人間の解体作業。
これも神の刃の日常だった。皮を剥ぎ、爪を取り、肉を削いでいく。目玉を抉り取り、歯を一本一本丁寧に抜いた。ナイフで腹を開け、内臓を切り取って仕分けしていく。骨も一本ずつ均等に並べて行った。医者のような器用な手先で、素早く解体していく。
今日は死体であったが、生きたままの人間でやることもある。男女共に、幼児から老人まで、一通りの年齢は経験済みである。タイマーを使用し、どのような解体をして、どこまで生き残るかを測ったりもした。
そうして、人間の弱点となる部位や、逆に死に難い箇所、そして正確な内臓の位置などを把握していく。何処を壊せば問題がないか、何処を壊せば支障を来すか。人間の体の構造を、頭に叩き込み、自然と体で判断出来るようにしていった。これもまた、教育の一つであった。
「解体終了」
一仕事終えた神の刃は、処理は研究員に任せ、手に付着した血を洗い流しに行った。
「……落ちない」
乾いた血は指紋の間に入り込み、しぶとく残っている。
いくらお湯を掛けてもなかなか落ちない。
その赤色が、ヤケに鮮明に脳裏に焼きついた。
「ブラシ使うか?」
隣から声を掛けられた。
顔を上げると、黒髪で赤い瞳の少年がそこにいる。何処か、神の刃と顔つきが似ていた。
視線を落とせば、その手に持ったブラシをこちらに向けている。
「君は?」
「神殺しだ。宜しく」
神殺しと名乗った少年は快活に笑い、神の刃は握手代わりにブラシを受け取った。
「宜しく。僕は神の刃」
「今日、俺達が戦う予定だけど、知ってるか?」
「あれ、そうだっけ?いつも対戦相手は見ないから」
対戦相手を見たところで、誰だか知らないし、興味がない。どんな相手でも勝ち、母親に褒めてもらうことしか頭無かった。
「確か、ころし合いじゃないんだよね。制限時間一杯まで戦うんだっけ」
「そうそう。ま、神の欠片同士だから、どっちも死んで欲しくないんだろうなぁ」
「ふぅん」
強いのだろうか。そんな疑問が神の刃の頭に浮かぶ。
自分よりも強いのならば、自分よりも優れているのならば。
「…………」
……コイツをころしたら、お母さんは褒めてくれるかもしれない。
だったら、ころさなきゃ。
ころさなきゃ。
ころさなきゃ。
この人に「し」を。
『殺しはいけないことなの』
今より幼い時に言われた、母親の言葉が過る。
ズキリと、何かが疼いた。
「君は、僕より強いの?」
神の刃はそれを無視して、神殺しに尋ねた。神殺しは顎に手を当てて首を傾げる。
「ん?さあ、どうかな。俺は強さに興味ないから」
その言葉は、神の刃にとって衝撃の一言だった。
「何で?」
強ければ、母親に褒められる。
今の神の刃にとってそれが全てだった。子供の不満は、それを解消するためだけに動いている。
ころしが上手に出来れば。
しを沢山作れば。
強ければ、母親に褒められる。
何故なら、周りがそうだから。周りの人達はそれで褒めてくれるから。だから、今よりもっと強くなれば、母親は褒めてくれると、そう思っていた。
強さを求める事に興味が無い。
何故だと、神の刃の心境は疑問で満たされた。
「だって、つまらないだろ」
「つまらない?」
自分でも上手く纏まらないようで、苛立ちを見せるように神殺しは頭を掻いて天井を仰ぐ。
「上手く言えないけどさ。何か違う気がするんだよ。お前は、ここの場所から出たいと思ったことはあるか?」
「ないよ」
……だって、お母さんがここにいるから。
「そうか。まあ、俺も特別どうこう思ったわけでもないけどさ。ただ、この場所よりもっと広い物があってさ……」
ああそうか、と神殺しは呟いた。
「何か、もっと別の何かがある気がするんだ」
言ってて分からないなと彼は笑う。
「…………」
ここではないどこか。
神の刃は母親を思い出していた。
彼女の言葉を思い出す。
周りの言葉を思い出す。
「僕は」
どこにいくのだろうか。
きっとそれは、神殺しをころしても分からない事だと、理解した。
数時間後。
神殺しと神の刃は戦闘部屋で相見えた。
神殺しは静かに笑い、神の刃からは笑みが消える。研究員のアナウンスが聞こえているが、それは既に蚊帳の外だった。
どう言葉を重ねても。
どう言葉を取り繕うとも。
結局、今の彼らは殺しの手段しか持ち得なかった。
互いに持つのは一本の短剣。
ブザーが鳴る。
瞬間、お互いの顔の前に剣が迫っていた。顔を逸らして、通り過ぎる前に短剣を取る。
短剣を投擲し、躱し、取る。その間にも二人は距離を詰める。全く同じ行動をした二人は、そのまま剣を交えた。
激しい衝撃が空間に響く。
力が互角と感じた神の刃が足の踏み込みの衝撃を加える。衝撃の方向を変えて、全て力へと変化させる。
神殺しは勘でそれを受けずに躱した。衝撃はそのまま鎌鼬へと変化し、壁に深い太刀筋を刻む。
マトモなぶつかり合いは不可能と判断した神殺しは、回避運動に徹する。紙一重であるが、神の刃の攻撃が当たらない。逆に、神の刃が一瞬でも隙を見せれば攻撃が飛んでくる。
息を吐く間もない攻防。
最早、殺さないと言われたことなど二人共忘れている。
互いに苛立ちを募らせることもなく、クリアな思考の中で動きを洗練させていく。
どうすれば無駄のない動きが出来るか。
どうすれば効率が良いのか。
どうすればもっと先まで読めるのか。
ブザーの制止の音が鳴っても、二人は動きを止めない。正に我を忘れた状態で、戦闘へと没頭していた。
研究員達はどうすれば良いのか分からず、右往左往していた。
この時、既に何人かの研究員は薄々気付いていた。
神化人間が暴走した時、止めるのは同じ神化人間だ。しかし、仮にこの2人が暴走した場合、既存の神化人間達だけで止められるのだろうか。
……不可能だ。
この神化人間達が本気で暴れた場合、止める術を持たない。
不思議な確信があった。
「……!」
事態が動く。
お互いの短剣が砕け散った。特殊合金で作られたそれも、神化人間の力に敵わずに限界を来したのだ。
それでも構わず素手に移行しようとした瞬間
「!」
神殺しと神の刃は同時にある方向へ顔を向けた。
その視線の先。
研究員達よりも奥にいる存在。二つの赤目が、影の中からこちらを見ていた。
神の刃達が動きを止めたのを見て、赤目が消える。
「…………」
研究員達は武器が壊れたことで戦いを止めたと思ったが、そうではない。あの赤目の存在が、2人にとって酷く邪魔だったからだ。
なんだ今のはと、神の刃が目を細める。
自分の中に入ってくるような気色の悪い感覚だった。
「……神の眼だな」
「知ってるの?」
名前を聞く限り、神の欠片であることは分かるが、神の刃は神の眼という人物を見たことがない。
「変わった奴だよ。今いる神の欠片で、他人の戦いに興味を示す奴なんて他にいない」
神殺しは肩を竦めて溜息を吐いた。どうやら、神殺しは奇妙な感触を味わってはいないようで、反応が普通である。その事に、神の刃は内心首を傾げた。
二人の戦いは、不完全燃焼で決着が着いた。
この後、二人は戦いを止めなかったことを咎められ、今後一切、二人の戦闘を禁止された。
二人はこの戦いだけで驚異の成長を見せた。
そしてそれは、研究員達の心の何処かに、恐怖を根付かせる結果となったのだ。
暗い部屋の隅。
パソコンの明かりだけが点いている。
その闇の中、パソコンの光で、一人の少年の顔がぼんやりと浮かび上がっている。
「くはは」
少年が笑う。
「神の刃か」
成程、と少年は笑う。
神の眼が、静かに笑う。
全てを知った、神化人間が笑っていた。