ガールズ&パンツァー  五人の女神と魔神戦車   作:熊さん

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第17話  それぞれの涙

  

 時間は少し戻り、出席受付をしていた最後の一年生二人が、自分達も式典に参加する為に、体育館の中へそっと入り、その入口の扉が閉まった直後の、午前十時――。

 学校正門前に、一台の軽ワンボックスカーが、静かに止まった。

 その助手席側のドアが開くと、中からスーツ姿の女性が降りてきた。その女性は長い栗色の髪を一つに束ねており、俯いたその顔の表情は、少し憂いを秘めている。

 

「……先生。ここで、待っていますから」

「――ありがとうございます。すぐに戻りますので」

 

 運転席から、白ひげを蓄えた初老の男性が、彼女へ声をかけると、女性は小さく会釈をして、正門前に向かって歩き出した。

 学校の正門前で立ち止まった女性は、そこに出されている『大洗女子学園戦車道復活十周年式典』という、表看板をじっと見ていたが、やがて正門をくぐって学校への道を歩き始めた。

 通路を歩く彼女は顔を上げず、口を結んだまま、ゆっくりと体育館までの道を歩いていく。コツコツと静かなパンプスの音だけが、体育館への通路に響いている。そして、通路の中ほどまで来ると、そこで初めて顔を上げて、校舎の壁に掲げてある校章を見上げた。

 

「私、ここに来てよかったのかな……」

 

 みほは、校舎を見ながら、小さく呟いた。

 西住みほ――。彼女も、七年ぶりに母校へと帰ってきた。

 呟く彼女の横顔は、今までの彼女になかった意志の強さを表すような、凛々しい顔つきになっている。しかし、その表情には、昔の明るさも、笑顔も見られなかった。 

 体育館入口まで来た彼女は、入り口から漏れて聞こえてくる、体育館の中のざわめきを聞きながら、そっと受付テーブルの前に立つと、そこに置いてあった初代チームの受付名簿を開いた。

 その中に書かれている、初代メンバー達の名前を見る、彼女の表情は、さっきまでの思い詰めたような表情ではなくなり、嬉しそうに、懐かしそうに、優しく彼女は微笑んでいる。

 彼女は、感慨深げに初代チーム名簿のページを一枚一枚めくっていく。そして、最後のページでめくるのを止めた。

 

(……沙織さん、優花里さん、麻子さん、華さん。みんな、来ているんだ)

 

 受付名簿、最後のページに書かれている、大親友の四人の名前とその筆跡を、少しうるんだ眼で見ている彼女。

 そして、傍にあったボールペンを取ると、四人の後ろの欄に、本当に小さな字で「西住みほ」と、自分の名前を、彼女は書いた。

 みほは、名簿に自分の名前を書き終わると、すぐに体育館の中から小山柚子の声が、彼女の耳に聞こえてきた。

 

「ご来場の皆様、大変長らくお待たせしました。ただ今より、大洗女子学園戦車道復活十周年記念式典を開催します。全員起立!」

 

 出席者のガタガタという椅子から立ち上がる気配が、外にいるみほにも分かった。

 みほは、その音を入口の外で聞くと、体育館の中には入らず、受付を離れ、そのまま中庭の方に向かって歩き出した。

 体育館横を歩きながら、彼女は校舎を懐かしそうに見上げている。そして、角を曲がって、中庭へと進んでいく。

 曲がったところから見える、校舎側の大食堂では、室内がきれいに飾り付けられ、大きなテーブルが幾つも並べられていた。その周りで制服姿の在校生達が、頭にナプキンを被って、忙しそうに動き回っている姿が、彼女の目に映った。

 そして――、彼女は大食堂の反対側に保管されている、懐かしい親友に向かってゆっくりと歩いて行く。

 

「Ⅳ号……。あなたに、会いたかった――」

 

 記念プレートの前に立ったみほは、小さく呟き、物言わぬ親友に話しかけると、その姿をじっくりと見つめている――。

 しばらくそこで、Ⅳ号と語り合っているかのように、その場を動かないみほ。

 そして、ゆっくりとⅣ号に背を向けた彼女は、また体育館入口に向かって、戻り始めた。

 体育館入口に戻ってきたみほは、そこで立ち止まった。まだ決心がつかないのか、入口前でじっと立っている。すると、中から震えるような杏の声が、彼女に聞こえてきた。

 

「――今、私達がこうして記念式典を迎えられるのも、本当に、西住ちゃんがいてくれたおかげなのです。西住ちゃんがいなければ、我々の母校さえなかったのです。ここに居るOGの皆さん、彼女は、今ここには居ません。理由は、皆さん、色々と聞いてご存知かと思います。私達の大切な西住ちゃんは、とても恥ずかしがり屋です。そして、とても、引っ込み思案な女性です。――ですが、誰よりも友達思いで、そして、心の優しい女性です! きっと、日本のどこかで、この『式典』の事を喜んでくれていると思います――。全員、起立!」――『ザザッ!』

 

 すると、中でガタガタと、一斉に立ち上がる気配がした。

 その気配を察したみほも、その場で思わず直立不動になる。そして、杏の命令が、彼女の耳に聞こえたのである。

 

 「――県立大洗女子学園高等学校、学園長として、未来に続く大洗女子学園を守ってもらい、また、大洗女子学園戦車道OGを代表して、強豪校と呼ばれるようになった大洗女子学園戦車道の礎を作ってくれた、我々の女神、初代隊長、西住みほさんに対し――、全員、敬礼!」

 

 その体育館のピンとした空気が伝わり、みほは、思わず俯いた。そして、その大きな瞳から涙が溢れてきた。

 

「みなさん――、ありがとう……、ございます」

 

 そう呟いた彼女は、体育館に向かって、その場で深々とお辞儀をした。

 お辞儀を終えた彼女は、そばにある受付名簿を開いて、ボールペンで、そこに何かを書き加えると、もう一度、体育館に向かって一礼をする。

 そうしてみほは、立っていた入口に背を向けると、やってきた正門までの道をまた戻り始めた。そこで待っていた軽ワンボックスカーに乗り込むと、みほを乗せた、その車は学園艦を後にしたのだった。

 

 

 無事に式典が終わり、受付担当のさっきの一年生二人が、後片付けの為に、受付まで戻ってきた。

 

「かっこよかったなあ。遠藤先輩!」

「うん、それにしても、西住先輩って、いなくなった西住先輩のことだよね」

「うん、第二戦車倉庫の更衣室の所にある、写真の真ん中に映っている人だよね」

「私、世界大会の時はまだ小学生になったばっかりだったけど、西住先輩のおかげで助かった人がいるんだって」

「どんな人なのかな。あの遠藤先輩が尊敬し続けている先輩って」

「うん、一度お話しできたらいいよね」

 

 片づけの手を休めながら話をしていた二人。その一人が何気なく受付名簿をパラパラと見た。

 

「あれ? 一人、増えて……いる――って、ちょっとぉ!」

「何よ! いきなり、ビックリするじゃない!」

「ちょっと! 見て、見てよ! この最後の先輩って!」

「何よ! どうしたって言う……。うそ! これ、本当なの?」

「わかんない! でも、本人だったら、どうして中に入ってこなかったの?」

「それこそ、分かんないわよ! どうしよう。ねえ」

 

 受付名簿を開いたまま、二人は、その名前を見て、パニック状態になっている。

 

「――と、とりあえず、橘隊長に報告しないと……。怒られるかもしれないけど、そんな事、言っている場合じゃないよ」

「うん、急いで隊長を探そう! どこかな?」

「多分、大食堂じゃないかな。じゃなきゃ、戦車倉庫かも」

「うん、じゃあ大食堂へ行ってみよう!」

 

 一人が、受付名簿を抱きしめて、片付けもしないまま、二人は、慌てて大食堂へと走って行った。

 二人が大食堂の中に入ると、会場いっぱいに、OG達がそれぞれ輪を作り、話をしたり、立ったまま食事を摂っていた。

 その間を、小さな声で「失礼します」と言いながら、かき分けて進む二人。

 そして、探している橘紀子は、遠藤優花里の傍に立って、OG達に紹介されていた。一人一人に丁寧に挨拶しているところへ、二人はやってくると、背後から大きな声で『失礼します!』と揃って言い、優花里と紀子の傍に立った。

 

「どうしたの?」

 

 優しく聞く紀子に二人は、お互いの顔を見合わせた後、いきなり揃って頭を下げた。

 

「隊長! 申し訳ございません! 私達、自分の担当を少し怠けたばかりに、とんでもないミスをしてしまいました!」

「……? 一体、どうしたんでありますか?」

 

 今度は優花里が訊ねると、恐る恐る一人が、持っていた受付名簿を、彼女の前に差し出した。

 

「教官。その、最後のページを見てください」

「……? 最後のページ?」

 

 そう言って優花里は、パラパラと名簿をめくっていく。

 そうして、最後のページを開くと、優花里の視線が、そのまま一点に固まってしまった。

 

「――これ! どうしたんでありますか?」

「申し訳ありません! 十時ちょっと前になって、私達も体育館に入って式典に参加したんです。その間に来られたようです」

 

 思わず大きな声になった優花里に、一年生二人は、さらに深く頭を下げる。

 三人のただならぬ様子に、紀子が、優花里に訊ねる。

 

「教官? どうされたんですか?」

「西住殿が、――西住殿が、ですね……、どうやら、来ていたようなんです」

「ええっ!」

 

 そう言って、優花里から渡された名簿ノートを見た紀子は、また優花里に聞き返した。

 

「教官。間違いないんですか」

「間違いありません。――この字は、間違いなく、西住殿の字です」

 

 名簿を開いたまま、その名前をじっと見つめる優花里だった。

 

「あなた達は、もういいわよ」

 

 紀子が言うと、一年生二人は「申し訳ありませんでした」と再び頭を下げて、大食堂を出ていった。

 名簿をじっと見て、しばらく何やら考えていた優花里は「そうです。絶対に来たはずです」と呟くと、紀子に向かって指示を出した。

 

「橘隊長。申し訳ないんですが、大食堂でパーティーの準備をしていたメンバー全員を集めてくれませんか。私は、あんこうの皆さんに報告して来ます」

「わかりました!」

 

 典子と別れた優花里は、受付名簿を持って、会場の門隅にあるテーブルを囲んで食事をしていた沙織、華、麻子。そして、遠藤祐子と澤梓の所へやってきた。

 そこで、まるでため息をつくかのように、五人に言った。

 

「……みなさん。西住殿が、――西住殿が、式典に来ていたようなんです」

「えっ――。ゆかりん? 何を言っているの?」

 

 優花里の突然の話に、沙織が驚きながら言うと、同じように、全員がびっくりした様子で優花里の方を見る。

 

「これを――。これを見てください。一番、最後のページです」

 

 そうして差し出された名簿ノートを麻子が受け取ると、最後のページを開き、先ほどの優花里と同じように、その場に全員が固まってしまった。

 

「間違いありませんよね。――絶対、これは、西住殿の字ですよね!」

 

 興奮しながら言う優花里に対して、あんこうの三人は、小さく頷く。

 

「――ああ、見間違う訳はない。この、隊長の性格を表したような、小さくて丸い文字は……」

「うん、みぽりんの字だね」

「ええ、みほさんですね」

 

 全員が、それぞれの思いが込められた視線で、みほが書いた、彼女の名前を見ている。

 

「だけど、みぽりん、どうして、私達に会いに来てくれなかったのかな?」

「理由はあると思うのですが、それでも、絶対に会いに行っている所があるんです」

 

 優花里がそう言った直後に、紀子が「全員集合しました」と報告してきた。「みなさんも来てください」と言って、優花里は集合している在校生達の所にあんこうの三人と、遠藤祐子、澤梓を連れて行った。

 大食堂の厨房と食堂の仕切りにあたるカウンター前に整列している、十三人の在校生メンバー達は「何事かあったのだろうか」というような顔で、少し緊張している。

 そこへ、優花里達がやってきて、メンバーの前に立った。

 

「皆さん、忙しい所、すみません。皆さんに訊ねたいことがあるんです。誰か、パーティーの準備をしている時に、あのⅣ号の前に、女の人がいるのを見ませんでしたか?」

 

 優花里が窓の外を指差しながら訊ねると「いいえ」という答えの中で、二人の生徒が手を上げた。

 

「ええっ――? 見たんですか?」

 

 大きな声で訊ねる優花里に、少し困惑しながら、手を上げた生徒は答える。

 

「は、はい。見ました。式典が始まって、すぐの時間だったと思います。痩せた女の人が、一人であのプレートの所に立って、Ⅳ号を見ていらっしゃいました」

 

 一人が言うと、もう一人が立っていた記念プレートの方を指差した。

 

「顔は? 顔は見たんですか?」

「いいえ、ちょうど、後ろ姿でしたから、見ていません」

「どんな感じだったんですか?」

「ええと……、背は教官ぐらいで、とっても痩せていらっしゃいました。髪はとってもきれいな栗毛色の髪で、長さはこれぐらいでした」

 

 自分の背中を見せて、そこに手を伸ばす生徒を見て、優花里は「わかりました。ありがとうございます。持ち場に戻ってください」と、静かに指示を出した。その指示に、一礼して、解散する在校生達だった

 集合している在校生達と、あんこうチームらの様子を見て、カメさんを含む、初代チームの七チームのメンバー二十七名が「どうかしたのか?」と言って、続々とあんこうの四人の傍に集まってきた。

 

「遠藤ちゃん。どうしたの? 何かあったの?」

 

 杏が、優花里に訊ねると、麻子が手にしていた受付名簿を、杏に差し出した。

 不思議そうに、それを受け取った杏に対して、麻子は「最後のページを見てくれ」と言う。

 パラパラとノートをめくる杏と、それを後ろから覗きこむ他の初代メンバー達の目に「西住みほ」の名前と、あとで書き加えられた言葉が見えた。

 

 

「西住みほ。――十周年おめでとうございます。皆さんの暖かい敬礼を頂き、本当にありがとうございました」

 

 

「西住隊長……。来てくれていたんだ」

「ああ――。初代メンバー、三十二名。全八チームは、知らない間に揃っていたんだ」

 

 エルヴィンとカエサルが、名簿を覗きこみながら小さく呟くと、三十一名が頷く。

 すると、名簿を持ったままの杏の目が、いきなり真っ赤になった。柚子や桃にも見せた事がない涙を、彼女は初めてそこで流した。

 

「西住ちゃん……。本当によく来てくれたね。会えなかったけど、西住ちゃんの心の整理が、まだついていないんだろうね。でも――、やっぱり会いたかったよ。西住ちゃん」

 

 みほの名前に語りかける杏に、みほを除く初代メンバー全員が、また小さく頷いた。

 しばらくその名前を見ていた杏は、涙を拭くと、顔を上げて集まっている三十一人に静かに話す。

 

「皆、初代チームは、十年の時を経て、今日、全員が揃ったよ。嬉しいじゃない! さあ、いっぱい食べて、いっぱい飲んで、楽しんでちょうだい。西住ちゃんだって、皆にそうしてほしいと、きっと思っているよ」

 

 口々に「はい」「ああ」という杏の呼びかけに返事をするメンバー達。そうして、それぞれが、また解散し、思い思いの場所で食事や、話を始める。

 あんこうの四人と、遠藤祐子の五人は、さっきまで座っていた大きな四角の机に戻ると、祐子の近況を、あんこうチームが聞いている。その様子を、うさぎさんチームの仲間と食事をしながら、何気なく見ていた澤梓が、何かを思ったのか、五人の方をじっと見つめていた――。

 

 

 ようやく、四人が繋がって、西住みほの歯車へと、懸命に繋がろうとしている。

 六年もの間、ずっと止まっていると思われた彼女の歯車は、実は、四年前から一人で回り始めていた。しかし、それは誰も知らない所で、小さく、ゆっくり、隠れるように回っている。

 そして、みほの歯車と四つの歯車には、少し距離があって、それらを繋げるには、別の小さな歯車が二つ必要だった。

 一つは『十周年記念式典』という歯車、そして、もう一つは「澤梓」という歯車だった。

 

 

 あんこうチームと祐子の楽しそうな歓談が続く中、その様子を見ている梓は、不思議なデジャヴ―を感じていた。その見覚えがありそうでなさそうな感覚は、どこかあやふやで、記憶の中のどこにしまいこんでいるのかさえも分からない感覚だった。

 

(なんだろう。先輩達が座っている、この位置って……。私、昔、どこかで見たような気がするんだけど……)

 

 そうして彼女は、うさぎさんの輪か抜け出すと、あんこうチームらのテーブルにやってきて、置いてあった椅子に座った。

 目の前で談笑している、武部沙織、秋山優花里、遠藤祐子、冷泉麻子、五十鈴華の順に並ぶ位置を見て、梓は、不思議な気持ちになっていた。

 

(気のせいなのかな?……。ううん、違う。私、絶対に、この光景を見たことあるんだ! だって、先輩達だけならまだわかるけど、そこに、三歳も年下の祐子ちゃんが、一緒にいるところを覚えているなんて、普通ありえないから……。いつ? どこで見たんだっけ?)

 

 じっと、自分達を見つめる梓に気付かない五人は、なおも歓談を続けている。

 

「ねえ、お姉さん。もう、随分会っていないんですけど、みほちゃんは、元気ですか」

「はい! 毎日、元気に遊んでいますよ、今は、おままごとに夢中ですね」

「ゆかりん、いつものやつ、今日も持ってきているの?」

 

 沙織がそう言った瞬間、梓の記憶が、鮮明になってきた。

 

(そうだ――。沙織先輩が言った後、優花里先輩は、リュックから、本を出すんだ)

 

 そう思った瞬間、優花里は「はい! 待っててください」と言って、軍用リュックのファスナーを開けて、何やら本らしきものを出した。

 テーブルの上で、ページをパラパラとめくる優花里を見つめながら、梓は、また思い出した。

 

(うん、そうよ――。そして、優花里先輩は、写真の一つを指差す……)

「見てください。みほのこの写真。可愛いでしょう。初めて、戦車のプラモを作ろうと……」

「ああ! そうよ、そうだわ! やっと思い出した!」

 

 いきなり大声を上げた澤梓に驚いて、目の前にいた五人は、彼女へ顔を向けた。

 

「うおっ!! びっくりしたぁ!」

「どうしたの、梓ちゃん? 何を思い出したのよ?」

 

 優花里と沙織が訊ねると、澤梓は興奮した様子で、早口で話し始めた。

 

「先輩達。それに祐子ちゃん。私、ずっと考えていたことがあるんです。西住隊長についてなんですけど……」

「――梓、何を考えていたんだ?」

 

 冷泉麻子が冷静に訊ね返すと、梓も少し落ち着いてきて、今度はゆっくりと話し出した。

 

「はい! 西住隊長がいなくなってから、今年で六年になりますよね。私、今アングラーフィッシュの経理にいるんですが、お給料日になるたびに、西住隊長は、生活するためのお金をどうしているんだろうって、いつも考えていたんです。確かに、西住流の副師範だった先輩でしたから、下世話ですが、お給料も結構な額を貰っていたのかもしれません。ですけど、戦車道を止めてしまったからは、収入先が無くなってしまったはずなんです」

「――確かにそうだが、梓、一体、何が言いたいんだ?」

 

 麻子が再び問い直すと、今度は興奮して、彼女は答えた。

 

「はい、収入を得るために、西住隊長は、バイトなり就職して、きっと働いているはずだと思います。そして、先輩達は、自分のやりたかった事を、今、自分の仕事にしておられます。――だったら、きっと、西住隊長も自分が本当になりたかったもの、やりたかった事を、自分の仕事にしていると思うんです」

「えっ……。みほさんが、なりたかったもの?」

 

 五十鈴華が首を傾げながら梓を見つめると、彼女は椅子から立ち上がって、全員に向かって言った。

 

「私――、やっと思い出したんです。先輩達と祐子ちゃんが座っているこの位置関係、先輩達は、覚えていませんか?」

「この、座っている位置って?」

「沙織先輩! 祐子ちゃん達の訓練指導をお願いする為に、西住隊長に手紙を書いた事があったじゃないですか! 大洗のファミレスで」

「あっ、そうだね、そんなことがあったよね」

「はい、その時に沙織先輩が言ってらっしゃいました。西住隊長が本当になりたかったものの事を……」

「ええっ……、なんだっけ? そんな事、言ったかな。私?」

「はい! 沙織先輩は、あの時に、こう言われました……」

 

 そこまでまた早口気味に説明してきた澤梓は、ゆっくりと吐き出すように言った。

 

「西住隊長は、本当は幼稚園の先生になりたかったって!」

 

 澤梓がそう言った途端、あんこうチームの三人が、いきなり立ち上がった。

 

「――そうだ。私も思い出したぞ。沙織は、確かにそう言ったぞ!」

「はい、私も思い出しましたわ……。そうです。あの時は、みぽりん奪還作戦の説明の中での話でしたわ……」

「はい! 確かに、武部殿は、西住殿が卒業する前に、そう言っていたと言われました!」

 

 一人、椅子に座ったまま沙織は「落ち着いてよ」と言わんばかりに、三人に言う。

 

「でも、ちょっと待って、みんな……、みぽりんは、大学には行っていないから、幼稚園の先生の免許なんて持っていないはずだよ」

 

 沙織が言うと、冷泉麻子が、強く首を振りながら答えた。

 

「――確かに、幼稚園の先生になるには大学、短大の保育課の卒業証書が必要だ……。だがな、沙織。保育士は別なんだ。今は通信教育でも保育士の免許を取ることができる。だから、日本中どこにいても、家で勉強できるんだ」

「それじゃあ、もしかして、みほさんは『保育園の先生』になっていらっしゃるのかしら?」

「……わからない。まだわからないが、今まで隊長の手がかりが全くなかったんだ。梓のこの話は、わずかでも手がかりになる可能性がある!」

「ですが――、冷泉殿? 広い日本で、何万人という保育士さんの中から、西住殿を見つけることができるんでありますか?」

 

 優花里が言うと、全員が麻子を見る。しかし、麻子は自信たっぷりに言った。

 

「――心配するな。私達には『大洗の怪物とその仲間達』がついているんだ」

「誰よ、怪物って」

「――カメさんチームの三人だ」

「学園長達で、ありますか?」

「――ああ、弁護士仲間だけの、あだ名みたいなものだがな。考えてもみろ。学園長達は、まだ二十八歳なんだぞ。それなのに、あの巨大な会社を経営しながら、学校の重責も担っている。これを、怪物と言わずに何と言うんだ?」

「確かに、そうでありますが……。でも、それでも、こんな小さな、情報になるかどうかも分からない事を、調べてもらえるんでしょうか?」

「――とにかく、相談してみよう。ダメならダメで、しょうがない事なんだから」

 

 そう言った麻子は、一人で大食堂の中心に向かって歩き出した。それに続くように、他の五人も、会場内のどこかにいるはずであろう、角谷杏、小山柚子、河嶋桃の「カメさんチーム」の姿を探し始めた。

 人ごみの中を、キョロキョロと探していると、グラスを片手に後輩OGと笑いながら話し込んでいる杏を、沙織が見つけた。

 

「あっ! あそこにいるよ、みんな! 学園長!」

「やあやあ、どうしたの。みんな。ちゃんと楽しんでる?」

 

 沙織の呼びかけに気づいた角谷杏は、少しお酒が入っている感じで、顔をピンク色にしている。そこへ沙織の後ろから五十鈴華が、少し緊張気味に、彼女に声を掛ける。

 

「はい。楽しませていただいていますが……。実は……、学園長と小山先輩、河嶋先輩に相談しなければいけない事ができましたの」

「ふぅん。それって、何なの?」

「……できれば、学園長。御三方以外に聞かれたくはないのですが……」

 

 華の真剣な口調と、五人の真剣な表情を見た杏は、なにか感じ取るものがあったのだろう、自分の近くで他のOGと談笑している小山柚子に声を掛けた。

 

「おい、小山!」

「はい!」

「至急、河嶋を探せ。見つけたら、一緒に学園長室に来て!」

「はい。わかりました」

 

 そう言った柚子は、談笑していた相手に断りを入れて、会場の奥へ歩いて行った。

 

「みんな、学園長室へ行こう。そこで小山と河嶋が来たら、話をして頂戴」

 

 そう言って彼女は、皆を引き連れて学園長室へと向かって行った。

 校舎三階の学園長室の応接セットに座り、しばらく二人を待っていた彼女達だが、ほどなくして、小山柚子と河嶋桃が部屋へ入ってきた。

 

「すみません。学園長、遅くなりました」

「いいよ。ほら、小山も河嶋も座って……。なにやら、皆が内緒の話があるってさ」

 

 杏が促すと、柚子と桃が、六人に対峙するように応接椅子に座った。

 

「学園長、実は、私達から、先輩達にお願いがあるのです」

 

 華が話を切り出すと、三人は真剣な表情に変わった。

 

「何?」

「――さっき、梓が隊長の事について、思い出したことがあって、私達も、その事については間違いないと同意しています。ただ、その事が、隊長に繋がるのかどうかが分からなくて、先輩方に相談しているのです」

 

 今度は麻子が、話を引き継ぐように、三人へ説明を始める。

 

「思い出したことって?」

「――はい、隊長は、高校を卒業する前に、沙織に『幼稚園の先生になりたい』という、自分の夢を話しているのです」

「ええっ? 幼稚園の先生!?」

「――はい。でも、隊長は、西住家に戻らなければいけなかったので、自分の夢を諦めているんです。そして、もし働いているとすれば、隊長は幼稚園の先生じゃなく、もしかしたら、保育士の資格を通信教育で取って、保育園で働いているかも知れないんです」

「わかったよ、冷泉ちゃん達が、お願いしたい事がね。小山! 河嶋! 今から、各方面に確認して、西住ちゃんが、保育士の免許を取っているかどうかを、急いで調べなさい!」――「はい!」「はっ!」

 

 杏の両側に座っていた柚子と桃がいきなりソファーから立ち上がると、それぞれ自分の席に着いて、閉じていたノートパソコンを開き、キーボードをバタバタと叩き始めた。そして、今度はそれぞれが携帯電話を取り出して、どこかへ電話を掛けはじめた。

 

「もしもし、小山です。……。はい、そうです。今から、ちょっと調べてもらいたいことがあります、いいですか? よく聞いてね――」

「もしもし、私だ。……ああ、そうだ。情報部に電話を繋げろ……」

 

 杏は二人の動きを確認すると、ソファーからゆっくりと立ち上がり「少し、待っててね」と言って、自分の机に移動すると、そこで干し芋をかじり出した。

 初めて見る「カメさんチーム」の連携とてきぱきとした仕事ぶりに、六人は驚いている。

 しばらくして、柚子と桃のパソコンに、それぞれのメール着信音が鳴った。そして、キーボードを叩く二人が、それに気づくと、それぞれが画面を覗きこみ、今度はマウスを動かし、何やら書類らしきものをプリントアウトした。それを持って、二人は杏の前にやってきた。手渡されたコピー用紙を交互に見比べながら、杏は、自分の席から六人に話しかける。

 

「皆、待たせたね――。結論から言うと、西住ちゃんはね、保育士の免許を持っているよ」

「本当ですか!」

「うん、そして、今日、西住ちゃんは式典にやってきている。昨日は金曜日だから、保育園はやっているはずだよね。少なくとも、金曜日の夜から、今日の十時までに移動してきたという事だね。そして、もし、遠くから来たのなら、大洗のどこかに泊まるはずだよね。でも、西住ちゃんは、大洗の旅館やホテルには泊まっていないんだ。朝、式典前に電話して聞いてみたんだけど、どの旅館にも泊まっていない事がわかっている――西住ちゃんはホテルに泊まらずに大洗まで来たんだから、交通手段は、電車か、バスか、車しかない。大洗の人達は西住ちゃんを見落とすことはないし、ましてや、初代メンバーが、電車やバスを使って来たのに、誰も会っていないんだから、電車とバスは除外されるね。ということは、他に方法がないとは言わないけど、式典が始まる時間に着くように、車でやってきたというのが一番理にかなっている。ここまで考えると、おそらく車で来られる範囲で、多分、今日の朝、住んでいるところを出発して、十時前に大洗に着ける距離に、西住ちゃんはいるんだよ」

 

 杏の説明に柚子と桃も頷く。二人を見て、杏も同じように頷いた。

 

「これで、範囲が随分狭まるよね。ここからは、私の出番だな。でも、今日中には無理だね。三日ほど時間をくれないかな。必ず調べて見せるからさ」

「すみません。宜しくお願いします」

 

 沙織が言うと、他の五人も頭を下げた。それを見た「カメさんチーム」の三人は、揃って首を振った。

 

「いや、気にしないで。私だって、まさか、西住ちゃんの仕事がわかるなんて思わなかったから。やっぱり、式典を開いてよかったよ。さあ、皆は、懇親会に戻って楽しんでいってね」

 

 そう言って五人を部屋から出した杏は、一人、学園長室に残った。

 


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