第2話 未来の隊長
彼女達が目指す全日本チームブースまでの道は、直線距離にして、約三十キロ先になる。
夕陽を背に、赤い荒野を走る『Ⅳ号H型』の車内で、五人はそれぞれが、自分の担当席で、この大会で得た様々な思いを、感慨深く噛みしめていた。
すると、俯いていたみほへと真田茜が、装填手席に座ったまま、体を向けて話しかけてきた。
「みほちゃん。じつはね――。私達、みほちゃんに話さなければいけない事があるのよ」
「えっ? 真田さん、なんでしょうか?」
「実は、私達四人はね、この大会が終わったら、全員、戦車道選手を引退するのよ」
「えっ!? 皆さん、本当なんですか?」
茜の打ち明けに驚いた彼女は、おうむ返しに、目の前に座っている四人に聞き返した。
「ええ、本当よ。私達は、この大会がね、最後の大会だったのよ」
「そう――。私達も、いい加減、気合を入れて婚活しないと、実家に帰れなくなっちゃうのよ」
通信手席から振り向き、ヘッドホンを外して答える山本早苗の発言に、もう照準器を覗いていない三島絵里が、おどけて答える。それに釣られて佐藤加奈子が、操縦桿を握りながら、大声で「アハハ」と笑った。
絵里は、隣に座る茜を見ながら、羨ましそうに言う。
「真田さんは、フィアンセがいるからいいんだけど。私達はもう三十歳だと言うのに、誰も彼氏がいないしね」
「ちょっとぉ! みんなと一緒にしないでよ! 私は、まだ二十九よ!」
「早苗も、いい加減に諦めなさいよ。いくら遅生まれだからと言っても、すぐに崖っぷちから落ちるわよ!」
「うるさいわねぇ! まだ二十代なの! 私は!」
絵里のこの発言に、大いに抗議する早苗。そして、それに突っ込みを入れる加奈子。そんな彼女達を苦笑しながら見守る茜である――。
◆
戦車道全日本チームの『Ⅳ号中戦車H型』に乗る十五号車チーム。
準決勝の参加戦車で、末尾番号のこのチームは、世界大会直前に組まれた急造チームだった。
間もなく二十一歳の誕生日を迎える、チーム最年少で初出場の二十歳の西住みほが、戦車長を務め、日本チーム最年長三十二歳になる装填手の真田茜。三十歳の操縦手、佐藤加奈子と砲手の三島絵里。佐藤と三島と同級生なのだが、三月生まれでまだ誕生日がきていない、通信手の山本早苗。
この未経験の戦車長に、大ベテランの搭乗員達が指揮下に入ったのは、大きな訳があった。
◆
「美っちゃんの目に狂いはなかったね。さっきも言ったけど、みほちゃんは、本当に優秀な車長よ……。」
茜が再び口を開くと、加奈子、早苗、絵里が揃って順に答える。
「うん、美津子さんが全て教え込んだっていうのもわかる。美津子さんと一緒にいるみたいだったし」
「いきなりだったもんね。まさか、美津子先輩が『白血病』だったなんて……」
「隊長は、本当は自分の病気の事を知っていたのかもね。だから、あんなにみほちゃんの事、目に掛けていたんだ」
彼女達の話を、俯きながら聞くみほだった。
「――はい。私も驚きました。そして、いろいろ教えてもらいました。乃木隊長には……」
車長席に座ったまま、彼女は四人の先輩達とチームを組むことになった時の事を思い出していた。
◆
西住みほが言った『乃木隊長』とは、本来、全日本チーム隊長を務めるはずだった、乃木美津子の事である。
彼女は、真田茜と同じ、三十二歳で、長年全日本チームの隊長を務めてきた、日本戦車道の源流の流派である『乃木流』の家元だった。
今は『西住流』が主流になっている日本戦車道も、各流派が家元をさかのぼっていくと、全てこの『乃木流』に行きつく。
まだ、代表車長の控え候補ということで、自分のチームを持たずに、全日本チームの合宿に参加していた西住みほは、スポーツで言う所の「監督」に当たる、司令官の意向で、この大ベテランといつも同室になっていた。
いつもの引っ込み思案が出てきそうなところを堪えて、隊長の身の回りの事を、全て彼女は率先して行ってきた。元来、気難しい事で有名だった乃木美津子は、そんな一生懸命なみほの姿を見続けて、徐々に自分の『乃木流戦車道』を教えていったのである。
◆
「司令官に呼ばれて応接室にいったら、隊長チーム全員がいらっしゃったんで、私、びっくりしました」
みほが顔を上げて、思い出しながら言うと、茜もその時の事を思い出した。
「そうね――『美津子がメディカルチェックに引っ掛かった』って、司令官から聞いた時、私達も驚いたもんね。あんなに元気な美っちゃんが、引っ掛かるなんて信じられなかった……」
「まさか『白血病』だなんて、想像にもしなかったもんね」
「それでね。みほちゃんが来る前に、全員集められて聞かれたんだよね。『これからチームをどうするか?』って。そうしたら、美津子先輩がね、頭を下げたのよ。『みほちゃんとチームを組んでくれ』って」
「私も驚いた。美っちゃんがあんなことするなんて、付き合い長いけど、初めてだったわ」
茜の言葉に、絵里と早苗が答え、再び茜が、その時の事を思い出して言った。
そして、クルッペから正面を見ながら、加奈子が話を続ける。
「美津子さんは、いつも冗談みたいに『自分の後継者ができた。いつでも選手を引退できる』って言っていたけど――まさか、本心からだったなんて、思わなかった」
「そうね、そして頭を下げた時、私達に美津子さんは『私は家元だから女の子を育てなくちゃいけない。でも、まだ自分の子は、生まれたばっかりでどうしようもない。こんな病気だから、いつ、どうなるか、私自身が分からない……。でも、今は安心して治療と子育てに専念できる。私の戦車道を理解してくれた、立派な車長ができたから』って言ったわね」
「ええ……。そして最後に美っちゃんはこうも言ったわ。『私に万が一の時が来ても乃木流の戦車道は続くし、娘にはみほちゃんが教えてくれる。でも、もしも、そうなった時はもっとすごい事になるかもしれない』って」
笑って言う茜の言葉に「えっ!」と驚き、彼女の方を見る西住みほだった。
「美っちゃんが言うにはね『乃木流戦車道の中に西住流戦車道が入っているからね』って言っていたのよ」
自分を見るみほを見ながら、茜はさらに笑って答えた。それに呼応するように、他のメンバーが頷いたのだった。
「みほちゃん……」
茜は、みほの目を見て話しかける。
「――はい」
「あなたは美っちゃんが認めたのよ、将来、絶対に全日本の隊長になれるって。それは、私達全員、同じ意見なの。だから、これからも頑張るのよ!」
「うん。みほちゃんなら、きっとなれるよ。そうしたら私達だって自慢できるわ。自分の子供に『西住隊長の全日本チーム最初のメンバーはお母さんだったのよ』って言ってあげられるんだからね」
「ミッシー……。子供の前に旦那さん見つけなさいよ」
「うるさい! 絶対、サットンより先に結婚してみせるからね。招待状、楽しみに待っていなさい!」
「その言葉、のしを付けてミッシーに贈ってあげるわよ!」
前後の席で、再び絵里と加奈子の掛け合いが始まった。その様子は、みほにとって見慣れた光景になっていた。
(もう、先輩達と一緒に戦車に乗ることはないんだ……)
みほはそう思うと、少し感傷的な気分になり、目が潤んできた。それを察した茜は言った。
「みほちゃん。十五号車を降りるまで、泣いちゃだめよ。全員が無事に戦車を降りるのを、その目で見届ける事。それが、戦車長の最後の仕事よ」
「――はい」
茜に注意されてみほは、目頭を拭いて頷くと、キューポラから身を乗り出した。
前方に、とても大きな戦車倉庫が見えてくる。倉庫の屋根上に立つポールには、とてつもなく巨大な「日の丸」の旗が、右から左に大きく風になびいている。
「前方、約三キロ! 全日本ブースを確認。進路そのまま!」
『了解! 進路そのまま!』
みほの号令に四人が答える。すると、車内の誰からともなく、歌を歌いだした。「進め! 乙女の戦車道」の歌である。そして、西住みほも加わり、五人一緒に唄い始めたのであった――。
全日本チームブース前には、全日本チームの司令官や隊長の大熊康子ら、二号車メンバーを除く、全メンバーが、横一列になって待っていた。
メンバーの前に戻ってきた十五号車『Ⅳ号H型』は、メンバーの前に平行になるように、静かに停車し、エンジンを止めた。
各ハッチから搭乗員が降りて『Ⅳ号』の左側部に整列すると、最後に、西住みほがキューポラから降りてくる。
そして、真田の横に並び一列になって、メンバー達と対峙するように立つと、みほは一歩前に進み出て、目の前にいる大熊隊長へと報告してきた。
「十五号車。戦車長、西住みほ、報告いたします! 西住みほ以下、真田茜、三島絵里、佐藤加奈子、山本早苗。計、五名! ただ今、帰還いたしました!」
みほの報告が終わると、五人は、同時に全日本メンバー全員に向かって敬礼をした。その敬礼に対し、メンバー全員が、一斉に答礼を返す。
そして、康子は答礼を解くと、お詫びと感謝の言葉を彼女達に贈った。
「西住車長。そして、十五号車の皆さん。最後まで、本当によく戦ってくれました。すぐに撃破されてしまって、私達は、皆さん達にお詫びのしようがありません……。そして、よくあそこで降伏してくれました。とてもつらい選択だったと思います。ですが、そのおかげで、二号車のメンバーは、全員大事に至りませんでした」
康子の話に、みほは、思わず一歩前に歩み出ると、大声で聞き返す。
「お姉ちゃんは? 二号車の皆さんは、全員無事なんですか?」
「はい、さっき全員の意識が戻ったと、大会本部から連絡がありました」
「よかったぁ! みほちゃん。まほさんも無事なんだ」
十五号車の搭乗員の喜びと安堵の声が上がる。そして、四人が揃って、西住みほの方を見た。
「はい。……ありがとうございます」
みほは、姉が無事だと聞かされて、緊張が一気に解けたのか、その場で俯いて泣き出した。それを見て、康子は彼女に優しく指示を出した。
「西住車長。ここはもういいですから、一刻も早く準備をして、医療センターへ行きなさい。ヘリコプターを準備していますから」
「でも……」
「いいわよ。みほちゃん! 早く行きなさい。お姉さんの顔を見て安心して来なさい」
茜が言うと、絵里、加奈子、早苗も頷いている。
「――わかりました。ありがとうございます。急いで支度します!」
みほは、彼女達にお辞儀をして、再び大熊康子へ敬礼すると、その場を離れ、全日本チームブースへと走っていった。
それを見守る全日本のメンバーと十五号車の四人である。
支度が済んだ彼女は、姉の荷物と自分の荷物を両脇に抱えるようにして、日本チームのヘリコプター離陸場へと走っていく。
(よかった……。お姉ちゃん達、無事で本当に良かった……)
気持ちが先走り、何度も足がもつれそうになる彼女だったが、何とか転ばずにヘリコプターへ乗り込んだ。
ハッチを閉めて、席に座り、シートベルトを締める彼女を、操縦席から振り向きながら、様子を確認していた飛行士の「出発しますね」という連絡に「お願いします」と答えた彼女は、窓から空へ舞いあがる風景を見た。
眼下には、茜達四人が見送りに来ていた。手を振る彼女達へ、手を振りかえしたみほである。
みほを乗せたヘリコプターは、一路、西住まほ達がいる緊急医療センターへと向かって飛び立っていった。
◆
緊急医療センター――。
戦車道は、本来兵器である戦車を使って行う武道である。そこには安全という、大きな約束事がある。しかし、兵器であったものを使うことは不測の事態もあり得ることで、その為にはこの事態に備える事が、世界大会の開催国に、レギュレーションとして義務付けられている。
◆
センター屋上にある、ヘリポートへと着陸した、全日本チームのヘリコプター。
ジャイロが停止すると、すぐにそのドアが開いて、中から西住みほが降りてきた。両脇には二つの荷物を抱えながらである。最上階のヘリポートから一旦、エレベーターで一階に下りると、受付へと彼女はやってきた。
「あのぅ……。西住まほの肉親の者ですが、お姉ちゃんは、どこにいるのでしょうか?」
たどたどしい英語で、受付に座って事務処理をしている看護師へと訊ねると、看護師は、パソコンを見て、NISHIZUMIと名前を打ち込み、部屋番号を調べてから「八階の八〇一号室よ」と答えた。
「ありがとうございます」と、彼女に英語でお礼を言ったみほは、荷物を抱え直して、乗ってきたエレベーターで、八階に上がっていった。
八階で止まったエレベーターを出た彼女は、エレベーターホール正面で立ち止まり、左右に延びる廊下を、右に左にキョロキョロと見ている。
「えっと――。八〇一……八〇一…… こっちだ!」
右側に延びる廊下を歩くみほは、ドアに表示されている部屋番号を、一つずつ確認しながら、目指す八〇一号室へと進んでいく。
そして、八〇一号室のドアの前に立った彼女は、二つの荷物を足元に置き、ドアに記された、入室者のネームプレートを指で確認すると、ローマ字で『MAHO・NISHIZUMI』と書いてあった。
「トントン」と、ドアを軽くノックすると、部屋の中から「プリーズ」という姉の声が聞こえた。声を聞いてホッとしたみほは、ドアを静かに開けて中に入った。
「おっ……、お姉ちゃん!」
部屋に入るなりみほは、ベッドに横になっている姉の姿を見て驚いて、大きな声を出した。