四人の右手が、みほの手の上に重なっていく――。

 四人の手が重なるのを見たみほは、四人を見渡しながら、もう一度優しく微笑み、そして表情を引き締める――。

 微笑むみほを見た四人も、彼女と同じように、表情が和らいだ後、次の瞬間、凛々しい顔となった。

 みほが手を引っ込めると、全員が自分の手を戻す。そして、みほは「気を付け!」と短く言った。四人と健介が直立するのを確認した彼女は、その場で回れ右をする。彼女の目の前には、六人を見つめる真田琴音と加藤勉が立っている――。

 

「真田先生、加藤先生! 私、西住みほは、武部沙織、冷泉麻子、遠藤優花里、五十鈴華の計五名と共に、先生のチャーチルをお借りし、橋口さんのご家族を迎えに山郷(やまさと)地区へ、只今から出発いたします! 尚、遠藤健介さんが、ハーフトラックで私達に随行いたします」

 

 凛とした声でみほは報告をし、それを言い終えるとその場で二人に対して、サッと敬礼を送る。それを見た五人も同じように、それぞれがその場で敬礼を二人に贈った。

 敬礼を受けた加藤は、その場で静かに答礼をしながら「みほ先生、みなさん。遠藤君。よろしくお願いします」と言った。

 加藤と同じように答礼を返し、直ぐにそれを解き、六人の敬礼が直るのを見た琴音は、何も言わずに下を向いた。

 そして、二秒後――。

 彼女は顔を上げ、みほ達六人の顔を見渡す。その顔は――、あの笑顔を絶やさない優しい園長先生の顔ではなかった。

 日本戦車道の伝統ある流派の一つ『真田流』という流派を率いる宗家『真田琴音』の本当の顔になっていたのである――。

 眉間にしわを寄せ、切れ長の目は厳しい眼光を放ち、威厳に満ちた彼女の表情は、ずっと隠していた真田琴音という人物の本当の顔だった。

 琴音はいつもより低い声で、六人を見つめながら話し始める。

 

「西住――。貴方がチームの指揮を執りなさい!」――「はい!」

 

 みほの名前を初めて呼び捨てにした琴音の声は、圧倒されるような迫力に満ちている。

 みほは、琴音の命令に寸分の遅れもなく力強く返事をする。

 そして、みほに指揮権を与えたあと、彼女は同じように、後ろに並ぶ五人に視線を移して言った。

 

「武部さん、冷泉さん、遠藤さん、五十鈴さん。そして、遠藤君! 西住には、皆さんの助けが必要です。どうか力を貸してあげてください。お願いします」――『はい!』

 

 六人も緊張感あふれる大きな返事を、間髪入れずにそろって琴音へと返す

 一人一人の名前を呼び、それぞれに気合をいれた琴音は、そうしてフゥと息を吐いた。そして、少し穏やかなトーンの口調へと変わり、また六人へ語り始めた。

 

「――本当に、危険をともなう作戦です。これから、皆さんが行こうとする山郷地区へ続く道は、土砂崩れで道が塞がれている。それしか今のところ分かっていません。その先、橋口さんの家までの道のりには、何が起きているのか分からないのです」

 

 そこまで話した琴音は、深く深呼吸し、さらに話し続ける。

 

「――何もなければいいのです。しかし、無茶をやらなければいけない状況が起きる可能性があります。ですが、それを恐れていては、この作戦は成功しません――、勇気をもって立ち向かいなさい。皆さんには戦車道の神様がきっと――。いいえ、必ずや味方になってくれるはずですから」

 

 一人と四人と一人は、じっと琴音の訓示を聞いている。加藤も六人を見つめている。

 話を続ける琴音のトーンは段々と上がってくる。

 

「――他人の為に頑張る『優しい気持ち』と決して切れることのなかった友情という『強い絆』は、行く手を阻もうとするあらゆるものを粉砕し、力強く、皆さんは前進し続けることでしょう」

 

 琴音の表情は険しいが、彼女の訓示には、体全体から力が溢れてくる不思議な言霊があった。そこまで告げた琴音は、一呼吸置き、もう一度、全員の顔を見渡すと、最後に六人へ檄を飛ばした。

 

「最善を尽くしなさい! 皆さんなら、きっとやり遂げられます! 皆さんの幸運と作戦の成功を祈ります!」―『はいっ!』

 

 檄を飛ばした琴音と見つめたままの加藤は、静かに六人に敬礼を贈る。そして、琴音の激励に力強く大きな声で返事をし、答礼を返した六人。

 

「さあ、いこう!」――「みほ先生、待ってください!」

 

 みほの合図で動き出そうとした六人は、呼ばれてシャッターの前に村役場の職員と消防団の人達、そして、村長がいるのに気付いた。

 琴音の訓示を聞いている六人の邪魔にならないよう、村長達はずっとシャッターの所で待っていた。村長は二つの無線機を持っていて、その一つをみほへと差し出した。

 

「みほ先生、これを持って行ってください。いつでも応援に行けるよう準備をしていますから。このスイッチを入れると、通話ができますので」

「それ、私が持つよ。それと、みぽりんのポケットにあるのは地図でしょ。それも貸して。麻子のナビゲーターをやるから」

「うん。沙織さん、お願いします」

 

 右肩にハンディカムを掛けた沙織は、左の肩に無線機をひっかけた後、みほから地図を預かり、それをキュロットの右前ポケットに入れた。

 村長をはじめ、そこに居並ぶ人達から口々に「お願いします」と言われた六人は、改めて責任の重さを感じて、それぞれが小さく頷いている。

 そして、先に健介はハーフトラックの運転席を目指して、倉庫を駆け出す―ー。

 あんこうの五人は、チャーチルの左右側面と正面から戦車へ上ると、それぞれの担当する場所にある各ハッチを開け、チャーチルの内部へともぐりこんだ。

 砲塔内部に、みほと華、優花里の三人。正面から見て車体左の操縦席に麻子、右側の副操縦席に沙織が座る、五人乗りのチャーチルMk.Ⅶの配置になる。

 席に着くと、麻子はハンドルを握り、左右の足はそれぞれクラッチとブレーキペダルに乗せる。沙織は足元の右にハンディカム、左側に無線機を置く。華は照準器を覗き、優花里はシートにおいてあった装填用グローブを両手にはめる。そして、みほは、車長席に置いてあった咽喉インカムを、自分ののどにセットした。

 準備ができた四人は戦車長、西住みほの指示を待った――。

 

「麻子さん。電源を入れて! 各担当、機器の点検作業を開始してください! 大至急です!」

(……きた!)

 

 自分の後ろから聞こえるリーダー、みほの指示に、全員が緊張する。そして、即座に、各席から返事をする。

 

「了解!」=「はい」=「――おう」=「了解であります!」

 

 返事の後、続きざまに、麻子が報告をする。

 

「――電源を入れるぞ」

 

 そして、彼女はすぐに主電源スイッチを押した。そうして五人は、目、耳、手、足を使い、一斉に初めて乗るチャーチル各部の点検作業に入った――。

 

 

 砲塔内部の三人――。

 指示を出したみほは、そのまま立ち上がるとキューポラから身を乗り出す。それと同時に砲塔が右へと回転を始めた。華による砲塔のモーター回転でのチェックが始まったのである。みほは、回る砲塔を外から見て、動きの不自然さがないかをチェックする。回っている間、華は照準器を覗き、右手で旋回スイッチを右に押し続ける。左手は砲俯仰装置を操作し、砲身の仰角を上げ下げし、その動きを照準器を見る事で確かめている。

 回る砲塔の中で、優花里は、砲弾の位置と種類を指差し確認で確認すると、砲弾を砲身に入れた後に蓋をする役目である砲尾栓を操作し、それが正常に動くかを確認する。正常に動くことを見た優花里は、今度はそれを開放状態にし、装填手席の背もたれに掛けてあった手のひらサイズのレーザーポインターとライトが一緒になっているペンライトを持つと、それをライトに切り替え、装填部から砲身の中に向かって照らし、その中を覗き込む。砲身内の異常有無のチェックをする為である。

 九十度砲身が回転したところで、華が「手動旋回のチェックに入ります」とみほに知らせる。みほは即座に「お願いします」と返事をすると、そのまま、華がモータースイッチを止め、手動回転用のハンドルを右へ懸命に回し始めた。

 砲塔の回転速度は遅くなったが、それでも、順調に右へ右へと砲塔は回転する。そして、百八十度の位置に来た後、今度は、砲塔は左回転を起こし、九十度戻った後、また速度が遅い左回転となり、最初の零時の位置に戻っていく――。

 零時の位置に砲身が戻ると、華は振り向き、みほと優花里へと告げる。

 

「砲腔軸線と照準軸線の平行チェックを行います! みほさん、優花里さん、お願いします!」

「わかりました!」――「了解です!」

 

 みほと優花里が即座に返事をして、二人はそれぞれ準備に入った。

 

 

 ◆

 

 

 砲腔軸線と照準軸線の平行チェック――。これは砲手である華の生命線となるチェック作業で、目標となる場所に、照準器レンズの横に引かれている照準軸線を合わせたあと、レーザーポインターを使って、目標点から平行に移動していき、砲身の砲口を通して、レーザーが砲尾の後ろ、薬莢受けに書いてあるターゲットのど真ん中に当たることを確認し、照準器と砲身が一致しているという事を確認する作業の事で、砲手の着弾修正の命となるチェックである。通常、整備士が専用器具を使って行うが、これから行う作業は、緊急時に、あんこうチームが行うオリジナルチェック方法である。

 

 

 ◆

 

  

 照準器を覗く華は、覗いたまま二人に報告する

 

「優花里さん。仰角は現在±0です。目標は正面の壁にある、大型ブレーカーの取っ手の上部が中心線に見えます」――「了解!」

 

 華の報告に返事をした優花里は、手にしていたペンライトをレーザーポイントに切り替え、それを薬莢受けに書いてあるターゲットの中心に置き、砲身を通して外へとレーザーを飛ばす。みほは、再びキューポラから身を乗り出し、赤いレーザーが目視でブレーカーの取っ手上部の右50cm辺りの何もない壁へ当たっているが見えた。

 すると、砲塔内から華の報告が、みほに聞こえる。

 

「チェック完了。砲腔軸線と照準軸線の平行を確認致しました」

「了解です」――「了解であります」

 

 華の報告に即座に返事をする、みほと優花里。

 砲塔内で、みほ、華、優花里の三人が協力しながら、チャーチルの攻撃装備をチェックしていく――。

 

 

 

 車体の左右に座る沙織と麻子も、同様にチェックを行っている――。

 沙織は、預かった通信機二つの内、まず、加藤から預かったハンディカムのスイッチを入れ、送受話器を左手に持ち、耳に当てると、送話口に向かって話し始めた。

 

「テスト通信、テスト通信中! こちら、あんこう、武部沙織です。健介さん、聞こえますか? どうぞ」

「――ガッ……、はい! こちら、遠藤健介。よく聞こえます。感度良好です。どうぞ、――ガッ……」

「はい、こちら、武部沙織。往信確認。こちらも、感度良好です。テスト通信終わります!」

 

 健介との通信チェックを終えた沙織は、送受話器を元の位置に戻すと、今度は、村長達から預かった無線機のスイッチを入れる。送話器はハム無線に使われる四角い送話器で、送話器右のボタンを押しながら話すタイプである。受話器は無線機本体のスピーカーから聞こえるようになっている。

 

「テスト通信、テスト通信中! こちら、あんこう、武部沙織です。えっ、ええっと……」

 

 沙織は、そこで、相手が誰なのか聞いていない事に気付いた。一瞬、口ごもった彼女だが、機転を利かせ、直ぐに相手を呼ぶ。

 

「――さっき無線機をくれたロマンスグレーの素敵なおじ様! 聞こえますかぁ? どうぞ」

「――ガッ……。はい、私は、この村の村長です。武部さんですか? よく聞こえます。――ガッ……」

「了解! こちらもよく聞こえます。村長さんですか? これからは『村長さん』で通信しますから、宜しくお願いします。どうぞ」

「――ガッ……。わかりました」

「テスト通信、終わります!」

 

 沙織はマイクをもとに戻すと、左前ポケットからスマホを取り出し、GPSを起動させる。それを起動させると今度は右前ポケットに入れた地図を広げ、その縮尺サイズとGPSの縮尺を合わせる。合わせたあと、沙織は地図をもう一度よく見る。道をなぞる様に引かれた赤い線と、途中途中にある楕円形の大きな丸を彼女は見ていた。現在位置に一番近い場所の丸に『土砂崩れ』と書き込まれている。赤い線に沿って、途中途中で三か所の楕円があった。その赤い線を目で追いながら、沙織は最後の場所に行きつく。

 

(この丸の部分が、問題のある個所ね……。あっ、こんな場所に……。だから、みんな心配しているんだ)

 

 赤い線は目的の家らしき場所の小さな赤丸にぶつかるが、そのすぐ裏山らしき場所に楕円形の丸が引かれていたのである。

 沙織はGPSで反応している点の位置と、今見ている地図の位置を確認すると、熱心に地図の方を見続けている。

 麻子は――、主電源を入れた後、精力的に動き続ける。

 ハンドルを握ったまま、周りに配置された計器類を一つ一つ確かめている。そうして彼女は、ヘッドライトのスイッチを入れた。

 

「覚悟はしていたが……、見づらいどころじゃないな。フェンダーの間の部分しか見えないとは――」

 

 クルッペからシャッターの外、駐車場に向けて放たれるヘッドライトの灯りを見て、麻子は呟くと(――沙織に助けてもらうしかない)と思い、隣の沙織に声をかける。

 

「――沙織。聞こえるか」

「うん、なあに?」

 

 地図を見ていた沙織は、横の麻子が呼んでいるのに気付き、返事をする。

 

「――さっき、ナビゲーターをやるって、言っていたな」

「うん、加藤さんから教えてもらったの。私の役割は、副操縦手と鉄砲を撃つことだって」

「さっそく頼む――。そっちから前は見えるか?」

「ええっ? ちょっと待って」

 

 沙織は、機銃横にある小さな窓から外を見て驚いた。

 

「なによ、これ。フェンダーが邪魔して、横が全然見えないじゃん」

「――そうか、そちらも、前だけしか見えないんだな」

「じゃあ、麻子の方も前しか見えないんだね」

「ああ、そうだ――。沙織、手伝ってくれるか」

「うん、もちろんよ。地図とナビを準備しているからね、麻子は安心して運転していいよ」

「わかった――。頼む」

 

 沙織の「安心して運転していいよ」の返事に、麻子は少し笑った。

 そして、一通り計器類のチェックを終えると、みほに次の作業を連絡をする。

 

「隊長――。エンジンを始動する。暖機運転と各メーター類のチェック作業に入る」

「お願いします!」

 

 みほの許可をもらった麻子は、チャーチルの燃料ポンプを開放し、エンジンチョークを引き、エンジンの燃焼室(シリンダー)へ空気を目いっぱい入れると、セルフスタータースイッチを押す。

「ボムッ!」と一瞬の小さな爆発音の後、排気口から真っ黒な排気ガスを噴き出すと、チャーチルの心臓である『べドフォードツインシックス・ガソリンエンジン』が、力強くアイドリング状態で動き始めた。

 だが、エンジンはまだ冷えているので回転が安定せず、車内も上下に小刻みに振動する――。

 乱高下するエンジン音とともに、タコメーターの針も、回転計の中を上がったり下がったりしている。しばらくは、その状態が続いたが、やがて、エンジンも温まり、タコメーターの針もブレが小さくなってきた。麻子はメーターを見ながら、徐々にチョークを戻すと、エンジン音が下がり、針も徐々に下がっていく。そうして、彼女が完全にチョークを戻すと、エンジンは安定したアイドリング状態になった。

 そうして、彼女はクラッチを切ったまま 二度三度とアクセルを吹かし、回転計と圧力計の数値を見ている。その針の上がり具合に満足したのか「――いい反応だ」と呟いた。

 そのあと、左手でハンドルを握りながら、右手で変速ギアを掴み、そのギアをロー、セカンド、サード、そして、トップへと順に動かす。その感覚を覚えると、今度はギアをニュートラルの位置に戻し、バックの位置に入れる。何回か一通り動かした彼女は、ギアをニュートラルの位置に戻した。

 そこで、みほから命令が来た――。

 

「状況報告をお願いします! 沙織さん!」

「通信機器異状なし。どちらとも感度良好よ。地図とナビのリンク設定も異状なし」

 

 沙織は、視線を右、左、そして両手へと移しながら答える。

 

「麻子さん!」

「――エンジン異状なし。各メーターも正常に動いている。前照灯も異状なし。ただ一つ、前が見づらいんだ。だが、それも沙織がフォローすると言ってくれているから、問題ないだろう」

 

 麻子は、ハンドルをしっかりと握り直し、メーター類を見渡しながら答える。

 

「了解しました! 華さん!」

「砲塔自動回転及び手動回転、異状ありません。照準器の誤差もありませんわ」

 

 華は、照準器を覗きながら、そこに映る全てのものを見ながら答える。

 

「優花里さん!」

「徹甲弾三発、榴弾五発、本数確認。砲尾栓の作動正常。砲身内にも異常はありません!」

 

 

 戦車内で、みほの参謀役を務める優花里は、視線を砲弾ホルダー、砲尾栓、砲尾と順に移し、みほの方を見て、各人の報告を締めた。

 

「――以上! 西住殿、チャーチルの出発準備は全て完了しました!」

 

 ここまで、五人がチャーチルに乗り込んでから、三分八秒。

 みほは、短時間ですべてのチェックを終えた親友達の実力に、信頼の気持ちをより一層強く感じていた。

 

「はい、ありがとうございます――。各ハッチの防水チェックをお願いします!」――『了解』

 

 みほはそう指示すると、自分はキューポラから体を出した。

 彼女の右の眼下に琴音と加藤。その後ろには、村長達の姿が見える。琴音以外は不安そうな顔でみほの顔を見ていた。

 見られているみほは――、見上げる人々の顔を見て、首をかしげると、にっこりと優しく微笑んだ。

 そして――、彼女は琴音を見る。

 琴音はじっとみほを見つめながら、その唇は「気をつけるのよ」と動いていく。しかし、それは言葉にはなっておらず、見つめるみほだけが、彼女の唇の動きが読めた。

 琴音の気持ちを受け取ったみほは、彼女を見ながらゆっくり、大きく頷く――。

 みほが見送る人々へと贈った笑顔と一連の仕草は、彼女を見ている者全てに『希望』という二文字を与えたのである。

 みほは、視線を戻し正面を見据えた。シャッター前方に伸びるヘッドライトの灯りの先に視線を向け、高らかに号令を出した。

 

「それでは――、あんこうチーム、出発します! パンツァー・フォー!」

 

 みほの「戦車、前進!」のコールが、水銀灯が照らす倉庫内一杯に響き渡る。

 そして――。

 号令直後、一度、小さく上下にバウンドしたチャーチルは、低いアイドリングのエンジン音を、高く力強い音に変えたあと、その黒い巨体をゆっくりと動かし始めた。

 倉庫の床を無限軌道が噛み、ガリッガリッという独特な音を上げながら、戦車は前進する。見上げる琴音達の目の前、砲塔側部に書かれた大きな『真』の白い文字が、左から右へとゆっくりと動いていく――。

 正面を見ていたみほは、シャッターを抜ける直前に、キューポラから体を沈め、そのハッチを閉める。そうして無数の雨粒を鋼鉄のボディーが弾きながら、漆黒のチャーチルがゆっくりと倉庫を出ると、それにぴったりと背後に付き、まるで親犬を追いかける子犬のように、健介の運転するハーフトラックが、チャーチルを追って倉庫を出て行く――。

 

 二輌を見送る琴音と加藤、そして、村長達の(どうか、無事で……)という祈りを込めた視線を車体後部に受けながら、チャーチルMk.Ⅶ歩兵戦車、「ナナ」と呼ばれる戦車とハーフトラックの二輌は、山郷地区を目指して、大雨の中、県道へと出て行った。

 

 


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