Knife Master《完結》   作:ひわたり

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存在

闇に飲み込まれた街を、漆黒の影が跳ぶ。

神殺しは手元のレーダーを見る。小さな点が黄色く点灯して、動かずに一定の位置にあった。これは凪の発信器の反応だ。あのまま、凪に発信器を持たせたままだったのだ。これが幸を生んだ。今の神殺しでは気配は察知出来ないので、これだけが頼りだった。

神殺しは前を見据え、再び跳躍した。

都心から離れた一つのビル。中途半端に造られたまま、一向に完成の兆しを見せない。建設途中に資金が底を尽き、完成されなくなった残骸だ。

神殺しはビルの前に降り立ち、ゆっくりと見据える。月夜に光る双剣を手に、敵地へと歩を進めた。

内部は酷い有り様だった。一階部分は完成されていたはずだが、今では見る影も無い。塗装は剥がれ落ち、コンクリートはあちらこちらで欠け落ちている。無事な窓硝子は存在しない。全て平等と言わんばかりに、全部叩き割られていた。壁はスプレーで落書きされていて、廊下の端から端まで埋め尽くされている。書いた本人にしか理解できないアートやら文字やらが描かれていて、犇めき合っている。そのカラフルで派手な色合いに対し、空気だけはひどく陰湿で冷たかった。

神殺しは廊下を歩く。彼の足音だけが響き渡った。しばらくの間、コンクリートと靴の底が擦り合う音だけが聞こえていた。

「…………」

ある部屋に神殺しは入る。煙草の吸い殻や空き缶、空になったプラスチックの容器などが転がっている。神殺しは中央までくると、足を止めた。双剣を引き抜き、床を斬り取った。支えを失った分厚い床が落ちる。その穴へと体を滑り込ませた。

邪魔な下の地面とコンクリートを幾度も切り裂いていく。

そうして、唐突に光のある空間へと落ちた。

「うわぁ!」

神殺しが降り立つと同時に、誰かの悲鳴が上がった。

視線を走らせれば、白衣を着た人間達が目に入った。あまり広くは無い空間。全体的に青白い部屋。コンクリートが落ちたせいか、書類と思われる紙が宙を舞っていて、辺りに散乱していた。鼻が消毒液のような匂いを嗅ぎ取る。暑くも寒くも無い、絶妙な温度だった。この部屋に居る人間は三人。全員が若い男だ。

神殺しは瞬時に地を蹴り、宙へと身を踊らす。一人に蹴りを後頭部へ食らわし、着地と同時に別の男にアッパーを打ち抜く。

「ひぃ!」

残った一人が慌てて銃を構えたが、双剣で銃を真っ二つに斬り裂かれた。

「へ?」

男が銃を見て間抜けな声を漏らす。神殺しはその男の胸倉を掴んで壁へ追いやった。

いくら神殺しが弱っているとはいえ、この程度の奴らでは適うわけがない。

「か、神殺し……」

男は改めて神殺しを確認し、初めて彼の正体を認知した。

「答えろ」

神殺しは背筋が凍るような、冷たい声で言った。

「彼女は、神川凪はどこだ」

男は顔を引きつらせ、震える声で答えた。

「ぼ、ボスが連れて行った」

「どこに」

「…………」

神殺しの手に圧力が加わる。

「ひっ!だ、第七研究室の実験場!」

答えを聞けば、この男に用はない。

神殺しは胸倉を掴んだまま手を引き、男を地面へと叩きつけた。昏倒した男から手を離し、ドアを開けて部屋から出て行った。

……ここが神殺しに凪の誘拐を命じ、凪を連れ去った組織。

廊下に出ても気温や匂いは変わらない。本当に同じビル内かと疑うくらい、綺麗で清潔な場所だ。それでも、内部の人間の心まで綺麗とは限らない。

神殺しは跳ぶ。出来るだけ速く。凪の時間を、出来るだけ長くする為に。

「くそっ……」

今の自分の力がもどかしかった。力が無いことがこんなにも苦しいことだとは思わなかった。

廊下で人間とすれ違うが、神殺しはその度に一瞬で相手を気絶させていった。神殺しはドアが近付くとプレートを確認する。目的の部屋でないと分かると、止まらずに進んだ。神殺しは走りながら思う。

何故、自分はこんなにも一生懸命なのかと。自分は凪をどうしたいのか。自分は凪に何を求めているのか。自分は凪をどう思っているのか。同情なのか、感傷なのか、気まぐれなのか。

それとも……。

定まらない心のまま、神殺しは辿り着いた。目の前にあるのは一枚のドア。プレートには第七研究室と掘られていた。

神殺しのノックも無しにドアを蹴り飛ばした。ドアは均等に割れて吹き飛び、蝶番も弾き飛ばしながら部屋を転がった。ドアに巻き込まれて机が倒れ、機材が壊れる。無惨な惨状となった第七研究室には、誰もいなかった。

神殺しが目を据える。研究室の奥、別の扉があった。それは頑丈な扉で、ちょっとやそっとでは壊れそうにはない。ドアの横にはカードキー式のロックがあり、誘いか罠か、カードが刺さったままだった。

「…………」

神殺しはその扉まで進み、躊躇いもなくカードを押し込んだ。短く高い電子音が鳴り、ランプの色が赤から緑へと変わる。扉に軽く手を触れると、扉は即座に横へと滑り流れ、その進路を明け渡した。

神殺しが中へ一歩踏み入れると、扉は同じような早さで閉まる。再び電子音が鳴り、扉をロックしたことを伝えた。

『彼女を連れ去ってからそう時間は経っていないが……。なかなかの行動力だ、神殺し』

声が部屋に響いた。神殺しは周辺を見るが、声の主は見えない。

部屋はかなりの広さがある。縦、横、高さ、どれも大きい。そして、何も物が無い。真っ白な空間だけが広がり、再奥に小さなドアが見えるだけ。そのせいで、広い空間がより広いような錯覚を受けた。

「凪を返せ」

神殺しは誰もいない空間に向かって言った。

「おとなしく返せば、痛い目を見ずに済むぞ」

『くく……っ。神殺しよ、それは強がりというものではないか?』

神殺しの遙か前方。ドアの目の前の床が大きく口を開けた。一定の機械音と共に何かがせり上がってくる。巨大な影が神殺しの前に姿を見せた。そしてそれは、肉声の老人の声を発した。

「お初にお目にかかる。我が実験場へようこそ」

「……お前が頭か」

それは老人だったもの。体は通常の人間より五倍ほど大きい。張り裂けそうな筋肉と、絡み付いているチューブ。体のほとんどが機械と融合し、騒音を立てている。左右の手は鋭い爪と化し、腕には銃器と思われる類の物が装着されている。両足も同じように同じ尖り、一歩、歩く度に床が傷付いた。顔も機械とほぼ同化していた。

……なんて、醜い。

神殺しはあまり見たくはないと言うように目を細めた。

「話が実験に付き合ってもらおうか」

「仕事を依頼するなら報酬を提示しろよ」

神殺しは双剣を構え直した。

「貴様の命とかな」

老人がいきなり銃器を放つ。神殺しは瞬時に反応するが、やはり肉体の反応が悪い。双剣を使い、弾丸の軌道を逸らす。目的通り、弾丸は全く見当違いな方向へと流れていったが、ギリギリなのは自分でも分かっていた。

「くくく……。体が思ったように動かないんじゃないか?」

「…………」

老人の顔、機械が愉快そうに歪む。神殺しはそれを眺めながら、ぼそりと言った。

「何が言いたい」

「それは神川凪によるものだと知ったら、君はどう思うだろうね?」

「…………」

知っている。それは既にナイフ使いから聞いたことだ。

「おや、知っていたのかい?それとも予想がついてた?まあ、どっちでもいいか。どう思うね、裏切られたような気分かい?」

「凪の……」

思ったよりも掠れた声が出て、言い直す。

「凪の何が問題だ」

「それは言えんよ。彼女の何が、他人の何に影響を与えるか。そこはトップシークレットだ」

老人の笑みが深まった。

「……しかし、流石は神化人間と言うべきか。お前は死には至っていない。しかし、そこまで弱くなるとはなぁ」

「…………」

神殺しは無表情に近い表情で黙り込んだ。何を思い、何を感じているのか。

「そして……お前が来るまでの時間。私には充分過ぎる時間だった。既に私の研究は完成した」

老人は自分を指差した。

「私は今、神川凪の体と同じ……いや、それ以上だ。範囲も濃度も比べ物にならない。早く私を倒さねば、お前は衰弱していく一方だぞ」

「……凪は無事なのか?」

神殺しはお構い無しに尋ねた。

「奥の、あのドアに居る。確かめたいのなら私を倒してみろ」

「闘う必要性を感じないが」

「私には必要だ」

老人は笑う。癪に障る笑い方だ。

「神殺し。神化人間であるお前を殺して、私の研究を一気に世界に知らしめる為にな」

神殺しはゆっくりと双剣を構え、ナイフ使いの台詞を借りた。

「下らん」

低く跳躍。拳が迫り来る前に横飛ぶ。追撃の蹴りを回避し、股下を潜り抜け、そのままドアへと向かう。

「甘いわ!」

「!」

神殺しの体が急停止した。何かが足に絡み付いて、引っ張られている。それに投げ飛ばされる途中に正体を見極める。老人の背中が展開し、中から電線のような細い物が伸びていた。

壁にぶつかる直前に反転し、垂直に着地。

敵の情報を瞬時に理解する。体の反応は鈍くて手一杯だが、頭では余裕が有り余っている。

敵の背中のコードが展開。先端を尖らせて迫ってくる。神殺しが跳び、伸びてきたコードに足を付け、再び跳ぶ。移動と跳躍を一瞬一瞬に行う。コードが地面や壁を抉るが、紙一重でかわして行く。コードが向きを変える。背後から迫るそれを避け、双剣で受け流す。火花が散る中、身を泳がせて回避した。

「真面目に闘おうとは思わんのか?」

老人は呆れたように言った。その様子から余裕が見て取れた。

「オレは凪と脱出できればそれでいい」

神殺しの息も切れてはいない。元より、この程度で疲れるようなスタミナでは無い。

「随分と彼女に固執するな」

「ああ。正直、自分でも意外だ」

神殺しは長く、長く息を吐く。

「分からないんだがな。何で自分がこんなに頑張ってんのかな」

「くく……。神化人間も人の心理までは完全に理解できないか」

神殺しは手の中の双剣をくるりと回し、鋭い相貌で老人の体を改めて見た。

「なぁ、一つ訊いていいか?」

「答えられることならばな」

「凪は体質によって近くに居る人を死なすと言ったが、本人は平気なのか?」

「ある程度はな。だが完全ではない。だからこそ、彼女はもうすぐ死ぬ」

成程と理解した。

ナイフ使いの寿命の話は本当であり、そしてそれは、彼女自身によるものだった。

つまり、どう足掻いても、凪は死ぬ。

……そうか。

「…………」

もう、手遅れなのか。

「……そうか。つまり、あんたは凪の体質を強化して身に付けただけでなく、それに適応する体も手にしたわけだ」

「そういうことだ」

瞬間、コードが一点集中に神殺しに向かった。屈んで避け、本体へ走行。途中で双剣をコードに振るう。コードは生き物のようにうねり、それを回避。その勢いを利用して跳び蹴りを放つが、手で止められた。予断なく腹に後ろ蹴りを放つ。直今度は直撃したが、効いた様子は無い。

老人が両拳を握り、神殺しに振り下ろす。神殺しは避け切れずに受け止める。衝撃で地面が陥没した。神殺しが片手で剣を振るう。

「…………!」

瞬時に神殺しから距離を取った老人は、自分の胸元を見た。僅かながらだが、太刀筋が刻まれていた。

「あんた、どうやって凪の事を知った」

神殺しが双剣を構え直して問う。

「凪は裏政府で厳重に隔離されていた筈だ」

老人が顔を上げた。まだその表情には余裕がある。

「簡単な事だ。ある奴に訊いただけの事さ。殺人要素で儲けられるにはどうしたらいいか、とな」

「ある奴?」

「居るだろう、一人。全てを知る奴が。そいつが知らない事は何も無い」

神殺しの頭に緑色の髪のサングラスを掛けた男が浮かび上がった。

「神の眼か……」

神の眼ならば知っていて当たり前だろう。むしろ、知らなかった方が驚いてしまう。

そして、彼は彼の仕事をしたまでだ。裏政府だろうが裏組織だろうが関係無い。情報を取り扱い、取引する。それだけが、情報屋としてやるべき事。彼を責める事など出来ない。情報屋として、彼の仕事は正しいものなのだから。

神殺しは一度、体の調子を確かめるように腕を伸ばし、突き刺すように突進。老人が銃撃で迎え撃つ。銃弾を全て双剣で受け流した。神殺しの剣が当たる直前、老人の拳が迫る。反射的に防御態勢をとり、殴り飛ばされた。宙で体勢を立て直した瞬間、こちらに走ってきた老人の拳が飛んでくる。

「!」

着地と同時にコードが一気に神殺しを囲み、絡み付いた。

「ぐっ!」

神殺しは身動きが取れなくなり、為す術もなく地面に叩きつけられた。その上に、更に老人が飛び乗ってきた。激しい衝撃に地面が罅割れる。神殺しは痛がることなく、顔を横にして老人を睨みつけた。睨まれ方は、楽しげに顔を歪めていた。

「くく……。これは成功だな。やはり私の予測は正しかった。これならば、神化人間が相手でも勝つことができる!」

老人は自らに自己陶酔しているが、神殺しは取り合わなかった。

「俺は……まだ終われない」

神殺しは双剣を強く握った。

「必ず、凪を連れて帰る……!」

「頑張るな。だがしかし、彼女を生かしておいた所で、世間は彼女を認めないぞ」

「何……」

見ると、老人は真剣な顔つきで言った。

「近くに居ただけで人を殺す存在を誰が受け入れる?皆遠ざかり、接しようとしない。誰しもが彼女の死を望むだろう。単なる虐めなんかとはワケが違う。神川凪が持つのは物理的な死と恐怖。生命期間が残り僅かでもそれは変わらない。存在するだけで脅威となっているのだから」

正論だ。

老人の言うことは正しい。凪が存在するだけで人々は死の恐怖へと駆り立てられ、彼女から離れていく。毒を持つ生物なんかと同じだ。自己防衛反応が働いて、自らの不安を拭うために距離を置いたり、殺したりする。死を齎すのが同じ種ならば、その感情は複雑となろう。

別に、近くに居なければ生きていればいいと思う者もいるかもしれない。しかしそれは、凪の近くには誰も居なければいいと言っているのと同じ。凪を人間として扱っていないのと同じ事だ。

同じ種であるが為に、彼女の生を望み、死を望む。

寧ろ、ここまで誰も死んでいないのが奇跡に近い。凪があちらこちらに動き回り続けた結果が幸運を招いた。もしかしたら、彼女は分が誰かを死なしてしまう事を分かっていたのかもしれない。だから、彼女は歩き続けたし、誰も死ななかった。

生きていてはいけない存在。

それが、神川凪。

『生きるのを諦めている』

このまえのナイフ使いの言葉が蘇る。

ナイフ使いだから、そのことに気づいていた。

同じく、生きていてはいけない存在だからこそ、彼女の異常性を感知できた。

仮にどれだけ生を願おうとも、死ななければいけない。

必要のない、生命。

「受け入れられないなら……」

そんなものを、俺は。

「俺が受け入れてやる」

老人は少し意外そうに眉を寄せた。

「お前がそこまで彼女にご熱心とは知らなかった」

老人の右手が、ゆっくりと上がる。拳が握られた。

「だが、ここで終わりだ」

老人の拳が、無慈悲に振り下ろされた。

 


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