ガールズ&パンツァー  五人の女神と魔神戦車   作:熊さん

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第27話  西住家の約束

 

 みほは、姉の顔を見て、複雑な顔をしている。

 西住流の教え方とは全く違う方法で、高校生のみほは、大洗戦車隊を作り上げた。このことは、今まで母や姉には話さず、ずっと黙ってきた事だった。

 大洗女子学園が倒した黒森峰女学園は、西住家が直接指導をしてきた高校で、その戦車チームは、九連覇という偉業を成し遂げるほどで『王者』と呼ばれる戦車道だった。

 みほが転校するきっかけとなった、六十二回戦車道全国大会、プラウダ高との決勝戦でも、あの事件さえなければ、黒森峰の勝利だったと言われている。戦車道の考え方、技術、戦法、戦術、全てにおいて、他校を圧倒する『常勝』の二文字が相応しい高校だった。

 それを、みほが作った大洗女子チームは、戦車道の試合そのものを、根底から覆した。

 戦車の数や質、経験、技術全てにおいて、どの高校よりも劣る、格下だと見下されていた大洗女子学園チームは、全国大会を含めての公式戦、みほが卒業するまで……いや、卒業した後も、彼女が残し、受け継がれた精神は、翌年、澤梓が率いるチームが、決勝戦で黒森峰に敗れるまで、勝ち続けていたのである。

 

「みほ、そんな顔をするな。私は感心しているんだ」

「お姉ちゃん……」

「私は、お前がどうやって、あのチームを作り上げたのか、ずっと知りたいと思っていた。だが、私には、どうしても聞けなかった」

「なぜなの? お姉ちゃん」

 

 みほは、姉の意外な答えを、不思議に思い、聞き返した。すると、彼女は「それはな」と返事をすると、自分を見つめる妹の頭を、右手で優しく撫でながら言う。

 

「私とお前は、西住流の後継者候補だったからな。お前に戦車道の教え方を訊ねるという事は、私の立場が許さなかったんだ」

「あっ……。そうだったね」

 

 みほは、一言そう言うと、何も言えなくなった。

 妹の自分は、姉の背中を追いかけていればよかった。しかし、姉の方は、常に、妹の前を歩き続けなければいけない事に気付いたからだった。

  

「あの決勝戦のあと、お前は、私に『自分の戦車道を見つけた』と言った。だから、華先生が帰られる時に、私は先生に聞いてみたんだ」

「えっ? 何を聞いたの?」

「私の……。私だけの戦車道というものが、いつか見つけられるのだろうか、と聞いてみたんだ」

「華さんは? 華さんは、なんて言ったの?」

 

 みほが聞き返すと、まほが答える代わりに、彼女の後ろから、エリカが答えた。

 

「華先生はね――『見つけられないはずはありません。私は、みほさん達と戦車道を始めてから、幸いにも、自分が求めるものを見つけることができました。いつ、どんなきっかけで、道が開けるかは、誰にもわからないのです』ってね。それでね、『まほさんが、自分に持っていないものを、みほさんは持っていると言われましたが、そのみほさんが、誰よりも尊敬されている方が、まほさんなのです。だから――きっと見つかります』って、言われたのよ」

 

 エリカの話に、小さく、力強く、みほはうなずいた。

 

「うん! 私も、そう思う。お姉ちゃんは、すごいから。私なんかより、もっと、もっとすごい戦車道が、絶対に見つかると思う」

「ありがとう、みほ」

 

 妹の言葉に、まほは、嬉しそうにそう答えると、みほを見つめながら、彼女はさらに言った。

 

「みほ――。私は、絶対に見つけてみせるぞ。西住まほの戦車道をな。絶対に、だ」

 

 みほとエリカは、まほの決意を聞いて、嬉しそうに声を揃えて『はい』と言った。

 彼女達の話を黙って聞いていた美鈴は、小さくうなずき、しほは、三人に対して、静かに告げる。

 

「私は、まほから、その覚悟と決意を聞いて、私の役目は、ようやく終わったと思ったの。私の一番の仕事は、りっぱな西住流の後継者を育てる事。それが、ようやくできましたからね。だから、まほに家督を譲る決心ができた。それに、母親として、もう一人の娘が、ちゃんと暮らしている事もわかった。それで、ようやく肩の荷が下りたのよ」

 

 自分の事を知らせる華の訪問が、西住流家元の交代のきっかけになったと知ったみほは、見えない何かに動かされているような気がしていた。

 

「もちろん、あなた達の相談は、いつでもアドバイスできるから、三人とも安心しなさい」

『はい。よろしくお願いします』

 

 娘二人と副師範の三人は、揃って、しほに頭を下げた。

 こうして、本格的に楽しい食事会へと、場が流れていった。

 

 さすがは、戦車道の名家『西住家』であり、火の国、熊本の女達である。

 シャンパンのドン・ペリニヨンから始まって、冷凍庫で凍らない唯一の日本酒「越後武士」。スコッチウイスキーの「キングス・ランサム25年」と、お酒が好きなものに取っては、よだれが出るような銘酒が並び、それらを次々に勧め合い、注がれたお酒を笑いながら、飲み干していく。

 気がつくと、時計は夕方の六時を回っていた――。

 

 すっかり出来上がった美鈴は、腕時計を見ると、御暇する事を四人に告げて、席を立った。

 立ち上がった彼女を支えようと、エリカも立ち上がるが、美鈴は「大丈夫よ。全然、大丈夫」と言って、一人で廊下に出ようとした。

 エリカは、慌てて「お待ちください。菊代さん!」と言って、襖を開けた。

 廊下には、菊代が待機していて「はい」と、返事をして立ち上がる。

 それと同時に、しほ、まほ、みほも立ち上がると、美鈴を見送るため、全員が廊下に出てきた。

 菊代を先頭に玄関に着くと、菊代が下駄箱から、美鈴のローヒールの革靴を出してきて、彼女の前に並べた。

 「ありがとう」と言って靴を履く美鈴の横で、エリカも靴を履くと、玄関の扉を開き、まほに向かって言った。

 

「まほ先生。美鈴先生を送ってきます」

「うん、頼んだぞ。先生、今日は、ありがとうございました」

 

 しほ、まほ、みほの三人は、その場で、深々と頭を下げた。

 美鈴は、三人を見て、嬉しそうに言った。

 

「うん。とっても楽しかったわ。まほちゃん、何か気になる事が、腕に出たら、どんな小さなことでもいいから、私に連絡するのよ」

「はい」

「じゃあね。しほちゃんも、みほちゃんも、お休みなさい」――『おやすみなさい』

 

 玄関を出た二人は、エリカは、美鈴の前を案内するように歩く。

 そして門から出ると、菊代がすぐに手配した、西住家使用人が運転するトヨタセンチュリーに、二人とも乗りこんで、美鈴は、熊本市内へと帰って行った。

 玄関での見送りを終え、奥座敷に戻ってきた三人は、片付けられた座卓を囲んで座ると、菊代によって用意された、新茶を楽しみながら、談笑を続けていた。

 時間は、六時二十五分になっている――

 彼女達の談笑を遮るように、襖の外から、菊代の「奥様」と呼ぶ声が、三人に聞こえた。

 しほは「入りなさい」と返事をすると、襖が静かに開いて、菊代が電話の子機を持って、部屋へ入ってきた。

 

「奥様――。旦那様から、国際電話が入っています」

「そう、わかりました。執務室で、電話を受けます」

 

 しほは、菊代から電話の子機を受け取ると、立ち上がり、そのまま部屋を出ていった。菊代は、それを見届けると「失礼します」と言って、部屋を出て、そのまま襖を閉めた。

 部屋に残された娘の二人は、お互いの顔を見合わせている。

 

「どうしたのだろう。お父様が電話してくるなんて」

「お父さんは、まだ、イギリスにいるの」

「いや、五年前から、ドイツにいらっしゃる」

「ドイツ?」

「そうだ。マイバッハ・ベンツ社で働いているんだ」

「マイバッハ・ベンツって!? あのダイムラーグループの?」

 

 みほは、目を丸くして驚いた。

 彼女が驚くのも無理はない。マイバッハ・ベンツ社という会社は、ドイツの巨大自動車メーカー、ダイムラーグループに属する、ダイムラー社、メルセデス社と肩を並べる巨大企業である。戦前は、戦車のエンジンを中心に、ドイツ戦車製造の一翼を担っていた。

 戦車道に携わる者には、知らぬものはいないと言うほどの有名な会社である。

 前身であるマイバッハ社は戦後、ダイムラー・ベンツ社に買収され、その歴史に幕が下りたのだが、戦車道が全世界に広がり、戦車の部品、とりわけ、エンジン部品の需要が高まるにつれて、別会社として新たに創業された。

 ドイツ本社工場の中の一区画に、戦前、戦中の戦車部品倉庫があり、戦車道でドイツ戦車を扱う国や、各国の流派にとって、なくてはならない会社だった。

 

「お父さん、そこで何の仕事をしているの?」

 

 みほが訊ねると、まほは、思い出すように視線を下げて、妹に答える。

 

「なんでも、社長さんから直接頼まれた事があって、技術指導者として働いているそうだ」

「そうなんだ――。そう言えば、お父さんは、お姉ちゃんが家元になる事、知っているの?」

「もちろん、知っている。お母様がメールで報告したそうだ。その時に、今日、お前が帰ってくることも知らせたそうだぞ。お父様の許可が出たから、昨日、西住流に関係する所と各流派の先生達全部に、家元の交代の知らせを送っている」

「そっか――。お父さん、私の事、許してくれるのかな?」

「正直――。それは、わからないな……」

 

 まほの答えに、お酒で赤くなっていたみほの顔から、見る見る血の気が引いていく。

 まほは、視線を下げたまま、みほに話していく。

 

「お前が出ていって、しばらくの間、お前の行方を探していた。だが、どうしてもわからないので、あんこうチームの皆さんにも、お前の事を聞いてみた。それでも、わからなかったから、お母様は、お父様にお前の事を知らせたんだ。お父様は――すぐに家に帰って来られた。お前の手紙を見て、めちゃくちゃ怒っていたそうだからな……」

「……」

 

 まほの話を聞いたみほは、無言のまま、うつむいている。

 そこへ、タブレットを持ったしほが、奥座敷に戻ってきた。

 

「まほ、みほ。お父さんが、二人の顔を見たいそうよ」

 

 しほはそう言って、二人の反対側に座ると、自分の目の前に、タブレットを立て掛けるように置いて「お父さん、見えますか?」と、画面に向かって訊ねた。

 

「――ああ、大丈夫だ。よく見えるぞ」

 

 低い、張りのある常夫の声が、タブレットの内蔵スピーカーから聞こえた。

 まほとみほは、すぐに緊張した表情になった。

 特に、みほは、膝の上に置いた手を握りしめ、その拳は、小刻みに震えている。

 

「さあ、二人とも。お父さんに、ご挨拶しなさい」

 

 そう言って、タブレットの画面を、二人の方に向けた。

 画面には、事務所らしき場所で、大きめの肘掛椅子に座った、西住常夫がいた。

 彼は、ネクタイを締め、白のワイシャツを着ている。その上から、マイバッハ・ベンツ社のシンボル、三つのMが組み合わさったマークがあり、それを緩やかな曲線の三辺で囲う三角形でデザインされた金色のロゴマークが右胸の位置に入った、黒いジャンパーを羽織っている。彫りの深い顔へ、少なめのあご髭をたくわえた、短いスポーツ刈りの、懐かしい父親が、そこに写っていた。

 娘達は、同時に背筋を伸ばし、父親に頭を下げて、一礼をする。

 

「久しぶりだな。――まほ」

 

 常夫の低音で響く優しい声が、スピーカーから聞こえる。

 

「はい。お父様も、お元気そうで、うれしいです」

 

 まほは、にこやかに微笑んでいる。だが、彼女の声は、緊張からか、少しうわずっているのがわかる。

 みほは、彼女の隣でドキドキしていた。思わず、少しずつだが、視線が下がっていく

 

「――みほ」

 

 常夫から名前を呼ばれて「はい」と返事をしたみほは、視線を上げて、父親の顔を見る。

 

「今日、お前が帰ってくると、しほから聞いていたからな。この時間なら大丈夫だろうと思って、電話をしたんだ」

「――はい」

 

 みほに話しかけた常夫の声は、穏やかであった。しかし、画面の常夫は、そうではない。

 明らかに――。彼は、怒っている。

 みほにも、それがすぐにわかったから、返事が……、父親に対する返事が、一瞬遅れた。

 すると、次の瞬間、常夫のかみなりが、みほの頭上に落ちた。

 

「この――、馬鹿たれがぁ!!!」

 

 常夫は、凄味のある大きな声で、画面の中から、みほを叱り飛ばした。

 怒鳴られたみほは、反射的に首をすくめる。そして、すぐに頭を下げて「お父さん、ごめんなさい!」と、大声で叫ぶように言った。

 彼女を睨みつける常夫の目は、あの優しい目ではなく、吊り上ったように見える。

 まほは、父親のそんな顔を見たのは、初めてだった。

 みほにいたっては、もうそれ以上、顔が上げられないのか、頭を下げたままで、身動きひとつしない。

 しばらくの間、黙ったまま、みほを睨みつけていた常夫は、元の穏やかな低い、張りのある声で、もう一度「この、馬鹿たれが」と、小さく言い、動かないみほに、話しかけた。

 

「みほ――。顔をあげろ」

「はい」

 

 父親の声を聞いて、みほは、ようやく顔を上げる。

 

「――家の事は、しほに任せているから、私は、これ以上何も言わない。だがな……。みほ」

「はい」

「お前をすっと心配してくれていた、家の人達全員に、ちゃんと、お前が謝っておくんだ。いいか!」

「はい」

「しほ。三人が見えるように、座りなさい」

「はい」

 

 常夫が言うと、しほは立ち上がり、座卓を回り込み、娘二人の後ろに正座で座った。

 母と娘達の三人が揃って、画面の中の父親を見ている。

 常夫は、ようやく優しい目に戻ると、三人の顔、一人一人を見ながら言った。

 

「しほ、まほ、みほ――。私は、まだ当分ドイツに居なければいけない。だが、離れていても、私達は家族だ。お前達三人は、大切な私の家族なんだ。お前達がいるから、私も頑張れる。だから、家族同士で心配をしなければいけない事は、金輪際、絶対にするな。いいか、約束しろ」――『はい』

「お父さんからは……、それだけだ」

 

 三人は、画面の中の父に、声を揃えて返事をした。

 その返事を聞いた常夫は、ようやく、にっこりと笑うと、満足そうに、小さくうなづいた。

 

「久しぶりに、三人の揃った顔が見られて、お父さんは、嬉しいぞ」――『はい』

 

 三人の揃った返事は、父親として、本当に嬉しそうだ

 常夫は、三人の顔を、一人一人、順番に見つめながら、あごひげを擦っている。

 

「それで――どうだ。みんな、お父さんの髭は似合うか?」

 

 厳しいお父さんから、優しいお父さんに切り替わった常夫。

 その変わり様に、しほは、思わず手で口を隠すと、クスッと笑った。

 

「お父さん。そうね――。私からは、何とも言えないわね」

「はい。よく似合っていると思います」

「ごめんなさい。お父さん、私、よくわからないの」

 

 みほの返事に、全員がオヤッと思い、彼女を見た。

 髭を擦る事を止めて、常夫は、画面に向かって、身を乗り出している。

 

「わからない? どうしてだ。みほ」

「お父さんの顔が――お父さんの昔の顔が、よく思い出せないの」

 

 みほの寂しそうな答えに常夫は、納得した様に、身を乗り出すのを止めると、椅子に深く腰掛けた。

 

「――そうだな。ずいぶん会っていないからな。お前には」

「はい」

「それじゃあ、今よく見ておきなさい。お父さんの顔を、な」

「はい」

 

 みほは、再び背筋を伸ばすと、まっすぐに常夫を見つめた。

 父は「うん」とうなづくと、同じように、じっと見つめ返してきた。しほとまほは、親子のやり取りを、笑って見ている。

 すると、常夫の視線が、みほから妻の方に向けられ、彼女の名前を呼んだ。

 

「しほ」

「はい」

「腕時計の調子はどうだ? まだちゃんと動いているか?」

「はい。大丈夫ですよ」

 

 しほは笑って、自分の右腕を見せた。そこには、みほが幼い時、彼女の前で修理をしていた、あの腕時計が、正確に時を刻んでいた。

 腕時計を見て、満足そうに頷いた常夫は、妻に優しい言葉を掛ける。

 

「そうか。それはよかった。また、止まったら直してあげるからな。じゃあ、これで電話を切る。お休み」――『おやすみなさい』

 

 そう言って、向こうから電話が切られ、画面から、常夫の顔が消えた。

 しほが、パソコンを閉じると、二人に言った。

 

「お父さん、ずっと心配していたのね。まさか、スカイプまで使ってくるなんて、思わなかった」

「お母さん。明日、お父さんの言う通り、皆さんに私、ちゃんと謝るね」

「そうしなさい。お父さんの言う事は、絶対だから」

「はい」

「それにしても、あれぐらいで済んでよかったわね。みほ」

 

 しほは、立ち上がり上座に戻ると、少し冷めたお茶を、一口飲んで言った。

 みほは「うん」と言い、まほは「お父様のあんなに怒った顔、初めて見ました」と言った。

 しほは「そうね。あなた達は、そうでしょうね」と言う。

 

「お父さんが帰ってこられた時、私は、お父さんに、ひどく怒られたのよ」

「本当ですか? お母様」

「えぇ――『お前は、一体何をしているんだ! 娘の事さえわからない者が、人の上に立って、戦車道を教える事ができるか!』って、執務室でね。それこそ、お父さん、鬼の顔だったわよ」

「お母さん……」

「お父さんはね、いつも、私達の事を信じて、外国で働いていらっしゃる。今でも、いただいたお給料は、自分のわずかな生活費の分だけ取ると、残り全部、家に振り込んでくれているのよ」

「そうだったね。お父さんは『私達を養う事が、自分の仕事だ』って、言っていたよね」

「ええ。『戦車道を教える事で、生徒さんからもらうお金は、お前達自身のお金だから、好きに使え。だが、家族が生活する為のお金は、全部、私が稼いでくるから、心配するな』って、いつもお父さんは言っているの。――だから、悔しかったのよ。そんな事になった事がね」

 

 しほは、二人の顔を見つめながら言う。

 

「さっき、お父さんが言った通り、みんな、お互いに心配をかけないようにしましょうね。何か困った事があったら、一人で考えないで、必ず相談しながら、暮らしていきましょう。お父さんが、いつ帰ってきても、またここで会えるようにしますよ」――『はい』

 

 しほの言葉に、みほは、自分の身勝手さを痛いほど感じていた。

 そして、同時に、そんな自分を許してくれた、家族の暖かさが身に染みていた――。

 

 こうして、父親の許しも貰ったみほは、自分が使っていた部屋へやってくると、室内灯を点けた。綺麗に整頓された自分の部屋を、懐かしそうに見渡している。

 彼女は着ていたスーツをハンガーに掛け、それを壁に掛けると、部屋のシャワー室で、シャワーを浴びる。

 程よく体を温めた彼女は、シャワー室から出てくると、パジャマに着替えて、ベッドに腰掛けた。

 そこへ「みほ? 入ってもいいか?」と、まほがドアをノックしながら、彼女を呼ぶ声が聞こえた。

 みほは「はい」と返事をして、ドアを開けると、まほとエリカが、ドアの前にいた。

 まほは、パジャマだが、エリカは、美鈴を無事に送ってきた事を、しほに報告に来たのだろう、さっきのスーツのままだった。

 二人を招き入れたみほは、フローリングの床に、クッションと座布団を敷いて、二人をそこに座らせ、自分は、直接フローリングの上に、膝を抱えて座った。

 

「みほ、この紙を見てくれ」

 

 姉はそう言って、みほに、A4サイズの紙を渡した。

 手渡された紙をみほは、上から順に読んでいく。

 

「トライアウト?」

「そうだ。戦車道日本チームに入りたい者達への特別選抜試験が、今月末に行われる。これは全日本チームの司令官から、それに参加してほしいという手紙だ」

「でも、開催場所が書いてないけど?」

「どうも、急いで決めたらしく、まだ会場の手配がついていないらしい。参加希望者だけに、あとで連絡がくるそうだ」

「そっかぁ。じゃあ、これに合格すれば、お姉ちゃんも全日本に呼ばれるんだね」

「ああ、そうだ」

 

 まほは、うなずく。

 エリカも同じように、うなずいた。

 

「お姉ちゃん。チームはどうするの?」

「それは、もう決めている。西住流の中で、各担当の実力者達を、すでに選抜している。もちろん、逸見にも一緒に乗ってもらう」

「すごい! 逸見さん、頑張ってね」

「うん! 私、まほ先生と一緒に、世界大会に出るつもりよ」

「絶対、合格できるよ。――お姉ちゃんが、試合に出るところ見られるんだ! 楽しみにしてるね」

「ああ、この世界大会に出る為に、私は、七年間、歯を食いしばってきたんだ。絶対に、合格するんだ」

「及ばずながら、私も、まほ先生の力になれるよう、頑張りますから」

「ありがとう。逸見、一緒に世界大会に出よう」

「はい!」

 

 エリカは、まほに「一緒に出よう」と言われて、表情を輝かせて、嬉しそうに頷く。銀色の彼女のショートボブの綺麗な髪が、なおさら輝いて見えた。

 みほも、二人を見て、嬉しそうにしている。

 こうして、いつ終わるともしれない、三人のおしゃべりが続き、夜は更けていった――。

 

 

 翌日、みほは、朝食の前に、忙しそうに働いている家政婦達の元へ行くと、一人一人に頭を下げている。もちろん、咎める者はなく、逆に痩せたみほに、体の心配をする者ばかりだった。

 

(私って、そんなに、痩せてるのかな?)

 

 みほは、そう思いながら、家中を回って行った。

 朝食も終わり、みほが帰る時間となった。

 正門前でタクシーを待つ、スーツ姿のみほのまわりに、品の良いワンピース姿のしほとまほ、トレーナーにGジャンスカート姿のエリカの三人がいる。

 四人の談笑が少し途切れた時、しほは、懐から封筒を取り出すと、みほにその封筒を託した。

 

「みほ、真田先生に、この手紙を渡してちょうだい。そして、これはあなたの物です。持っていきなさい」

 

 みほは、母親が持っていた、一つのワニ革製のポーチを渡された。

ポーチを開けて中身を見ると『西住みほ』と書かれた、自分名義の銀行通帳と実印が入っている。

 

「私とまほから、少し餞別も入れています」

「えっ?」

 

 驚いたみほは、ポーチから通帳を取り出すと、中の金額を見てみる。覚えていた自分が貯めたお金のちょうど倍の額が、そこに記帳されていた。

 

「お母さん、お姉ちゃん。こんなに……」

「いいのだ、みほ。このお金は、お前が、今からやりたい事に使ってくれ」

「……ありがとう。お母さん、お姉ちゃん。私ね、原付バイクの免許を取りたかったんだ」

「バイクの免許?」

「うん!」

「そうなると、転居届や住民票も、ちゃんとしなければいけないな」

「はい。ちゃんと自分で手続きをするからね。ほんとにありがとう! お母さん、お姉ちゃん!」

 

 大事そうに、通帳達が入ったポーチを、鞄の奥にしまい込んだ、みほ。

そこへちょうど、タクシーがやってきた。

 それに乗り込んだみほは、運転手に熊本駅に向かうように告げると、窓越しに手を振る。

 母と姉、エリカに見送られ、彼女は、自分がいる大切な場所へと、帰って行った。

 時刻は、午前九時四十五分。青空が広がる日曜日の朝だった。

 

 

 みほが、西住家を出発した、ほぼ同じ時刻――

 東京の港区にある、十階建ての日本戦車道連盟が所有する東京ビル。

 その八階フロアーに五つある小会議室群の真ん中になる、八〇二会議室で、五人の理事達が、緊急の話し合いが始まろうとしていた。

 節電しているのか、部屋が大変暗く、蛍光灯がついているのは、丸テーブルの直上の二本だけだった。その丸テーブルを中心にして、お互いの顔が見えるように、円形に椅子を並べて、各理事は座っている。

 五人の前には、一枚の紙が置いてあり、三枚を一組にまとめられた書類を、それぞれが手で持ち、その書類に書かれている、何やらリストみたいな表を、諦めたような目で見ている。

 

「それでは、緊急理事会議を開きます。資料は、お手元にある二種類です」

 

 四人の女性と一人の男性で構成された理事達。

 男性の右横に座る、一番年長だと思われる、女性理事が開催を告げた。

 

「この会議での決定事項は、緊急家元会議で緊急提案します。もちろん、それまでは、機密事項ですので、各理事さん、宜しくお願いします」

 

 年長の女性理事は厳しい言葉で、そう言うと、他の四人の理事は、力無くうなずいている――。

 


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