Knife Master《完結》   作:ひわたり

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第1章 崩壊の旋律
過去の始まり


血に塗られた記憶。

 

その手は血で濡れた。

生暖かい温度を掌で感じる。

鼻で香る鉄臭さは嗅ぎ慣れたもので、いつもと変わらない。

目の前に広がる血の海に、先程まで相対していた子供が倒れている。時たまびくりと、脳の電気信号が体を動かしていた。

ブザーが鳴り、終了の合図を聞く。

『勝者、神の刃』

白い少年の勝利を告げた。

後に、ナイフ使いと呼ばれる子供が、神の刃という名で存在した。

「良くやったな、神の刃」

「上手にころせた?」

子供の無垢な質問に、研究員達は笑顔で答えた。

「ああ、勿論だとも。もっと上手い殺し方を教えてあげよう」

「ありがとう!」

人の殺し方を教わる神の刃は、嬉しそうに答えた。人の殺し方を教える研究員達も、笑顔で教えを説いた。

人を殺すことで笑い会える光景がそこにある。

日本のとある場所。

隠れた所に存在するその組織。

建物の内部は白く、その清潔さは病院を彷彿とさせる。その施設は眠ることなく、常に何者かが動いている。

その中で、統一された服を着た子供達が歩き、はしゃいでいる。そして、殺し合っている。

隔離された特殊な円筒のような部屋に入り、神化人間が殺し合う。

戦いに勝った神の刃は褒められ、物言わぬ死体となった子供は、そのまま処分される。

作業着を着た男達が子供の死体を台車へ乗せ、ガラガラと音を立てながら運んで行った。

「あれはどうするの?」

「廃棄場っていう、いらない物を捨てる場所に置いてくるんだよ」

「ふーん」

理解したようなしていないような、曖昧な生返事を返すと、神の刃は研究員に振り返る。

「ねぇ、おかあさんの所に帰って良い?報告したい!」

「ああ、良いよ」

神の刃は満面の笑顔を浮かべて走り去った。背中を見送った研究員はパソコンからデータを引き出す。神の刃の戦闘記録と身体能力、その時起きた感情の動きなど、事細かに数値化されていた。

「流石、神の欠片は優秀だな」

「神の刃は身体能力で一番の実績を誇っている」

研究員達はスローモニターで先程の戦闘記録を見返した。

神殺しと相対したのは同い年くらいの小さな子供。お互いに無手で、武器はない。ブザーが鳴り、先に動いたのは相手だった。無邪気な笑顔で神の刃へと迫る。その速度は普通の人間では目に追えない。その手が神の刃の首に迫る瞬間、神の刃の足が相手の肘へ直撃する。

関節に入った腕は鈍い音を立てて直角へ折れ曲がる。その腕をそのまま足で器用に絡め取り、肩から地面へ落とす。頑丈な床にヒビが入った。

交差した一瞬の出来事。

子供が痛みを無視して体を跳ね上げる。神の刃はそれに逆らわず、宙へと身を躍らせた。割れた床の破片を手で持ち、空中で身を翻す。

その欠片を足場に、子供へと突っ込んだ。

体を整える前に追撃された子供は、首の骨を折られ、捻り切るほどに回される。皮や肉が切れる音が鳴り響き、絶命した。

神の刃は死を見届けると、無造作に放り捨てた。

一連の流れを見た研究員が唸る。

「相変わらず、慣性を無視した動きをするな。あんな小さな欠片を蹴ったら、普通、欠片が粉々に砕けるだろう。何で、衝撃を全部自分の跳躍力に変更出来るんだ」

「他の神の欠片でも跳躍したら地面にヒビが入るしな。こんな真似が出来るのは神の刃くらいだよ。衝撃の向きを変えるとか何とか言ってるが、詳しい事は自分でも分かってないみたいだしな」

「その辺りは子供か。データを集めて解明していくしかない」

「ああ」

 

 

死体を台車で運んでいった研究員は、廃棄場と書かれたドアの前でスイッチを押す。両開きのドアが開くと、目の前に広い部屋が展開された。その中には密接に積まれた死体の山が連なり、赤い血を垂れ流しにしている。死体の中には子供だけでなく、生まれる前となる胎児の状態のものも放置されており、よく見れば研究員と思しき大人の形もある。文字通り、廃棄場だった。

網状になっている箇所から血が落ちていき、入り口には空調機が備えられ、死臭などが外部に漏れないように空気の流れを調整していた。

「そろそろ溜まってきたな」

「明日が処理日ですね」

「面倒だなぁ」

死体を投げるように捨てると、ドアを閉めて去って行った。

「…………」

神の刃が廊下の向こう側からそれを見ていた。二人の背中が見えなくなると、ドアの前までやってくる。廃棄場のプレートをじっと見つめ、ドアのスイッチを押そうとして

「…………」

手を止めた。

押してはいけないと、何かが頭の中で囁いている。

後戻り出来ないと、何かが警告する。

何が、何を。

本能のような何かが、その手を止めさせた。

「……っ」

神の刃は走り去った。

これは逃げだと、本人は分かっていた。

何から逃げたのかは知らない。それでも、確信がある。これは逃避行為だと。

神の刃は勝ってきた。

戦いに勝ち続けたから、ここにいる。まだ生きている。まだなお存在していられた。

だが、今、彼は苦い何かを感じた。

それは正しく、敗北の味だった。

「ただいま」

ある一室に、神の刃は帰ってきた。

「おかえりなさい」

小さな部屋であるが、そこに彼の母親がいた。勿論、本当の親ではない。育てる為に、母親としての役割を担っている女性である。長い髪を纏めたその女性は、何処か疲れた表情で、精一杯の笑顔を作っている。

「今日も上手にころせたよ!」

「……そう」

女性は身を屈めて、神の刃に視線を合わせた。

「貴方が生きてて良かったわ」

「…………」

……また、褒めてくれない。

殺しや、死に関して、研究員達はいつも褒めてくれる。神の刃を凄いと賛美する。しかし、この女性だけは、母親だけは決してそれを褒めようとはしなかった。

この施設に置いて、それは間違った行為だ。

教育とは洗脳である。

教えこそ、その人間を作る過程で重要なものとなる。性格は変えられなくとも、価値観や成長に大きく影響するのが教育だ。故に、母親の考えは間違っている。現代の普通の思考や理念は、この組織では異端であり異常でしかない。だがこの女性は、それが出来なかった。

「……お母さん」

だから、神の刃には理解出来ない。

何故、母親だけが褒めてくれないのか。

何故、母親がこんなにも悲しそうな顔をするのか。

それを理解する術は無かった。

「ねぇ、お母さん」

どうしようもなく、溝は深まっていく。

不満は徐々に、確実に、胸の中に溜まっていく。

それでも、神の刃は堪えて、気丈に振舞った。周りからは沢山褒められて、それでも母親だけは褒めてくれなくて。

「僕、頑張るよ」

母親に褒めてもらう。

神の刃の願いはそれだけだった。

それで良かった。

それだけで良かった。

だから、彼は殺しを磨いていく。

死を積み重ねていく。

その技術を練り上げていく。

恐ろしいほどに。

そして、それを行っていく度に、母親は悲しみを募らせた。

それが、神の刃には理解出来ない。

だからこそ、心の何かがズレていく。

 

それが致命的な事だと、誰も分からずに。

 


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