ブラック・ブレット 贖罪の仮面   作:ジェイソン13

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今回はちょっと短めです。
外出自粛中の暇潰しにでもどうぞ。


彼が忘れたもの

 東京エリアの市街地はいつもの朝を迎えていた。駅前ビルの大スクリーンには日向姉妹逃亡事件に関するニュースが報じられているが、道路は夏休みでどこかに遊びに行こうとする学生たち、ハンカチで汗を拭いながら取引先に向かうサラリーマンの姿が見られ、車道もいつも通り車が走っている。

 形象崩壊寸前の呪われた子供が逃亡している事態に警察、自衛隊、聖居は国家存亡の危機として対処しているが、市井の人々に彼らの緊張感はまだ伝わってない。初めての事例なのでまだ想像がつかないのだろう。

 

「美人薄命というか、理不尽というか、本人何も悪くないのにね」

 

「私、鈴之音のファンなんだけど……もう無理。しんどい。死ぬ」

 

「元気だしなよ。今晩、奢るからさ」

 

 オープンカフェで駄弁る女子大生3人の傍を1台のトラックが通り過ぎる。“ワークセル運輸”と小さくロゴが入った小型トラック――その中に世間を騒がせている日向姉妹がいるとは露にも思わないだろう。

 トラックのコンテナの中は天井に備え付けられた電球で明るく保たれている。中にはエールが愛用している大型バイク、配送会社に偽装するためのロゴ付き段ボールが置かれている。

 鈴音と美樹は床に腰をつけ、壁にもたれかかる。ティナから渡されたタブレットでニュースを見て、自分達がどう報道されているのかを知る。危険域感染者や厚生省特異感染症取締部といった専門用語の説明、呪われた子供がガストレア化するリスク、鈴音の歌手としての活躍が報じられ、美樹の陸上選手としての活躍にも少し触れられる。インタビューで初めて知り、心の整理がつかず涙を流すファンや業界関係者も写される。自分達が毎日のようにニュースで見る“事件”の当事者になったと実感する。

 

 その間、対面に座るティナはスマホで司馬未織と連絡を取っていた。

 

「ええ。分かりました。ありがとうございます。お礼はまたいずれ」

 

 ティナが話し終え、スマホをポケットに入れる。姉妹の視線はタブレットからティナに移っていた。

 

「未織さん――えーっと、司馬重工の責任者と話がつきました。無条件で貴方達を匿うとのことです」

 

「えっ。マジで」

 

 テレビのCMで見たことのある大企業が自分達の為に無条件で犯罪の片棒を担いでくれるという大盤振る舞い、その交渉を成し遂げたティナに美樹は驚愕する。

 

「それともう一つ、向こうで侵食率の検査が出来るように準備しているそうです。厚労省の認可が下りたものではないですが、貴方達の侵食率をハッキリさせるには十分かと」

 

 期待以上の働きをしてくれたティナに2人は目が潤う。

 

「ティナさん。ありがとうございます」

 

「気にしなくて良いですよ。私は義塔さんに言われたことをしただけですから。お礼は彼にしてあげて下さい。私も手間賃は彼から貰いますから」

 

 コンテナの中央に置かれたトランシーバーの液晶画面が光る。送信元は運転席にいるエールだ。彼女は今、ワークセル運輸のドライバーに扮してハンドルを握っている。ティナや鈴音と同じ16歳(推定)、更に戸籍が無い。当然だが免許も持っていない。しかし大きな体格と大人びた雰囲気で10代と疑われることが無く、2014年生まれの23歳と偽装した運転免許証で職務質問を乗り切っている。

 

『思ったよりサツの検問が厳しい。ちょっと遠回りするぜ』

 

「エクステトラには着けそうですか? 」

 

『安心しろ。そこは問題ねえよ。警察無線傍受して上手くすり抜けるから。まぁ、でもあと1時間ぐらいは見込んでくれ』

 

「分かりました。別の手は考えていますのであまり無理はしないで下さい」

 

『了解。安全運転でいくよ』

 

 エールが通信を切ったのだろう。トランシーバーの液晶が再び暗くなる。

 

「そういえば、蓮太郎さんのことを訊くために会いに来たんでしたね」

 

「ごめんなさい。こんなことに巻き込んでしまって……」

 

「構いませんよ。慣れていますから。それに、私も貴方達に会えて良かったです」

 

「え? 」

 

 ティナの言葉の意味が分からず、鈴音と美樹は首を傾げる。

 

「時間もありますし、少し昔話に付き合って下さい」

 

 オンラインゲームで民警のことは多少知っている美樹はIP序列38位という数字の意味と強大さを理解している。自分の姉が民警業界の超大物と面識があったことには驚いているが、更に身の上話まで話してくれるとなるとその心中は穏やかではない。

 姉はどうだろうかと隣に視線を向けるといつものにこやかな笑顔をティナに向けていた。

 

「鈴音さん。貴方と駅前のアーケードで出会った頃です。あの時、私と蓮太郎さんは第三次関東会戦で戦う準備をしていたんです」

 

 ティナの言葉に美樹が驚愕し固まった。

 

「か、関東会戦ってあれでですよね。モノリスが壊れて2000体のガストりぇアが集まったっていうあれですよね? 」

 

 緊張した噛み噛みな敬語で美樹が尋ねる。向こうに敵意が無いとは分かっているが、壮助から「俺を1ヶ月監禁して毎日フルボッコにした人」「平然と飛行機から未踏領域に俺を蹴落とす人」「あの人のピザはドラッグより危険」と説明されており、機嫌を損ねないように必死になっている。

 

「ええ。それで間違いないです。最終的には3000体まで増えましたが」

 

「さ、さんぜん……」

 

「恐くなかったのですか? 」

 

 震える美樹とは対照的に鈴音はいつも通りの笑顔を向ける。

 

「恐怖心はありませんでしたね。スプーンの握り方を覚える前に銃の撃ち方を覚えた幼少時代を過ごしましたから。それに私はイニシエーター以外の生き方を知らないんです」

 

「苦労されたんですね」

 

「衣食住に困っていた分、貴方達の方が苦労したと思いますが……」

 

 ティナは鈴音の顔をじっと見る。6年前の彼女は盲目のストリートチルドレンという境遇の中、笑っていた。それは本心ではない。強さからでもない。自分の心を守る為に怒りや悲しみといった感情を除外(オミット)し、楽しいことと嬉しいことだけを受容する自己洗脳によるものだった。そんな精神状態にまで追い詰められた彼女の境遇を“優秀な機械化兵士”として保護されたティナでは推し量ることが出来ない。

 

「話を戻しましょう。ギリギリでしたが蓮太郎さんは仲間を集め、聖天子暗殺未遂(少し悪いこと)をして序列剥奪中だった私も別の方とペアを組んで戦列に加わりました。フクロウの因子で目が良いせいですかね。多くの人がガストレアの犠牲になる光景を見ました。どれだけ援護しても徒労に終わりましたし、同じアジュバントの友達も失いました」

 

 ティナは友達――布施翠のことを思い出す。2度目の戦いの以降、彼女は姿を消した。当時、蓮太郎からは「居なくなった。逃げたんだろう」とだけ伝えられたが、ティナはその言葉に半信半疑だった。逃げたくなる気持ちは理解できる。しかし、彼女がそんな無責任な人間だろうか。翠と会って数日も経たないティナにその判断をするだけの材料は無く、真相は闇の中だった。――1年後、悪夢に魘される蓮太郎の譫言を聞くまでは。

 

「あの日の光景が今でも夢に出て来るんです。あの人達は何の為に戦ったんでしょうか。どうして逃げなかったんでしょうか。何の為に産まれて、生きて、あそこで死んだんでしょうか。私達の戦いに意味はあったんでしょうか。『無意味にしない為に生きて戦い続ける』と決心した後ですら、揺らぐことがあります。

 

 だから、貴方達と会えて良かったです。

 

 貴方達のように幸せな日常を過ごす呪われた子供がいる。

 貴方達を認めてくれた人がいる。

 貴方達が呪われた子供だと知ってもその幸せを喜び、不幸に涙を流す人が大勢いる。

 何も変わっていないようで確かに社会は良い方向に変わろうとしている。

 

 それを知っただけでも十分です。

 

 私達の戦いに意味はありました。

 あの日、流した血にも、散った命にも意味がありました。

 

 今、ようやく自信を持って言えるようになりました」

 

 関東会戦で死んだ皆が自分の生と死に意味を求めてはいないだろう。もっと低俗な理由の為に戦い死んだ者もいるだろう。真逆のことを考えていた者もいるかもしれない。これは弔いでもなければ報いでもない。自己満足であり、自分への慰めでもあるとティナ自身も理解している。しかし、数年来求めていた答え――それに辿り着いた時、彼女の手が震え、目から涙が流れた。

 それは関東会戦だけではない。東京エリアを守る為に戦った延珠の死、正義と復讐に身を焦がした木更の死への解答でもあった。

 

「鈴音さん、美樹さん。貴方達は幸せに生きて下さい。東京エリアを守る為に戦ってきた私達のためにも、その路の途中で倒れていった人たちの為にも。その日常を守る為に銃を持つのが生き残った私の役目です」

 

 気が付くとティナの首筋に腕が回る。温かく軽い毛布で包むかのように鈴音と美樹が左右から抱擁する。彼女達の体温が、涙の匂いが、服の擦れる音がティナを包む。

 

「ティナさん。貴方も幸せに生きて下さい」

 

「今度、3人で遊びに行こうね」

 

「そうですね。これが終わったら是非」

 

 

 

“だから、今度こそ終わらせるんだ。何も守れず、世界を救うなんて粋がった愚かな男の人生を”

 

 半年前の空港テロで蓮太郎が放った言葉を思い出す。東京エリアを守る為に戦い、戦い、戦い抜いて、「この世界に守る価値なんてない」という哀しい答えに辿り着いた男の慟哭を。

 

 

 

 

 ――お兄さん。私達は確かに守ったものがありました。救ったものがありました。貴方は“これ”を忘れてしまっていたんですね。

 

 

 

 

 次は、私が思い出させる番です。

 




今回のティナ先生は、太平洋戦争を生き残って戦争の記憶を孫に語るお爺ちゃんみたいになってるなぁと書いてて思いました。彼女、まだまだ現役なんですけどね。


次回「戦乙女の血戦 ①」

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