「どうしたら、貴方は救われるの?」
いつだっただろうか。
誰かに、そんなことを聞かれた気がする。
気がするだけで、本当に聞かれたかも分からない。ただ、答えは決まっていた。
救われるわけがない。
そもそも、そんなものを求めた事すらないのだから。そんなものなど、求めていない。いらない。
だけど。
そいつは俺の鏡だ。
白と黒。
白ではなく、黒い存在。
俺に無い物を、そいつは全て持っている。全て手に入れようとしている。真反対の存在。だから、そいつは人間だ。人間になろうとしている、人間らしい、人間だ。
そいつとは約束がある。
だから、殺すな。邪魔をするな。
同じではなく、正反対。
だから俺は俺を自覚する。
だから、もう一度、返せ。
鮮血が吹き上がった。
神殺しの顔に血が降りかかる。
目の前にあるのは、振り下ろされた剣。白い存在が自分の手を突き刺している姿だった。
「……お前」
あと数センチで神殺しは死んでいただろう。それを、自身の手で庇った。殺さない。
「…………」
赤い瞳の白い少年は、殺しをしなかった。
「……俺は」
刃の代わりに、言葉が落ちる。
「俺はまた、過ちを繰り返したのか」
周りの光景を眺めた。全てが粉々になった世界。平坦な地表が広がり、上がる炎すら少なく、生きる者がいない、静かな世界。
数少なく立っているビルが、墓標のように存在した。
何もない。
あの時のような血の海も。死体の山も。鉄臭さもない。鋭過ぎた攻撃は、殺した感触すら感じない。
何もない。
それを全て受け止めた。
揺らぐ瞳が白く混ざり
「下らない」
自分を殺した。
何も無い。
感情も、表情も、自分すら。
何も無かった。
「……お前の所為じゃない」
神殺しは体を起こして言った。その発言が無意味であるのは重々承知しているが、伝えたかった。彼が認めないのなら、自分が認識する。殺したのはお前ではないと、俺はそう思っていると、語り掛ける。
「下らないな、神殺し」
「ああ、そう言うと思ったよ」
「なら言うな」
素っ気なく拒絶すると、片手で剣を構えた。刃を止める為に突き刺した為、片手しか使えない。二重人格の反動と、所有権を無理やり取り返した為、体は悲鳴を上げている。
同じく、神殺しも満身創痍だ。
決して対等な条件とは言えないが、弱っているのはお互い様である。
「神殺し。決着をつけよう」
……その為に、それを理由に、俺は戻ってきたのだから。それを言い訳に、体を取り返した。
「ああ、そうだな」
神殺しは剣を掴み、立ち上がる。
元々、決戦はどちらかが壊れるまで終わらない。それを決めての戦いだ。そして、幼い頃の決着をつける約束でもある。
「戦おう……。神の刃」
今一度、戦おう。
研究も、神化人間も関係ない。あの時の決着。今度は生死を問わない死合。自分の言い分を認めさせる為にも、神殺しは立ち上がる。既に動くことすらキツい身体で、神の刃の前に立ち塞がる。これ以上、奈落の先へ進めはしない。
「神の刃」
「何だ」
神殺しは、視線を真っ直ぐに目を合わせた。赤と赤が重なり合う。
「お前が求めたのは何だ」
……ああ、何とも、下らない質問をするな。
今の俺が持ち合わせる答えは決まっていた。
「忘れた」
忘れたんだ、もう。
幼い頃に本当に欲しかった物。求めたのはたった一つだけ。でも、そんな物はもう忘れてしまったんだ。
もう、空っぽだ。
戦いが始まり、二重人格が出てからは短い時間だった。決戦開始から数分で世界は変わってしまった。
神の刃が踏み込み、神殺しが剣を振るう。
静かな世界の中で、剣を混じり合う音だけが響いた。いつしか炎は消え、雲に覆われた月もない。光源のない暗闇の中で、甲高い音だけが鳴り止まない。命が消えて行った土地で、刃の灯火だけが儚げに揺れる。
雲の切れ間から月明かりが覗いた。
残ったビルの屋上に、2人が分かれて降り立つ。
2つの影が同時に跳び、空中で重なり合った。
舞い散る鮮血が、月明かりに光輝いた。
そして、一人の神化人間が倒れ、白い姿だけが一人だけ立っていた。
たった一人で、そこに在った。
神殺しが目を覚ましたのはすぐだった。
どこからか拾って来た救急箱が横に転がっている。自分の体を見れば、包帯を身体中に巻かれていた。一番酷いのは二重人格にやられた右腕であるが、一週間もすれば元通りになるだろう。神化人間の肉体は柔ではない。
「……いや」
一番では無かった。
気付いてしまった。下半身の感触が、微塵も無いことに。
肉体の欠損は無い。足も付いている。だが、ピクリとも動かせなかった。どれだけ力を入れても動かせないし、触ってみても何の感触もない。
下半身不随。
シロと同じだった。
「恐らくそれは、治らないだろう」
言葉に振り向けば、瓦礫に座り、月を見上げている白い背中が見えた。
「シロもそうだった」
「……そうか」
二度と自分の足で歩くことができない。きっとそれは大変な事なのだろう。神殺しは想像しか出来ないが、何となくそう思った。だが、そんな事はどうでも良かった。それよりも、もっと大事な事があった。
「……何故殺さなかった」
自分が生きているという事実。
自分が自分だと認識しているという事実。
決着をつけるといったのに。なのに、殺す事も、完璧に壊すことすらしなかった。
「俺は殺しが出来ない」
「そうか」
やはり、お前は、そうあるのか。
「お前は、ナイフ使いだ」
無邪気に人を殺していた神の刃ではない。
殺しが出来ない、ナイフ使い。
「だが、俺を壊すことは出来ただろ」
「お前の半身は動かない。その状態なら、俺はお前をいつでも壊せる。故に、これで終わりだ」
「こんな決着で、俺が納得できると思っているのか」
屈辱だと睨み付けても、ナイフ使いは振り返らない。
「知らんな。事実として、お前は倒れ、俺は立っていた。故に、俺がこれで良いと判断した。だから、これで終わりだ」
もう終りだ。だから。
「だから、お前が戦うことは、もう二度と無い」
「……何を」
神殺しは二度と戦えない体になった。無理をすれば戦えるかもしれないが、動かない半身では、神化人間と言えど幾らでも殺す方法が出てくる。
だから、戦えない。
そして、彼を想い、待っている人間がいる。簡単に死ぬのは許されない。
だから、戦えない。
「裏政府も裏組織も俺が壊す。回すのは神の杖の残党がやってくれるだろう。裏世界はこれで終わりだ」
「……お前」
「神殺し。お前はもう何も出来ない。神化人間として戦えないのなら、死んだも同然だ」
「ふざけるな……!」
……だって、それは俺の願いだ。自由の為に、普通の生活を得る為に、俺がやるべきことだ。
俺がやらなければいけないことなのに。
「お前は、どれだけ背負うつもりなんだ……!」
神化人間の原罪を。二重人格の罪も。裏世界の闇も。
……そして、俺の願いと夢すら背負っていくのか。
その一身に、全てを請け負って行こうというのか。
「背負う?何を言っている」
ナイフ使いは立ち上がる。
その体以上に、多くのものを抱えて。
「俺は神化人間で、二重人格も俺の人格で、裏世界の人間だ。これ以上、俺達と同じ存在を作り出さない為に、俺は裏世界を壊すだけだ。貴様の願いも夢も知ったことか」
これは全て俺の業なのだと言い切った。
神殺しは反論出来ない。敗北した彼に、ナイフ使いを止める事は不可能だった。
「ナイフ使い」
それでも、神殺しは一つ問い掛けた。
感情を殺していても。忘れていても。無くしていても。手遅れであっても、その想いの一つを、問い掛けた。
「生きたいか?死にたいか?」
存在として在り続ける根本。全てに根ざす土台。原点にあるからこその質問に、ナイフ使いは、当たり前に答えた。
「下らない」
そんなことは無意味なのだと、言葉を殺した。
自分の意思を、殺した。
ナイフ使いは跳んだ。
神殺しは遠ざかっていく背中を見送るしかない。雲は分厚くなり、世界を再び閉じ込める。もう光はない。
「……ふざけるなよ」
神殺しは空を仰ぎ、言葉を零した。
「お前とシロが出来なかったことを、託すんじゃねぇよ……」
普通の生活。
大切な人といて、泣いて、怒って、笑って。
ただ、それだけで。
それだけを願ったのは、果たして誰だったのか。
零れ落ちた想いを知る者はいない。
ナイフ使いは跳ぶ。
跳んで、跳んで、跳んで。
そして、立ち止まって振り返った。
何もない平野を瞳に映し出した。
「……終わった」
終わった。
終わった。
終わってしまった。
神化人間達の命を奪った。
関係の無い人間の命を奪った。
奪ってしまった。また、俺が。他ならぬ俺自身が。俺が、やってしまった。二重人格を出してしまったのは俺であり、二重人格も俺の人格であるのだから。
ああ、下らない。
「…………終わった」
後は、裏世界を消すだけ。神の眼から渡された情報を使えば、すぐとは言わずとも、確実に終えることができる。時間が掛かろうとも、自分にとっては難しい事ではない。
故に。
戦える神化人間がいなくなった今、やるべき事は終わったも同然であり、役目を果たしたとも言える。
つまり。
もう、存在する理由は。いや、元々、存在する必要など。
「……ない」
何もない。
「下らない」
……本当に、下らない。
雪が降ってきた。
分厚い雲と、大粒の雪。
きっと積もるだろうと、頭の片隅で思う。残った時間は3年と言われたが、二重人格に乗っ取られてしまった肉体だ。本当にその期間、残れるかも怪しい。だから、早く。なるべく、裏世界を終わらせる。
そして、俺の命も。
死ねるか分からない。もう他人に頼る方法は失われた。今までも、そして残された方法も、死ねるか分からない賭けだからこそ、自分で保っていられる。
さあ、全てを終わらせに行こう。
雪は降り続ける。
この世界を白く染め上げて。
いつか儚く消えていく運命だとしても。
一度落ちた雪は、消える時まで落ち続けた。
シロ:死亡
赤い銃:死亡
光の槍:死亡
獣の爪:死亡
毒の斧:死亡
岩の拳:死亡
鉄の鎖:死亡
死神の鎌:死亡
神の杖:死亡
神の眼:行方不明
神殺し:戦闘不能
葉山恵:戦力外