ガールズ&パンツァー  五人の女神と魔神戦車   作:熊さん

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第38話  教えを伝えてきた戦車

 

 

 母屋からコの字廊下を通り、保育所の廊下に戻った五人は、そこで琴音の姿を探す。

 その琴音は、大部屋の玄関側の入口となる廊下で、加藤と健介、それに山中の三人と何やら相談をしていた。

 聡子はというと、琴音らに説得されたのだろう。四人の近く、大部屋の入口付近で避難してきた人達の中に座り込んで、心ここに在らずといった表情で、虚ろな目をしていた。

 五人は、全員がその場で顔を見合わせて同時に頷くと、みほが先頭となって廊下を進み、話し込んでいる琴音の後ろから、彼女のそばへと歩み寄った。

 

「――ん? どうかしたの?」

 

 琴音は、背後に近寄ってきたみほの気配に気付き、顔だけ振り向いて、彼女に声をかける。しかし、彼女の後ろに四人が揃っており、真剣な五人の表情を見て、何かを感じたのか、表情が険しくなり、すぐに顔だけでなく体全体を彼女達に向ける。

 加藤達も同じように五人のただならぬ表情に、彼女達を見ている。

 みほは、琴音の顔を真っ直ぐに見ながら言った。

 

「琴音先生。――私達が由美子ちゃん達を迎えに行きます。先生の戦車はどこにあるのでしょうか? 私達に琴音先生の戦車を貸してください」

「……私の戦車?」

「はい、戦車なら、土砂崩れなど問題ではありません。どんな道でも進めますから」

「そうだけど――。でも……、戦車に三人を乗せることはできないわよ」

「それは、私達が戦車で由美ちゃんの家までの道を作っていきます。三人を乗せる四輪駆動の車で、誰か、私達の後ろを付いてきてください。無理な場合は、その車をワイヤーで引っ張っていきますから」

「……」

 

 琴音は、何も言わずに五人の表情を見る。

 決意に満ちたみほ達、五人の表情は、どんなに説得しても揺るがないという強い覚悟に満ちていた。

 

「先生! 急がないと。お願いです! 戦車を……、先生の戦車を、私達に貸してください!」

 

 みほの嘆願に、後ろにいる他の四人も、口々に「貸してください」と言う。

 琴音は返事ができないまま、じっと五人を見つめていた。

 すると、琴音の傍らに立って話を聞いていた加藤が、琴音を見て、落ち着いた低い声で告げる。

 

「先生――。 今は、みほ先生の言う方法しかないでしょう。先生が心配されるのも分かります。もうずいぶん動かしていませんから……。ですが、大丈夫です」

 

 加藤はそう言うと、体全体を琴音の方へ向け、下士官が上官へ報告するように、背筋を伸ばして言った

 

「『ナナ』の整備は万全です。いつでも走れる状態にしております」

「えっ? 加藤さん――、どうして?」

 

 琴音に問い返された加藤は、穏やかな声に変わり、彼女の問いに答える。

 

「私は――、いつかまた『ナナ』を動かす日がくると思い、時間を見つけてはナナの整備とエンジンの改良をしておりました。無断でナナに触れたことをお許しください。そして、このことを、ずっと黙っておりまして申し訳ありません」

「加藤さん――」

「先生。みほ先生が言うように、事は一刻を争います。ただ――、茜さんの訓練が終わってから、砲弾の補充をしていませんので、砲弾は、徹甲弾が三発、榴弾が五発しかありません。動かすのは問題ないとは思いますが、何か予期せぬ事が起こった時に、砲弾がこれだけで足りるかどうかが問題です。これもふまえてご決断ください」

 

 加藤の話を聞いた華と優花里は即座に、そして、二人同時に言った

 

「それだけあれば、大丈夫ですわ」

「大丈夫であります!」

 

 琴音は加藤の顔を見た後、みほ達五人の顔を見る――。

 そして、彼女は決断した。

 

「そうですね。皆さんの言う方法しかないでしょう。わかりました――。あんこうの皆さんに、先導をお願いしましょう。私がハーフトラックを運転します」

「いいえ、真田先生、自分がトラックを運転します」

 

 すると今度は、健介が琴音に言う。

 

「向こうに着いたら、私が三人を抱っこしてハーフトラックに乗せます。特にお婆さんがいる訳ですから、男の私が先生の代わりに行きます」

「遠藤君――。頼めるか?」

「もちろんです。加藤隊長」

 

 健介の返事を聞いた琴音は、事の成り行きを見ていた山中に指示を出す。

 

「山中さん、すぐに村役場へ行って、村長さんに、みほ先生達が、ナナで迎えに行くことを伝えてください。そして、万が一の為に、みほ先生達に、万全の態勢で協力してくれるようにお願いしてください」

「はい、すぐに行ってきます!」

 

 山中は、急いで長靴を履き、飛び出すようにして玄関を出ると、乗ってきた軽トラに乗って保育所を後にした。

 すると、大部屋の中から、大きな声で「先生! 待ってぇ、待ってください!」と琴音を呼ぶ声がした。

 

「先生! お婆ちゃん達の迎えに行くのですか?」

 

 呼びかけられた琴音達は、声がした方を見ると、聡子が避難している人々をぬいながら進んでくる。

 琴音の所に来た聡子の顔は、焦りと疲れが混じり合った、見るからに辛そうな顔をしていた。

 

「ええ、みほ先生達が行ってくれます」

「私も連れて行ってください」

「それはできません。危なすぎます」

「お願いします。ここで待っているなんて、私には無理です」

 

 聡子はそう言うと、もう身支度を始めた。

 すると、琴音が聡子を優しく制する。

 

「橋口さん、ここは、私達に任せてください。それに、厳しいようですが、何かあった時、聡子さんがいては、邪魔になる時があるかもしれません」

「そ、そうですね。そうかも……、知れません」

「みほ先生の事、お婆ちゃんから聞いているのでしょう。大丈夫ですよ。みほ先生なら、三人を必ず連れて帰ってきますから」

「はい。わかりました。みほ先生、どうか、どうか宜しくお願いします」

 

 聡子の思いを受け取ったみほは「はい」と短く、強く返事する。

 それを聞いた琴音は、コクッと頷き、目の前にいる七名に向かって指示を出す。

 

「みほ先生、貴方が言われる通り、時間がありません。すぐに出発しましょう」

「遠藤君、レンタカーを貸してくれ」

「はい。自分が運転します」

 

 健介も返事をすると、心配そうな顔で娘のみほが、近づいてきた。

 

「パパとママ、行っちゃうの?」

「大丈夫だよ、心配しなくていい。お前は、お友達と一緒に遊んでいなさい」

「う……ん。みほ、おりこうさんにして、待ってるから」

「ああ――」

 

 健介は、寂しそうに返事をするみほの頭を、大きな手で撫でてやる。みほは俯いたまま、小さく頷くと、園児達が集まっている輪の中に戻っていった。

 

「加藤隊長、道案内をお願いします」

「わかった。先に車に乗っていてくれ。私は先生を連れていくから」

 

 五人と、健介は先にレンタカーに乗り込み、健介はエンジンを掛けて待つ。

 逆に琴音と加藤は、二人で母屋へと戻ると座敷に向かった。

 二人は、琴音の座椅子の裏に下げてある、あの屏風の前に並んで立つ。

 

『真田流精神の唱和! 戦車は群れる羊に非ず、独り立つ獅子なり』

 

 二人は声を合わせて斉唱した後、一礼して、琴音が屏風を裏返しに捲る。

 屏風の中央付近の所に小さなポケットがつけてあり、そこに手を入れた琴音の手には、一つの小さな鍵が握られていた。

 

「さあ、加藤さん、急ぎましょう」

 

 琴音が促すと、頷いた加藤が先に母屋の玄関から出ると、軽トラに乗り、それを玄関先に着ける。

 琴音がそれに乗り込むと、軽トラは一本道を走りだし、待機していたみほ達が乗るレンタカーが、その後に続いた。

 二台は――、一キロほど離れた村役場の方へと向かう。

 村役場の前を通り過ぎ、いくつかの角を曲がり、村役場前から五分ほど走った、田んぼの真ん中にある古ぼけたライスセンター跡についた。

 軽トラから降りた二人。そして、並ぶように駐車したレンタカーから、六人が降りてくる。

 

「ここに?」

「そうよ。隣の事務所側から中には入れるけど、この鍵がないと、この大きな正面シャッターが開かないのよ」

 

 琴音がそういって鍵を加藤へと渡す。受け取った加藤は、シャッター横に備え付けられたカバー付きの電動シャッターのカバーを外す。そこには、鍵穴と、上下に並んだ四角いボタンが二つあった。

 鍵穴に鍵を差し込んだ加藤は、それを左に九十度回す。すると、ボタンの上が青、下が赤く点灯した。

 上の青いボタンを加藤が押すと、ガチャンという音が聞こえ、ガラガラという巻取り音と共に、目の前のシャッターが上へと上がり始めた。

 加藤は、上がり始めるの確認すると、隣の事務所のような小さな建物の鍵を開け、中に入る。そして先に倉庫内へと入り、水銀灯をつけた。

 上がり続けるシャッターの下の部分が一気に明るくなり、シャッターはその明るい部分の面積を広くしていく。

 シャッターが全部巻き上げられ、煌々と明るい室内の中に、右側にボンネットトラックのような前部分と無限軌道を後輪とした半装軌車で、民間使用に改装されたアメリカの元M3兵員輸送車があり、左側に威風堂々たる戦車が一輌、みほ達の前に姿を現した。

 

「これが……、真田流の――、琴音先生の戦車なんだ……」

「チャーチルMk.Ⅶ(マークセブン)歩兵戦車です。ダージリン殿が乗っていた、聖グロリアーナの元隊長車……ですね」

「――私達がどうしても破れなかった戦車だ」

「ダージリンさん達が卒業してから会えなくなった戦車だね。ほんと硬かったよねぇ」

「はい、どうしても抜けませんでした――。思い出すと悔しさがこみあげますわ」

 

 あんこうチームの面々は、目の前の戦車を見て、唯一負け越したまま終わってしまった自分達の天敵だった戦車を思い出した。

 堂々とそこに留まっているチャーチルMk.Ⅶは、漆黒というにふさわしいほどの真っ黒の車体で、その特徴的な極端に前面と後面に張り出した履帯カバーと、車体中央にバランスよく配置されたほぼ正方形の砲塔が印象的な戦車である。砲塔は同盟国だったアメリカの戦車、シャーマンの75mm砲弾を撃てるように、それまでのQF6ポンド砲を改造したQF75mm砲を搭載してある。漆黒の車体の側部と目の前の車体カバーに『真』という一文字が楷書体の白いペンキで書かれており、その文字がとても美しく綺麗だった。

 ゆっくりと戦車に近づく琴音の表情は、微笑みに満ちている

 

「真田流に関わる者は、このチャーチルの事を『ナナ』と呼んでいます。お母様の頃まで他にも戦車をあったのですが、いろいろな理由で手放すことになって、今では、このナナしかありません――」

 

 チャーチルの履帯カバーを撫でながら、琴音は話を続ける。

 

「ナナは……、真田流を起こした雪音先生と共に試合を戦った真田家の誇りです。真田流という流派は、雪音先生がその精神と考えを起こし、それを――、このナナが一族に伝えてきた流派なのです」

 

 琴音にとって思い出深い戦車なのだろう。

 琴音は、健介が先ほど娘に対してやった、かわいい我が子をなだめるように、真っ黒な車体を優しく撫でている

 

「ナナ……、久しぶりね。貴方の力が必要なの。頑張ってもらうわよ――」

 

 チャーチルに語り掛けた琴音は、サッと振り返ると、そこに立っている七人に、短く指示を出す。

 

「さあ、急いで準備しましょう」―『はい!』

 

 琴音の指示を聞いた七人は、それぞれが一斉に動き出した――。

 あんこうの五人と琴音は、車体後部へと駆け足で回る。優花里がエンジンルーム上に、飛び乗り、手際よく給油キャップを外す。その間、琴音にガソリンのある場所を尋ねた四人はチャーチルの真後ろの壁にあるコックの元へ走り、その下に積んであったホースを、四人が協力して伸ばしてくる。華と沙織がホースの先を優花里に渡して、優花里はそれを給油口に入れると、続いてエンジンカバーに上ってきた華に「お願いします」と言って、その作業を引き渡す。華は「わかりました」と言って、ホースの先を持つと、壁際の赤いコック前に待機しているみほへと視線を移し、右手を上げ合図を出す。それを見たみほがコックをひねると、給油タンクへと燃料が流れ込んでいく。華は、タンクへ流れ込む音を聞きながら「どうぞ、お腹いっぱい食べてくださいね」と呟いた。

 その間、麻子と優花里、沙織の三人は、優花里を中心にして初めて触るチャーチルの始業点検を手分けして始めている――。

 

 始業点検、戦車整備、戦車の輸送など、戦車の運用に関わる事は、前大戦まで全て男性が行っていた作業である。だが、戦車道では、試合だけでなく、それらも含めて、作業全てを女性が行う。戦車道に関わる者は、よほどの理由がない限り、自分達が使用する現役の戦車に、男性が触れることを極端に嫌う。厳格な指導者の中には、現役、廃棄を問わず、戦車に男性が近づくことさえ禁じている者さえいるのである。

 戦車道が『女性だけの武道』と呼ばれる由縁である。

 みほ達も愛機だったⅣ号の整備や改造も自分達でやってきた。修理や専門的な整備は、レオポンチームという類い稀な才能を持った女性整備士集団が行っていた。

 健介でさえ、戦車道の指導者である優花里の許可がないと、退役したⅣ号の整備ができない。

 先ほど、加藤が「勝手にナナに触れてしまった事をお許しください」と詫びた理由もここにある――。

 

 燃料を入れ終わったみほと華の二人は、別々の行動をとる。みほは琴音と共に事務所へと向かい、華は沙織達と共に、車体の点検に加わった。

 

 

 加藤と健介はというと、琴音の指示の後、チャーチルの隣に停車している、元はM3兵員輸送車だったハーフトラックへと走る――。

 装甲を取り払い、昔のボンネットトラックみたいな車体前部と無限軌道の後輪が付いた荷台を乗せた車体後部。民間仕様に改造を施されているハーフトラックの荷台へと二人は飛び乗った。そこにはホロシートがきれいに折りたたんで置いてあった、それを二人で一気に広げると、今度はそれを荷台の屋根部分へと広げていく。広げ終わると、それをロープで固定し、二人は簡易の屋根を作り上げる――。

 

 

 琴音と一緒に事務所へと向かったみほは、倉庫と繋がっている事務所に入る。

 事務机一つと書類棚が二つだけの寂しい事務所だった。琴音は、真っ直ぐに壁に設置されている書類棚へと向かうと、そこから折りたたまれた地図を取り出して事務机に広げる。

 そこへ、麻子が沙織と共に入ってきた――。

 麻子は、地図を事務机に乗せようとしている琴音に向かって尋ねる。

 

「――先生。チャーチルの取説とか教本はないのでしょうか?」

「ありますよ。えっと……。これだわ。はい」

「――ありがとうございます」

 

 地図を机に乗せた後、再び書類棚を見て、そこからチャーチルの仕様書と教本を探し出した琴音は、それらを麻子に渡す。お礼を言って倉庫に戻る麻子と沙織を見ながら、彼女はみほに聞いた。

 

「教本って――。冷泉さんはチャーチルに乗ったことはないの?」

「はい――。麻子さんだけでなく、私達全員、チャーチルに乗ったことはありません」

「それって……。みほ先生は大丈夫でしょうけど――」

 

 琴音の不安そうな顔と言葉に、みほはきっぱりと言い切った。

 

「いいえ、心配はいりません。チャーチルは操縦しやすい戦車ですし、麻子さんは、教本を一回読めば操縦の仕方は理解します。しばらく乗っていれば、その戦車の癖さえ理解する人なんです」

「そんな人なの」

「はい。麻子さんだけでなく、他のみんなも『戦車乗り』としてのそれぞれの技術を、私はとても信頼していますから。それより、この地図は由美ちゃんの家の周辺の地図ですね」

「そうよ――。今からペンで土砂崩れの場所と、その先の危ないと思われる所を書くわ。あのあたりの場所は、茜の訓練に使っていた山岳地帯なの。よく覚えておいて。この地図は持って行っていいから」

 

 琴音はそういうと、胸ポケットに入れていた二色ボールペンの赤の方を出し、地図の上から、大きな楕円の丸を書き始めた――。

 

 

 事務所を出た麻子は、渡された教本をペラペラとめくり、そこに書かれてある内容を斜め読みしながら頭の中に入れていく。麻子はそこに書かれてある内容を、瞬時にイメージに変換し、それを記憶していた。読み終わると、それを隣の沙織へと渡して、今度は仕様書を読み始める。

 麻子は仕様書の中にある諸元表から、順に戦車の情報を頭に入れていく。

 

(――チャーチルMk.Ⅶ、A22F型歩兵戦車か……。全長7m44cm、全幅2m74cm、全高が――3m25cmか……。幅がⅣ号より短く、長さと高さが大きい。重量はさすがに重いな。約40トンか、Ⅳ号が25トンだから、1.6倍もある。エンジンの馬力は350馬力……。Ⅳ号より50馬力だけ高い。しかし、戦車道に使う戦車だ。前大戦のデータとは全く違う。それに戦車は馬力だけでは比較できないし、加藤さんがさっき、エンジンを改良したと言っていたから、エンジンについては諸元表通りではないだろう。操縦は、前進4段に後進1段のハンドル式か……。超信地旋回もできるんだ。それとチャーチルの最大の特徴は……、確か、昔、優花里が説明していたな。何だった? 思い出せ……、そうだ。戦車が乗り越えられる段差を超堤能力。渡り切れる幅の事を超壕能力と言った。特に超堤能力に優れている戦車だと言っていた。それについては書いてあるか?)

 

 麻子は、山崩れの場所をどう進むか自分なりに考え、その答えを諸元表の中から探そうとページをめくる。

 

(――あったぞ、これだ。超堤能力が120cm。超壕能力が370cmだ。全長と全高の半分の長さの段差を乗り越えたり、渡ったりできるのか……。これなら普通の戦車とさほど差はないが……)

 

 そこで、麻子は優花里のさらなる説明を思い出した。

 

(いや、違う。優花里は、別の説明をしたぞ……。確か、二つあった……)

 

 そうして、戦車の車体立体図を見た麻子は、記憶の中から、大洗の制服姿の優花里が、作戦会議の時に黒板に貼り付けたチャーチルの絵を、指示棒を使って説明する姿を思い出した。

 

(――そうだ! これだ、この機動輪の位置が他の戦車より高い事と、地面に接地している履帯の長さ全体がとても長いから、超堤能力が優れているのだと言っていた。……確かにそうだ、この高さと長さなら、少しでも斜面になっていれば、急坂であってもよじ登っていける戦車なんだ……。思い出した――。あの時、ゴルフ場のバンカーから這い上がってきたダージリンさんのチャーチルは、あの段差をものともせずに、なんなく現れたからな……。つまり、大戦の頃は、速度は人間並みに遅いが、戦場での障害物を超えていく、悪路や山岳での走破能力に長けている戦車ということか……。きっと歩兵を助け、荒れた戦場の障害物を薙ぎ払いながら進んでいったんだろう。歩兵戦車と呼ばれていたわけだ)

 

 麻子は、仕様書と昔、優花里が説明した事柄で思い出した特徴を、戦車の情報として記憶する。

 記憶していく麻子の隣で、沙織は仕様書の中から通信機の項目を探し、そこを食い入るように見ている――。

 それぞれが本を読みながら、チャーチルに近づく二人。

 麻子は、チャーチルの車体に、沙織の手を借りて上ると、操縦席上の防護ハッチを開け、操縦席の様子を覗き込む。そして、シートに座り、目の前の場所に教本を置くと、ハンドルの大きさ、シフトレバーまでの距離、アクセルやブレーキ、クラッチの場所、油圧計、速度計の位置など様々な場所を、教本と照らし合わせながら体全体を使って確認している。 

 

「麻子ぉ?」

「――ああ、大丈夫だ。全て理解したぞ。一つ問題があったが、これは直ぐに解決できる」

 

 沙織の呼びかけに麻子は、教本を持ってハッチから出てきながら、彼女に答えた。

 チャーチルから降りた二人。

 麻子は、持っていた教本を沙織に渡すと、彼女に言った。

 

「――沙織、これを華に渡してくれ」

「うん」

 

 教本を受け取った沙織は、それをもって、倉庫の隅にいた華に向かって駆け出した。麻子はというと、キョロキョロと辺りを見渡す。何かを探している様子である。

 

「――あれでいいか」

 

 麻子はそう言って、倉庫の壁に向かって歩いていくと、そこに掛けてあった鎌に手を伸ばす。

 手に取った鎌を麻子は、自分が履いているスカートの中心、膝上の所に当てると、鎌を使って、思い切り引っ張った。ビリビリという音を立てて、履いていたロングスカートが、ミニスカートに変わっていく。

 華に教本を渡した沙織が、麻子の所へ戻ってこようとしている時に、この麻子の行動に驚き、慌てて麻子のそばにやってきた。

 

「何してるのよ、そのスカート、麻子はお気に入りだって言ってたじゃん」

「――このスカートを履いたままだと、操縦がしにくいんだ。こうすれば問題なくなる」

「それでも、高かったって、言っていたでしょ」

「――沙織」

 

 スカートの切れ端を部屋の隅に捨てた麻子は、鎌を元の場所に戻し、沙織の名を呼びながら彼女の方へ近づいてくる。

 

「――スカートは同じものを探し、お金を出せば取り戻せる。どんなに高いスカートだって、ローンを組んで取り戻せることはできるんだ。――だが、人の命は、どんなにお金を積んでも、失えば取り戻せない。それが寿命ならば諦めもつく。しかし、それ以外で無くすとなったら、一緒にいた人間がどれほどつらいものか。私はそれを嫌と言うほど知っているつもりだ」

「麻子……」

「――聡子さん……だったか。あの人の気持ちはよくわかる。自分の家族が危ないという事を知れば、私だって『危ないから』と言われても止まらないだろう、どんな手を使ってでも家族の元へ行こうとするだろうからな」

 

 麻子の両親、お婆の事をチームの中で一番知っている沙織は、麻子の今の気持ちがよくわかって、それ以上何も言えなくなった。

 幼馴染の沙織と麻子。

 二人だからこそ、お互いの気持ちもよく知り得る仲だった。

 麻子は、この作戦に対する自分の覚悟を、沙織に語る。

 

「――隊長の指示を瞬時に表現する為には、このスカートを履いていては、対応が遅れるんだ。それは仲間全員を危ない目に晒すことにもなりかねない。戦車を動かす役目の私が、そういう事態を起こす事は、絶対に許されないんだ」

 

 沙織は、麻子の決意を聞いて、逆に訊ね返した。

 

「麻子ぉ――、私にも……、何かできるかな? 何ができるかなぁ?」

「沙織――。お前は、隊長の……、あんこうチームの通信手だ。お前しかできない役目なんだぞ。しっかりしろ。それに今日は、チームとしてもう一輌、あのハーフトラックが後をついてくる。隊長の指示を健介さんに伝え、向こうからの連絡を隊長に伝える大切な仕事が付いて回る。それは、沙織――。お前の役目だし、お前がやる仕事だ」

 

 麻子から気合を入れられた沙織は、自分の仕事の重要さを再確認したようだ。

 麻子の目を見て、力強く返事をする。

 

「そうね、そうよね――。わかったよ、麻子。私、頑張るよ」

「そうだ――。ところで、華と優花里はどこだ?」

「華はあそこ。ゆかりんはね……、あっ、あっちだよ」

 

 沙織が指さした先の一方には、華が何もない灰色の壁に向かって、正座で座っている。

 彼女の素敵な長い黒髪は、女性がお風呂に入る時にまとめる様なお団子結びのようにまとめ上げられてあって、その背筋は真っ直ぐに伸び、少しも動かない。彼女の後ろ姿は、誰も寄せ付けないオーラを出していた――。

 もう一方では、優花里が開脚開きで地面に座り、自分の左右のつま先を、右手と左手の先で交互に触っている。小さな声で「イチ、ニ、サン、シ」と彼女は数を数えていた――。

 

「――華の独特の精神集中法と優花里はストレッチを始めたか……」

「さあ、麻子。私達も始めよっか」

「――ああ、始めよう」

 

 麻子と沙織はそう言って別れると、麻子はチャーチルの履帯の溝を、さらに丹念に調べ始めた。おそらく履帯の状態を調べているのだろう。

 沙織は、シャッターの下に来ると、雨が降る外に向かって、大声で発声練習を始めた。

 

「あ、え、い、う、え、お、あ、お。か、け、き、く、け、こ――」

 

 地面に跳ね返る雨の音に負けないくらいの大声を、降り続く空にむかって、沙織は張り上げている――。

 琴音とみほは、事務所の電灯の下、地図を中心にして、情報を与え、それを確認している――。

 

 

 時間は、みほ達一行がここに到着して、十五分と経っていない。皆、それぞれの場所で、自分にできる準備を最短の時間でやっている――。

 

 


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