「六年――。ううん、もう七年前になるんだよね。お姉ちゃんが怪我をした、世界大会って」
「そうですね、もう、そんなになりますね」
みほに、静かに相槌を打つ優花里。
静かに話を始めた彼女は、一つ一つの記憶をしっかりと思い出すように、ゆっくりと言葉にしていく。正座したまま、みほを見つめる四人は、彼女の言葉、一言も聞き逃すまいと、真剣な表情で聞いている。
「――お姉ちゃん、大怪我をしたけど、無事だって知らされたから、試合が終わってから、すぐに病院へ行ったの。そうしたら、ドイツチームの隊長さんが、通訳さんと一緒に、その日に見舞いに来てくれた。その時、隊長さんに『西住流は最低な戦車道の流派』って言われたの」
「えっ、お見舞いに来た、その時に、……なのですか?」
華が「何て非常識な!」と言わんばかりに、目を吊り上げながら、驚いてみほに聞き返した。
他の三人も、まほから知らされていなかった事実を、みほが話していく。
「うん。――お姉ちゃんはね、黙って、隊長さんの話を聞いていたんだけど、私ね、その時、思ったんだ」
みほは、そこで一旦、話を止めると、顔を上げ、四人の顔を見た。
「――じゃあ、隊長さんの思う『最高の戦車道』ってなんなのだろうって」
あんこうの四人の親友達は、日本有数の戦車道家元の娘である、みほが初めてぶつかった、戦車道という武道、そのものへの大きな心の迷いを、黙って聞いている。
「戦車道って、良妻賢母を育む為の乙女の嗜みって言われているでしょう。でも、その隊長さんは、戦車道の世界大会は戦争と同じだ。殺すか、殺されるかの試合なんだと言っていた」
「――」
さすがの四人も、この話を聞かされて、言葉が出なかった。
みほは、なおも話を続ける。
「お姉ちゃん。ううん、お姉ちゃんだけじゃない、お姉ちゃんと一緒に戦っていた、二号車の先輩達を、大怪我させるような武道が、良妻賢母を作ることができるのかなって、ずっと考えてた。勝つか負けるか、それだけが隊長さんの思う、最高の戦車道なのかなって――それって『西住流』と、どう違うのかなって、ずっと考えていた……」
「西住流との違いですか?」
華が、思わず聞き返した。
華道と戦車道、静と動の違いはあれど『道』を極めようとするところの、同じ指導者として、他の流派の良さを、素直に認める華にとって、とても自然な疑問だった。
「うん。――西住流も、勝つことが全ての戦車道だった。そして、私にとっての戦車道は、西住流がすべてだったの。でも、それを最低だと言われた時、生徒さん達に教えていた西住流って、いったいなんなのだろうって、考えてしまったの」
そこまで語ったみほは、静かに目を閉じた。それはまるで、一つ一つの事を間違わないようにしているように見えた。そして、再び目を開けて、彼女は語り続ける。
「病院で、お姉ちゃんのお世話をしながら、ずっと考えていたけど、結局、それが分からないまま、家に帰った。分かってはいたんだけど、やっぱり、お母さんは怒っていた――。そうなの、西住流の掟を破ったのは私だから、前進あるのみの西住流の掟。私は、また破っちゃったの。だから、私は家を出ようと決めたの。西住流って何なのかが分からない私は、西住の家には住めない、と思ったから……それで、家を出たあと、世界大会で一緒に戦ってくれた、先輩達に謝りに行ったの」
「みぽりん、どうして、謝りに行ったの?」
「――うん、先輩達は、私が全日本チームの隊長に絶対なれるから、これからも頑張ってね、と励ましてくれた。でも、その約束が守れないから、謝りに行ったの」
「そうだったんですか」
みほの性格をよく知っている優花里や、他の三人も、みほが取った行動に思わず頷いた。
「――乃木美津子さんの所にも行ったのか。隊長?」
冷泉麻子が訊ねると、西住みほは「うん」と、小さく頷いた。
「乃木隊長は、私の話を黙って聞いてくれた。でも、最後に怒られた。『まだ、何も成し遂げていないあなたが、そんな事を考える資格はない』って」
「――」
しんと静まり返る部屋に、みほの声だけが響いている。
皆で一生懸命に作った、温かい手料理も、徐々に、冷め始めてきている。しかし、誰も料理に手を付けようとはしない。
「乃木隊長に怒られたけど、私は、それでも、もう西住の家には戻るつもりはない。戦車道って、何なのかが分からない私は、もう戦車道はしないって、乃木隊長に言ったの」
「乃木さんは、その後、どうされたんですか?」
六年前、まほから相談を受けた時に「家出してきたと言ったら、お小言を言って追い返す」と言った華が、目の前に座るみほに訊ねると、彼女は、また眼を閉じた。
「――私ね、ずっと隊長と一緒の部屋で、隊長の身の回りのお世話をしてきたんだけど、その時、初めて隊長に反論した。『自分の気持ちは変わらない。だから、戦車道を辞める事を許してほしい』って言ったの。そうしたら、隊長は、何も言わずに席を外して、部屋を出て行った。そうして、待っていたら、手紙を持ってきたの。これを持って、茜さんの所に行きなさいって」
「――ああ、それで、その後、隊長は、杉本さんの家に行ったのか」
「あっ、そうだね、真田さんは、杉本さんになったんだったよね――うん、そして、杉本さんから、よく考えて、それでも考えが変わらなければ、琴音先生の所に行くように言われた。その後、少しいろんな所を見て回りながら、考え続けた。でも――やっぱり、気持ちが変わらなかったから、琴音先生の家に行ったの」
「はい……」
「琴音先生は、あの家に暮らしていた。あの日の事は、今でも覚えている……」
四人の返事を聞いて、みほは、再び目を閉じて、小さなため息を一つすると、その時の事を思い出していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
七年前の秋――。
紅葉が深くなり、周りの山々が、紅や黄色の衣装を身にまといはじめ、●×村を渡る風も、寒くなってきた。もう、冬が近づいてきていると、誰もが感じる季節になっていた。
良く見える星空と、乾燥した空気が、ここしばらく、この村に、雨を降らせていない事を伝えている。
みほの誕生日が、一週間後になる、夜の九時。
真田琴音の家の玄関にある、電話が鳴りはじめた。
奥座敷で、一人、お茶を飲んでいた琴音は、持っていた湯呑を、こたつの天板に置いて、こたつから抜け出すと、羽織っていた袢纏の襟を閉じて「はい、はい」と、呼び続ける電話へ返事をしながら、廊下を早足で歩いて、電話の前に来ると、静かに受話器をはずし「もしもし」と答える。
電話の相手は、彼女の姪に当たる、真田茜からだった。
「もしもし、先生ですか? 茜です」
「どうしたの? こんな夜遅く? それに、電話をしてくるなんて」
「先生に、急いで報告と相談しなければいけなくなりまして、お約束を破り、お電話を差し上げました。申し訳ありません」
「――どうしたのよ」
「実は……」
茜は、昼間、西住みほが、戦車道を辞めたいと、自分の家にやってきた事を告げた。そして、もしかしたら、みほが、琴音を訊ねてやってくるかもしれない事を、彼女に伝えた。
琴音は、黙ってそれを聞いていたが、茜が話し終わると、彼女に訊ねた。
「――茜、どうして、私の所を、みほちゃんに、紹介したの?」
「申し訳ありません。先生しか、みほちゃんの、今の気持ちを理解して上げられる方を思いつかなかったものですから。勝手な事をしました。お許しください」
「そう。――わかりました」
「事の詳しい事は、みほちゃんに手紙として預けております。思い直してくれればいいのですが」
「茜、よく聞きなさい。家元の家に生まれた者が、その道を辞めると口にする事は、よほどの事と覚悟がないとありません。それが『家を守り、道を守る』という事です。その事は、茜も知っているでしょう。そして、みほちゃんが、実際にそう言ったのなら、それほどの覚悟があるのでしょう。もし、みほちゃんが、私の所に来たのなら、あなたに、ちゃんと知らせます。ですが、みほちゃんの事は、私に任せてもらいますよ。それから、今後一切の電話は禁止します。そちらからの連絡は手紙にしなさい」
「はい。先生、分かりました。申し訳ありませんでした。みほちゃんの事、宜しくお願いします」
茜の返事を聞いた琴音は、静かに電話を切った。
電話を切った彼女は、その足で奥座敷に戻ってくると、上座の床の間に掛けてある、掛け軸をじっと見ている。
達筆すぎて、書道に詳しくなければ読めないほどの字が書かれている、その掛け軸を見ながら、琴音は、聞き取れないほどの小さな声で、書いてある言葉を読んだ。
『戦車は、群れる羊に非ず、独り立つ獅子也……』
琴音は、掛け軸を見つめたまま、なにやら笑っているが、彼女が、なぜ笑っているのか、今は琴音しか分からない――。
その二日後の午後三時――。
どんよりと黒い雲が立ち込めて、今にも、雨が降り出しそうな空の下、西住みほは、●×村に続く県道のトンネルを、一人で歩いていた。
全くの無表情で、ボストンバッグ一つ持って、二車線道路の歩道の白線を、辿るように歩いている。車道を走る車は、数えるほどしか、すれ違わない。しかし、車を運転する者、誰もが、歩いている彼女に気付き、すれ違うたびに、不思議そうに横目を使い、バックミラーで、彼女を見ていた。
みほは、トンネルを抜け、一本道の県道を辿り歩く。途中の分かれ道に来ると、バッグの横ポケットに入れた、地図を取り出して、場所を確認すると、また、地図をバッグに戻すと、県道を再び歩きだす。
すると、上空から、ポツリポツリと、雨が降り出した。
降り始めた雨に気付いたみほは、上空を見上げたが、バックから傘を取り出そうとしない。走り出そうともしなかった。
ただ、だんだんと強くなっていく雨の中を、彼女は、濡れながら歩いている。
中心街らしき所を、うつむきながら歩く、みほ。
その頃には、雨は本降りとなっていた。雨宿りさえしようとせず、みほは、目指す琴音の家に向かっていた。
ようやく、琴音の家に着いたみほだったが、全身ずぶ濡れで、寒さに体を小さく震わせながら、右手で家のチャイムを鳴らした。
家の中から「はい」という声が聞こえると、みほは、小さく「――こんにちは」と返事をした。
玄関扉が横に開くと、琴音が出てきた。
「まあ、みほちゃん、どうしたの? ずぶ濡れじゃないの?」
ぐっしょりと全身が濡れている、みほを見た琴音は驚き、彼女に声を掛けるが、みほは顔を上げずに、返事をしない。
「早く、早く入りなさい。風邪をひくわ」
そう言って琴音は、みほを家の中に引っ張り込んだ。
グレーの正方形タイルで作られた、玄関の床が、みほの体をつたって落ちる雨水のせいで、みほの立っている足元だけ、黒く変わっていく。
「ここで、待ってなさいね。今、タオルを持ってくるから」
「――はい」
みほの小さな返事を聞いたあと、家の中に駆けこんだ琴音は、浴室からバスタオルを三枚持って、戻ってくると、玄関で立ちすくんだままの、みほの頭を優しく拭きはじめた。
何も言わずに、みほは、唯、琴音にされるがままになっている。
そうして、琴音は、彼女の全身を拭き上げると、みほの手を引いて、奥座敷に連れていった。みほは、バッグを持ったまま、琴音に引っ張られていく。
むかった奥座敷には、加藤勉が座っていて、琴音とみほを見上げていた。
「先生、その方――」
「加藤さん、しばらく席を外してください。着替えをさせますので」
「わかりました」
席を立った加藤と入れ替わるようにして、琴音とみほが、奥座敷に入ると、襖を閉めた。
しばらくして「加藤さん、どうぞ」という琴音の声がして、加藤が入ると、ジャージにトレーナー姿のみほが、こたつに入って、座っている。
「加藤さんは、彼女は……」
「はい、存じております。西住家の次女、西住みほさん――ですね」
そう言って、琴音の隣に、加藤は座った。
琴音は「そう」と言って、小さく頷くと、自分の反対側に座る、みほの方を見た。
「みほちゃん?」
優しく名前を呼ぶ琴音に「はい」と小さく返事をしたみほは、バッグから、封筒を取り出すと、琴音の目の前に差し出した。
琴音は、封筒を破り、茜が書いた手紙を読むと、それをまた封筒に戻し、自分の懐に入れ、みほに話しかけた。
「みほちゃん、ここに住みなさい」
「――えっ?」
「いいから……。一緒に住みましょう。ねっ」
「……でも」
「いいの。私が決めます。みほちゃんは、今日から、私と一緒に、ここに住むのよ」
「――」
みほは黙ったまま、うつむいていた。
琴音の隣で、二人のやり取りを見ていた加藤が、心配そうに、琴音に訊ねる。
「先生?」
「加藤さん、覚えておいてください。ここにいる西住みほちゃんは、唯の西住みほちゃんです。よく似ているので、間違われますが、加藤さんの知っている、西住流の西住みほさんとは、全然関係ありません。茜のお友達で、西住みほさんと、同じ名字、同じ名前の女の子なのよ」
「――はい」
加藤は、琴音が、彼女を匿まおうとしている事に気付いて、頷きながら返事をした。
「そうよね? みほちゃん?」
「――」
琴音に、そう呼びかけられた、みほは小さく肩を震わせていた。泣いているようでもあった。
「加藤さん、この事は、私が許可するまで、他言無用です。いいですか?」
「――はい、わかりました。それでは先生、今日はこれで失礼します。お休みなさい」
そう言って、加藤は一礼をして、部屋を出ていった。
「じゃあ、決まりね。みほちゃんは、こっちに来て」
そう言って、琴音は、奥座敷の隣の部屋に連れていくと、そこの部屋をみほの部屋にすることを言った。
「もう、心配しなくていいわよ。今日からこの部屋は、あなたのお部屋。何もないけど、ベッドとテレビと洋服ダンスはあるから、当分は大丈夫ね、欲しい物があったら言いなさい」
「――ありがとう……ございます」
「疲れたでしょう。お風呂沸かすから、先に入りなさい。その後、夕食にしましょうね」
そう言って、琴音は部屋を出ていった。
部屋に一人になったみほは、バッグを床に置くと、顔を両手で覆って、泣き出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
四人を前にして、みほは、静かに話を続けていた。
「――私、琴音先生の所へは駅から歩いてきたの。駅からは随分離れているけど、なんとなくタクシーを使う事は自分に対する甘えみたいに感じて、バッグ一つ持って歩いていたの。そうしたら、途中で雨が降り出して……。その頃は、スーパーもあそこに出来ていなかった。私、もうどうなってもいいって思って、ずぶ濡れになりながら、先生の家に行った……」
聞いている四人は、車に乗って、ここまでの道のりを思い出した。
人家もまばら。スーパーがあるところでさえ、十軒ほど、家が固まっているぐらいで、本当に田んぼと畑だけで、何もなかったことを思い出した。
「――そして、先生の家について、先生に会ったら、ずぶ濡れの私を見て、優しくタオルで髪を拭いてくれた。そして、家に上げてくれたの。手紙を見せたら、先生は『このまま、ここに住みなさい』って、言ってくれた……。私、嬉しかった。ひとりぼっちになってしまった気がしてた。皆の所には、どうしても行く気になれなかったし、迷惑をかけたくなかったから――だから、先生の優しさが、とっても嬉しかった。」
「真田先生は、みほさんを、匿ってくれたのですね」
「うん――。そして、先生の家でしばらく隠れるように住んでたの……」
華が言うと、みほはコクリと頷いて、さらに語り続ける。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日は、とても寒い朝だった。
昨晩、琴音と一緒に夕食を食べたみほは、部屋に戻ると、ベッドの上に膝を抱えて、暗闇の中、大切にしている、あんこうチームとⅣ号が写った、集合写真を、じっと見ていた。
そうして気が付くと、日が変わり、二時間も経っていた。
知らない間に眠ってしまっていたみほは、隣の奥座敷から聞こえる、人が動く気配に気づいて、目を覚まし、部屋を出てきた。
「――おはよう……ございます」
「おはよう、みほちゃん。よく眠れた?」
「――はい」
「もう、嘘は言わないの。目の下にクマができているわよ」
「――ごめんなさい」
みほは、奥座敷の入り口に立ったまま、部屋に入ろうとしない。
それを見た琴音は、立ち上がると、みほの手を引いて、部屋に招き入れると、自分の横に座らせた。
「みほちゃん。しばらく気持ちが落ち着くまでは、無理に部屋から出なくていいわよ。でも、一つだけ聞かせて。どうして、戦車道を辞めたいの?」
琴音は、みほの手を握ったまま、優しく訊ねる。
みほは、世界大会に起こった出来事。それが、自分の戦車道の根幹を揺るがした事を、小さな声で、琴音に話した。
琴音は、みほの話を、黙って聞いていたが、左手で、みほの髪の毛を撫でると、彼女に話しかけた。
「みほちゃん、戦車道の家元の娘だからって、どうして、戦車道をしなきゃいけないの? 誰がそんな事を決めたの? 一人娘なら、仕方がないかも知れないけど――。ううん、違うわね。一人娘だって同じことよ。自分の人生でしょ。たかだか、戦車道じゃないの、みほちゃんは、戦車道をすることに疲れたのよ。辞める、辞めないなんて大げさに考えなくていいわ。思い切って、戦車道以外の、別の事を始めてみれば?」
「――別の事?」
「そうよ、別の事。そうねぇ――みほちゃん、あなた、やりたい事とかないの?」
「――やりたい事?」
「そう、うーん、みほちゃんの夢かな? なりたいものとかよ」
「――私」
そう言ったあと、みほは「幼稚園の先生になりたかった」と小さく言った。
「そうなの、じゃあ、先生になったら?」
「――えっ?」
「幼稚園の先生は無理だけど、私、この家の隣の公民館で、保育所をやっているのよ」
「――」
「もうすぐ、子供達が来るわ。気が向いたら、お手伝いに来て」
戸惑うみほに、微笑みながら、琴音は「こたつに入って、待っててね。朝ごはんにしましょ」と言って、立ち上がると、奥座敷を出ていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「琴音先生は、私に『戦車道を辞める、辞めないなんて大げさに考えなくていい、みほちゃん? あなたは、何かやりたいことはないの?』って聞いてきたから、『私、幼稚園の先生になりたかった』って言ったの。そうしたら、隣の保育所のお手伝いをしてって言われて……」
「そうだったんですか……」
「うん、何日かは何もやる気が起きなくて、部屋でじっとしていた。ご飯を食べる気も起きなくて、先生が呼びに来るまで、部屋の中でボーっとしていた。でも、子供達の笑い声とか、泣き声とかが、部屋に聞こえてきて、なんだか気になって、初めて保育所に顔を出したら、子供達が『わあ、みほ先生だ』と言って、寄ってきてくれた。先生は、子供達に『みほ先生という、新しい先生が来るから』って、言っていたらしいの」
そこで、みほは、初めて嬉しそうに笑った。
「先生のお手伝いをしている内に、どうしても本当の先生になりたいな、って思うようになって、先生に、保育士になるための勉強がしたいって言ったら、この家を、私に貸してくれたの。そうしたら、私の事がニュースになっちゃって……」
「――あの、失踪記事の事か?」
麻子が言うと、みほは頷く。
「うん、琴音先生から『しばらく、家から出ないように』って、私は言われて、子供達の父兄さんには『別の仕事で、出張しているから』と、一人一人に説明したそうなの」
「――そうだったのか」
「私、それから、ずっと雨戸を開けなかった。灯りも、この部屋しか点けないようにした。怖かったの。やっと、自分の歩こうとする道が、自分で決める事ができた。でも、また、誰かが、それを壊しに来るかもしれないって思ったから。でも、おかげで、私、一生懸命勉強した。どうせ家から出ないのだから、時間はたっぷりあったから……。先生達のおかげで、私は保育士の資格を取れた。その後、園長先生と一緒に保育所を続けてきたの」
俯いて話すみほは、過ごしてきた日々を、じっと噛みしめているようにも見える。
すると、沙織がみほに話しかけた。
「みぽりん、式典にどうして来ようと思ったの?」
「うん、それはね、沙織さんのメッセージを見たからなの」
「えっ、あのテレビ見てくれたの?」
「うん。先生から、式典の事を知らされてね。私、ずっと迷っていた。普段は、園長先生と一緒に、夕ご飯を食べるんだけど、その時、先生と一緒にテレビを見ていたら、沙織さん達が映った。メッセージもちゃんと分かった。そうしたら、皆に会いたくなったの。先生も『戦車道をやっていて、一番楽しかったのでしょう、行ってきなさい。そして、思い出してきなさい』って言ってくれたから。でも……、やっぱり、皆に会う勇気が出なかったの。ごめんなさい」
みほは、そう言うと、座り直して、四人に向かって、頭を下げた。
「いいんですよ、西住殿」
「そうです。会いたくなってくれた。それだけで、私達の気持ちが伝わったということですから」
「――隊長が、来てくれたおかげで、我々も、こうして隊長と、会えることができたんだ」
「うん、うん。みぽりん。頑張ったんだね……」
「みんな、本当にありがとう。会いに来てくれて、私、本当にうれしい!」
四人の顔を見て、嬉しそうに笑うみほ。
優花里、華、麻子、そして、沙織は、凛々しくなったが、みほの笑顔は、やっぱり、昔のみほの笑顔だと思った。