轟音が鳴り響いた。
街を照らしていた燃え盛る炎は、衝撃波の渦に飲まれて四散していく。光源が消えていく中で神殺しは足を止めずに動き続けた。彼の居た場所は次々に粉々になっていき、足場が消えて行く。
都会は最早廃墟と化していた。
高速道路全て陥落し、根元から切り崩されたビルは粉々に押し潰されている。数分前の都会は見る影もなく消えていた。あるのは数える程しか残っていないビル。殆どのビルは倒れており、瓦礫の山と平坦な地平が広がっている。粉が舞い散り、夜の空気を白く染めた。
地に沿って、二重人格が鎌鼬の嵐を放った。刃の暴風雨はビルの根元を根刮ぎ奪い取り、電柱を紙のように吹き飛ばした。
瓦礫などの話ではない。ビルが雨のように襲い掛かってくる光景は悪夢としか思えない。幾度と刃を交わし、未だ生き残っている神殺し。
それでも、神殺しは分かっている。二重人格からしてみれば、コレが普通の攻撃だ。先程までは、言うなら虫を払うかのような行動だった。文字通り、振り払えば命を奪えた。
だが、神殺しは振り払うだけでは死なない。だから攻撃をする事にした。
それだけなのだ。二重人格からすれば、それだけの話。
「……っ!」
積み重なったビルを潰すように、二重人格が上から剣を振り下ろす。圧力に押し潰されるように、粉々となり平になる。真上に衝撃を放った神殺しの一点だけ、不自然な形で残っていた。
神殺しは地面を縫うように疾走する。容赦のない鎌鼬が断続的に道を塞ぎ、後を追いかけてくる。一瞬でも二重人格の姿を見失えば、気付けば隣にいるのも珍しくない。
「ちぃっ……!」
どれ程覚悟を決めようとも。
どれ程考えても。
まるで勝てる気がしない。
「……ぐっ」
心は折れていない。
身体もまだ動く。
それでも、二重人格を倒す方法が見当たらない。
殺せない。
産まれてから戦いに身を投じてきた神殺し。彼の肉体が分かってしまった。二重人格には勝てない事を。抗える事は可能でも、限界はそこにある。
殺せない。
それが事実で、現実で、だけれど諦めるわけにはいかない。受け入れてしまえば、本当に終わってしまう。殺された者達の遺志も、自分の夢も、世界も。
恵も、死んでしまう。
双剣が交わされる。激しい攻防に、周りに斬撃が刻まれていく。神殺しの身体にも太刀筋が走った。致命傷は避けられているが、徐々に流す血液の量が増していく。一撃一撃、必殺である攻撃を全力で防いだ。
どうすれば生き残れるのか。
どうすれば打開出来るのか。
「…………」
分かっている。自分には、もう何もできない事は。
結局、彼を頼るしかないのだ。二重人格から、再び彼を呼び覚ますしかない。
それも薄い確率だ。もう完全に乗っ取られてしまっている可能性が大きい。かつて呼び戻したシロはいない。彼の救いであったシロは、もう存在しない。自分が呼び戻せるかも分からない。
しかし、それでも。
「……神の刃」
神殺しは彼の名を呼んだ。
既に死んだ名を、神殺しと唯一まともに戦いあった、幼い少年の名を呼んだ。
「俺と戦え……!」
かつての記憶。研究所で戦った、あの日。
「俺と決着をつけろ!!」
例えこの言葉が無意味だとしても。ナイフ使いの自我を取り戻す以外に、二重人格を止める方法はない。殺せないから止める。至極簡単な事であり、実行するには、奇跡ほどの確率を要する行いだ。
そんな事、簡単に起こるはずもない。
「!」
地面ごと衝撃で吹き飛ばされた神殺しは、土砂を足場に距離を離す。遠ざかる時に二重人格を確認するが、また彼はゆったりと歩いていた。追いかけて来る様子はない。
神殺しは残った瓦礫の山と、僅かなビルを隠れ蓑に使いながら、疲れ果てた頭で思考する。
今更、二重人格の行動を読み取るのは意味がない。
此処で二重人格を殺せないのなら、どうすれば死に追いやる事ができるのか。核兵器か、ミサイルか。仮に放ったとして、感知されてしまえば二重人格の身体能力なら逃げられてしまう。なら、包囲網を敷いて、その上で放つしかない。それも、瞬間的な熱量だけでは駄目だ。衝撃で空間を引き裂けるなら、熱も爆風も当てるのに苦労する。奴を宇宙へと運んでしまえば死ぬだろうが、どうやって運べるか。
「……ああ、駄目だ」
碌に頭が回っていない。思考がおかしくなっている。頭を下げれば、血が地面へと落ちた。どうやら、自分でも気付かない程に体が傷ついているらしい。
実際、既に神殺しの体はボロボロだった。五体満足で体力もあるが、何度も衝撃の余波を喰らっている。当たれば細切れになる攻撃を紙一重で避けて防御しているが、防ぎ切れていない。積み重なったダメージは、総量として大きく積み重なっている。
「……っ」
自身の限界が見えた。
それでも、まだ剣を握る。
神殺しは瓦礫の隙間から二重人格を伺った。二重人格は動いていない。ただ、剣を握る自分の右手を見ていた。
「……?」
何をしているのか。そう思うと同時に、二重人格が剣を握ったまま、左手を神殺しがいる方向へ伸ばしてきた。
消えたと錯覚する程の速さで腕が引かれる。
「!?」
神殺しが居た一帯が、急激に二重人格の方へと引っ張られた。
何故と疑問に思う暇もない。現実として自分の体と周りの瓦礫は、まるでブラックホールのように二重人格の方へと吸い込まれた。
衝撃。鎌鼬。真空。操作。
二重人格は、衝撃の応用で真空を操作した。全てを失われた空間は、当然、空気を補充する。
足場も無く、突如空中に放り出された神殺しに、操るべき衝撃は存在しない。
「!」
衝撃波も鎌鼬もない。
つまり、二重人格は全ての衝撃を込めての一撃を与えて来る。
突き出される剣先。
神殺しは自身の片方の剣を手放し、それを土台代わりに全力で蹴りつける。衝撃の方向を変化させ、右手にある剣先に全て集中。突き出した。
「うおおおおおお!!」
剣先同士がぶつかり合う。
衝撃が走り
神殺しの右腕が壊れた。
指が有り得ない方向へと曲がり、指先から肩まで何箇所も骨が折れた。殺し切れなかった衝撃が深い太刀筋を刻み、血を流す。
剣を握れなかった神殺し。今この瞬間、彼に武器はない。不味いと思った時には、地面へと叩きつけられていた。
「がっ……!」
気合いで気絶はしなかったが、為す術は無くなった。
殺されるのかと思うと同時に、何かがおかしいと思った。
地面へ叩きつけられた。つまり、本当なら、その瞬間に殺されている。叩きつけるという行動を起こせるのだから、殺せた筈なのだ。
……何故。
動けない神殺しの眼前に剣が振り下ろされ、鮮血が吹き上がった。
「…………」
遠く離れた土地のホテルの一室。
夜の空を恵は見上げていた。
今頃どうなっているだろうか。主要な都市が封鎖され、経済や市場の混乱で世間は騒がれている。
だが、今の恵にはどうでもいい事だ。神化人間達がどうなっているのか。ナイフ使いが、神殺しがどうなっているのか。
無事であって欲しいなど、そんな贅沢は言わない。生き残ってくれればそれで良い。それだけで良い。
可能なら、ナイフ使いも生きていて欲しい。生が彼の地獄であろうとも、このまま、彼の為を思い命を落としたシロが報われない。生きていれば希望があるとは思わないけれど、生きていなければ希望すら見つからない。
彼らにとって、敵とは何なのだろうか。二重人格か、世界だろうか。それとも、自分達か。
「神殺し……」
恵を庇っているのは神の杖の組織だ。頭を失っても機能するように、神の杖が造り育て上げた組織。最初から自分が死んでも良いように、神の杖は動いてきた。
しかし、集ったのは神の杖を慕う者達だ。神の杖に生き残って欲しいと、全員が願っていた。
恵をここに連れて来た玲奈は、その足で神の杖の元へ向かった。彼女の想いを知っていたからこそ、誰も止めはしなかった。
恵は彼女に付いて行こうか迷い、結局残った。
自分が足手纏いだと分かっていたし、何も出来ないことも分かっていた。自分の言葉で彼が止まるとも思わなかったし、その考えは正しかった。
「…………」
だから、恵は祈った。
彼等が無事であることを。
神殺しの笑顔をもう一度見れることを、心から祈った。