Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

137 / 163
第百三十七話 After the fight……

「か……、勝った? 終わった、のか?」

 

 ギーシュは、安堵のあまり腰が抜けてその場にへたり込んだ。

 現実のものとも思えないすさまじい竜巻や爆発の飛び交う戦いが終わって、仲間たちが誇らしげに勝利を宣言するのを呆然と見ていた彼も、兵士たちが歓声をあげるのを聞いてようやく実感がわいてきたようだ。

 

 武人として命よりも名を惜しむ覚悟で戦いに臨みはしたものの、いかんせん初めて実戦に出たまだ年端もいかぬ少年である。

 

「やった! 勝ちました、先生たちが勝ちましたよ!」

 

 一方で、シエスタは興奮で頬を紅潮させながら、周囲の兵士たちと手を取り合って喜んでいる。

 

「ね、先生はすごいでしょう?」

 

「……ああ、そうだね。でも、君もすごいよ」

 

 彼女に手をとられて、ギーシュは喜びと恥じらいの両方のために頬を赤らめた。

 自分はこんなに緊張して、銃弾が近くの城壁に当たるたびにがくがく震えていたというのに、彼女は恐れた様子など少しも見せなかった。

 自分は戦いが終わった途端に体の力が抜けてへたり込んでしまったというののに、彼女は活力に満ち溢れて、心から笑っている。

 

 彼女は戦いの最中には兵士たちの間を駆け回り、励まし、手伝い、怪我人が出ればそれに代わって持ち場についた。

 その勇敢さときたらどうだ。

 

「いや、君だけじゃない。ここにいる人たちはみんな、すごい人ばかりだ……」

 

 決闘に進み出たディーキンやタバサ、天使たちはもちろんだが、他の兵士たちもだ。

 貴族であれ平民であれ、誰もが恐れることなく戦った。

 たとえ銃眼から入ってきた流れ弾で負傷しても、交代して治療を受けたあとは恐れずにまた戦線に戻って自分の持ち場を守り抜いた。

 

 銃弾が近くの城壁に当たった音を聞いただけですくみあがっていた自分には、とてもそんなことはできそうにない。

 正直なところ、ここにいるミス・シエスタが度々やってきて励ましてくれなかったら、最後まで戦い抜けたかどうかさえ怪しい。

 自分はワルキューレを操って銃眼につかせたり雑務をさせたりしただけで、兵士たちよりもずっと安全な後ろの方にいたのに、体はがくがく震えていた。

 

「そうですね。でも、ミスタ・グラモンも誰にも劣らず勇敢でしたわ」

 

 シエスタは、そう言ってにっこりと微笑んだ。

 

「……へっ?」

 

 きょとんとしたギーシュに、シエスタは彼の手をそっと両手で包んで、話を続けた。

 

 自分は、彼の誇り高さを身をもって知っている。

 そんな人が傍で戦っていてくれるから、自分も以前の決闘のときのように、それに負けずにがんばろうと思えたのだ、と。

 

「……いや、そんな。お世辞はいいよ。君は少しも怖がってなんかいなかったじゃないか。情けないようだがぼくなんて、正直足が震えて……」

 

「怖いのに、それを我慢して戦えることが勇気なのだと思います」

 

 シエスタは、心を込めてそう言った。

 

 同じ状況に身を置くのでも、その人の力や立場によって、奮い起こさなくてはならない勇気の大きさは違ってくる。

 彼は、タバサやキュルケほど強くはないし、戦いの経験もろくにない。

 この国の兵士たちのように、自分だけ逃げるわけにはいかない、母国のために戦わなくてはならないというほど強い責任や使命を感じる立場でもない。

 戦わずにトリステインへ帰っても誰にも非難されないし、むしろそれが賢明な行動であるはずなのだ。

 

「ミスタ・グラモンは、それでも他の人たちのためにここに留まって戦われたのですから、誇るべきだと思いますわ」

 

 自分の場合は、天上界のセレスチャルの血を引いているし、召命を受けたパラディンでもある。

 それが邪悪と戦い抜かなければならないという使命感と、恐れを感じることのない勇気を与えてくれるのだ。

 

 シエスタはそのことを誇りにしているが、それをもって優越感を覚えるということはない。

 もし自分が、そのようなものがないただの人間の村娘だったなら、きっとこの場にはいないはずだとわかっているから。

 だから彼女は、ギーシュの勇気を心から賞賛するのである。

 

 まあ、なんだかギーシュがちょっとメランコリックになっているように見えたので、元気づけようと従姉妹のジェシカから教わった、「男はちょっとおだてたり手作り弁当渡したり軽く慰撫したりするくらいで舞い上がるんだから。安上がりに喜んでくれて助かるわよ」というのを参考にしてみたところもあるが。

 

 彼女はその手管で、男たちからちょっとばかりチップをたくさん貢いでもらっているようだが……。

 ジェシカとて、自分と違って秩序にはあまり関心はないもののセレスチャルの血を引く善良な娘なのであるから、あくまでも大勢の人たちに罪なく喜んでもらいたいだけでお金が儲かるのはそのついでなのである。

 たぶん。

 

「そうですとも。我々にとって、あなたがたが地上から加勢に駆けつけてくださったことがどれほど心強かったことか」

 

「ぼっちゃんのゴーレムのおかげで、人手の足りないのがずいぶん助かりましたぜ? 弾を運んでもらったり銃撃戦に加わってもらったり」

 

「そうそう。平民の自分らよりは、断然役に立ってましたって!」

 

 他の兵士たちも、口々に彼の協力に感謝し、肩を叩き、賞賛してくれる。

 

「い、いやあ……そんな。そうかな、恐縮です……」

 

 口々に褒め称えられて、ギーシュはますます赤くなるのだった。

 

 武人として華々しく戦場で活躍し、誉れを受ける日を待ち望んでいたはずなのに。

 いざその時が来ると自分の身には余る栄誉だと感じて萎縮してしまうのだから、まったく不思議なものである……。

 

 

 

「……ん。そろそろ、始祖には気の利いたお言葉でも残してご退場いただいていいんじゃないかしら? 劇的な演出はもう十分だし、あんまり長い間残しておいてボロが出ても困るでしょ」

 

 キュルケが、城外の様子を見守りながら指示を出す。

 

 ルイズはいくらか不機嫌そうにしながらも、テレパシー越しにディーキンの了解を取った上で、言われたとおりにした。

 もちろん戦いに勝ったことは嬉しいし、自分でもこんなときにこんなことを考えて不機嫌そうにしているのはどうかとは思うのだが。

 それでもごく個人的な理由から、彼女はなんとなく気持ちがすっきりしなかった。

 

「何であんたが……」

 

 当面の仕事を終えたルイズが不満そうにぶつぶつ言うのを聞いて、キュルケは呆れたように軽く肩をすくめた。

 

「何でって、さっきも言ったでしょ。ディー君に頼まれたからじゃないの」

 

 ディーキンは、ルイズの芸術的なセンスやアドリブ力がいまひとつであることを踏まえて、自分がこの場を離れるにあたって演出担当の代役を誰かに頼んだほうがよいと考えたのだ。

 戦いながら次の演出のことも考えて、テレパシー越しに指示を送るなどという忙しいことをやって、それで集中力を欠いたがために肝心の戦闘でミスを犯したというのでは元も子もない。

 自分やウィルブレースがいない状況で、身近な仲間の中でそれを一番上手くやってくれそうなのはキュルケだった、というわけである。

 

 先ほどディーキンらが勝利を収めた直後のブリミルの台詞も、キュルケが考えたものだった。

 両軍の兵士たちが大いに沸いているのを見れば、彼女の演出が及第点以上のものであることはルイズも認めざるを得ない。

 

「そんなことはわかってるわよ。そうじゃなくて、……うー……」

 

 なんといっても、その代役が、よりにもよってヴァリエール家の不倶戴天の宿敵であるツェルプストーの娘ときている。

 キュルケ自身のことは今では仲間として認めているのだが、それでも先祖代々の対立を聞かされ続けて育った身としては、心穏やかでない部分はあった。

 そりゃあディーキンにとっては、彼女もシエスタやギーシュと同じ仲間の一人でしかないのだろうが。

 

 いや、それより何より……。

 

(ディーキン、あんたは私のパートナーをやるって約束でしょ!)

 

 何でそれが、私にキュルケを押しつけて、自分はタバサと出ていくのか。

 

 いや、もちろん状況が状況だからというのはわかるのだが、それにしたって、そんなことをしたのは今回が初めてではない。

 思えば彼女とは前にも、シルフィードを助けるためだとかで一緒に出かけたり、何日も留守にしてガリアまで一緒に旅をしたり……。

 

(なな、なんだか私よりも、あの子の方が優先されてない?)

 

 そんな風にむっつりしたり、赤くなったり、ぷんすかしたり、コロコロ表情が変わるルイズを、キュルケは面白そうに眺めていた。

 が、やがて、ぽんぽんと彼女の肩を叩きながら、なだめるように声をかける。

 

「そんなにふてくされなくてもいいじゃないの。ディー君は、ちゃんとあんたのために気を使ってるでしょうに」

 

 たとえば、ガリアへタバサと一緒に出かけたときにはラヴォエラに代理を務めてくれるよう手配していたし、今回もちゃんと自分に交代を頼んでいった。

 ルイズのことを忘れずに毎回きちんと考えていってくれているのだから、彼女をないがしろにしているとはいえまい。

 まあ、パートナーなのだから自分を最優先にして欲しい、同じ代理を立てるならタバサの方にそれをあてがえばいいじゃないか、という気持ちはわからないでもないが……。

 

「私なら、フレイムに気になる子でもできたなら、自分の用事を頼むのは控えてなるべくその子と過ごさせてあげるようにするわよ?」

 

 まあ、どちらかといえば、気にしているのは今のところ、ディーキンよりもむしろタバサの方だろうが。

 

「へ? ……きき、気になる子って……」

 

「タバサに決まってるじゃないの」

 

 ルイズはそれを聞いて、たちまちかーっと顔を赤くした。

 

「ななな何を!? あああんた、色ボケにもほどがあるわよ!?」

 

 なにせディーキンは、子供みたいにちっちゃい亜人なのである。

 しかも、哺乳類ですらないトカゲの亜人なのである。

 

 いくらなんでも、倒錯的に過ぎる。

 

「あら、ご挨拶ねえ」

 

 私がボケてるんじゃなくて、あんたがニブいんでしょうに。

 キュルケは心の中でそう言って肩をすくめたが、それからちょっと小首をかしげた。

 

 タバサの色恋沙汰については、キュルケとしては大歓迎であった。

 

 彼女は、親友が長年そういった話にはまるで縁がなかっただけに、いつかろくでもない男にころっと騙されて、その初心さゆえに酷く傷つくなんてことになりはしないかとずっと心配していたのだ。

 それゆえ、早めに毒にも薬にもならなさそうな無難そうな男でもあてがって微熱のひとつでも、などと折に触れて何かと気を回したりしたものだったが……。

 相手がディーキンなら、結果的にはそれよりもずっとよかったと言えるだろう。

 なんといっても彼は紳士だから、どんな結果になるとしてもタバサを酷く傷つけたりすることは決してないはずだ。

 

 ただ、強いて問題があるとすれば、相手の方にその気かあるかどうかということである。

 

(私の見た感じ、今のところはディー君の方があの子を気にしてるかどうかは微妙みたいだけど……)

 

 どちらかといえば、大事な仲間から気にされているから、自分もそれになるべく答えようと気を使っている、という感じかもしれない。

 が、もちろん、今はまだ、というだけのことだ。

 

(そんなもの、あなたならこれからの押し次第でどうにでもなるわよね?)

 

 見る目のない学院の男子生徒どもは鼻も引っ掛けようとしないが、親友は自分とほとんど同じくらいいい女なのである。

 その魅力は、たとえ異種族だろうが、わかるものにはわかるはずだ。

 

 キュルケに言わせれば、恋はすべてに優先する。

 障害は、乗り越えるためにある。

 年齢の差があろうが、身分の違いがあろうが、性別が同じだろうが、異種族だろうが、彼女もちだろうが、妻子もちだろうが、つまるところはだからどうしたなのである。

 

 下の方で大きなドラゴンの姿になった彼の背中にぴったりと寄り添っている親友の姿を微笑ましげに眺めながら、キュルケは心の中で彼女に呼びかけた。

 

(ねえタバサ、ディー君の背中は居心地がいいんでしょうけど、男の紳士的な態度にいつまでも甘えてちゃだめよ?)

 

 キュルケの恋愛持論は、いたって肉食獣的なものである。

 

 とにかく、まずは押し倒せ。

 押し倒すには相手がデカ過ぎるかも知れないが、とにかく押してから考えろ。

 逆に押し倒されても、それはそれだ。

 

 男が女を強引に剥こうとするように、男の紳士的な態度なんかこっちから剥ぎ取ってケダモノに変えてやるのが女の甲斐性ってものである。

 そうしておいてから、いきり立った男を巧みに手懐けて、躾けてやるのが面白い。

 まだ経験はないけれど、もしも相手が自分の思った以上の男だったなら、逆に蹂躙されるのもそれはそれできっと刺激的なのだろう。

 とにかく自分から積極的にアタックしないと、もたもたしているうちにすっかり骨抜きにされて相手の言いなりになってしまうのがおちだから、なにはなくともまずはグイグイ押すべきなのである。

 それができないというのは、慎ましいのではなくて自分に言い訳をして臆病になっているだけなのだ。

 あるいは、そこまでするほどの情熱がないのか。

 

 どちらにせよ、女として恋と情熱に対して誠実になれないのは恥ずべきことだと思う。

 許されないことならば、なおさら燃え上がるではないか。

 いいから、マグネットみたいにくっつけ。

 

(……ま、あなたなら大丈夫でしょうけどね)

 

 自分の親友は一見無気力で無感動そうに見えるが、その氷の中に熱い情熱を隠していることをキュルケは知っている。

 だから、そんなに心配してあれこれ口を出すこともないのだろう。

 

 とりあえず今は、それよりも……。

 

「はーん? ってことは、あなたはもしもディー君からプロポーズをされても、お断りするわけね?」

 

「んな!?」

 

「ま、そんなことあるわけないでしょうけどね。なんにせよ、それなら遠慮することもないみたいだし。最近は微熱が足りないから、タバサの次は私が行こうかしら?」

 

 もちろんそれは冗談だが、最近微熱が足りていないというのは事実である。

 

 ディーキンが来てからというもの、彼にあれこれと付き合っている方がなにかと楽しくて刺激に不足しなかったので、久しく男には手を出していないのだ。

 とはいえ、今後はタバサのために遠慮しなくてはいけないことも出てくるかもしれないし、そろそろまた男を見繕うのもいいだろう。

 ディーキンはタバサに、ミスタ・コルベールはミス・ロングビルに先を越されたが、幸いここには学院のモヤシどもよりもよっぽどいい男が選り取り見取りなことだし。

 

 戦の終わった後には出生率が上がるとよく言われる。

 死ぬ覚悟を固めていたところに望外の勝利を得たのだから、みんなほっと気が抜けることであろう。

 そこへ声をかけて口説いてやれば、コロッとなびく男は多いに違いない。

 

(戦勝パーティかなにかあるでしょうし、そこで粉をかけて二、三人ほどゲットしておこうかしらね)

 

「……@▼×△□◆ηΣ~~!!」

 

 キュルケがそんな風にぼんやりと算段を立てていたところに、ルイズがさくらんぼみたいに真っ赤な顔になって、腕をぶんぶん振りながらわけのわからぬことをわめき散らす。

 それからしばらくの間、キュルケは彼女をたっぷりとからかって楽しんだのだった……。

 

 

「……報告は、以上であります」

 

 レコン・キスタの本営へ帰還したオルニガザールは、負傷した体もそのままに上官の前に直行し、平伏して事の次第を報告した。

 

 危険な戦場に立っていた時よりも、居心地のいいこの部屋にいる今の方がむしろ委縮している。

 ここへ来る前は割と楽観的でいられたのだが、さすがに直属の上官である最上級デヴィルに任務の失敗を報告する段になると、いささかの不安を感じずにはいられないのだ。

 

(俺に非はないのだ)

 

 オルニガザールはじっと顔を伏せながら、自分にそう言い聞かせた。

 

 とはいえ、バートルの裁きは慈悲深くもなければ公正でもない。

 上官の怒りを買えば、実際に非があるかないかなど問題にされないことはよくわかっていた。

 

「ははーん……。なるほどねぇ……」

 

 報告を受けた当の上官は気怠げにそう呟くと、肥満した体をぐったりと寝椅子に預けた。

 そうしながら、逃げ帰ってきた部下の顔をじろりとねめつける。

 

「敵軍に予想外の戦力とセレスチャルの参戦があって、従軍したデヴィルは軒並み全滅……。試作段階の新兵器は大破……。ユーゴロスやバーゲスト、巨人に亜人どもは散り散りになって遁走……。おまけに人間の兵どもは、大半が敵側に帰順したかもしれない……と」

 

「その責任があるとすれば、総指揮官に」

 

「おや? お前にも、多少の指揮権はあったはずではなかったかな」

 

 冷ややかにそう言われて、オルニガザールはますます深く顔を伏せた。

 

「それほどの失態を犯して、よく逃げ帰ってこれたものだねえ……。その勇気を、戦場で発揮することはできなかったものなのかねぇ……」

 

「私は、力の及ぶ限り戦ったつもりでおります。ですが、敵わぬことは明白ゆえ、せめて情報を持ち帰らねばと」

 

「ふーん……?」

 

 上官は気のない返事をしながらもぞもぞと手を動かし、手近の机の上にある容器から、そこに詰め込まれた雀のように小さなデヴィル、アイペロボスをひとつつまみ上げようとした。

 そいつは悲鳴を上げて逃げ出そうとしたが、シュッと伸びた真っ赤な爪が素早く取り押さえる。

 そのまま口の中に放り込んでぷちりと噛みつぶしてやると、断末魔の金切り声と共に血が噴き出して、彼の耳と舌とを悦ばせた。

 

 パエリリオンのマラダラームはげっぷをして汚らしい黄緑色の蒸気を吐き出すと、満足そうに肥大した疣だらけの腹をさする。

 それから少しだけ姿勢を正すと、改めてオルニガザールの方に向き直った。

 

「……まあ、いいだろう。今日中に、正式な報告書を作成するように。ご苦労だったね」

 

「はっ!」

 

 ひとまず退出の許可が出たことに、オルニガザールはほっと胸をなでおろす。

 今日中に仔細な報告書を何十枚も書かねばならないのだと思うと気が滅入るが、書き方を工夫して、全責任を死んだ総司令官に押し付けるようさりげなく誇張しておかねば。

 

 だが、彼が立ち上がろうとしたところで、マラダラームは大きく裂けた口をにやりと歪めて思い出したように付け加えた。

 

「ああ、そうだ。ひどい怪我じゃないか、まずは地下牢に行きたまえ。ペイン・デヴィルどもに、そこで君を治療するようにと言ってあるからね」

 

「……。ありがたき幸せ」

 

 そう答えながらも、オルニガザールは心の中で呻いていた。

 

(よりにもよって、あの拷問マニアどもの“手当て”だと?)

 

 俺に、自分の職業を盾に失態を犯した上位デヴィルを公然と嬲り苛み、すべての尊厳と力をはぎ取って惨めなヌッペリボーに変えてしまう、あの賤しいエクスクルシアーク(拷問長)どもの世話になれというのか。

 連中のもっている治癒の能力など、本来捕虜をより長く痛めつけるためだけにあるものではないか。

 

(まさか、治療にかこつけて奴らに俺を拷問させ、失態の責任を取らせる気なのではあるまいな?)

 

 一瞬そう疑ったが、さすがにそれはなかろうと思い直す。

 この異界の地では、軍勢の指揮を執れる上位デヴィルは貴重な存在だ。

 多くの手勢を失ったばかりの今、まだ使える手駒を無駄に潰してしまうことはあるまい。

 

 とはいえ、明らかに悪意のある命令だ。

 いささかの苦痛や屈辱の伴うことくらいは覚悟しておかねばなるまい。

 酷い苦痛の伴う不快な治療を与えられるのか、それとも永遠に消えることのない醜い傷跡を残されるのか……。

 

(いずれにせよ、その代償は必ずあの連中に償わせてやる)

 

 あの忌々しい人間と、ドラゴンと、天使どもすべてに、俺の味わった苦痛や屈辱を何十倍にもして与えてやる。

 ペイン・デヴィルどもが俺の甲殻に永遠に消えない疵をつけるなら、奴らの魂にはその百倍も深く、癒せぬ傷を刻み込んでくれる。

 

 新たな復讐心を燃え立たせながら、オルニガザールは静かに部屋を後にした。

 

 

 

「……急に、なにやら不愉快な事態になってきたじゃないかね?」

 

 彼が出て行ってしまってから、マラダラームは一転して不快そうに顔をしかめて次のアイペロボスを口に放り込みながら、部屋の隅のほうに立っている女性に目を向けた。

 退廃しきったデヴィルの悪臭が立ち込めるこの場には似つかわしくないその美女は、ガリア王ジョゼフの使い魔、シェフィールドである。

 

「ええ、確かに」

 

 シェフィールドは、そっけなくそう答えた。

 

「これは、秘密裏にガリアへ、多少援助を求めなくてはならないかもしれないねえ。ヘルファイアー・ヨルムンガンドの生産を急いでもらって……」

 

「では、後ほど私の方からジョゼフ様に申し上げておきますわ」

 

 レコン・キスタの活動を影で取り仕切る目の前の不快なデヴィルの話に調子を合わせて受け答えしながらも、シェフィールドは心の中ではまったく別のことを考えていた。

 

(セレスチャル、だって?)

 

 デヴィルについて学んだときに、その連中についても知識は得ている。

 遥かな太古から、デヴィルやデーモンのようなフィーンドと戦い続けている天上界の来訪者だと。

 つまり、そいつらにはデヴィルどもと戦う理由があるし、対抗できるだけの力も十分にあるということになる。

 

 ならば、連中の力を借りれば、ガリアからデヴィルどもを一掃できるのではないだろうか?

 

 予想外の出現で十分な対策が取れなかったとはいえ、一度はデヴィルを退けて圧倒的に劣勢だった王党派の軍を救ったことからも、その力の程は十分証明されたといえるだろう。

 対策をしっかりと整えられれば多勢に無勢、最終的な勝利を得ることは難しいかもしれない。

 しかし、自分が密かに協力してこちらの情報を伝えるなり、何がしかの助力を行えば話は変わってくるはずだ。

 

(いや……しかし……)

 

 それで仮にデヴィルどもを駆逐できたとして、その後はどうなる?

 

 セレスチャルは、フィーンドに限らずあらゆる悪と断固として戦うという。

 そして、自分やジョゼフはその利己的な動機と周囲を省みない行動から、間違いなく悪に分類されるであろう。

 事情を伝えればデヴィルと戦ってはくれるだろうが、その後で自分たちが見逃されるとは思えない。

 連中は物の善悪や真偽を見抜くのに長けているというから、適当な嘘でごまかし続けられるとも思えない。

 

 シェフィールドにとっては、それでは意味がなかった。

 最終的にジョゼフが救われて、自分とずっと一緒にいてくれるのでなければ無意味だ。

 それでも、彼女はようやく見えかけた希望を簡単にはあきらめなかった。

 

(そもそも、そのセレスチャルどもはどうやってこの世界に来たのか。異世界から来訪者を呼び寄せられるのは、この世界では『虚無』以外にはありえない)

 

 ならば、セレスチャルの背後には必ずや『虚無』の召喚者がいるはずだ。

 そいつの協力を、どうにかしてとりつければいい。

 その者を介して、自分たちには手を出さないという保障つきでセレスチャルを動かさせるのである。

 

 問題は、そいつがどうすれば動いてくれるのかだ。

 まだどんな人物かまったくわからないのだから、現状ではなんともいえない。

 

(なんらかの交換条件を出して交渉するべきなのか。それとも脅迫か、洗脳か)

 

 まずはその者の正体を探り出し、どういった人物なのか見極めることが先決だろう。

 だが、デヴィルどもや自分の主も、遅かれ早かれ間違いなくそいつに対してリアクションを起こすはずだ。

 

(どうにかして、その前に接触しなくては……)

 




アイペロボス:
 一体一体は雀のように小さく、単体ではおよそなんの脅威にもならない弱体なデヴィルの一種。
より大きく力のあるフィーンドは、これらの微小なデヴィルを珍味とみなしている。
しかしながら、多数のアイペロボスが群れを成してスウォームとなれば恐ろしい力を発揮し、より大型のデヴィルに対して報復を遂げることもしばしばあるという。

パエリリオン(コラプション・デヴィル、堕落悪魔):
 パエリリオンは上級デヴィルの中でも得に高位の部類に属し、最上級のピット・フィーンドに次ぐ地位にある。
その外見は、簡単に言えば「厚化粧して娼婦の服を着たジャバ・ザ・ハット」みたいな感じである。
その装いから女性と考えられることもあるが、実際にはパエリリオンは両性具有体であり、性別はない。
彼らは地獄の都市の中心に住み、美味な肉や魂を食らって肥え太り、自身の肥大した体から滴り落ちる有毒の油で汚れた水の風呂に浸かって、入念に身繕いをする。
もちろん彼らは怠惰で退廃的なだけではなく、高い実力と知性の持ち主でもある。
全次元界に広大なスパイ網を張り巡らし、さまざまな秘密情報を集めては、定命の存在や他のデヴィルを脅迫して自分の利権をいや増している。
肉体的にはピット・フィーンドと比べればだいぶ脆弱で、進んで前線に出てくるようなタイプのデヴィルではない。
しかしながらいざ戦場に顔を出すと決めたときには、アンティライフ・シェルの擬似呪文能力で敵の接近を防ぎつつ、部下どもの背後から無尽蔵に使用できるメテオ・スウォームの疑似呪文能力を乱れ撃って、単身で何百何千という敵兵を容易に屍の山に変えることができる。
脅威度は18。

エクスクルシアーク(ペイン・デヴィル、苦痛悪魔):
 下級デヴィルの一種。
その外見は、体毛のまったくない、青白いが屈強な人間に似ている。顔を棘や角が生えた黒い仮面で覆い、不気味な革鎧と仕事中の肉屋を思わせる血塗れの革エプロンを身に着けて、棘だらけのフレイルを持っている。
彼らは拷問の技をもって地獄に堕ちた魂や懲罰を受ける他のデヴィルを嬲り苛み、最後にはあらゆる力と尊厳を剥ぎ取ってしまう地獄の拷問吏である。
その不快な役職のために、他の大部分のデヴィルは彼らのことを恐れ、嫌悪している。特に、同じように犠牲者に苦痛を与える仕事を任されるキュトンとは危険なライバル関係にある。
それほど強力な部類のデヴィルではないものの、彼らは常に強烈な苦痛のオーラを発しているため、他の者はその傍に寄っただけで苦痛に苛まれる。また、他の者に苦痛を与えることによって、自身の力をより一層高めることができる。
彼らはまた、デヴィルには珍しくキュア系の疑似呪文能力を持ち、自他の傷を癒すことができるが、この能力が主として犠牲者の苦痛を与えられる時間をさらに引き延ばすために使用されることは言うまでもない。
脅威度は7。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。