ガールズ&パンツァー  五人の女神と魔神戦車   作:熊さん

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第31話  渡されたメモ

 

「司令官。どうだった? 私のおすすめチームは?」

「――、そうですね。及第点といったところでしょうか……」

 

 紅白戦が行われている間、試合を行う両陣営の戦術や戦法を一望できる、試合場と隣接して建てられている、アングラーフィッシュ総合事務棟の五階。その一室、総合司令官室のバルコニーから、双眼鏡で試合の様子を見ている二人の人物がいた。

 アングラーフィッシュ司令官の三島絵里と西住まほ、である。

 乃木流戦車道の砲手師範の絵里は、西住みほが最後のチームを組んだ十五号車のメンバーで、一年前からアングラーフィッシュの司令官を務めている。もちろん、彼女の姉、西住まほの事もよく知っている旧知の間柄だった。

 

「あいかわらず厳しい指摘ね。ただ、彼女達は、もう一皮むける可能性を持っていると、私は思っているんだけど」

「三島さんがそう思うのなら、間違いないでしょう。三島さんの眼力は確かですから」

「光栄ね、全日本司令官にそう言ってもらえて……。彼女達は、必ず大化けするわよ。経験を積ませてやれば、間違いなく強くなるチームなの。司令官の手で育ててやって」

「――返事はできかねますが、彼女達の事は、記憶しておきます」

「ええ、それでいいわ」

 

 試合が終わり、バルコニーから司令官室に戻ってきた二人。

 彼女達は、司令官室入口すぐの壁際に置いてある応接セットに、向かい合う様に座った。

 司令官室は、縦十メートル、横、十五メートルの、長方形になる広さで、床はダークレッドの絨毯が敷かれ、壁には大理石模様の壁紙クロスで貼ってある。司令官室入口は、右隅になり、その入り口すぐ左手の壁にそって応接セットが置いてある。応接セットと並べるようにして、十人が同時に座り会議ができる、楕円形の会議テーブルがセットされていた。入口から対角の左上部の所に、司令官席が、会議テーブルの方に向けて置いてあり、その後ろの壁には、大きなアングラーフィッシュのエンブレムプレートが、一枚飾られていた。

 

「でも、西住司令官が、ここに視察に来るなんて、一体どうして?」

「はい、前司令官から引継ぎで、遠藤選手達の事を聞きました。三島さんと同じように、将来性があるチームだから、一度生で見ておいて損はないと言われましたので、突然でしたが見に来たのです」

「そうなの」

 

 すると、入口ドアをノックする音が聞こえて、事務員と思われる女性が一人、ドアを手前に引いて入ってきた。

 彼女の手には、コーヒーポットと二組のカップとソーサーのセット、数種類のクッキーがまとめられた木製のトレイを載せた丸いお盆を持っている。

 女性は「失礼します」と言って、応接テーブルの上にコーヒーソーサーを置き、その上にカップを乗せると、静かにコーヒーポットから湯気が出るコーヒーを注いだ。注ぎ終わると、そのポットを二人の真ん中に置き、その直ぐそばにトレイを置いて一礼すると、静かに部屋から出ていった。

 絵里が「どうぞ」と言うと「いただきます」と返事をした、まほ。

 二人が、それぞれのコーヒーに口をつけ、一息つくと、また絵里の方から口を開いた。

 

「でも、西住司令官は、口調を変えなくていいから、訓練させる時は楽だと思うわよ」

「口調……?」

「そうよ、司令官は、一種のカリスマじゃなきゃできないの。それこそ、選手達には怖がられるくらいじゃなきゃいけないのよ」

「三島さんは、変えているのですか?」

「ええ、昔の私を知っている司令官は、多分、びっくりするくらいの厳しい口調で話すわよ」

「怖れられるぐらいですか……」

 

 なにやら考え込んでいる様子の、西住まほ。

 彼女は、一週間前の事を思い出していた。坂本社長と対面した時に出された最後の条件。そして、その直後に出会った人物からのアドバイス。

 彼女はその事を、まだ誰にも話していない。

 

「ところで、司令官? もう全日本の編成は決まっているの?」

「いえ、具体的に決まっているのは、一チームだけです。あとは、これから決めます」

「……って、間に合うの? そんなにじっくり構えている時間はないでしょう」

「はい。ですが、私は、自分の理想とするチームで、ともに戦っていく事を信じあえるチームを作りたい。その為に、私は三人のプロチームの隊長に、これから会って、全日本チームへの参加を要請します。そして、彼女達を説得しなければならないのです」

「説得? 説得するって――、どうしてそんな事が必要なの?」

「彼女達は、前司令官が、どんなに参加を要請しても、絶対に応じなかった三人だからです」

「――。わかったわ。その三人の隊長という人物が……。昔、司令官を含めて、四天王とよばれた隊長達の事ね」

「はい」

 

 そう言ったまほは、もう一口、苦いブラックコーヒーを飲んだ――。

 

 

 まほと絵里が、応接セットで話をしている頃、同じく紅白戦の観戦が終わったみほ達一行は、観覧席を出てくると、他の観客と一緒にスタンドの階段を降りてきた。降りてくる間、麻子の顔は、いつもの無表情に戻っている。それを見て、沙織も安心したのか、みんなの前に進み出ると、明るい声で訊ねてきた。

 

「ねえねえ、みんな、次は、どこに行こっか?」

「――隊長、みんな。すまないが、行きたいところをリクエストさせてもらってもいいだろうか?」

 

 すると突然、一行の一番後ろにいる麻子が、ぶっきらぼうに言った。

 全員が振り向き、麻子の顔を見る。そして、麻子の目の前にいた、西住みほが答えた。

 

「うん、いいけど。麻子さん、どこか行きたいところがあるの?」

「――タイムトライアルを見に行きたいんだが……」

「タイムトライアル?」

「――ああ、大森のやつが出るらしいんだ。どうだろうか」

「うん、じゃあ、みんなで見に行こうか?」

「ええ、そうしましょう」

 

 麻子の提案に、みほが皆に訊ねると、華が返事をして、全員が頷いた。

 

「――わがままを聞いてもらって、みんな、すまない」

 

 それを見た麻子が、申し訳なさそうに言って、六人に向かってペコリと頭を下げた。みほ達は「ううん、全然大丈夫だから」と、彼女に言う。その中で、沙織は、一番先頭の位置から口を閉じたまま、さっきの麻子の様子を思い出し、彼女の顔をじっと見ていた――。

 一行はスタンドの階段を降りると、広場を通り、ゲートを抜けて、先ほどの遊歩道へと出てきた。そして、ゲートの傍に臨時に設置された、それぞれの特設会場へと向かう臨時バス乗り場へと向かう。

 そこに三台止まっていたバスの行き先を、正面から確認した優花里が「このバスですね」と言って、全員に向かって指を差した。「わーい、またバスに乗るんだ!」と、遠藤みほが一番に乗り込むと、優花里、健介、みほ、華、麻子の順に、バスへと乗り込み、最後に、沙織がバスの車内に入った。

 車内は意外と混雑しており、一行は、全員立ったままで移動しなければいけなかった。健介が娘を抱きかかえて、その健介を支えるように、優花里が彼の傍にピッタリと立つ。みほが、そのさりげない優花里の気配りを見て、小さな声で「……さすが、優花里さん」とつぶやいた。

 優花里一家のすぐ後ろの位置に、みほが立ち、その周りに華、沙織、麻子が立つとバスの扉が閉まり、停留所を出発していった。

 バスは遊歩道に沿って走り、総合事務棟の大きな建物の方へと向かうと、事務棟駐車場に入る直前で左に曲り、裏道らしき細い道に入る。右手が事務棟のエリアで、左手側に道路に沿って金網の柵がずっと続いていて、金網の先は、面積が八千平方メートルの広い荒野が見えている。

 五分ほど走ったバスが、その道路に沿って停車した。一行が、バスから降りると、そのバスが進んできた正面のところに、広がる荒野が見えるよう金網に沿って、建設現場でよく足場で使われる鋼管を組み合せて作られた、臨時特設スタンドが作られてあった。スタンドへあがる階段正面の金網の所に、荒野へと入る金網の入口があり、その入り口に大きく縦に『操縦訓練場』と書いてあった。

 バスに乗ってきた客が、順に階段を上り、思い思いの席を確保すると、正面に見えるタイムトライアル会場の全貌を見ている――。

 トライアルコースは、巨大な二等辺三角形の形になっており、距離は一周、三千メートルのダートコースである。このコースの途中に、三つの障害物が設置してあった。

 観客席の正面がスタートで、右に向かって走り出す。

 五百メートルの直線を走ったあと、左に曲り、次の長い辺となる直線に入る。そこには、進行方向に向かって二百メートル走ると、一つ目の障害物である、ジグザグのWの形のクランクが直線上に設けられていた。そこを抜けると、観客席から一番遠い三角形の頂点となる鋭角な角になる場所に、高さ十メートルの杭が打ち込まれ、アングラーフィッシュの旗が掲げられてあった。その部分をUターンに近いカーブで曲がる事になる。戻ってくる道の途中に、二つ目の障害物があった。それは、直線状に三カ所の深さ二メートルの塹壕があって、そこを渡る為に、鋼鉄製の履帯幅の板が二本ずつ、三ケ所に掛けてある。しかも、その板の橋は、塹壕ごとに違う位置で、ずらして設置してあった。第二の障害物を走り抜けると、また左に曲り、観客席前の直線に出てくる。そこに、最後の障害物である、小さな丘が三つ繋がる、まるでラクダのこぶのような段差の障害物が設置されており、これを乗り越えて、ゴールとなるコースだった。

 スタートとなる地点から、右手側、百メートルほどの所に、戦車が一輌止まっている。

 

「ママ! あそこに、テトラークが停まっているよ」

「そうです。みほちゃん、よく知ってましたね。アングラーフィッシュの操縦訓練や、操縦体験会なんかに使われている戦車ですよ」

「テトラーク? 何それ?」

 

 沙織が、優花里の方を見て質問してきた。すると、優花里の顔が、パッと明るくなると、一度「エヘン」と、咳払いをして、とても嬉しそうに、沙織に説明を始めた。

 

「それでは、不肖、秋山……、ではありませんでした。この遠藤優花里がご説明させていただきます」

「――ここで、優花里の戦車講座か」

「懐かしいですわね」

「うん! そうだね」

 

 麻子と華が、そう言って笑うと、同じように、西住みほも微笑んでいる。

 優花里は、停車している戦車の方を指差しながら、口調も軽く語り始めた。

 

「あそこに見えるテトラークというのは、イギリスで造られた軽戦車であります。イギリスの軽戦車の歴史は、最初に『カーベンロイド』というトラクターに機銃を乗せたものがあったのですが、それをもとに、機銃を砲塔に付け替えた『MkⅠ』という豆戦車が作られました。これがイギリスの軽戦車の始まりであります。あそこに見えるテトラーク軽戦車というのは、そこから数えて七番目の軽戦車で、一般的には『MkⅦテトラーク軽戦車』と呼ばれています」

「そうなんだぁ。でも、あの転輪、メチャクチャ目立つね」

「はい! 見た目の最大の特徴は、左右に四ヶずつあります、全く同じ大きさの機動輪と誘導輪なんですよ」

 

 沙織が言った感想は、華と麻子、それに娘のみほも同じ感想だった。

 西住みほと健介は、テトラークの事を知っている様子で、軽く微笑んでいる。

 

「まるで、ベルトコンベアみたいに見えるね」

「はい! 全長が約4.1m。全幅は約2.3m。重量は約7.6tで、三人乗りです。大きさは、カメさんチームの38t軽戦車とほぼ同じで、重量は38tより、約2tほど軽いです。車体の装甲は最大14mmで、主砲は52口径2ポンド戦車砲を搭載しています。そして、この戦車の最大の特徴が三つあります。まずはスピードであります。その速力は、時速65km近くで走る事ができるそうです。前大戦の全ての戦車の中で、四番目に足が速い戦車だったんですよ」

「へえ、そんなに速かったの?」

「はい! もちろん、戦車道用に、アングラーフィッシュの整備スタッフの手により、そのエンジンや駆動力系全般が、レギュレーションぎりぎりまで改良されておりまして、その速力は、当然ながら非公開となっておりますけど」

 

 優花里が説明して、沙織が頷きながら聞いている。もちろん、他の五人も感心した様子で、優花里の話を聞いている。

 

「それと、二つ目の特徴なのですが、あの戦車には、ハンドルと操縦桿の二つがついているんです」

「えっ! そうなの」

「はい! つまり、ハンドル式の戦車と操縦桿式の戦車の両方の練習ができるんですよ」

「すごいんだねぇ」

「はい! そして、最大の特徴は、二つ目の特徴と繋がるんですが、曲がる時、全部の転輪が一斉に動くんですよ」

「ええっ? 全部って八個全部?」

「はい! 逆位相8WSという形ですね。右に曲がる時は、第一、第二転輪が右に、第三、第四転輪が左に曲がります。つまり、上から見たら、ひらがなの『く』みたいになるんですよ」

 

 優花里はそう言いながら、両手の人差し指を並べて、空中に『く、く』と書いた。

 

「すごい。でも、そんなに転輪が動くと、履帯は外れないの?」

「それがですね、プレキシブル履帯といって、履帯自体も、ぐにゃりと曲がるんですよ!」

「驚いたぁ! 戦車じゃなくて自動車みたいだね」

「はい、言い換えたら、タイヤが二ヶずつある前輪と後輪を、輪ゴムみたいな履帯で繋いだと考えた方が、わかりやすいかも知れませんね」

「そっかぁ。うん、よくわかったよ。ありがとう、ゆかりん!」

 

 そこまで話した優花里は、沙織の返事に満足そうに頷くと「以上で、戦車の説明を終わります!」と、敬礼をしながら言った。

 六人の小さな拍手が優花里に贈られると、彼女は嬉しそうに、敬礼をしていた自分の右手を、そのまま髪の毛に持っていき、ワサワサと掻きまわしている。

 

「西住殿、このコースの記録保持者は、大森殿なんですよ」

「へえ、そうなんだぁ」

「はい。大森殿の新記録にも、期待したいですね」

 

 みほの質問に、優花里が返事をする。娘のみほは、優花里と健介の間に座り、初めて見る珍しい戦車を、楽しそうに見ていた。

 それから、五分ほど経ち、午前、十一時三十分となった――。

 突然、観客の後ろ、スタンド裏に取り付けてあった、大型スピーカーからアナウンスが聞こえてきた

 

「それでは、これより、タイムトライアルを始めます。この競技は、戦車操縦訓練を行いますコースに、特設の障害物を設置しまして、それを一周してもらい、そのタイムを競います。障害物は、毎年同じものを用意しますので、一番早く走った者が、記録保持者になります。それでは、先ほど勝利しました白組フラッグ車の操縦手で、コース記録保持者の大森翔子選手に、走ってもらいましょう」

 

 すると、金網に沿って、荒野の左手の方から、一輌のジープが走ってきた。オープントップの後ろの座席に立って、大森翔子が手を振りながら、近づいてくる。

 ジープはスタンド正面に止まり、翔子がジープから飛び降りると、スタンドの拍手が最高潮になる。その中を歩いて待機しているテトラークへと乗り込んだ。テトラークのメドーズエンジン音が鋭く響いたあと、ゆっくりと走り出したテトラークである。スタンド正面のスタート地点まで、戦車の状態を確かめるかのように、軽い蛇行運転で進んでいく。そして、翔子が操縦する戦車は、アイドリングの状態で、スタートラインに着いた――。

 

 

 一方、開け放たれた司令官室の窓から、タイムトライアルのスタートを告げるアナウンスが、まほの耳にも聞こえた。応接セットのソファーに座り、遠藤祐子達のメディカルチェックの書類を見ていた彼女は、おやっとした表情になり、見ていた書類から顔を上げた。目の前に座る絵里は、彼女の顔を見て言った。

 

「……、司令官、もう一度見てみない? 大森は、アングラーフィッシュナンバーワンの操縦手よ」

「――そうですか。それでは、もう一度、彼女の技量を見せてもらいましょう」

 

 二人は、もう一度バルコニーに出てくると、再び双眼鏡を目に当てた――。

 

 二人が、双眼鏡を覗きこんだ直後に「戦車前進!」と言う、アナウンスが流れた。

 スタートしたテトラーク軽戦車は、五百メートルの直線で、スムーズに加速していくと、最初のコーナーを、軽やかなアウトインアウトのコーナーワークで、左に曲がった。

 次の直線に入って、二百メートル走った戦車は、しっかりとした安定感のある走法で、Wのクランクを走り抜けていく。

 クランクを過ぎた軽戦車は、折り返しの木の杭まで来ると、やはり、確実なUターンで、旗のついた大きな杭を回り込み、観客席の方へと戻ってくる。

 塹壕の二本の架け橋を確実に三つ渡り終えると、戦車は、再びアウトインアウトの軽快なフットワークで左に曲り、正面スタンド前の直線へと入ってきた。

 残す障害物は、三連のこぶのような小さな丘である。

 一つ一つのこぶ山を順番に、テトラークは見事に乗り越えて、スタート地点に戻ってくると、再び場内アナウンスが、会場内に流れてきた。

 

「大森選手! 今、ゴールしました。タイムは……、三分二秒! 新記録です! いよいよ、このコースの三分切りが、現実となってきました!」

 

 このアナウンスの報告が終わると、搭乗ハッチから、翔子が降りてきた。

 彼女の見事な走りに、観客席全体から大きな拍手が送られる。拍手の中、翔子は両手を上げながら待っていたジープに乗り込むと、やってきた荒野を逆走して、事務棟の方へと走っていった、それを見送りながら、優花里一家や、みほ、華、沙織も、同じように拍手をしているが、一人、冷泉麻子だけが、拍手をしていなかった。

 そんな彼女の態度に、一人、沙織は気づいて、麻子の顔を黙って見ている――。

 ジープが見えなくなって優花里は、自分の隣に座るみほに、とても感心した様に話しかけた。

 

「いやあ、さすが、大森殿ですね。やはり、冷泉殿が、教えただけの事はあります。アングラーフィッシュナンバーワン操縦手ですよ。ねえ、西住殿?」

「うん! ホントだね。まるで、昔の麻子さんの操縦を見ているみたいだったね」

「麻子さんも、ずいぶん鼻が高いんじゃありませんの?」

 

 みほの返事に、華も、左隣に座っている、麻子の顔を見て言う。

 

「――ああ、そうだな」

 

 いつものように、ぶっきらぼうにつぶやく麻子を見て、沙織が、先ほどからずっと思っていた事を、ここで口にしたのである。

 

「もう! 一体どうしたのよ、麻子! 一体、翔子ちゃんの、何をそんなに怒っているの?」――『ええっ! ?』

「怒っている? ――私が、か?」

 

 沙織の意外な言葉に、麻子以外は驚き、当の本人は、とぼけたように言う。

 だが、麻子の顔を見ながら、沙織は、厳しく彼女を問い詰めた。

 

「そうよ! 幼馴染を甘く見ないでよ。紅白戦の時から、麻子、翔子ちゃんの事、怒っていたんでしょ!」

 

 沙織の言葉に、麻子は、観念したかのように、吐き出すように呟く。

 

「――そう……か。やっぱり、私は怒っているのか……」

「うん、怒っているのよ。麻子はね」

 

 少し気まずい空気が、七人の回りに漂っているところに、別のアナウンスが聞こえてきた。

 

「それでは、十二時より、テトラークの特別操縦体験会を行います。やってみたい、乗ってみたいと思われる方は、テトラークの前に受付を準備しますので、十一時五十分までに受付をお願いします。ただし、戦車の操縦免許のある方だけに限らせていただきます。多数のご参加をお待ちします。」

 

 時間は、十一時四十分になっている。

 放送を聞いた麻子は、また、みんなにまた、ペコリと頭を下げた。

 

「――みんな、何度もわがままを言って、本当にすまないのだが、――私も、体験会に参加してくる。しばらく、ここで待っていてくれないだろうか」

「えっ? 麻子さん、テトラークに乗るの?」

「ああ。――どうしても、乗らなければいけないと思う」

 

 みほがそう言うと、彼女は、もう一度コクリと頷いて立ち上がると、一人でスタンドの階段を、スタスタと降りていった。

 一行全員が、訳が分からない感じで、傍にいる者同士が顔を見合わせていたが、みほが右隣の華に聞いた。

 

「麻子さん、どうしたのかな?」

「沙織さん――? さっき『試合の時から、麻子さんが怒っている』と言われましたよね」

 

 華は、自分の右に座る沙織に、顔を向けて訊ねると、沙織は「うん」と言って答えた。

 

「麻子はね……、ほら、麻子は、何を考えているのか、見た目でわからないぐらいに無表情でしょう」

「そうでありますね。冷泉殿は、極端に表情を崩したり、感情を出したりしないですよね」

「そう――。だから、よく見ないとわからないんだけど、麻子の感情はね――、眉に出るんだよ」

『眉!?』

 

 みほ、華、優花里の三人は、初めて聞いた麻子の癖に、びっくりして、おうむ返しに聞き返す。聞かれた沙織は、小さくうなずく。

 

「うん……。それでね、怒った時の麻子はね、眉がね、少し上にピクッて動くんだよ」

「えっ? そうなの? 全然知らなかった」

「多分、今では、私しか知らないと思う。それでね、麻子ったら、試合の時もさっきも、ずっとピクッ、ピクッと動いていたんだよ……」

 

 沙織の説明に、みほは驚いて聞き返すと、沙織はそう言って、降りていった麻子の後姿を見た。

 

「どうしたんでしょうね。あの沈着冷静な冷泉殿が、そんなに怒っているなんて」

「パパぁ、麻子お姉ちゃん――。怒っているんだって」

「うん、そうらしいね」

 

 優花里と娘のみほ、健介の三人もそう話すと、麻子の後姿を目で追った。

 麻子は、スタンドを降りると、スタンド横の訓練場入口の金網を開け、会場内に入った。

 テトラークが止まっている場所を、チラリと見ると、そこに、会議用長机が一つ置かれて、傍に二人の受付係がいる。よく見ると、その内の一人は、澤梓だった。

 麻子は梓に気付くと、歩くのを止め、自分の来ているチノズボンの後ろポケットから、手帳を出した。

 手帳に付けている、超小型のボールペンで、何やら手帳にメモを書いている。

 書き終わった彼女は、その部分を破り小さく四つ折りにして、また歩き出した。

 歩いて行く彼女を見て、先に梓の方が、麻子に声をかけた。

 

「あっ……。麻子先輩」

「――やっぱり、梓か。よかった、すまないが、私も体験会に参加させてもらおうと思っている」

「えっ? 麻子先輩が?」

 

 麻子は、梓の質問に答える前に、二つ折り財布に入れている、自分の運転免許証を出した。当然、梓は知っているので、記載されている内容を詳しく確認はしなかった。

 免許証を財布に戻し、それをポケットに入れると、麻子は、梓に話しかける。

 

「そうだ。それと、梓にお願いが二つある」

「何でしょうか?」

「私の番を、一番、最後にしてほしい」

「それは、大丈夫ですよ。どうにでもできますから」

「あと――、このメモを大森の奴に渡してほしい」

「メモ?」

「――できれば、私の番になる前に、渡してくれると助かる」

「わかりました」

 

 梓は、渡されたメモをポケットにしまうと、同じく受付をしている同僚に、一言詫びを入れ、その場を離れると、事務棟へと走って行く。

 しばらくして、受付が終了となり、麻子の他には、参加者はいなかった。

 受付をしていた女性から、テトラークの操縦マニュアルが渡され、その説明が行われている。パラパラとマニュアルを見た麻子は、視線を別の方へ移した。視線のその先は、履帯の方を見ている――。

 一方、麻子からメモを預かった梓は、事務棟裏の関係者通用口から館内に入ると、右手にあるドアを開けて室内へと入った。そこは、総務課と経理課の合同事務所になっており、そこで、交代でお昼を食べていた後輩になる女性事務員に「翔子ちゃん、どこにいるかを知らない?」と訊ねた。彼女達は「多分談話室か、更衣室じゃないでしょうか」と答えると、梓は「ありがとう」と、彼女へお礼を言って、入ってきた入口から事務所を出ると、その真向かいにある階段を上り、二階の談話室に向かった。しかし、そこに、翔子は居なかったので、同じ階の角隅になるシャワー室と隣接する更衣室に向かう。そして、梓は更衣室から脱衣所のドアを開けた。すると、シャワーを浴びたばかりなのだろう、上下とも下着姿の大森翔子が、同じ紅白戦を戦った後輩選手達と、脱衣場の着替えを置く棚の前で、立ち話をしていた。

 

「やっぱり、大森先輩はすごいです。あの記録は、誰にも破れないですよ」

「いやあ、やっぱりそうか! 今日は、先輩達が見に来ているからな。気合を入れて走ったんだ」

 

 自慢げに胸を張る翔子のもとへ、梓は駆け寄ると、息を切らせながら話しかけた。

 

「あっ、翔子ちゃん。やっと見つけたよ」

「澤先輩、どうかしたんですか?」

「あのね、麻子先輩がね、テトラークに乗るのよ」

「えっ? 冷泉先輩が、ですか? ――どうしてなんですか?」

「わかんないけど――。それとね、麻子先輩から、翔子ちゃんに渡してほしいって、メモを預かったの。はい、これよ」

「メモ?」

 

 梓からメモを受け取った翔子は、その四つ折りのメモを開き、そこに書かれていたものを目で読む。

 みるみる彼女の顔色が変わり、動揺していく彼女が、手に取るようにわかった。

 

「すみません! 先輩、あのコースが良く見える場所ってどこでしょうか?」

「えっと……。多分、司令官室のバルコニーじゃないかな?」

「ありがとうございます!」

 

 翔子は、慌てたように棚に置いていた、真っ青なアングラーフィッシュの統一ジャージを手早く着ると、脱衣場を飛び出した。

 梓は驚いて、翔子の後ろから大声で、彼女に注意する。

 

「ちょっと! 翔子ちゃん! 今、西住司令官が来ているから、呼ばれない限り、司令官室には入れないわよ!」

「そんな事は関係ありません。私、冷泉先輩の操縦を、絶対に見なきゃいけないんです!」

 

 翔子は振り返りながら、廊下に出てきた梓にそう言うと、廊下を駆け抜け、廊下中央の階段を一目散に上っていく。しかしすぐに、彼女は階段を下りて、梓の前に戻ってきた。

 

「忘れ物しましたぁ!」

 

 茫然としている梓に、一言そう言った翔子は、更衣室に飛び込むと、自分のバッグから、双眼鏡とストップウォッチを取り出して、また梓の前をすり抜けて、今度は本当に、階段を駆け上がっていった――。

 


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