琴音の説明によると、その家は、ここに住む以前に、自分が住んでいた一軒家を、無償でみほに貸している、という事だった。
教えてくれた彼女へ、四人はお礼を言い、乗ってきたランドクルーザーを、ここに置かせてもらえるよう、お願いをした後、それぞれ自分のバッグを車から降ろして手に持つと、彼女達は教えられた、みほが住むという琴音の別宅を目指して歩き出した。
時刻はもう七時半となり、辺りは、少し肌寒く感じる夜になっている。
星空と月明かりの中を歩く一本道は、とても静かで、神秘的でさえあった。
二時間前に帰っていったみほが歩いた道を、今度は、彼女と同じように辿っていく四人。やがて見えてきた、その一軒家は、ブロック塀に囲まれて、外から灯りが全く見えず、まるで、誰も住んでいないような印象を、四人は受けた。
一歩一歩近づいてくる、みほが住んでいるという家を前にして、武部沙織は、なぜか、急にオロオロし始めた。
「どうしよう。私、ねぇ、皆、どうしよう……」
そう言いながら、立ち止まった沙織を見て、彼女の隣を歩いていた麻子は、二、三歩進んだ後、立ち止まって振り返り、彼女に優しく訊ねる。
「――沙織、どうしようって、お前は、何をどうしたいんだ?」
「みぽりんに会ったら……、みぽりんに会ったらさ、私、何をすればいいのかな?」
沙織は、麻子の顔を見ながら、何故かオドオドした様に話す。すると、立ち止まったままの沙織の傍に、彼女の後ろを歩いていた、華が近づいてきた。
「確か、沙織さんは、みほさんに、思いきり文句を言うんじゃなかったんですか?」
彼女が、笑いながら言うと、沙織は、とたんに悲しそうな表情を浮かべた。
「うん。そのつもりだったんだけど……。だけどさ、だけど……」
「――沙織、安心しろ。みんな一緒だから」
麻子が笑顔で言うと、優花里と華も、同じように、沙織を見ながら笑って、彼女を励ました。
「はい! 私達は、西住殿の家に、遊びに来たんですよ、武部殿。それでいいと思います!」
「ええ、優花里さんの言う通りです。六年も全く顔を見せないみほさんが、たまたま、家に帰っている事が分かったので、驚かせようと、皆でこっそりやってきた。それでいいと思いますよ」
麻子や優花里、華の優しい言葉に「そうね、そうだよね。うん、それでいこう」と急に元気なった沙織であり、それを頷きながら見る三人である。
再び、歩き出した四人は、ブロック塀の間になる門らしき所を通り、家の敷地に入ると、砂利で導かれた、簡単な玄関までの遊歩道を進む。突き当たった玄関は、曇りガラスの開き戸式になっていて、ガラスを通しても、室内の灯りは全く見えない。
「本当に、ここにいるのかな?」
「――真田さんは、嘘は言わない。絶対、ここに隊長はいる」
「でも、部屋の灯りが、全く見えないでありますね」
「とにかく、呼び鈴を押してみましょう」
玄関先で話し合う四人は、お互いの目を見て、小さく頷いた。
「それじゃ、押すよ」――『ピンポンパン、ピンポンパン』
沙織が、唾をのみ込みながら、呼び出しチャイムを押すと、可愛らしいチャイムが玄関に響き渡った。家の中からの返事を、息を呑んで待つ四人である。
しばらくたって、真っ暗なままの曇りガラスの向こう側から、扉越しに「はい」という小さな返事が、四人に聞こえた。
四人はその声を聞いて、全員、自分の体に電流が走ったように、その場で動けなくなってしまった。
(……みぽりんの声だ……)
(……西住殿の声であります……)
(……みほさん……)
(……間違いない。隊長の声だ……)
彼女は、玄関近くまで来たのだろうが、まだ、室内は真っ暗なままである。そして、さらに扉の向こうから「――あのう、どちら様ですか?」と、さらに小さな声で、四人に訊ねてきた。
四人全員が、返事を一瞬ためらった。……いや、正確には、声が出てこなかったのだ。
そして、チャイムを鳴らした沙織が、目の前にいるのだろうが、姿を見せようとしない彼女のあだ名を、玄関越しに、そっと呼びかけた。
「――みぽりん……。私だよ」――「えっ!」
驚いた彼女から、しばらく、返事が返ってこなかった。そして、次に、扉越しに恐る恐る返事が返ってくる。
「もしかして……、もしかして、沙織さんなの?」
それを聞いた、次の瞬間、今度は優花里が、みほに声を掛ける。
「西住殿!」
「ええっ! 優花里さんもいるの?」
今度は、すぐに返事が来た。すると、華と麻子が、彼女に優しく呼びかける。
「沙織さんや、優花里さんだけではないのですよ、みほさん……」
「――隊長。私達も一緒だ」
二人の声を聞いた後、玄関の向こう側の声は、懐かしそうな口調に変わった。
「……華さん、それに、麻子さんもいるんだ……」
そう言った後、やっと家の中の玄関灯がついて、うっすらと、みほのシルエットが、曇りガラスの扉に浮かび上がった。
とても痩せた、みほの影を見た四人は「えっ!」と、小さく驚き、その場で固まってしまった。
そして、ガチャと玄関の鍵が外されて、ガラガラという独特の音が響き、玄関の扉が開いた。
一人が四人を、四人が一人をじっと見つめていた――。
みほが、いる。
みほが、目の前に立っている。
ずっと探していた大親友が、四人の目の前に立っている。
とても痩せて、昔の可愛らしさが消え、まるで別人の、大人の女性の雰囲気を漂わせた、みほが、四人の目の前に立っている。
すると、黙ってみほを見つめていた沙織の目から、大粒の涙が、みるみる溢れてきて、そして、気が付くと彼女は、大声でみほのあだ名を呼びながら、彼女に飛びついていた。
「みぽりん! みぽりーん! みぽりーん! やっと、やっと見つけたよー!」
「沙織さん……」
戸惑いながらも、沙織を抱きしめるみほ。
すると、まるでそれが合図だったかのように、優花里も、華も、麻子も、一斉にみほの傍に集まると、彼女を抱きしめて泣き出した。
「やっと、やっと会えたであります。西住殿に……」
「みほさん。会いたかった……。本当に会いたかったですわ」
「――隊長、みんなに心配をかけすぎだぞ」
親友達の優しい言葉と涙に、みほも涙が止まらずにいる。
「みんな……。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」
あんこうチームの五人は抱き合い、そして、泣いていた。
しばらく、抱き合ったままの五人だったが、沙織が、みほの異変に気付いた。そして、体を離しながら、みほに声をかける。
「みぽりん?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
みほは泣きながら、俯いて、うわ言のように「ごめんなさい」を繰り返していた。
「みぽりん、もういいよ。怒ってなんかいないから」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
みほは、顔を上げず、ただ「ごめんなさい」を繰り返し続けている。
「みぽりん。本当に、もういいから、こうして、また、会えたんだもん」
「そうです。みほさん、謝る必要なんか、もうないですよ」
「西住殿、顔を上げてください」
「――隊長」
ようやく泣きやんで、謝るのを止めたみほ。
四人、一人一人が、彼女に優しく声を掛けるが、みほは顔を上げなかった。
「――会いたかった、皆に、ずっと会いたかったの。でも、どうしてだろう。やっと、会えたのに、皆の顔が見れない。顔を上げることができないの」
みほは俯いたまま、声を震わせながら、そう言った。すると、沙織が、もう一度、みほを強く抱きしめて、優しく、彼女の髪の毛を撫でる。
「大丈夫だよ。みぽりん……」
優しい沙織の言葉は、四人全員の気持ちがこもった言葉であった。
「西住殿、お部屋にお邪魔してもいいですか?」
優花里が、みほの顔を上げさせようと、いつもの明るい調子で、彼女に訊ねる。しかし、みほは、顔を上げずに小さく「うん」と答えるだけだった。
沙織は、みほの肩を抱きながら、玄関を上がると、それに続いて、三人もみほの家にあがりこんだ。そして、ダイニングルーム奥にある、六畳ほどの居間に、卓上テーブルを囲んで、それぞれが正座で座った。
みほの部屋の、その質素な様子に、四人は声が出なかった。しばらく、部屋の様子を見ていた四人に、黙り込み、俯いたままのみほである。
すると、座っていた沙織が、その静まった雰囲気を壊すかのように、みほに元気良く訊ねてきた。
「ねぇ、みぽりん! 晩ご飯は、もう食べたの?」
「えっ? ううん、まだ食べてない……」
戸惑いながら返事をする彼女だが、まだ、俯いたままである。すると、沙織は、いきなり立ち上がると、さらに元気良く、座ったままの四人を、上から見下ろしながら言うのだった。
「よし! それじゃあ決まり! まずは、再会を祝しての『ごはん会』をしようよ!」
「そうですね。やっぱり、それから始めましょうか!」
「――おなか、すいた……」
「わかりました! それで、西住殿? スーパーか何か、この近くにありませんか?」
沙織の提案に賛成した、三人が立ち上がり、みほだけが、座ったままで立とうとしない。
すると、優花里は通ってきて、知っているのはずなのに、さりげなくスーパーの場所を、みほに訊ねてきた。訊ねられたみほは、ようやく顔を上げて、立ち上がった四人の顔、それぞれを見つめた。自分を見つめている親友の四人は、昔と変わらない優しい目で、自分を見てくれていた。
初めて皆と出会った時のように、変わらずに接してくれる四人に、少し明るい口調になって、みほも、ようやく立ち上がった。
「――うん、九時までやっている、スーパーが近くにあるよ」
「うわあ、大変! もうすぐ九時じゃん! みんな、急いで買い出しにいこうよ!」
沙織が、自分の腕時計をチラリと見て、慌てて言うと、立ち上がったみほとは逆に、今度は麻子が、ヘナヘナと腰が砕けるように、ペタンと座り込んで、目の前のテーブルに突っ伏した。
「――私は行かない。今日は疲れた。できたら起こしてくれ!」
「こらぁ、麻子!『働かざる者食うべからず』だぞ!」
「――ええっ……。それは困るぞ」
沙織の怒鳴り声が部屋に響き、麻子の情けない返事を聞いた、みほと優花里、華の三人は、それぞれが二人を見て笑っている。
西住みほが、この家に一人で住み始めてから、彼女を訊ねる、初めてのお客さんがやってきて、そして、初めて彼女の笑い声が、家中に響き渡った。
その後、彼女の案内で、スーパーへやってきた五人は、まるで、五人がデートを楽しむかのように、お互いべったりに寄り添いながら、沢山の食材を買い込んだ。
会計の時、みほがお金の心配をすると、麻子が、財布から、さっとカードを出して精算を済ませた。お店を出た五人が、横一列になり、家までの帰り道を歩く途中、みほが「クレジットカードは誰のなの」と聞いてきたので、麻子がその説明をした。
「あんこう積立?」
「――そうだ。隊長、ちゃんとまだ続いているんだぞ」
「私、全然、払っていないのに」
「――いや、あとでちゃんと、私が未払い分は計算して、隊長に請求するから」
わざと真剣な口調で、顔だけが笑っている麻子に対し、みほは、それに気付かずに小さな声で、彼女に聞いた。
「あのう、麻子さん。――分割って、できるかな?」
みほが、恥ずかしそうに聞いた、次の瞬間、四人が大声で笑った。その後、四人の目に、うっすらと涙が溢れてきた。麻子の冗談が通じなくなっているみほに気付いて、四人は会わなかった時間の長さを、改めて感じた出来事だった。
「冗談だよ、みぽりん! 心配しないで。それに麻子も、悪い冗談だよ!」
「――悪かった。隊長に会えて、少し浮かれすぎた」
「そうなの? でも、私、これからも、あんこう積立に参加してもいいのかな?」
「何を言っているんでありますか! あんこうチームは五人で、あんこうチームなんですよ」
「そうですよ。随分、貯まったようですから、今度、皆で温泉にでも行きましょうよ」
華が言うと「そうしようよ、ねえ、みぽりん!」と、みほの後ろから抱きつく沙織だった。
買い物を済ませて、みほの家に戻った五人は、さっそく買ってきた食材を、ダイニングテーブル一杯に広げ、それぞれが料理の仕込みに入り、手分けして、ごはん会の準備に取り掛かった。
沙織は赤縁の眼鏡をかけて、気合十分に食材を切り始めると、他の三人も、手際よく準備している。
「みほさん、私、お料理が少しできるようになりましたのよ」
卵のパックを冷蔵庫に入れながら、五十鈴華が、みほに言う。
「えっ? 華さん、本当なの」
「はい! 沙織さんに、少しずつですが、教わっておりますの。その代り、私が、お花を沙織さんに、教えているんですけどね」
「うん、華にはね、ご飯の作り方からだったんだよ。一合、二合という量から教えたのよ」
「すごい! 華さん、でも、どうして、料理を覚えようと思ったの?」
「優花里さん達を見てからですわ」
華がそう言うと、ジャガイモの皮を剝こうとしていた優花里が、慌てて言った。
「いや、五十鈴殿。その事は自分から話しますから、もうしばらく、タイミングを計らせて下さい」
「うふふ。頑張ってくださいね」
「何? 何の事なの? 優花里さん」
「い、いえ、何でもありませんから!」
華が言ったのは、優花里一家の事で、娘のみほの事だと沙織と麻子も分かった。
不思議そうに優花里を見るみほは、首を傾げると、手にしていた玉ねぎの皮を剝き始めた。そして、それぞれが順番にコンロの前に立ち、料理を作っていく。麻子だけが、一人、料理を作らずに、出来上がったものを、テーブルに運ぶ役目をしていた。
一番張り切って料理を作ったのは、西住みほだった。自分がちゃんと一人で生活していることを、皆に知らせたかったのだろう。そして、できあがった順に、麻子の手で運ばれて、テーブルに並べられていく。居間の卓上テーブルの上には、さまざまな料理の華が咲きほころんでいる。
それぞれ自慢の手料理が出来上がり、沙織達はスーパーで買った、簡単な部屋着に着がえて、身支度を整えると、卓上テーブルを囲み、皆が正座で座った。お互いの顔を見ながら、嬉しそうに声を揃えて、一斉に両手を合わせた。
『いただきまぁす!』
揃った声が部屋中に響くと、本当に久しぶりの「あんこうチーム」の『ごはん会』がスタートした。
大皿に盛られた料理を、自分の皿に小分けしながら、食べていく五人。その中で、調理師の免許を持つ沙織が、口に入れてモグモグと、その味を確かめ、それを呑み込んだ後、驚いた表情で料理を見ていた。
「うわぁ、みぽりん! みぽりんの作った、この肉じゃが! とってもおいしいよ!」
「本当!? うれしい。これね、一番初めに、褒めてもらった料理なんだよ!」
にっこりと笑うみほは、沙織に褒めてもらった事を、素直に喜んでいる。しかし、彼女の「肉じゃがを褒めてもらった」という一言が、他の四人の妄想を刺激してしまった。
いの一番に反応したのは、優花里である。
「えっ……、に、西住殿……。だ、誰に――でありますか?」
「もしかして、彼氏なのかなぁ?」
赤縁の眼鏡の奥から、目を細くしてみほを見る沙織。それを見た麻子が、食べる箸を休めて、呆れて言った。
「――沙織……。さっそく湧きやがった。この恋愛脳め……」
「沙織さん、当然じゃありませんか。だって、褒めてもらうという事は、誰かがこれを食べたって事ですよ。それで、この肉じゃがを食べる事のできる相手は……、ねぇ、みほさん?」
華が、とどめを刺すように沙織を見て、次に、みほの方を見る。三人の攻撃に、顔を真っ赤にしながら、首を強く横に振る西住みほだった。
「あのね、みんな、根本的に勘違いしているよ! 私、彼氏なんていないから!」
「ええっ、嘘だぁ、みぽりん。ね、正直に、この恋愛の達人に報告しなさい! ちゃんとアドバイスしてあげるから!」
「……沙織さんも、本当のアドバイスができるようになりませんとね」
「ああっ、華! それ、言っちゃダメだよ!」
目の前で楽しそうに笑う親友達を見ながら、西住みほも、本当に心の底から笑っていた。
(久しぶりだなぁ……。こんなに笑ったのは、私、随分忘れていた気がする)
食べるのを休めて、四人の様子を見つめるみほに、沙織がまた聞いてきた。
「それで、みぽりん、誰に食べさせてあげたの?」
「うん、私の勤めている園長先生に、褒めてもらったんだよ」
みほが言うと、沙織が手を叩きながら、相槌を打った。
「あっ……さっき、私達会ったよ。その先生」
「はい! その先生から、西住殿の家を教えてもらったんです」
「やっぱり……。そうじゃないかと思ったんだけど」
みほは、持っていた箸をテーブルに置くと、正座のまま俯いてしまった。その様子を見た四人も同じように、食事を止めると、冷泉麻子が口を開いた。
「――隊長。私達には話してくれるんだろう。今まで何をしていたのかを」
「そうだよ。この四人には、話してくれるんでしょ?」
沙織が言うと、優花里も華も頷き、みほを、じっと見つめた。
小さく「うん」と言った彼女は、四人を交互に見ながら、思い出すように、ポツリポツリと語り始めた。