Knife Master《完結》   作:ひわたり

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後悔

小さな部屋の中、ギシリと鎖が音を立てた。

自分の義手の調整を終え、鉄の鎖は小さく嘆息した。この手を見る度に、どうしてナイフ使いに手を切り飛ばされた時に回収しなかったのかと悔やまれる。単純ナイフ使いに怯えていたからだと自分で結論を出し、自分で辟易していた。

「しけた面をしているね」

そう言ってやってきたのは岩の拳だった。

「この手を見る度に、自分が逃げたことを思い知らされるからな」

プラプラと義手を見せつければ、岩の拳は肩を竦めて罅割れた壁に背をつけた。

「僕なら武器になる拳を取られた時点で死んだも同然だ。反対に、腕を取られた死神の鎌は片腕だけで戦うようになった」

「何が言いたい?」

「人それぞれってことだよ」

岩の拳は手の骨を鳴らし、己の拳を見つめながら続ける。

「赤い銃との戦い。毒の斧の罠を使用し、死神の鎌と共闘したにも関わらず負け掛けた」

「…………」

「青の欠片同士だ。実力が拮抗しているのも分かっているつもりだった。だけど……」

「不安になったと?」

「不安なら最初から持ってる。元より、単独でナイフ使いに勝てるとも思っていないが、少しばかり自信を無くした」

岩の拳は語る。

生きることは後悔することかと。後悔を積み重ね、その穴を埋めるように何かで満足し、それを繰り返していく。

「僕は君みたいに金に興味はないし、生きていたいとも思わない。あの事件の日、たまたま研究員が僕を逃がしてくれたけど、正直あの場で死んでもよかった。生きていようが死のうが、どっちでも良いんだ」

先の見えない幸不幸より、今この瞬間に全て無くしてしまう方が効率がいいとさえ思えた。拘りなどない。何故生きているのかと考えるのは知的生物のバグのようなものであろう。生物である限り、生を持ち種を反映させるのは遺伝子レベルの本能である。それを自分を納得させる言い訳に倫理など何だのと構築させるのが人間だ。

生を本能というのなら、死を望むのは異常なのか。あるいは、それが理性なのか。

仮に死で何もかもなくのなるのなら、それが一番だろう。もし生きる執念、後悔や死に対する恐怖を持っていようとも、その全てが結局無くなるのだから。

無になるのなら、望ましい。

「多分、生死感は僕とナイフ使いで似て非なる。生死で何方かに偏りもしない。生と死で相殺されてるのに変わりはないけど、ゼロに近づいているのが僕で、無限に近づいているのがナイフ使い」

「よく分からないが、それで、じゃあ何故ここまで生きてきた?死に場所などいくらでもあったろう」

岩の拳の言葉に疑問を呈する鉄の鎖。彼の疑問を、岩の拳は緩やかに否定した。

「神化人間の僕達の死に場所は限られてるよ。単純に死に難いし。何より死を尊厳にしたいとは思わないけれど、なんというか、ショボいのさ」

そんな岩の拳がナイフ使いに拘る理由は、ただ一つ。

「僕が彼と戦うのは、多分、許せないから」

幼い頃に青の欠片として生まれてきた。

ずっとそうして育てられ、生きてきて、淡々とその役割を果たしてきた。もちろん、神の欠片との差は分かりきっていた。だから、何も考えないように生きてきた。

当たり前にある格差。あの教育の中でも、人が平等であると思ったことはない。寧ろ、人が簡単に死ぬ環境だったからこそ、拭い難く人の違いは意識させられた。平等があるとすれば、それは世界のバランス。幸福な者がいれば不幸な者がいる。勝者がいて、敗者が存在する。それだけの話だ。

施設で岩の拳は何も考えないように生きてきた。自分が優れた存在でないのは認識していたし、殺し殺されの日常だ。殺しているのだから、自分がいつ殺されてもおかしくないことくらい分かっていた。

だが、二重人格を見て、自分の中にあった何かが崩れた。

青の欠片と神の欠片に差があるのは理解していた。理解していたが、普通の人間より強い認識だった自分を、自分達をこうも簡単に終わらせるのかと、ある種の衝撃を与えた。そしてそれは、自分の中にあった僅かな行持を壊した。

それが、何もなく生きてきた、ただ一つの後悔。

自分を否定されたような感覚。そう思ってしまったことへの後悔。

生きても死んでも構わない人生の中で、たった一つ解決したい事柄。

「僕は死ぬなら奴に殺される。生きるなら奴を殺す。それだけだ」

生きていても仕方ない。

その言葉だけは青の欠片同時の共通事項であるが、理由はそれぞれ別にある。

生きるにしろ死ぬにしろ、ナイフ使いの存在は大きすぎる。彼らの人生の中で、ナイフ使いの存在は絶対に無視出来ない。

変われなければ否が応でも意識させられて、生きて進むには高過ぎて、死んで下がるには足に引っかかる。

簡単に言えば、邪魔なのだ。

何を選択するにしても、一々目についてしまう。

彼らにとっても、世界にとっても、ナイフ使いはいらない存在。だから、殺すと誓った。

不安なのは、ナイフ使いとの戦闘で自分の中で納得が出来るかどうかだ。もっと言ってしまえば、結果負けようが勝とうが、生きようが死のうがどちらでもいいのだ。少なくとも、岩の拳にとっては。

問題なのは、勝ち負けの認識すら出来ずに殺されること。それは屈辱であり後悔となる。それだけは許せない。自分の中の邪魔な後悔を一つ潰す為にここまできた。後悔を上塗りして死ぬのは、納得できない。例えそれが死によって消されようとも、それが岩の拳の意思である。

「だからお前は弱いんだろう」

そう言いながら入ってきたのは毒の斧だ。む、と眉を寄せる岩の拳と軽く手を挙げる鉄の鎖は対照的だった。

「何もないように無難にするから、何も得られない。幸も不幸も得られない。それで良いと思いながら動けずにいるのは滑稽だぞ」

「僕の生き方を否定するのか?」

「長年積み上げたものを変えろとは言えないし、否定する気もない。だけど、だからお前はそこまでなんだろうと、俺はそう思う」

隠れて卑怯に生きるのが俺だしなと、毒の斧は自虐的に笑った。タイミングを見計らい、鉄の鎖が声を掛ける。

「それで、終わったのか?」

「一応仕掛けは全部済ませた。流石に骨が折れたけどな」

ここ数ヶ月の間、毒の斧はひたすら罠を仕掛け回っていた。中には時間のかかるものもあった為にこれほどの月日が掛かってしまった。ここ最近の毒の斧にとっての敵は世間や一般人であった。見つかれば面倒なことになりかねないことが多々あり、裏組織に協力を貰えればと愚痴を零したこともある。こっそりと回りくどくやっていくのは性に合ってはいるが、流石に長い期間黙々とやっているのはキツかった。

これで改めて実感したのは、人間社会とは面倒臭い、という結論だった。

「ご苦労さん」

「神の眼の指示だったが、ここまでする必要もあったのかね」

「奴の言うように、命云々じゃなく、第三者が戦いに間違って入ってきたら邪魔でしかないからな。それに万全を期すのは当然だ」

「後は俺達がどこまで出来るか」

なら賭けをしようかと鉄の鎖が提案する。

「俺が死んだらお前らに全財産をやろう。で、お前らが死んだらお前らの全財産をくれ」

岩の拳は呆れて溜息をついた。

「賭けでもなんでもないだろう。僕達はお前のように金に興味はない。お前が死んだら使える物は当然奪っていくし、僕が死んだら当然奪っていけ。いつも通りだろ」

「確かに」

そこで、毒の斧が微かに目を動かした。その反応を見て、二人が毒の斧に視線を合わせる。

「どうした?」

「侵入者だな。裏組織の連中だろう」

「殺すか?」

「既に死んだ。罠に掛かったようだ」

毒の斧がどんな罠を仕掛けているのかは知らないし、どうやってそれを知っているのかは知らない。だが、彼が言うのなら正しいのだろう。

「ふむ、流石に日にちが経ったし、俺達の居場所も段々絞れてるみたいだな」

「まあ良いさ。準備は整った。後は神の眼が戦場を開けるだけだ」

決戦は目の前に迫っている。

その戦いには正義も悪もない。生死も構わず、神化人間以外の人間など最もどうでも良い。

世界も何も関係ない。

ただ己のエゴの為だけの戦いが始まる。

 


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