Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia 作:ローレンシウ
ウィルブレースが武器庫に置かれていた樽をひとつ抱えてまた瞬間移動で帰還してくると、その場にいた皆が彼女の周囲に集まった。
「失礼します。これの中身は、銃器などに用いる火薬ではないかと思うのですが……合っていますか?」
コルベールが検分して、中身は火の秘薬から作られた火薬に間違いないことを確認すると、ウェールズが顔を輝かせる。
「ありがたい、火薬はこのところずっと不足していたのだよ」
「そうですか。こちらの方では、銃器がかなり大規模に用いられているようですね。……では、明日の戦いに備えて、もう少し持って来ましょう。弾薬や砲弾らしきものもありましたので、それも。他にも、武器や鎧などの備品で不足しているものがあればお申し付けください」
そう言って、てきぱきと敵陣と城内とを往復しては大量の武器弾薬をこともなげに掠め取ってくるウィルブレースの手際に、ルイズらはみな舌を巻いた。
彼女は私物として、懐に折り畳んだ《携帯用の穴(ポータブル・ホール)》と呼ばれるマジックアイテムを所持していたので、その中へ大量に詰め込んではどんどん運び出してきたのだ。
「オオ、さすが、お姉さんはすごいの。……ウーン、でも、盗みがあったのがばれたら困らないかな?」
ディーキンは彼女の手際を賞賛しながらも、そう言ってちょっと首を傾げた。
盗みが露見すれば、いったい誰がどうやって陣中から大量の武器弾薬を気付かれずに持ち去ったのかという話になり、デヴィルらが瞬間移動の使い手が敵側に存在する可能性を疑い出さないとも限らない。
「おそらく、大丈夫と思います。これらは普段使われていない予備の備蓄のようで、建物の奥まった場所にしまってありましたから。中身を抜いた空箱だけ元通りに戻しておけば、今日明日の内に露見するということはまずないでしょう。逆に、兵舎や天幕の中ですぐに持ち出して使えるよう準備されているものは、気付かれずに盗み出すことは困難ですね。おそらく、明日の戦いに用いられるのでしょうが……」
「ううむ。さすがに、向こうの武器を全部奪い取るというようなわけにはいかないのか」
ギーシュは火薬樽の中を覗き込みながら、そう言って顔をしかめた。
まあ、何千何万の兵が使う武器弾薬のすべてを彼女一人で一昼夜のうちに奪い去るなどということは、そりゃあ不可能だろう。
途中で絶対に気付かれるだろうし、よしんばそうならなかったとしても、量的にも無理があるはずだ。
大型のカタパルトや大砲なんかも、たくさんあることだろうし……。
「ならば、奪いきれない火薬は火をつけて回って吹き飛ばしてしまうというのは? 武器や兵器の類がなくなれば平民の兵は無力化します、敵の戦力を大幅に削げるかと」
ロングビルが、横合いからそう提案した。
平民の兵を軽んじるメイジは多いが、呪文の詠唱中に身を守ってくれる前衛の兵がいなければ、メイジもその能力を十全には発揮できないのだ。
数を揃えた矢や銃弾の一斉射撃は、強靭な亜人や巨人の類をも仕留めうる侮れない戦力にもなる。
おまけに大砲やカタパルトも使えないとなれば、城攻めには苦労するはずだ。
それらの兵器に代わる火力となりうるのはメイジの呪文だが、城壁を突き崩すほどの強力な呪文は詠唱に時間がかかるし、射程もそう長くはない。
既に勝ちが決まったも同然の戦でこのままいけば間もなく勝利の美酒と栄光が味わえるはずの貴族たちが、満足な護衛や砲撃の援護もなしで前線に出てきて命の危うい城攻めを行うというのは、相当な勇気がいる行為であろう。
あるいは膂力に優れる巨人や亜人の類を前に押し出して攻撃させようとするかもしれないが、そういったでかぶつは前線に出れば銃弾や砲弾のいい的になるのだ。
ろくな武器もなくなった兵からそんなことを強要され続ければ、元より気性が荒く人間を見下す傾向の強い連中のこと、激昂して反乱を起こす可能性も無きにしもあらずである。
しかし、ウィルブレースはあまりよい顔をしなかった。
「いい作戦だと思いますが……、爆発や火災によって犠牲となる者が、大勢出るのではないでしょうか?」
純粋に敵の戦力を削ぐだけの目的ならそれはなおさら結構なことだろうが、ウィルブレースはできる限りフィーンド以外を殺害するのは避けたかった。
彼女はあくまでもデヴィルの謀略から人々を救うことに同意したのであって、殺し合いに手を貸そうというわけではない。
火薬や銃弾を奪ってきたのも、それをフィーンドと戦うのに用いるためであって、人間たちに同族の兵を撃たせるためではないのだ。
「そりゃあ、犠牲者は出るでしょうよ。明日の戦いでも、ね。お気持ちは分かりますけど、あなただって戦場のことはよくご存知なんでしょう?」
キュルケは、そう言って肩をすくめた。
彼女としても、もちろん敵側の人間を殺さずに済むならそれに越したことはないとは思っているが、戦争で一人も殺さずに勝つなどというのはおよそ非現実的な話だ。
味方の犠牲を減らすために敵の戦力を削ぐ過程で多少の死者が出たとしても、それは当然のことであり、仕方がないことだろう。
ウィルブレースはにっこりと微笑んで、そんなキュルケの顔を真っ直ぐに見つめた。
それは、特にそのケはない上に場慣れしているはずの彼女でさえ思わずどきりとして、いくらか敗北感を味わわされるほどに魅力的な微笑みだった。
「ええ、よく知っています。戦場には残酷な現実があることを。そして、その上でなお理想を追う意思を持ってこそ現状を覆す英雄が現れ、奇跡が起こるのだということも、私はこの目で見てきました」
そう話した上で、ウィルブレースはさらに付け加えた。
「それに、善悪の面を抜きにしても、それでどの程度有利になるかには疑問があります。吹き飛ばしてしまえばその武器が使えないことは誰の目にも明らかで、そうなれば敵方もそれに頼らない戦術を新たに組み直すか、態勢を立て直すかして明日の戦いに臨むはず……」
たとえば、焼け残った武器をかき集め、足りない分は土メイジが錬金した即席の武器を兵たちに配布して戦わせるといったことができるだろう。
もちろん、そうして補充した武器は、二度と放火などされないよう厳重に見張られるはずだ。
敵方はこちらより数で圧倒的に勝っているのだから、多少火力が落ちたとしても、その程度では決定的に有利とはなるまい。
「何よりも、向こうにも私と同じようにテレポートで物資を輸送出来るデヴィルが、それも複数いることを忘れてはならないでしょう」
回数無制限で瞬間移動を行うことのできるデヴィルがいれば、後方にある別のレコン・キスタの拠点から武器や兵器を取り寄せて損失分を埋め合わせることは十分にできよう。
さらに、状況からみて敵方にも瞬間移動を行える者が存在するのではないか、と気付かれてしまう恐れもあるのだ。
そうして警戒を強められては、かえって不利になる可能性すらある。
「……ですが、武器が使えるつもりで陣形を組み、戦場に臨んで初めてそれが役立たずだとわかったなら? 咄嗟に態勢を立て直すことは遥かに難しく、動揺も大きくなるはずです。そのようにしては、どうでしょうか」
ウィルブレースがそう言うと、他の面々は首を傾げた。
「……つまり、敵方の武器をそれとわからぬように役立たずにする、と? そんなことが可能なのか?」
ウェールズの問いに、ウィルブレースはあっさりと頷きを返す。
「どの程度上手くいくかまではわかりません。しかし、私の裁量で行う許可をいただけるのでしたら何とかやってみて、数時間ほどで結果をご報告いたしますが……」
他に取るべき策もない以上、ウェールズらには同意して頭を下げるしかなかった……。
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ウィルブレースは敵陣に戻ると、まずは姿を隠したままで、明日の戦いに備えて用意されていた大砲のところへ移動した。
そして、自分の体が非実体であることを利用してその内部へ入り込み、内側から直接構造を確認していく。
彼女は特に火器に詳しいわけではなかったが、豊富な知識と、それを最大限に活かすための並外れて優れた知力、判断力を持っている。
大砲の基本的な作りは、すぐに把握できた。
(よし。ここを、少々弄れば……)
ウィルブレースは《物体変身(ポリモーフ・エニィ・オブジェクト)》の疑似呪文能力を用いて大砲の内部に細工を施し、外見上は何の変化もないままで使用することができない状態に変えてやった。
一旦やり方がわかってしまえば、あとは同じことを繰り返すだけだ。
ウィルブレースはてきぱきと動いて並んでいる大砲に次々に細工を加え、使用不能の状態にしていった。
カタパルトや投石機などの他の大型の兵器類にも、それぞれにうまく機能しなくなるような細工を施していってやる。
相当な数があったが、最初にどこをどう弄ればいいのかさえ確認してしまえば、後はそれぞれに対して数秒で発動できる疑似呪文能力を一回使うだけの作業で済んだ。
空を飛ぶ飛行船の類もあるということだったが、このあたりには姿が見えなかった。
明日の戦いには使わないつもりなのか、でなければ今は停泊に適した別の場所に泊めてあって、戦いの始まる頃に投入して空から地上へ向かう退路を断つつもりなのかもしれない。
そうなると、今日のうちに細工をしておくのは難しそうだが……。
(数はせいぜい数隻から十数隻だろう。もし明日の戦いで姿が見えたら、私たちで何とかするか)
ディーキンや眠れる者が乗り込んで、内部から制圧する。
もしくは、自分が乗り込んで、《物体変身》で重要部分の材質を変化させるなどして航行不能の状態に追い込む。
内部の敵の戦力次第だが、瞬間移動で乗り込む分には対空射撃も関係ないのだし、まあできないこともあるまい。
それに、こちらには元より退避する予定はなく城に閉じこもって守るつもりなのだから、飛行船からの砲撃その他の攻撃が嫌がらせ以上の害にならないようなら放っておいてもよい。
竜騎士などの空を飛ぶ敵もいるが、数は少ないようだから大きな害にはなるまい。
いかに強力な幻獣といえども、堅牢な城へ少数で正面から攻めたのでは対空射撃のいい的になるだけだ。
もし手強いようなら、船と同様、自分たちが何とかすればいいだろう。
(本当に厄介なのはデヴィルだが……。少数のスピナゴンやアビシャイ程度なら、なんとかなるか……)
そうして考えが一段落すると、ウィルブレースは次の案件に移った。
(では、兵士たちの手持ちのマスケット銃はどうする?)
おそらく数百……、いや、数千丁はあるだろう。
さすがに数が多すぎるので、そのすべてに細工をして回るというのは難しそうだ。
それに、大砲と違って比較的容易にぶっ放せる代物だから、かなりの人数が戦場へ向かう前に念のため試し撃ちをしてみるということが十分考えられる。
『あれ、俺の銃が使えないぞ?』
『なに、お前もか』
『こっちもだ、一体どうなってるんだ?』
――そんなことになったら、何か異常な事態が起こっていると気付かれてしまうだろう。
そうなると、さて。どうしたものか?
(……後が続かぬよう、予備の弾薬を奪っておくか……)
兵の数が多いということは、消費する弾や火薬の量もそれだけ多くなるということだ。
それぞれの兵が携行している銃や弾薬には細工できないとしても、必要になって初めて開封されるのであろう火薬樽や弾薬箱の中身に細工をしておくことはできる。
そうすれば、敵は交戦を開始していくらも経たぬうちに弾薬が打ち止めになるはずだ。
こちらは籠城しているのだから、大砲などの攻城兵器さえなくなれば、それまでの間持ちこたえるくらいのことは十分にできよう。
ウィルブレースはそう決めると、まずは明日の戦いに使用するらしい物資を詰め込んだ荷車の中から、銃弾が入っている弾薬箱を積んだものを探した。
非実体の体を箱の中に直接突っ込んで、片っ端から中身を確認していく。
(これだな)
程なくして、ウィルブレースは小さな金属の球がぎっしりと詰め込まれた木箱がたくさん積まれた荷車を発見した。
彼女は《物体変身》の疑似呪文能力で《金属を木に(トランスミュート・メタル・トゥ・ウッド)》の呪文の効果を再現し、木箱の中にあった金属球をすべて軽い木製の弾に変えてやった。
矢ならともかく、球形をした小さな弾丸は木製では軽すぎて空気抵抗のためにろくに飛ばず、たとえ飛んだとしてもまともな殺傷力はなくなって武器としての用を成すまい。
(よし、あとは火薬の方もどうにかしておこう)
フェイルーンのスモークパウダーなどもそうなのだが、この世界の火薬も硫黄からメイジが魔法的な製法を用いて作ったものであり、魔力を帯びているがゆえに《物体変身》の効果を受け付けない。
しかし、何も火薬そのものを変化させなくても、使えなくすることはいくらでもできるのだ。
ウィルブレースは火薬樽を構成している内側の木片の一部分に術をかけ、大量のコールタールや膠、漆、脂などの有機性の物質に変えて、樽の内部にぎっしりと詰め込んでおいた。
樽を開けてみたら中の火薬には得体の知れないどろどろした不純物が混じっていたというのでは、とても使う気にはなれないだろうし、実際使いものになるまい。
この世界の土メイジには『錬金』という高性能な変成術があるらしいが、粉末状の火薬に混ざり込んでしまった不純物だけをすべてきれいに取り除くなどということが難なく出来ようとは、さすがに思われない。
元となった木片よりも体積を大幅に増やしたので《物体変身》の効果は永続しないが、数日かそれ以上は持つだろうし、戦いは明日なのだからそれで十分だ。
(これで敵側の火器、兵器の類は、大部分が潰れたはず……)
こちらの軍は先程奪った武器弾薬も補充して十分に武装しているのだから、槍や弓矢だけでは、いかに大群とはいえ堅固な城を落とすことは困難だろう。
このままでは容易に城を落とせないとわかれば、デヴィルの指揮官である堕天使たちはどうするだろうか?
安全策を取って、一旦退いて武器弾薬を補充し、態勢を立て直そうとする可能性ももちろんある。
しかし、神の御遣いとしての体裁と求心力を維持し続けたい側としては、一時的にせよ兵たちの前で無様に退却する、というのは面白くあるまい。
おそらく、戦況を打開するために多少の危険を押してでも、自ら前線へと赴いてくるはずだ。
その時こそが、奴らの化けの皮を剥がす好機となる。
とはいえ、それはすべてがこちらの狙い通りにいった場合のことである。
戦いは、特に軍隊同士がぶつかり合う大人数の戦いなどというものは、何が起こるかわからないものだ。
こちらの想定どおりにことが運ばなかった場合や、急に状況が変わった場合にどう対応するか。
仲間たちにも後で自分がしたことを説明し、入念に打ち合わせをしておかなくては……。
(……むっ?)
ウィルブレースがそんな風に考えていた時、突然、周囲に角笛の音のようなものが響き渡った。
何かあったか、まさか自分が見つかったわけではあるまいなと一瞬わずかに焦ったが、その響きがまだ消えないうちにあちこちの兵舎や天幕から兵たちがぞろぞろと姿を現し、陣地の一角へ向かい始める。
どうやら、集会かなにかの合図だったらしい。
大方、明日の戦いを前に司令官が演説をしたり、ちょっとした宴でも催したりして、兵たちの士気を高めておこうというのだろう。
彼らの表情や足取り、向かっていく先に準備されている品々などから、ウィルブレースはそう判断した。
なんにせよ、こちらにとっても好都合である。
兵たちの大半が出払っている間にもう少しいろいろな仕込みをすることもできようし、何よりも、一堂に会した者たちを詳しく観察する機会ができたのだから。
ウィルブレースは周囲の目を警戒しながらも、密かに兵たちの後に続いて、集会の場へ向かった……。
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「君たちこそ、正しく真の始祖の民というに相応しい」
やや高くなった台から、司令官の『ル・ウール侯』が整列した兵たちに賞賛の言葉を与えている。
なにがしかの魔法で声を増幅しているらしく、その声は遠くまでよく響く。
彼に従う2人の“天使”は、祝福するように微笑んで兵たちを見下ろしながら、彼らの上空をゆっくりと旋回していた。
「明日の戦いで、君たちはついにかつての誤った忠誠を完全に正し、真の主に永遠に仕えることとなるだろう。私は、主の元へ戻ったときに、君たちの行いを余さずお伝えすることを約束しよう!」
多くの兵士が、上官のその言葉に歓声を上げる。
上空にいるエリニュスたちに発見されないようやや離れた位置から様子を見つめながらも、ウィルブレースは内心少なからず憤っていた。
(かつての主を裏切らせ、偽の大義に仕えさせることで兵たちを地獄の主の元へ送り、あわよくばナルズゴンにでも変えようというのか?)
ナルズゴンとは、悪しき主君や堕落した大義に盲目的に仕えることによって、結果的に大いなる悪に加担した者たちの魂から生み出されるデヴィルである。
自らの邪悪さゆえの報いを受けて永遠の盲従を運命付けられた彼らは、悪なりに高潔な戦士であり、卑劣な陰謀よりも直接行動と勇気に重きを置いている。
ひとたび忠誠を誓ったナルズゴンは二心を抱くことなくその約束を守り通すため、アークデヴィルたちはそれらの地獄の旗手を一騎でも多く配下に抱えることを切望しているという。
今すぐに斬り殺してやりたいところだが、そこはぐっと我慢して、ウィルブレースはこの場で確認しておかねばならないことを考えた。
(……何はなくとも、まずはあの司令官の正体か)
デヴィルに誑かされたか、もしくは憑依でもされたかしただけの、ただの人間だという可能性もゼロではない。
しかし、事前にウェールズらから聞いた話からすると、どうもそうではなさそうだった。
あの男は既に死んだアルビオンの英雄『ル・ウール侯』なる人物にそっくりで、本人も神の奇跡によって甦ったと主張しているらしい。
蘇生魔法では本人の同意なく死者を復活させることはできないし、まさか英雄と呼ばれるような人物が自らの意思でデヴィルに加担することを選んだはずはあるまい。
そうなると、アンデッドの類だろうか?
ただ、ここ数日以内に死んで屍が残っている人物ならともかく、かなり昔に死んで既に骨になっている人物を生前の姿そのままのアンデッドにすることは、不可能ではないが難しいだろう。
多少の演技力と十分な能力があれば、デヴィル自身、ないしはドッペルゲンガーのような種族が成りすますということも可能なはずだ。
いずれにせよ、適切な対策を立てるためにも、正体は確実に確かめておかなくてはならない。
重要なことだけに、後ほど危険を冒してでも司令部らしき建物の中へ潜入して調べてこねばならないかと思っていたところだ。
この場で調べることにも危険はもちろんあるが、好機を逃すべきではない。
ウィルブレースは、上空にいるエリニュスたちの《真実の目》の範囲に入らないよう気を付けながら司令官の背後に回り込み、自分の《真実の目》の効果範囲に収まるまで、ゆっくりと彼に近づいていった。
そうしてその正体を確認すると、直ちにその場を離れて、次の行動を検討した。
(……デヴィルの正体を明かせば、こちらについてくれそうな指揮官はいるか?)
今、正体を確認することで、あの司令官とは和解はありえず、完全に排除してしまわなくてはならないことがわかった。
そうなると、明日の戦いで敵方の司令官や“天使”たちの正体を暴き、フィーンドどもを軒並み始末できたとして、その後に残された混乱して途方に暮れているであろう兵たちをまとめてくれる者が必要になる。
指揮権を引き継ぎ、反乱軍をまとめなおして、王党派へ降伏するように事を運んでくれるだけの能力と、身分と、志のある人物が。
(この場で目星をつけておいて、後ほど密かにウェールズ皇太子と共に話をすることはできないだろうか?)
司令官から少し離れた場所に、人間の士官らしい人物が並んでいるのが見える。
自分にわかるのは悪の属性かどうかくらいで細かい人柄などまではわからないが、後でまたウェールズらに姿を再現して見せれば知っている人物がいるかもしれない。
それにもしかしたら、中にはあの司令官と同じような者も混ざっているかもしれないし、それも確認しておくべきだろう。
ウィルブレースは司令官の演説が終わらない間にと、細心の注意を払いながらも急いで士官たちの姿を一通り確認していった。
それが済むと、今度はそれ以外の兵たちのうち、気になった者だけをざっと傍で確認し、人気のなくなった兵舎などを回って若干の仕込みを済ませる。
(よし……、これでいい)
自分が今日ここでするべきことは、これで一通り済んだはずだ。
帰還してウェールズ皇太子やディーキンらと打ち合わせをして、その結果次第ではまだもう少し戻ってくる必要があるかもしれないが、ひとまずは引き上げよう。
欲をかいて長居し過ぎても大した成果は上がらないだろうし、ぼろが出る危険が増すばかりである。
ウィルブレースは冷静で思慮深くはあるが、衝動的な混沌にして善の気質を持つエラドリンであることもまた間違いないし、彼女自身そのことをよく知っていた。
いつまでも不快なフィーンドどもの傍にいて、剣を叩きつけたい衝動を我慢し続けられるかどうか自信がない。
(さあ、今日はもう引き上げて、気持ちを切り替えて。今夜の宴を精一杯楽しめるものにしましょう)
宴のことを考えると、気持ちが華やかになった。
明日に大変な戦いが控えているとしても、だからといって今日を楽しんではいけない理由にはならない。
バードなら、人々の前では常に楽観的で希望を与えられるような態度を心掛けるべきだ。
今夜はどうやってみんなを楽しませようか、ディーキンらとどんなふうに共演できるだろうか。
ウィルブレースはそんな風に楽しい宴の時に思いを馳せながら、敵陣を後にしたのだった……。
《携帯用の穴(ポータブル・ホール)》:
フェイズ・スパイダーの糸とエーテルの繊維と星の光を織って作った、異次元空間に通じる円形の布。折りたたんだ状態ではハンカチほどの大きさしかないが、何かの表面の上に広げると直径6フィート、深さ10フィートの異次元空間につながり、内部に物を収納しておくことができる。どれだけ多くの物を収納しても、布の重量が増えることはない。
ポリモーフ・エニィ・オブジェクト
Polymorph Any Object /物体変身
系統:変成術(ポリモーフ); 8レベル呪文
構成要素:音声、動作、物質(水銀、ゴム、煙)
距離:近距離(25フィート+2術者レベル毎に5フィート)
持続時間:本文参照
この呪文は対象の物体ないしはクリーチャーを他のものに変化させることができる。生物を無生物に変えたり、逆に無生物を生物に変えたりすることさえ可能である。
呪文の持続時間は、本来の状態から変化後の状態になるのにどれだけ激しい変化があったかによる。
動物・植物・鉱物などの界が同じかどうか、哺乳類・菌類・金属などの網が同じかどうか、サイズ分類が変化していないか、変化先と変化前のものには関連があるか、変化によって知力が上昇していないか、などが持続時間に影響してくる。
たとえば、小石を人間に変えるのであれば効果は20分しか持続しないが、人形を人間に変える場合には持続時間は1時間になり、もしもその人形が人間大のマネキンであれば持続時間は3時間にまで伸びる。ネズミを人間に変える場合は効果は1週間持続し、人間をネズミに変える場合には効果は永続である。
呪文の対象は変身先の姿が持つ【知力】を得る。また、対象が【判断力】や【魅力】を持たない物体である場合には、それも変身先の姿と同じになる。
銅、銀、宝石、絹、黄金、白金、ミスラル、アダマンティンなどの素材自体の価値が高い物質や、魔法のアイテムをこの呪文で作り出すことはできない。
魔法のアイテムに対しては、この呪文は作用しない。
この呪文はベイルフル・ポリモーフ(対象の生物を無害な小動物などに変える)、ポリモーフ(対象の生物を一時的に変身させる)、ストーン・トゥ・フレッシュ(石製の対象を肉に変える)、フレッシュ・トゥ・ストーン(生身の対象を石化させる)、トランスミュート・マッド・トゥ・ロック(効果範囲内の泥を石に変える)、トランスミュート・メタル・トゥ・ウッド(効果範囲内の金属を木に変える)、トランスミュート・ロック・トゥ・マッド(効果範囲内の石を泥に変える)の各呪文の効果を再現するために使用することもできる。
トゥラニ・エラドリンは、この高レベルの呪文を疑似呪文能力として、回数無制限で使用することができる。