東京エリア某所に位置する警察署。そこの取調室で壮助と遠藤警部は睨み合っていた。どう見てもヤンキー高校生な壮助の見た目から、遂に窃盗か強盗か何かやらかして捕まったのだと周囲が見ていたら勘違いするだろう。しかし彼の手に手錠はつけられていない。あくまで任意同行のようだ。
互いに唸りながら覇気をぶつけ合う。遠藤警部の背後には若い刑事がいるが、覇気が無いせいで戦力になっていない。そもそも戦力になる気などないのかもしれない。
「報酬が支払われないってどういうことですか!」
「だから何度も言っているだろう。ガストレアの討伐報酬は止めを刺した民警に支払われる。お前じゃない」
「あのガストレアは俺が止めを刺したって言っているでしょうが!他に誰がいるんですか!?」
「お前以外の誰かだよ。じゃあ、爆弾を持たないお前がどうやってあのガストレアを爆殺したのか教えてもらおうじゃないか」
壮助は落ち着きを取り戻し、机から手を離して椅子に腰を下ろす。
「俺が殺した後、アンタ達がノロノロ向かっている間に死骸にガスが充満して勝手に爆発しました」
実際にクジラの腐敗した死体にガスが充満し、突然爆発して肉片を周囲にまき散らしたという事例が世界中で数件ほど報告されている。ガストレアに関してはそれが発生するのかどうか分からないが…。
「そもそも止めを刺した民警がいるなら報酬目当てに名乗り出てくるんじゃないですか」
「ま、お前の言いたい気持ちは分かるが、こちとら規則なもんでな。誰がどうやって殺したのか判明しないと“終わり”じゃないんだ。人殺しでもガストレア殺しでもな。お前が『ガストレアを四散させる威力を持つグレネードを隠し持ってる』なんて話になったら公安部まで動く事態になる」
「……」
世界中のほとんどのエリアにおいて、民警は警察や政府などの公的機関に武器の所持情報を提供している。これは民警がそのエリアの安全保障上の脅威にならないようにする配慮であり、武器の密輸や不法所持を防ぐための規則となっている。とりわけ、6年前のとある事件の影響で警察と民警には軋轢が生じており、それは今になっても解消されていない。
今から6年前、とある民警が殺人容疑で逮捕された。民警と警察の衝突という事態を防ぐため聖天子は犯人から民警のライセンスを剥奪、一市民による殺人として扱われた。結果としてその民警の逮捕は冤罪であることが判明、別の真犯人が逮捕されたことで事件は解決した。
しかし、犯行に民警の銃器が使用されたことから、警察は民警の銃器の扱いや管理体制に疑問を抱き、それが膨れ上がり対ガストレア戦闘における警察の狭い権利への不満へと繋がっている。警察にバラニウム製武器の所持が認められているのも不満解消の一環だ。
「失礼します」と言って、もう一人の若い刑事が取調室に入って来た。その手には2~3枚の書類が握られている。
「ガストレアの解剖結果が届きました」
あんな肉片に解剖も何もあるものか。と壮助は心の中で思っていたが、きっと解剖学や医学を修める者達には肉片は肉片で調べる余地と価値があるのだろうと勝手に結論付ける。
「残されていたガストレアの頭部の脳で急性刺激に対して応答する間脳の視床下部の細胞が活性化していたことから、死因は急性ショック死。爆死ですね」
「爆発の原因は?」
「不明ですが、6、7年前にも同様に死亡したガストレアが報告されています」
「その同ケースで死亡したガストレアについての情報、そいつらを仕留めた民警について調べてくれ」
「了解しました」
若い刑事は敬礼すると取調室からそそくさと出て行った。
遠藤はニヤリと気味の悪い笑みを浮かべながら席に着き、勝ち誇った顔を壮助に向けた。
「科学ってのは正直で助かる。これでお前の証言は嘘ってことが分かった。もう一度言う。あのガストレアを倒したのは誰だ?」
「……」
「報酬は諦めろ。それに今ここで正直に話さないとお前を偽証罪で牢屋にぶち込まなきゃならない。そんな面倒なことは俺だってしたくない」
壮助は遠藤の脅しに屈した。と言うより、報酬が完全に無理ならあの仮面の男について黙秘する理由がなかったし、何より豚箱行きは勘弁してほしかった。
「黒い仮面の男」
「は?」
「黒いスーツに黒い仮面の男。年齢は俺よりちょっと上ぐらいで、丸腰で武器の類は持ってなかった……です」
「そいつがガストレアを倒した男か?」
「本人がそう言うなら、そうなんじゃないですか」
「なるほど。こりゃあ、似顔絵も作る必要があるな」
「もしかして、時間かかります?」
「まぁな。お前の記憶が薄れない内に聞いておく必要がある」
壮助が大きく溜息を吐いて項垂れる。オートバイ並みの速度の自転車に2人乗りし、ガストレアと戦いで食われかけ、報酬を巡って警察と戦い、そして取調室だ。その疲労は並大抵のものではない。それに加えて空腹感に襲われる。
「刑事さん。カツ丼一つ」
「ドラマでよく出てくるけど、あれ自腹だぞ」
「じゃあ結構です」
「お前、警察の金でカツ丼食うつもりだったのか」
遠藤に呼ばれた似顔絵捜査官が取調室に入って来た。
遠藤は気合い付けなのか、上着を脱いでシャツの腕を捲った。
「今日中に根掘り葉掘り聞かせてもらうぞ。お前馬鹿そうだから明日には忘れてるだろ」
壮助は反論できなかった。馬鹿なのは自覚していたし、学歴も中卒止まりだ。だが実際他人に言われると腹が立った。この取り調べが終わったらとりあえずこの警部の顔を一発ぶん殴ろうと壮助は心に誓った。
*
あれから取り調べは2時間ほど続いた。壮助の証言から似顔絵を作成したのだが、何度書き直してもいまいちピンと来なかった。似ていないわけではない。顔立ちや体格、仮面のデザインも言葉だけで忠実に再現してくれた。しかし、一つだけ再現できないものがあった。
(あの目は……あの虚無の目は何なんだ?)
報酬を貰えなかったことも遠藤の顔を殴れなかったも今となってはどうでも良かった。
そうこう考えている内に自分たちが住んでいるアパートに辿り着いた。
コンクリートの4階建て、一切塗装されていない灰色のコンクリードがむき出しになっており、鳥の糞の跡や何らかの汚れ、昔の火事の焦げ付き、ひび割れがすっかり放置されている。外部からは人の温かみも感じられず、知らない者からすれば廃墟だと勘違いされ、そこを出入りする壮助と詩乃もたまに幽霊だと思われる。幽霊疑惑については本当にこのアパートのとある一室で本当に“出る”という噂が一端でもあるのだが。
蜘蛛の巣が張り巡らされ、蛾が灯りの周りを飛び交う。そんな階段を昇っていき、自分の部屋の前に付いた。
「ただいま~っと」
壮助が扉を開くと玄関から部屋の奥まで一望できる。ワンルームゆえのプライベートの無さだ。足元には履き捨てられたスニーカー、奥の部屋は明かりがついており、詩乃がテレビに釘付けになっていた。
全裸で――
呪われた子供たちとはいえ彼女はもう13歳。肢体の色々なところが成長しつつある発展途上なうえ、格闘技やスポーティな趣味のおかげでメリハリのある健康的な身体をしている。呪われた子供たちには健康的な体型を維持する機能が常人よりも優れているらしい。
ロリコンでなくてもドキッとする瞬間は多く、その度に頭の中で否定する。
「あ、壮助、おかえり」
詩乃が身体ごと振り返る。テレビに釘付けになっていて背中しか見えなかったが、振り向いた途端に見えてしまってはいけないあれやこれが見えてしまう。
「『おかえり』じゃねえ!下着ぐらいつけろ!」
壮助は咄嗟にタクティカルベストを詩乃に投げつける。空中で広がったベストは見事に壮助と詩乃の間の視界を遮り、詩乃の顔に覆い被さった。彼女はそのベストを着こむ。
「いいじゃん。家の中ぐらい全裸でいたって」
「お前が良くても俺は良くないの!ちょっとは自分の性別ぐらい意識しろ!」
「そんなの今更の話じゃん。それに家の中で全裸を禁止されたらトイレとお風呂でしか全裸になれないよ」
「それが普通だ!この歩く児童ポルノ!」
「児童ポルノじゃないし。見てよ。この子供と大人の中間に位置する中学生特有の肢体を」
詩乃は雑誌によくあるグラビアポーズ――どこで覚えたのか知らないが――をキメて、壮助に誘惑するような視線を向ける。全裸にタクティカルベストという格好がミリタリー雑誌のグラビアコーナーを彷彿させる。本当に載ってしまえば、そのエロさと詩乃の年齢的に発禁処分ものだ。
壮助は「あ~もう」と唸りながら頭を抱え込む。初めてペアを組んだ時は少なくともこんな少女じゃなかった。大人しくて年齢の割には冷静沈着で物事をテキパキとこなすクールビューティというのが壮助の第一印象だった。今でも思い出せる。IISOの東京エリア支部に呼び出され、詩乃と引き合わされた日のことを――
*
今から半年前、壮助はフリーターだった。民警としての資格は持っていたが、相棒となるイニシエーターがいなかったため、工事現場や工場のアルバイトで何とか食いつないでいた。
待機組――壮助のようなプロモーターのことを民警の業界ではそう呼んでいる。世界中では、プロモーターの数に対して、イニシエーターの数が不足している。
人類はモノリスによって安全圏を確保したが、モノリスはそれと引き換えに“赤目不足”という問題を引き起こしていた。人類とガストレアの接触が減少したことにより、呪われた子供たち出生数が激減。戦力となるイニシエーターも不足し、民警ペアの数はここ数年で減少の一途を辿っていた。
壮助はその日その日を生きながら、いつ来るか分からない相棒を待つ日々を送っていた。
ある日、IISOから書類が送られてきた。抽選により相棒が決まった旨が記されたA4サイズの紙、イニシエーターとの面会時間と場所が記された案内書、正式に民警になるに当たって必要な書類が茶封筒の中に入っていた。
そして、面会の日、壮助はIISOのとある一室に連れられた。床も壁も天井も真っ白な部屋だ。その部屋にあるのは、向かい合う2つの扉のみ。
壮助はIISOの仲介人と共に一方の扉から入り、まだ見ぬ相棒を待っていた。
この時、壮助の緊張はピークに達していた。イニシエーターの存在は民警として活動する上で欠かせない存在だ。相手の能力、パーソナリティ、共に戦う上での相性。イニシエーター次第で全てが決まり、全てが変わる。それを決定づける対象と瞬間が目の前に迫っている。イニシエーターの情報は面会の時まで一切公開されないこともあって、彼の心には不安と高揚が同居し、心臓の鼓動は荒ぶっていた。
対面の扉が開き、相棒が姿を現した。
紺色のパーカーを着た一人の少女。彼女の姿を見た途端、壮助の中の不安は消えていった。ただ歩み寄っているだけで、一言も交わしていないが、何故か、本能的に「彼女とは上手くやっていける」と感じていた。
「森高詩乃。12歳です。8歳の頃から民警として戦ってきました。これまでのガストレア討伐数はステージⅢが5体、ステージⅡが36体、ステージⅠは100体から数えていません」
淡々と自分の功績を語る詩乃を前に壮助は言葉が出なかった。彼女は強すぎる。相棒が強いことに越したことはないが、あまりにもレベルが違っていた。「こんな弱い相棒はいらない」と逆にペア解消を希望されるのではないかと思うほどに。
「義搭壮助……です。昨日までフリーターやっていました。よろしく」
これ以外に語る言葉は見つからなかった。中学時代の喧嘩の話でもしようと思ったが、ガストレア相手に戦ってきた彼女にとっては児戯にも等しいだろう。壮助は自分の不甲斐なさで相手を落胆させるのではないかと恐れていた。
「そうですか。でしたら、民警としては私が先輩になりますね。色々と大変だと思いますが、私がフォローしていきます。これから宜しくお願いします。義搭さん」
詩乃が手を伸ばしてきた。壮助にとってはそれが希望の象徴に見えた。
「あ、ああ。よろしく……お願いします」
壮助も手を伸ばし、互いに握手する。積極的に手を握る詩乃に対し、壮助はぎこちない握り方だった。
*
(適度な距離感を保ちつつ、パーフェクトクールビューティ森高詩乃先輩に指導されながら一人前の民警として成長する――そう思っていた時期が俺にもありました)
「壮助の匂い大好き~」
ほら見ろ。今でも男の体臭を嗅いで恍惚とした笑みを浮かべる変態だ。外ではパーフェクトクールビューティ森高先輩だが、家の中ではこの有様である。この姿を学校の連中や民警仲間に見せてやろうかと壮助は考えるが、言ったところで世間は底辺ヤンキー民警の戯言にとしか受け取らないだろう。
「それより何のテレビ見てるんだ?」
壮助がテレビ画面に目を向けると、ライオンの子育ての映像が映し出されていた。その情景を優しく解説するナレーション。大戦前に人気があった(らしい)動物番組の再放送だ。
「お前、相変わらず動物番組好きなんだな」
「うん。見ていて面白いし、初めて見る動物もいるし」
「あ、そうか」
寄生生物ガストレアによって、今となっては人間とペットと家畜以外の生物は全てガストレア化したと言っても過言ではない。もう絶滅した種もいるだろう。むしろ絶滅していない種の方が少ない。
番組の話題は変わり、魚の求愛行動と繁殖の話題になる。詩乃は再びテレビの方を向いて真剣に番組を見つめる。求愛や繁殖の話題なんて……と思ったが、学校にはちゃんと通わせているので保健体育の授業である程度の知識はあるはずだ。少なくとも学校をサボりまくっていた壮助とは違って。
テレビを見つめながら詩乃がポツリと呟いた。
「壮助。私と繁殖しようか」
壮助は突然の発言にぎょっとする。
「黙れマセガキ。お前がベッドの上の格闘技を語ろうなんて5年早いんだよ」
「5年後ならOKなんだ」
「語るだけならな。実践は更に2年後だ」
あと数年もこの生活を続けたら壮助の理性がもたない。これは本人が自覚していることであり、早く2DKの部屋を借りられるぐらい稼いで互いの貞操を守らなければと考えている。
「俺は風呂入るから、さっさと服を着ろよ」
壮助は箪笥の中から自分の下着と寝巻を取り出す。詩乃も自分の衣装箱を漁っている。ちゃんと忠告は届いたようだと壮助は安心した。
壮助は服を脱ぎ、身体を流して湯船に浸かった。
今日は最悪の日だった。仕事にはギリギリ遅刻、ガストレアに食われかけ、謎の黒仮面に手柄を取られ、警察署に数時間も缶詰にされた。
(報酬のこと、松崎さんにはなんて言い訳しようか……)
「壮助」
言い訳を考える暇を与える間もなく、詩乃が風呂場の扉を開けた。扉の鍵はいつもかけていない。鍵をかけたら扉ごと鍵を破壊されるので無意味となり、完全に諦めた。
詩乃は先程の全裸と打って変って、スポーティな水着をつけている。黒い布地をベースに水色のラインが入っている。彼女は服飾品において寒色系を好む傾向にある。
「一緒に入ろう」
出て行けと言っても強行突破される。普通の人間と呪われた子供たちの間の力の差は大きい。ガストレアがどうして人類を滅亡寸前にまで追い詰めたのかを彼女を通して実感できるぐらいであり、そもそも赤目の力を使わない状態でも彼女はけっこう強い。
この2人の日常では16歳のヤンキーが13歳の少女に腕力で敗北する光景が多々見られるのだ。
「ああ!もう!好きにしろ!」
どうして彼女はこうもアグレッシブに自分に好意を示すのだろうか。どうして、ペアを解消してもっと強いプロモーターと組もうと思わないのか。それは当分、彼が頭に抱える難問になるだろう。
今回は主人公ペアの義塔壮助と森高詩乃の日常の一端の話でした。
この2人の名前は里見八犬伝の登場人物「犬川 荘助 義任(いぬかわ そうすけ よしとう)」と「犬塚 信乃 戍孝(いぬづか しの もりたか)」から取りました。
16歳と13歳という異性や色濃いに関して微妙なお年頃の同居生活、本編の蓮太郎(16歳)と延珠(10歳)の親子(?)のような同居生活とは違って、ややエロティックなものに仕上がっております。
壮助が使用する銃や詩乃の槍術に関しては後々説明する予定です。
ご愛読いただき、ありがとうございます。