Knife Master《完結》   作:ひわたり

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切欠

外は雨が降り始めていた。

最初は窓に数滴ばかりの雨量であったが、数分もしない間に叩きつけるような強い雨へと変わった。

カチカチと無機質な時計の歯車が時を刻む。

恵は黙ったままナイフ使いの話を聞き終えた。

ナイフ使いが口を閉じた後、暫くの間無言の時間が続いた。

時折、忙しそうに裏政府の役人が廊下を駆け抜けていく音が虚しく響く。

「…………」

ナイフ使いはいつも通りだった。

いつも通り、無関心で、無感情で、無表情で、そこにいた。

シロの死の後でも、一人変わらず、そこにあった。

「……私の」

恵が言葉を落とす。

ナイフ使いは僅かに顔を上げて恵を見るが、恵は顔を伏せたままだった。

「私の所為で……」

恵は絶望した。自分が、自らの存在が引鉄になってしまったのだと理解し、呆然としていた。

ナイフ使いは遠慮なく、ただ事実のみを告げる。

「お前は所詮、ただの切欠に過ぎない」

神殺しの動きも。

シロの死も。

裏世界の動向も。

動く切欠となったのは葉山恵という存在だ。それは事実である。故に、ナイフ使いは語る。

「寧ろ、お前の存在は僥倖だ」

「僥倖……?」

恵は顔を上げた。暗く濁りみ見せる瞳でナイフ使いを映し出す。

「ふざけないで……。シロを、人を殺すのを、多くの人達が死ぬかもしれない切欠が、僥倖なわけないじゃない」

何をどう取り繕うとも、人を殺すのを許容出来る筈がない。人を殺すのを切欠となったのを許せるわけがない。自分で自分が憎い程に、自分ではどうしようもない怒りとやるせなさが支配する。

「貴方達にとって人が死ぬのは普通かもしれないけど、そんなのは間違ってる。無意味に人が死んでいくなんて馬鹿げてる」

それは普通の人間の感覚であり、そしてそれは、ナイフ使いには新鮮であり、懐かしさでもあり、戒めでもあった。

一瞬、脳裏に一人の女性の姿が過った。

自分が母親と呼んだ、あの。

「下らない」

ナイフ使いは切り捨てた。

「お前に何か出来たのか?何一つでも、やれることがあったのか?」

「それは……」

何も無かった。

普通に生きてきて、普通に暮らして、普通にここまできて。

いきなり誘拐されて、気付けばとんでもない切欠となっていて。

「お前が切欠になったのも事実だが、何もないのも事実だ。意思も人間性も何もない。物と変わらない。文字通り、ただの切欠だ」

そして、僥倖なのも、また事実。

「だから、感謝しよう、葉山恵」

感情の篭らない声でナイフ使いは告げた。

「これで世界は動く」

停滞した世界は動き、否応無く現実を直視する。

「世界が死ぬか」

あるいは。

「俺が、死ぬか」

少なくとも、人の死はまだ終わらない。

「そして、お前はこれから何かをすることもない」

「…………っ」

心も体も普通の人間と変わらない存在では何も出来ない。此処はそういう場所なのだから。

「何か出来ないかなど、自惚れた考えは持つなよ。大人しくしていろ。それがお前にとっても最善だ」

「……うん」

恵は素直に頷いた。自分が何か出来るなど、ナイフ使いの話を聞いた後では思いもしない。

唯一出来るとしたら、それは祈ることだろう。

表世界に、普通の生活に戻れるようにと。裏世界に関わらないようにと。それはつまり、裏世界の破壊とイコールの願いであり、根本的には。

「…………」

ナイフ使いの死を、祈るということなのだ。

 

 

 

シロ死亡。

その情報は今までのどの情報よりも早く、裏世界を駆け抜けた。シロの死亡はナイフ使いの二重人格を封じる手立てを無くしたということだ。過去の半覚醒も、シロがいたからこそ抑えられた。今、ナイフ使いが二重人格を目覚めさせてしまえば、誰も抑えることはできない。

「どれ程強くても人間だ。殺しようはある」

そういった意見もあるが、実際問題としてどう対処すべきか具体案は出ていない。

一般人の神化人間の殺し方だけで言えば、彼らの持つ武器を使うか、爆発物が有効である。前者は、武器を得た所で当てられなければ無意味だ。解析不明な素材で作られたそれらは、模倣すら不可能だった。後者の爆破は単体では役に立たないが、包囲攻撃などで逃げ道を塞げば確実にダメージを与えられる。それでも確実な殺傷能力は無い為、時間を要することになるのは必須だ。しかし、二重人格は鎌鼬を面で放つことが出来る。それは即ち、真空の壁を作ることが出来るとイコールだ。つまり、爆発物も確実とは言えないし、他の武器も同様であろう。オマケに、彼は空を駆けることが出来る。通常よりも遥かに殺し難い。

初めは眉唾と言われたと言われていた二重人格の真空も、神殺しと神の眼の情報で確実の物となった。初めは息巻いていた者達も、それにより口を閉口してしまった。

シロの死後、裏政府は内部で神殺しを管轄内に入れてしまった当時の警備体制と責任の所在で揉めていた。

「何でこんな無駄なことしてるんだろうな」

内輪揉めでギスギスしている裏政府の中、赤い銃は辟易としながら言った。

渦中のナイフ使いは淡々と答える。

「体裁とやり場のない怒りの矛先。後はポーズだな」

「ポーズ?」

「自分達は何もしていないわけではない。ちゃんとやる事をしている。そんな偽りを形作っているだけだ」

ナイフ使い本人に言われてしまえば世話がない。

また、裏政府はナイフ使い殺害の協力を求めてきた裏組織をも跳ねつけていた。内容はどれも似ていて、主に協力体制を築く事と、神化人間を主力とした対ナイフ使い部隊を組む事だった。

「お前らは協力しないのか?」

「する気はないわ」

赤い銃と光の槍にとってはとっくの昔に決めたことである。他の神化人間も同じだろう。だが、裏政府は神化人間達に考慮してこの決断を行なっわたわけではない。

「大方、俺を殺した後の事を考えているんだろうな」

仮にナイフ使いの殺害が成功すれば、裏組織には神化人間が3人、裏政府の神化人間は2人になる。オマケに失うのは神の欠片であるナイフ使いだ。それは裏政府の戦力の激減を意味する。ナイフ使いの殺害をするにしても、裏政府が主体となり、アドバンテージを持たなければ今後崩壊する危険が孕んでいた。お互いが平等な関係では、どう足掻いても裏組織側に傾くのは目に見えている。前までは金次第で神殺しを使えたが、今ではもう不可能だろう。鉄の鎖を使うにしても、金を積み上げる鼬鼠ごっこに成りかねない。

「殺すのが難しいのに、殺す前から殺した後の心配してどうするんだか」

「人間社会とはそういうものだ」

「はっ、お前の台詞じゃねえけど、実に下らねぇわ。先を見据えるとか言えば聞こえは良いが、その先があるのかさえ分からないのによ」

「先を見て、その先が地獄になっても仕方あるまい。裏政府を擁護する気はないが、お前はもう少し先を見ろ」

「先があるとでも?」

「お前らが生き残ればあるだろ」

言外に俺を殺せと言うナイフ使いに、赤い銃は溜息を吐いた。

「どれだけ僅かな希望だよ」

「希望が見えるだけマシだろう」

「…………」

別に意図しての発言ではないだろうが、ナイフ使いの人生に希望はなかったと言っているよう聞こえた。

「ねえ、ナイフ使い」

光の槍がナイフ使いに呼び掛ける。

「本当に、シロは死んだの?」

「ああ」

神化人間が幾ら頑丈であろうとも、心臓を刺されて生きてるわけがない。

「脈拍がないのは、確認済みだ」

「死体は?」

「独断で処理した。これ以上、神化人間を作られるのも、似たような物を出されたくもないからな」

神化人間の死体となれば、裏政府や裏組織関係なく、興味を引く資料である。格好の餌食になるのは目に見えていた。だから、処理をした。

血液も全て回収し、死体を無くし、シロの痕跡を消すかのように処理をした。

そこに、感情を挟む余地はない。

「今頃、水圧で潰されて魚の餌か、深海の底だろう」

「……そう」

少し口籠る光の槍。

何も思わなかったのかと聞くのは愚問だった。何かを思い、感じていれば、ナイフ使いはナイフ使いとしてここに存在しない。

殺され続けた心は、最も近しかった者を失ったことでは、最早動きはしなかった。

「お咎めはあったか?」

「形だけは。必要な処置ではあったし、今更俺をどうこうもないだろ」

既に裏政府とナイフ使いの、殺し殺されの関係は始まっているのだから。

「……取り敢えず、これで失礼する」

「ああ」

立ち去るナイフ使いの背中を、赤い銃は手を挙げて返事した。遠ざかるナイフ使いの背中をじっと見ながら、光の槍が小さな声で呟いた。

「……どこに行くのかしら?」

「ん、そりゃあ……」

答え掛けて、気付いた。

気付いて、何も言えなくなってしまった。

ナイフ使いは歩いた。

歩いて、歩いて、ドアの前で足を止める。ノックをしようとした所で、その手を止めた。

「…………」

その部屋は、シロの部屋だった。

時刻は夕方昼過ぎを指している。いつもの、シロとの散歩の時間だった。

「……習慣か」

神化人間にも習慣付けは適応されるのかと、自虐的のようにポツリと零した。

行き場を無くした手がダラリと下がる。

暫くドアの前に居ても中から物音は聞こえなかった。当たり前だ。もう、この部屋の中には誰もいないのだから。

ナイフ使いは静かにドアを開けた。

『ビャク』

一瞬、記憶と現実が混ざる。

笑顔でこちらに振り向くシロがいて、瞬きの間に幻想は消えた。

部屋の中には何もなかった。

ベッドも本棚も机も、何もかも撤去された後だった。誰も、何も、残ってはいない。

『ビャク』

ナイフ使いは中へと入り、後手でドアを閉めて、そのまま腰を下ろす。

シロの死体があった場所を眺めた。無感情に、ただ眺めていた。

『笑って』

腕の中へ顔を埋め、目を瞑る。

「下らない」

小さく呟いた言葉。

力無く、木霊することもなく、無機質な部屋の中へと消えた。


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