Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第九十七話 Narcotic

 ガデルは、ごく典型的な傭兵だった。

 

 つまりは金大事、命大事で、雇い主に対する忠誠心はビスケットのように薄いというタイプである。

 先日まではアルビオンで王党派に雇われていたが、もはや彼らに勝ち目がないと悟るとあっさり見捨てて逃走を決め込んだ。

 それでも革命軍側に寝返らないだけ、彼なりに雇い主への礼は尽くしたつもりだった。

 手遅れになる前にラ・ロシェールまで運んでくれる船がつかまえられたのは、まったく運が良かったといえるだろう。

 そのおかげで、こうして無事に命が助かったわけである。

 

 しかし、ガデルはアルビオンでの戦いで左肩に負傷を負っていた。

 追い詰められた王党派には平民の傭兵などに手厚い治療を施せる余裕があるはずもなく、魔法を用いない気休め程度の応急手当しか受けられなかった。

 幸い不具になるほどの傷ではなかったようだが、なかなか完治せずに今でもまだずきずきと鈍く痛んでいる。

 一応は自腹を切ってメイジに治療を頼もうともしてみたが、戦時ゆえに腕のいいメイジは軒並み戦場へかり出されてしまっており、まだ未熟なメイジが乏しい薬を用いて行う治療には気休め程度の効果しかなかった。

 割に合わないので、結局は自然治癒に任せるしかないと諦めたのである。

 

 ラ・ロシェールへ逃れた後、ガデルは肩の痛みを紛らわすために連日酒場に入り浸り、素面に戻った後は主として戦場での死体剥ぎで得た手持ちの金の残りを数えては将来に不安を覚え、その憂さを忘れるためにますます酒量が増える、という悪循環に陥っていた。

 要するに、一介の傭兵の末路としてはごくごくありがちなルートを順当に辿りつつあったわけである。

 

 だがそんなある日、ガデルの運命を大きく変える出来事が起こった。

 

 同じ傭兵仲間のボックという男が、『痛みによく効くから一度試してみろ』と言って青みがかった妙な薬を勧めてきたのだ。

 ただで一服くれたので、胡散臭いとは思いながらも試してみると、これが本当によく効いた。

 薬が効いている間の何時間かだけだったが、頻繁に疼いていた肩の痛みが嘘のように無くなって、久し振りに穏やかで幸せな気分で眠ることができたのである。

 それからは、ボックに代金を支払って定期的に薬を調達してもらうようになった。

 彼はその薬のことをアルビオンの革命軍から手に入れた“天使のミルク”だとかなんとか言っていたが、ガデルとしてはそれが実際によく効くということだけが大事だった。

 薬の代金はメイジに治療を頼む際に必要になる水の秘薬と比べればそれほど高くもなく、傷が完治して痛みが引くまでの間使い続けても問題はあるまいと、最初のうちはそう思っていた。

 

 しかし、しばらく経ってからどうも雲行きが怪しくなってきたことに気が付いた。

 

 この薬は痛みを抑えてよい気分にしてはくれるが、傷の治りを早めてくれるようなものではない上に副作用が強いらしいのだ。

 薬が効いている時はいいのだが、効果が切れると肩の痛みは尚更酷くなるし、頭はぼうっとするし、しまいには体が衰えてきているのか唇が青みがかってきた。

 おまけに、これ以上使わない方がいいかも知れないとは思いながらも効果が切れた時の疼くような体の痛みに耐えかねて、むしろ日を追うごとに使用する頻度が増えつつあった。

 

 ボックもこちらのそんな弱みに気が付いているのか、仕入れ先が値上げをしただの品薄になってきているだのと理由をつけては、じわじわと要求する額を増やしてきていた。

 このままいけば、いつまでもずるずると使い続けているうちに手持ちの金が底をついてしまいかねないような状況だった。

 

 そんな時、久し振りに仕事の口が舞い込んできた。

 そうする理由は話してもらえなかったが、ラ・ロシェールへ向かってくる学生メイジの一団を待ち伏せて奇襲しろという依頼内容だった。

 雇い主は白い仮面で顔を隠した胡散臭いメイジだったが支払いの方は気前がよく、報酬の半分以上を前金でポンと渡してくれた。

 自分以外にも何人もの傭兵が同時に雇われており、相手がメイジとはいえまだ子供ばかりでこちらがこれだけの人数で奇襲を仕掛けられるのであれば、さほど難しい仕事ではないだろうと思えた。

 子供を理由も知らずに殺すのは気分がいいとは言えないが、元よりこちらは利益第一の傭兵生活であり、金のためならば是非もない。

 

(まとまった金が入れば、当面は薬の代金の心配をしなくて済むってもんだ)

 

 いや、それよりもこの機会にどうにかして腕のいいメイジを探し、稼いだ金を積んで傷をきれいさっぱり治してもらおう。

 そうすれば、ボックに毎日薬代を搾り取られながら体を衰えさせていく日々ともおさらばだ。

 そのように考えたガデルは、傷の痛みを薬で抑えて仕事に臨み、他の傭兵たちと共にラ・ロシェールの近郊で待ち伏せをしたのである。

 

 しかし世の中はそう甘くはなかったようで、ターゲットに指定された学生メイジの一団は想定していたよりも遥かに強かった。

 おそらくは、アルビオンの戦場でガデルが出会ったどの敵部隊よりも上だっただろう。

 あっさりと待ち伏せを見抜かれて逆に先制攻撃をかけられてしまい、まともに反撃する暇もなく全員叩き伏せられるという憂き目にあったのである。

 情けないことではあるが、あまりにもあっけなくやられてしまったために相手の側にはこちらを殺さずに捕縛する余裕があったのが、せめてもの救いだった。

 

 最初に先制攻撃をかけてきた奇妙な子供らしき亜人に襲撃の理由について尋ねられたガデルらは、頑張って黙秘しようとするでもなくすぐに依頼の件について白状した。

 所詮は金だけの関係であるし、むしろこんな手強い相手だなどと伝えてもくれなかった雇い主を張り倒して恨み言のひとつもいってやりたい気分だった彼らとしては、無理をして忠義を尽くす必要性も感じなかったのである。

 

 その後は、ありがたいことに簡単な怪我の手当てだけはしてもらえて、衛視の詰所へ連行となった。

 反抗的な態度さえ取らなければ、おそらくは数日の禁固程度で済ませてもらえるだろう。

 なにせこの街には現在アルビオンへ行き来する気性の荒い傭兵たちが沢山いるので、酒場での乱闘や刃傷沙汰などは日常茶飯事なのだ。

 ラ・ロシェールに駐留するごく少人数の衛視は街中の問題に対応するだけでも手一杯なのに、街の外で起きた騒ぎでわざわざ他所へ護送して裁判にかけ、正式な刑を執行するなどという面倒な手続きはまず取るまい……。

 ガデルとしては、とにかくそう期待するしかなかった。

 

 その晩は牢の中で粗末な毛布にくるまって横になったが、左肩の負傷に加えて先程の襲撃でメイジの炎を受けて火傷した右腕がずきずきと痛み、なかなか寝付けない。

 牢の中では薬も使えないし、まさか薬を取って来てくれなどと衛視に泣きつくわけにもいかず、我慢するより他になかった。

 そんな風にしていると、ネガティブな考えが次から次へと頭に浮かんでくるものである。

 

(……牢に入れられるのは数日で済むとしても、罰金くらいは取られるかもしれねえ……)

 

 そうなると、ただでさえ乏しくなってきている手持ちの金がまた減ってしまうことになるわけだ。

 金が尽きて薬が買えなくなり、その時に肩や腕の怪我もまだ治っていないとなったら、もう傭兵は廃業するしかない。

 仮にそうなったとして、これから先自分のような学もなく実績もない根無し草に、一体どんな仕事ができるだろうか。

 それどころか、考えにくいことではあるが、万が一このまま刑務所に送られでもしたら……。

 いや、こんな屑など刑務所へ送るのも面倒だからと、内密にすっぱりと死刑にされてしまうようなことだって考えられなくは……。

 

 そうして際限なく悲観的な考えに囚われていき、ガデルはこの晩、とても惨めな思いをして過ごした。

 その翌日になってまた自分の運命が大きく変わる出来事が起きようなどとは、この時の彼には想像もできなかった。

 

 

 

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 ワルドとの戦いが終わった少し後で、ディーキンは予定通り、キュルケに同行を頼んで街中へ情報収集に出かけることにした。

 こういった情報収集はもちろんバードの得意とするところだが彼女も色気などを使って男の口を軽くするのが巧いので、2人で協力すればより早く作業が進むだろうし見落としも防げるというわけだ。

 

 タバサは無口で聞き込み役に向いているとは言えそうもないので、その間ルイズらの傍に残って念のためワルドの動向や敵の襲撃などに警戒しておく役を務めてもらうことにした。

 同行したそうな様子を見せてはいたが、ルイズらが事情を知らない以上は備えのために残る者も必要なのでやむを得ない。

 退屈しないように『ウルルポット』や『スリードラゴン・アンティ』などの手持ちのゲーム類を渡して、よければみんなで遊んでいてくれと言い添えておいた。

 彼女はギャンブルやゲームの類が得手なようだから、まあきっとギーシュあたりからかっぱぐとかして楽しくやることだろう……。

 

 さておき、昨夜の襲撃を手配した者がどこで目を光らせているかもわからないので、念のために変装もしていくことにする。

 別に聞き込みをしているのを知られたからといってどうということもないといえばいえるのだが、要らぬちょっかいや詮索を受けたくはないのだ。

 キュルケはディーキンから借りた《変装帽子(ハット・オヴ・ディスガイズ)》を被って、踊り子めいた衣装を身にまとったメイジの女芸人に扮装した。

 豊かな肢体を持つ美しい若い女性なのは元と同じだが、オリーブ色の肌と黒髪で容貌が大きく変わっている。

 ディーキンは彼女の護衛役を務める使い魔ということにするために、《自己変身(オルター・セルフ)》の呪文を使って幼生体の火竜の姿に化けた。

 シルフィードよりはずっと小さいが、幼生体とはいえキュルケの本来の使い魔であるフレイムと大差ないくらいの大きさはある。

 

 ラ・ロシェールは小さな街だがアルビオンと下界とをつなぐ港町であるがゆえに酒場や旅籠、商店の類がたくさんあるし、旅人も常に大勢いる。

 変装をした2人は、とりあえずそれらの店のいくつかを順に回って情報を集めていくことにした……。

 

 

「まあ、これで大体めぼしい情報は集まったんじゃないかしら?」

 

「ンー、そうだね……」

 

 キュルケの問いかけに、ディーキンは何事か思案しながら曖昧に頷きを返した。

 

 数時間ばかりを情報収集に費やした2人は、人目のないところで元に戻ると、適当な飲食店の片隅で遅めの昼食をとっていた。

 そこらの酒場などは昼間から既に満員だったが、ここは女性向けの店であり食事時からずれていることもあって、客はほとんどいない。

 一息つくという意味でも、話の内容を聞かれる心配がないという意味でもありがたかった。

 

「……それにしても、戦争中じゃしょうがないでしょうけど柄の悪い街ね。アルコールと脂の匂いが体に染みつきそうだったわ!」

 

 キュルケは桃りんごのタルトをつつきながら、先程の聞き込みの様子を思い出してぶつぶつと文句を言った。

 

 平民向けの酒場や旅籠はどこもかしこも、野卑な傭兵たちかさもなければ失意のどん底といった風情の亡命者たちで満員。

 煙草の煙がもうもうと立ち込める中で真昼間から酒を浴びるように飲んで騒ぐか潰れるかしている客が、どの店にも決まって数人かそれ以上いるという始末だった。

 キュルケはそんな連中にも嫌な顔をすることなく愛想と色気を振りまいて上手くあしらいつつ望む情報を引き出していたが、だからといって不快感を感じなかったわけではない。

 うるさく騒ぐ男や欲望丸出しの下品な男にはそれなりに慣れているのだが、どうもこの街の連中には何か……説明はし難いのだがそういったありきたりな連中とはまた違う、奇妙に不愉快な感じを受けるところがあった。

 

 それは、あるいはただのごろつきと戦場の炎や死に慣れきった連中との違いというものなのだろうか、とキュルケはふと思った。

 自分も本物の戦場に身を置いた経験があるわけではないので、想像しかできないのだが……。

 

(そういえば、ディー君は戦争も経験したことがあるって言ってたわね)

 

 なんでもドロウというエルフの亜種族同士の戦いに、吸血鬼やその他の危険な種族も混ざり合った地下世界の戦争だったという。

 何万人という人間同士が戦うハルケギニアの戦争と比べると人数的な規模はずっと小さいのだろうが、エルフや吸血鬼と言えばハルケギニアでは最強・最悪と名高い亜人種である。

 雰囲気はだいぶ違うのだろうが、危険さという意味では決して引けを取らないのではあるまいか。

 

 なら、彼に聞いてみれば何か意見を述べてくれるかもしれない。

 そう思って、キュルケは自分の感じた不快感についてディーキンに話してみた。

 

「それは、ディーキンも感じたの。でもそれは、ただ戦争に行ったからとか、それだけとは違うと思うな」

 

「ふうん……。じゃあ、どうしてなのかしら?」

 

 何か心当たりがあるのかと問い掛けるキュルケに、ディーキンは小さく頷いた。

 

「うん。あの人たちの中には、お酒や煙草よりももっと悪いものの中毒になった人が混じってたの。他の人たちにも、たぶんいろいろ悪いことをしてる人が多いのかもしれない」

 

 自分たちが通常以上の不快感を感じたのは、つまりは戦時中の不安などから酒を飲んで騒いでいるというだけではないそう言った連中の放つ退廃的な気配をなんとなく肌で感じたからなのだろう。

 それを聞いて、キュルケは不審そうに眉をひそめた。

 

「もっと悪いもの……って、麻薬とか? どうしてわかったの。誰かがこっそり吸ってたのが見えた?」

 

 キュルケは質問しながら、自分でももう一度先程回った酒場や旅籠の様子を思い出してみた。

 

 自分はディーキンと一緒に簡単な芸をしたり、彼から借りた楽器を弾いたり、踊りをして見せたりしながら客たちや店主から話を聞いていたのだが、そのような所作をしている者には気付かなかった。

 もっとも、その間単なる使い魔だと思われているのを利用してとがめられる心配もなく店内の者たちの様子をじっくりと観察したり、内輪の話に耳を傾けたりしていたディーキンならば、自分の見落とした何かに気が付いていたとしてもおかしくはないだろう。

 

「イヤ、そうじゃないよ。お客さんの中に、唇の青い人が何人か混じってたでしょ?」

 

「え? ……ああ、そういえば……」

 

 言われてみると、確かに程度の差こそあれ唇が青く汚れたような色をしている客が何人もいたような気がする。

 その時は、単に健康を害しているのだろうくらいにしか思わなかった。

 そのような客の多くは昼間から酒をぐいぐいと飲んで騒いでいる連中の仲間だったし、そんな不健全な生活を続けていれば体が衰えて当然である。

 

「あれは、サニッシュの中毒になってる人の特徴なの。……もしかしたら、こっちの方では名前が違うのかも知れないけど」

 

 キュルケがきょとんとしているのを見て、ディーキンはその麻薬について簡単な説明をしていった。

 

 サニッシュは狼の乳から抽出した青みがかった液体と砂漠の植物を粉にしたものとから作られる麻薬で、フェイルーンの麻薬常習者たちの間では非常に人気がある。

 それというのも、この麻薬は服用することで数時間の間続く幸福感をもたらしてくれるために何度も繰り返し使用したくなり、しかも副作用として判断力が鈍る効果があるせいで中毒者はその危険性について深く考えることが難しくなるのだ。

 中毒者は使用を続けるうちにどんどんと判断力を蝕まれていき、やがては薬を買う金を得るためなどで犯罪に躊躇なく手を染めるようになって、社会の腐敗を招く。

 使うことによって数時間の間苦痛を感じなくなる効果もあるために、慢性的な体の痛みを抱えた者などに痛み止めと偽って処方して中毒者にしてしまうような悪質な例もあるという。

 よほど長期間にわたって常用し続けない限りは致命的なほど高い副作用が発生しないがゆえに、中毒者がずっと使用し続けて継続的に利益をもたらしてくれるということから売人にとっても好都合な代物である。

 この麻薬の常用者は唇が恒久的に青く汚れるために簡単に見分けがつくが、特に地位のある者の中には、紅を塗ったり変装用のマジックアイテムを用いたりしてその事実を隠そうとする者も多い……。

 

「……そんな感じの麻薬なんだけど、キュルケは知らない?」

 

 キュルケは少し考えて、首を振る。

 

「うーん、狼の乳から作る麻薬なんて聞いたこともないわねえ。水の秘薬から作るものや、植物や茸を栽培して作るものはあるけど……」

 

「フウン……」

 

 その返答を聞いて、ディーキンはじっと考え込んだ。

 

 キュルケは特に麻薬に詳しいわけではないだろうから、ただ単にこちらにも同じようなものはあるが彼女が知らなかったというだけの可能性もある。

 あるいは、自分もこっちのことにはあまり詳しくないのだから、一見するとサニッシュの中毒症状に似ているが別の何かによるものだということもあり得なくはない。

 

 しかし、もしもそうではないとしたら?

 

 あれがサニッシュの中毒症状に間違いなくて、しかもサニッシュの製法は本来この世界では知られていないものだったとしたら、それを持ちこんだのは自分と同じようにこの世界の外から来た何者かであるのかもしれない。

 そして現時点で自分の知る限りでは、長年に渡って神話や物語の中の存在でしかないと思われていたというデーモンやデヴィルなどの来訪者が最近になってこの世界に姿を見せ始めている。

 現に、オルレアン公シャルルが数年前にデヴィルをその手で召喚したという記録がラグドリアンの彼の館に残っていた。

 娘であるタバサには伝えにくいことだが、彼によって召喚されたデヴィルがそのままこの世界に留まり続けたのだとすれば、おそらくはそれがきっかけとなって……。

 

 だが、今問題なのは連中がこの世界にやってきたきっかけではない。

 大事なのはそいつらとこの街に流れている麻薬との間に関係があるのかどうか、さらに言えば自分たちがこれから向かうアルビオンの革命軍とも関係があるのかどうか、である。

 

 普通に考えれば、仮に麻薬をもたらしたのがデーモンやデヴィルだったとしても、そいつらが革命軍ともつながりがあるなどと考えるのはいささか発想が飛躍しているということになるだろう。

 しかしディーキンには、先程の聞き込みでもうひとつ気になっていたことがあった。

 

「……ねえキュルケ。さっき、アルビオンから逃げてきたって言う傭兵の人たちが、『革命軍には天使が味方してる』って言ってたよね?」

 

「え? ……ええ、そんなことも言ってたわね」

 

 唐突に違う話題を振られたことにキュルケは少々戸惑ったが、もちろんそのことは覚えている。

 

 一度は王族側に雇われたものの明らかに不利とみて逃走を決め込み、このラ・ロシェールまで逃れてきたという傭兵たちが酒場などにはずいぶんたくさんいた。

 それらの傭兵たちから話を聞いてみると、革命軍側には亜人や巨人の類ばかりでなく天使までもが味方していた、と証言する者が何人もいたのだ。

 

「もちろん、本物なんかじゃないでしょうけど……」

 

 自分自身が本物の天使をこの目で見ていることを考えると少々奇妙な感じはしたが、先日ディーキンが王女や枢機卿に対して説明していたように、天使が人間の戦争に手を貸すなどとは思えない。

 命のかかった戦場では真偽の怪しい噂話が飛び交うなど日常茶飯事だろうから、そういったものの一種だろうとキュルケは判断した。

 あるいは、革命軍が亜人の類を味方につけているという話からすると、翼人か何かをそのように誤認したのかもしれない。

 革命軍が自分たちの側にこそ神と始祖の加護があるのだと見せつけるために、故意に行った偽装工作だということも考えられる。

 

 実際、傭兵たちの中にもキュルケと同じような見解のものは大勢いた。

 

『いいかい、神が戦場でお救いくださるのは、何もできずに泣いている無力な幼子の御霊だけさ。革命軍だろうが王党派だろうが、人殺しを助けに天使がわざわざ降臨するかよ。それこそ罰当たりってもんだぜ!』

 

『そうそう。馬鹿馬鹿しいぜ、亜人の先住魔法ってやつだろうよ。革命軍に雇われた翼人か何かさ!』

 

 しかし実際にその目で見たという者の中には、あれは間違いなく天使だ、亜人などではなかったと強く主張する者もいたのである。

 

『いいや、俺は神の奇跡ってやつをこの目で見たんだ。殺気だって斬り付けようとしてた王党派の忠実な兵士が、天使が優しく微笑んだだけで剣を捨てて足元に跪いたんだぜ。それに矢が当たっても、呪文を喰らっても効きやしねえ。炎の矢を雨みてえに降らせてくるんだ』

 

『ふん、実際に見てねえ奴にはわからんだろうさ。あいつらは呪文なんかひとつも唱えてやしなかったぜ。メイジや亜人の魔法とは全然違うんだよ。だから俺はさっさと王党派を見限ったんだ、神様に楯突いてどうなるもんじゃねえ……』

 

 そんな彼らの話の内容を思い出しながら、ディーキンは頷いた。

 

「うん。ディーキンも、天使とは違うと思う……」

 

 それはむしろ、天使ではなく悪魔か魔神のようなフィーンドかもしれない、とディーキンは思っていた。

 

 あの傭兵たちが話していたような“奇跡”は、少しばかり気の利いたフィーンドであれば容易に成し遂げられる範囲のことである。

 そう言った連中の中には外見を天使のように偽装できる者もいるし、それは決して珍しいというほどに稀な能力ではない。

 それどころか、本来の外見のままでも十分に天使だと言い張れるような者さえ存在しているのだ。

 そしてアルビオンの革命軍にデーモンかデヴィルが加わっているとするのならば、アルビオンへ向かうための空の玄関口にあたるこの街に麻薬を広めたのもそいつらかもしれない、と推測するのは理にかなっているといえるだろう。

 

 ディーキンはそういった自分の考えの道筋を、かいつまんでキュルケに説明していった。

 

「……だから、ディーキンは残りの時間でその麻薬の行方を追ってみようかと思うんだけど、どうかな?」

 

 予想が当たっていれば、麻薬の筋を辿っていくことでその背後にいる者の正体がもっとよくわかってくるかもしれない。

 その情報は、アルビオンへ渡った後の行動方針を決める上でも大いに役立つ可能性がある。

 それに昨日傭兵を雇って自分たちを襲撃させた黒幕も、そいつらとつながっているかも知れないのだ……。

 

「ふうん、そうね。それはいい考えかも知れないわ……」

 

 キュルケはディーキンの意見を聞くと、感心したように頷いた。

 だがすぐに、ちょっと首を傾げて言い添える。

 

「……でも、残りの時間はあと少ししかないわ。麻薬組織の全貌を掴むなんてとても無理でしょうし、大したことは調べられないんじゃないかしら?」

 

 自分たちがこの街から出立するのは、明日の早朝の予定である。

 もちろんそれまでの間ずっと調査をしていられるというわけでもなく、明日に備えて睡眠もとらなくてはならないし、夜には警戒のために仲間全員で宿に集まっていなくてはならない。

 そうなると、調査に使える時間はあと半日もあるまい。

 

 そんな僅かな時間でどこまで調査を行えるかは、いささか疑問だった。

 それに可能だったとしても、麻薬組織と関わり合いになりかねないような危険を冒してまで行うほどの価値があるだろうか?

 

「ンー、そうだね。でも、ディーキンは残りの時間で調べられるだけは頑張ってみようと思うの」

 

 任務のためにも、また仲間のためにも、情報は得られるときにできる限り得ておきたかった。

 それに、麻薬が蔓延しており、かつまたフィーンドまで関わっているかも知れないという疑惑のあるこの街の現状は到底望ましいものとは思えない。

 少なくともボスならば、決して自分には関わりのないことだし時間もないからなどといって見過ごしたりはしないだろう。

 任務を放棄することはできないにせよ、時間の許す限りは調査して、何か自分に役立てることがないか考えてみるはずだ。

 

 熱意に満ちてきらきらと輝くディーキンの目が真っ直ぐに自分に向けられているのを見て、キュルケはほう、と溜息を吐いた。

 

 幼い頃、つい手を伸ばして触れて見たくなるような、うっとりするほど美しい炎にずっと見入っていた経験がある。

 いくら望んでも火傷をするので触れることも叶わず、もどかしい思いもあった。

 だがそれ以上に、ただそこに、望むものの傍にいられるだけで幸せだった。

 ショーケースの向こうに飾られている高価な品物を見つめて長い間立ち尽くしている平民の子の姿を見て、ああ、あの子も自分と同じだと親近感を覚えたこともある。

 

 彼の目を見つめていると、あの時に味わったのと似た気持ちが湧き上がってくるのだ。

 

 それは一時の微熱に突き動かされて口説き落とし、手に入れてきた男たちに対するものとはまったく違っている。

 微かな熱は掌に包み込まねば十分に感じとることができないが、素直に燃え上がる美しい情熱の炎は触れなくても伝わる心地よい熱を感じられるものなのだ。

 もちろん、火傷をすることも恐れずに抱き締めて疼くような熱い痛みに身を焦がすのも、きっと甘美には違いないだろうけれど……。

 

「わかったわ。ディー君がそう言うのなら、出来るところまでやってみましょう?」

 

 キュルケは真っ直ぐにディーキンを見つめ返して微笑みを浮かべると、そう言って頷いた。

 それから、もう一言言い添える。

 

「……でも、その前にタバサと合流して交代した方がよさそうね。あの子もディー君に協力したいでしょうし、酒場で聞き込むならともかく、そういう調査は私よりあの子の方が上手かもしれないわ……」

 

 このまま彼のすることを見守っていたいのは山々だったが、そろそろ大切な親友と代わってあげた方がよさそうだ、いろいろと。

 

 

 

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 その頃、昨日牢にとらえられたガデルはとある人物の訪問を受けていた。

 やや太った温厚そうな、商人めいた外見のその男にガデルは見覚えはなかったが、相手の方では自分のことをよく知っているようだった。

 

「君のことは、ボックからよく聞いているよ」

 

 男はそう切り出すと、衛視にガデルと一対一で話したいと言って牢から連れ出し、一緒に面会室へ移動した。

 衛視が拒否しなかったところからすると、どうやらこの男は連中を買収か何かしているらしい。

 面会室へ移動すると、男は早速本題を切り出した。

 

「ボックに例の薬を下ろしているのは私だ。彼はまた他所へ仕事に行かねばならなくなったので、これからは私が直接君と取引をしよう」

 

 そう言うと、男はお近づきの印だと言って、一服分の薬をただでガデルに差し出した。

 傷の痛みに加えて禁断症状で全身が軋みを上げていたガデルは、男の意図などに考えを巡らせる余裕もなく大喜びで薬を服用する。

 サニッシュがガデルの体に回り、彼が幸福感を味わい始めたのを確認すると、商人は話を続けた。

 

「さて、私は君をここから出してあげることができる。今夜にもそうしよう。その代わり、ここを出たらすぐに仕事にかかってもらいたい。昨日君たちを倒してここに押し込んだ連中をもう一度襲うのだ、奴らは今この街の宿に泊まっている」

 

 薬による幸福感に浸ってはいたが、ガデルはそれを聞くとさすがに顔をしかめた。

 この街の中で騒ぎを起こすことについては目の前の男が衛視たちを買収しているのだとしても、あの連中ともう一度戦えと言われて勝てる気はまったくしない。

 ガデルがその事を正直に伝えると、商人はにこやかに頷いた。

 

「ああ、敵は強いらしいね。もちろんそのことは考えてあるとも。今度は、以前よりももっと多く君たちの仲間を用意したんだ。それに、高名な傭兵も雇ってある。君も聞いたことがあるのではないかな、『白炎』のメンヌヴィルという名を?」

 

 その名を耳にすると、ガデルは目を見開いた。

 

 もちろん聞いたことがある、メンヌヴィルは貴族崩れの傭兵メイジで、その『火』の腕前は凄まじいものだという。

 だがそれ以上に、炎を異様なほどに愛し狂ったように見境なく焼きまくることで恐れられている男でもある。

 それほどの男が味方につくというのなら確かに勝てるかもしれないが、正直言って敵はもちろん味方としても決して歓迎したい手合いではなかった。

 臨時で組んだだけの平民の傭兵など、ちょっと機嫌を損ねただけで骨まで焼かれかねない……。

 

 もしもこの仕事を断ったらどうなるのかとガデルが聞くと、商人は朗らかに笑った。

 

「おいおい、そんなあり得もしないことを考えさせないでくれよ。もしもこの仕事を引き受けて成功させてくれれば、この牢からは出られるし報酬はたっぷりと得られるし、例の薬だって君には手頃な特別価格で提供させてもらえるじゃないか。まさか断って、それをすべておじゃんにするなんて馬鹿なことはいわないだろう?」

 

 確かに、選択の余地はないようだった。

 ガデルが承諾すると、商人は時間になったら出しに来てやると言って簡単な手はずを伝え、手つけとしてもう一服分の薬を持たせてから彼を檻に戻らせた……。

 

 

「さて、これで既に7件めか。順調だ」

 

 幻術による商人の変装を身にまとったクロトートは、人目のないところまで来ると満足そうにそうひとりごちた。

 

 麻薬漬けの連中というのは実に便利なもので、ただ金や魂の収入源となるだけでなく、いざという時にはこうして容易くいうことを聞かせられる。

 嫌ならもう薬を売らないぞ、といってやればそれでいいのだ。

 もちろん今回声をかけている傭兵たちの全員が麻薬中毒者だというわけではないのだが、安価に戦力の水増しがしたい時にはああいう手合いはちょうどいい。

 

「次は……ザルツの傭兵団に声をかけてやるか。上手くいけば一度に4、5人は取り込めるだろうしな――」

 

 クロトートは手早く考えをまとめると、引き続いて次の戦力の調達に向かった……。

 




サニッシュ:
 D&Dの追加ソースブック、「Book of Vile Darkness」(和訳は「不浄なる暗黒の書」。成人読者向け)に記載されている麻薬の一種。その効果や特徴については、作中でディーキンが説明したとおりである。

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