東方九竜子―瀟洒の妹―   作:竜華零

8 / 13
STAGE7:「博麗神社・上空にて」

「うう、夜になっちゃった……」

 

 

 霧の湖の畔をとぼとぼと歩きながら、妖夢は溜息を吐いた。

 あの後、レミリアにお土産を渡し、小悪魔に教えて貰いながら洋菓子を作って――どうして、メイド衣装だったのだろう――どうにか、主のおつかいは済ませた。

 だが結局、咲夜と白夜は戻らず、こうしてあても無く歩いている。

 

 

 いや、洋菓子を持って冥界に帰れば良いのだろうとは思う。

 ただそれをして、はたして主である幽々子は笑って迎えてくれるだろうか?

 よもや洋菓子1つのために使いに出したりはすまい、すまいと思いたい。

 となると、幽々子は自分に何かを求めているはずだ。

 

 

「このまま帰れば良いのか、異変の解決に向かえば良いのか」

 

 

 悩む。

 答えは出ない。

 こう言う時、判断力の無い自分を「半人前だなぁ」と思う。

 他の者ならきっと、幻想郷らしく、自分の好きなようにするのだろう。

 

 

 だが、そもそも自分の「好きなように」とは何なのだろう?

 いやいや、と妖夢は自分の思考を止める。

 これは自分の悪い癖だ、このまま泥沼に嵌まっていくのが自分だ、戒めよう。

 うん、と一つ頷いた、その時だ。

 

 

「うん?」

 

 

 歩く。

 足を前に出す、地面を踏む。

 当たり前だ。

 だが、その当たり前の行為が出来なかった。

 地面が無ければ、出来ないのは当たり前だ。

 

 

「……へ?」

 

 

 思わず間抜けな声を出して、妖夢は自分の髪が逆立つのを感じた。

 身体が下に落ちているのだから、それはそうなるだろう、と冷静な部分が考えて。

 

 

「みょ……!?」

 

 

 叫び声を上げることも出来ずに、妖夢は地面に飲み込まれた。

 より正確に言えば、地面にぽっかりと開いたスキマの中に。

 紫色の、無数の眼が蠢く不気味な空間に。

 後には、静寂だけが残された。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 幻想郷の夜、妖怪の時間。

 博麗神社の空に、少女の嗤い声が響き渡った。

 

 

「アハハ、アハハハッ! 他愛の無い。所詮は人間、前評判ほどではありませんでしたわね」

 

 

 格子柄の緋色の衣に銅の錫杖、長身痩躯の少女。

 その正体はいつか霊夢に挨拶と称してちょっかいをかけたあの妖怪、憲章だった。

 今、彼女の眼下には白煙に覆われた境内がある。

 憲章の放ったスペルによる惨状だ、社が壊れる程では無いが、石畳が砕けるくらいはしたかもしれない。

 

 

 しかし1番はやはり<博麗の巫女>、つまり霊夢に奇襲を喰らわせたと言う所だろう。

 幻想郷の秩序を司る存在、異変を起こす側からすれば最大の脅威だ。

 憲章の役目は、霊夢を見張り、彼女が出動する素振りを見せたならそれを妨害すること。

 

 

「まぁ最も、勢い余って(たお)してしまったかもしれな――――」

 

 

 立ち込める白煙を引き裂くように、2枚の護符が飛び出して来た。

 稲妻のような機動で近付いてくるそれを、錫杖を横に振るって弾く。

 1枚目は軽く、しかし遅れて来た2枚目を打った時、手先に痺れを感じて顔を歪めた。

 力ある妖怪は自然と表皮に妖気を纏っている、1枚目でそれを祓い、2枚目では直にぶつけてきた。

 

 

「ふふん。流石は<博麗の巫女>と褒めてあげたい所ですわね」

 

 

 痺れの残る手を振りながら見下ろせば、白煙が払われるのが見えた。

 中心にいるのは当然、紅白の巫女服を纏った少女だ。

 手には大幣、傷一つ――いや、埃一つその身にはついていない。

 

 

「妖怪の褒め言葉なんていらないわ」

 

 

 境内の石畳にも罅一つ入っていないのが見えて、憲章は己の一撃が完全に封殺されたことを悟った。

 巫女の力か。

 手に残る痺れ、眼下の光景、いずれも憲章が認識を変えるには十分過ぎる程だった。

 

 

 ――――なるほど、<博麗の巫女>。

 

 

 長い左の横髪を指先で弄りながら、霊夢を見下ろす。

 見下す。

 強大な妖怪が脆弱な人間を見下す、それは憲章が妖と人のあるべき関係をどう考えているかを如実に表しているようだった。

 

 

「聞く所によれば、貴女は幻想郷の秩序(ルール)を守る存在なのだとか?」

「考えたことも無いわね」

「ふふふ。貴女が秩序(ルール)を守護者ならば、私は(ルール)を定める存在。ルールを創る者とルールを守る者、どちらが主でどちらが従か、言うまでも無いことでしょう?」

 

 

 霊夢の両横に紅白の陰陽玉が2つ浮かぶのを見て、憲章は言った。

 

 

「さぁ、この私。憲章・ヤマキサナドゥが、貴女に教えを授けてあげましょう……人間の巫女よ!」

「教え? 妖怪に貰う物なんて無いわ。……お賽銭以外」

 

 

 びゅう、と、2人の間を一際強い風が吹き抜けて行った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 憲章・ヤマキサナドゥ。

 前半はともかく、後半は何となく聞き覚えがあるような気がしたが、思い出せないと言うことはきっと気のせいか、さもなくば大した名前では無いのだろう。

 そう結論付けて、霊夢は護符を手に空を見上げた。

 

 

「あやややや。流石は霊夢さん。閻魔(・ ・)様を相手にも動じませんねぇ」

 

 

 一陣の風と共に霊夢と憲章の間に入って来た、1人の鴉天狗の背中を見上げた。

 

 

「閻魔?」

「ええ、閻魔様ですよ。ヤマキサナドゥは閻魔の役職の1つです。ほら、お彼岸の先に同じような名前の閻魔様がいたでしょう――――……と言うか、少しは私の登場に驚いて下さいよ」

「あんたはいつだって、呼ばないのに来るじゃない」

「これは辛辣。ネタある所に飛び込んでいるだけなのですが」

 

 

 文だった。

 彼女は片足を膝の裏に回す独特の格好で宙に立っていた、背中を見せていて顔は見えないが、今回は割合マジメな様子だった。

 そして、閻魔、である。

 

 

 言わずと知れた地獄の裁判官で、種族と言うか、役職と言うべきだろう。

 聞く所によれば地区ごとに閻魔がいるらしく、この幻想郷を担当する閻魔もいる。

 と言うか霊夢は会って話をしたこともある、説教の記憶しか無いが。

 文が言うには、憲章はその閻魔なのだと言う。

 まぁ、霊夢からすれば「だから何?」なのだが。

 

 

「何ですの、貴女は?」

 

 

 その憲章が文を見て、不快そうに顔を歪めた。

 

 

「あややや、まさか記憶されていないとは。一応、一度はお会いしているのですがね」

「どういうこと?」

 

 

 本気で聞いてくる様子の霊夢に、文は「あれ?」と思った。

 まさか本気で聞いているのだろうか、いや、それこそまさかだ。

 

 

「いえ、ほら。私は霊夢さんより先に異変解決に乗り出したじゃないですか、厳密には私じゃなくて私をオプションにした方が解決に乗り出したんですけど」

「…………ああ」

 

 

 ああって何!?

 声に出したかったが抑えた、ここで聞き返して「いやぁ、えへへ」とかされたら次の新聞の一面を間違いなく飾る、絶対に書いてやる。

 しかし、文はそうしなかった。

 何故なら、彼女が書くべき記事は別にあるのだから。

 

 

「さぁ、私のオプション元を返して頂きましょうか。異変はオプションだけで解決できるものではありませんからね」

「オプション? ……ああ、思い出しましたわ」

 

 

 コココ、と嘲りの笑い声が降ってくる。

 

 

「貴女、鎧眦が追って行った小鴉ですわね? そう言えば取り逃がしたのでしたわ。そうそう、白黒の人間と一緒に我らの城にやって来た」

「ええ、思い出して頂けましたか?」

「はい、はい、思い出しました。何しろ、私が直々にお迎えしたのですから。博麗の巫女へ挨拶に伺う、いわば行きがかりの駄賃のような物でしたわね」

「行きがかりの駄賃とは、言ってくれますねぇ」

「だって、ふふ。貴女、すぐに逃げ出してしまったんだもの」

 

 

 憲章が錫杖の輪を鳴らすと、そこに格子が出現した。

 緋色に輝くそれは編み籠のような形をしており、中に誰かが入っていた。

 両手を上げさせられ、まるで磔にでもされているかのような姿をしている少女。

 帽子は無い、が、白黒の魔女衣装は見間違えようが無かった。

 気を失っているだろうに、手には箒を握り締めていた。

 

 

「この子を置いて、鎧眦から逃げようと必死だったじゃありませんか」

 

 

 霧雨魔理沙、最も速く異変の解決に乗り出した少女がそこにいた。

 爆発にでも晒されたのか衣服はぼろぼろで、身じろぎもしないものだから死んでいるようにも見える。

 時折聞こえる微かな呼吸音が、彼女がまだ生きていることを教えてくれる。

 ざわざわと、強い風が吹き続けていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――自分には、やらなければならないことが2つある。

 生まれた時から共にいる風、その中で、文はそう確信していた。

 

 

「私を畏れ、跪きなさい! それが貴女に出来る唯一の善行ですわ!」

 

 

 言葉と共に放たれた格子の弾幕、これを見るのは二度目だ。

 1度目は当然、あの砂漠の空で。

 先ほど霊夢にそうしたように、不意討ちだった。

 気付いたのも、先に反応したのも、文が先だった。

 

 

「……ッ!」

 

 

 憲章を追って、文は真っ直ぐに飛ぶ。

 四角に編まれた格子の中心に飛び込む、枠は幾重にも重なっていて、1つ枠を超えるごとに道は小さくなっていく。

 その中を赤い粒弾が擦過していく、甚振るように肌と羽根を傷つけていく。

 

 

「オプションとしての仕事にしては、やや出張り過ぎですかね!」

 

 

 仕方ない、オプション元があの様なのだ。

 あの時、文は魔理沙に代わって初撃を受け止めた。

 人間を庇うなんてほとんどやったことが無かったから、庇い方が下手だったことは否めない。

 

 

『馬鹿野郎、逃げろっ!』

 

 

 ついでに言えば、魔理沙の行動も予想外だった。

 まさか傷ついた自分を逃がそうとするとは、人間のくせに。

 やたら怒っていたように見えたのは、余計なことを、とでも思っていたのだろうか?

 ところがどっこい。

 

 

「大好きですよ、余計なことは!」

「ならば存在そのものを余計とし、潰れるが良い!」

 

 

 憲章が錫杖を天に掲げると、12の輪がしゃらんしゃらんと音を立てる。

 その音に合わせる様に、弾幕がその激しさを増した。

 

 

 

        ―――― 獄符「アシュヴァシールシャの監獄」――――

 

 

 

 速い、しかも格子状の弾幕が回転を始めた。

 進めば進む程に狭くなると言うのに、この上で回転までする。

 重なっている格子の回転の速度がそれぞれに違う、大小10個の輪が別々の速度と方向に回転している様を思い描いてくれれば、想像しやすいかもしれない。

 

 

「はは……っ!」

 

 

 また敵のスペルの効果なのだろう、格子の中はさらに道が狭まった。

 格子が締め上げるように縮小を始め、跳ね馬のように脈打ち始めた。

 それでも、文は嗤った。

 負傷を得ている羽根が痛むのも我慢して、飛ぶ。

 

 

「何を笑うことがあるのです? 私の裁きに伏する覚悟でも出来ましたか?」

「あやややや。閻魔様ともあろうものが、まさかお分かりにならないのですか?」

「? 何をですの?」

「妖怪がどう言う時に嗤うのか。そんなものは」

 

 

 1枚のスペルカードを宙に放り投げながら、文は言った。

 唇を歪める、どこか嫌らしそうな笑顔で。

 

 

 

        ―――― 風神「風神木の葉隠れ」――――

 

 

 

 無数の木の葉が、その場を覆いつくした。

 それは当然、憲章にも殺到する。

 鬱陶しげに舌打ちし、錫杖を2度3度と振りながら木の葉を、弾幕を弾き飛ばして。

 そして、ぎょっとした。

 

 

「そんなものは」

 

 

 憲章の目には、文の姿が見えただろうか?

 跳ね馬のように動く格子を、まさに針の穴を通るかのように飛翔する。

 格子で封じられた小さな空間を鋭角に飛び、翔び、()ぶ。

 飛ぶ動きを一旦止め、身を折り羽根を畳んで、慣性だけで格子が重なる瞬間を突破した様など圧巻だっただろう。

 

 

 回転する格子の中、逃げ場を塞ぐが如く放たれる粒弾の悉くを回避する。

 彼女が通った後には風しか残らない、憲章の目にはもはや黒い羽根と木の葉の色しか見えていなかった。

 次に行動すべき手や足が、次の行動を決めかねて動けずにいる。

 次の行動を決める前に、文が動いているからだ。

 

 

「ば、馬鹿な」

 

 

 見えない。

 自分が放ったスペルの中から、文は完全に抜け出していた。

 スペルカードの絶対のルール、突破不可能な弾幕を放ってはならない。

 そして憲章が設定した抜け道は、全ての格子を突破した先にある。

 

 

「そんな、馬鹿なことが……ッ!」

 

 

 バンッ、と、空気が破裂するような音がした。

 鼓膜が震えて顔を顰めたが、文の顔が目の前にあったがために、目を逸らすことは出来なかった。

 妖気の瞳が、憲章の眼を見つめている。

 

 

 ――――妖怪がどう言う時に嗤うのか、知っているか?

 

 

 顔を見ているだけで、文の声が聞こえてくるようだった。

 そして文は言う、言葉を発することなく語る。

 妖怪が嗤う時など知れていよう、愉しい時だ。

 愉しく悦ばしい時にこそ、妖怪は嗤う。

 

 

「あはっ」

 

 

 嗚呼、愉しむべきかな。

 悦ぶべきかな、妖の血が沸く。

 目の前で蠢く獲物に食指が動くのは鴉の性か、妖の欲か。

 それは酷く醜悪で、そしてだからこそ何よりも美しい。

 そして美しいが故に。

 

 

「あ?」

 

 

 憲章は、思わず間抜けな声を上げてしまった。

 と言うのも、目の前で起こったことをすぐには認識できなかったためだ。

 具体的に言えば、眼前でカメラのフラッシュがたかれたのだ。

 つまり、文がカメラで憲章を撮ったのである。

 先程までとは質の違う、軽薄な笑みを浮かべてヒラヒラと手など振っている。

 

 

「お……!」

 

 

 かっと顔面に熱を感じて、錫杖を下から払った。

 

 

「……のれ!」

 

 

 鈍い音を立てて、文の身が裂けた。

 錫杖で斬られ、胸元の衣服が千切れ、切れた肉から血が噴き出す。

 憲章の緋色の衣服が、文の血を吸ってさらに赤みを増す程に。

 身体の中に音と衝撃を感じながら、文はゆっくりと、背中から墜ちていった。

 

 

(あやややや)

 

 

 墜ちながら、文はカメラを構えた。

 レンズ越しに見える「それ」に、満足が己の中を充足していくのを感じた。

 迷うことなく、シャッターを切った。

 

 

(綺麗な、流れ星ですねぇ)

 

 

 撮るべき写真は、2枚とも撮った。

 オプションの仕事は終わった。

 そう思い定めて、文は目を閉じた。

 ――――風を引き裂く、流れ星の音が聞こえる。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 憲章は息を吐いた。

 頬には冷たい汗が一滴、それは彼女の精神が少なからず追い詰められていたことを意味する。

 そして妖怪にとって、精神の動揺とは存在の動揺に繋がる。

 

 

(まぁ、良いでしょう)

 

 

 それでも気を落ち着けるあたり、憲章も並の妖怪では無かった。

 まがりなりにも閻魔を名乗る、その自尊心もまた精神の、つまり存在の強さを生んでいるのだから。

 だから憲章は眼下を見下ろした、微動だにせずに鴉天狗の戦いを見ていた霊夢を見た。

 霊夢は、境内に墜ちてきた文をじっと見つめている。

 

 

「さぁ、博麗の巫女」

 

 

 しかしここで、憲章にとって予期せぬ展開が起きた。

 文を見つめていた霊夢が憲章を再び見ることは無く、逆に背を向けたのである。

 一瞬、憲章は相手の意図を計りかねた。

 

 

「紫、スキマを開けて頂戴」

「――――……あら、良いんですの?」

「構わないわ、だって」

 

 

 背中越しに振り向いて、言った。

 

 

「あいつの相手をするのは、私じゃないもの」

 

 

 何のことだ、そう思った時だ。

 憲章はようやく、自分の力の一部が失われていることに気付いた。

 具体的に言えば、捕えていたはずの人間の魔法使いがいない。

 

 

(どこへ消えた!?)

 

 

 そして見た、失われた格子の力の残滓に、緑色の木の葉の形をした弾幕の陰を。

 後には、光の煌きが残るばかり。

 境内に倒れ伏した鴉天狗を睨んだが、何もかもが遅かった。

 

 

(あの鴉天狗の狙いは、最初からこれか!)

 

 

 自分より脆弱な人間を(たす)けると言う行為の意味はわからないが、とにかくそうなのだろう。

 とにかく、鴉天狗の手によって格子は破壊され、捕えていた人間は逃げ去った。

 言ってしまえばそれだけのこと、だが巫女は何と言ったか。

 相手をするのは、自分では無い。

 

 

 

「あいつは、魔理沙の相手よ。勝手に取ったら拗ねられるわ」

 

 

 

 幻想郷の夜、妖怪の時間。

 漆黒に染まる空はしかし暗黒と言うわけでは無く、そこには月があり、そして星々があった。

 その光は、静かに幻想郷を照らしている。

 その中の一つに、一際輝く星があることに憲章は気付いた。

 

 

 夜空に線が引かれる、眩いばかりの光が空に線を引いて行く。

 細い光線を残しながら疾駆する輝きは、まさしく流れ星。

 いや、箒星と呼ぶのが正しいか。

 何故ならば、その輝きは箒に乗ってやって来るからだ。

 

 

「うおおおおおおおおおぉっっ!!」

 

 

 霧雨魔理沙が、来る。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

(文のやつ、余計なことしやがって!)

 

 

 思いつつ、魔理沙は飛んだ。

 愛用の箒を腕と太腿で挟み、夜闇を引き裂きながら飛翔する姿はまさに流れ星だ。

 星の輝きに見えるのは彼女の魔力、箒星の尾はミニ八卦炉から放たれる火線だ。

 他には目もくれずに、ただ憲章の姿だけを目指して飛んでいた。

 

 

「ええい。1審で足りないならば、2審でも同じ判決を下してやりますわ!」

「違う証拠が提出されるかもしれないぜ?」

「残念ながら、証拠の提出は締め切っておりますの」

「そうかよ!」

 

 

 

        ―――― 獄符「アシュヴァシールシャの監獄」――――

 

 

 

 再び放たれる弾幕、回転する格子と無数の粒弾。

 あの時、魔理沙はこの弾幕を攻略できなかった。

 しかし今は違う、彼女の目には通るべきルートが見えている。

 

 

「ここだぁ――――っ!」

 

 

 文は圧倒的なスピードと妖怪の眼力、そして器用さでもってこの弾幕を突破した。

 翻って、魔理沙はどうか?

 妖怪の速度も眼力も無い、魔法使いだけに器用ではあるが、この場合は意味が異なるだろう。

 だが魔理沙には、文には無い勢いと言うものがある。

 

 

 勢い。

 それは、悠久の時を生きる妖怪には無い概念だろう。

 短い生涯をさらに刹那的に生きる人間だけが、勢いと言うその場限りの何かに身を委ねる。

 霧雨魔理沙は、その急先鋒だった。

 

 

「なっ!?」

 

 

 憲章は驚愕した。

 確かに魔理沙は憲章のスペルの中に飛び込んだ。

 跳ね馬のように上下する格子、それを一直線に擦り抜けた。

 あり得ないことだった、それは憲章が意図した突破ルートでは無かったし、文の通ったルートでも無い。

 

 

 1つ目の格子に飛び込む、それは良い。

 だが魔理沙は跳ねる格子の動きに呼応するのでは無く、そのまま直進した。

 第1の格子が下がり、第2の格子が上がる、格子がそれぞれ上下運動する以上、その瞬間は必ず来る。

 魔理沙が狙ったのはそこだ、前が下がり後ろが上がる、つまり道幅が拡大する一瞬を狙った。

 結果として狭隘(きょうあい)な中心を通ることなく、危剣も労力も最小にスペルを攻略してしまった。

 

 

「――――!」

「あ……」

 

 

 憲章は、魔理沙が何事かを叫びながら真横を通り過ぎていくのを見た。

 いや、見ていない。

 何故なら彼女の目は未だ効果を残すスペルを見ていて、つまり正面を向いていたのだから。

 顔面に、かっと血が上るのも無理は無かった。

 

 

「おのれ……」

 

 

 文は妖怪だった、まだ許せる。

 だが今度は人間、しかも自分も知らない突破方法を見せ付けられた。

 憲章の屈辱たるや、いかほどの物があるだろう。

 

 

「おのれ、人間ごときが! 閻魔である私のスペルを! ――――ふざけるな!!」

 

 

 振り向けば、夜空に疾駆する流れ星が見える。

 それを憎々しげに睨み据えて、憲章は錫杖を振るった。

 緋色の妖気が、夜闇の中に充満していった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 当然のことだが、魔理沙に余力は無い。

 敗北し捕えられ、体力の回復を図る時間など無かったのだから。

 

 

(か、借りは……返した!)

 

 

 後は勝つだけだ。

 急旋回のGを堪え、口に1枚のスペルカードを咥えながら、魔理沙は飛ぶ。

 もはや真っ直ぐしか飛べない、文のように小刻みな機動修正が出来る体力は無い。

 だから例えば目の前に壁があれば、彼女はもう馬鹿のようにそこに激突しただろう。

 

 

 

        ―――― 卒符「ゴーシールシャの監獄」――――

 

 

 

 チャンスだと思った。

 今、憲章は苛立ちで視野が狭くなっている、見ればわかる魔理沙の消耗に気付いていない。

 怒りのままに次のスペルを放って来たのが何よりの証拠だ、己の身体に鞭打って飛ぶ。

 愚直に、真っ直ぐに、だ。

 

 

「判決――――!」

 

 

 憲章の新しいスペルもまた、格子と粒弾を併用したタイプの弾幕だった。

 1つ目のスペルと異なる点は、より正面にごり押して来る形を取っていることか。

 まず圧倒的な密度の弾幕を展開し、そして後半になると小さく細かい弾幕が上下に脈打つ。

 先程のスペルを跳ね馬とするのなら、今度のは暴れ牛の突進とでもしようか。

 暴れ牛の頭部分が大きく上下に開く、まるで相手を噛み砕こうとするかのように。

 

 

「――――死刑!!」

 

 

 錫杖の音が響く、それは世界への宣言だった。

 急旋回を終えた魔理沙の前に、暴れ牛の弾幕が迫る。

 流石は閻魔と言うべきか、牛の顎が閉じるタイミングは、まさに魔理沙が弾幕に到達する瞬間に合わせられていた。

 このまま飛び込めば、間違いなく直撃するだろう。

 

 

「閻魔の判決は絶対! その判決に服することが、人間に出来る唯一の善行ですわ!」

 

 

 勝利を確信したか、憲章がいくらか冷静さを取り戻して言った。

 しかし、彼女は知らなかった。

 確かに今、魔理沙は最大速度で飛んでいる。

 

 

 その速度を上限と見抜いたからこそ、憲章のスペルの時間設定もそのようになっているのだ。

 しかし、やはり彼女は知らなかった。

 この速さは、あくまで魔理沙自身の最大速度だと言うことを。

 

 

「……!」

 

 

 口に咥えたスペルカードを、噛み千切るように発動させた。

 

 

 

        ―――― 彗星「ブレイジングスター」――――

 

 

 

 箒の後ろで、ミニ八卦炉が火を噴いた。

 それは外部推進力となり、魔理沙の身を前へと押した。

 つまり、加速した。

 驚くべき程の速度、牛の顎が閉じるよりも前にそこに飛び込み、突っ切り、そして。

 

 

「……うああああああぁぁぁっっ!!」

 

 

 激突した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――その流れ星を、パチュリーは好ましいものとは思えなかった。

 彼女自身は紅魔館の大図書館から動いていない。

 その代わり、彼女の膝の上にある紫水晶が、眩いばかりの輝きを放っていた。

 

 

「綺麗ですね、パチュリー様」

 

 

 未だメイド衣装に身を包んだ小悪魔が、内面の読めない笑顔でそんなことを言う。

 顎先に手を添えて、パチュリーはそれを無視した。

 青白い肌に、紫水晶の光が明滅する。

 こほ、と小さく咳をするその姿すら、物憂げで美しい。

 

 

「こんなもの……」

 

 

 何かを研究する者にとって、最も重要なものは何か。

 意外に思われるかもしれないが、パチュリーは実践がその1つだと思っていた。

 実践できない理論に意味は無い、実の無い学問は無学に等しく、研究と称するに値しない。

 そしてもう1つ、1度実践できたことは何度でも出来なくてはならない。

 

 

 霧雨魔理沙と言う「輝き」は、なるほど素晴らしいものがあるのかもしれない。

 パチュリーもそこは認めている。

 魔理沙はああ見えて色々考えている、行動力もある、理論と実践、大いに結構。

 ただし多くの場合、魔理沙の魔法やスペルには再現性が乏しい。

 ぶっちゃけ、調子によって結果が変わったり出来が上下したりするのだ。

 

 

「こんなもの、魔法では無いわ」

 

 

 しかし、目を離さない。

 主のその姿に食指を動かされたのか、小悪魔はチロリと唇を舐めていた。

 

 

「ああ、面白く無いわ」

 

 

 吐息には、熱が孕んでいる。

 つい、と紫水晶から視線を逸らして、パチュリーが囁く。

 

 

「ねぇ、アリス」

 

 

 ――――人形達の園に、彼女はいる。

 夕食の時間だろうに、テーブルの上には料理は並べられていない。

 その代わりに、硝子の装飾が施された鏡が1つだけ置かれていた。

 人形達が支え持つその鏡面からは、強い輝きが放たれていた。

 

 

 アリス自身はそれに背を向け、カーテンに手を添えて外を見ていた。

 魔法の森は、すでに夜。

 新たに現れた砂漠も、当然のように夜だろう。

 だが、今日の夜は聊か明るいような気さえする。

 そう言う気になってしまう自分を、アリスは面白いとは思わなかった。

 

 

「……ふんっ」

 

 

 鼻を鳴らし、カーテンを締めた。

 そうすると、室内を眩いばかりの輝きが占める。

 それに対して目を細めかけてから、アリスはまた鼻を鳴らした。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「うおおおおおおおおおぉぉぉっっ!!」

「ぐ、ぐく……っ!」

 

 

 激突。

 スペルを破って突撃してきた魔理沙を、その箒の先端を、憲章は錫杖で受け止めた。

 凄まじい衝撃だった。

 何か巨大な物に衝突された時特有の、身体の芯が揺れる感覚。

 

 

 しかし、そのまま吹き飛ばされはしなかった。

 そんな無様を晒すことは出来ない。

 「閻魔」と言うプライドが、憲章の身をこの場に張り付けさせたのだ。

 

 

「に、人間ごときにぃ。この私がぁ……!」

 

 

 そして、ああ、何と!

 憲章はそのプライドだけで、魔理沙の突撃を押し返し始めた。

 箒と錫杖の間に生じていた魔力と妖力のせめぎ合いが、僅かずつ、僅かずつ魔理沙の側へと押し切られ始めたのだ。

 突撃が止まり、後退が始まった。

 

 

「く、くそぉ」

 

 

 スペルの奔流の中にいながら、魔理沙はそれを的確に認識した。

 そしてこのままでは勝てないと言うことを悟ると、視線を3度動かした。

 1度目は箒の後ろで火を噴くミニ八卦炉へ、2度目は境内で倒れている文へ、そして3度目は。

 

 

「魔理沙」

 

 

 スキマを開かせておきながら、未だその場に留まっている霊夢へ。

 

 

(……っ、香霖! ごめん!)

「フルパワーだああああああぁぁぁっっ!!」

「――――なッ!?」

 

 

 爆発、そう、それはまさに爆発と表現するのが正しい。

 轟音と共にミニ八卦炉から生じた魔力の爆発がさらなる加速力を生み、憲章に圧力を加えた。

 嫌な音を立てて、錫杖に罅が入った。

 そしてその罅は次々と広がり続け、そして最後には。

 

 

「ば、馬鹿な! そんな馬鹿な! 人間ごときにこんなことが!?」

 

 

 箒星の尾の巨大さに戦きながらも、憲章は踏み止まろうとした。

 しかし敵わなかった、錫杖が砕け折れるのを、信じられないものでも見たかのような心地で見た。

 もはや余裕は無い、最初の頃の落ち着いた喋り方は消え失せて、粗野な素の部分が現れた。

 

 

「閻魔の! 閻魔である私の判決に! 私の判決にどうして従わないんだ!? この不届き者がぁ!!」

「そんなもん、知るか!」

「ぜ、脆弱な人間風情がこんな……こんなこと!」

「……知るかあああぁぁぁっ!!」

 

 

 嗚呼、そうさ。

 自分は人間、長く生きてあと50年と言う所だろう。

 何百年何千年を生きる妖怪にとって、そんなものは瞬き以下の時間でしかあるまい。

 しかし、だからこそ、魔理沙は飛ぶ――――飛ばなくてはならない!

 

 

 錫杖を砕いた勢いのまま、魔理沙が飛び込む。

 身体を丸めて、背中から憲章の胸にぶつかった。

 体当たり、自身を弾幕として相手にぶつけたのだった。

 

 

「ぶっとべえええええええぇぇぇっ!!」

「ごっ、は……っ!?」

 

 

 そして、巨大な岩に跳ね飛ばされたかのように。

 憲章の身体が、幻想郷の夜空に舞った。

 

 

(うわぁ、やばいな)

 

 

 魔理沙もまた、スペルの効果が切れると同時に飛ぶ力を失っていた。

 視界の隅、ポンポンと音を立てながら部品を吐き出すミニ八卦炉が見えた。

 ――――香霖、怒るかな。いやだなぁ……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 別に頼んだわけでも無いのだが、手の届く所に落とされては仕方が無い。

 そう思って、霊夢はスキマから落ちて来た魔理沙を両腕で受け止めた。

 背中と膝裏に腕をかける抱き止め方は、魔理沙が起きていれば顔を真っ赤にして暴れただろう。

 

 

「まーた、余計なことして」

「あら? 放っておいた方が良かったかしら?」

 

 

 スキマからにゅるりと胸元まで出して、ころころと笑うのは紫だ。

 

 

「お友達は大切に。そうでしょう?」

「……お友達、ねぇ」

 

 

 腐れ縁ではある、昔から良く知っている。

 しかし友達かと言われると、微妙に首肯しかねた。

 冷たいと言うわけでは無く、何となく、魔理沙との関係を言葉で表現できなかっただけだ。

 それでも強いて言うのであれば――――襖を壊される程度の仲、だ。

 

 

「お、おのれ」

 

 

 一方、誰に助けられることも無く地面に叩きつけられた憲章は、ボロボロの身体を引き摺るようにして起き上がってきた。

 ちなみに文も受け止めて貰えなかったのだが、言及する者は誰もいなかった。

 憲章は頬をピクピクと震わせながら、霊夢と……霊夢に抱かれた魔理沙を睨んだ。

 

 

「よくも、人間ごときがこの私を。この閻魔である私に向かって、よくも」

「良いわよ」

「よく……何?」

「相手してあげるわ」

 

 

 呪詛すらこもってそうな声に、霊夢は平然と答えた。

 

 

「偉い偉い閻魔様が気に入らないって言うなら、何度だって相手になってあげるわよ。魔理沙はしばらく起きそうに無いから、私が相手をしてあげる」

 

 

 と言うか、それが本筋なのだ。

 魔理沙だとか早苗だとか、咲夜だとか妖夢だとか、過去の異変では色々な面子が首を突っ込んで来てはいたが。

 本筋の話としては、全ての異変は「博麗霊夢が解決する」ものなのだ。

 それ以外は全て余分、イレギュラーでしか無い。

 

 

(だってのに、どいつもこいつも勝手に絡んで来るんだから)

 

 

 一方で、面倒が省けて楽で良いか、と思わないでも無い。

 それに後で霊夢が相手をしたことが知られると、さっきも言ったが、魔理沙はきっと拗ねる。

 そうなるとやや面倒だ、ううむと考え込む。

 ……だんだんとやらない方が良いような気がして来た。

 

 

「どうしようかしら」

「…………」

 

 

 気負った様子の無い霊夢の様子に――単純に、深く考えていないだけだが――憲章は警戒した。

 魔理沙や文との戦いの前に、一瞬だが霊夢と戦った。

 その時の記憶は当然ながらまだ新しい、そして今の憲章は流石に自信過剰にはなれない。

 霊夢の超然とした態度も、そうした傾向に拍車をかけていた。

 

 

 その時、甲高い笑い声が響き渡った。

 それはその場にいる誰のものでも無く、ケラケラとした陽気な笑い声だった。

 屈託の無い、とでも言えば、やや美化し過ぎだろうか。

 その声は神社の屋根から聞こえていた、いつの間にか何者かがそこに腰かけていた。

 

 

「自称閻魔さん、やめときな。その巫女は容赦ってものを知らないからね」

 

 

 赤い髪の女。

 無理くりツインテールに縛った髪、その間から覗く赤い瞳。

 青色の和装に白の腰巻、この腰巻は黒い帯で締められている。

 幻想郷ではなかなか見ない長身であり、身長よりも大きな鎌を肩に乗せていた。

 その姿はまるで――――否、「まるで」では無い。

 

 

「あたいとしてもこれ以上仕事を増やされちゃあ、たまらないからね」

 

 

 本来は、別の死神の仕事なんだ。

 三途の川の船頭、小野塚小町は、快活な笑みを浮かべてそこいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 死神。

 死者の魂をあの世へと連れて行く、数多いる神の中でも特別な存在だ。

 何しろほとんどの神は人間に豊穣や加護を与える存在なのに対し、死神だけは徹頭徹尾、何かを奪う存在なのだから。

 

 

「自称?」

 

 

 そしてそんな存在に対しても、霊夢は変わらなかった。

 文や憲章に接していたのと同じ態度で、彼女は死神に――小町に問いかけた。

 

 

「そうさ、そいつは閻魔じゃない。似非裁判官、是非曲直庁指定の地獄のお尋ね者さ」

「あら、じゃあお尋ね者を捕まえたってことで、謝礼が出たりするの?」

「死んだ後、罪状によっては特別に減刑措置が受けられるようになる」

「……いらない」

 

 

 ある意味で誰もが欲しがる特権なのだが、つまらなそうな顔で掌を返す霊夢に呆れる。

 ちなみに是非曲直庁と言うのは、言うなればあの世の役所のような組織である。

 地獄の閻魔や死神はそこに所属し、それぞれの管轄で裁判をしたり死者を管理しているのだ。

 一方で、小町の言葉に激怒したのは憲章だ。

 

 

「な……何を馬鹿なことを! 私は閻魔です、これまで多くの魂を裁いてきたのですよ!」

「裁いてきたねぇ」

 

 

 心底呆れた様子で、憲章を見下ろす。

 

 

「なら聞くけどさ。閻魔だって言うなら、どうして任地にいないんだい?」

「私は任地の無い閻魔なのです! 任地にいるばかりでは裁けない魂もあるのですわ」

「そんなもの、無いよ(・ ・ ・)

 

 

 恐ろしい程に冷然とした声音と表情で、小町はそう宣告した。

 まるで、閻魔のように。

 言葉の意味は2つ。

 

 

 一つ、任地の無い閻魔など存在しない。

 閻魔は全て是非曲直庁に属し、閻魔王により存在を縛られている。

 一つ、任地の外で無ければ裁けない魂など存在しない。

 死者の魂は死神が「必ず」閻魔の下まで連れて行く、人も神も妖もこの掟からは逃れられない。

 

 

「何が閻魔だ、笑わせるんじゃないよ」

 

 

 この小町、実は結構なサボり癖を持っている。

 主たる閻魔の目を盗んでは船頭の仕事をサボり、どこぞで昼寝としゃれ込むのが何よりも好きだ。

 だが一方で、彼女は連れて行くべき魂をあの世へ送らなかったことは無い。

 彼女の「目」は確かだ、だから彼女の主もクビにはしない――されかけたことはあるが。

 

 

 とにかく、彼女も彼女の仲間も自分の役目に誇りを持っている。

 故に、裁くべき魂が地獄の裁判所以外に存在するはずが無い。

 すなわち憲章が「裁いた」と言うのは、死者の魂では無く。

 

 

「死者の魂に触れたことも無く、裁くべき相手を理解しようともしない。ただ自分の気持ちの赴くままに手前勝手な基準で裁きとやらを与える、馬鹿馬鹿しくて話にもならない」

「私は閻魔です! 咎人に罰を与え、誤った者を正しきへと導くのです。私にはそれ(・ ・)が出来るのです」

「だからそれ(・ ・)が違うんだよ。罰だとか導くとか、そう言うことじゃ無いんだ。あんたには――――」

 

 

 ひやり、と、その場の空気が冷たさを増したように感じた。

 

 

「――――小町」

 

 

 一言。

 その一言だけで、あれだけ饒舌に喋っていた小町が口を閉ざした。

 

 

「今日は随分と、口が軽いようね」

「あー、いや、その……」

「仕事に忠勤なのは結構。でも余分な時間をかけるのは悪癖、直したほうが良いでしょう」

「あー……ハイ、スミマセンデシタ」

 

 

 身長は霊夢より高いだろうか、スキマの向こうから上半身だけを覗かせているので、わからない。

 右側が長い緑色の髪に、黒の帽子に紅白のリボン。

 青白の是非曲直庁の制服に身を包んだ細身の美女は、見た目には眼福だろう。

 しかし何故だろう、見つめていると胸の中に冷たいものが流れ込んでくる気がするのは。

 

 

「うわぁ、また何か五月蝿いのが来たわね。紫は紫で自分だけどこか行っちゃうし」

 

 

 あの霊夢がその姿を見てげんなりすると言うのは、相当である。

 しかも幻想郷の賢者が姿を晦ます程だ、相当の相当である。

 

 

「四季、映姫……!」

 

 

 憎々しげな響きを乗せて、憲章がその名を呼んだ。

 四季映姫・ヤマザナドゥ、幻想郷を管轄とする正真正銘の閻魔である。

 幻想郷の内に在って、唯一、幻想郷の外に在る存在。

 あの八雲紫ですら、呼びはしても会おうとはしない程に。

 

 

「珍しく八雲紫に呼ばれたので来て見れば。なるほど、後始末はこちらでしろと言うことですか」

 

 

 罪状を書き込む悔悟の棒を口元に寄せながら、目を細めながら憲章を見下ろす。

 

 

「いつぞや是非曲直庁に来て、閻魔にしろと騒いでいた妖怪。あれは何百年前のことだったか」

「忘れるものか! お前のせいで、私は閻魔になれなかったのです!」

「語るに落ちるとはこのことだねぇ。自分で閻魔じゃないと認めちゃ世話無いよ」

「貴女は黙っていなさい、閻魔の使い走り風情が!」

「……へーいへい。死神風情は黙ってますよっと」

 

 

 肩を竦める小町、本気で関わる気が失せたのだろう。

 空を見上げて、憲章と目を合わせることは無くなった。

 

 

「忘れはすまいぞ、四季映姫。お前は自分の地位を私に奪われるのを恐れ、閻魔王に私を推挙しなかった!」

 

 

 数百年前のことだ、憲章は是非曲直庁の扉を叩いた。

 憲章は監獄を司る妖怪、格子の能力はその象徴である。

 力を好み、裁きを好み、言葉を好む。

 属性として、裁判官にこれ程向いている妖怪もいなかったろう。

 少なくとも憲章自身はそう確信していた、だが。

 

 

「『――――そう、あなたは少し欲が強すぎる』」

 

 

 淡々とした口調で、映姫が言った。

 

 

「あの時、私はそう言ったはず」

「それが何だ! 私の才を恐れただけのくせに!」

 

 

 憲章が巫女の阻止などと言う下っ端の仕事――少なくとも、憲章はそう思っている――を甘受したのも、異変が進めば幻想郷が砂漠で覆われるからだ。

 そうすれば、幻想郷担当の閻魔である映姫はどんな顔をするだろう?

 そう思えばこそ、憲章はわざわざ本拠を出て出張って来たのだ。

 案の定、異変の進行が進んだがために映姫が出てきたでは無いか。

 

 

「ちょうど良い! ここでお前を倒し、私がこの幻想郷の閻魔となってあげますわ!」

「不可能です」

 

 

 露程の余地も無い、断言だった。

 

 

「言ったはずです、あなたは欲が強すぎる」

 

 

 相手を屈服させたい。

 誰かを裁くことで快感を得たい。

 咎人を自分の言葉で嬲りたい、魂を裁く特権を得たい!

 憲章の魂に渦巻くそれらの欲が、映姫には良く見えていた。

 

 

「閻魔とは、何者にも影響されず、迷わず、ただ淡々と裁きを下していくだけの存在です」

 

 

 上でも無ければ下でも無い、そのような意識すらない。

 目の前の魂がどんな生を送ってきたのか、知ることはあっても興味は持たない。

 どんな善人の魂だろうと、悪人の魂だろうと、裁きの基準は同じだ。

 欲も、好みも、望みも、何も関係なく。

 

 

「貴女は、閻魔と言う役職を少し勘違いしている」

 

 

 閻魔とは何か。

 閻魔とは、死した魂に裁きを与える存在。

 罪の軽重に順じた判決を、淡々と与える存在。

 それだけ。

 ただそれだけの、取るに足らない、しかし絶対の、そう言う存在。

 

 

「貴女は、死者の魂の「おもい」を知らない」

 

 

 三途の川の船頭は、常に命懸けだ。

 死者は重い、だから船頭は魂の重みを減らすために死者の話を聞く。

 死者に想いを語らせることで、その重みを減らし、罪の重さに想いを至らしめること。

 それが小町達、三途の川で働く死神達の仕事。

 

 

「閻魔になりたいと言うのなら、魂の重さを知りなさい」

「この……な、何ですの!?」

 

 

 スキマが開く。

 それは憲章の足元に開き、彼女を飲み込んだ。

 だが他のスキマと様子が違うのは、スキマの中から半透明の腕が幾本も伸びて来たことだ。

 八雲紫のスキマの力は境界を繋ぐだけ、繋いだ先は――――地獄。

 

 

 顔の無い半透明の、これは亡者だ、地獄で裁きを待つ亡者達!

 話を聞いて、私の話を聞いて、私の、俺の、僕の。

 無数の死者の魂の声が、憲章の中に聞こえてくる。

 それはこれまで、生者に「裁き」と称する制裁を加えてきた憲章が始めて聞く類の、声無き声だった。

 

 

「死者達の重さを知り、死者達の想いを知り、それでもなお閻魔を志すのであれば、私の下を訪ねると良いでしょう。その時は……」

「し……四季映姫いいいいいいぃぃぃっっ!!」

 

 

 顔を、胸を、腕を、腰を、足を。

 身体中を掴まれスキマの中へ沈みながら、憲章は絶叫した。

 だが、重い。

 あまりにも重い、振り払うことも飛ぶことも、ましてや逃げることも出来ない。

 重い、想い。

 

 

「その時は、私が貴女の魂を裁いてあげましょう」

「――――!!」

 

 

 叫び声を上げて、憲章の姿がスキマの中へと消えた。

 時を同じくして映姫の姿を映していたスキマも消え、いつの間にか小町の姿も無かった。

 何事も無かったかのように、後には静かな境内だけが残った。

 

 

「……賽銭くらい入れていきなさいよ」

 

 

 そして、待ちぼうけを喰らう形になった霊夢。

 相変わらず気を失った魔理沙を抱えたまま、手持ち無沙汰な様子である。

 側に移動用のスキマがまだ開いているから、忘れられてはいないのだろう。

 

 

「全く、妖怪ってのはどいつもこいつもどうしようも無いわね」

(……貴女も大概だと思いますけどねぇ)

 

 

 気絶した「ふり」を続けていた文は、戦々恐々としながらそう思った。

 憲章が死者の魂にその身を絡み取られた時、確かにこの神社は地獄と繋がっていた。

 瘴気と妖気と神気が混ざり合った空気と、声ならぬ死者達の叫び声。

 

 

(あれを見聞きして、たじろいだ様子も無いとは。いやはや恐ろしい)

 

 

 博麗の巫女は、揺らがず。

 流石と言うべきか、文は改めて霊夢の規格外ぶりに瞠目した。

 

 

「どうでも良いけど、ねぇ文。いつまでも狸寝入りなんてしてるんじゃないわよ、狸は幻想郷に2匹もいらないのよ」

「……いやはや、本当に恐ろしい限りですよ、ええ」

 

 

 いつまでも起き上がらない文の上に魔理沙を落としたのは、数秒後のことだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方、異変の本拠地・懐麓宮。

 水路の妖怪・覇下を撃破した咲夜達もまた、動き出していた。

 

 

「ふ――っ。すっきりしました!」

 

 

 妙に肌艶が良くなった早苗が、歩きながら伸びをした。

 露になった脇の下には、サラシ代わりに胸に巻かれた布が、巫女装束の間からちらりと見えた。

 同年代の誰よりも豊かなそれが衣服を押し上げる、まだ衣服が生乾きのせいか、そのままの形が浮かび上がっていた。

 見ている者がいないとわかっているので、そう言うことが出来るのかもしれない。

 

 

 ふと前を見ると、2人の人間が先導していた。

 早苗には、それが少し嬉しかった。

 どちらも口数の多い方では無いが、それでもひとりぼっちで歩き続けるよりはずっと良い。

 頭に乗せた魔法使いの帽子の鍔を指先で押さえながら、そう思った。

 

 

「なかなか起きませんねー」

「そうね」

 

 

 声をかけると、短いがちゃんと返事をくれる。

 お喋りがしたい気分が無いでは無かったが、早苗としては無視されないとわかって、それはそれで収穫だった。

 普段あまり交流が無い者同士の会話など、案外こんなものなのかもしれない。

 

 

(それにしても、仲が良いんだなぁ)

 

 

 藍と橙はどこにいるのかとか、魔理沙もこの宮にいるのだろうかとか。

 他にもいろいろと気にしていることはあったが、早苗としては目の前の光景を優先することにした。

 覇下との戦いで気を失った――早苗は知らないが、そも気絶させたのは咲夜である――白夜を、咲夜は甲斐甲斐しくおぶっていた。

 1人っ子の早苗には、少し羨ましい光景だったのだろう。

 

 

「妹さんと仲が良いんですね!」

「…………」

「……あ、あれ?」

 

 

 指摘すると無視された。

 特に悪いことを言ったつもりは無いはずだが、何か気に障ってしまっただろうか?

 少し考えて、早苗は気が付いた。

 

 

(照れ隠し、ですね!)

 

 

 この時、咲夜が後ろのドヤ顔を察してナイフを投げるか思案したのだが、早苗がそれに気付くことは無かった。

 実際、置いていかずにおぶって運んでいるのだから、傍からはそう見えるのだろう。

 しかし白夜が起きていれば、「安全な所に置いてって下さい……」と考えただろうが。

 

 

「咲夜さん?」

 

 

 そんな時だった、咲夜が立ち止まったのは。

 2人の背中ばかり見ていた早苗が気付かなかったが、顔を上げると「おお」と声を上げた。

 

 

「どうやら、次のステージについたみたいね」

「みたいですね!」

 

 

 特に表情を変えない咲夜と、むふーと鼻息荒く笑う早苗。

 2者2様の様子を見せる2人の前には、巨大な鉄製の扉があった。

 通路の幅一杯の大きさの扉は、他と違って装飾が少ない。

 その代わりに、動物を象った彫刻が施されていた。

 

 

 重荷を背負う亀、空を飛ぶ蛇、釣鐘を打ち鳴らす獣、格子に囲まれた老虎、宝珠を抱く羊、水路を疾駆する海獣、眼光鋭い狗、火煙を纏う獅子、貝を舌に巻く蛙。

 合計9匹の動物が、その扉には描かれていた。

 おそらくそれぞれに意味があるのだろうが、咲夜をしてその意味を察しようも無かった。

 

 

(パチュリー様なら、何か気付かれたのかもしれないけれど)

 

 

 むしろ目に入ったのは、5番目の動物か。

 正確に言えば、5番目の動物の持つ丸い物体だ。

 宝石――意匠からすると、台座を備えた宝珠か、そのように見えた。

 咲夜はそれをじっと見つめた後、溜息を吐いた。

 

 

「咲夜さん? 疲れちゃいましたか?」

「いいえ、何でも無いわ。行きましょうか、館の仕事が押しているのよ」

 

 

 そう言って、2人は歩みを進めた。

 何が待ち受けているのか、今からでは予測でも出来ない。

 しかし、ただならぬ者達が待ち受けているのだろう。

 さりとてそれに怯える2人では無かったから、その歩みはしっかりとしていた。

 さぁ、次のステージへ――――……。

 

 

 

 

「ほら、起きなさい。いつまで寝ているの」

(へぶぁ!?)

「ちょっ、咲夜さん!? 何でいきなり妹さんの首を45°曲げたんですか……!?」




最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
な、長かった……今回はちょっと詰め込みすぎましたね、反省です。
次回はまた白夜達の方に視点が移ります、いよいよ佳境でしょうか。

憲章「どうして諦めないのです。勝てぬものは勝てぬ、そう悟れる者の方が幸せなのですよ!」

魔理沙「結果が見えていたってもがきぬいてやる! 一瞬…! だけど…閃光のように…!」

今回はそんなお話でした。
ダイ○大冒険は名作でしたね。
それでは、また次回。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。