Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

124 / 163
第百二十四話 The story of elves and orcs

「それじゃ、ディーキンの聞いた限りでだけど、ウィルブレースのお姉さんのことをお話しするよ」

 

 ディーキンは一礼すると、リュートを手に弾き語りを始めた。

 

 聴衆は、彼の周りに集まってその物語に聞き入る。

 始祖から続くエルフへの遺恨もあって、兵士たちの多くは先程の演説には感嘆したもののまだ彼女には不信感を抱いていたが、それはそれとして話の内容には大いに関心があった。

 一体あのエルフは何者で、どうして他の……天使?……たちとともに、我々に加勢してくれようというのか?

 

 

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

 ウィルブレースは、元は定命のエルフであった。

 彼女は当時から英雄の物語を歌うことを特に好み、しばしば故郷の森を離れては、さまざまな土地を旅して歩いていた。

 

 それはレルムのエルフにとっては、特に珍しいことではなかった。

 エルフという種族は生来混沌と善の気質を持ち、個人の自由を重んじるものだ。

 やりたいことは人それぞれであり、他人の権利を侵害しない限りは、自分のそれが妨げられることもない。

 

 何といってもエルフは長命な種族であり、時間はたっぷりとあるのだから、彼らはどんなことであっても大抵はまず自分でやってみようとする。

 例えば、もしあるエルフが新しい家を建てたいと思えば、人間のように専門の大工に頼んだりはせず、以前に家を建てたことのある別のエルフに助言を求めながら自ら設計し、材料を集めて、たとえ何年かかろうとも自分の手で作るのである。

 そうして経験を積むことで、成長したエルフは概ね誰でも、自分の面倒を一通り自分で見ることができるようになる。

 誰であれまずまず食べられる程度の料理を作れるし、服を縫えるし、剣や弓を扱えるし、ちょっとした工作や芸術作品の創作をすることもできる。

 そして、様々な経験を積む中で特に面白いと感じた事柄があれば、以降はその分野に自分の時間を費やすことに決めるのだ。

 エルフには、魔法の研究や剣の修練に何十年ものめり込み続ける者もいれば、美しい芸術品の創作に没頭する者もおり、美味しい食事を作ることに大いなる喜びを見出す者もいる。

 そうして自分の関心のある分野に打ち込むことを通して、共同体に何らかの形で貢献できるのであれば、料理人や職人の道を選んだエルフが魔術師や戦士になったエルフよりも敬意を払われないなどということはない。

 

 ウィルブレースの場合も、彼女が特に興味を感じたのが旅や音楽、そして数々の美しい物語だというだけのことだった。

 彼女は各地を旅して回り、様々な歌や物語を集めて、故郷に帰ったときにそれを皆に披露したり本に書き残したりすることで共同体に貢献する道を選んだのである。

 

 その当然の結果として、彼女はエルフ以外の異種族ともよく付き合ってきた。

 中でも人間と言う種族は特に数が多く、必然的に付き合う機会も多くなった。

 彼らは順応性に富み、多種多様で、エルフにはめったに見られないほど生きることに熱心なものたちが多い。

 特に、その歌の情熱的なことと、ウィルブレースが題材として好む英雄を数多く輩出することとが、彼女を強く惹き付けた。

 

 その一方で、人間には彼女が顔をしかめずにはいられないような振る舞いも多くあった。

 彼らは平気で森を伐採し、土地を酷使し、汚れた水を川に海に垂れ流し、鳥獣や魚を乱獲する。

 そのように資源を浪費し続けて、はたして国土が長期的に自分たちの文明を支えられるだろうかということに気を配る様子もない。

 

 とはいえ、人間がそんな短慮な行動をする理由は、彼女にも概ねわかっていた。

 長命なエルフは、そんなことをすれば後々困るのは自分だということをよくわかっているから大地の良き執事たらんと心掛けているが、人間は短命ゆえに目先のことしか考えられないのであろう。

 後に荒れ切った国土を前に嘆くことになるのは子や孫の世代であり、責任を問うべきものは既にこの世を去ってしまっているのだ。

 

 そのようなことは憤慨するべき悲劇としか言いようがないが、理屈としてはわかる。

 短命な種族が短期的な視点しか持ちえず、軽挙妄動に走りやすいのは、ある程度までは止むを得まい。

 けれども、彼女が人間という種族に対して一番困惑していたのは、同族同士で相争おうというその野蛮な性癖であった。

 

 れっきとした文明種族らしき者たちが、なぜ同族に対してかくも甚だしい略奪行為を働こうとするのだろうか。

 エルフはもちろん、ドワーフも、ノームも、ハーフリングも、決してそんなことはしない。

 主要な文明種族とみなされている者たちの中では、ただ人間だけが、いつまで経っても血腥い同族殺しを止めようとしないのである。

 

(およそつまらぬとしか言いようのない理由で殺し合いをすることにかけては、人間はオークにも匹敵するほど酷い。では、我々エルフは人間とは親しく交わることもあるのに、オークとは常に殺し合う仲なのはなぜだろうか?)

 

 ウィルブレースはあるとき、ふとそう考えた。

 

 その疑問はずっと頭を離れず、ついに彼女は、自分の目でその理由を確かめてこようと心に決めた。

 そんな思いを抱えたままでは、オーク退治の武勲や人間の英雄の物語を歌う時にも、そこに自分自身の強い感情を込めることができなくなってしまう。

 彼女は旅の支度を整えると、親しいエルフたちに今度はオークの土地へ足を運ぶつもりだと言って、別れの挨拶をして回った。

 

 もちろん、誰もが驚いてその理由を尋ねたが、ウィルブレースは特段隠し立てなどはせずに、その都度正直に自分の思いを説明した。

 自分は人間の土地はたくさん回ってきたが、オークの土地へはまだ行ったことがない。

 両方の種族を実際に近くで見て知らなくては彼らの共通点や相違点を心から理解したと感じることはできないだろうし、それでは彼らに関係した物語をよい出来で歌うこともできないだろうから、それが不満なのだと。

 

 両親をはじめ多くのエルフは、それを聞くと当然ながら顔をしかめて、危険すぎるといった。

 何といってもエルフとオークとは仇敵の間柄であり、大抵のオークはエルフを見かけたらすぐにでも殺そうとするのだから。

 連中のことなどそんな危険を冒してまで知るほどのことではないだろうと、彼女を諫めて引き留めようとした。

 

 しかし、ウィルブレースは皆の気遣いに感謝しながらも、自分の決意を翻すことはなかった。

 古きエルフの格言は、『過ちを犯さぬ者は大成しない』と教えている。

 彼女の決意が固いことを知ると、最終的には身内も含めて誰もがその決断を尊重し、無事を祈って旅立ちを見送ってくれた。

 

 人間のような種族ならば親はなんとしてでも引きとめようとするものかもしれないが、エルフの親は、成人した子供の世話をいつまでも焼き続けたりはしない。

 彼らは老化による衰えとはほとんど無縁の種族で、最後まで自分の面倒は自分で見られるから、子が年老いた親の世話をすることもほとんどない。

 それゆえにエルフが個人主義で情愛の薄い種族だと誤解している者は多いが、決してそうではない。

 エルフは何よりも個人の自由を重んじており、自立した大人はみな自分の道を自分で選ぶ権利を持っている。

 親は、いつか必ずまた戻ってきて一緒の時間を過ごせることを信じて、快く送り出すという形で我が子に対する愛情を示す。

 子は、その信頼に応えてたくさんの土産話とともに何ヶ月か、何年か、何十年かの後に約束通り戻ってくることで、親に対する愛情を証立てるのだ。

 

 ウィルブレースはこれまでの何回もの旅で常に信頼され、その信頼にいつも応えてきた。

 今度もまた、必ずそうするつもりだった。

 

 

 ウィルブレースは強力な魔法の品を用意し、それを用いてオークの姿に変身すると、さっそく彼らの土地へ向かって出発した。

 彼女はまずオークの各部族の集落を旅して回り、酒場などを訪れて詩人たちの歌や物語を聴いて回ることにした。

 オークの集落はエルフのそれとは比較にならないほど乱雑で粗暴な雰囲気だったが、ウィルブレースは異文化に接するのには慣れていた。

 

 初めて聞くオークの詩人たちの歌は、エルフのそれとはまるで違っていた。

 まるで殴打武器で戦ってでもいるかのようなドラムの乱打や、怒号のような荒々しい歌声。

 原始的で粗野だが、激しい感情のうねりをそのまま表現したような、素朴で情熱的なその音楽には独特の魅力もある。

 筋書きのある物語の場合、その内容は、いかに他の種族が卑怯な手を使って本来オークのものであった数々の財宝や土地を奪っていったか、といった内容のものが多かった。

 過去のオークたちの異種族や同族の他部族に対する野蛮で残忍な征服を、誇らしげに語っているものもあった。

 

 なるほど、オークと人間には共通点が多いといえよう。

 いずれもエルフやドワーフなどと比べて寿命はずっと短く、それ故に無鉄砲で情熱的である。

 多産で、自己中心的で、自制心がなく、命を軽視し……、それゆえに、往々にしてそれと知りながらも、自ら破局へ進んでいってしまう種族。

 

(では、人間とオークとの間には、どこにそれほど大きな違いがあるのだろうか?)

 

 もちろん、彼女は思想家や哲学者が似たような疑問について書き記した、何十通りもの解答を知識として知ってはいた。

 だが、それで自分が納得できるかどうかはまた別の問題なのだ。

 本で読んだ答えで満足するくらいなら、最初からこんな危険なことをしたりはしない。

 

 ウィルブレースは、焦ってはいなかった。

 

 エルフにとっては、ひとつの仕事を終えるのにかかる時間が五ヶ月でも、五年でも、いや五十年でも、それは大した問題ではない。

 自分で納得できたと思うまで、いくらでも時間をかければよいのだ。

 

 

 

 そんなある日、ウィルブレースは酒場で、それまでに見たのとはかなり雰囲気の違うオークの詩人に出会った。

 どうやら極度に視力が弱いらしく、杖を突いて手探りをしながらゆっくりと歩いている。

 

(この男は、もしかしたら腕利きの詩人かもしれない)

 

 ウィルブレースは、なんとはなしにそう思った。

 

 一応、根拠はあった。

 過酷なオークの社会では、通常、無力な不具者には居場所はないはずだからだ。

 先天的に障害があったのであればまず成人まで生きられないだろうし、後天的に障害を負った場合でも、せいぜい下等な奴隷として生き延びさせてもらえればよい方だろう。

 それがまっとうに詩人として暮らしを立てているのだとすれば、それだけその腕前が認められているということなのではないだろうか?

 

 その男は店主の助けを借りてカウンターの上に腰掛けると、軽く会釈をしただけで、何の挨拶も前置きもなしに演奏を始めた。

 

 彼が携えていたのは、オークの間ではやや珍しい弦楽器だった。

 弦が三本しかないギターで、ウィルブレース自身が愛用する八弦の竪琴とはずいぶんと違っている。

 ごく簡単な作りで、繊細で華やかな音は出ないが体に響くような強く低い音が鳴り、それが彼らの素朴な音楽にはよく合っていた。

 

 最初の歌は、神々の降臨からグルームシュとコアロンの争いまでの経緯を題材にした、オークという種族そのものの始まりにまつわる創世神話だった。

 

 オークの間では極めて一般的な物語で、ウィルブレースも既に他のオークの詩人が歌うのを何回も聞いたことがあった。

 その物語は、グルームシュの教義にもかかわる重要なものなのだ。

 

 

 

 時の始まりよりもさらに前に、まず原初の神々が虚無の中から生まれ出たという。

 

 彼らは皆、等しく宇宙の力に恵まれていた。

 そして、最初にしておそらくは最後であろうほどの協調性を発揮し、力を合わせて物質とエネルギーとを分かち、空と大地と海とを分かち……、そうして少しずつ、諸世界を創造していった。

 それが済むと、神々はそれぞれが森羅万象のさまざまな面を管轄するのだと言い張り、権限をめぐって争い始めた。

 

 オークの主張するところでは、グルームシュは神々の中でも最も強大な存在で、したがってその時に最も大きな取り分を得る権利があったのだという。

 しかし、神々の中でも特に姑息なコアロンの率いるセルダリンと称する神々は結託して共謀し、他の者たちが争っている隙に豊かな森林の領域を自分たちのものとして掠め取っていってしまった。

 それを見たモラディンやヤンダーラ、ガールといった他の神々も次々に彼らと示し合わせて、山岳、丘陵、地下などを分割して自分たちの領域とした。

 そのためグルームシュが気が付いた時には、すでに世界にはどこにも良い場所が残っておらず、彼はその器に見合わない、他に望む者とてなかった荒れた土地しか手にすることができなかったのである。

 

 グルームシュは怒り、ならばこの手で己の領域を作ってやろうとコアロンの統べる森林から木々を引き抜くと、それを使って大地に壮大な要塞を打ち立てた。

 それは、かの神に対する明らかな挑戦であった。

 どちらが優れた領域を持つにふさわしいか、戦って雌雄を決しようという挑戦だ。

 

 しかし、あくまでも姑息で臆病なコアロンはその挑戦に応じようとせず、遠くから矢を雨のように射かけてせっかく築いたグルームシュの要塞を撃ち崩し、彼の体をさんざんに痛めつけた。

 憤激したグルームシュはコアロンに突撃し、両者はついにぶつかり合って、一昼夜にもわたってできたばかりの世界を揺るがしながら激しく戦った。

 グルームシュは力では優っていたにもかかわらず、セルダリンの他の神が卑劣にも横槍を入れてコアロンに助力したために、最後の最後に逆転されて片目を失ってしまった。

 

 この時に二柱の神々が流した血から、屈強で勇猛なオークと細身で姑息なエルフとが生まれたのだという。

 ゆえに、二つの種族の対立は、両種族の創造の時点で既に始まっていた。

 オークの歴史は不当に扱われ続けてきた悲しい歴史である、他のどの種族よりも強いのに卑怯な計略のために破れ続け、立派な王も戦士もみな死んでいった。

 だからグルームシュの子である我らオークは、いつか卑劣な他の種族に自分たちの神が受けた苦痛と屈辱の報いを受けさせ、正当な所有物を奪い返す権利と義務とを負っているのだ……と、オークたちの創世神話は結んでいる。

 

 

 

 今、歌われている物語も、筋書きはそれと変わらなかった。

 ただ、歌い方がかなり違っている。

 

 これまでにウィルブレースが聞いてきたオークの詩人の歌は、詩人自身が歌の世界に飲まれていた。

 他の種族を心から憎悪して激しい感情をぶつけて歌ってはいるが、実際に見たわけでもない神話の世界を一方的な視点で語っていて、いかにも作り物めいて薄っぺらい感じがした。

 同じオークならいざ知らず、エルフである彼女が感情移入できるようなものではなかった。

 

 対してこの詩人は、自分の感情を強く面には出さず、かなり客観的な立場で歌っていた。

 グルームシュがコアロンの行為に怒ったという事実を語っても、詩人自身がグルームシュと共に怒ることはない。

 それでいて、気のない薄っぺらいぼやけた歌い方というわけでもない。

 自分もその場に立って、神々の争いをこの目で見ているような、不思議なほどの臨場感があった。

 

(おそらく、この男は自ら戦場に立ったことがあって、その経験に基づいて歌っているのだ。それで目を傷めて、引退して詩人になったのかもしれない)

 

 ウィルブレースは歌を聴きながら、そう思った。

 本物の戦場では卑怯だのなんだのといっている暇はない、誰もが命がけで、ただ全力で戦うだけだ。

 戦場を知らず、本当のエルフを見たこともない、グルームシュの司祭の唱えるお題目を頭から信じているただの酒場の詩人にはこんな歌い方はできないだろう。

 形だけは真似られても、より深い部分で模倣のできないものが確かにある。

 

 酒場のオークたちは、誰もが詩人の演奏に陶酔していた。

 全体がひとつの感情にまとまり、物語の世界にどっぷりと入り込んでいる。

 

 ウィルブレース自身も、彼らの感情のうねりの影響を受け始めていた。

 彼女はオークの物語に感情移入している自分にふと気が付くと、いささか当惑したものの、それ以上に感嘆した。

 やはり、この男は素晴らしい腕前の詩人だったのだ。

 

(オークたちの主張はさておくとしても、同じ題材を扱うエルフの創世神話も大筋の内容は変わらないし、ある意味では似たようなものだ)

 

 世界のすべてが自分たちのものだ、他の種族はみな弱く卑劣だと決め付けるオークの主張は、他の大方の種族が顔をしかめるか、嘲って一笑に付すかするだけのものだろう。

 しかし、さまざまな種族の物語に詳しいウィルブレースとしては、オークの視野の狭さを哀れみこそすれ、侮蔑する気にはならない。

 オークたちの傲慢さや狭量さは否定のできないものだが、立場や見解の違いというものもあろうし、そうした主張をするのはオークばかりではなく、彼らはただそれを無分別なまでに率直に公言しているだけに過ぎないことを彼女は理解していた。

 

 実のところ、彼女自身が属しているエルフという種族も、心の中では自分たちこそが最も優れていると考えているという点では同じなのだ。

 

 コアロンがグルームシュの片目を奪ったことは、エルフも認めている。

 ただし、エルフの物語では争いを避けて団結した自分たちの神々の聡明さを称え、グルームシュはその利己心と視野の狭さのゆえによい領域を得られなかったのだとしている。

 グルームシュはあろうことかそれを逆恨みして他の神々の領域を侵害したことで、反撃を受けて不具となる当然の報いを受けたのだと。

 また、その戦いの際にコアロンも負傷し、流れ落ちた彼の血とのちに彼の妻となったセイハニーンの涙の混ざった土とが合わさって、この世のものとも思えぬほど優美な種族であるエルフが生まれたのだという。

 多くのエルフはそれゆえに、自分たちは獣じみたオークよりも生まれついて優れた存在なのだと強く信じているし、オークはオークで自分たちの主神を傷つけ不具にしたコアロンとその民であるエルフに対して強い憎悪の念を抱いており、他のいかなる種族よりも頻繁に戦争を挑んでくるというわけだ。

 さらに言えば、同じエルフの伝説では人間などの他の種族は神々がエルフの主神コアロンの最初の創造を真似て作り出した少々みすぼらしいまがい物で、それゆえに他の種族はエルフほど長命でも優雅でもなく、洗練されてもいないのだとされている。

 そのため、エルフはオークに限らず他の大抵の種族についても、概ね礼儀正しくは接するものの内心ではいくらか見下している節がある。

 

 とはいえ、それはあくまでも一般的にはという話であるし、大抵のエルフはコアロンの血を引いているというだけで他種族に対して絶対の優越が保証されていると思うほどには愚かでも自惚れ屋でもないのだが。

 長命なエルフは一般的に、自分たちの神話を持ち出して相手の種族のそれを否定するような、そんな無作法な真似は控えている。

 なんといっても恨みや反感は永く残るものであるから、何百年も生きるような種族としては、他人とはなるべく反目しないようにしておいたほうが賢明なのだ。

 

 もちろんエルフとオークだけではなく、他の大抵の種族にも似たような、自分たちの種族こそ最優秀だと主張する類の創造神話がある。

 

 たとえばハーフリングは、自分たちの主神ヤンダーラは人間の適応力とエルフの自由さとドワーフの勤勉さとオークの勇猛さといったように、既存のさまざまな種族のいいとこどりをしてハーフリングを作ったのだと考えている。

 だから自分たちは最初に生まれた種族ではないが、もっとも出来のいい種族なのだ、というわけだ。

 

 とはいえ、種族によってそうした自惚れの度合いにはかなりの差があるようには思える。

 自分たちよりもドラゴンのほうが優れていると認めているコボルドのような変り種がいる一方で、人間やオークの増上慢にはおよそ限りがない。

 世界は自分たちの種族を中心に回っていると、心の底から信じているようなのだ。

 

 しかし、それは決定的に大きな違いだと言えるほどのものだろうか?

 

(では、どこにそれほど大きな違いがあるのだろう? オークと人間との間には。あるいは、我々エルフと他の種族との間には……)

 

 しかし、そこで二曲目の演奏が始まったので、ウィルブレースは注意をそちらに戻した。

 オークらしく活力に溢れた詩人は、休憩も取らずに今夜の演目を最後まで歌い切るつもりのようだった。

 

 それ以降の物語は、すべてさまざまなオークの英雄たちの叙事詩だった。

 

 もっともウィルブレースの感覚では、彼らは強大な征服者ではあっても英雄とは言い難い。

 彼らは力で他人を屈服させることでのみ成り上がり、力を失えば求心力も失われてしまうからだ。

 ただ強いだけの野獣を、英雄と称えたりはするまい。

 

 オークの物語では、どんな征服者も概ね悲惨な最後を迎える。

 衰えた征服者、敗北した征服者は容赦なく叩き出され、あるいは殺されるのだ。

 勇壮な戦い、成功、容赦のない征服行……、やがて来る敗北、裏切り、避けられぬ死……。

 

 いずれも凄絶な、あるいは悲しい物語ばかりだったが、最初の創世神話と同じ素晴らしい出来で、観客は皆熱狂していた。

 それらの物語を聞いていると、不思議とウィルブレースも、オークの征服者たちに親近感がわいてきた。

 この詩人は他のオークの詩人とは違い、他の種族を悪役として扱き下ろし、思い切り残虐に痛めつけることでオークの側を立派に見せようとするのではなくて、その生き様をありのままに謳っていた。

 そこには近視眼的な彼らの悲しさや滑稽さと共に、ある種の美しさがあった。

 エルフの間にはめったに見られないほど強い、生きることへの時に空回りしたり、暴走したりする熱意と活力とが感じられるのだ。

 それは、人間という種族からもしばしば感じた特徴だった。

 

(確かに、オークは人間と似ているな)

 

 物語がすべて終わると、観客たちはみな、詩人の帽子にわずかばかりの銅貨を投げ入れた。

 

 ウィルブレースもそれに倣って、銀貨を一枚投げ入れた。

 本当は金貨か白金貨を入れたいくらいだったが、それでは周りのオークから不信感を持たれてしまう。

 

 

 

 その夜、彼女は自分の借りた部屋へ戻った詩人を密かに訪ねていった。

 どうしても、彼から直接話を聞いてみたかったのだ。

 

「失礼。さっきの客だが、あんたの歌がとても気に入ったんだ。ちょっと、あんたと話をさせてもらってもいいかな?」

 

「その声は、さっき銀貨をくれたやつだな。別に構わんが、疲れたから今夜はもう歌わんぞ」

 

「ああ、もちろん。歌はまた今度でいいさ、一緒に酒でも飲もう。疲れた喉を潤すのにいいだろう?」

 

 そういうと詩人は頷いて、部屋の戸を開けてくれた。

 

 意外なほどすんなりと許可が出たことを、ウィルブレースは少々意外に思った。

 表情などを見る限りでは、別に酒につられたわけでもないようだ。

 目がいささか不自由とはいえ、いざとなれば身を守る力には自信があるのか、あるいはバードとして人を見極める目には自信があるのだろうか。

 

「ありがとう。まあ、まずは一杯やろう」

 

 そのオークの酒は強い蒸留酒でエルフである彼女の口には合わなかったが、こちらは話を聞く側なのだから我慢して付き合わねばなるまい。

 先程、歌の出来に対して不当に少ない額のおひねりしか出せなかったことへの埋め合わせの意味もあった。

 

 なお、ウィルブレースが男っぽい喋り方をしているのは、彼女が男性のオークの姿に変身しているからである。

 

 力がものをいうオークの社会には明らかに男尊女卑的な傾向があり、女性はせいぜい二級市民で、悪ければ家畜か男の勲章程度の価値の所有物扱いをされることも珍しくない。

 よって、男性の姿の方が何かと便利なのだ。

 

 中身がエルフかつ同性なので普通の粗暴なオークの男よりも好ましい雰囲気を感じるのか、酒場などでよく女性のオークが寄ってくるのには少々悩まされていたが。

 

 ウィルブレースは用意しておいた酒とつまみものを並べると、礼儀としてオークの神を称える言葉を述べながら杯を掲げた。

 

「グルームシュの武勇に」

 

「ああ。コアロンの竪琴にもな」

 

「……なんだと?」

 

 ウィルブレースはぎくりとしたが、努めて平静を装った。

 

「おい、なぜエルフの神を称える必要がある? お前、グルームシュの怒りを買いたいのか?」

 

 詩人はそれを聞くと、ひとつ鼻を鳴らして含み笑いをした。

 

「エルフにグルームシュを称えさせた褒美で、帳消しになるだろうさ。そもそもグルームシュが、片方しかない目でいちいち俺などのことを見張っているほど暇だったらの話だがな」

 

「……。なぜ?」

 

 ウィルブレースは困惑して、そう尋ねた。

 

「俺にはお前の格好はよく見えないが、声は確かにオークだ。だが、喋り方でわかる。お前たちの種族の発音の仕方は、戦場でよく知っている。オークには、そんな歌うような話し方をするやつはいない。それに、行儀もよすぎる。不具の詩人の部屋にいちいち許可を取ってから入り、土産の酒を並べるオークがいるか」

 

「盗みをはたらきに来たか、酒に毒を入れたとは思わないか?」

 

「それこそエルフの発想だな。オークはそんな行儀のいい奪い方はしない、ものもいわずに押し入って殴り殺す。そんな相手は、もう何人も返り討ちにしているが」

 

 連中から奪った金の方が歌って得る収入より多いくらいだといって、詩人はまた笑った。

 それが冗談かどうかは判断がつかなかったが、ウィルブレースも笑った。

 

「……なるほど、私が間抜けだったのかもしれないが、あんたの観察力には恐れ入ったよ。だが、なぜというのは、『なぜ分かったのか』だけじゃない。『なぜエルフだと思っているのに話をしてくれる気になったのか』もだ。他の連中にそのことを伝えて殺してしまえば手柄になる、褒美がもらえるとは思わないのか?」

 

「お前の考え方は骨の髄までエルフ的だな。同じ手柄を立てれば、誰でも同じ報いが得られるものと考えている。オークのやり方は違う、不具の詩人など名誉に値せん。どうせ手柄は取り上げられるし、褒美は仮にもらえたとしても、せいぜい酒代にもならんびた銭がいいところだ」

 

「だが、オークは単にエルフを殺せるというだけでも、喜んでそうするのが普通ではないのか?」

 

「そうとも。だが、俺が普通でなきゃいかん理由でもあるのか? エルフがオークの歌や話を聞きたがるのが普通だとも思えんが」

 

「…………」

 

「いいか、俺は詩人だ。みんなが俺の歌を聞いて、英雄のことを知るだろう。そいつらが俺の代わりにどこかで英雄を見て、その話を持ち帰る。俺がそれを聞いて、新しい歌を作って、またみんなに聞かせるんだ。俺が誰かを殺す必要がどこにある?」

 

 詩人はそう言ってぐいと酒をあおると、簡単に自分の身の上話をして聞かせた。

 

 かつて従軍詩人として、他の種族と戦ったこと。

 目をやられて死を待つばかりの自分を救ってくれたのが、敵であるはずのドワーフの神官だったこと。

 相手の姿を見れなくなって初めて、オーク以外の種族はすべて卑劣な略奪者だとするそれまで教えられ信じてきた大義に疑念を抱いたこと……。

 

「グルームシュは、片目をなくしたときに恐れをなして逃げ出した。それでもう片方の目が残ったから、その目でエルフが死ぬところを見たいと思って、オークをたきつけて殺しに行かせようとしている。俺は両目が悪いから、お前が死んでもその様子を見れない。お前を殺しても意味がないのだ。グルームシュも踏み止まって両目をなくすまで戦っていたら、コアロンとて彼の強さを認めざるをえなかっただろうな」

 

 ウィルブレースはじっと詩人の顔を見つめながら、彼の話に耳を傾けていた。

 そうして間違いなく信頼できそうな相手だとわかると、部屋の戸をしっかりと閉めてから自分の正体を明かして、騙そうとした非礼を詫びた。

 オークの集落の中で変身を解くことは危険であったが、尊敬すべき相手を騙し続けるのは彼女の流儀ではない。

 

 詩人はエルフだということは既に確信していたものの、まさか女性だとは思わなかったようで、いくらか驚いていた。

 

「……それで、どうしてエルフがオークの歌を知りたがる?」

 

 その問いかけに、自分の抱いているささやかな疑問を解消するためだと正直に理由を話して聞かせると、詩人は愉快そうに笑った。

 

「エルフは、少なくとも女のエルフは、オークよりもよほど無鉄砲らしい」

 

「いいえ、時間が余っていて、なんでもやってみたがるだけなのよ。それで、あなたはどう思うかしら?」

 

「オークも他の種族も、大して変わらん。だが、他の目明きの連中はそうは思ってくれん。オークもエルフも、ドワーフも人間も、それ以外の誰もな。だから俺は、自分に見えたことを歌うことにした。別に他の誰かを否定しようってわけじゃない、ただ感じたことを話したいだけだ。俺にはエルフほど時間が余ってないから、それが終生の仕事になるだろう」

 

 ウィルブレースは少し考えると、目の悪い詩人にもよく見えるように近寄って、上目遣いに彼の顔を覗き込んだ。

 彼の考えに完全に共感できたわけではないが、もう少し共に時間を過ごすことは間違いなく有益であると思えた。

 

「では、しばらくその仕事に同行させていただいてもいいかしら? 私も詩人なの。邪魔にはならないわ」

 

 

 

 

 ――その晩、二人は同じ部屋で夜を明かした。

 そしてあくる朝になると、連れ立って旅に出たのだった。

 

 

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

(まったく、ころころ変わってわっかりやすいわ~)

 

 キュルケは歌に耳を傾けながら、時折タバサの表情の変化を盗み見てにやにやしていた。

 といっても、ころころ変わってるように見えるのはタバサと親しくしているわずかな者だけで、普通の者には無表情のまま大して何も変化してないように見えるだろうが。

 

 ディーキンが楽しげにウィルブレースのことを話すのを聞いている間は、不安そうな顔や、複雑そうな顔や、不機嫌そうな顔や、悲しそうな顔をしていた。

 が、最後にオークの詩人と彼女が懇意になったのを彼が話している様子を見ると、露骨にほっとしたような顔になった。

 他の男と仲良くなるくだりをああも楽しげに話せるところから見て、彼のウィルブレースに対する感情はあくまでも憧れや親しみであるということがわかったからだろう。

 

(最初から火を見るより明らかなんだから、いつまでも小難しいことを考えてないで今夜あたり夜這いでもすればいいのよ)

 

 明日は大事な決戦なのにとか、ここにいる者もどれだけ死ぬかもしれないのに不謹慎だとか、そんなことを言う者もいるだろうが……。

 それはそれ、これはこれだ。

 恋はすべてに優先する、何者にも遠慮は無用だというのが、キュルケの信条である。

 

 方向性は違えど、あるいは自分もタバサに劣らないくらいに舞台の上の小さな詩人にまいっているのかもしれないな、とも思った。

 自分だけではなく、ルイズやシエスタも……、いや、もしかしたら、ここにいる全員が。

 

 なにせ明日は、こちらの百倍以上の数の敵と戦おうというのである。

 普通に考えて逃げなきゃ死ぬが、いまだに城に留まっている。

 死ぬ義理も義務もないのにそんなことをするのは、自殺志願者か発狂者か、さもなければ危機感ゼロの馬鹿だというのが、まず正常な判断であろう。

 なのに、まるきり死ぬ気がしてないようで、こんな風に楽しんでいるというのだから。

 

 どんなに燃えるような恋をした男が相手でも、そこまで信頼はできないだろう。

 一緒に死ぬ覚悟はできても、勝つと信じることはできまい。

 

(それが詩人の力ってものかしら。それとも、英雄の力?)

 

 そんな風にキュルケが考えていた時、もう一人の詩人にして英雄が、ようやく会場に戻ってきた。

 

 

 

 演奏が一段落するのを待って舞台に上がったウィルブレースは、群衆の自分を見る目が出かける前と変わっていることに気が付いて首を傾げる。

 彼女はディーキンからこれまでの話の流れを聞くと、肩を竦めて彼の後を引き継いだ。

 

「彼が、私のことを何か大袈裟に話し過ぎたのでなければよいのですが」

 

 ウィルブレースはそう前置きをしてから、オークの詩人としばらくの間旅を続けて、ついに彼と共にエルフの集落へ帰った後のことを話し始めた……。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。