失血で朦朧としていた意識が戻った頃、既に奴の姿はなかった。
「くそ、逃げられたか……」
「切嗣」
歯噛みする切嗣の元へ、舞弥が駆け寄ってくる。彼女の体を包む黒服は、砂埃などで薄く汚れていた。
「遅れてしまい申し訳ありません。かなりの罠が仕掛けられていました」
「いや、気にしないでくれ。……そういえばあのマスターは狙撃銃を放り捨てていたな、回収できたか?」
「いえ、私がそこに向かったときにはありませんでした」
舞弥の返答に、敵の武器を手に入れられなかったことが悔やまれる。
「素性を知られる証拠は残さないか……言動に反して冷静だ」
セイバーたちの持つ耐魔力を無視して攻撃を与えられるということは、キャスターのマスターは呪術を習得しているに違いない。
呪術は己の肉体を素材にする。あれに皮膚や毛髪、血液が付けられている可能性が高い。それを調べて相手の情報を得られればと思っていたのだが……。
「ないのなら仕方ない。初日で死霊魔術使いと分かっただけでも十分と考えるべきか。それで舞弥、撤去した罠はどういったものだった?」
「それが……」
重要視する罠の系統だけでも知っておきたい切嗣に問われて、眉をひそめながら口ごもる舞弥。さしもの彼女でも、言いにくいようだ。
それでも彼女が語った罠は、かなりの凶悪性を誇っていた。
「臓器を敷き詰めた落とし穴に、クローズライン、ブービートラップ、手榴弾代わりの心臓にワイヤーをつけた簡易地雷……か」
「ほとんどの罠が同じ場所に複数設置されていました。掛かった相手に対する殺意が強い罠でしたね」
「よくもまぁ、そんなえげつない手段を思いつくもんだ。僕が言えた義理じゃないが」
本当に、えげつない。
遠近どちらの戦い方でも危険な武器類、簡素ながらに殺傷性の高い罠。魔術使いであるがゆえに、起源弾を使いにくいという問題点。切嗣に勝るとも劣らぬ奇襲・謀略性。そして不明すぎる素性と能力……。なんとも殺しにくいマスターがいたものだ。さしもの切嗣も、奴を仕留めるのは骨が折れそうだった。
そう思うと同時に、キャスター陣営について少し分かったことがある。
「……キャスターのマスターは、多分僕ほど指定力のある触媒を使っていないだろうね。大方、強さよりも相性の良さで召喚されている」
「でしょうね」
同感だったのか、舞弥も頷く。
そう……キャスターたちはおそらく、似たもの同士だ。
スコープ越しに見たキャスターと、先ほどのマスター。
どちらも非常にひょうきんで、どこか幼さを感じさせる。言動は妙に明るくて、度胸も行動力もあり過ぎる。まるで遊戯を楽しむ子供、悪戯好きの悪ガキだ。聖杯戦争が何かをちゃんと理解しているのか、怪しく思えてくる。
だが馬鹿でも間抜けでもない。むしろ非常に狡猾な切れ者だ。
頭の回転は速く、思考は柔軟。二重三重に策を練り、準備する用意周到さ。行動的なのに素性を知らせぬ証拠隠滅能力。外道邪道も気兼ねなく行う割り切りぶり。――――そして破綻しているだろう、道徳観念。
奴らは良識や常識を知っているが、歯牙にもかけない。自分の行いに反映させず、非道な行為に心を痛めることもない。むしろ楽しんでいる節がある。
端的に言うならば、理知的な狂人なのだ。奴らは。
「ああいうタイプが一番厄介だ。あいつらは言峰と同レベルで危険だね。今まで影も形も見せなかったのに、始まった途端にほぼ全陣営を掻き回す暴れっぷりだ……手始めにケイネスの拠点を潰す予定だったが、それも難しくなった」
「そうですね。今夜はもう、拠点に戻った方が良いかと」
「ああ。……まったく、派手にやってくれたもんだよ。忌々しい」
煙草に火をつけながら、不機嫌に眉をひそめる切嗣。舞弥の使い魔を飛ばしてもらい、アイリスフィールたちの様子を確認する。丁度、キャスターがこちらに不都合な宣言をするところだった。
本当に面倒な連中だ。キャスターたちの行動は、他の陣営の警戒心を煽るには十分過ぎる。何を仕出かすか分からない連中のせいで、大半が慎重に動くようになるだろう。彼らの持っていた余裕や油断を、奴らが一気に潰した。
おかげで、事前に練っていた策がいくつか使えなくなった。
「キャスター陣営……とんだ伏兵が出て来たな」
サーヴァントもマスターも厄介極まりない。しかも聖杯に対する願いがないため、好き勝手に動き回る可能性が高い。その上、「遊びは全力で尽くす」ときた。それはつまり、気負わない癖して隙を作らないということだ。
あのマスターにしてやられたのは情報の無さや罠だけでなく、肩に掛かるプレッシャーの差もあるだろう。切嗣が背負うのは全人類の平和。対する奴には何もない。失うことを恐れるだけのものがない。だからああも軽快に動く。
自らに科した重さの違い。覚悟からくる苦悩の有無。
このハンディキャップになりうるアドバンテージを、どうするものか。
「それでも、僕は絶対に勝つ。勝たないといけないんだ」
誰に向けるでもない宣言と共に吐き出す煙は、ゆらゆらと危なげに揺れた。
◇◇◇
キャスターの宣言のあと、ライダーたちはマッケンジー夫妻の家に戻った。
自分達の寝床である二階のベッドに腰掛けながら、ウェイバーは今日あった様々な出来事を纏める。ライダーは床に胡坐を掻き、煎餅を齧っていた。
「坊主、この聖杯戦争……一体どうなると思う?」
「そんなの聞くまでもないだろ。ぜーったい、想像以上に厄介になる。あの性質悪いキャスターのおかげでっ!」
ライダーの問いに、悪態を吐きながら答える。頭痛の原因は、極彩色を纏う可愛い顔してえげつない子供だ。
あの子供のせいで、各々の陣営が簡単には動けなくなった。それはしばらく襲撃されないということだが、同時に狡猾な作戦で襲いかかられる可能性が膨らんだということでもある。
うかうかしていたら誰かが動き出す。ライダーのステータスは悪くないが良いとも断言できない。追い込まれる前に動かなければならないのだ。慎重かつ迅速に。緻密な策を練って。
「とにかく、あのキャスターの真名を解明しないといけない。素性が完全に分かってないのはあいつだけだ、これだけでもアドバンテージになってる」
「だが、エジプトの王にして魔術師だ。かなり絞り込めるんじゃないか?」
「馬鹿言うな! エジプト王でキャスタークラスに当てはまる奴が、一体どれだけいると思ってるんだよっ!」
楽観的なライダーに言い返しながら、彼の煎餅を一枚取って齧り付く。
元来、エジプトは神に対する信仰心が強く、ファラオの周りには決まって神官が存在していた。ファラオ自身が神官をしていた例だってある。
「一番有名なのはツタンカーメンだけど、外見年齢を考えると幼少から政治をしていたエジプト最古の王スコルピオン1世の線もある。もしそうなら、あの王は蠍の女神信仰だ。蠍の毒で殺されるかもしれない」
「剣を持たずして殺されるのは勘弁願いたいなぁ。……だが、あやつを男と断定するのは早計だぞ?」
「え? ……ああ、そうか。あんなに綺麗な顔をしてるもんな。世界三大美女に挙げられている、クレオパトラ7世っていうのも有り得そうだ」
二人は互いの意見を出しながら、キャスターの真名を推察していく。
だが考え出せば考えるだけ、候補は次々と挙がっていく。一時間もしない内に、誰であっても有り得えそうだと思えてくる。もうお手上げだった。
「くっぉお……一旦キャスターの件は置いとくしかないな。まだ初日だ、情報収集していけば何とかなるっ」
「余も同感だ。今はちんまいの自身より、アサシンを警戒するべきであろう」
頭を抱えてベッドにうつ伏せたウェイバーに頷き、ライダーはまだ暗い窓を一瞥した。
「あ、そうか。アサシン……ハサン・ザッバーハ」
思い出したように、アサシンの真名を呼ぶウェイバー。
脱落した振りをして生き残っていたというアサシンは、キャスター曰く百の貌を持つハサンだ。
百の貌、というのがどういう意味かは分からないが、キャスターはアサシンのことを『彼ら』と呼んだ。
つまり、身代わりか分身を作り出せるということになる。
「よほどの気まぐれを起こさぬ限り、ちんまいのはまだ余や他の陣営を直接潰そうとはせんだろう。口振り、素振りからそう感じた」
それはウェイバーも思った。キャスターはかなりの快楽主義だ。魔術師らしいか否かで言われれば、全然違う。どころか、対極にあるだろう。見目麗しい極彩色は堅実的な考えは出来るが、趣味嗜好は娯楽に傾いていそうだ。
バーサーカー、ランサーを倒さなかった点から、奴はまだ本気じゃない。聖杯戦争というゲームをしたいあいつは、誰も倒す気がない。今のところ。
「だが、誰とも敵対し協力する姿勢を見せるあやつのことだ。アサシンに手を貸す可能性がある」
「……キャスターがアサシンに魔術付与した武器を渡したり、僕たちを潰せるような策を教える。奴らがそれで攻めてくる可能性があるってことか?」
「そういうことだ」
「…………」
アサシンとキャスター。
聖杯戦争で召喚されるサーヴァントの中で、弱小クラスに分類される英霊。そいつらが手を組むことが、これほど恐ろしいと感じた参加者は今までいただろうか。
少なくとも、ウェイバーは恐ろしかった。魔術においては何でもありのキャスターに、いつでもこちらの寝首を掻けるアサシン。もし奴らが手を組んだらと思うと身震いする。
そんなウェイバーの背を豪快に、だがいつもより優しく叩くライダー。
「安心せい。おそらくアサシンもキャスターたちを危険視しておる。同盟を組もうと言われても、簡単に頷きはせんだろう」
「でも」
「坊主、お主はもう寝ろ。もう大分遅い。寝不足で自慢の頭が働かんとなると困るのは我々の方だ」
「……いつ襲われるか分からないのに、眠れるもんかよ」
「余が寝ずの番をしてやる、丁度眠らずとも平気な体だからな。アサシンが姿を現したら、余が返り討ちにしてやろう。だから安心して眠れ」
そこまで言われると、先ほどまでの不安感が少し薄れた。
「分かった。……気をつけろよ」
「言われずとも分かっておるわ」
己が主の言葉に、豪快に笑いながら応じるライダー。
ウェイバーは照明を消し、布団に潜り込んで目を閉じた。