ガールズ&パンツァー  五人の女神と魔神戦車   作:熊さん

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第26話  砲手たる者

 

 廊下に出た二人は、玄関の方に向かって、前をエリカ、後ろが華の順に歩いていく。

 玄関へ向かう廊下の左手には、西住家自慢の日本庭園が、開かれた窓から見え、その窓からは、心地よい風が、家の中に流れてくる。

 華は、その風に乗って遠くから聞こえる発射音と、初夏の草花の香りに交じって香ってくる、無煙火薬の爆発した独特のにおいに、うれしそうな表情である。

 前を歩くエリカは、三つの角を曲がるたびに、チラリと華の様子をうかがっているが、彼女は、そんなエリカの仕草に気付かないほど、ウキウキしていた。

 玄関に着いた二人は、それぞれが靴を履くと、外へ出た。そして、左に曲がると、目の前に延びている、煉瓦で造られた遊歩道の上を、本宅にそって歩いて行く。

 しばらく歩いていくと、本宅の建物が終わり、遊歩道にそって植栽された木々の間を抜けると、別棟の建物が、二人の前に現れた。

 その建物は、二階建てになっており、小さな会社ビルみたいな印象である。

 煉瓦の遊歩道は、その建物の正面へと続いている。そこに両開きのガラス戸の入り口があり、その右壁には「西住流戦車道寄宿舎」と看板が出ていた。

 エリカは、入口を開けると「先生、どうぞ」と言って、華を建物の中に誘う。

 華は「失礼します」と言って、建物の中に入ると、そこで、エリカが入ってくるのを待った。

 華に続いて、建物に入ったエリカは「すぐ戻りますので、ここで、お待ちください」と言い、玄関を入ってすぐ、右手にあるドアを奥に開き、部屋の中へ入った。

ドアの隣には、窓口らしきカウンターと開き窓があり、カウンターの上に『受付』という表札があったところを見ると、そこは寄宿舎の事務所らしい。

 華は、窓からエリカの様子を見ていたが、すぐに、視線を建物の中へと向けた。

 

「寄宿舎と書いてあったけど、ここが、お弟子さん達が住んでいるところなのね」

 

 華はそう言うと、興味深そうに、建物の様子を見渡した。

 彼女が今居るところは、十畳ほどのロビーとなっていて、四人掛けの机と椅子が二セット、玄関左手の壁にそって置いてあり、月刊戦車道の本が数冊、それぞれの机の上にあるブックスタンドに、綺麗に並べられている。建物奥に目をやると、ロビーと建物内とを区別する段差があり、そこで、スリッパか何かに履き替えるのだろう、右手の事務所の壁にそって、靴箱が、合計十八個分あった。

 華が、興味深そうに、ロビーの様子を見ていると、事務所のドアから、エリカが出てきた。

 いつの間に着替えたのだろうか、彼女は、西住流戦闘服を着ている。

 そのエリカの手には、クリーニングされた服が、二着分あった。

 

「先生、その恰好では、スーツが汚れますので、この服に着替えていただけますか?」

「逸見さん。その先生というのは、よしてください。同い年じゃないですか。華で結構ですから。それと敬語も使わないでください。なんだか、よそよそしく感じますわ」

「しかし、先生は、敬語を使っていらっしゃいますよ」

「これは、私の口癖です。気にしないでください。普通にしゃべっているのですが、幼い頃から、こういう話し方をするようにと、しつけられてきましたので、それが抜けないのです」

「――わかったわ。だけど、先生とだけは呼ばせてね。教えるものこそ違うけど、先生は、先生なんだから、そこは、ちゃんとけじめをつけさせて」

「わかりました。でしたら、私の事は、華先生と呼んでくださいね」

「ええ、華先生」

「ウフフ。逸見さんと仲良くなれて、私、うれしいですわ」

 

 華はそう言って笑うと、エリカから服を受け取った。

 手に取った服を見た華は、不思議そうな顔をして言う。

 

「これって、今、逸見さんが着てらっしゃる、戦闘服と同じものですか?」

「うん。これはね、しほ先生が着るのを許可しないと着れないもので、師範クラスの人じゃないと着れない服なの。西住流を学ぶ者達のあこがれの服よ」

「そんなすごいものを、私なんかが着てよろしいのですか?」

「ええ。今、しほ先生に、許可もらいましたから、大丈夫よ」

「本当ですか! うれしいです!」

 

 服を抱きしめながら、華は、うれしそうに、そう言った。

 エリカは、無邪気な笑顔の華を見て(華先生って、ほんとは可愛い人なのね)と思った。

 そうしてエリカは、靴箱の隣にあるドアを指差した。

 

「ここが更衣室だから。それと、サイズは一番大きいものと、次に大きいものを用意したから、どちらか合う方を着てね」

「はい!」

 

 服を抱きかかえたまま、華は「すぐに着替えてきますね」と言って、振り向くと、エリカの指差したドアを開けて、部屋の中に入っていった。

 更衣室は、六畳ほどのスペースで、縦型ロッカーが、壁にそって、ぐるりと、コの字に並べられている。部屋の中央に、高さが八十センチメートルほどで、縦横、一メートル五十センチの正方形のテーブルが、一つ置いてある。

 華は、そのテーブルに、預かった服を置いた。

 そうして、彼女は、部屋の左側、一番ドア側となる、ロッカーの扉を開けて、中に何も入っていない事を確認すると、中にあったハンガーを二つ取り出した。

 華は一つにスーツの上着を掛けると、それをロッカーの中に掛けて、今度は、着ているブラウスの袖ボタンをはずしはじめた――。

 華が、着替えをしている最中、ドアの外から、エリカの声が、彼女に聞こえてきた。

 

「エマ、今から、佐世保に帰るのか?」

「――イエス、マム」

 

 小さな声だったが、その流暢な英語の返事に、華は(おやっ?)とした表情になった。

 

(英語? 外国の方なのかしら)

「そうか、もうすぐ全国大会だな。エマも出るんだろう?」

「――イエス」

「西住流戦車道は、どうだった? お前の感想を聞きたい」

「西住流――よく、わからない……」

「わからない? それが、エマの感想なのか?」

「――イエス」

 

 戦闘服の上着を着て、ボタンを留めながら、華は、ドアの外の会話を聞いていた。

 

「そうか――まあ、一週間の合宿だったからな。それも理解できる。ケイさんや、お姉さん達によろしく伝えてくれ」

「――イエス」

 

 ロッカーに着ていたもの全てを入れ、鍵を掛けると、華は更衣室のドアを開ける。

そこには、エリカだけが立っていた。

 思わず、玄関の方を見た華だったが、そこには誰もいなかった。

 彼女は、自分を見ているエリカに、視線を戻して言った。

 

「――お待たせしました。一番大きい服で、ピッタリでした。逸見さん、いかがですか?」

「うん、よく似合っているよ」

「ありがとうございます」

「それでは、行きましょうか?」

 

 こうして二人は、連れだって寄宿舎を出ると、今度は、寄宿舎を右手から回り込むように、歩いて行った。

 寄宿舎の裏側は、サッカーグラウンドほどの広場になっていて、その向こう側に、細長い平屋建てで、鉄筋コンクリート製の戦車格納庫があった。

 一つ一つが、格納庫として区切られており、全部で十五区画ある。

 十区画がシャッターで閉まっていて、向かって右側、五区画のシャッターが開いていた。 四区画が、カラの状態で、一番右側の区画に、戦車が置いてある。

 二人は、その置いてある戦車の所へむかった。

 戦車格納庫についた二人は、そこで、待機している戦車を見上げた。

 

「華先生。この戦車の名前を知ってる?」

「ええ、確か……。パンターG型じゃなかったでしょうか?」

「そうよ。よく知っていたわね」

「長さは、8.7メートル。幅は、3.3メートルじゃなかったかしら?」

「――そうよ。すごいわね」

「昔、黒森峰と試合をする前に、一生懸命覚えましたの。あんがい覚えているものですね」

 

 華は、そう言って笑う。

 エリカも、同じように笑っているが、どことなく驚きが混じった、複雑な笑い方だった。

 すると、パンターの後ろで、履帯の点検をやっていた、整備士の女性が、二人のそばにやってきた。

 

「逸見副師範。準備はできています」

「ありがとう――華先生、今空いているのは、この戦車しかなかったのよ。これでいい?」

「えぇ、もちろんです。――ですが、Ⅳ号以外の戦車に乗るのは、私、初めてですわ」

「照準器やシュトリヒは、Ⅳ号と同じだから、大丈夫よ」

 

 二人はそれぞれ、各担当席の上部にあるハッチを開いて、パンターに乗り込むと、整備士の女性が、最後に操縦席に座った。

 エリカが、車長兼装填手となり、操縦席に座った整備士に指示を出す。

 

「五号車、射撃訓練場へ、前進せよ!」

「了解。前進します」

 

 返事をした整備士は、アクセルを踏み込むと、パンターG型は、なめらかに前進を始めた。

 戦車格納庫を出たパンターは、右に進路を取ると、軽快な走りで、不整地の広場を抜け、訓練場の南側にある、射撃訓練場に向けて、前進する。

 砲手席に座り、小刻みに揺れる振動を、心地よく感じながら、華は、久しぶりに覗く照準器の中の、目標までの距離を計算するための、目安となる三角形のシュトリヒと、放射線状に付けられた目盛を、微笑みを浮かべながら見つめていた。

 しばらく走っていると、照準器の中に、大きな射撃訓練用の的が見え始めた。

 細長く盛られた、小高い丘のような所に、立てかけられる感じで、的は設置してあり、数えてみると、全部で、十個並んでいる。

 進んでいる方向から見て、奥側になる四つの的を使って、他の戦車達が、砲撃訓練をやっているようである。

 照準器を覗くのを止めた華が、隣に座るエリカに、顔を向けて訊ねる。

 

「逸見さん。的の直径はどれぐらいなのですか?」

「二重円の中心の黒丸が、五メートルで、外側の円が十メートルよ」

「そうですか。では、的まで、千メートルの所ですね。五百メートルの所でお願いします」

「――。わかりました。五百メートルの地点で停車せよ」

「了解」

 

 華は小さくブツブツと言いながら、照準器を覗いている。

 照準器、中央の位置に、正三角形の形をした、シュトリヒと呼ばれるものがある。

 照準器の中心になる場所にある大きな正三角形は、四シュトリヒというサイズで、そこから、左右に広がるように、片方に三つずつ、一シュトリヒ分の空間と、二シュトリヒサイズの小さな正三角形があり、合計で、七つ並んでいる。

 目標物までの距離は、的になる物の大きさ÷シュトリヒ×1000で計算して割り出す。

 華は、どうやら、小さな三角形の二シュトリヒから、的までの距離を割り出したようで、よく聞いてみると、彼女は「……八百五十。……七百。……五百五十」と呟いている。

 逸見エリカは、華の砲手としての才能に、心の中で驚いていた。

 走っている戦車は、上下に振動しながら前進する。その動きで、当然照準器も、振動しているわけで、瞬間的に、遠距離の小さな目標物を捉える事は、難しい技術だった。

 さっき、標的の大きさを言っただけで、今、どのくらいの距離にいるのか、華がすぐに言った事は、砲手を続けている者でさえ、即答できる事ではなかった。

 

(華先生――、いくら経験者とはいえ、長いブランクがあるのに、標的の大きさを聞いただけで、即座に、距離が計算できるなんて……)

 

 エリカは、表情には出さなかったが、心でそう思っていた。エリカは(――そろそろ、五百メートル地点ね)と思うと、華の方から、指示が来た。

 

「停車をお願いします」

「停車!」

 

 華の言葉に、即座にエリカが、操縦手へと指示を出す。整備士は、「はい」という返事と、同時にブレーキをかけて、その場に停車した。

 

「はい。距離、五百メートルですね。それでは、逸見さん。よろしくお願いします」

「了解。徹甲弾装填!」

 

そう言ってエリカは、七十五ミリ徹甲弾を、装填部に押し込んだ。

 

「装填完了! 発射用意!」

「了解。照準、……調整中」

 

 華は、一つ一つの動作を小さく声に出しながら、砲塔と砲身を、小刻みに動かす。そして、中心のシュトリヒの頂点に的を合わせた後、ゆっくりと深く、息を吐いていった――。

 あんこうチームで、砲手を務めていた頃の、五十鈴華。

 一撃必中の気迫と砲手が持つ絶妙なバランス感覚、そして、なによりも、あの研ぎ澄まされた集中力が、彼女の中に甦ってきていた。

 

(この距離は、正確には五百八メートルというところね。あと、ほんの少し仰角を上げて……。左に五十センチ……、ずらす)

 

 ドイツ戦車は、着弾点と照準器との誤差が、右側に五十センチほどずれてしまう。それをあらかじめ計算して発射するのだが、この最後のずらす感覚は、砲手の感覚でしかわからない、微妙な感覚である。

 華は、小さく「よし」と呟いたあと、照準器を覗いたまま、横にいるエリカに対して報告する。

 

「発射準備完了!」

「撃て!」

「発射!」

 

 エリカが言うと、華はそう言って、足元にある戦車砲の発射ペダルを、踏み込んだ。

 轟音が、砲塔内に満ちると、七十口径七十五ミリ砲の砲口から、勢いよく徹甲弾が飛び出した。

 綺麗な弾道を描きながら、徹甲弾は、真っ直ぐに、的の中心へと向かって行く。

 そして、一秒後に、真っ黒い土煙が、二重の円中心から上がり「ウー、ウー」というサイレンの大きな音が、辺りに鳴り響いた。

 

「華先生、お見事です!」

 

エリカが言うと、ようやく照準器から覗くのを止めた華が、ホッとした表情と、すぐニッコリと嬉しそうに微笑んだ。

 

「逸見さん。すみませんが、少し欲が出てまいりました。申し訳ありませんが、距離千メートルの所へ移動してもらえませんか?」

「千メートルに、ですか?」

「はい。今の私の実力というものが知りたくなりましたもので……。ダメでしょうか?」

 

 また、華がモジモジしながら言ってきた。

 エリカも、華の実力というものを、間近で見たい気持ちになった。

 

「いいですよ。五号車、距離千メートルまで移動せよ」

「了解。千メートルまで移動します」

 

 整備士は、返事をすると、ゆっくりと左に回り込むように前進させて、パンターを百八十度、方向転換させた。

 今度は、後ろ向きの為、照準器で距離を測ることができない。

 しばらく走っていたパンターが、速度を落とすと、また百八十度回転して、停車した。

 

「到着しました」

「このまま、五メートル、前進をお願いします」

「――。了解」

 

 停止した直後、華が、五メートル前進してくれ、と言ってきた。

 整備士は、その指示に従い、戦車一輌分の前進を行い、また停車する。

 エリカは、華の目標物までの距離を把握する能力の高さに、声を出さずに驚いた。

 五百メートルで発射した要領で、今度も華は、小さく呟きながら、徹甲弾を発射する。

――そして、今度もまた的の中心にと当てたのであった。

 逸見エリカも、整備士も感心した様子である。

 すると、華が、また、驚く事を言い出したのである。

 

「このパンターの癖が、わかりましたわ。もう大丈夫です。逸見さん、次は千五百メートルまでお願いします」

「ええっ? それは――、ブランクがある華先生には無理ですよ。」

「大丈夫ですから。ぜひ、お願いします」

「――わかりました」

 

 エリカは、納得できない様子ながら、そう言って、また移動の指示を出した。整備士も短く「了解」と返事をしたが、今度は呆れたような返事の仕方だった。

そうして、また左旋回をしたパンターは、的から、千五百メートルの地点までやってきた。

 砲撃訓練をしていた、四輌の戦車から、いつのまにやら、砲撃音が聞こえなくなっている。しかし、戦車は五百メートルの地点から動いていないので、どうやら、華達の見学をしているような感じだった

 エリカは内心(――まさか……。無理だろう)と思っていたのだが、今度も、華は見事に命中させる。

 

「嘘……」

 

 エリカは、思わず声に出てしまった。すると、華は、嬉しそうにまた言う。

 

「まだまだ、いけそう――。次は、二千メートルにお願いします」

「ええ?」

 

 エリカが本当にびっくりして返事をする。

 操縦席の整備士も、思わず「えっ?」と言った。

 

「華先生。もう無理よ。さすがに、二千を超えると、的に当てる事さえ至難の業よ」

「大丈夫です。この子の癖もわかりましたし、私には、中心が見えていますから」

「えっ?」

 

 エリカは、華の答えに信じられないといった表情である。

 

「華先生。見えるって、的の中心が?」

「ええ。はっきり見えていますし 今の感覚でしたら、もっと離れても当てられそうです」

「――そんな、まさか」

「逸見さん、ものは試しです。二千メートルまでお願いします」

「――。わかりました」

 

 そうして、またさっきと同じように二千メートルで発射すると、また、中心に当てたのである。

 

「すごい――二千メートルの距離で、一発で当てられる人なんて、そういないわよ」

「ありがとうございます。だんだん楽しくなってきましたわ。次は、二千百メートルまでお願いします」

「――」

 

 整備士は、もう無言のまま、戦車を移動させ始める。

 射撃訓練場の端っこになるところまで、もうそんなに距離がない

 停車したパンターは、また、華の指示で、少し前進して、同じように停車する。

 そして――華は、同じように発射する。これを繰り返す。

 こうして華の発射する徹甲弾は、二千二百メートルのところで、初めてサイレンが鳴らなかった。的の中心から外れたのである。

 華は、悔しそうに「外れましたわ……。残念です」と言った。

 照準器を覗くのを止めて、華は、隣に座っているエリカの方を見ると、

 

「逸見さん。ごめんなさい――外してしまいました」

 

 華はそう言って、ペコリと頭を下げた。その行動が意外だったのか、エリカは言った。

 

「華先生。――それでもすごいですよ。二重丸の内側には入っていますから」

「いえ、砲手を任された者は、的の中心を外したら、それはもう外れた事と一緒なのです」

「どうして、そうなるのですか?」

 

 エリカは、いつの間にか、気づかないうちに、また、敬語で話をしている。

 華は砲塔の中で、エリカの方に半身になると、淡々と話し出した。

 

「今、私が発射した砲弾は、逸見さんが装填してくれたものです。そして、操縦手の方が、私が指示した位置まで移動してくれたものです。今は、お二方だけですが、試合の時は、飛び交う砲弾の中、車長や、通信手の方が周りを気にしてくれて、砲手の集中力が途切れることの無いようにしてくれます。砲手は、皆さんのおかげで、一発の砲弾が発射できるのです。その砲弾には、皆さんが当てて欲しいという願いがこもっているのです。それを外したのですから……。申し訳ない気持ちで一杯です」

 

 華はそう言うと、もう一度、エリカに頭を下げるのだった。

 彼女の言葉を聞いたエリカは、何かを悟ったのか、真剣な表情である。

 

「華先生……」

「でも――。残念です。たった二千百で終わっちゃうなんて……」

 

 華の、その一言が、またエリカを驚かせた。

 

「たった、って、それじゃあ、華先生は、どれくらいの距離まで当てられたのですか?」

「昔は昔ですよ――今の私は、二千百メートルが、実力という事ですね」

 

 華はエリカにそう言って、にっこりと笑ったのである。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 逸見エリカは、砲塔内であった、華とのやりとりを、みほに話すと、少し間を取った。

 みほは、小さな声で言った。

 

「華さん。――二千二百で外したんだ」

「副隊長、私はね、華先生から、砲手としてのプライドというか、誇りみたいなものを学んだ気がするの。中心を外したら当たったことにならない、って言われた時、特にそう感じた」

「うん、華さんは、訓練の時、いつも、そう言ってた」

 

 みほは、あの頃を思い出すかのように、視線を下げた。

 すると、今度は、まほが、みほの後ろから、彼女に声を掛ける。

 

「私も、お母様と一緒に、訓練指揮所で、体験の様子を見ていた。どんどん的から離れていく戦車を見ながら、それでも、正確に当てていく華先生を見て、これがブランクのある砲手なのか、と驚いたんだ。それは、お母様も一緒だった」

 

 まほがそう言うと、しほは、小さくうなずいた。

 二人を見て、みほも、同じようにうなずく。

 

「うん、そうだね。華さんはすごいから」

「副隊長、聞いてもいいかしら?」

「うん。何?」

 

 エリカはそう言って、自分が知りたかった事を、みほに訊ねた。

 

「結局ね、華先生は、どこまで当てられていたのか、教えてくれなかったの。副隊長は知っているんでしょ?」

「うん」

「みほ、華先生は、高校生の頃、どのくらいの距離まで、正確に当てられていたのだ?」

「うん……」

 

 みほはそう言うと、言いにくそうなのか口ごもった。しかし、まほの方を向いて言う。

 

「試合では、そんな距離から撃たせたことはなかったから、わからないけど、訓練の時に、華さんは、短砲身の時のⅣ号で千八百、長砲身に変えてからは、二千五百メートルの距離で、的に当てていたの」――『ええっ!』

 

 しほ、まほ、エリカの三人が同時に驚いた

 まほは「偶然とかではないのか」と、みほに聞くが、首を振りながら「ううん、違う」と、みほは言った。

 まほは、みほの返事を聞いて、なお驚いた。

 

「信じられん。戦車道を始めて、そんなわずかな期間で、あそこまで上達するものなのか」

「うん、華さんは、本当にすごい人なの。違う、華さんだけじゃないの。あんこうの皆、全員がすごい人達だったの」

「私、華先生とお話をして、謝られた時に、副隊長のチームにどうして勝てなかったのか、その理由が、なんとなくわかった気がしたの」

 

 エリカは、ささやくように呟くと、みほの顔を見つめながら言う。

 

「そうね、副隊長の戦車道というのが、どんなものなのか、少し理解できた気がするの」

「私――、チームの皆に、戦車道を好きになって欲しかった。だから、皆が思いついた事や、作戦なんかも、全部やらせていたの」

「そうか――。それが、みほの戦車道の教え方だったのか」

 

 まほは、なぜか、深いため息と共に、そう言ったのである。

 


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