Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia 作:ローレンシウ
普段の温厚で気弱そうな様子とはまったく違う、何か得体の知れぬ凄絶な気配を発して目の前の相手をにらみつけるコルベール。
目が見えぬとはいえ、そんな敵と対峙して怯えるどころか、感極まったように手を広げて喜びを表すメンヌヴィル。
2人のただならぬ様子に思わず戦いの手を止めて何事かと聞き入る皆の前で、メンヌヴィルは狂笑しながら滔々と語り始めた。
自分とコルベールとが二十年前、下級貴族から成る汚れ仕事を行う特殊部隊、“魔法研究所実験小隊”に所属していたこと。
コルベールは同部隊の隊長であり、『炎蛇』と呼ばれた強靱にして無情な炎の使い手であったこと。
疫病の広まった村を焼けという任務を受けたとき、老人や女子供でも容赦なく焼き殺していくその姿を見てすっかり彼に惚れ込み、彼のようになりたいと思ったこと……。
「実はあのダングルテールとかって村は、疫病でも何でもなかったらしいがな。ロマリアの要請を受けてそこに潜伏した新教徒を狩り出さなきゃならなくなったんで、そのための口実だったとか……。はははは、まったく傑作だ!」
コルベールの後ろでうずくまったままのフーケは、あまりに意外な話にただ呆然として彼の背中を見上げていた。
自分もいろいろと紆余曲折のあった身だが、まさか妙な研究に熱を上げるばかりの昼行灯だと思っていたこの中年教師に、そんな凄絶な過去があったとは。
ギーシュやシエスタもどう反応していいのかわからず、ただ困惑して顔を見合わせた。
ルイズにとっては、特に衝撃の大きな話だったようだ。
昔のこととはいえ、自分が忠実に仕える母国がまさかそんな非道なことを、それも現在では実の姉のエレオノールが所属している魔法研究所(アカデミー)で行っていたなんて……。
「隊長殿が本当に俺が惚れ込むだけの器か確かめてやりたくてなあ! だから俺はあの時貴様を襲って、その結果がこれだった。ずっと礼が言いたかったんだ! ようやく見つかったよ、こんなに嬉しいことはないぞ!」
焼けただれて白濁した自分の両目を示しながら、狂喜してわめき続けるメンヌヴィル。
対峙するコルベールの顔は、そんな話を聞くうちにますます暗い影に覆われていった。
しかし、彼が単に過去のことを思い出して落ち込んでいるのではないことは、離れた場所から彼の様子を窺うルイズらにも感じ取れた。
今の彼は、何か……説明し難い恐ろしい気配、いわば鬼気とでも言うようなものを発しているのだ。
コルベールは突然、無造作に杖を横に向けた。
その先端から巨大な炎の蛇が躍り出て、この隙に不意打ちを仕掛けてやろうと密かに仲間の影で呪文を紡いでいた一人の傭兵メイジの杖にかぶりついた。
一瞬にして杖を燃やし尽くされたその傭兵が、熱さに悲鳴を上げる。
はっと我に返ったルイズがそいつの足下に素早く小規模な爆発を起こして追い打ちをかけ、吹き飛ばして昏倒させた。
「なあ、ミス・ヴァリエール」
コルベールは笑みを浮かべて、ルイズの方に顔を向けた。
その二つ名である蛇を思わせるような、感情のない冷たい笑みだった。
だが、かみ締めた唇の端からは炎のような血が流れて、その顎を赤く彩っている。
それはぞっとするような姿だと言えたが、ルイズは不思議と彼のことを恐ろしいとは感じなかった。
「君は、学業優秀な生徒だったね。ひとつ『火』の系統の特徴を、このわたしに開帳してくれないかね?」
ルイズは困惑しながらも、半ば反射的に答えた。
「……は、はい。情熱と破壊が『火』系統の本領であると、よく言われています」
「うむ……。情熱はともかくとしても、『火』が司るものが破壊だけでは寂しいと……私は二十年間、ずっとそう思ってきた」
コルベールは、少しだけいつもの穏やかな顔に戻って頷いた。
「……だが、君の言うことが真実だろう」
「ミスタ……」
その寂しげな声にルイズは、またギーシュやシエスタも、そしてフーケも、胸が締め付けられるような思いがした。
彼はおそらく、過去の行いについてずっと苦悩してきたのだろう。
これまでにもたびたび、彼が授業中に『火』を使った妙な発明品を嬉しそうに披露するのを見た。
ほとんどの生徒は退屈な思いでそれを聞いて、役にも立たない趣味にばかり熱中する変わり者でうだつの上がらない教師だと内心で小馬鹿にしていた。
ディーキンだけは、まるでノームの発明品のようで素敵だとか言って、彼の研究室にも顔を出して話をしたりしていたようだったが……。
今にして思えば、破壊や殺戮ではない『火』の使い方を見つけることこそが、彼の贖罪だったのだろうか。
そんな彼女らの思いをよそに、メンヌヴィルはより一層おかしそうに嗤いだした。
「なんだ? 隊長殿は今は教師なのか! うわははは、ははははは……ッ!!」
コルベールの苦悩など、二十年前から白く濁ったきりの彼の瞳には映ってはいない。
彼が見ているのは、その心の中にある過去のコルベールの姿。
かつて憧れ、そして挑んで敗れ去った、冷血な『炎蛇』の姿だけだった。
「これ以上おかしいことはないなあ、おい? 一体貴様が何を教えるのだ、殺しのやり方か? そりゃあいい、お行儀のいい貴族の作法などよりもよっぽど役に立つことだろうな! お堅いトリステインの教育も、最近はなかなか実用的でリベラルになったと見える!」
愉快そうにまくしたてるメンヌヴィルの言葉が届いているのかいないのか、コルベールはまた元の感情のない暗い顔に戻って俯いていた。
ややあって、口を開く。
「真実を知って、私はあの村の人々を焼いたことを後悔した。だから軍を辞め、もう魔法で人を殺すまいと誓いを立てたのだ。だが……」
苦々しさの滲んだ、自分に言い聞かせようとするかのような声だった。
「……だが、それでもお前だけは、あの村で殺しておくべきだったのかも知れんな。副長」
そういって顔を上げたコルベールの目には、強い意志の炎が燃えていた。
実験小隊時代に犯した数々の非道な行いについては一時たりとも忘れたことはないが、学院で過ごすうちに新たな生き甲斐を見つけられたことも確かだった。
最初は贖罪のための研究だったが、やがてそれが心から好きになり、今では魔法でしかできないことを誰でも使えるような技術に還元するという大きな目標ができた。
教職について生徒たちを教え、同僚たちと交わるうちに、周囲の人々のことを大切に思うようになった。
そうしてできた守るべき対象が、今こうして過去の罪によって傷付けられようとしている。
だからこそ、コルベールは葛藤を振り捨て、あえて戒めを破って今一度戦いのために己の炎を用いる覚悟を決めたのである。
「もちろん、そうだろうとも。あの日に俺を殺しておけば、貴様もここで死ぬことはなかっただろうからなあ……」
メンヌヴィルはおぞましく歪んだ笑みを浮かべながら、毒に塗れた異界の金属でできた杖を握って、呪文を唱え始めた。
二十年前、自分の炎は未熟だったがゆえに敗れた。
だが、今は違う。
今の自分には、あの頃よりも何倍も強力に磨き上げた、この魔力と技術がある。
光と影の生み出す幻に容易く欺かれる貧弱な目などよりもずっと頼りになる、この熱感知能力がある。
そして、何よりも悪魔から貰い受けた、この“地獄の業火”があるのだ。
負ける要素など、何ひとつとしてない。
メンヌヴィルは、自分の選択をまったく後悔してはいなかった。
コルベールに挑んで両目を失ったことも、貴族の名を捨てたことも、そして悪魔と取引をしたことも、何ひとつとして。
今さら、自分の魂を待ち受ける運命に興味などない。興味があるのは、ただ己が炎によって焼かれた獲物が最後に放つ芳しい香りだけだ。
ようやく長年待ち望んだ至高の香りを嗅げる瞬間がきたことを思って、メンヌヴィルは興奮のあまり体を震わせた。
「……ふははははははッ! さあ、貴様の燃え尽きる香りを嗅がせろ!!」
叫びながら振るった杖の先から、ホーミングする炎の球が飛び出してコルベールに襲い掛かる。
コルベールはその攻撃を命中する寸前に横に跳んでかわしながら、同時にルイズらと対峙している傭兵メイジたちに対して炎の鞭を放って攻撃を仕掛けた。
一人がその炎で腕ごと杖を焼かれて、悲鳴を上げる。
「君たちは、ミス・ロングビルを連れて逃げなさい! ここは私が引き受ける!」
これ以上周囲の人間を危険に晒すまいとして、コルベールがそう呼びかけた。
しかし……、さすがの彼も、これだけの数の実戦慣れしたメイジを相手に一人で戦うのは無謀である。
傭兵の一人がすかさず反撃して、何本もの氷の矢をコルベールに向けて放った。
その攻撃は杖から放った細い炎の鞭で絡め取って迎撃したものの、そこへ再度放たれたメンヌヴィルの炎球が迫る。
「……ぐうっ!」
咄嗟に地面に転がってかわそうとしたが、完全には避けきれず左腕をわずかに焼かれた。
「うはははは! どうした隊長殿、ガキどもの相手で平和ボケしたか! そんな役立たずどもをかばっていられる状況か!?」
コルベールがまだ立ち上がらないうちに、メンヌヴィルはさらに立て続けに容赦なく追撃の炎球を放った。
どうにか迎撃しようとコルベールが杖を構え直そうとした、その瞬間……。
「させません!」
シエスタが鋭く叫びながら、デルフリンガーを構えて素早く彼とメンヌヴィルとの間に割って入った。
「や、やめなさい! どくんだ!!」
コルベールは驚きに目を見開いて、シエスタを制止しようとした。
平民である彼女には、あの炎球を防ぐ術はない。
二、三発も直撃を受ければ、間違いなく全身が消し炭になってしまう。
しかし、彼の言葉が終わるか終らないかのうちに、シエスタは襲い来る炎球を薙ぎ払うように大きくデルフリンガーを振るった。
薙ぎ払われた炎球は、たちまちその刀身に吸い込まれて消滅していく。
デルフリンガーに呪文のエネルギーを吸収し無効化する能力があることは、既にディーキンが《伝説知識(レジェンド・ローア)》の呪文を用いて突き止めていたのだ。
「へへっ。相棒は『ガンダールヴ』じゃあねえが、間違いなく立派な英雄になれるぜ!」
デルフリンガーが、満足したようにそう言った。
自分の能力を知っていたとはいえ、彼女がそれを実戦で使うのは今回が初めてである。
万が一にもしくじれば間違いなく致命傷をもたらすであろうメイジの呪文の前に飛び出していくことは、並大抵の勇気でできることではないだろう。
「……なんと。その剣には、そんな能力があったのか……」
「ミスタ・コルベール。どうか、命を捨てるようなことはなさらないでください。私たちも一緒に戦います!」
シエスタはコルベールの顔を真っ直ぐに見つめて、懇願するようにそう呼びかけた。
それから、負傷して苦しんでいるフーケの元へ駆け寄り『癒やしの手』で治療を施しながら、彼女を抱きかかえて安全な場所へ避難させにかかる。
ギーシュとルイズもまた、残りの傭兵たちがメンヌヴィルに加勢できないように協力して彼らと戦いながら、シエスタに同調した。
「そうですよ。昔がどうだったのか知りませんが、今のあなたは僕らの先生で、傷ついたレディーを守るために戦っている。立派な紳士だ」
「ディーキンも昔、過ちを犯したことがあると言っていましたわ。でも彼は今、私の大事なパートナーです。……だから、誰かがもし昔のことで先生を責めたとしても、私は先生の味方をしますから」
そうして話しながらも、2人はしっかりと連携して、手練れの傭兵たちにも後れを取らずに戦っていた。
ギーシュはワルキューレたちを敵の攻撃に対する防衛役に使い、自分は下手に攻撃せずにやられたワルキューレを補充したり状況に応じて指示を変えたりして、とにかく敵に突破されないようにすることに専念していた。
そうして彼が守りを固めておくことで、ルイズの方は攻撃に専念することができるのだ。
絶えず攻撃を加えることによって敵の体勢を崩し、数を減らしていけば、敵の攻めの手が緩んで守ることもそれだけ容易くなる。
彼女の爆発は風の障壁などでは防御することができず、しかも詠唱無しで予想もしていない地点に突如発生するので、手練れの傭兵と言えども初見では対応することが難しいのだ。
もちろんルイズには、切り札として高威力・広範囲のエクスプロージョンもある。
だが、防衛役のワルキューレは数こそ多いものの一体一体はあまり強力ではなく、上位のメイジであれば何体かまとめて始末したりすることもできる程度の強さである。
詠唱の長いエクスプロージョンを使おうとするとその間に守りを抜かれてしまう可能性があるので、それよりも弱い爆発でこまめに敵の体勢を崩させながら戦う方がよい、と彼女は判断したのだ。
強力だが詠唱が長い魔法よりも、威力は低くとも素早く放って先手を取れる魔法の方が、往々にして実戦で役に立ったりするものである。
「君たち……」
困惑したように、生徒らの戦う様子を見つめるコルベール。
メンヌヴィルは、コルベールのそうした姿をおかしそうに嘲笑った。
「こりゃあ面白い! 二十年の隊長殿は無愛想だったが、しばらく見ない間にずいぶんとまた、部下の手懐け方が上手くなったようじゃないか?」
かくいうメンヌヴィル自身は、自分の仲間たちのことなどどうでもよかった。
ルイズらによって一人、また一人と倒されていっているが、所詮は利害だけで結び付いた間柄であり、戦場で身を守るための肉壁にすぎないのだ。
あの程度の連中など、アルビオンの戦場へ戻ればいくらでも代わりが見つかることだろう。
「……あの子たちは部下ではない。私の、生徒だ」
コルベールはまた元の無表情に戻って、そんなメンヌヴィルを冷たい目で見つめた。
彼女らがここで戦うと決めたのは、決して命令に従ってではない。あくまでも己の意志で、そうすることを決めたのである。
自分の人生にいくらかでも誇れるものがあるとすれば、それは大切な生徒たちをおいて他にはない。
(あの子らの未来のためにも、この男だけは私が倒さねばならん)
そう決意を固めて杖を握り直すと、コルベールは敵の攻撃を防いだり杖を焼いたりするだけの受け身の戦い方をやめて、初めて積極的な攻撃に転じた。
突き出した杖の先から何発もの火球が立て続けに飛び出し、様々な軌道にホーミングしながら、メンヌヴィルを目がけて襲い掛かる。
「ふはは、ようやくやる気を出してくれたか? 嬉しいぞ、そうこなくてはな!」
メンヌヴィルは愉快そうに笑いながら、自分も炎を放って応戦する。
たちまち、鮮やかな赤い炎と禍々しい白い炎とが飛び交い絡み合う、激しい炎熱戦が始まった。
2人は夜の街中を右に左に走って絶えず移動しながら、互いの『火』の技をぶつけ合う。
立て続けに放たれる小さな火球、複雑な軌道でホーミングする大型の炎球、大蛇のようにうねる赤い巨大な炎柱に、おびただしい量の白い火炎の放射……。
まさに、魔力・技量ともに並々ならぬ練達のメイジ同士の戦いだった。
しかし……、明らかに、コルベールの方が押されている。
今は夜とはいえ空には雲はなく、スヴェルの月夜の重なり合った満月の輝きが周囲を煌々と照らしてくれているので、視界にはさほど問題はない。
つまり、視力に頼らずとも戦えるというメンヌヴィルの大きな利点は、今のところそれほど活かされてはいないのだが……。
それでもなお、コルベールの方が不利なのは否定しようがなかった。
技量においては、2人に大きな差はないかもしれない。
だが、呪文の威力が違うのだ。
「くは、くははははは! どうした隊長殿、さっきの勢いは!! 『炎蛇』ともあろうものが、防戦一方ではないか!?」
哄笑とともにメンヌヴィルの放った白い炎球が、相殺しようとコルベールが放った赤い炎球と空中でぶつかり合う。
かろうじて迎撃はできたものの、メンヌヴィルの炎球の方が威力で勝っているために、弾けて散った炎の雨はコルベールの側だけに降り注いだ。
「くっ……!」
肌を焼く熱い痛みと、思った以上の敵の手強さとに、コルベールが小さく呻く。
目の前の男は、二十年前には自分の敵ではなかった。
しかし、自分はその後戦うことを止め、ずっと教育と研究だけに力を傾けてきたのだ。
こと戦闘能力という面では、いささか衰えたであろうことは否めない。
逆にこの男は、視力を失ったという大きなハンデも克服して、ますます過酷な戦いの中に身を投じ続けてきたのだろう。
だから、彼我の力量の差などとうに消えてなくなり、逆に水をあけられていたとしてもそれは無理からぬことなのかもしれないが……。
だが、それにしても、明らかにメンヌヴィルの呪文の威力は常軌を逸していた。
おそらくはこれまでにコルベールが出会ってきた、どんな『火』のスクウェアメイジをも超えているだろう。
一般的に言って、系統魔法では強力な呪文を用いようとすれば詠唱もそれだけ長くなる傾向にある。
もちろん、素早く強力な呪文を放てる『高速詠唱』という技法もあるのだが、単発ならともかくそうそう連続して使える技ではない。
威力にしても、術者のメイジとしてのランクによっても大きく変わってはくるが、たとえば素早く何発も連射できるようなドット・スペルの火球に持たせられる火力にはどうしても限界があるものだ。
ところが目の前の男は、その限界を明らかに超えた威力の呪文を素早く立て続けに放ってくるので、正面からの撃ち合いでは到底対等に渡り合うことができないのである。
かの『烈風』カリンのような伝説級のメイジであれば、また話は違うかもしれない。
しかし、コルベールの知る二十年前のこの男は間違いなく優秀ではあったものの、そこまで常識外れな魔力の持ち主ではなかったはずだ。
「どうした隊長? 貴様、昔より弱くなったか? それとも、俺が強くなり過ぎたのか? ……ふは、ふははははは!!」
優越感に酔ったように、メンヌヴィルが嗤い続けている。
その焼けた魚の目のように白濁した眼球から、歪められた唇の端から、そして体のあちらこちらから、肉の焼け焦げるような嫌な香りと共に細い煙の筋が立ち上っていた。
彼はまだ、コルベールの攻撃をまともに受けたりはしていないはずなのに。
まるで自分自身の炎で体が内側から燻ぶってでもいるかのようなそのありさまを見て、コルベールは顔をしかめた。
「……副長、お前が使っているのはただの炎ではないな?」
「ほう、さすがだな。隊長殿には、違いがわかってもらえるか!」
メンヌヴィルが、嬉しそうに手を広げる。
コルベールはそれとは対照的に厳しい表情のままで、さらに質問を続けた。
「邪悪な炎だ。どこで身につけた?」
「邪悪? 邪悪と来たか! ふはははは!! 素晴らしい、素晴らしいぞ隊長! さすがは俺の惚れこんだ男だ、そこまでわかるのか!!」
メンヌヴィルは心底楽しそうに笑いながら、その質問に答える。
「悪魔だよ! 悪魔が俺にこの力を授けてくれたのさ!」
「……何だと?」
「ははは! 突然何を言い出すのかと思ってるんだな? 無理もない、だがすべて本当のことさ」
メンヌヴィルはそこで、少し真面目な顔つきになった。
「……隊長殿、あんたの炎は俺が知る限り最高だったよ。だが、知ってるか? 悪魔どもは人間の炎では焼けんのだ」
もしこの場にディーキンがいれば、直ちにメンヌヴィルの言っていることを事実だと認めただろう。
フェイルーンにおけるもっとも一般的な悪魔の種別、“バーテズゥ”には、総じて火と毒に対する完全耐性が備わっている。
溶鉱炉へ投げ込まれようと、マグマの海に沈められようと、びくともしないのである。
先程倒されたクロトートが自分自身が影響されることを怖れずに惚れ薬の毒をタバサに浴びせることができたのも、その完全耐性のおかげなのだ。
「それを知って俺は思ったのさ、もっと強い炎が欲しいと。土も風も水も……同じ火も、天地の狭間にあるすべてを焼ける炎が欲しい。いや、神や悪魔でさえも焼ける炎が欲しい、とな!」
そういいながら、メンヌヴィルは無造作に杖を振るった。
禍々しくうごめく白い炎の鞭が杖から飛び出し、コルベールの体を捕えようとする。
コルベールもほぼ同時に自分の杖を振るい、大蛇のような赤い炎の鞭を放って迎え撃とうとした。
赤と白の炎が絡まり合って拮抗したのは、ほんの一瞬のこと。
すぐにメンヌヴィルの炎がコルベールのそれをばらばらに砕き散らし、押し負けた側の術者に向かって踊り掛かった。
彼我の魔法の威力差を十分に承知していたコルベールは、すぐさま横に転がってその攻撃を避けようとする。
だが、素早く柔軟にしなる炎の鞭はわずかに彼の左足の端を捕えた。
「っ、ぐぅっ……!」
左足を焼かれたコルベールが、苦痛に顔を歪める。
メンヌヴィルはその焼けた肉が発する香りを恍惚として吸い込みながら、ベルトに挿したスキットルを手に取って一口つけた。
そうすると、彼の体から立ち上る煙の筋がいくつか消えていく。
どうやら中身は酒ではなく、何か治療の効果がある魔法薬の類らしかった。
「――ふう。ありがたい薬だが、いつ飲んでも不味いな」
一息ついてから、メンヌヴィルはおもむろにその鉄杭のような杖を頭上に持ち上げる。
毒素を分泌する異界の金属でできた鋭い先端に、禍々しい白い炎が点った。
「さあて……、その足ではもう逃げることはできんぞ、隊長殿。この杖を突き刺して、貴様を内側からじっくりと焼き焦がしてやる。最高の炎の使い手が焼ける香りは、さぞや素晴らしかろうな!」
メンヌヴィルは狂気じみた笑みを浮かべて、ゆっくりとコルベールの方に近づいていく。
コルベールは地面に屈み込んだまま、逃げようとするでもなく、その様子をただ無表情に見つめていた。
「ぬっ!?」
そこで突然、メンヌヴィルがばっと横に跳び退いた。
彼の持つ鋭い熱感知知覚が、足元で奇妙なエネルギーが高まっていくのを感じ取ったのである。
一瞬遅れて、先程まで彼の立っていたあたりの地面に小さな爆発が起こった。
「……ちっ。まったく、うっとおしいガキどもだな?」
メンヌヴィルが鬱陶しそうに顔をしかめて、ちらりと後ろの方に顔を向けた。
コルベールもはっとして、そちらの方に注意を向ける。
「ば、爆発が起こる前にかわすなんて……?」
「この化物め! ぼくとワルキューレが貴様の相手をしてやる、ミスタ・コルベールから離れろ!」
「……あなたからは、恐ろしい悪の気配を感じます。降参しないなら、容赦はしません!」
そこには、杖を振り下ろしたまま驚愕したように目を見開いているルイズと、彼女を庇うようにその前に立って薔薇の造花の杖をメンヌヴィルに向けているギーシュ、そしてフーケを退避させて戻ってきたらしいシエスタの姿があった。
コルベールとメンヌヴィルとが死闘を繰り広げている間に、彼女らの方でも傭兵たちとの激しい戦いがあったようだ。
メンヌヴィル以外の傭兵はみな、既に地面に倒れ伏している。
とはいえ彼女らの方も無傷ではなく、全員体のあちこちに風の刃で負ったと思しい浅い切り傷や、石礫か何かが当たってできたものらしい打ち身、炎で服が焦がされた跡などがあった。
ギーシュの前に展開しているワルキューレの数も、3体にまで減っている。
「い、いかん! 逃げるんだ! 君たちでは、この男には……!!」
「悪いが、俺は美味いものから口に運ぶ主義でな。貴様らを賞味するのは後だ!」
なんとか阻止しようと咄嗟にコルベールが放った小さな火球を杖を持っているのとは逆側の腕でこともなげに払いのけながら、メンヌヴィルは無造作に杖を振るって、何発もの炎の弾をルイズらに向けて撃ち出した。
シエスタがすかさず前に飛び出し、デルフリンガーでそれらの炎弾を防ごうとする。
しかしメンヌヴィルの方でも、先程の一件で既にその奇妙なインテリジェンスソードに呪文を吸収する能力があることは承知していた。
「……きゃああっ!?」
デルフリンガーの刀身が先頭の炎弾を薙ごうとした刹那、その炎の弾は突然爆発した。
メンヌヴィルが持ち前の並外れた熱感知知覚を用いて精確にタイミングを見計らい、吸収される直前に炸裂させたのだ。
弾けて全方位に散った衝撃と熱は吸収しきれず、シエスタの体勢を崩させる。
そこへさらに別の炎弾がもう一発、彼女の腹の直前で弾けて追い打ちをかけ、シエスタを一瞬で完全に地面に打ち倒してしまった。
「相棒!」
「シエスタっ!」
デルフリンガーの叫びとルイズの悲鳴が重なる。
「ミ、ミス・シエスタ! ……おのれ、貴様ッ!!」
ギーシュが激昂して、3体のワルキューレをメンヌヴィルに向けて突撃させようとした。
しかし、メンヌヴィルの放った炎弾は2発だけではない。
残る炎弾は恐ろしいほどのコントロールでそれらの青銅ゴーレムの間を難なくすり抜け、背後の術者とルイズとに襲い掛かった。
「ぐあっ!?」
「ぎゃっ!!」
シエスタと同じく至近距離から弾けた炎弾の爆風をもろに食らって、2人ともあっけなく打ち倒されてしまう。
(くそっ……、悔しいが、実力があまりにも違いすぎる……)
薄れゆく意識の中で、突撃させたワルキューレたちが白炎に飲まれてたちまち熔鉱に変わっていくのを見ながら。
ギーシュはそんな、無念の思いを噛みしめていた。
「……やれやれ、この程度のガキどもを相手に全滅とは。どこまでも使えん連中だな、後でまとめて焼いてやるか……なあ、隊長殿!」
メンヌヴィルは、これ以上の攻撃を阻止しようと傷んだ足を引きずりながら掴みかかってきたコルベールを杖で打ち倒し、突き刺してぐりぐりと傷口を抉りながら、そう言って嘲った。
「ぐぅ、う……っ!」
コルベールは痛みと体を蝕む毒素の寒気を堪えながら、目の前の男がもはや完全に人間を捨て、魔物へと変貌してしまっていることを悟っていた。
コルベールやキュルケのような優秀な『火』のメイジには、ある程度の高熱への耐性は備わっている。
だがそれは、常人なら汗が噴き出してくるような蒸し暑い作業場などでも快適に過ごせる、という程度のものでしかない。
ドット・スペルとはいえ、トライアングルクラスのメイジが扱う炎を受けて無傷で済むはずがないのだ。
なのに、確かに自分の火球を受けたはずのこの男の腕には火傷ひとつない。
人間とは到底思えなかった。
「……それにしても。あんなガキどもによってたかって庇われ、無様に俺にしがみ付き、あげくこうして地面に転がされるとは。俺は貴様を買い被り過ぎていたのかもしれんな?」
メンヌヴィルは鼻を鳴らして、なおもコルベールの傷口を抉りながら少しずつ炎を送り込んで焼き焦がしていった。
「まあいいさ。今の俺にはより高い目標ができたからな! この俺の炎で、神や悪魔でさえ焼き尽くしてやる。手始めに、まずは貴様を焼いて地獄への灯火にしてくれるわ!!」
「…………」
コルベールはそんなメンヌヴィルの口舌に応じるでも、苦痛の呻きを上げるでもなく、俯いて押し黙っている。
しかし、その手にはしっかりと杖が握られており、俯いて隠した口元では密かに呟くようにして呪文が紡がれていた。
先程までは、激しく戦い合いながらも、誓いを破ってこの男を殺めることに心のどこかで抵抗があった。
だが、この男はもはや人間ではなく、心身ともに魔物の類と化してしまっているのだ。
今ここで自分が殺さなければ、この男は自分の大切な生徒らを焼き、学院の仲間たちを焼き、無関係な人々を焼き、世界のすべてを焼こうとするだろう。
(二十年前に魔物だった自分と、今、魔物に成り果ててしまったこの男とを、共にこの場で葬ろう)
コルベールは、そう覚悟を決めていた。
その意志の強さが毒素に対する抵抗力をもたらしてくれたのか、メンヌヴィルがついに嬲るのをやめて杖を引き抜いた時、コルベールの体はまだ動かせなくなってはいなかった。
最後に杖を一度振る力が残っていれば、それで十分。
「……さあて、これ以上刺して焼く前に死んでもつまらん。そろそろ、俺の“地獄の業火”の出番だ」
メンヌヴィルはそう言ってコルベールの体から鉄杭を引き抜き、高く掲げると、呪文を紡ぎ始めた。
詠唱に従って、巨大な白炎の柱が彼の周囲に立ち上がる。
その炎は彼自身の肌にもまとわりつき、皮膚を焦がしていたが、メンヌヴィルはまるで動じた様子もない。
メンヌヴィルは炎に蝕まれた体を癒すために、また一口スキットルの中身をあおった。
そのポーションもまた、杖や“地獄の業火”と同じく、デヴィルが彼に与えてくれたものだった。
「隊長殿の最後には、せめて俺の最高の炎をくれてやるよ。先に地獄で待っていろ、俺もじきに行ってやるからな」
そう言って、ついに詠唱を完成させようとした、その時。
「いいや、メンヌヴィル君。地獄へは、一緒に行こうじゃないか」
コルベールが顔を上げて穏やかにそう言うと、素早く杖を振って、小さな火炎の弾を上空に向けて撃ち出した。
「……なんだ? 不意打ちかと思えば、あらぬ方向へ撃ちおって! もっとも、俺に対して放ったところで容易に迎撃――――」
メンヌヴィルが怪訝そうに呟いた次の瞬間、やや上空でその火炎の弾が突如爆発した。
その小さな爆発は、見る間に大きく膨れ上がっていく。
それは『火』、『火』、『土』の組み合わせから成る、『爆炎』と呼ばれる一撃必殺の殺傷力を持つトライアングル・スペルだった。
空気中の水蒸気を『錬金』によって気化した燃料油に変え、空気と混ぜ合わせたところに点火して巨大な火球を作り出す。
その火球はあたりの酸素を燃やし尽くし、効果範囲内の生き物をすべて窒息死させるのだ。
(馬鹿な!)
メンヌヴィルは目を見開いた。
通常、この呪文は開けた場所で自分自身が巻き込まれないような位置取りをしてから使うか、もしくは最低でも、巻き込まれても即座に口を塞ぐことで凌げる程度の余裕のある距離を置いて使わなくてはならない。
距離が近すぎると、呪文詠唱後即座に口を押さえて息を止めたとしても防ぎきれずに肺の中の酸素を根こそぎ持っていかれてしまい、呪文の効果が切れて再度呼吸が可能になる前に術者自身も死んでしまうことになるのだ。
だというのに、コルベールが放った場所は自分たちの真上で、しかも炸裂した場所は火球の熱気が直接肌を焼くほどの近距離である。
この距離では、間違いなく自分も死ぬ。
熱射によって焼け死ぬか、そうならなかったとしても窒息して死ぬことになる。
(俺を道連れにしようというのか、隊長!)
眩い火球の光に照らされ、肌を焼かれながらゆっくりと崩れ落ちていくコルベールの姿を熱感知知覚で感じ取りながら、メンヌヴィルは心の中でそう叫んだ。
当然ながら答えはなく、自身もたちまち窒息して、苦悶しながら地面に転がる。
コルベールは確実にメンヌヴィルを仕留めるために、出来る限り『爆炎』を近い距離で使う必要があった。
また、あまり上空へ放ったり他の場所に向けて放ったりすれば効果範囲が広がり、離れた場所に転がっているルイズらや、既に倒されている他の傭兵たちまで巻き込んでしまう恐れがあった。
それゆえに、自身も巻き込まれることを承知の上で、近距離で炸裂させるしかなかったのである。
『どうか、命を捨てるようなことはなさらないでください』
そんな先程のシエスタの言葉が、火傷と窒息で朦朧とするコルベールの脳裏をかすめた。
だが、彼には他にどうすることもできなかったのだ。
(君の真心を裏切ることになって、すまない)
そう心の中で詫びながら、ついに彼が意識を失おうとした、その時……。
「ミスタ……っ!」
突然、横合いから走り込んできた漆黒の影があった。
それは、狼のような形をした岩のゴーレムと、その上にぐったりともたれかかるようにして乗ったフーケであった。
一度はシエスタに運び去られた彼女だったが、命の恩人があの恐ろしい男と戦っているというのに、自分だけ先に安全な場所へ避難していられるような女ではない。
どうにか獣型のゴーレムを作って動かぬ体をそれに跨らせ、こうして駆けつけてきたのだった。
フーケは状況を見て取ると、上空の『爆炎』とメンヌヴィルの周囲に今だ消えずに残っている白炎の柱とに皮膚が焦がされるのも構わず、真っ直ぐにコルベールの傍にゴーレムを突っ込ませた。
そうして彼の体に覆い被さるようにして飛び降りると、唇を重ねて口移しに酸素を送り込みながら、震える手で杖を振る。
それに応じて乗ってきたゴーレムの体が変形してドーム状になり、コルベールとフーケの体を完全に包み込んで、それ以上の熱射から2人を守った。
(……はっ、最後までガキと女に助けられるとは本当に腑抜けたものだな、隊長!)
地面に倒れたまま、一部始終を徐々に霞んでゆく知覚で把握したメンヌヴィルは、苦悶の中にも嘲りの笑みを浮かべた。
貴様は生き延びられるかも知れんが、炎の使い手として勝ったのは俺だ。
ガキや女がいなければ、俺はとうに貴様を殺していたのだ。
その体の燃え尽きる香りを嗅げなかったのは残念だが、まあいいだろう。
(結局のところ、最高の炎の使い手は貴様ではなく俺だったのだからな!)
自分の魂が地獄で焼かれる時には、最高の炎使いの焼ける香りというものを存分に堪能させてもらうとしよう。
まだこの世で楽しみたいことはあったが、まあ、悪くない人生だった。
メンヌヴィルは最後に、自分と契約を結んだ大悪魔に呼びかけた。
(ディスパテルよ、俺の魂を手に入れて満足しているか?)
俺は、あんたの与えてくれた力に満足しているぞ。
――そうしてついに彼の意識は途絶え、その魂は悪魔の手に委ねられた。
ディーキンが大慌てで駆けつけて満身創痍の仲間たちの救護に取り掛かったのは、このすぐ後のことだった……。
ヘルファイアー・ウォーロック(地獄の業火の妖術師):
D&Dの上級クラスの一種で、地獄の業火を用いて自分の力を強化する術をマスターしたウォーロック(魔法に似た超常の能力を使う妖術師)のこと。
この上級クラスが記載されているサプリメントにはキャンペーンによってはこれを呪文の使い手に類似の能力を持たせる上級クラスに変更してもよいという記述があり、本作におけるメンヌヴィルは、ハルケギニア・メイジの能力を地獄の業火で強化する類似の上級クラスを取得しているという扱いになっている。
地獄の業火の力は使用者をも蝕み、使用する度に【耐久力】ダメージを与える。そのため、能力値ダメージを治癒できるレッサー・レストレーションと呼ばれる呪文のワンドを携帯するヘルファイアー・ウォーロックは多いという。作中でメンヌヴィルが持っていたスキットルの中身は、同呪文のポーションを濃縮して何回分もまとめて詰めたようなものである。