それが移動すれば五人が死に。
それが動けば十人が死に。
一振りすれば三十人が死ぬ。
どれ程やめてと叫んでも、その声は誰にも届かない。
どれ程嘆いても止まることはない。
殺しは続く。
死が生み出されていく。
そして、僕は
施設から逃げられない。
その事実を突きつけられた時、残された者達が出来ることは、破壊神と戦う道だけだった。
そしてそれは、愚かな行為であることは誰しも分かり切っていた。
大広間。
天井も高く、広大な空間であるその場所は、今や阿鼻叫喚の海に呑まれていた。
破壊神が進む。
幽鬼のようにゆらりと動くこともあれば、気付けば既にそこにいない時もある。見えているのにつかみ取れない雲のような感覚を味わい、目が合えば既に殺されている状況が延々と続く。
1人の神化人間が破壊神に槍を刺す。
その槍は刺そうとした時点で細切れになっており、腕も同様に細々と切り分けられていた。その神化人間の首が一歩遅れて地に落ちた。
破壊神が衝撃波を放つ。
粉々になった神化人間の地の肉と骨が弾丸のように飛び交う。骨は肉体を突き刺し、血肉は視界を塞ぐ。死体すら、彼の武器となっていた。
破壊神が前面に剣を振り上げ、下ろす。
重力に従うに、前にいた人々が床と共にグチャリと押し潰された。
触れる事すらままならない。
ただ絶望の中で悲鳴だけが消えて行く。
「嫌だ!助け」
発言は悉く摘み取られ、懇願すら許されない。
死体の山が幾つも連なり、血の川を作り出す。
「…………」
数分もしない内に、声は無くなった。
腕もなく、床に仰向けに倒れていた1人の老人。多く残された白髪は血に染まり、深い皺には更に深い傷が刻まれている。
微かに動く胸が、まだ生きていると告げていた。
破壊神は、その老人に歩み寄った。
「ふふ……」
老人は笑った。
自身を見下ろす破壊神を見て笑う。
彼は白かった。
殺人を積み重ね、死を幾つも作り出そうとも、その姿が血に塗れることはない。どこまでも、ただ白く、そこにあり続ける。
能面のように、表情もなく、感情もなく、人形のような彼を、老人は笑う。
「……分かっていた」
これは、罰なのだ。
この言葉は、紡がれる事の無いまま、頭部と共に空を舞った。
「…………」
音が止む。
動く物は無い。死体の山が、唯の瓦礫の山のように積み重なる。血の海の中で、中央で1人の佇んでいた。
動かない。
何も、動かない。
「…………」
もぞりと、微かに山の一部が蠢いた。
バランスを崩した訳ではない。
一人の少女が、そこから這い出てきた。
破壊神が動く。
瞬間的な速度。
逃れることは不可避の攻撃。
その一閃。
そして、少女を見た。
その少女は白かった。
白い少女。
赤い瞳が、彼の姿を鏡の様に映し出していた。
血に汚れたその姿は、血に汚れない自分と相反していて。
それはまるで鏡のように。
自分と同じで、自分と違う。
同じ白。
そして、白い少年の刃は、白い少女を突き刺した。
鏡の白を突き刺した。
同じ人間を、刺した。
「あ……」
少女と目が合う。
彼女は
「…………」
笑った。
にこりと、何の憂いもなく、何の憤りもなく。
純粋に、静かに微笑み掛けた。
白い少女は受け入れた。
自らの意思を、殺しを、死を。
白い少年を、受け入れた。
少女はそのまま目を閉じて、血の海へと体を横たえた。
少女の血が、少年を赤く染めた。
「あ……」
無意識に声が出た。声を出す事が出来た。この体は僕の物となっていた。
自分を見たから。
鏡を刺したから、僕は僕へと戻れた。
視線を落とせば彼女がいる。
赤い瞳は閉じられ、力なく倒れている白い少女がいる。僕と似た白い姿が血に塗られていた。
僕がやった。
視線を上げる。血の海を見た。血の川を見た。死体の山を見た。幾つも幾つも積み重なった死体の山。それが幾つも幾つも幾つも幾つも存在する。
僕がやった。
僕がやった僕がやった僕がやった。
「あ」
殺しの意味を。
「ああ」
死の意味を。
「あああ」
お母さんと、同じように、僕が。
「あああああああ」
お母さんの死を受け入れられず。
僕が殺した事実を見られず。
だから二重人格が生まれて。
故に、これは、この惨状は僕の仕業に違いない。
「あああああああああ」
殺して殺して殺して、殺し尽くして。
死を。
無尽蔵に死を。
僕は、僕は僕は僕は。僕が。
今の自分がどうなっているのかさえ分からない。声が聞きこえる。この叫びは僕のものか。張り裂けそうな慟哭だけが響き渡る。誰にも聞こえない。誰にも届かない。ここには、ボクしかいないのだから。
ボクが、ボクが、ボクが。
もう一人の人格など言い訳にもならない。それは紛れもなくボク自身だから。その意思はボクに変わりないのだから。
だから、認めろ。
認知しろ。
受け入れろ。
これはお前がやったことだ。
お前が、殺した。
逃げる事など許されない。
故に狂う事も許されない。
狂ってしまえば楽になるだろう。
今ここで我を失えば幸せなのだろう。
故にそれは許されない。
でも、褒められたんだ。教えてくれたんだ。殺しの方法を教えてくれたんだ。人の解体を教えてくれた。簡単な殺し方を教えてくれた。苦しませる方法を教わった。殺さないやり方を教わった。上手い殺し方を、教わり続けた。
その結果がコレだ。
ぼくはどうすれば良かったんだ。
ぼくの何が悪かったんだ。
ぼくは、何を。
これが、殺し。
これが
「あ あ あ あ あ あ あ あ ! ! !」
死。
そして、ぼくの心が、壊れた。
私は目を覚ました。
呆然とする頭で、何があったのかと血が足りない頭で思考を巡らせた。思考を動かせることを驚くべきなのだと、途中で気が付いた。
「私、生きてる……」
思わず出た言葉は掠れていて、そして、無いと思っていた返答があった。
「ああ……。生きてるぞ」
顔を上げた先に居たのは、私を刺した男の子だった。
正確に言えば、私を刺した男の子とは、違うのかもしれない。
違うのは目の色だけで、無表情で、感情の無い声で、人形のような雰囲気でそこに佇んでいた。腰に差した双剣は、人の血など知らぬように綺麗に輝いている。白が印象的な彼は、その色は私に似ていて、瞳と私の返り血だけが赤に染まっていた。
私を刺した時と似ていて、それでも、何かが決定的に違っていた。
「何でこんなことしたの?」
「…………」
そこに答えは無かった。
それでも、私は良かった。
「あなたの、名前は?」
「……神の刃と呼ばれていた」
だけど、神の刃は死んだと、彼は答えた。
殺しの意味も死の意味も知らなかった、無知な子供はもういないと。
「もう、今は何者でもない」
敢えて言うなら、神の刃だった者。
それが、この男の子だ。
「なら、名前、付けなきゃね」
私は笑う。彼は笑わない。
白い男の子。
白が印象的な彼に、私は、一つの名前を与えた。
何もない彼に、空っぽの彼に、一つの物を与えた。
「白……ビャクって、呼んでいい?」
ビャク。
私が与えた名前に、彼は、ビャクは特別な反応もなく、ただ頷いた。
「好きにしろ。お前の名は何だ」
「神の盾……。でも、もう私も何者でもない」
何故なら、もうこの体はマトモに動かないから。下半身の感覚はまるでなく、何も感じない。
何より、これから先、どうなるのかまるで分からない。少なくとも、私はここでの生活とは全く違うことになるのだろう。だから、私ももう、神の盾ではいられない。いてはならない。
もう、私は自分を捨てなければならない。
「……名がないのは、不便だ」
僅かに目を伏せた彼は、ポツリと言葉を落とした。
「白……シロと呼ばせてもらおう」
シロ。
それが、その名前が、彼が他人に初めて上げたものだった。
「うん、ありがとう」
多くの死体の山に囲まれ、血の海の中心に、2人はいる。
死者に囲まれた死の世界で、白い二人の生者がそこにいる。
二人しか、いなかった。