生面
シロの誘拐事件から数年の月日が経った。
変わらず裏政府と裏組織の小競り合いが続くものの、神化人間の数が減ることもなく、世界は依然として停滞していた。動きが無い分、寧ろ表世界まで徐々に治安が悪くなる傾向が見られるようになる。
世界は動きを見せず、ただ拡大と侵食の一方を見せ始めていた。
「神殺し。依頼を頼みたい」
神殺しの下に裏組織から一つの依頼が降りてくる。
内容は裏政府管轄の組織から、1人の少女を攫ってくること。
丁重かつ迅速に攫ってこいとのことだった。
誘拐自体は珍しくも何とも無いが、神殺しは裏組織が使える最高戦力である。1人の少女に自分を使うことに違和感を感じる神殺しだったが、一先ずは気にしないことにした。
部屋に一人の少女が居た。
平均よりは低めの身長。腰まで長い黒髪は真っ直ぐにストンと落ちている。短めのスカートからは健康的な素足が伸びていた。スレンダーな体つきが彼女の女性らしさを表す。
部屋には異常なまでの本の山がいくつも積み重なり、テレビやベッドも侵食されつつある。
電気を消した暗い部屋の中で、少女は窓際に椅子に座って夜景を見ていた。その表情には何の感情も浮かんではいない。それは眺めてすらいない。ただ、風景を視界に入れているだけのようである。
そこにノックの音が響く。
「どうぞ」
少女は鈴の音のような声で、ほぼ投げやりに答えた。扉が開くと、スーツを着た若い男が姿を現す。
「……こ……ここです」
男の意味不明な言葉に、少女は形の良い眉を寄せ、視線だけを男に向ける。
「ご苦労さん」
すると、男の背後から別の声が聞こえた。少女が驚くと共に、男が呻き声を上げる。男は倒れて動かなくなり、後ろにいた声の主が姿を見せる。
黒いコートを羽織った神殺しが、そこにいた。
「こんばんは」
神殺しが少女へ挨拶した。
「あんたが神川凪か?」
少女は彼の登場に驚き、直ぐに不機嫌そうな顔つきに戻る。
「違うって言ったら信じるの?」
その表情と強い語調から、気が強そうだと神殺しは思った。
「いや、信じない」
「なら、聞かないで。時間の無駄でしょ」
そう言って、神川凪という名の少女は視線を外した。
「何しに来たの?どこかの誰かさん」
ツレない態度ではあるが、神殺しの正体と目的だけは気になるようだ。
「俺の名は神殺し」
「神……?」
「神殺し」
「偽名?」
む、と神殺しは僅かに眉を寄せる。
裏世界で神殺しの名を知らぬ者などいない。故に、凪の反応は不自然に思えた。
「偽名じゃない。俺の名だ」
「変わってるわね」
「神化人間だからな」
凪は首を傾げて、神殺しを真っ直ぐに見つめる。
「神化人間?何、それ?」
「は?」
その問いに神殺しは驚いた。
神殺しだけでなく、神化人間を知らない。それは、裏世界において異常である。
……なんだ、こいつは。もしかして表世界から迷い込んだ人間か?
「知らないのか?お前だって裏世界の住民だろうが」
試しにそう問いかけて見るが、凪は変わらず首を傾げるばかりだった。
「裏世界?……悪いけど、貴方の言うことはよく分からないわ」
「……そうか」
どうも本心からの言葉のようだ。
仮に表世界から紛れ込んだ人間だとしよう。しかし、ならばこの少女の何に価値があるというのか。自分を使ったことと言い、この少女と言い、どうも奇妙である。
「で、貴方は何しに来たの?」
「ああ、あんたを攫いに来た」
神殺しは、台詞だけ聞くとロマンチックに聞こえるな、と思いつつ言った。
「へ?私を?」
「ああ」
神殺しは悠長に構えながらも、どうするか考えていた。丁重に扱えと言われたが、どうも気の強そうな少女だ。この性格からして大人しく従うことは無いだろう。むしろ抵抗してくるかもしれない。
「……ということは、ここから出られるということね」
凪はぼそりと独り言を呟き、勢いよく立ち上がった。
「よし、行くわよ」
「は?」
予想外の反応に間抜けな声を出す。
凪はズンズンと歩き、神殺しを追い越して先に部屋を出た。
「何してるの?早くして」
「ああ……」
罠かとも一瞬思ったが、彼女を見る限り計算とか裏を読むとかいうは皆無のように思えた。おそらく、これが素だろう。
「貴方はここに侵入してるのよね?」
凪はスタスタと先に進んでいく。
「そうだが、ちょっと待て」
神殺しは凪の腕を掴んで引き留めた。
「何?」
「俺が先導する。あんたが付いて来い」
「……分かったわ」
凪は以外にも素直に頷いた。
「しっかりエスコートしなさいよ、神殺し」
どうも偉そうである。
神殺しはいちいち反応するのも億劫になり、手を離して進んでいく。
「……侵入している割には、かなり堂々としてるわね」
「まあな」
瞬間、神殺しに何かが衝突した。
凪は衝撃音に驚き、身を固まらせる。神殺しはいつもと変わらぬ様子で、寸前で受け止めたボウガンの矢を手で弄ぶ。
「え?」
何が起きたか理解出来ていない凪を無視し、矢を手の中で反転させる。振りかぶり、廊下の向こうに放った。それは通常の弓で放つよりも速く飛び、廊下の向こう側に消えた。微かに、何かが壊れるような音が聞こえた。
「今のは何?」
「罠だ。そろそろ動き始めるかと思っていた」
神殺しが言い終わらない内に警報が鳴り響く。ほぼ同時に、廊下の両側にシャッターが下りた。二人は細い廊下に閉じ込められる形となる。そこへ追い討ちを掛けるように天井の穴から煙が吹き出してきた。
「これが罠?なかなか巧妙ね」
「よく落ち着いていられるな」
普通なら取り乱してしまいそうな状況なのに、凪は寧ろ楽しそうに言う。
「貴方が何とかしてくれるでしょ?」
「他人任せか」
「いいから、さっさとしなさい」
凪の命令口調に、神殺しは大袈裟に肩を竦めた。
「はいよ、お姫様」
神殺しは双剣を懐から取り出し、衝撃波で四方を斬り裂いた。一瞬後、シャッターと天井が吹き飛ぶ。神殺しを中心に吹き抜けた空間が出来上がり、周りの壁は全て瓦礫と化す。
一瞬で作られた惨状に、凪は呆けることしかできなかった。
「行くか」
神殺しは言うや否や、凪の腰に手を回した。
「ちょっ!何すんのよ!」
凪はポカポカと神殺しを叩くが、ダメージを与えられている様子は全くない。
「馬鹿!エッチ!変態!その手を離しなさい!」
「少しぐらい我慢しろ」
神殺しはそのまま跳躍し、開いた天井の穴から上の階へと上がった。
「……っ!」
腕の中で凪が一瞬硬直するのが感じられた。着地すると同時に、凪が再び騒ぎ出す。
「跳ぶなら跳ぶって言いなさいよ!っていうか、何でこんな跳べるのよ⁉︎」
「何だ?ビビったか?」
「び……ビビるわけないでしょ!ただ心の準備が出来てなかっただけよ!貴方、本当に人間⁉︎」
「だから、神化人間だ」
神殺しがそう言った時、向こう側から数人の黒いスーツを着た男が走ってくるのが見えた。各々が銃を取り出し、ある程度まで近づいた所で神殺しに狙いを定める。
「ちょっ……!」
凪は銃を突きつけられることで焦りを覚えるが、神殺しは何の変化も見せなかった。
「やれやれ」
神殺しが呟くと同時に銃弾が吐き出される。
銃弾は全て神殺し達を避けた。
狙いがズレたことに、神殺し以外の全員が驚いた。
「あんたら、新人か?神化人間に銃が当たるとでも思ってんのか?神化人間を相手に銃を使うのなら、赤い銃の実力くらい手に入れろ」
神殺しは双剣を使い、銃弾の軌道を逸らしていた。言わずもがな、それは常人の目で追えるものではない。
「じゃあな」
神殺しの双剣は、人間達を無残に斬り裂いた。
人を殺す。
それは神殺しには当たり前で。
凪にとっては異常で。
そして、この出会いは必然だった。
数分後、遅れてやってきた裏政府の人々が来たが、そこは既に誰もいなかった。あるのは破壊された天井の瓦礫と、横たわっている死体だけだった。