「シイタケ栽培技師」「開運アドバイザー」「アニマルセラピスト」の資格を持っているらしい。
デスクトップPCのモニターと実験機器の灯りだけが頼りのフロアでティナは菫と向かい合っていた。ここは勾田大学病院・旧病棟4階、太陽の光は一切入って来ないが、まだ昼の12時である。
イクステトラの一件から再び菫への用事が出来たため、警察のマークが一番緩いティナがお使いに行くことになった(一応、サングラスとキャップ帽で変装はした)。
一つは日向姉妹の血液の輸送だ。イクステトラでも血を未織に渡して侵食率の検査を依頼しているが、職員が使ったジュースのペットボトルを容器として使ったことから検体の
二つ目は死龍の血液の輸送だ。死龍たちスカーフェイスの体内に埋め込まれていた“ガストレア化爆弾”について、倉田が『そんな危険な薬物、
ティナは3人の血が入ったクーラーボックスを渡す。菫はラベル付きの容器を出すと大型の冷凍庫に保管する。
「事情は昨晩のメールで把握したよ。義塔くんからも話を聞いているしね。侵食率検査の件は昨日、大学病院に掛け合っている。検体も届いているし早ければ今日の昼頃から始められる筈だ」
「結果はいつごろになりそうですか? 」
「順調に行けば24時間後だな」
「けっこう早いんですね。ニュースだと採血から結果までかなり日数が経っていましたが……」
「センターには日々の業務ルーチンもあるだろうし、再検査も重ねていればそれくらいにはなるだろう」
東京エリアでは“ガストレアウィルスの取り扱いに関する特別法”により、呪われた子供の侵食率検査が許可されている機関が限定されている。限られた施設と限られた検査機で東京エリア全体の呪われた子供の管理をカバーしており、年々増加する検査数に対してキャパシティが不足しつつあるのが現状だ。勾田大学病院の検査機も予定が詰まっていたが、菫が日向姉妹の検査を無理やり捻じ込んだことで早急な検査が可能になった。
「それともう一つ、赤目ギャングをガストレア化させた“爆弾”についてだが、こっちは時間がかかる。短く見積もっても1週間は欲しい」
「その『爆弾』、日向夫妻をガストレア化させたものと同じだったりするんでしょうか」
「それだったら確認作業だけになるから楽になるんだけどね……」
菫は頬杖をついて溜め息を吐く。彼女はそれが楽な作業にならないことを確信していた。
「業界の繋がりで夫妻の司法解剖を担当した医者から話を聞いたんだが、今のところそれらしい薬品は検出されていない。それどころか、『日向夫妻は日向鈴音・美樹由来のガストレアウィルスによってガストレア化した』という結果が出ているくらいだ」
――残酷だ。吐き気を催す事実にティナは思わず口元を押さえる。今朝の段階でこのことはまだニュースになっていない。警察がマスコミに公開しないことを選んだのか、それともまだ発表されていないだけなのか分からない。これを姉妹が知った時、彼女達は耐えられるだろうか。両親が死んだだけでなく、殺したのが自分の身体が原因だと知ってその心は壊れずにいられるだろうか。
このことがマスコミに公表されないこと、姉妹に知られないことをティナは祈るしかなかった。
「物事には何にだって例外がある。ガストレアもガストレアウィルスも未解明な部分がほとんどだ。この数年で定説とされてきたことが実は間違っていて、新たな定説に更新される光景をたくさん見て来た。科学者の端くれとして『呪われた子供と一緒に過ごしても“絶対”にガストレア化しない』とは言うことが出来ない」
ガストレアが出現して16年。世界各地の研究者が怪物とそのウィルスの研究を進めてきた。しかし、生物が数十億年かけた進化と作り上げた多様な生態系をたった16年で塗り替えたガストレアウィルスのスピードに人類の研究は追い付いていない。「分かる」ことより「分からない」ことの方が圧倒的に多い。
ティナも戦闘では狙撃やシェンフィールドを主体とし、近接戦闘でも赤目の力を必要としないよう米軍で学んだトレーニングを続けている。お陰で侵食率は同年代のイニシエーターと比較してかなり低いが、何かしらの切っ掛けでその努力が全部水泡と化し、ある日突然ガストレア化しないとも限らない。自分がガストレア化しなくても体液に含まれる微量のガストレアウィルスによって誰かをガストレア化させないとも言い切れない。
「でも、何を信じるのかは自由だ。私は形象崩壊する直前までイニシエーターと共に過ごした人間を知っている。2人が過ごした年月とそれが証明したものを蔑ろにするつもりはない。ティナちゃん。君はどうかな? 」
室戸菫とは、天才で引きこもりで捻くれ者で人間嫌いで厭世の死体愛好家だ。同時にティナにとっては数少ない頼れる大人であり、東京エリアから離れていた間も何度か連絡を取り合っていた。その付き合いの長さからか、彼女がこうして世を嫌っているのも愛情の裏返しなのではないかと思うことがある。
「私も同じです」
薄暗く、しんとした研究室で固定電話が鳴る。菫はデスクの上に積もったファイルの山を押し退け、姿を見せた受話器を引っ張る。
「はい。勾田大学病院旧病棟・室戸研究室。――――ああ。分かった。先に済ませたい用事があるから少し遅くなる。腐るような検体じゃないんだ。問題はないだろう」
数分ほど会話をすると菫を受話器を置いた。
「どなたからですか? 」
「警察だ。司馬重工と一緒に例の機械化兵士のパーツを分析して欲しいとね。最初から私を頼ればいいものを……」
機械化兵士のテクノロジーは複雑で研究・開発には多岐にわたる専門的な知識を必要とされている。東京エリアでそれを理解出来るのは菫だけであり、半年前の里見事件で警察が押収した蓮太郎の義肢も彼女が分析している。だが、そう易々と菫に協力を仰げない制度的な事情が警察にもあるのだろう。菫に依頼が来るのはいつも事件から少し経った時だ。
「ティナちゃん。“あれ”は誰の作品だと思う? 」
菫はため息を吐くと再びデスクに着き、ティナに目を向けた。生きた人体と死体が全く別物であるように、昨日、イクステトラで死龍と戦った彼女からしか知り得ない情報があるからだ。
「私も先生に訊きたかったんです。光学迷彩はアーサー・ザナック博士の『オベリスク』、呪われた子供への施術はランド博士の『NEXT』、駆動系は先生の『新人類創造計画 セクション二十二』が該当する技術だと考えてはいるんですが、他にも小型の
「何が違うと感じたのかな? 」
菫はもう“違い”について気付いているが、教育者のようにティナを試す。
「そう……ですね。私の知る機械化兵士は一芸に特化したシンプルなものでした。蓮太郎さんの『超人的な攻撃力』、蛭子影胤の『絶対防御』、私のシェンフィールドも『ブレインマシンインターフェースによる情報収集と狙撃支援』がコンセプトでした。しかし、死龍の装備からはそれが見えてこないんです。変に無駄が多いと言いますか、バランスが悪いと言いますか…………
“改造したガンプラにとりあえず余った武器パーツをたくさん載せたデタラメフルアーマー”
――みたいな、そんな感じがするんです」
「……」
菫はコーヒーを啜りながら呆れた視線をティナに向ける。
「私、変なこと言いましたか? 」
「いや、機械化兵士をガンプラで例える人を初めて見ただけだ」
菫はカップをデスクに置き、一定のリズムで指でトントンとデスクを叩く。何から話そうか悩んでいるようだ。
「ティナちゃんの言っていることで概ね正解かな。機械化兵士にそれだけの武装を盛り込んで運用するとしたら相応のエネルギーが必要になる。まずどうして機械化兵士はシンプルなのか答えよう。動力不足だ」
「えっ」
「『新人類創造計画』、『NEXT』、『オベリスク』でコンセプトを決める時、最高責任者のグリューネワルト翁から一つのルールが課された。
『
当時は誰もがそのルールに従った。現に機械化兵士はいずれも人間としてのフォルムを崩すことなく、その気になれば普通の人間として生きる余地を残していた」
ティナは今まで気にしたことは無かったが、自分の姉妹――エイン・ランドの機械化兵士たちも見た目は普通の少女だったことを思い出す。蓮太郎は勿論のこと、あの蛭子影胤も道化師のような格好をやめれば普通の人間に見えたかもしれない。
「私の計画で一番の難関は出力だった。人間のフォルムを維持したまま超人的な攻撃力を付与するのがコンセプトだったからね。その攻撃力を生み出すためのエネルギーをどこから調達するのかが課題だった。悩んだ末のカートリッジ方式だったが、グリューネワルト翁には『及第点』と厳しく言われてしまった。まぁ、エインとアーサーもそこは同じだったが」
「でも、それをクリアした誰かがいるんですよね。半年前の蓮太郎さんも昨日の死龍も同じ青白い光を発していました。蓮太郎さんはそれを攻撃のタイミングで、死龍は移動と尾のブレードに使っていました」
菫は嫌なことを思い出し、一瞬、苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「ああ。半年前に蓮太郎くんから押収した義肢を視た時は驚いたよ。何もかもが私のそれを越えていた。素材も、アクチュエーターも、情報処理もだ。機序を理解するだけで2ヶ月もかかってしまったし、肝心のジェネレーターは自壊してもう何が何だか……私でもお手上げの状態だ」
天才、賢人と持ち上げられた彼女が自分の得意分野で敗北する。その屈辱が如何ほどのものか、ティナには計り知れなかった。
「室戸先生でも分からないことってあるんですね」
「ティナちゃん。私は天才であって、全知全能の神じゃないんだよ」
デスクに置かれたスマートフォンに着信が入る。デフォルト設定の着信音が止まると共に菫が画面を耳に当てる。
「私だ。…………丁度良かった。検体もこっちに届いている。ああ、それと検査の設定についてなんだが――」
菫の話は終わる気配がなく、ティナは静かに立ち上がる。
「忙しいようなので失礼しますね」と囁いた。
「分かったことがあったら連絡する」と菫はメモ書きを見せた。
*
東京エリア沿岸部の海浜公園、そこのベンチで多田島茂徳は雲を眺めていた。時おり通過する海上自衛隊の護衛艦やタンカーを眺め、待ち合わせしている人物が来るのを待つ。
6年前、東京エリア沿岸部は無法地帯だった。東・西・北と同様に呪われた子供の犯罪組織やストリートチルドレン、内地で居場所を失ったホームレスが跋扈していたが、4年前、聖居は湾港整備による海洋資源獲得、海上自衛隊の基地拡張などを目的に「南外周区再開発プロジェクト」を立ち上げた。警察と民警が協力して南外周区の犯罪組織を一掃し、聖居から事業を受注したゼネコンが再開発事業を進めたことで世界的にも珍しい治安の良い外周区が誕生した。内地の建設バブル崩壊で職を失った作業員に対する雇用が生まれ、海上輸送・貿易の拡大、アクアライン空港建設の足掛かりになる等の経済効果はあったものの、関東会戦後も慢性的に続く不況には焼け石に水だった。
どれだけ綺麗になろうとも外周区は外周区であり、ガストレアへの恐怖から南外周区に設備を展開する企業は少なく、人通りはまばらだ。この海浜公園も気合を入れて作られたようだがそこで遊ぶ子供は見られない。モノリスの結界があるとはいえ、ガストレアが目と鼻の先にいるのだ。真夏の海水浴と洒落こむ人もおらず、ベンチでポツンとスポーツドリンクを飲む多田島以外の人間が景色の中にいなかった。
巨体の影が多田島を被う。振り向くと勝典が背後に立っていた。視界を被う筋骨隆々な体格が暑苦しい。
「お待たせしました。多田島殿」
「おう。待ったぞ。危うく干からびてミイラになるところだった」
「お隣、失礼します」
勝典がベンチに腰を掛ける。ベンチの脚から軋む音が聞こえ、コントのように崩れるんじゃないかと多田島はヒヤヒヤする。
「わざわざ会って話したいなんて。電話やメールでも良いだろうに」
「直接、会ってお話した方が良いかと思いまして」
――職業に似合わず、変に律儀な野郎だな。
「イクステトラの件は遠藤から聞いている。俺達の情報、役に立ったようだな」
「お陰様で6年前のツケを払うことが出来ました」
多田島は勝典の顔を見る。対面したのは半年前の居酒屋が最後だったが、サングラスの下の瞳が以前より澄んでいることに気付いた。案の定と言うべきか、憑き物が落ちたような雰囲気が出ていた。
「で、話って何だ? 」
「難しい要求とは重々承知していますが、多田島殿のコネで公安の『五翔会構成員リスト』を見せ頂くことは可能でしょうか? 」
多田島は驚きのあまり、口に入れたスポーツドリンクを噴き出しそうになる。
「無茶を言うな。俺は警察を辞めて今はただの私立探偵だぞ。そもそも、何でここで五翔会の話が出て来るんだ? 」
「飛鳥――いや、スカーフェイスのリーダーの身体に“これ”があったからです」
勝典は懐から出した紙を広げて多田島に見せる。サヤカが飛鳥の脇腹にあった刺青をスケッチしたものだ。五芒星の端に二枚の羽があしらわれた刺青――それが五翔会のものであると多田島はすぐに分かった。
「成程な……。だが悪いがリストは役に立たない。あれは6年前に俺達が
「ですが、身に覚えのない罪によって追われる者とそれを追う警察と機械化兵士。状況は6年前の事件に似ています」
多田島はかつて自分が担当した「水原鬼八殺害事件」を思い出す。里見蓮太郎が友人殺害の濡れ衣を着せられ、表では警察が、裏では機械化兵士が彼を追った事件だ。本当に姉妹の侵食率が低ければ、確かに今の状況は似ていた。
「また五翔会が警察を使って悪いことをしているって言いたいのか」
「可能性としては十分にあるかと」
「そうだな……。俺達は6年前の大規模な人事異動――いや“粛正の七日間”で例の事件や櫃間親子と裏の繋がりを持った連中を排除した。正直、それで警察内部から五翔会関係者を締め出せたとは思っていない。けど、今回の件で警察はシロだと思っている」
勝典は驚嘆する。今回尋ねたのは警察が犯人側に絡んでいると考え、それを多田島に調べて貰おうと思っていたからだ。その当人から否定されるとは思わなかった。
「刑事の勘って奴でな。日向家の事件を知った時から俺も同じことを考えて調べていた。だが現状、狙撃した航空警察隊の件を除けば警察に不審な動きは無い」
「警視総監が日向姉妹射殺を直々に指示した件については? 」
「今の総監とはちょっとした知り合いなんだが……、あれは、あの人なりに責任を取ろうとしているんだ。厚労省の専門機関からあんな数字を出された以上、警察も日向姉妹殺害の方向で
「そこで『不適切な対応を指示した責任を取り、警視総監を辞任する』ってカードを切るつもりですか……」
「おそらくな……。あの人ならやりかねない」
警察から離れた身となった今も多田島は渡良瀬総監に絶大な信頼を置いているのだろう。自らを捨て石にして組織を守ろうとするトップの姿と彼がそうせざるを得なくなった状況に嫌気がさす。
「しかし、半年ぶりだな。この刺青をした奴が出たのは」
「芹沢CEOの偽物の件ですか」
「ああ。結局、あれは今でも名無しの仏さんだ。今でも何が目的だったのかはさっぱり分からない。容疑者として浮上していた蛭子小比奈は容疑を否認、証拠の凶器も空港での戦いで消炭になっちまったから、真相は闇の中だ」
「そういえば、彼女は今どこで何をされているのですか? 」
「検察の知り合いから聞いた話だと裁判中らしい。偽物殺しは証拠不十分、テロの件もお上の鶴の一声で書類送検で済んじまった。けど、あれをシャバに出すにはいかなかったから、6年前の大瀬フューチャーコーポレーション社長殺害事件を持ち出すしかなかった。ただあれも当時の親と環境が特殊だからな。裁判で刑事責任能力が無かったと判断され、早々とシャバに出て来るかもしれない」
多田島と勝典は身震いした。さすがに野放しにはされないだろうが、IP序列
「話が逸れたな。五翔会の件だが俺がこの数年で集めた情報を渡す。役に立つかは分からないが無いよりはマシだろう。交換条件と言ってはあれだが、他で何か分かったら俺にも情報を流して欲しい」
「構いません。よろしくお願いします」
勝典が手を出した。多田島はそれの意味が一瞬分からなかったが握手だとすぐに理解し、互いの手を固く握った。
話が終わると勝典はベンチから立ち上がり、海浜公園から姿を消した。多田島はそれを見届ける。勝典が離れたことを確認すると懐からスマートフォンを取り出し、耳に当てる。
「多田島だ。日向姉妹の件で大角勝典から接触があった。――――“室長”に繋いでくれ」
・オマケ 前回のアンケート結果
善宗「おじさんと契約して呪われた子供を救おうよ」/人◕ ‿‿ ◕人\
(8) 契約する
(17) 契約しない
現状の社会が続けば普通の子供と呪われた子供の格差が広がりますし、かと言って無理やり是正しようとすれば衝突が起き、被差別側の復讐が始まってしまう。
どっちを選んでも正解じゃないのが難しいところですね。
次回「楽しい外周区生活」
機械化兵士の力を得るとしたら誰に施術して貰う?
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アルブレヒト・グリューネワルト
-
室戸菫
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エイン・ランド
-
アーサー・ザナック
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何で一つだけなんだよ!!全部盛れ!!