クオーツの加工依頼も済み後は日課となっている夕食の支度をするばかりだったが、ルドルフは一旦エリオットと別れその足を学院グラウンドへと向けていた。
昼の失敗を反省しつつもやはりアリサのことが気がかりなのは変わらず、何事も無いか遠目に確認だけしておこうという腹積もりでいたが、やや低地になっているグラウンドへ校舎区画から階段を下りたところで見つけたアリサの姿に思わず駆け寄ってしまう。
ルドルフがやってきたのが予想外だったらしいアリサもまた目を丸くして足を止めていた。
「アリサ……」
「ルディ? どうしたのよこんな時間に学院まで来るなんて、まさか迎えに来たなんて言わないわよね」
「いえ、学院に来たのは別件です。ですがアリサ、何故
運動系のクラブは皆活動を終えたらしく夕暮れのグラウンドにはアリサ以外の人影は無い。
そんな中で未だラクロス部のユニフォーム姿のままのアリサは一人で後片付けをしているのだろう、ラクロス部の使用したゴールネットを引きずっていたのだった。
「後片付けは一年の仕事なのよ。当番になった子はもう一人いたんだけど、貴族の仕事じゃないって帰っちゃったの」
要するところアリサは本来当番の相方となるはずだったその貴族生徒に仕事を押し付けられてしまったらしい。
アリサとてその女子に対して思うところが無いわけではないのだろうがそれで仕事を放りだすような気にはなれないらしく、こうして一人後片付けに取り掛かっているのだった。
「お手伝いします」
「う……いいわよ、あなたどうせ今日も寮の夕食つくるんでしょう? 遅くなったら皆にまで迷惑かけちゃうわよ。こっちは私一人でもなんとかなるから先に帰りなさい」
そう言ってルドルフの申し出を断るアリサだったが、グラウンドに目につく用具には今しがた引きずっていたゴールネットを始め一人では手間取りそうなものも少なくは無い。
一人でそれらを全て片付けるとなれば彼女の帰宅時間は相当に遅くなってしまうだろうことが想像に難くない。
そうなれば明日の授業に影響が出ないとも限らないだろう、そんな彼女一人に貧乏籤を引かせるようなことを承服しかねるルドルフがどう説得しようか悩み始めたところへ。
「なんだ、まだ帰ってなかったのかルドルフ、アリサも……二人でどうしたんだ?」
その声のした方へルドルフとアリサが二人してハッとしながら顔を向けると、いつの間にか目と鼻の先に居たリィンが不思議そうな表情を見せながら歩み寄ってくるところだった。
学院長への報告を済ませた帰りなのだろう彼の姿に気づくなりアリサの方は気まずそうにした顔を伏せてしまっていたが。
「リィン……」
「もしかして、アリサは一人でクラブの後片付けをしてたのか?」
アリサとオリエンテーリングからの不仲が解消していない彼にどう状況を説明したら良いものかとルドルフは言いよどむが、リィンの方はラクロス部の備品が残るグラウンドを見回しておおまかな見当がついてしまったらしい。
「はい、本来はもう一方いらしたそうなのですが――」
「ルディ、余計な事言わないでいいから、彼と一緒に帰っちゃいなさい。これはラクロス部の、私の仕事なんだからあなたが気にする必要ないのよ」
説明を遮ってまでアリサはルドルフの手伝いを拒もうとしていた。
どうあっても自分一人でやるつもりであるらしい彼女になおもルドルフは言いすがろうとするが。
「なるほど、だったらここは俺に手伝わせてもらえないか」
「え?」
その発言にルドルフとアリサの声が重なる。
「俺ならもう今日の予定は無いし、適任だろう? まあアリサが良いって言ってくれるのなら、だけど」
言葉の最後の方だけは少し自信無さげに、アリサをちらりと見ながらもリィンはあっさりとそう申し出てきた。
人の良いリィンならではの言葉ではあるが、そこまで頼ってしまっていいのだろうかという思い、そして彼とアリサの間の事情がルドルフを躊躇わせる。
しかし――
「……そう、ね。お願いしても、いいかしら」
「アリサ?」
予想に反して、顔を余所へと背けじっと考え込むような仕草を見せていたアリサの口から漏れたのは拒絶の言葉ではなかった。
ルドルフは思わずそんなアリサを見つめてしまい、リィンも一瞬驚いたような顔をしていたがすぐに安心したような面持ちになっていた。
「それじゃあルドルフ、ここは任せてくれ」
「アリサがそう仰るのでしたら……その、リィン」
「構わないさ、どうしても気になるならそうだな……ルドルフは今日も夕食を作ってくれるんだろう? そちらの方に期待させてもらうよ」
飾らない笑みを浮かべながら冗談めかせた事を言ってみせるリィンにそれ以上何も言えなくなってしまったルドルフはアリサの方を一瞥し、暫しの間考え込む様子を見せていたが。
「分かりました、ご期待に沿えるよう全力を尽くします」
「ははは、そこまで大袈裟に考えてくれなくてもいいんだけどな」
「いいえ――アリサ、先に戻らせて頂きます。帰りはどうかお気を付けて」
「ええ、あなたこそ気を付けて帰るのよ」
ようやく折れたルドルフが名残惜しそうにしながらもグラウンドを離れていく。
その背を見送ったリィンは先程からずっと自分と顔を合わせすにいるアリサを横目で窺っていたが、やがて意を決したように少女へと向き直り口を開く。
「それじゃあ――」
「待って」
しかし同時に顔を上げていたアリサの言葉がそれを遮る。
見上げてくるその強い眼差しに思わずリィンは息を詰まらせてしまった。
「その前に私、あなたに言っておかなくちゃいけないことがあるの。……聞いてもらえるかしら?」
アリサの発言に思い当たる所のあったリィンは頷きを返しながら密かに腹を括る、遂にこの時が来たのだと。
オリエンテーリングでのトラブルからずっとリィンは彼女に謝らなければいけないとその機会を窺っていた。
避けられてばかりいたせいでこの日までその望みは果たせておらず、しっかり目を合わせまずは彼女の責めを受け入れようと覚悟していたのだったが。
「ごめんなさい!」
「――えっ?」
予想に反し、おもむろに頭を下げたアリサが放ったのは謝罪の言葉。
謝ろうとしていた自分が何故逆に謝られているのかと混乱してしまい呆けてしまった。
「オリエンテーリングの事、あの時あなたは私の事を助けようとしてくれたのに頬まで叩いちゃって、むきになってずっと避けたりまでして、本当にごめんなさい」
「そんな、俺の方こそあんな事をしてしまったのは事実なんだし、謝るなら俺の方が……」
「っ、それは、それなんだけど……やっぱり悪いのは私の方だわ。だからお願いリィン、謝らせて。それとお礼も……あの時は私を助けようとしてくれて、ありがとう」
顔を上げたアリサの僅かに不安が覗く顔色にリィンは胸を衝かれてしまう。
真面目な性分であるアリサもまたリィンと同じく、ずっとこの言葉を口にする機会を探していた。
原因となる出来事が出来事であるだけに気まずさからついそれが先延ばしになっていたことはリィンにとって気がかりだったが、アリサにとってもまた謝ることができないことが自分で自分を責める重荷になっていたのだった。
それに気づいたことで、リィンは自分が口にするべき言葉が謝罪ではないことを理解する。
「どういたしまして、でいいのかな」
「もちろんよ――ふふっ」
夕陽の差すグラウンド上で改まって謝罪やお礼を交わしていることが今になって可笑しくなり、アリサの緊張していた顔がくすりと和らぐ。
つられてリィンの顔にも笑みがこぼれ、少しの間二人は笑い合ってしまった。
「それじゃあアリサ、何から手伝おうか」
「そうね、大荷物から片づけたいところだけどその前にリィン? 一つだけ言っておかなくちゃいけないことがあるわ」
そう切り出すとアリサは首を傾げるリィンに頬を少し赤く染めながら咳払いして告げた。
「あの時のことは不可抗力だけど、思い出したりしないでよね。特に、その……感触とか、忘れなさい」
「あの時? あっ――」
その件についての謝罪を済ませたばかりであるせいでリィンにも彼女が何の事を示して言っているのかはすぐに察しがついた。
忘れろなどと言われてしまえばかえって思い出してしまうのが人の性というもので、リィンの頭の中には事の発端となったあの日の出来事、アリサの胸に顔を埋めてしまった記憶が鮮明に甦ってしまう。
それはあっさりと表情に出てしまい、当然伝わってしまった目の前のアリサはそれまで以上に顔を赤くし。
「だ、だから……思い出さないでって言ってるでしょーっ!」
少女の叫びがグラウンドに響き渡るのだった。
うっすらと夜の帳が落ち始めたトリスタの街並み、第三学生寮までの帰り道をリィンとアリサの二人は談笑を交えながら並んで歩く。
わだかまりさえ解けてしまえば元々人当たりの良い二人であるだけにその雰囲気は前日までとは全く別物に変わっていた。
手伝いのお礼からラクロス部の内容、クラブに所属しなかったリィンがこの日任された生徒会の手伝いのことなど話題を移り変えながら会話は弾む。
「旧校舎の調査って、それ大丈夫だったの?」
「ちょっと手強い魔獣も出たけどエリオットにガイウス、ルドルフにも手伝ってもらえたから何とかなったよ」
「ああ、だからあんな時間に学院に来てたのねルディったら。びっくりしちゃったわよ」
「ルドルフには寮の家事までやってもらってるし、確かアリサの実家で働いてるんだったよな? 同い年なのにあそこまで働けてるなんてすごいと思うよ」
親しい人物が手放しに褒められることがこそばゆいのか、アリサの方は照れたように視線を泳がせてしまう。
「……まあ先生が良かったのかもしれないわね、ルディだって最初からあそこまで出来たわけじゃないのよ。
働き始めた頃はむしろひどかったんだから。洗い物で何枚もお皿を割ったり、何もないところで転んだり、見てて不安になるぐらい」
素人よりもひどくすらある過去話が今の彼の仕事ぶりからは想像できないのかリィンが目を丸くする横で、アリサは当時の事を思い出しているのか遠い眼差しになりながら一瞬噤んだ口を開く。
「でも、だからあの子のことを拒まずにすんだのかもしれないわね。また失敗して怪我でもしちゃうんじゃないかって心配になっちゃって……手のかかる弟が出来た気分かしら?」
「……弟?」
「そうよ、そうでもなくちゃいきなり同じ年頃の男の子と傍で生活なんて身が持たないわよ。シャロン――家に昔から居てくれてるメイドから紹介されたときなんて吃驚したんだから」
怒りを表すように頬を少し膨らませるアリサだったが、それは使用人に対して叱責するような態度とは程遠くそのシャロンというメイドとの親しい関係性を窺わせる。
可愛らしくすらあるむくれ顔につい浮かべてしまいそうになった笑みを噛み殺しながらリィンは納得したように頷いていた。
「なるほど、初めて二人と会った時から不思議には思ってたけど、アリサとルドルフはそういう仲だったんだな」
「学院に居る間ぐらいは気を遣わなくていいって言ってるんだけど、改める気が無いみたいで困っちゃうわよ――あら」
今では改善を諦めつつあるルドルフのかしこまりようを嘆いていたアリサが歩く道の先、駅前公園脇に居を構える商店の軒先で箒を手に立つ幼い少女と目が合ってしまう。
歩道に散った公園のライノの花びらを掃き集めていたらしい少女は二人に気づくとあっと声を漏らした。
「士官学院の――東門の方の寮に来られた生徒さん達ですよね、こんばんは!」
「こんばんは、そちらの商店のお子さんだったかしら、こんな時間までお店の手伝いなんて偉いわね」
「いえこのぐらい普通です。あ、私はティゼルっていいます、皆さんにはいつもご贔屓にありがとうございます」
ルドルフが第三学生寮で消費する食品の買い出しに利用するそこ、ブランドン商店の一人娘である少女、ティゼル。
そのにっこりと笑って丁寧にお辞儀までして見せるという年齢離れした成熟ぶりがアリサとリィンを驚かせる。
「まだ小さいのにしっかりしてるな……俺はリィン、こちらこそよろしくお願いするよ」
「ふふふ、私はアリサ、これからお世話になると思うけどよろしくねティゼルちゃん」
「はい! それにしても士官学院の学生さん達は貴族の方も多いそうですし、やっぱり今夜はパーティーでもされるんですか?」
少女の口から飛び出した心当たりのないその質問が二人に首を傾げさせた。
「……パーティー?」
「違うんですか? いつもウチをご利用して下さってるお兄さんが今日は随分と食材を買い込んでらっしゃったので、てっきりそうだとばっかり」
きょとんとしながらティゼルが続けた言葉に未だリィンが頭の中に疑問符を浮かべる隣で、腕を組み考え込んでいたアリサがハッと目を見開き、次いで片手で頭を抱えるようにしながらうなだれた。
「アリサ、どうかしたのか?」
嫌なことでも思い出したかのような仕草を心配するリィンに、アリサは硬い動きで暗い顔を向ける。
「……リィン、あなたグラウンドでルディになんて言ったか覚えてるかしら」
「え? グラウンドでって、何かおかしなこと言ったか?」
「そう……あのねリィン、あの子のことについて一つ言っておかなくちゃいけないことがあったわ」
そのただならない雰囲気にゴクリと息を呑むリィンを見据え、アリサは沈痛な面持ちを浮かべながらゆっくりと告げた。
「ルディはね――たまに冗談が通じないのよ」
「…………え?」
それがどういう意味を持っているのか、その時は理解できずにいたリィンだったが、寮に帰り着き食堂の扉を開いた先。
テーブルに所狭しと並べられた豪勢な料理の数々と何とも言えない表情で説明を求めるようなⅦ組の面々に迎えられ言葉を失くしたところでようやく事の次第を悟るのだった。
『ご期待に沿えるよう全力を尽くします』
軽い気持ちで口にした頼みに答えたルドルフの言葉が嘘偽りないものだったことに。
「お帰りなさいませ。どうでしょうかリィン、力は尽くさせて頂いたつもりですが、至らないところがあればどうぞ気兼ねなく仰ってください」
「はは、は……そういう、ことだったのか」
いつものスマイルでそんな事を言ってのけるルドルフと集中する皆の視線にリィンは胃が縮こまるような感覚を覚えながら乾いた笑いを漏らしてしまうのだった。
2017.8/12 文章を一部修正。