ガールズ&パンツァー  五人の女神と魔神戦車   作:熊さん

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第32話  天才という称号

 

 翔子は、三階、四階へとあがる階段を、息を切らせながら、二段ずつ飛ばして駆け上がっていく。そして、五階の階段踊り場に到着すると、踊り場正面から左右へと延びる廊下につながっている内壁に左手をひっかけて、左へと曲がり、正面の廊下の突き当たり、一番奥の右側にある司令官室へと走っていった。

 司令官室のドアの前に立った彼女は、深呼吸をして、乱れた呼吸を整えると、チラッと腕時計の時間を見た。

 デジタル腕時計の表示は、十一時五十八分。まもなく十二時になろうとしていた――。

 

「それでは、これで失礼します」

「そう。西住司令官、何かあったら、私でよければ、いつでも相談にのるからね」

「――はい」

 

 まほと絵里のお互いに対して挨拶する声が、閉められたドア越しに、翔子に聞こえる。部屋に入る事ができない事がわかっている彼女だったが、逸る気持ちを抑えきれずに、鋭くドアを二回ノックすると、扉を開けて、司令官室内に入った。

 

「失礼します! 入室許可をお願いします!」

「なんだ! 大森! 許可をする前に入ってくるな!」

 

 絵里の怒鳴り声が部屋に響いたが、翔子は入室するなり、目の前の二人に向かって敬礼をすると、すぐにそれを解いて、今度は頭を深々と下げると、またすぐに顔を上げて言った。

 

「申し訳ございません! どんな処罰も受けますので、少しの間で結構です。あそこのバルコニーに行かせてください!」

 

 翔子はバルコニーの入り口を指差し、再び頭を下げる。そうした後、絵里からの返事を聞く前に、顔を上げて「失礼します!」と言った彼女は、バルコニーの方へ足早に向かった。

 ドアの前で退室しようとしていたまほは、自分の目の前の二人のやり取りの様子を無言で見ている。バルコニーに出て、左手に持っていた双眼鏡を覗きこんだ翔子の後ろ姿を目で追っていると、すぐに窓の外から場内アナウンスが、彼女の耳に聞こえてきた

 

『それでは、ただ今から、操縦体験会を開始いたします。今回は一名の参加者がございました。体験される方は、冷泉(れいぜん)さん。初めての参加となります――。いつでもスタートしていいですので、頑張ってください!』

「違う! 冷泉(れいぜん)じゃない! 冷泉(れいぜい)だ! 名前を間違えるんじゃない!」

 

 一人、バルコニーの外で双眼鏡を見ている翔子の猛烈な怒った声が、まほの耳に聞こえた。それを聞いた彼女は「――ちょっと、失礼します」と、絵里に断りを入れると、バルコニーへ出てきて、翔子に近寄っていった。しかし、それに気づかないほど、集中して双眼鏡を覗いている彼女だった。

 まほは、翔子の右隣に立つと、静かに声をかける

 

「大森選手――。さっき『冷泉(れいぜい)だ』と言ったが、もしかして、それは冷泉麻子さんという人だろうか?」

 

 声をかけられ、びっくりした翔子は、双眼鏡を覗くのを止め、即、直立不動となり、まほの方を向くと、彼女の質問に答える。

 

「はい、そうです――。西住司令官殿は、冷泉先輩をご存じなのですか?」

「先輩? そうか、冷泉さんは、大森選手の先輩なのか……。 ああ、ちょっとな――。私も見せてもらおう」

 

 まほはそう言って、バルコニーから司令官室へと戻ると、会議机の上に置いていた、先ほどまで使っていた双眼鏡を持って、翔子の右隣へと戻ってくると、翔子と同じように双眼鏡を目に当てた。

 バルコニーの入口で、まほと翔子の会話を立聞きしていた絵里も、バルコニーへと双眼鏡を持って出てくると、まほの右側に立って、双眼鏡を覗きこんだ。

 コンクリート製の司令官室バルコニーの中央に、向かって左から、絵里、まほ、翔子の順に並ぶと、三人揃って双眼鏡を覗きこみ、今、まさに走り出そうとするテトラーク軽戦車を、双眼鏡のレンズの中央に捉えていた――。

 双眼鏡の中のテトラーク軽戦車は、一度、軽く空吹かしをし、灰色の排気ガスを上げたあと、スタートをすると、スムーズに加速しながら、ダートの直線を軽快に走り始めた。

 テトラークは、直線から第一カーブを曲がると、Wクランクに突入する。その軽戦車の走りを見ながら、一番左にいる絵里が、双眼鏡を覗いたまま、まほへとつぶやいた。

 

「ほほう……。西住司令官。冷泉さんという大森の先輩は――、結構、上手に走りますね」

「……」

 

 絵里の感想に、まほは黙ったままで、双眼鏡を覗き続けている。その代わりに、翔子が、絵里へと答えた。

 

「いいえ――。違います。あれは、先輩ではありません、あれは……、きっと自分です」

「何だ? 大森。自分とは、どういう意味だ!?」

「先輩は――、私と同じルートで、私の真似をしながら走っているんです」

「大森の真似をしている? なぜ、そんな事をしているんだ?」

「きっと――、自分がどんな操縦をしているのか、先輩は再現してくれているんです。自分に――、私に見せる為に」

 

 まほを挟んで、翔子と絵里の会話が続いている。

 

「そんなことが――、人の真似の操縦というものができるのか?」

「先輩なら――。冷泉先輩なら、それができるんです。昔、訓練指導を受けた時に見せてもらいましたから」

「……」

 

 絵里と翔子の会話を、黙って聞いているまほは、折り返しのアングラーフィッシュの旗がひらめく杭を鋭角に回り、塹壕に掛かる鋼鉄の二本の橋へと向かっていくテトラークを双眼鏡で追っている――。

 三人の見ている前で、軽戦車は少しもぶれることなく、なんなく三つの塹壕を渡り切り、最後のカーブを曲がると、最後の障害物になる三連こぶへと進路を向けた。三つの丘のような三連こぶを、力強く上り、下ってきたテトラークは、真っ直ぐにゴールラインを超えて、コースを走り切った――。

 走り終えた直後、すぐに場内アナウンスが流れる。それは興奮した声で、麻子のタイムを伝えてきた。

 

『冷泉(れいぜん)さん、今ゴールインしました。そのタイムは、三分二秒! 驚きました! これは先ほどの大森選手と同じタイムです!』

「やっぱり――。先輩は、私のさっきの操縦を見せてくれたんだ」

 

 アナウンスを聞いた翔子は、そう言って「だけど……」と言いかけると、双眼鏡を目から外した。

 まほも絵里も、アナウンスを聞いた直後に双眼鏡で見るのを止め、ゴールしたテトラークの動きを見ている。

 ゴールラインを過ぎたテトラークは、直線でゆっくりとスピードを落とすと、停車する予定の受付のある場所へと向かうはずだった。しかし、軽戦車は直線五十メートルのところでUターンすると、また、スタートラインへと向かおうとしている――。

 軽戦車は、スタート地点を過ぎ、二十メートルのところで、再びUターンをすると、ほとんど見えなくなってきている白線の上で、完全に停車をした。

 

「どうしたんだ? もう一度、スタートラインに着いたぞ?」

 

 テトラークの思いもしなかった行動に、再び双眼鏡を覗いた絵里が言うと、他の二人も、彼女と同じように不思議に思いながら、軽戦車の様子を見る為に、再び双眼鏡を覗きこんだ。すると、まるでテトラークが雄叫びを上げるかのような、大きな空吹かしのエンジン音が、会場内に、そして三人の耳に聞こえた――。

 爆音と呼ぶに相応しい、そのエンジン音を聞いた翔子は、息を呑むと、ポツリとつぶやく。

 

「この事だったんだ……」――『えっ?』

 

 翔子のつぶやきに、まほと絵里が同時に返事をした。

 彼女は、震えるような声で、二人の返事に、またつぶやくように答える。

 

「先輩……。今度の先輩は――、本当の戦車の操縦というものを見せてくれます」

「えっ? 『本当の』というのはどういう意味だ!?」

 

 翔子のつぶやきを聞いた絵里が、また、彼女に聞き返すと同時に、軽戦車は二度の空吹かしをして、エンジンを高回転にすると、絶妙のクラッチタイミングで、その回転を前進する為のパワーへと変換する――。

 今、会場にいる観客と、バルコニーの三人が見つめる中、本気の冷泉麻子が操縦するテトラーク軽戦車が、不整地のコースを、猛然と土煙を上げて走りはじめた――。

 一周目とは、動き、走りの勢いが全く違う、そのテトラークは、まるで別の戦車のように見える。無限軌道から巻き上げている粉塵と土煙は、ダートの土をしっかりと捉え、それを、後方にまき散らしているのが、見た目にはっきりとわかり、その軽戦車は一気にトップスピードに達して、直線を爆走する――。

 テトラークは、左に曲がる第一コーナー入口へと入ろうとした瞬間、軽戦車の車体が、一瞬で真横に向いたかと思ったら、そのまま、滑るように左コーナー入口へ突入した――。

 

「せ、先輩! ま、まさか? テトラークで、せ……、戦車ドリフト!?」

「しかも――。不整地での戦車ドリフトだ」

「テトラークは、履帯が動きます……、少しの負荷で、あっという間に履帯が外れるし、ダートコースでは、凹凸が激しすぎるから、普通の戦車でも大きくはできません。それを――。テトラークでの戦車ドリフトは、私でも無理……、です」

 

 翔子の驚きと絵里の感想。それは、無言でテトラークを見ているまほも、内心同じ気持ちだった。

 戦車ドリフトは、もう一般的になった操縦手の技術である。ただし、市街地戦等における、舗装された道路に限っての技術である。ダートコースでは、凹凸が激しすぎる事と、滑る抵抗が一定しない為、小さく戦車を滑らせることはできても、ドリフトと呼べるところまではプロチームの操縦手でもできない、とても難しい技術だった。

 凸凹の地面を滑りながら左カーブを抜けていったテトラークは、トップスピードを維持したまま、目の前に迫ってくるWクランクに突入していく――。

 

「大森! あの小さく早く曲がるドリフトは? 」

「あれは――、ミニドリフトと呼んでいました。私は、どうにかあのドリフトができるぐらいです」

 

 テトラークは前進しながら、器用にお尻の部分だけ左右に振って、進行方向を左右に変える。そうして五つのクランクを突破した軽戦車は、再び直進し始めると、エンブレムがはためく折り返しの杭に向かって、加速していった――。

 

「大森――。お前の先輩、あの折り返しはどう走るんだ?」

「わかりません。あそこは、鋭角すぎて、十分にスピードを落とさないと曲がれない……」

「何だ? 蛇行を始めたぞ――。あっ! あれは何だ?」

 

 翔子が話を続けようとした時、絵里がそれを遮り、初めて見るテトラークの動きに驚き、そこで言葉を失ってしまった……。

 

 

 翔子ら三人が、不整地での戦車ドリフトに驚き、巧みなミニドリフトで、Wクランクを抜けるテトラークを見つめている時、その操縦席に座り、ハンドルを握っている麻子は、クルッペから前方を見ながら――、少し笑っていた。 

 彼女は、翔子に対する怒りから戦車に乗っていたはずだったが、もうそんなことさえ忘れてしまっていた。彼女は全身で小刻みに震える車体とエンジンの鼓動を感じ、久々に戦車を動かす喜びと、楽しさを思い出している。

 

(――意外と操縦しやすい戦車だ。優花里が言っていた操縦訓練や体験に使われるというのもわかるな)

 

 テトラークの特徴を、優花里の説明とマニュアル本で覚え、実際、コースを一周走って、全てを把握した彼女は、初めて乗るイギリス軽戦車を完全に手の内に入れていた。

 前方に折り返しとなる杭が見えてくると、彼女は、左手でハンドルを左右に動かしながら、軽戦車を蛇行させ始めた。右手は変速レバーを上から握り、その右手人差し指は、グリップの部分を、まるでリズムを取るかのように、トントンと軽く叩いている――。

 その叩くリズムに合わせて左右に蛇行するたびに、クルッペの左側端から、現れたり消えたりしている目標の杭を見ながら、麻子は、同じ速度、同じ感覚で軽戦車を左右に移動させている。そして、その杭が左に曲げてもクルッペ左端から見えなくなった、次の瞬間――。

 

(――今だ!)

 

 麻子の目が、鋭く光ったように見えた。そして、彼女は、右足でアクセルを一気に踏み込んだ後、間髪を入れずにハンドルを左に思いきり切り、アクセルを離すと、今度は即、左足で思いきりブレーキを踏んだ!

 

(――。よし!)

 

 車体が滑り始めたと感じた彼女は、また次の瞬間、ハンドルを戻し、履帯を直線の状態にすると、それと同時に、ブレーキッペダルから左足を離し、すぐにその足でクラッチペダルを踏み込みギアを切ると、右手で握っていた変速レバーを五速から、一気に三速へと目にもとまらぬ速さでシフトダウンする。そうして彼女は、三速に入れた状態でクラッチを繋いで、また強くアクセルを踏み込んだ――。

 

 

 麻子が流れるようにおこなった一連の動きに合わせて、テトラークは、オーバースピードのまま、左に大きく進路を取ろうとした直後、履帯の回転運動が一瞬止まった。その瞬間、止まった左右の履帯がただの二本の板となる。それに遠心力が加わって完全に地面の上を滑空し、車体が横滑りをはじめると、止まったままだった駆動輪が、いきなり高速で回転を始めた――。

 すると、まるでテトラークの無限軌道が、空回りを起こしたかのように、猛烈に回転を始め、滑っていく先にある不整地の様々な凹凸を、その回転する履帯が削り取り、軽戦車がなめらかに滑っていく――。

 そうしてテトラークは、杭を中心にして完全に横滑りしながら、丸く円を描くように折り返し地点を回り込んでいった。

 

「――ストライク、オブ、――ゴッデス……」

 

 翔子は、目の前で麻子が再び見せてくれた、戦車ドリフトの究極の形を見て、思わず口に出た。

 絵里が翔子のつぶやきを聞いて、すぐに彼女へ訊ねる。

 

「何だ? その、ストライク何とかと言うのは?」

「戦車ドリフトの中でも、一番難しい技で、私はそう呼んでいました……」

 

 翔子はそう答えると、双眼鏡で、麻子のテトラークをひたすら追い続ける。

 折り返しの杭を回り、再び直線に入ったテトラークは、目の前を谷の様に横切る深さ二メートルの塹壕へと向かう。向かう先には、まるで、命綱の様に心細く横たわる、赤く塗られた、鋼鉄製の二本の渡り橋が、どんどんと近づいている。

 

「大森。――あの塹壕はどう渡るのだ? あのスピードでは危ないぞ」

「先輩にとって、絶対に渡れるとわかっているのなら、障害物でもなんでもありません。むしろ――」

「むしろ……、なんだ?」

 

 絵里の質問に、彼女の「むしろ」という言葉を繰り返して、翔子は答えた。

 

「むしろ――、先輩は、加速するはずです」

「まさか……」

 

 翔子の返事に、唖然としながら絵里は、息を呑みながらテトラークの様子を見ている――。

 

 まるで吸い寄せられるように、二本の渡り橋へ、寸分の狂いもなく正確に重なるように近づいていく軽戦車は、このコースを走った事のある者なら、信じられない速度で塹壕に掛けられた橋を、一気に渡っていく。そして、渡り終えた直後、ミニドリフトで、進行方向を瞬時に変えて、次の渡り橋へと向かう。そして、またミニドリフトで、橋と重なる場所で進路を変えると、その正面はもう渡り橋になっており、それを、猛スピードで渡っていく。最後となる渡り橋も、同じようにミニドリフトを組み合せて、一気に、三つの塹壕の障害物を駆け抜けていった。

 

「――」

 

 絵里も、翔子も――、もう驚かなくなっている。

 そして、西住まほは無表情のまま、しかし、内心は、驚愕の思いで麻子の操縦技術というものを見つめていた。

 あまりに自然に、しかし、驚くべき技術で、設置された障害物を駆け抜けていくテトラークを目にして彼女は、まるで夢を見ているようだった。

 最後の左カーブを、また戦車ドリフトで抜けてきた軽戦車は、最後の障害物となる、三連の丘を目指す。

 

「あの三連のこぶ丘は、どうやって走るのだ?」

 

 三人が息を呑みながら、一番目の丘を目指すテトラークを見つめている。

 テトラークはどんどんと加速しながら、直線から丘を登り始めると、三人の目を丸くする方法で、一つ目の丘を越えていった。

 

『ええっ!!!』

「そんなバカな――、ジャンプして、二段目までの丘を飛び越えるとは……」

 

 二つ目の丘を下り、また三つ目の丘をジャンプして飛び越えた軽戦車は、最後の直線に入ると、スピードに乗り真っ直ぐにゴールを目指す。その直線の途中で、軽戦車が驚きの動きを見せた。

 前進していたテトラークが、一気に百八十度回転して、全速後進を始めたのである――。

 

「最後の直線――、あっ! なんだ? 百八十度ターンした?」

「あれが……、あれが、私にはどうしてもできないんです――」

 

 翔子は、双眼鏡を目から外すと、うつむき、とても悲しそうに言った。

 今まで、ずっと無言だったまほが、ここで初めて口を開いた。

 

「――あれは『ナポリターン』という操縦技術だ」

「えっ? ナポリタン?」

「いや、『ナポリターン』というのだ――。回転砲塔ではない、固定砲塔の駆逐戦車の為の操縦技術だ」

 

 絵里の質問にそう答えたまほは、また口を閉じて、テトラークを見つめる。

 彼女は、麻子が見せたナポリターンを見て、別の事を考えていた。

 

(――あれができるのは、アンチョビが指揮していた頃のアンツィオ高の連中と初代大洗チームの一部の人間だけだ。六年前にアンツィオは廃校になってしまったから、今の全日本チームの人間に、あれができるものは……、一人もいない――)

 

 軽戦車は、ゴールまで、残り百メートルになって、また百八十度回転し、前進に切り替わると、猛然と砂塵を巻き上げながら、ゴールラインを通過した。

 

『……。あっ、も、申し訳ございません、えっと、ただ今のタイムは……、二分三十二秒、――し、新記録が出ました』

 

 ゴールした後、しばらく黙ったままだった場内アナウンスが、ようやくタイムを放送すると、三人は、双眼鏡から目を離し、今度こそ停車位置に止まったテトラークを、遠目で見ていた――。

 停車したテトラークのハッチが開き、中から長い黒髪を白のカチューシャで止めた麻子が出てくるのを見た絵里が、翔子の傍に行き、彼女の両肩に手を掛けると、体を揺さぶるようにして、興奮して話す。

 

「おい、大森!! あの人はお前の先輩なんだろう! 私に紹介しろ! 私がアングラーフィッシュにスカウトする!」

 

 体を揺さぶられながら翔子は、興奮している絵里に向かって、何とか返事をする。

 

「む、無理です! 冷泉先輩は、戦車道をするつもりはないはずですから」

「なぜだ! それじゃあ、あの人は、なぜ戦車に乗ったんだ!」

 

 絵里の問いに、翔子はうつむくと、まるで泣きべそをかいた子供のように、声を震わせながら答える。

 

「私が……、私があまりに不甲斐ないものだから――。冷泉先輩は、怒って……、そう、怒って戦車に乗ったんです」

「怒って?」

「はい――。先輩から、このメモを預かったんです。私、それを読んでバルコニーへ来たんです」

「メモ?」

「これです」

 

 翔子は、上着のジャージポケットから、四つ折りにたたまれた、小さな紙を出すと、絵里へと渡す。受け取った絵里は、それを開いて書かれたものを見た。彼女がメモを翔子に返すのを確認したまほが「私にも見せてもらってもよいか?」と翔子に訊ねる。彼女は、うつむいたまま小さく「はい」と返事をすると、返されたメモを、今度はまほへと手渡した。

 そこには、とてもきれいな文字ではあったが、怒りに満ちた麻子の気持ちが書かれていた。

 

 

『大森――。お前は、プロになってどんな操縦訓練を積んできたのだ? 『Ⅳ号ダンス』をお前はやっていないのか? あれは、私が覚えた戦車の操縦技術の全てが詰めこんである。お前は、あれを本当にマスターしたのか? 私にはお前がマスターしたとは、とても思えない――。私はお前達の試合を、初めて生で見せてもらった。ちゃんとお前が操縦手として鍛錬しているのなら、あんなギリギリの試合にはならずに、相手チームを瞬殺にできたはずだ。もう一度、お前に訊ねる――。戦車の操縦手の心構えとはなんだ。戦車を動かすために、操縦手が絶対に持っていなければならないものとはなんだ。忘れているのなら、もう一回だけ、私が手本を見せてやる。よく見ていろ。――冷泉』

 

 

「これを、冷泉さんからもらったのか?」

「いいえ――。先輩は澤先輩に渡されて、それを私がもらいました。……忘れたつもりはありませんでした。ですが、先輩の目にはそう映らなかったんです」

 

 二人を見る翔子の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。いつも明るく、面倒見の良い翔子を知っている絵里は、そんな彼女を見るのは初めてだった。

 まほは、静かな口調で、翔子に訊ねる。

 

「大森選手――。冷泉さんが言う『操縦手としての心構え』とは?」

「はい。心構えとは『同じ戦車に乗る仲間全員を、自分の操縦技術で守り抜く事。そして、試合に勝つ為のチャンスを作り続ける事』です」

「絶対に、持っていなければいけないものとは?」

「戦車を動かすという『度胸』と『感性』です」

「……」

 

 まほの問いに、涙を拭き、直立不動で答える翔子。

 翔子からの答えを聞いたまほは、ただ、その場で彼女を黙って見つめるだけであった

 二人の話が終わると、絵里がまた、翔子に訊ねてくる。

 

「大森! 本当に説得できないのか? あれほどの操縦手は、日本、いや世界にもそういないんだぞ」

「だから――、司令官、絶対に無理なんです。先輩は、あんこうチームだけの操縦手なんです。それ以外のメンバーと戦車チームを組む気は、絶対にありませんから……」

「あんこうチーム?」

「はい、私が――、いえ、祐子や恵、かなえ、亜希子も、です。私達がずっと目標にして追いかけ続けているチームです。……まだ、先輩達の影さえも見えませんが――」

 

 翔子はそこまで話すと、視線を訓練場へと移す。その先には長い綺麗な黒髪をなびかせながら、テトラークから離れていく麻子の後ろ姿があった。

 

「あんこうチームとは、大洗女子学園の隊長車チームのことだろう。大洗女子……、冷泉……。ん!? 昔、どこかで、聞いた覚えが――」

「――彼女は、高校生の時、妹のチームの操縦手だった人です」

「司令官の……、ああっ、思い出したわ。昔、みほちゃんがいつも自慢してた『天才操縦手』の名前が――、冷泉麻子さんだった……」

「はい。私は――、高校時代、敵になったり、味方になったりしてあんこうチームと戦いました。私は、みほが言うように、彼女は天才だと思っていました」

 

 まほは、絵里に言うと、また自分に言い聞かせるように「そう、あの頃から彼女の操縦手としての才能は、頭抜けていたんだ」と小さく繰り返した。

 三人は、受付の女性、おそらく澤梓であろう女性と話をして、観客席へと歩き出そうとしている麻子の後姿を見た。

 翔子は、バルコニーの手すり近くへ移動すると、体をピンと一直線にし、姿勢を正すと、四十五度に体を曲げ、お辞儀をして、深く思いを込めて感謝の言葉を口にした。

 

「冷泉先輩、申し訳ありません。そして、ありがとうございました――。大森翔子、身を改めて、これから精進致します」

 

 翔子の言葉を聞いたまほは、彼女と同じように手すりの傍に移動すると、立ち去る麻子の後ろ髪を見ながら、ざわざわする不思議な気持ちにかられていた。

 

(あれが、みほの……、あんこうチームの操縦手、冷泉麻子の今、……なのか)

 


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