既に冬の季節を迎えた街は、夜ともなれば殊更に冷たい。周りが熱源を持たぬ金属だらけの倉庫街ということもあり、肌を撫でる風すら氷のようだ。
しかし、霊体化しているキャスターには関係ない。むしろこの熱源のなさは熱を発する存在――――生物の居場所を探すには適するだろう、と好意的かつ前向きに捉えていた。
『龍之介、そっちはどう?』
別行動し物陰に潜む龍之介へと、念話を繋いで問いかける。
『んとな、今トラップ仕掛けてるとこ。なんか結構近いトコに人がいる感じがするんだよなー』
『そう。こっちも隠れてるのがいるみたいだよ。魔術で姿を隠してるみたいだけど、いけそう?』
龍之介に持たせた特製狙撃銃は、銃身内に龍之介自身の血液を塗りたくり呪術を付与させた礼装だ。これにより、発射する死霊術による加工を施した腐敗魔弾に呪術を付加させ、サーヴァントにも威力を発揮するようになる。
しかし、それ以外はスコープを取り付けただけの代物だ。それに熱感知機能はついていない。この暗闇の中、姿の見えぬ敵に当てられるかどうか、少しばかり不安になるのは仕方ないだろう。
だが、龍之介はそんな心配は無用とばかりに答える。
『へーきへーき、水温察知を使えばいけると思うよ。こんな寒い中なら、人の体温くらい分かるって』
――――水温察知。
生物ならば必ず水を必要とし、体内に水分を貯留している。そして体温を調節するのに、貯蔵した水が使用される。
その水の熱量から対象を割り出すのだ。
当然それは、つい最近まで魔術回路も魔力も一般人でしかなかった龍之介が簡単に出来る芸当ではない。
だがしかし、キャスターは彼の回路を改造することで可能としたのだ。
雨生家は回路こそ生きているものの魔術師としては既に廃れており、その神秘は一族に伝えられていなかった。よって、キャスターたちには雨生家がどういった魔術師の家系で、どんな魔術を使うのかは分からない。
だから、開き直ったキャスターは『好き勝手に弄くる』ことにした。
とはいえ、どんな魔術に適した回路にしようかと悩むはめになった。サーヴァントも攻撃できるよう呪術は絶対に学ばせるが、後は特に決めていない。
魔術を得意とするゆえに思いつくジャンルが豊富で、色々選択肢があったキャスターは、大いに悩んだ。
すると龍之介が、打開策を何気ない調子で口にしたのだ。
「日本の諺に『名は体を表す』って奴があるんだけど、これってあり?」
聞いた途端、その手があったかとキャスターは目から鱗だった。
名は体を表す――――己を示す名前・名称が、姿や本質を現しているという意味を持つこの言葉。
龍之介が言ったこれを丁度良いと思ったキャスターは、躊躇無く提案に飛びついた。そして諺に則って、名前に合わせた魔術が使えるよう改造することに決定。
同時に日本という部分から、基盤も思いつく。絶対に呪術を覚えさせようと思っていたので、呪術=東洋。すなわち陰陽五行思想に発想が繋がったのだ。
こうしてキャスターは名と思想を元に、魔術回路に手を加えた。
改造する魔術回路の持ち主は、『雨生龍之介』。
雨は水。
水は胎内と霊性を兼ね備える。
水は癒しの泉、胎内と等しく生命に関与する。
水行は太極から分裂した陰が北に移動して生じた。
雨生龍之介。
水の龍。
水に属する龍は、黒竜。
黒竜は邪悪であるともされ、水と闇を司る。
闇と水は共にある。
水は霊性、闇にも通ずる。
闇は太極図で言えば、陰。
陰は受動的な性質。
闇や肉体、水などを司る。
『雨生龍之介』
『水を生む黒き邪竜』の性質を持つ魔術使い。
だから、胎内と霊性に特化した魔術回路にした。
だから、水と闇に適した魔術回路に作り変えた。
そして生命を操ることと呪いに特化した魔術使いにした。
死霊術と呪術を操ることへと特化した、魔術使いにした。
死と呪いを生み出す魔術使い。
それが今の『雨生龍之介』だ。
勿論、これは通常の、正常な魔術師が考え得るものではない。
元々持っている魔術回路に手を加え、人為的に魔術を会得させる。それは間桐臓硯のような、外道に堕ちた魔術師の考えるような所業だ。
そして臓硯ですら、短期間にして施すことは不可能だ。
架空元素の属性を持つ桜を蟲を用いて調整し、まともな教育をしていなかった孫を一年で急造魔術師に変えた彼の妖怪でも――――。
たった半年以下で元の属性を無視した回路に造り変え、そしてそれを使い物になるようにしろと言われても無理であろう。
しかし、キャスターはその『無理』を可能とする。
キャスターの『宝具』は、そんな不可能を無理矢理にでも可能に変える。
常識を覆し、
理を破壊し、
無茶苦茶を叶え、
無謀を嘲け笑い、
馬鹿な幻想を――――実現させる。
ありとあらゆる不可能とて、キャスターが行うに限りそれは可能となる。
それはキャスターを知る者が、あらゆるものを冒涜する混沌の怪物へと抱いた幻想が具現化した宝具が持つ能力。
大半のマスターにとって致命的欠陥を持つ、最強最悪の宝具による力だ。
……それについてはまた追々にするとして、龍之介はこの宝具を用いた改造で短期間にしては優れた魔術使いになった。
その彼が大丈夫だと言っているのだ。
ならばと、キャスターは龍之介の言葉を信じることにする。
彼が、彼だけが、己のマスターなのだから。
サーヴァントが、マスターの言葉を信じずにどうするのか。
『……分かった。じゃ、好きなタイミングで好きにして良いよ。大怪我はしないようにしてね。僕からは以上』
『了解!』
明るい返事の後、通信は途切れた。
念話を終えたキャスターは、眼前へと意識を戻す。
そこにいるのは二人の騎兵。
蒼いドレスに銀の鎧を纏う凛々しき姫騎士と、
深緑を身につけた甘く蟲惑的な美貌の槍騎士。
セイバーとランサー。
両者は名乗りを上げぬ一騎打ちを行おうとしている。
さて、彼らのどういった英雄だろうか。どれほどの力を持つのだろうか。
姿を消したキャスターは、特等席で彼らの実力を拝見とかかった。
◇◇◇
激しい鎬が削られる。
剣檄は火花を散らし、二人を中心として巻き上がる風が周辺にあるものを揺らし、吹き飛ばす。
ランサーが用いるのは赤い長槍。柄部分に呪符が貼り付けられている。
セイバーが用いるのは――――形が見えぬ、予想だが剣。おそらく魔術で形状を隠している。よほど有名な武器なのか。あるいは形状を隠したほうが有利な代物なのか。
ともかくとして、さすが三騎士のクラスといったところ。どちらの実力も素晴らしい。だが、やはりクラスとステータスによって差が出来るのだろう。若干、セイバーの方が有利に見える。
『師匠、ししょー』
そう思っていたら、龍之介の方から念話がきた。
『なに、龍之介』
『アサシンが近づいてきた』
『あぁ、やっぱ生きてたんだ』
『師匠の予測が当たってたな、なんか二人くらい見える』
『姿はどんな?』
『男と女』
返答に、ふむ……とキャスターは思案する。
姿が違うということは、単純な分身や身代わりではなさそうだ。
だとすれば、一番濃厚な線は多重人格者。生前が多重人格であると知られる英霊。黒人としか思えない外見、装い。そしてアサシンというクラス。
それらから、二体目のサーヴァントの真名が大体分かった。
『あぁ、ハサンだったか』
『え? 破産?』
『惜っしぃー』
それだと暗殺教団は貧乏になる。
裕福ではないかもしれないが、少なくともジリ貧ではなかったはずだ。
お茶目な聞き間違えをしたマスターに苦笑を浮かべ、キャスターは龍之介に彼らについて講義を始めた。
『ハサン・ザッバーハ。暗殺教団っていうところの教主、山の翁を務めた一人だよ。ハサンは襲名で、今回の奴は百の貌を持つとされるハサンだろうね。なるほど、多重人格だったことにちなんで肉体を分けれるようになったのかー』
『ふーん……強いの?』
『今みたいな状態だと、多分弱い』
そう思った理由は、最初のアサシンが(やらせとはいえ)アーチャーに瞬殺された点からだ。多分、分裂と力も分断されてしまうのだろう。
『なら、今なら戦力減らせるんじゃない? 殺っとく?』
それを聞いた龍之介が、軽い調子で許可を求めてくる。
だがキャスターが返したのは、否だった。
『二兎追う者は一兎をも逃がすってのが、日本の諺でしょ? 今動いたら、近くにいるっていう連中に勘付かれる。そしたら僕がいる方にいる奴らを、不意打ち出来なくなる可能性が高い。向こうが襲ってこない限りは、無視しておいてくれないかな?』
『そうだな。分かったよ』
どうせなら、楽しい遊びをするほうが良い。
キャスターと同じ思考に至った龍之介は、あっさりと引き下がった。
『ありがとうね、龍之介』
マスターに礼を述べて、眼前に意識を戻す。
その頃には、戦況は一変していた。
先ほどまで押していたセイバーの顔は、少々苦しげに歪んでいた。代わってランサーが彼女を追い詰めているようだ。
その原因は、恐らく――――槍。赤い槍からは付いていたはずの呪符が剥がされており、槍先が目に見えぬ剣を突き、絡める。その度に剣を覆う風が剥ぎ取られ、少しずつ刀身の形が露になっていた。
――――破魔の槍、か。
あれには気をつけた方が良いだろう。あの槍は、魔術を用いる己と相性が悪そうだ。ランサーと戦う時は、召喚系を多用する方向でいこう。それとも龍之介に不意打ちをさせるか、とキャスターは対抗手段を考える。
と、不意にセイバーが武器を下ろした。
どうしたのかと眺めていると、セイバーが装備していた鎧を外す。
露になった鎧の下を一瞥し、キャスターは秀麗な顔を引き攣らせた。
『うっわぁ……』
『どしたん? 師匠』
『あの子……マジで胸ないのか』
そう豊かではないだろうが、それでもスーツの厚めの布地や鎧で着痩せし過ぎて可哀想なことになっているんじゃないかと思っていた。
だがしかし、そうではなかった。
比喩でもなんでもなく、なかったのだ。
まさに断崖絶壁。
まさに水平線。
つまり貧乳。
言い方を変えたらペチャパイ。
『白兵戦するには好都合だろうけど……あれだけ潔いまな板振りを見せられると、なんか哀しい。切ない』
『そんなに酷いの? あのセイバーって子』
『うん……神様って、惨いことするよね』
今度、豊胸の薬でも作ってあげようかな。
そう考える程度に、キャスターはセイバーの胸を憐れんでいた。
己が胸を憐憫されていることなど露知らぬセイバーは、剣を再び構えると、後方に魔力を溜める。
そして、それを爆発させた。
魔を破る槍を持つランサーに、これ以上の打ち合いは不利になる。
だからセイバーは、一気に片をつけることにした。
魔力の爆発と風により推進力を向上させての、突貫。決まれば、一瞬にしてランサーを討ち取ることも不可能ではない。
だが、キャスターから見てそれは愚策としか思えない手段だ。
サーヴァントの正体が知れていない状態で、後退も中断も出来ない突撃。それは相手の持つ宝具次第で、返り討たれる確率を上昇させるということ。相手の宝具が一つとは限らないのだ。
キャスターのそんな推測は、『大当たり』だった。
姫騎士が弾丸のごとく接近して来ると、美丈夫は足を動かす。それは地面に隠した第二の槍を掘り起こす動作だった。彼は爪先で黄色い短槍を放り上げると、それを手に取ってセイバーへと斬りかかる。
少女は咄嗟に身を捻る。矮躯の少女の姿をしていようと、流石セイバーのクラスと言えよう。青い姫騎士は驚異的な身体能力を発揮し、槍で貫かれることだけは避けた。
だが、完全に避けきることは出来なかった。黄色い穂先は彼女の左腕を捕らえ、切り裂く。鋭い刃面に鮮やかな紅が散らされる。
着地し立ち上がると同時に、力なく垂れ下がるセイバーの手先。左手の腱を切られたのだろう。あれでは、両手で剣を持つことなど出来ない。満足に剣を振るうことなど不可能。
すぐにセイバーの傷を治さんと魔力が流されるが、しかし腕は動かない。銀髪紅眼の女が治癒したと言うが、そんな様子は欠片も見られない。
すると、美丈夫が不敵に告げた。
――――我が短槍でつけられた傷は、決して癒えることはないと。
紛うことなく、最優のサーヴァントが弱体化された瞬間だった。
身を潜めてそれを聞いたキャスターは、危険度はセイバーよりランサーの方が上だと判断する。
どちらも騎士然としたサーヴァントだ。だがセイバーは騎士道が強すぎて、絡め手に弱い。対するランサーは、単純ではあるものの策を弄する。加えて二つの武器が持つ特性……厄介極まりない。
だが二つも魔槍を見せてくれたお陰で、彼の正体も知れた。
同時に、こいつの陣営は大丈夫なんだろうかとワクワクしながら思う。
『ディルムット・オディナ……マスターが女がいる男だと、相当に拗れるだろうなぁ。気になる気になる~っ』
黒子の呪いが原因だが、寝取り騎士として知られる男だ。ドロドロとした三角関係による愛憎劇が見れそうだ。開催されたら是非呼んで欲しい。
ときに、これでセイバー側の分が圧倒的に悪くなったわけだが。さて、ここからランサー陣営はどう動き出すだろうか。
胸躍らせながら続きを待っていると、誰かの悲鳴が聞こえた。
次いで、空から巨大な戦車が降って来た。