東方九竜子―瀟洒の妹―   作:竜華零

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STAGE4:「紅魔館・門前にて」

 ――――博麗霊夢は、動かない。

 これはもはや、幻想郷では常識の1つだった。

 

 

「……ふむ」

 

 

 掌に収まる程度の大きさの紙を持って、霊夢は満足気に頷いた。

 それから別の紙を手に取り、墨を入れた(すずり)に小筆の先をつける。

 さらさらと筆を滑らせる霊夢の姿を、2人の人間――もとい、妖怪が見ていた。

 

 

「はぁ。全く、いくら言っても聞かないんだから」

「余裕があるのか、怠け者なのか……ね」

 

 

 魔理沙が異変解決に向かって2日目の昼、博麗神社に珍しい組み合わせが揃っていた。

 魔法の森の人形師アリスと、妖怪の山の仙人である華仙の2人だ。

 この2人が並んでいる図はかなり珍しい、あまり接触のある関係では無いからだ。

 しかし今朝、この2人は同じ目的で博麗神社を訪れていた。

 

 

「妖怪同士の喧嘩なら、博麗の巫女の出る幕じゃ無いでしょ」

 

 

 アリスが神社を訪れたのは、魔理沙と文の一件を知らせるためだ。

 魔理沙が異変解決に向かったまま戻らず、関係があると思われる新顔の妖怪の襲撃と文の負傷、幻想郷のパワーバランスと秩序への挑戦とも取れる行動だ。

 幻想郷の秩序を保つ存在は妖怪と人間が1人ずつ、妖怪の所は訪れ方がわからないので、こうして霊夢を訪ねてきたわけだ。

 

 

 華仙も事情は似たようなもので、早苗が異変の解決に向かったことと、季節外れの気候の変化で妖怪の山の地脈に影響が出つつあることを報せに来たのだ。

 だが、そのいずれの情報も霊夢を動かすには至らなかったようだ。

 巫女は未だ神社から動かず、無数の紙に同じ文言や模様を書き込む作業を続けていた。

 

 

「香霖堂……霖之助さんの家も、新顔の妖怪に襲われたのよ?」

 

 

 魔法の森にある道具屋の異常、ある意味ご近所付き合いのあるアリスが気付かないはずが無い。

 と言うか、最初に気付いたのが彼女である。

 よって現在、彼女の家には3人の要救護者がいる。

 今頃は、アリスの人形達によって看病されていることだろう。

 

 

「…………」

 

 

 普段から世話になっている――色々な道具や衣服等の供給元と言う意味で――霖之助の怪我については流石に思う所もあったのか、一瞬だけ手を止めた。

 しかしそれも一瞬のこと、霊夢の手はすぐに小筆を操り始めた。

 

 

「妖怪に襲われるなんて、それこそ幻想郷(ここ)では日常茶飯事でしょ」

「それはまぁ、そうだけれど。魔理沙だって戻ってきて無いのよ?」

「アンタは魔理沙の母親か。魔理沙だって馬鹿じゃ無いんだから、大丈夫でしょ」

「あのねぇ……って、え?」

 

 

 むっとして言葉を続けようとしたアリスの肩に、華仙が手を置いた。

 魔法使いであるアリスに気付けと言うのは酷かもしれない、仙人である華仙だからこそ――いや、華仙も専門では無いので判断が難しい所だが――気付くことが出来た。

 

 

「まったく、どいつもこいつも異変異変って。異変かどうかを決めるのは私の仕事よ」

 

 

 壁の間にぴんと張られた糸に、何十何百と文字と模様の描かれた細長い紙が揺れていた。

 アリスもはたと気付いた、その1枚1枚に込められた神聖な気配に。

 

 

「これは、護符、ね」

 

 

 護符……と、アリスは黙々と作業を続ける霊夢の背中を見つめた。

 その顔はどこか拍子抜けした様子で、最後には得心したように肩を竦めた。

 

 

「素直じゃないわね」

「そうね、本当に」

 

 

 勝手なことを言う。

 霊夢は胸の内で独りごちて、慣れた手つきで紙の上に小筆を滑らせた。

 ――――博麗霊夢は、動かない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 紅魔館の昼は、静かである。

 館の主が眠りにつくのが主な理由で、紅魔館にとって日中は休眠の時間なのである。

 つまり、門番が最も頼りにされるべき時間である。

 

 

「ぐぅ」

 

 

 美鈴は眠っていた。

 門横の壁に背中を預けるようにして腕を組み、軽く俯きながら、立ったまま寝ていた。

 紅い髪に緑の華人服、強い日差しを浴びながら眠りにつく長身の美女は、それだけで絵にはなった。

 ちちち……と、小鳥が帽子の上に乗っても、美鈴が目を覚ます様子は無かった。

 

 

 不意に、小鳥が何かに驚いたように飛び立った。

 不穏な空気に驚いたためで、その源は小鳥と入れ替わるように地面に着地した。

 数は3つ、何れも少女――の姿をした妖怪――である。

 1人の姿には見覚えがある、香霖堂を襲ったあの少女妖怪だ。

 

 

「ふん、ここが宝珠の在り処か。店主には聞きそびれたが、帳簿なんて物があったのは僥倖だったな」

 

 

 青色の髪と瞳、露出の多い黒の革服、半透明の翼。

 

 

(みずち)が店を吹き飛ばしたからぁ、手がかりを探すのも大変だったぁ」

「無駄な手間だった、いや本当に」

「五月蝿い。贔屓(ひき)蒲牢(ほろう)、お前らなんて手がかりも見つけられなかったくせに」

 

 

 そして残り2人もまた、独特な姿をした少女妖怪だった。

 まず贔屓、赤い着物に緑の髪の少女の姿をしており、腰帯に銅銭77枚からなる銭束をいくつか下げている。

 そして1番の特徴は、背中に大きな輿(こし)をしょっていることだ。

 

 

 今1人は蒲牢、赤茶色のワンピースを着た少女だ。

 杏色の髪と腰から下が急に広がる独特のスカート構造のため、どこか鐘のように見える。

 そしてそれを肯定するかのように、銅製の鐘のペンダントを首に下げていた。

 蛟と呼ばれた少女を先頭に、紅魔館の目前まで進む3人の妖怪少女。

 

 

「さぁ、行くぞ。宝珠さえあればオレ達の夢は叶えられるんだからな」

「はいぃ、わかったぁ」

「門番はどうする、いや前提として」

「門番? はっ、寝てる門番なんて門番じゃないさ。全く、門番って奴はろくな奴がいない」

 

 

 目の前まで3人が近付いてきても、美鈴は起きる素振りすら見せなかった。

 

 

「行くぞ」

 

 

 ある目的のために香霖堂を襲った蛟だが、寝こけている者を撃つような性根は持ち合わせていなかったようだ。

 蛟は横で寝ている美鈴を無視して、門の鉄枠に手を触れた。

 門の錠に触れ、指先の力だけでそれを砕こうとした。

 ――――その瞬間。

 

 

 

 蛟の首から上が吹き飛んだ。

 

 

 

 跳ねるように、後ろへと跳んだ。

 贔屓と蒲牢は、いきなり自分達の間を抜ける形で数メートルも跳び下がった蛟に不思議を覚えた。

 一方で蛟は、跳び下がった体勢のままで動けずにいた。

 顔中を冷たい汗が伝い、頭がちゃんとあるか確かめるように手を当てた。

 

 

「あ、ある……よな? あるよな、オレの首」

 

 

 当たり前のことを言った。

 当たり前のことを言わなければならない程、蛟は何かに追い詰められていた。

 門の錠に触れたあの瞬間、蛟は確かに己の頭が砕ける様をはっきりと思い描いた。

 否、思い描かされた。

 何者の手によって? 決まっている、それは。

 

 

「贔屓! 蒲牢! 避けろ!!」

「「――――ッ!?」」

 

 

 紅色の線、それを視界の端に捕えた瞬間、蛟は叫んだ。

 そしてその叫びが無ければ、残りの2人の頭はリアルに吹き飛んでいたかもしれない。

 意味もわからずとにかく身をかわした次の瞬間、ボッ、と空気を裂く音が響き、蒲牢の頬を何かが掠めた。

 

 

「危ないな、いや本当に!」

 

 

 それは拳、いや掌底だった。

 指を第二関節まで折り曲げた掌底は空を裂き、力を伝えるために踏み込まれた地は罅割れていた。

 余りの衝撃に、掌底の放たれた方向に衝撃波が抜けていく音がした程だ。

 誰がそれをやったのか、決まっている、ここは紅魔館の門前なのだ。

 

 

「ほ、蒲牢ぅ……うおわぁ」

 

 

 美鈴がその場で身を半分回転させる、軸足の下で地面が抉れる音が耳に届く。

 (しゅう)

 贔屓が大きく身を逸らす、その胸をなぞるように美鈴の蹴りが擦過した。

 衣服の胸部分が弾け、豊かな胸元が大きく露出する。

 しかし胸元は押さえず、代わりに輿の背負い紐を握って大きく後ろに跳躍する。

 

 

「お前! 狸寝入りしてやがったのか!」

「あ、危ないぃ……」

「びっくりした、いや冗談じゃなく」

 

 

 門を背に、3方向を囲まれる形になった。

 しかし、それは美鈴にとって大した問題では無かった。

 彼女はニッと口角を上げると、小さく首を傾げて、笑みのまま言った。

 

 

「ああ、すみません。ついうっかり手が出てしまいました」

 

 

 そこで、ようやく目を開けた。

 蹴り足をゆっくりと下げて、美鈴は3人の顔を順繰りに見つめた。

 

 

「何しろ妖気が小さくて、またぞろ木っ端妖怪が群がってきたのかと」

「な、にぃ?」

 

 

 先にも触れたが、レミリア・スカーレットの気配漂う紅魔館に近付くのはよほど強い妖怪か、さもなくば相手の強さを読めない木っ端妖怪、つまり弱小妖怪のどちらかである。

 小さく舌を覗かせてそんなことを言う美鈴に、蛟は額に青筋を立てた。

 先程脳裏に浮かんだビジョンへの恐怖はどこかへ行き、純粋な怒りが胸中を支配した。

 

 

「お前、オレを雑魚呼ばわりしやがったな……!」

 

 

 蛟の瞳と翼の皮膜が青く発光し始めた。

 鱗粉の妖力が肌から滲み出て、夏の煌きに覆われる周囲の空気を冷やしていく。

 それは、人間が目にすればそれだけで死を迎えるだろう類のものだった。

 

 

「後悔させてやる。オレを見下すような真似はゆるさねぇ!」

 

 

 しかし、蛟の妖力を受け止めるのはか弱い人間では無い。

 そこに立つのは紅美鈴、紅魔館で唯一、主を除いて名前に「紅」の意を持つ妖怪。

 暴風のように叩き付けられる敵意を前に、美鈴は笑みを崩すこと無く門の前に立ち続けていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 懐かしいなぁ、と、美鈴は思った。

 幻想郷に来たばかりの頃は、良くこう言う輩が襲ってきたものだ。

 新参者の紅魔館は湖の妖怪達にとって縄張りを奪った不届き者、この3人のように挑みかかってきた妖怪も10や20では無かった。

 その全てを、美鈴は討ち倒してきた。

 

 

「お前ら、手を出すなよ!」

「わかったぁ。でもぉ、戦うならぁ」

「わかってるよ、幻想郷(ここ)ではこれでってことだろ」

 

 

 蛟が手を挙げると、その手の中に3枚のカードが出てきた。

 スペルカード、弾幕ごっこで使うアイテムだ。

 

 

「何だ、スペルカードルールを知っているんですね」

「まぁな。ここではこれでやるのが決まりなんだろ? え、居眠り門番さん」

「……あの、出来ればそれは公言しない方向で。っと」

 

 

 蛟が翼をひらめかせて、飛ぶ。

 次の瞬間、美鈴の前に青い弾幕が展開された。

 それらは鱗のような形をしていて、相手を削り取る意思に満ちた攻撃的な弾幕だった。

 

 

「おおっ」

「格闘に強いっていうのはわかった。なら、こういう遠距離攻撃は苦手なんじゃないか!?」

「た、確かに弾幕ごっこはあまり得意ではありませんが」

 

 

 紅魔館に当てるわけにもいかない、美鈴は走った。

 外壁と平行するように駆けると、そのすぐ後ろを青い鱗の弾幕が追いかけてくる。

 駆けながら、少しずつ一歩の間隔を変えていく。

 それはリズムを刻むようで、間隔はゆっくりと広がっていく。

 傍目に見れば、速度が落ちているように見えるだろう。

 

 

        ―――― 鱗符「スケイルオブスクエア」――――

 

 

 鱗の弾幕が、幾重もの四角形の形になって放たれてくる。

 大きな弾幕が4つの点を構成し、その中に中小の散弾がばらまかれている。

 避けるには四角形の中を潜らなければならないが、四角形は後に続くほど小さくなっていく。

 最後には四角形の中を潜り切れずに被弾するだろう、蛟の放ったスペルはそう言うものだった。

 

 

「はっはぁ! どうだ、この野郎! そのまま袋小路に入っちまえ!」

 

 

 見たところ美鈴は飛ばない、徐々に自分の弾幕に追い詰められていくしかない。

 勝った、蛟は初手でそう確信した。

 

 

        ―――― 華符「彩光蓮華掌」――――

 

 

 美鈴がカードを切った。

 跳躍するように長く一歩を駆け、停止した瞬間に虹色の弾幕を放ったのだ。

 蛟の四角形の弾幕と交差するように、7つの花弁のような光弾が広がった。

 虹色に煌く弾幕の光に、蛟は目を守るように手をかざした。

 

 

「ちぃっ! 鬱陶(うっとう)しい奴!」

 

 

 ――――え?

 そんな視界の中で、蛟はあり得ないものを見た。

 ついさっきまで自分の弾幕の中にいた美鈴の姿が、忽然と消えたからだ。

 後に残っていたのは、爆発でもしたかのように、不自然にめくりあがった地面だけだ。

 

 

「蛟ぃ、左だよぉ!」

(なぁっ!?)

 

 

 仲間の声に左下を見れば、確かにそこに美鈴がいた。

 さっきの場所から十数メートルは移動している、まさかあれを一歩で跳んだのか。

 それだけでは無い、またさっきの花弁の弾幕を放っていたのだ。

 美鈴のスペル「彩光蓮華掌」は、移動しながら蓮の花のような形に弾幕を放ち続けるスペルだ。

 

 

「い、いない!?」

 

 

 そして今再び、蛟の視界から消えた。

 美鈴が蹴った地面が跳躍の衝撃でめくりあがっているのが見える、あれはああして出来たものだったのか。

 反射的に視界を直線に動かせば、いた、今度は右下で弾幕を放っている。

 

 

「このぉっ!」

 

 

 飛び、負けじと弾幕を放つ。

 青と虹色の弾幕が互いを潰し合うかのように弾け合う、紅魔館と霧の湖の上空でそれらは花火のように生まれては消えていった。

 そして、最後には。

 

 

「確かに、弾幕ごっこはあまり得意ではありませんけど」

「くっ、お前……! そうか、それで! その能力で跳んでいたんだな!」

 

 

 蛟の横を、弾丸のように何かが通り過ぎていった。

 身を回して振り向けば、そこに空中に浮かぶ美鈴の姿がある。

 足には不可視のオーラのような物を纏っていて、それが空気中に壁があるかのように美鈴の身体を制止させていた。

 

 

 気を使う程度の能力。

 オーラの爆発によって強力な跳躍力を得、ついには空気の壁をも踏みしめた。

 そして美鈴のスペルは、停止した瞬間に新たな弾幕を放つ。

 

 

「これでも、大分慣れてきたんですよ?」

「う、うおおおおおおおっ!」

 

 

 虹色の蓮が、青の鱗を飲み込んだ。

 蛟は花弁の形に広がる弾幕を回避しきれずに、身を守るように身体を丸め。

 ――――被弾し(ピチュッ)た。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 前々から不思議に思っていたのだが、どうして侵入者と言う生き物は律儀に美鈴の守る門を通ろうとするのだろうか。

 そんなことを考えながら、白夜は花壇の中に身を潜めていた。

 

 

(た、タイミング悪いなぁもう)

 

 

 ようやくフランが寝付いてくれた矢先、姉の咲夜から仕事を申し付けられた白夜。

 いや待って私まだ一睡もしてない、と、美鈴の所に逃げ込もうとしたタイミングでの出来事だった。

 しかも相手はそれなりに格のある妖怪のようで、木っ端妖怪のように一睨みで追い払うと言うことも出来ずにいる。

 

 

 とは言え、美鈴が苦戦しているようには見えない。

 他のメンバーが異常だから見落とされがちだが、美鈴も決して弱小妖怪では無い。

 むしろ単純な肉体の頑丈さなら紅魔館一だ、その頑丈さを活かした万能の強さが美鈴の売りなのだ。

 伊達に紅魔館の門番は任されていない、今まで彼女が意に反して門を突破された相手は2人だけだ。

 

 

「く、くそぉっ! 贔屓、蒲牢、手伝え!」

(さ、3人がかり!? それは流石に卑怯でしょ!)

 

 

 とは言え、美鈴は頑丈さ以外に飛び抜けた特性を持たない妖怪だ。

 あのレベルの妖怪を複数相手にするのは、流石に厳しいだろう。

 助けを呼ばなければ、具体的には姉を。

 そう思って花壇の中から立ち上がって、館に向けて駆け出そうとしたところで。

 

 

(へぶっ)

 

 

 転んだ。

 それはもう見事に、美鈴が端整込めて育てた花々の茎に足を引っ掛け、コケた。

 思いのほか音も大きく、門の外で戦っていた4人も一瞬、手を止めてそちらを見た。

 

 

「って、白夜さん?」

 

 

 はっとして、美鈴は叫んだ。

 

 

「今はダメです! 早く館の中に!」

 

 

 美鈴が白夜を見るのと同様に、他の3人も白夜を見た。

 そして蛟は見つけた、四つん這いの体勢で身を起こす白夜の胸元、夏の日差しを浴びてきらりと輝く紅い宝珠を。

 それを目にした瞬間、蛟は全ての感情を表情から消した。

 

 

 

「 み つ け た !! 」

 

 

 

 もう蛟の、いや3人の目には美鈴は映っていなかった。

 美鈴に受けた屈辱も胸中から消し飛び、人が変わった――この場合は、妖が変わったと言うべきか――かのように、美鈴を無視して、つまり弾幕ごっこを放棄して飛び、跳んだ。

 それは、凄まじい豹変振りだった。

 

 

 何が起こったのかわからない、だが行かせるわけにはいかない。

 くるりと身を翻し、美鈴が蛟の後を追おうとした。

 その時、はっとした。

 自分の影が大きくなっている、否、何か大きな物が自分の上に落ちてこようとしている!

 

 

「石符『亀趺(きふ)の石柱』!」

「紐符『鐘縛りし通し紐』!」

「うぁ……ッ」

 

 

 蒲牢の放った赤い紐が美鈴の身体を縛り、贔屓が亀の形をした石像で美鈴を押し潰した。

 美鈴は両足を踏ん張ってそれに耐えた、噛み締めた奥歯が嫌な音を立てた。

 だが、手間取っている暇は無い。

 一度目を閉じ、そしてカッと見開いた。

 

 

「ハァ――――ッ!」

 

 

 全身から気のオーラを噴出し紐と石像を吹き飛ばした。

 贔屓と蒲牢は身を庇いながら衝撃を受け流したが、次の瞬間にはそれぞれ別の方向に吹き飛ばされていた。

 蒲牢の顎を殴り上げ、贔屓の脇腹を蹴り抜いた。

 勝利、しかし美鈴の表情に喜びの色は無かった。

 

 

(……時間を稼がれた!)

 

 

 蛟が飛び、門を突破するまでの時間を。

 

 

「白夜さん!」

 

 

 白夜はそれを、自らに迫って来る蛟を見ていた。

 速い、逃げられるはずも無い。

 どうすることも出来ない、白夜は膝をついて座った体勢のまま、その瞬間が来るのを待つしか無かった。

 幸い、妖気慣れしているから蛟の妖気に当てられることは無かった。

 

 

(どうしよう)

 

 

 わかっている、どうにも出来ない。

 自分は空も飛べず、スペルカードも持たない、出来ることは能力を使って身を守ることだけだ。

 美鈴のように戦えるわけでも、咲夜のように瀟洒でも無い。

 

 

(私だけ)

 

 

 自分だけが、この紅魔館で圧倒的に弱い。

 今さら感がある、そんなことは物心ついた頃にはわかりきっていたことだ。

 しかし、思うことは止められない。

 どうして自分はこうなのかと、どうして自分は姉のようでは無いのかと。

 ――――自分だって、幻想郷の少女であるのに。

 

 

『……それが、お前の願いか――?』

 

 

 脳裏に宝珠の声が響くのと、蛟が自分を襲うのは同時だった。

 そして。

 

 

「ぐっ――――!?」

 

 

 白夜を襲う一瞬直前、蛟が、その動きを止めた。

 まるで頭上から捩じ伏せてくるかのような、重圧によって。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 蛟は、自分の身体が緊張の余り固まってしまっていることに気付いた。

 原因は、今まさに手にかけようとした白夜――――では無く、頭の上から叩き付けられた圧倒的なプレッシャーだ。

 白夜の首目掛けて伸ばした手は、それが故にあと一歩の所で止まってしまっていた。

 

 

「騒がしいわね」

 

 

 静かな、それでいてどこか不機嫌そうな幼い少女の声がした。

 額に玉の汗を滲ませながら顔を上げれば、紅魔館の2階のテラスが目に入った。

 門と庭園を眼下にする小さなテラスだが、先程まで何も無かった、誰もいなかったはずだ。

 

 

 それがいつの間にか、テーブルがあり椅子があり、紅茶が湯気を立て茶菓子が甘い香りを漂わせていた。

 ピンク色の可愛らしいナイトキャップとドレス、悪魔を思わせる黒い羽根、蒼銀の髪と血色の瞳。

 その全てが可憐な造形をしているのに、どうしてか姿を目にしているだけで体温が奪われる気がした。

 そして蛟は、この幼い少女こそがこの館の支配者なのだと確信した。

 

 

「ただでさえ暑くて、寝苦しいって言うのに……」

「は、はんっ。親玉のご登場ってわけか」

「……はぁ、憂鬱ね。霊夢はまだ動かないのかしら」

 

 

 レミリア・スカーレット。

 物憂げな様子で茶器を揺らす夜の王は、初夏の寝苦しさに悩む令嬢のように見えた。

 実際、表現としては間違ってはいない。

 

 

「おい、何無視して……って、うお!?」

 

 

 自分のことをまるで気にしていないレミリアに苛立ちを見せた蛟だが、突如目の前に現れたメイドの存在を認めてぎょっとした。

 いつの間に、近付かれていたのか。

 

 

「なっ、何だお前はっ!?」

(さ、咲夜姉!)

「……下がりなさい」

 

 

 咲夜だった。

 蛟がとびずさって距離をとった、レミリアもそうだが、気配も前兆も無くどうやって現れたのか。

 そして白夜は、「下がれ」と言う姉の言葉が自分と蛟、どちらに向けられたものなのか一瞬わからなかった。

 

 

「それ以上前に進むのであれば、お嬢様に害を成す賊として排除するわ」

「賊? 排除? オレを排除するって言ったのか? たかが人間のお前が?」

「もう一度言うわ、下がりなさい」

「……人間ごときが!」

 

 

 怒りのままに蛟が跳ぶ、白夜の横に立つ咲夜めがけて飛びかかる。

 

 

「あ?」

 

 

 ここで、蛟にとって不可思議なことが起きた。

 

 

「嬉しいわ、わかってくれて」

「な、う……えぁ?」

「それでは、そのままお引取り下さいませ」

 

 

 蛟は、自身の居場所がわからなかった。

 先程まで、蛟は門の内側にいたはずだ。

 しかし今、確かに蛟は門の「外側」にいる。

 2人の仲間が目の前でぽかんとした表情を浮かべているのが見える、美鈴が「あーあ」と言いたげな顔をしているのも。

 

 

 どうして門の「内側」にいたはずの自分が、「外側」に飛び出しているのか?

 蛟にはわからなかった。

 だが一つだけわかっていることがある、それをやったのがあのメイドの少女だと言うことだ。

 何が起こったのか、何をされたのかもわからないが、それだけは確かだった。

 

 

「こ、この……!」

 

 

 ぶちん、と、自分の中で何かがキレるのを感じた。

 妖怪にとって、人間にコケにされると言う行為がどれ程に許し難い行為であるか。

 蛟はその場で身を翻し、翼を大きく広げて飛び掛った。

 青い妖気の線を後に残しながら、それこそ人間の目には知覚できない速度での行動だった。

 

 

        ―――― 幻符「殺人ドール」――――

 

 

 次の刹那、蛟は門の内側に入ることが出来なかったことを悟った。

 さっきと違うのは、地面に着地すると同時に、自分の周囲360度に銀のナイフが広がっていることだ。

 しかも、刃先は全て自身へと向けられている。

 さぁっ、と、血の気が引くのを感じた。

 

 

「言ったでしょう。それ以上進めば排除する、と」

「な、う、ぐ。お、お前ぇ……!」

 

 

 咲夜が指を鳴らすと同時に、それらのナイフの群れは実際に蛟へと殺到した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 何と言うか、リアルに「覚えてろ~」とか言って逃げていく相手を初めて見た。

 蛟は2人の仲間に抱えられて逃げて行った、美鈴も咲夜も追わなかったし、レミリアも追えとは命じなかった。

 新参者の襲撃者を、紅魔館側が問題なく撃退したと言うことになる。

 

 

「咲夜」

 

 

 空になったカップを揺らすと、1秒の後には温かな紅茶で満たされている。

 咲夜は、テラスの下で膝をついた姿勢のまま動かずにいる。

 さっきの戦いの時もそうだったが、傍目には咲夜は微動だにせずに全てをこなしているように見える。

 

 

 しかしその実、時間を止めて移動していたり地道にナイフを置いたりと、意外と地味な作業を繰り返しているのを白夜は知っていた。

 むしろ姉の凄い所は、他に動く者のいない世界で、独りきりでいることに慣れている所だ。

 その鋼の精神力こそが姉の強さの源泉であり、姉を姉たらしめている要素なのだ。

 

 

「霊夢が動くのを待っているのにも飽きたわ」

 

 

 まだ1日しか経っていないのだが、そこはレミリアには関係が無いようだった。

 

 

「異変を解決するのは人間の役目。咲夜、霊夢よりも魔理沙よりも先に異変を解決して来なさい」

「わかりました」

「これ以上、寝不足になるのは御免だわ。そうね、この非常識な異変の元凶はぎったんぎったんのけちょんけちょんにしてやりなさい」

「お嬢様の仰せのままに」

 

 

 欠伸を噛み殺しながらの命令に、咲夜はあっさりと頷いた。

 まぁ、姉ならばそうするだろうと白夜は思った。

 姉にとってレミリアの言葉は至上のものであり、それ以外の物はどうでも良いものなのだ。

 今も、敵に襲われかけた白夜へは視線1つ向けやしない。

 

 

 その代わりと言うわけでは無いだろうが、みすみす敵に門の突破を許した美鈴へのお仕置きだけは忘れていなかった。

 と言うか、額にナイフを刺されて「いやぁ」と笑うのは実に美鈴らしい。

 結果から言えば、白夜が足を引っ張った形になるのだろう。

 

 

(まぁ、咲夜姉が行くならこの異変も解決かな。寝苦しいのともおさらばってわけだね)

「それから、白夜」

(はい?)

 

 

 不意に名前を呼ばれて、白夜はきょとんとした様子でテラスを見上げた。

 見れば、レミリアが細めた目で白夜のことを見つめていた。

 横目で、流し目のように向けられるそれに、ドキリとした。

 

 

「お前も、咲夜と一緒に行きなさい」

(……え?)

 

 

 白夜は一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 姉である咲夜でさえ、立ち上がりかけた姿勢で僅かに固まった程だ。

 一方のレミリアはと言えば、言いたいことを言い終えたからか、欠伸をしながら館の中へと戻って行った。

 伸びをしながら見えなくなる背中に、言葉の意味を理解した白夜は愕然とした心地を得た。

 

 

(ええぇ――――ッ!?)

 

 

 咲夜と白夜の十六夜姉妹。

 後に<砂漠異変>と称される異変への参戦が、この瞬間に決定した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その光景は、どこまでも広がっているように見えた。

 紋様を描きながらいくつもの丘を形作る砂、小さな砂を巻き上げながら吹き上がる熱い風。

 そして、ギラギラと輝く太陽。

 

 

 そんな世界に、一つだけ違う色を持つ物があった。

 色は、黒。

 白いリボンのついた、黒いとんがり帽子だ。

 半ば砂に埋もれたそれの上に影がかかり、細い少女の手が拾い上げた。

 

 

「これって……」

 

 

 蛙と蛇のアクセが、太陽の光にキラリと輝いた。

 早苗は拾ったとんがり帽子をぽんぽんと払い、持ち上げてしげしげと眺めた。

 

 

「やっぱり、魔理沙さんの帽子だ」

 

 

 風に揺れる髪を片手で押さえつつ、魔理沙の物らしき帽子を胸に抱える。

 青白の巫女服は砂漠の中で非常に目立つが、逆に広い砂の世界の中では浮いていて、寂しい。

 早苗は1日かけて幻想郷中を飛び、明らかに異変の元凶がいそうなこの砂漠を見つけたのだ。

 とは言え砂漠は異常に広く――おそらく、空間を広く見せる術のようなものをかけているのだろう――こうして魔理沙の帽子を拾えたのは、まさに奇跡だった。

 

 

「どうしてこんな所に」

 

 

 この帽子は魔理沙のチャームポイントだ、わざと置いて行くとは思えない。

 となれば、意に反してここ落としたことになる。

 何かあったのだろうか、一抹の不安を感じながらも、早苗はそこから歩いて丘を一つ越えた。

 この近辺で魔理沙に何かがあったことは確実だ、少し警戒することにした。

 

 

 だが、その行動にはあまり意味が無かった。

 帽子を拾った位置から丘を一つ越えたところで、「それ」を見つけたからだ。

 広大な砂漠の真ん中に姿を現したその建造物に、早苗は魔理沙の帽子をぎゅっと抱き締めた。 

 

 

「あれはもしかして、もしかするかも!」

 

 

 赤い塀と粘土瓦、砂漠の中にあるにしては明らかに不釣合いな建造物だ。

 大きい、幻想郷でかつて見たどの建造物よりも大きな建物だ。

 見えているのはどうやら門のようで、高い塀の向こう側にはまた別の建物が連なっていた。

 丘の上から見下ろしても、その全容はようとして知れない。

 

 

「~~っ、燃えてきた!」

 

 

 それは、今回の異変の中心地とも呼べる場所。

 すなわち、異変解決を目指す者にとっての「次のステージ」だった。

 魔理沙もきっとあそこにいる、そう思って、早苗はその建物の門へ向けて飛び立った。




最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
弾幕ごっこを描くのが楽しくて仕方ありません。
今後は異変解決編に突入してくるので、機会はまだまだありそうです。
それでは、また来月。

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