Fate/zero 混沌より這い寄る者たち   作:アイニ

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 部屋の扉が開かれると、一番に桜を出迎えるのは、匂いだ。

 ネフレン=カが現在使用している其処からは、いつも不思議な匂いがしていた。部屋の主である彼が持ち込んだ魔術の様々な触媒や薬が入り混じった、なんともいえない、でもどちらかといえば甘くていい匂いだ。それが部屋の中にほんのりと漂っている。

 入るたびに思うが、不思議な内装だ。そこにはベッドがある。テーブルと椅子がある。床には絨毯が敷かれている。間桐に元から置かれていた家具だ。

 でも、本棚の中には見たことがない文字で綴られた本が詰められている。料理に使う時より小さな鍋や乳鉢などもある。テーブルの上には魔術師の家にはないはずのパソコンが置かれ、部屋の脇に小型の冷蔵庫が鎮座している。割ときっちりした性格だからか、小物入れの触媒や薬は分類別に分けられていた。他にも綺麗な石や変わった形の植物など、目を惹くものが沢山ある。

 何度見ても見られない室内をきょろきょろと眺めていると、青年は「先に座っていろ」と桜に命じた。言われるまま椅子に腰かけると、ネフレン=カが冷蔵庫の扉を開ける後ろ姿が見える。中には砂糖入りの紅茶や果物のジュースが入ったペットボトルが収納されていた。

「小娘。シャーイとアスィール、どちらにする?」

「えっと……お茶で」

「分かった」

 桜の顔を水に返事した彼は紅茶を取り出してから扉を閉めると、何もない空間に手を突っ込む。

 そこから、ずるりと擬音が付きそうな具合にコップが取り出される。

「さて、とりあえず昨日のおさらいでもしていくか。一朝一夕で覚えられる内容でもないからな」

 普通ならあり得ないことを当然のように行った彼は、そんなことを言いながらコップをテーブルに並べ、紅茶を注いでいく。

 それから始まったネフレン=カの講義に耳を傾けながら、桜は初めて彼に出会った時のことを思い出していた。

 

 

「端的に言うが、小娘。お前は生まれた時点で詰んでいるぞ」

 それが、桜を一瞥したネフレン=カが口にした言葉だった。

「一目見て気づいたが、お前の魔術師としての属性は虚数だ。魔術師として極めて珍しいとされる、架空元素を扱う素質がある」

「虚数……? それに、架空……元素……?」

「なんだ。お前の親も、あの老いぼれも、何もお前に話していないのか」

 今まで聞いたこともない言葉、単語。それに感情が希薄だった桜が思わず戸惑いを見せると、青年は肩を竦めた。その後、簡単にだが教えてくれた。

 魔術には二つに分類される属性がある。

 火や水といった自然界に存在する五大元素と、前述したそれとは全く違う力を持つ架空元素だ。

 桜はその架空元素の一つである虚数、または虚と呼ばれる属性を持っているのだという。

「架空元素持ちの人生は、五大元素を持つ者のそれより険しいぞ。常日頃から周囲の目を伺い、警戒しなければならない。少しでも隙を見せれば、殺される」

「ころ、される……? 誰に、ですか?」

「誰にでもだ」

 怯えを見せる桜に、彼はきっぱりと断じる。

「知能があるものは好奇心が強く、珍しいものが好きな連中が多いからな。中でも魔術師という生き物は、道徳観念が薄いのが殆どだ。私を含めてな。何もせず生きていれば、腹を裂かれて血を抜かれ、防腐処理されて展示されるぞ。研究材料、あるいは検体として、ほぼ永久的に」

 彼の説明は感情が欠如されたように静かに、淡々と響くものだった。

 だからこそ――――恐ろしいと思った。彼の口ぶりには虚飾や過剰な表現がされていない。今言われたことが、紛れもない真実だということだ。

 そうして桜は、彼が先ほど言った『詰んでいる』という意味を理解する。

 このまま間桐臓硯に虐待され続ける地獄。それから解放されても、先にあるのは地獄だけだ。どこの魔術師の家に養子として出されても、実家である遠坂に居続けても、桜が救われることはない。桜は怯え続けなければならない。

 

 人に。

 人を辞めたものに。

 人ですらないものに。

 

 ずっとずっと――――怯え、震え続けなければならない。

 生まれて来なければ良かったと、絶望しなければいけない。

 

 そんな未来が、己が歩む道として提示されているのだ。

 

「………っ、ぁ……ぅあ……!!」

 枯れたと思っていた涙が溢れた。

 嗚咽は段々と大きくなり、目の前が涙で滲んでぐしゃぐしゃになった。

 桜は膝を付き、言葉ともいえない言葉をうわ言のように繰り返し呟きながら蹲る。ぼろぼろと零れ落ちる滴で、床を濡らしながら。

 青年のものであろう視線を感じる。その直後、扉が荒っぽく開かれた。

「桜ちゃん……!」

 死人みたいな声。見上げて、ぼんやりと浮かぶ姿も死んだ人みたいだと桜は思った。一年前はこんなではなかった。髪は黒かったし、顔が引きつってもいなかった。目の色も普通だった。左腕だってちゃんと動いていた。変わっていないのは、服装くらいだ。タートルネックにパーカーを重ねて、ズボンを履いている。

「ネフレン=カ! お前、桜ちゃんに何をした!?」

「お前に教えたことを、小娘にも告げただけだが」

 声を荒げながら凄まじい形相で近づいていく、叔父の雁夜。黒い長髪の青年はしかし、不機嫌な顔で眉を寄せて殊更機嫌悪そうにしながら質問に答える。

 返答を聞いた雁夜の喉が、ひゅっと鳴る。

 途端、彼は先ほど以上の大きな声で言い募る。

「どうしてそんなことをした!? 桜ちゃんはまだ幼いんだ、そんな酷い話を教える必要なんてどこにも……!!」

「無知であることは罪だ」

 前のめりになる雁夜の目前に人差し指を接近させ、ネフレン=カは語る。

「その罪は知らなかった側、知らせなかった側、どちらにも課せられる。知らないことは免罪符にはならない。知ろうと思えば知れたことなら尚更だ。それが罪と知り理解してなお行う悪行は罪深いが、何も知らず解りもせず行う悪行も同じくらい、下手をすればそれ以上に罪深い」

 その言葉の内容にうっと呻きつつも、少しずつ近づいてくる指を払いのけ、雁夜はがなる。

「だからって、今話さなくても良いだろ!?」

「なら、いつ話す気だ?」

 切れ長いネフレン=カの眼差しが、雁夜へと向けられる。感情のない、綺麗で真っ直ぐとした、それゆえに恐ろしいと感じる目だった。

「雁夜。貴様はあの老いぼれと契約によって蟲を体内に取り込み、一年と生きられない体だろう。そうでなくとも、必ず死者の出る聖杯戦争とやらに出るのだろう。そんな貴様が何故、『いつか』を語る? 来ないだろう未来へと後回しにすることを選ぶ?」

「それは……っ」

「老いぼれは大方このことを話さんぞ、貴様の兄もな。小娘の元の親は何一つ知らんし、知ったところで小娘が無事でいられる方法を見つけられんだろう。だとすれば、今の貴様のように後回しにするぞ。『いつか』、『いつか』、『いつか』――――来ることのない『いつか』を選び続けるぞ。その方が小娘のためだと思って、自分にそう言い聞かせてだ」

「でも、それでも、桜ちゃんの心を傷つけるようなことは……」

「それが貴様なりの優しさとやらか? とんだ勘違いな優しさだな。誤魔化しや甘い嘘で救われる奴は一握りだ。貴様にとっての優しさは首に絡みつく真綿と同じ。気が付かないほど緩い力だが、確実に首を絞めていくぞ」

 誤魔化し続けることは無意味だ。

 それでは決して、救いにはならない。

 言葉を選ばないキツい物言いで、黒きファラオはそのことを突き付ける。どこまでも厳しく、率直な反論。情け容赦も手加減もあったものではない。頭に痛いのに、耳を塞ぐことが出来ない。雁夜なりの優しさを否定する言葉に、彼は青ざめ、後ずさりする。

「それだけならまだ良いがな――――この事実を、小娘が何らかの形で『途中』から知ったらどうなるか、考えているか?」

「え?」

 目をすぼめて続ける青年の言葉に、雁夜はポカンと呆けたような顔をする。

 それを見て、ネフレン=カは更に顔を顰めた。

「私は好かんのだがな、世の中には『偶然』だの『不慮の出来事』だのというものがあるだろう。そういう何らかの切っ掛けで、このことを小娘が後から知ったらどうなると思う?」

「どうなる、って」

「薄々そのことを知っていたり心当たりがあったのなら、そこまで衝撃は大きくないだろう。……だが、もし何も知らなければ? 自分がどれだけ危険な状態にあるか全く知らず、平凡に生きていたら? そこから不意打ちで事実を知れば? 確実に荒れるぞ。心身ともにな」

 そう、雁夜の――――ごく普通の人間が考える優しさは、単なる温い甘さではない。事実が公になった途端、豹変するのだ。

 ゆるゆると喉を絞める真綿から、一息で首を撥ね飛ばす鋼糸へと。

「とりあえず、小娘に粗方のことを伝えておく。貴様が聖杯戦争に参加する理由なんぞもな。……全く。日本人というのは面倒くさいことこの上ないな。隠し癖や誤魔化し癖が多過ぎる。もっとハッキリ言え、でなくば何も伝わらんぞ」

 艶やかな黒髪を苛立たしげに掻きながら、ネフレン=カは桜を見下ろす。未だ泣きじゃくる少女をしばし見下ろした後、しゃがみこんで顔を上げさせた。

 そのまま、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を見据えて、彼は言う。

「小娘、明日から教育と修行を始めるぞ。今まで教わってなかっただろうことも詰め込まなければいかんからな。多少早駆けだが、文句は言うなよ」

「…………え?」

 彼の口から紡がれた内容に、桜は泣くのを止めて目を丸くする。

「まずは老いぼれと交渉して、お前の教育権を奪い取らないとな。あの蟲爺が欲しがりそうな条件をいくらか考えてはいるが、少々時間が掛かるかもしれん」

「……お、おい。ネフレン=カ?」

「なんだ?」

 茫然としていた雁夜に声を掛けられ、彼はそちらへと整った顔を向ける。

「お前、さっき桜ちゃんは色々と終わりだの言ってなかったか?」

 すると、ネフレン=カはあからさまに顔を顰める。

「そういう貴様……いや貴様らこそ、私の話を聞いていないな? 私は、『何もせず』生きていれば、死ぬといったはずだが?」

「……? つまり、どういう」

「今から教育して、護身程度でも魔術を身に着けさせれば、将来的な生存率は上がると言っている」

 告げられた言葉に、二人は目を見開く。

 だがすぐ、雁夜は訝げに尋ねる。

「でも、誰が桜ちゃんに魔術を教えるんだ? 桜ちゃんは虚数だとかいう、滅多にない属性なんだろう?」

「その点は問題ない。私が教えれば済むことだ」

「は?」

「しかし、これは中々愉快なものだ。まさか、私と同じ属性を持つ者と出会う機会が来るとはな。あの時代でもかなり珍しかったから、神秘が薄れた現在にはもう現れないだろうと思っていたのだが」

「お、おいネフレン=カ? お前、さっきから何を言って……?」

 ぶつぶつといまいちよく分からないことを口ずさみ、自分一人で何やら納得している彼の肩を、雁夜は怖々しながら叩く。

 すると彼は「ん?」と首を捻った後、しばらくして「……あー」と何か思い出したように真伸びた声を上げる。

 と、

「そういえば言ってなかったな。私の属性は架空元素の『虚』と『無』だ。これのせいで幼少期から魔術師に追い掛け回されたものだ。何度か解体されかけたな。冗談抜きで死に掛けた。まぁそのおかげで魔術は身に付いたし、神とお会いする機会が得られたから良しとしよう」

 唐突な宣言とカミングアウトに、二人は開いた口が塞がらなかった。

 それを無視して、暗黒の王は桜へと手を差し出す。

 

「最初の教えだ、小娘。我ら魔術師は零から生まれる奇跡はまだ起こせない。しかし、零でなければ起こしうるのだ。どれだけ成功率が低くともな。諦めれば可能性は零に帰すが、諦めなければいつか必ず成し遂げられる。だから――――諦めるな。自分なりの幸福を願い、望むならば」

 

 そうして、彼は桜の師となった。

 


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