Knife Master《完結》   作:ひわたり

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否定

ナイフ使いは暗い部屋にいた。

かつてシロが住んでいた、今は何もない空っぽの空間。何故ここに自分がいるのかという疑問も放置し、そこに座り込んでいた。何をするわけでもなく、ただ時間を浪費していく。

ふと、神殺しの気配を感じた。近くで無意味に彷徨っていることから、どうも自分に用事があるらしいと勘付く。重い腰を上げ、鈍い足を動かした。無表情で一定の動作をするナイフ使いは、本当の人形のようだった。

外に出て神殺しの気配を辿っていく。昔行ったことのある喫茶店へと足を踏み入れると、壁際の席に神殺しが座っていた。神殺しは眉を僅かに潜め、微笑を浮かべる微妙な表情を浮かべながら軽く手を挙げた。

「何か用か?」

席に着くなり切り出すナイフ使いに、神殺しは肩を竦める。

「前置きくらいしろよ」

「今更だろう」

やってきた店員に珈琲を注文し、神殺しと向かい合う。

「変わらないな、ナイフ使い」

「変われないの間違いだ、神殺し」

神殺しは頭を掻いて長く深い溜息を吐いた。身を乗り出して本題を切り出した。

「葉山恵を助けたい」

「…………」

予想外の願いに、ナイフ使いは少し目を細めた。

「何故?」

端的な質問に、神殺しは即座に答えた。

「彼女は巻き込まれただけだ。裏世界とか、ましてや俺達の事情とはまるで無関係だ。だから、彼女だけでも助けてあげたい」

「それは罪滅ぼしのつもりか」

ナイフ使いの容赦の無い問い掛け。人を殺し続けてきた。それを後悔した。自身の過ちに気付いてしまった。だから、一人でも救いたいのかと、罪滅ぼしをしたいのかと。そうやって自己満足をしたいのかと、ナイフ使いは問う。

「……かもしれん」

正直に答える。思いついたまま口に出した。

「本当のところ、俺も自分の気持ちを理解出来ない。でも、それこそ俺の事情に葉山恵は関係はない。助けられるのならそうするべきだと、そう思う」

いきなり裏世界に連れてこられて。神化人間だと告げられ、知る必要もなかったことを散々教えられ、果ては帰さないと拘束された。あまりにも理不尽ではないか。

確かに、昔の神殺しなら運がなかったと言って見限るだろう。今の自分が助けたいと思っているのも本当だ。

だから、神殺しは動く。自分の意思に従って心のままに動くのだ。それが、彼の自由。

「…………」

神殺しは本気だと感じたナイフ使いは、それでも別段どうと言うつもりもなかった。故に、次の疑問に移る。

「それで、俺にどうしろと?葉山恵を連れ出せ、とでも言うつもりか?」

「そこまでは言わない。勿論、協力してくれるならそれに越したことはないけど、俺がやることを見過ごしてくれるだけで良い」

……シロを殺した時のように。

そんな言葉が神殺しの頭に浮かび、顔には出さず自虐する。

「成程」

ナイフ使いは腕を組んで瞑目した。

見過ごすのは別に構わない。勝手にやるなら勝手にすれば良い。自分に影響を与えるわけではないのだから。

まず、裏政府から連れ出すのは自分なら容易である。それこそ能力で裏政府の人間全員の行動を支配してしまえば済む話だ。記憶の操作まで出来ないので多少の騒ぎなるだろうが、それだけの話である。

「…………」

自分がそこまでする必要はあるのか。

それがナイフ使いの疑問。

どっちでも構わないのが前提であるのが、逆に悩ませる。労力も大したことではないし、神殺しも少し楽になるからとナイフ使いに頼んでいるだけであり、拒否されても自分でなんとかするだろう。

珈琲が運ばれてきた頃に、ナイフ使いは口を開いた。

「良いだろう。葉山恵を連れ出してやる」

「良いのか?」

「正直、どっちでも良いからな」

頼んだ側の神殺しが逆に驚いた。彼は驚きをそのままに言葉を続ける。

「どっちでも良いなら、拒否すると思っていた」

「俺は別段怠け者というわけではないぞ」

「知っている。他人に興味がないだけだろう。だからこそ意外なんだ」

理由があろうとなかろうと、他人の為に動くことに心底驚いていた。逆に何故かとも問いたくなるが、ナイフ使いがどちらでも良いと言うのが本音であるのに変わりはない。

「文句があるなら手伝わないが」

「いや、無いけど……。んじゃまあ、お願いする」

ナイフ使いは珈琲を一口飲み、神殺しは相変わらずミルクと砂糖をドバドバ入れる。スプーンで掻き混ぜていると、ナイフ使いが静かに口を開いた。

「それで、連れ出した後はどうするつもりだ。まさか家に帰すわけもあるまい」

「それが出来れば良いだろうが、まあ無理だろうな」

恵は一般人と変わらないが神化人間に変わりはない。その事情を知っているからこそ、裏組織は彼女に手を出していないし、裏政府もどうするわけでもなく持て余している。いなくなっても構いはしないだろうが、実際に姿を消せば慌てるのは目に見えている。今更裏世界を更に混乱させても無意味だが、折角引き離すのに無闇に嗅ぎ回れては堪らない。当然実家に目も行くだろうし、彼女が行きそうな場所は全て捜索されるだろう。

幸いなのは神殺しと恵が繋がりを持っているのを誰も知らないことだ。特殊例を上げれば神の眼は知っているだろうが、奴に隠すのは土台無理である。

「取り合えず、俺の隠れ家に避難させるかな」

「軟禁状態になるぞ」

「今とほぼ変わらんだろ」

裏政府に隔離されている今、恵の状況としては変わらない。彼女の青髪は目立つ。ただ、変装は必須だが、そうすれば外を歩き回れるかもしれない。少なくとも裏政府よりは窮屈ではないだろう。

「ま、やるだけやるさ」

分かってはいるが、この行動はナイフ使いが死ぬ前提の話だ。裏世界が残ろうが残るまいが、ナイフ使いという爆弾は無くさなくてはならない。

結局、彼が生きていてはいけないから。

「…………」

神殺しはチラリとナイフ使いを見る。

自身の死を認めているナイフ使い。それでも死を受け入れられずにここにいる。

哀れとは思わない。同情もしない。

「……なぁ、ナイフ使い」

だけど

「生きたくないのか?」

彼の意思はどこにあるのだろうか。

「別に、死ぬのに変わり無い」

淡々と返答するナイフ使いに神殺しは噛み付く。

「そうじゃない。結論ではなく、お前の意思を聞いてるんだっ」

「下らない」

ナイフ使いは動かない。そんなことでは感情は動かない。もう動けない。

もう駄目だ。

あまりにも、壊れ過ぎた。

「俺にそれを求めても無意味だろ」

死んだら全部消える。それは生きてることさえ否定する言葉だ。自分を否定する意味だ。

だから、神殺しはそれを否定する。

「無意味なものか」

生きるのも死ぬのも、意思があるのならばそれは己の選択となる。確かに自分がいたのだという証なのだ。

罪を背負おうとも。

運命を許容しようとも。

死を受け入れようとも。

己の否定だけは許さない。

「神化人間であってもお前は人間だ。人間であるべきだ。だから、俺はお前を否定しない。俺がお前を殺すことになろうとも、俺はお前を認識する」

だから

「お前の意思を答えろ」

ナイフ使いは、神殺しの目を見た。

シロが死んでから、初めて神殺しと真正面から向かい合った。

赤と赤が交差する。

時が固まったように眼が動かない。

それを切ったのは、ナイフ使いの一言だった。

「下らない」

ナイフ使いは席を立つ。

「ナイフ使い、俺は……」

「神殺し」

感情のない声が

「もう遅い」

残酷に切り裂いた。

手遅れなのだと、彼は語る。もう無理なのだと言い切った。

たったそれだけの言葉に、神殺しは理解した。ナイフ使いが感情を殺しきれなくなっているのだと、限界なのだと理解した。

理解してしまった。

「…………」

ナイフ使いは小銭を机の上に置いて神殺しの横を通り過ぎる。呼び止めることはできなかった。背中からドアを開けるベルの音が虚しく耳に届いた。

もう何もかも遅かった。

いつならば彼を救うことができたのだろうか。

シロを殺した時か。

シロを誘拐した時か。

裏政府に入った時か。

二重人格が現れた時か。

あるいは、母親がいたあの時か。

どれも救われない。

それが現実であり、それが彼の人生であった。

「……ああ」

無力だと見上げた天井は、ナイフ使いと同じ様にただあり続けるだけだった。

 


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