「ええっとここにパスワードを打ち込んで……よし、開いた!」
「後は導力灯を交換するだけよ、はい」
座り込み街道灯の筐体を開いて作業にかかっているリィンとアリサ。
魔獣避けの特殊な光を放つ街道灯が機能を停止していることで人の気配を察知した魔獣が周囲から集まり、二人に迫ろうとしていたが――
薄い翅を震わせて飛来した細長い体躯の虫型魔獣がラウラの一閃を受けて真っ二つに両断される。
別の方向から大きな巻殻を背負った粘体生物がにじり寄るも、ルドルフのアーツにより放たれた錐形の石弾に殻ごと穿たれ粉砕されてしまう。
一歩後ろに立ったエリオットはそんな二人と戦術リンクを随時組み替え魔導杖の導力波による索敵能力を生かし魔獣が近づく暇を与えない。
三人に守られたリィンとアリサはつつがなく故障していた導力灯の交換作業を終えるのだった。
「よし点いた。ありがとう皆、これで問題無いはずだ」
街道灯に光が灯ったことを確認しリィンとアリサが背中を守ってくれていた皆へ振り返り、近づく魔獣の気配が消えたことで三人も頷き交わし警戒を解くのだった。
「これで依頼完了だね」
「ええ、戻ったらサムスさんに壊れてた導力灯を返しに行きましょう」
言いながらアリサが預かったケースへと交換した導力灯を収める。
そんな五人の周囲、街道の脇は収穫時を迎えた麦畑の稲穂に埋め尽くされ、あちこちで製粉用の穀物風車が風に吹かれ羽を回していた。
不意に辺りを強く薙いだ風に一面の麦穂がたなびく。
「――間近で見るとまたすごいわね」
「うむ、流石帝国有数の穀倉地帯なだけはあるな」
この度の特別実習でA班として分けられた五人は肥沃な大地に恵まれた実習地、クロイツェン州北部ケルディックの絵画めいた風景に目を奪われていた。
「っと。いけないいけない、まだ今日の依頼は残ってるんだからゆっくりもしていられないわね」
「そうだな、教区長さんに頼まれた薬の材料ももらえたし、真っ直ぐ街まで戻ろう」
遂に迎えた特別実習の初日、早朝から列車で彼ら五人はこの地へとやってきていた。
そうしてどんな課題が待っているのかと待ち構えていた皆に言い渡された内容は様々な意味で予想を裏切るものだった。
「それにしても意外だったよ、こんな街の人のお手伝いみたいなことが課題だなんて」
「そうですね、ですがリィンの言う通りこうして周辺を回ることでこの地の見識を深められる良い機会なのかもしれません」
「生徒会からの依頼の時も思ったけど、ひょっとしたらそういう意図があるのかもしれないな」
街道を歩きながら話すのはそれぞれが課題として与えられている、今しがた終えた街道灯の交換のような依頼に抱いた気持ちだった。
「B班の方もこんな依頼を任されてるのかな」
「多分そうだろう。向こうの実習地のパルムはトリスタから遠いし、到着は夕方頃になるだろうけどな」
「正直、あのメンバーでちゃんと依頼をこなせるか心配ね……エマは大丈夫かしら」
朝にトリスタの駅で別れたB班のメンバー、特に集合しておきながら一言も言葉を交わそうとしないユーシスとマキアスのことを思い出しながらアリサが物憂げにクラスメイトへの心配を呟く。
彼らの事についてはアリサ以外の四人も心配するところではあったが、実習地が異なる以上手助けなど出来るはずも無い。
「気にし過ぎてもしょうがあるまい、我らは我らで与えられた課題をこなすことにしよう」
「そうだな、まずは残ってる課題を片付けていこう」
こうして初めてとなる特別実習の課題をA班の面々は手探りながらもこなしていくのだった。
オーブメント工房と教会で報告を済ませたA班の面々は明日まで予定されている実習でこの日宿泊することとなる駅前大通りの一角に居を構えた宿酒場、風見亭へと戻り女将であるマゴット婦人の朗らかな笑みに迎えられた。
「お帰り学生さん達、休憩かい?」
「はい、あと一つ依頼が残っているんですが手配魔獣の討伐ということでしたから疲れを抜いておこうと皆で話しまして」
リィンが答えるとマゴット婦人は口を丸くして驚きを見せる。
「あらあらそれは大変じゃないか。そうだ、それならウチの特製丸絞りジュースでも飲んでいきなよ、お代は気にしないでいいからさ」
「そんな、いいんですか?」
「構わないよ、サラちゃんにはアタシも昔世話になったことがあるからね、教え子のアンタ達にそれぐらいしたってバチはあたらないさ、カウンターにでも座って待っといてくれ」
目じりに皺を浮かべた柔和な微笑みを見せながら婦人はカウンター奥の厨房へと向かって行った。
若干の気後れを感じながらも今日会ったばかりの人物から受ける厚意を受け取ることにした五人がそれぞれカウンター席へ腰掛ける。
そしてケルディック到着からこの店に入るなりカウンター席へ陣取り、この地特産の地ビールをかっくらい始めた教官、サラの変わらず酒杯を傾けている姿へと皆呆れ交じりの視線を向ける。
「サラ教官……まだ呑んでいらしたんですか?」
「まぁね~。次はいつ呑めるか分からないし、しっかりと堪能して行かないとね」
気にしていないのはルドルフぐらいなもので、ご機嫌な様子のサラに指摘したアリサだけでなくリィンらも物言いたげな視線を送っている。
初回となる特別実習の補足説明の為と列車に乗り合わせてきた彼女だったが、今となってはこちらの方が本命だったのではないかと疑いたくもなる姿だ。
士官学院の教官らしからぬ態度を改めさせるのをため息と共に諦めながらラウラが話題を切り替える。
「残る依頼は確か東街道の魔獣討伐だったな?」
「農家の人から出されてる依頼みたいだな、しっかり準備を整えておく必要がありそうだ」
「うむ。――リィン、お互いに力を尽くすとしよう」
改まったその言葉に何か思うところがあるような気配を感じたリィンだったが、じっと見つめてくるラウラの瞳の強さに思わず息を呑んでしまう。
「あ、ああ。心して行こう」
「……それにしても」
微細な緊張感を漂わせ始めた二人の空気を切り替えようとするように、エリオットがおもむろに口を開いた。
「街道の風景もすごかったけど、大市もすごく見所ありそうだったよね。後で時間があったら皆で行ってみない?」
「そうね、実習中ではあるけど、それぐらいなら構わないんじゃないかしら、教官もこんな有り様なぐらいだし」
その提案にはアリサもサラに流し目を送りながら肯定的な様子を見せた。
この町の中心部に場を設けられた大市には帝国各所の名産品や諸外国からの輸入品を扱う屋台が軒を並べ他の街では類を見ないような景観を織り成している。
交易地との二つ名を持つケルディックは諸外国との交通の要である東のクロスベル自治州と鉄道により通じていることから国内外からの物流が盛んになっており、それらの品々を目当てに大市には帝国各地から多くの観光客や買い付けの商人達が訪れている。
昼前にこの町の七耀教会に属する教区長の依頼で大市に軒を並べたある店へ薬の材料を貰いに立ち寄っただけでも建ち並ぶ屋台に並べられた商品の多様さには皆が圧倒されていた。
「む……そうだな、土産物程度なら買って行ってもよいか。珍しいぬいぐるみを扱っている店もあったようだし」
「ええ、いいんじゃないかしら。私もラクロス部の皆に何か買って行こうかな」
ラウラもまんざらでは無さそうな様子を示したことで密かにエリオットも口元を綻ばせる。
順調に課題がこなせていることもありA班の面々には確かな余裕があった。
「はいよ、お待ちどうさま」
そうしている内に厨房から戻って来たマゴット婦人が五人それぞれにグラスを配っていく。
注がれた乳白色に透き通るジュースからは絞り立ての果実特有の甘い香りが立ち上っていた。
「頂きます。――わぁ」
口をつけたアリサがその爽やかな甘味に思わず息を呑むと、その素直な反応にマゴット婦人は嬉しそうに笑みを深めた。
「お嬢さん方は都会の出身かい? ウチは採れたての野菜を使った料理が自慢だからね、腕によりをかけとくから夕食は期待しとくれよ」
「はい、ありがとうございます」
人柄の良さが滲み出るようなその暖かな言葉にはすっかりとアリサらもほだされ、自然と皆が表情を緩められていた。
「確かにルーレではこの町ほど新鮮な素材は手に入りませんね、是非とも勉強させて頂きたいです」
「楽しみが増えちゃったね。あ、そうだマゴットさん」
そこでふと西街道でのある出来事を思い出したエリオットが質問を投げかける。
「ん? どうしたんだい」
「僕達がさっきまで行ってた西街道の先に森みたいになってるルナリア自然公園、っていうらしい場所があったんですけど。入口で管理人の人達に立入禁止だって追い返されちゃったんです、あそこって普段は開放されてないんですか?」
そう問い掛けられたマゴット婦人が嘆くような顔になると共に、樽ジョッキを置いたサラが不審そうに目端を上げた。
「人、達? おばちゃん、あそこの管理人って確か」
「……そうだよ、あそこはジョンソンさんっていう男の人が一人で管理してた場所だったんだけどね。少し前にクビになっちまったのさ」
「クビって……何か問題でも起こったんですか?」
「とんでもない、ジョンソンさんはあの公園の管理を生き甲斐だって言うぐらい仕事熱心な人でね。急にクロイツェン州の役人がやってきてクビにされたって話を聞いたときは皆どうしてって思ったもんさ」
解雇された当人でなくとも憤りを感じる出来事であったらしく、マゴット婦人の説明には浅はかならない苛立ちが込もっていた。
「それ以来ジョンソンさんは自棄になったのか酒浸りになっちまってね……多分今日も町のどこかで呑み潰れてるんじゃないかねぇ」
気遣わし気な息を漏らすその姿に詳細な事情を知らないとはいえその管理人という男性に同情する気持ちがエリオット達に湧いていた。
「それで代わりにどっから来たか分からないあんた達が見た若い連中が管理人になったらしいんだけど、町にもそんなに姿を見せないし町の人の印象も良くは無いね。ただそれっきりどうしてか自然公園も封鎖されちゃってるのさ。
あそこはなかなか見応えのある所だから折角の機会に見学させてやれないのは申し訳ないんだけどね」
「そんな、この町の人が悪いわけじゃないですから、マゴットさんがそんなこと言う必要ありませんよ」
申し訳なさそうなマゴット婦人にエリオットが慌て出しリィンらも一緒になって止める横で、すっかりとそれまでの上機嫌な様子がなりを顰めたサラが思考に耽っていたが、それを打ち切るように空になったジョッキを置く。
「まあこれも――の内かしらね、おばちゃん、勘定いい?」
「おやもういいのかい?」
「ええ、この子たちは順調みたいだし、もう一組の教え子達がグダグダにならないうちにヘルプに行くことにするわ」
そう言ってサラは立ち上がると身支度を整えながら、ルドルフらへ顔を向け教訓めいた一つの言葉を残す。
「まあ初めての実習で慣れないこともあるでしょうけど、せいぜい悩んで、何をすべきか自分達で考えてみなさい」
「サラ教官……?」
だらしのない印象が目立つサラがその言葉を告げる際、時折見せる真剣な眼差しをしていたことでその言葉は皆の胸に奇妙な重みを伴って届くことになった。
2017.8/18 文章を一部添削。