始まりの春
――ゴトン、ゴトンとレールの継ぎ目で車輪が独特の風情がある音を規則的に奏でる。
車窓の外にはのどかな街道風景が流れ列車を利用する多くの乗客達の気持ちを和らげていた。
しかしその中で一人の少女が落ち着かなげに腕を組み整った眉を僅かにひそめ苛立ったような態度を取っていた。
一部を髪留めでツーサイドアップの形にした腰まで届くブロンドの髪、身にまとうのは白と赤を基調とし袖には獅子の紋が入った儀礼的な趣のある服装。
列車内には少女の赤と異なり白や緑、一部の色調こそ違えどほぼ同様のデザインの服装をした少年少女が多い。
当然それは彼ら若い者の間で流行の格好などというわけではなく、所属を同じくする者ということを示している、正しくはこれからということになるが。
列車の停車地の一つであるエレボニア帝国近郊の小都市トリスタ、そこに設立されたトールズ士官学院こそが彼女達の目的地である。
揃いの服装は学院指定の制服であり、彼女らは七曜歴一二○四年、三月三十一日のこの日に入学する新入生だった。
新入生達の多くはこれから始まる新たな生活への期待と興奮、そして緊張に胸を弾ませ相席になった同じ新入生と会話を弾ませたりしている。
だが表情を険しくした金髪の少女はじっと目を細めると、対面する席に座る同じ赤色の制服を身に纏った少年に猜疑心が滲み出しているような声音で問い掛けた。
「もう一度聞くけど、本っ当に母様の言い付けでタイミングを合わせたわけじゃないのね?」
そんな声を投げかけられた少年は困ったような苦笑いを少女へ向ける。
「勿論ですよ、僕だってアリサお嬢様がトールズ士官学院に入学されると今日初めて知ったのですから、イリーナ会長からは何の言伝も受けておりません」
虚言ではないと示すように胸に平にした白手袋を嵌めた手をあて、薄い蒼の色をした髪を短く整えた少年がそう口にすると少女は肩を落として安堵したような息を漏らした。
「まったく、こっそり出てきたのに同じ列車に乗り合わせるなんて全部母様にばれてるのかと思ったわ」
「ですがお嬢様……どうして会長に黙って家を出るような真似をなさったのですか?」
少年の言葉に少女、アリサは目を車窓の方へと逸らして黙り込む。
彼女が胸の内で言葉をまとめているのだということを少年は察し答えを待つ。
そう間を空けずに少女は榛色の瞳に憂いの色を漂わせながら返答を返した。
「……とにかく今は実家から離れたかったのよ、母様に干渉されずに考える時間が欲しかった。学費もお祖父様が援助して下さったし」
その深刻な面持ちからアリサの行動に遊び半分などではない意思の固さを感じ取り少年は息を呑んだ。
付き合いが短いわけでもなく、それ故に自分が計り知ることの出来ない悩みを彼女が抱えていることも十分に理解していた少年は暫しの黙考の後、口を開く。
「分かりました、お嬢様がご自分でお考えになり選ばれた道ならば僕から言えることは何もありません、僕から会長の方へ報告することも差し控えさせて頂きます」
「――ふぅ、そうしてくれると助かるわ。いつまでも母様の目から逃れられるとは考えてないけど、一週間もしないうちに知られたら情けないどころじゃないもの」
自分の家出紛いの行為が報告されることを危惧していたらしくそこでようやくアリサは安堵の息をつき、その様子に小さく笑みを浮かべた少年を今度はジロりと睨む。
「それよりも、ルディ」
「はい、何でしょうお嬢様?」
「それよ、そのお嬢様っていうの。学院では……っていうか、トリスタに着いたら止めなさい」
「えっ?」
「えっ、じゃないわよ。そんな呼び方されたら家のことがすぐ皆に分かっちゃうじゃない、私もしばらくは家名を名乗らないようにするから、あなたも黙ってなさいよね」
どうしてそんな面倒なことを、と聞きかけた少年だったが問いを口に出す前にその理由に思い当たる。
ルディという愛称で呼ばれた少年、ルドルフは彼女の家であるラインフォルト家に使用人として雇われていた。
アリサの母は大陸でも三指に入る大企業でありエレボニア帝国を代表する技術メーカー、ラインフォルト社の経営主である。
抱える資産は並大抵の額ではなく、並のエレボニア貴族では及びもつかない。
貴族からしてみれば疎ましく、平民からしてみれば近寄りがたい、そんな家の子であるアリサは同年代の子らからも敬遠されてしまう羽目に遭っていたという。
学園で出会う人間が全てそんな反応を示すとは限らないが、彼女が帝国において知る者の居ないほど有名な家の名を語りたがらないのには無理からぬ理由があった。
「ですがこの呼び方がだめとなると……アリサ様とでも?」
「それじゃ大して変わらないじゃない! この際アリサでいいわ、あなたも家に来て三年ぐらいになるんだから少しは慣れなさいよ、もう」
「ははは……善処します」
頭を片手で抱えるようにして相手の融通の効かなさを嘆くアリサ。
少しばかりきつい物言いだったがルドルフはばつの悪そうな面持ちになりながらも嫌そうな素振りは見せず承諾する。
使用人とその雇用者家族という間柄のせいか、そのやり取りには気安いながらに同年代の少年少女にしては一風変わったものがあった。
「それにしても、あなたも士官学院に入学予定だったなんて驚いたわ。そういえばしばらく暇を取るとか言ってたわね」
「僕としても教育機関に通うことには特に興味無かったのですが、日曜学校にも行っていなかったことに気を遣われたのか皆さんに強く薦められまして、トールズ士官学院には奨学金制度もあるということでしたからこちらに」
「日曜学校にも? ……あっ」
その時、電子音が響くのに続けて間もなく次の停車地であり二人の目的地であるトリスタに到着するというアナウンスが流れた。
「はぁ、まあいいわ、とりあえず降りましょ」
終点ではないトリスタに列車が留まる時間はそう長くない、話している余裕もなくアリサはため息を吐いて会話を打ち切った。
「はい、おじょ……アリサ、お荷物を――」
アリサの荷物を持とうと伸ばしたルドルフの手がジロりと睨むような視線を向けられ半ばで止まる。
「いいわよ、自分の荷物ぐらい自分で持つわ、着いてくるなとまでは言わないけどそういう真似も学院では改めなさい」
にこりと微笑み善処します、とだけルドルフは答えた。
駅の構内を出た二人の視界に入ったのは白い花が咲き乱れる光景。
正面に見える公園をはじめ街のあちこちに植えられている広葉樹が鮮やかに花を開かせこの季節、春の訪れを祝っているかのようだった。
「わぁ……綺麗ね、ライノの花、だったかしら」
工業が発達し近代的な整備の整った都市の出身なだけに街中でここまでの光景が珍しいアリサは歩きながらすっかりその光景に見入っていた。
ルドルフにしてもそれは同じで、街並みを彩る白い花の乱舞に視線を奪われずにはいられなかったが、一歩前を行くアリサにも注意を向けていた彼はその行く先の存在に気づき少女の背中に声を掛けた。
「アリサ、前を」
「え? ……あっ」
前方進路上に街並みに見とれているのか立ち止まっている少年の背中に気づきアリサは立ち止まる。
そんなアリサに気づいたのか、少年も振り返りアリサと向き合うような形になる。
やや硬質そうに跳ねた黒髪、表情は柔らかく柔和そうな印象がある。
「ごめん、邪魔だったみたいだな」
「気にしないで、私もよそ見してたから。ふふっ、すごく良さそうな街ね」
「俺もそう思ってたところだよ」
言葉を交わしてから黒髪の少年はアリサの傍で控えるようにしていたルドルフに気づいたようだった。
そんな少年にルドルフは使用人的気質とでも言うべきか、慇懃に頭を下げて礼を示す。
その同年代にしては一歩引いた態度に少年は怪訝な表情を浮かべ、アリサは笑みを引き攣らせている。
「まったく……そういえば、同じ色の制服なのね」
「ん? ああ、確かに。緑のならよく見かけたけどこの色はあんまり見なかったよな」
アリサが気安く声を掛けれた要因でもあった、少年が身に着けている学院の制服は彼女らと同じ赤の色をしていた。
少年の言葉通り、ここに来るまでアリサが見かけた学院新入生とおぼしき者達の上着はそのほとんどが緑か白だったことに浮いた疑問が口を突いて出てしまっていた。
「ルディ、あなたは他に同じ制服の人見なかった?」
「駅のホームでなら数名、ですが他の色の制服の方と比べ明らかに少ないように見受けられました」
「そう……まあ気にしてもしょうがないわね、ひょっとしたら私達が同じクラスってだけなのかもしれないし」
気にしながらも答えが分かるわけがないと判断したアリサはすぐに割り切ると、黒髪の少年へ友好的な笑みを浮かべてそんなことを口にした。
「案外そんなところなのかもしれないな、その時はよろしく」
「ええ、それじゃあ学院でまた会いましょう」
人付き合いの良さを感じさせる屈託のない笑みを返してきた少年と挨拶を交わし、アリサとルドルフは学院へ再び歩き始める。
入学式まではまだ時間的な余裕がある、すれ違った少年はまだ街並みを見て回るつもりなのか駅前にある小さな公園へ目を向けているようだった。
「気の良さそうな方でしたね」
「そうね、っていうか貴方にとっても同級生なんだからへりくだった態度は止めなさいよ、彼変な顔してたじゃない」
歩きながら態度を指摘されたルドルフは思いがけないことを言われたように目をしばたかせていた。
意味を理解していないかのような反応にアリサは困り果てたようにため息を漏らすが、ふとある考えに思い至りハッとする。
「――ああ、ごめんなさい、私の方が無理言ってた」
「アリサ? 何を……」
「へりくだるもなにも、貴方はそれが素だったのよね、忘れてたわ」
数年の付き合いで彼が普段から誰に対しても敬語を使わずに話すことがないということを思い出したアリサは先程の態度が行き過ぎた丁寧さからくるものではないということを察したのだった。
三年前、アリサが幼い頃からラインフォルトに仕え使用人として働き、彼女自身が口にすることはないが姉のように慕っている女性、シャロンから住み込みで働くことになる新しい使用人として紹介された彼。
家事など一介の使用人としては有能すぎるぐらいのシャロンの手だけで事足りていたというのに、なぜ彼のような成人してすらいない人間を雇い入れたのかは未だに解けない疑問である。
シャロンが母の秘書として家を空けることもあったとはいえ、少女として多感な年頃であることに加え、ある出来事により家族の間がギクシャクとしていた当時のアリサが同じ年頃の、それも異性である彼を今のように受け入れるのには長い時間を要した。
シャロンという優秀な先達の指導を受け、彼女のようにイリーナの会長業務を支えるとまではいかないものの、使用人としての目覚ましい成長を見せていた彼にようやく馴染み始めたある日、アリサは尋ねたことがあった、何故こんな年頃から働くのか、家族はいないのかと。
その問いに対して彼が返した答えは一言、記憶に無いのだという信じがたい言葉だった。
彼曰く、アリサの母とシャロンに出会うまで暮らしていたある施設に引き取られる以前の記憶が一切無いのだという。
天涯孤独、ルドルフという少年は最も親しい存在であるはずの家族との思い出も、接するための気安い言葉遣いなども持ち合わせていなかったのだ。
何故そんな彼を母やシャロンは雇い入れたのか、そんな思い以上に、そんな不幸としか呼べないような境遇を悲しむような素振りすら見せず語れることが彼が空恐ろしく、当時家族というものの在り方を見失っていたアリサには深く印象付いていた、けれども――
「ルディ」
「はい」
「友達、出来るといいわね」
「……友達、ですか?」
「そうよ、貴方そういうの居ないでしょ、学院なら同じ年頃の男の子もたくさん居るんだから。さっきの男子なんかいいんじゃないかしら、きっといい勉強になるわよ」
何を考えているのか理解出来なくとも、家族との繋がりに飢えていたアリサは真っ直ぐで偽りのない性格の彼が身近さ故に、どこか放っておけない弟のようで突き放すようなことはしたくなかった。
二年間の学院生活が彼にとって実り多いものになればいい、実感が湧かないのか困り顔の彼を見ながらアリサはそう願わずには居られないのだった。
2015.7/13 一部文章の修正。