東方九竜子―瀟洒の妹―   作:竜華零

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STAGE3:「魔法の森にて」

 翌日の朝も、幻想郷は季節はずれの暑さに覆われていた。

 ここ「魔法の森」も例外では無く、いつもの森の冷気はどこへやら、森全体がむっとした熱気に覆われている。

 森に住まう人形遣い、アリス・マーガトロイドは辟易した面持ちで空を見上げた。

 

 

「参ったわね」

 

 

 普段は茸の胞子と瘴気で覆われているはずなのに、今日――と言うより、昨日から青空が良く見える。

 幻想郷一の湿度を誇る魔法の森は、人間はおろか妖怪でさえあえて近寄らない魔境。

 ……だったはずなのだが、今は逆に空気が乾いて肌が痛む程だ。

 気のせいでなければ、踏み締める土の感触さえ変わってきているような気がする。

 

 

 アリスは魔女であって、気温の変化で体調を崩すようなことは無い。

 とは言え魔法の森の環境そのものに異常があれば、住人として不自然を感じるのは当然だった。

 例えば、魔法薬の材料になる草花が軒並み全滅しているとなれば、なおさらだ。

 

 

「魔理沙が異変解決に向かって1日、か」

 

 

 肩先で揺れる金色の髪に蒼い瞳、白磁器さえ見劣るだろう滑らかで白い肌。

 青を基調としたワンピースに白のフリルケープを羽織り、髪には赤いリボンを巻いていた。

 全体的に雰囲気は儚い、まるでこの世にいないかのようにすら感じる。

 人形じみた美貌、と言う言葉ですら表現できない、美しい少女だった。

 

 

 傍らには、これもまた美しい人形が浮かんでいた。

 これも金髪で、可愛らしいドレスを着た陶器人形だ。

 生きているかのように自然に動くそれは、しかしアリスの能力で動く魔法の人形である。

 アリスは魔女(ようかい)であり、そして人形師でもあった。

 幻想郷の人妖は彼女のことを、<七色の人形遣い>と呼んでいる。

 

 

「てっきり朝には元通りになっているものと思っていたけど」

 

 

 全く、何をゆっくりしているのか。

 そう思いながら歩を森の外へと進める、とは言え彼女自身、明確に行き先を決めていたわけでは無い。

 魔理沙の後を追いかけるのか、博麗神社へ向かうのか、あるいは別に行動をとるのか。

 

 

「……!」

 

 

 魔法の森の出口に差し掛かった時だ、彼女は跳ねるように跳躍した。

 空中で一度捻りを加えて、ゆっくりと着地する。

 どうしてそうしたのかと問われれば、慣れているからだと答えるだろう。

 空から急に何かが突撃してくる、そう言う事態にだ。

 

 

 しかし今回ばかりはイレギュラーであったようだ、理由は2つ。

 第1に、落ちてきた人物が予想と違ったこと。

 第2に、その人物が戦闘の後のような姿で、衣服の所々が裂けているような状態だったことだ。

 人物は射命丸文、状態はつまりボロボロと言うことである。

 

 

「な……あなた、どうしたの!?」

 

 

 人形じみて見えても無感情と言うわけでは無く、空から落ちてきた文の姿に声を上げた。

 飛んでいる所を墜とされたのだろうが、森の木々がクッションとなって地面へ直撃する事態だけは避け得た、あるいは最初から墜ちる場所を選んだのかもしれない。

 しかしそれを抜きにしても、今の文の状態は酷いものだった。

 

 

 先にも言ったように衣服の所々が破れていて、その下の肌には青痣がいくつも出来ていた。

 頬は擦過したように血を滲ませているし、黒く艶やかだった羽根もどこか傷んでいる。

 意識が朦朧としているのか、呼びかけにも応じる気配が無かった。

 

 

「ちょっと、しっかりしなさい」

 

 

 そして傍に駆け寄り、文の身に触れようとしたその時だ。

 只ならぬ気配を感じて、アリスは森の出口の方角を見やった。

 ぞくりとした寒気に従ったその行動は、結果的に正しかったことになる。

 

 

「誰かしら、見ない顔ね」

 

 

 そこに、少女が1人いた。

 目つきが鋭いシャープな顔立ちに、跳ねが強く長い黒髪。

 ワンピースとパンツを合わせたような衣服を纏っていて、頭とお尻に狗の耳と尻尾があった。

 何となく、妖怪の山の白狼天狗や竹林の人狼を思い出すような容姿だった。

 

 

 だが感じる気配はより鋭く、触れれば切れそうなくらいにピリピリとしていた。

 言わずもがな、妖怪である。

 アリスは魔力の糸を編み、四方に人形を展開し始めた。

 妖しい気配が場を支配する、不意に相手が動く。

 

 

「それは」

 

 

 2本の指の間に(カード)を3枚、間違いない。

 

 

契約書(スペルカード)……!」

 

 

 その中の1枚が輝く、「宣言された」のだ。

 舌打ち一つ、アリスは足元に倒れたままの文を一瞥し、それから対応した。

 次の瞬間、漆黒の閃きが視界を覆い尽くした。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 幻想郷には、自然から生まれた妖精と呼ばれる存在がいる。

 彼女らは親たる自然が無くならない限り不滅であり、例え死しても何度でも復活する。

 特徴は総じて陽気で楽天的で、そして幼子のように純粋だ。

 種族としての数で言えば、おそらく幻想郷一だろう。

 

 

「チルノちゃん、大丈夫~?」

「うーん、うーん」

 

 

 川辺にその妖精が2人いた、どちらも100センチに満たない小さな背丈の少女である。

 1人は岩場に腰掛けた緑の髪の妖精で、左側をサイドテールにまとめた可愛らしい少女だ。

 白いシャツの上に青のワンピース状の服を着ていて、その背には薄い翼が生えている。

 

 

 もう1人は、緑の髪の妖精――大妖精の膝に頭を乗せている水色の妖精だ。

 名前はチルノと言い、背中に氷の結晶のような羽根を持っているのが特徴的だった。

 彼女は青白い顔でうんうん唸っており、大妖精が心配そうに覗き込んでいた。

 氷精と呼ばれる彼女は、昨日からの暑さにすっかり参ってしまっている様子だった。

 

 

「あ?」

「え? ……あ」

 

 

 その時、何かが弾けるような音が上空で響いた。

 2人は揃って顔を上げた、大きな瞳に七色と黒の閃光が映りこんでいる。

 青空の中に色とりどりの輝きが生まれては消えて、そして弾けて行った。

 断続的に繰り広げられるそれは美しく、2人の目を惹くには十分だった。

 

 

「弾幕ごっこだ! 行こう、大ちゃん!」

「え、ちょ」

 

 

 瞬間、それまでの具合の悪さが嘘のようにチルノが跳ね起きた。

 弾幕ごっこ、目を煌かせてそう言った。

 それは幻想郷の人妖共通の「遊び」であり、決闘の方法である。

 人も、妖も、神も悪魔も、同じ土俵で戦うために用意されたルール。

 

 

 当代の博麗の巫女が細則を定めたとも言われているが、ルールは至ってシンプルである。

 第1に妖怪が異変を起こし易く、第2に人間が異変を解決し易く、第3に実力主義を否定し、第4に美しさこそが最も優先される。

 それらの全ては、弾幕と言う個性によって表現されなければならない。

 そしてそのために使う契約書こそを、人妖はスペルカードと呼ぶ。

 

 

「ダメだよチルノちゃん、危ないよー!」

「大丈夫だよ大ちゃん、アタイってばサイキョーなんだから!」

「で、でも、暑くて気分が悪いって言ってたでしょ? それに、誰が戦ってるのかもわからないし」

「大丈夫!」

「ど、どうしてわかるの?」

 

 

 慌てて後を追いながら、大妖精が言った。

 その言葉に対して、空中でくるりと回りながらチルノが答えた。

 氷の結晶を、熱気を孕んだ風の中に散らしながら。

 

 

「サイキョーだから!」

「えええええぇぇぇ」

 

 

 幻想郷の妖精の特徴は、総じて陽気で楽天的。

 しかし中には大妖精のように、苦労人体質の妖精もいるのだった。

 まぁ、最も。

 

 

「行こ、大ちゃん!」

「も、もう……しょうがないなぁ」

 

 

 笑顔のチルノに手を引かれては、何も言えなくなる。

 そんな大妖精を見ていると、本人も必ずしも不幸だとは思っていない様子だった。

 そう言う意味では、彼女もまた妖精らしい存在と言える。

 チルノに手を引かれる彼女は、酷く陽気になれるようだったから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 魔力の糸を手繰り、四方に散った人形達を操っていく、どれ1つとして同じ動きをする人形は無い。

 アリス自身の飛行速度もあって、その全ては高速の中で行われている。

 人形操作の作業は想像を絶する集中力を必要とするが、アリスは瞬時にそれらを行って見せた。

 

 

「ちょっと、何なのよ!」

 

 

 突如襲われた形、しかも巻き添えを喰らったと思わしき形での弾幕ごっこへの移行。

 先制攻撃への反撃。

 強制イベントとも言えるその形は、幻想郷のルールから逸脱している。

 故にアリスにこの決闘を受ける義務は無い、が、彼女はあえて受けた。

 

 

「外の妖怪なのは確実。スペルカード・ルールを知っている割に、幻想郷(ここ)のルールには疎いようだけど」

 

 

 眉を立て空中で制動をかける、停止した傍を黒い光弾が通り過ぎて行く。

 桶の中身をぶち撒けたかのような密度の光弾、弾幕だ。

 巻き上げられた風が髪とスカートの端を揺らす、アリスは膝を曲げて腰を落とし、ジャンプするような形でさらに高度を上げた。

 

 

        ―――― 睨符「ガイサイノウラミ」――――

 

 

 直後、追撃するように宣言が来る。

 弾幕ごっこにおけるスペルカード宣言だ、アリスは前転のような形で縦に半回転した。

 腰を曲げ、自分の靴先から下を見るような体勢になる。

 まず見えるのは広大な幻想郷の景色、端には魔法の森の深い緑も見えて、そこからやや東に移動した位置にいることがわかる。

 

 

「……ッ!」

 

 

 そして次の瞬間、アリスは腕を振るい、遠心力を利用して横に回転した。

 スケートのスピンの要領で身体を回す、風の壁に当たり、アリスの身体は空中で横滑りしていく。

 直後、漆黒のレーザーが2条、しかも3度繰り返して放たれ、すぐ隣を擦過して行った。

 1本1本のレーザーに付属弾があり、木の枝のように付随するそれを斜め下へ降下しながら回避する。

 

 

「スペルカード……!」

 

 

 移動と人形の操作を共に行いながら、光の粒が集まるようにアリスの眼前に1枚のカードが出現した。

 それは彼女のスペルカードだ。

 開戦前に相手が提示したカードは3枚、故にこの決闘においては最大3枚のカードを使用できる。

 相手はすでに2枚使っていたが、アリスはこれが初めてだった。

 

 

        ―――― 呪符「ストロードールカミカゼ」――――

 

 

 宣言と同時にカードが破裂し、そして効果が発動する。

 アリスの周囲に黄色い衣装の陶器人形が複数、出現した。

 それらは攻撃用の人形だ、黄色に輝く魔力を身に纏っている。

 

 

「行きなさい!」

 

 

 人形達が、黄色の弾幕を後に残しながら突撃する。

 下降し続けるアリスと、上昇し続ける相手が空中で入れ替わった。

 交錯する視線、しかしその視線はアリスの人形によって遮断される。

 今度は逆に、アリスが下から攻撃する状態になった。

 

 

「無駄よ、その弾幕はスペルの効果時間続く!」

 

 

 先のアリスのように回避行動に入る相手、跳ねの強い黒髪を靡かせながら滑るように降りてくる。

 だが先程と違うのは、アリスの操る人形が残した弾幕だった。

 それは壁となり、回避行動を取る相手にとっては大きな阻害要因となる。

 

 

        ―――― 白符「白亜の露西亜人形」――――

 

 

 ここでアリスはさらにもう1枚、スペルカードを切った。

 特定の位置に複数の陶器人形を置き、そこから6つの方向に白・赤・青の弾幕を放つ。

 軌道は全て、1枚目のスペルで遮断されていないコースに設定されていた。

 

 

「――――ッ!」

 

 

 相手の息を呑む音が耳に届いた瞬間、4方……否、6方向+1より放たれる弾幕が、透き通るような青空の中、大輪の華を咲かせた。

 ――――美しい。

 4色の弾幕が青空に抱かれるように弾ける様は、夜空における花火と比してなお美しい。

 

 

 弾幕ごっこの真髄は、この美しさにある。

 この決闘は強さを競うものでは無い、あくまでも弾幕――すなわち、決闘者の存在の象徴。心の形と言っても良い――の美しさを競い合うものなのだ。

 魔法の森の人形遣い、アリス・マーガトロイドの弾幕は、感情を抑制するかのような精緻さの中にあった。

 

 

「なっ!?」

 

 

 しかし、状況が悪くなったのはアリスの方だった。

 

 

「……1枚目のスペル終了と同時に2枚目のスペルを発動させるその技量、感服する」

 

 

 声が、想像以上に近くに聞こえる。

 降下がまだ続く中、視線を横へと動かした。

 首を回せるような時間は無く、目だけを動かす。

 

 

        ―――― 駆符「ヤマイヌノトオボエ」――――

 

 

「しかし」

 

 

 いた、相手だ。

 目を細め、まるで刀でも振るうかのようにスペルカードを構えて。

 その身体は、黒いオーラのような妖気に覆われていた。

 景色が、高速で下から上へと流れていく、急速に地面が近付いてくる。

 

 

「自分を弾幕として、高速移動させるスペルカード……!」

「見抜くか、見事な洞察力だ。しかし」

 

 

 しかも、相手の3枚目のスペルカードはまだ持続している!

 

 

「しかし、この鎧眦(がいさい)の前では無意味……!」

 

 

 鎧眦、それが襲撃者の名前か。

 そう理解すると同時に、アリスは周囲に浮かせていた人形達を鎧眦に向けて放った。

 スペルカードでは無い、いわば通常の弾幕だ。

 苦し紛れの攻撃、相手がそう判断して踏み込んでくるのも無理は無かった。

 

 

「終わりだ!」

「ッ!」

 

 

 次の瞬間、空から流れ落ちてきた少女が、地面と激突した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 もくもくと立ち上る土煙の中から、1人の少女が姿を現した。

 地面に膝をついた体勢であたりを見渡すと、そこはどうやら花畑のようだった。

 春に向け芽吹き始めていた花々は、少女……鎧眦の空からの突進により、一部が吹き飛ばされてしまっている。

 

 

 ゆっくりとした動作で立ち上がり、ぐるりと辺りを見渡す。

 さほど遠くない位置に魔法の森を見つけて、それなりの距離を移動してきたことが窺える。

 しかし、アリスの姿は無い。

 ――逃したか、と思った刹那。

 

 

「……あら」

 

 

 ぞわり、と、全身の毛と言う逆立つ。

 振り向けば、そこに新たな妖怪が1人。

 当然のこと、アリスでは無かった。

 

 

「招かれざるお客様、ね」

 

 

 癖のあるショートボブの髪に真紅の瞳、白のシャツと赤黒のベストとチェックスカート。

 そして、手には大きな日傘。

 見た目は「綺麗なお姉さん」と言った所か。だが妖怪にとって見た目程あてにならないものはなかった。

 

 

「ようこそ、私の花畑へ。それじゃあ……さようなら」

 

 

 日傘の先端を向けられた瞬間、鎧眦は尻尾を膨らませて後ろに跳び下がった。

 照準から外れたその相手を、日傘の妖怪は微笑みと共に見つめる。

 威圧感など何も感じられない、しかしだからこそ感じる重圧と言うのもあった。

 その重圧から、続けての連戦は不利と察したのだろう。

 

 

「……ッ」

「あら、逃げるの。そう、つまらないわねぇ」

 

 

 じりじりと下がった後、背中を見せながら脱兎の如く駆け出し、姿を晦ませた。

 1度も振り向かなかった。

 そして日傘の妖怪もそれを追わなかった、やる気なさそうに日傘を下ろしている。

 

 

「それで、貴女はどうするのかしら。このまま帰る?」

「何よ、随分と冷たいじゃない」

「私を野良犬を追い払うのに使っておいて、冷たいも何も無いでしょう」

「うふふ。ごめんなさいね、幽香」

 

 

 幽香、と言うのが日傘の妖怪の名前だった。

 花の妖怪として有名で、この花畑は彼女の花畑で、「太陽の畑」とも呼ばれている。

 ふわり、と空から降りて来た少女、アリスを軽く睨む幽香。

 しかし当のアリスはと言えば、軽く舌を出して実に気安げに謝っていた。

 

 

「でも、本当に幻想郷の「ルール」には疎かったのね。あなたの花をスペルで吹き飛ばすんだもの」

「そこへ誘い込む貴女も相当よね」

「あら、何のことかしら。見ていたでしょう、私は押されっぱなしだったのよ? むしろ、良く言って「逃げ込んだ」と言うべきじゃないかしら?」

 

 

 ニコニコと微笑みながらそう言うアリスに、幽香は鼻を鳴らした。

 どうやら鎧眦と違い、アリスを追い出す腹積もりは無い様子だった。

 そんな幽香に微笑を向けた後、アリスは弾幕が掠ったらしいケープの端を指先で触りながら。

 

 

「それにしても、面倒事の予感ね」

「いつものことじゃない」

 

 

 さて、あのブン屋の介抱でもしようか。

 さほど交流があるわけでも無いが、見捨てるのも寝覚めが悪い。

 鎧眦と戦っている間に、文は別の人形達がアリスの家まで運んだはずだった。

 

 

「……本当に、面倒事の予感」

 

 

 わーきゃーと騒ぎながらやって来た氷精とその友人を空の端に見ながら、アリスは憂鬱そうに吐息を漏らしたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――妖怪の山。

 その呼び名の通り、多くの妖怪が住まう緑豊かな山である。

 天狗・河童に代表される様々な妖怪が住まうこの山は、他の地域と違い明確なピラミッド構造によって治められている場所だ。

 パワーバランスを担うと言う意味では、最も「勢力」らしい勢力であると言える。

 

 

「おはようございます!」

 

 

 とは言え、そこに住まうのは妖怪だけでは無い。

 例えばそう、あまりに異常な気候に住処から出てきた「仙人」――最も、彼女の住居は隠されている――茨華仙。

 そんな彼女を見つけて、空から降りて来た「現人神」――妖怪の山の頂に陣取る神社の巫女――東風谷早苗のような存在も、山の住人である。

 

 

「おでかけですか?」

「ええ、ちょっと霊夢の所まで」

 

 

 挨拶ににこやかな微笑を返したのは華仙、シニョンを2つ作った桃色の髪の女性だ。

 オリエンタルな桃白の衣装も目を引くが、右腕全体に巻かれた包帯と左手の鎖付きの腕輪が特徴的なファッションと言えばファッションだった。

 

 

「貴女は……その格好からすると、異変の調査に行くのかしら?」

「はい。暑いだけならまだしも、山の水源のいくつかに怪しい兆候が出て来ているようなので。にとりさん達も心配していましたから」

「そうよねぇ。普通、すぐに異変と判断するべきよねぇ」

 

 

 溜息を吐く華仙に苦笑を浮かべたのは、山の巫女、早苗である。

 背中に伸びる長い髪は艶やかで輝いているようにも見え、髪の左側の一房を蛇と蛙の髪飾りでまとめているのがアクセントになっている。

 巫女装束もやや独特で、白地に青の縁取りがされた上着と青いスカートで構成されている。

 なお、腋はやはり露出していた。

 

 

 彼女の手には愛用のお祓い棒が握られており、それを見て華仙は彼女が異変解決に向かうものと判断したのだった。

 何故なら早苗は霊夢や魔理沙と同じように、過去何度かの異変の解決に積極的に関与していたからだ。

 ……尤も、一度は彼女自身が異変の側に立っていたこともあるが。

 

 

「今回こそ、霊夢さんや魔理沙さんよりも先に異変を解決して見せます!」

 

 

 ふんす、と鼻息荒く意気込む早苗。

 華仙はそんな早苗に感心にも似た感情を抱くと同時に、本来なら率先して調査に赴くべき人間が未だに動きを見せていないことに頭を痛めてもいた。

 実の所、彼女が住居から出てきたのはその人間に注意を喚起しに行こうと思ったからなのだ。

 何しろあの巫女は、異変と判断するまでに起きる他の事態を深く考えない傾向があるから。

 

 

「それでは、行って来ます!」

「行ってらっしゃい、気をつけるのよ」

「任せてください!」

 

 

 風を纏い、一気に青空へと飛翔する巫女の姿を見送る。

 真っ直ぐなその飛び方からは迷いは一切感じられず、己と己の信ずる神の正しさに一片の疑念も抱いていないことを表しているかのようだった。

 頼もしさと危うさを少女の小さな背に見ながら、華仙は張っていた気を緩めるかのように息を吐いた。

 

 

「さて、今回の異変はどうなることやら」

 

 

 異変は人間が解決するもので、「仙人」である自分では手は出せない。

 妙な胸騒ぎを感じつつも華仙が自ら解決に乗り出さないのは、そう言う幻想郷の建前を信じているからであり。

 要するに、彼女は人間を信じている、と言うことだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 足を止めて、振り向いた。

 日課となっている境内の掃き掃除の最中、何かを感じたのだろう。

 こと直感と言う意味で、霊夢は己の感性を疑ったことが無かった。

 

 

「……んー?」

 

 

 目を細めて虚空を見つめる、それは魔法の森がある方角で、ここから見ても青い空が広がっているばかりだった。

 だからと言うわけでは無いだろうが、霊夢はすぐに関心を無くした。

 元々、物事に執着しない性格なのだ。

 

 

 とは言え、暑い。

 昨日は咲夜にああは言ったものの、霊夢にとってもこの急な気候の変化はキツいものがあった。

 蔵の保存食の傷みも早くなってしまう、そう言う意味では異変と認めてしまった方が良いのかもしれない。

 そんなことを思いつつ、する必要の無い掃き掃除を再開した。

 

 

「こんにちは」

 

 

 その時だった、不意に声がかかった。

 また来客か――静かな神社だが、意外と来客は多い。そのほとんどが妖怪か妖怪に関わりのある人間だが――そう思い、顔を上げた。

 するとそこに、見知らぬ妖怪が立っていた。

 

 

 格子柄が描かれた緋色の衣がさっと目に入ってくる、左側が長い髪には花飾りと冠を乗せていた。

 長身痩躯のスラっとした身体つきをした美女で、左手には12の遊環(わっか)を通した銅の錫杖を持っていた。

 それがシャワシャワと擦れるような音を立てていて、霊夢は己の内に言い知れぬ不快感を感じた。

 

 

「あんた、誰?」

 

 

 少女の形を取れるような妖怪は大体知っているつもりだったが、その妖怪は知らない。

 だから問うた、博麗の巫女として問いかけた。

 すると、相手はにこりと浮かべた笑顔を消すこと無く。

 

 

「こんにちは」

 

 

 と、言った。

 眉を潜めていると、緋色の妖怪は言った。

 

 

「挨拶ですわ。挨拶には挨拶を返すべきです、そうでしょう?」

「……こんにちは」

「ええ、こんにちは。ふふ、また一つ善行を積めましたわね」

「で、あんた誰。幻想郷では見ない顔ね、妖怪なら退治しないといけないのだけど」

「まぁ怖い。そんなことをしていては、まともな地獄に逝けませんわよ?」

 

 

 どこか、わざと癪に障ろうとしているかのような喋り方だ。

 この時点で、霊夢は大体の事情を察した。

 別に初めてと言うわけでは無い、これまでも何度かあったことだ。

 

 

「なるほど、新参者ってわけ」

「ええ、先頃ここに辿り着いたばかり。なので、貴女が幻想郷(ここ)の権威であると聞いてご挨拶に伺いましたの」

「挨拶、ねぇ」

 

 

 はっ、と、鼻で笑ってやった。

 

 

「私の神社でそんなに妖気を駄々漏れにしておいて、良く言うわね」

 

 

 錫杖の音色に合わせるように、ただならぬ妖気が発散されている。

 博麗の巫女に対して、まして神社と言う聖域の中でそんなことをする妖怪。

 これは挑発、いや、威嚇だと霊夢は判断した。

 はたして彼女は、威嚇を放置して受け入れてやれる程の寛容さを持ち合わせているだろうか?

 当然、否だ。

 

 

「……ッ!」

 

 

 踏み出しかけた足を止めた。

 何故ならば、彼女と相手の中間に互いを隔てる「壁」――いや、「格子(こうし)」が出来ていたからだ。

 緋色に輝く格子が霊夢の行く手を遮っている、それはまるで牢獄の格子のようだった。

 

 

「今日はご挨拶だけですわ、またお会いすることもあるでしょう」

 

 

 こここ、と狐のように喉奥から笑みを零しながら、言った。

 次いで、びゅう、と言う突風が起こり、霊夢は一瞬だけ眉を顰めて目を庇った。

 次に前を見た時、そこには誰もいなかった。

 アハハ、アハハと、少女の甲高い笑い声だけが後に残る。

 

 

「あんた!」

 

 

 ――――私は憲章(けんしょう)、以後お見知りおきを。

 最後に名前だけを置いて、緋色の妖怪「憲章」はその妖気ごと何処かへと消えた。

 竹箒を手に、霊夢はいつまでも憲章の立っていた場所を見つめていた。

 異変か、と、ぽつりとした呟きだけを発して。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……ええ、話に聞いていた通りの巫女でしたわ」

 

 

 現から切り離された格子の結界の中、緋色の妖怪――憲章は、誰にとも無く呟いていた。

 

 

「人間にしては、なかなかやる部類でしょう。しかし……」

 

 

 こここ、と、喉奥で嗤い。

 

 

「しかし、所詮はたかが人間。――様が恐れるには及びませんわ」

 

 

 全ては。

 

 

「ええ、この憲章にお任せ下さいまし。必ずや、博麗の巫女の介入を阻んでご覧にいれましょう」

 

 

 全ては、彼女「達」の目的の成就のために。

 幻想郷の「夏」は、まだしばらく止みそうに無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 暑いのは困りものだが、良いこともあるものだ。

 

 

「あ~つ~い~……」

(そうですね、フラン様)

 

 

 多くの場合は一緒くたにされてしまうが、白夜は厳密にはメイドでは無い。

 彼女はフラン個人の侍従であって、実はレミリアを頂点とする紅魔館の指揮系統からは外されているのである。

 これは図書館の客人達を除けば唯一の存在であり、その意味では特別視されていると言える。

 

 

 まぁ、現実的には姉である咲夜の下で雑用をしているので、本人もあまり職務の違いを気にしたことは無い。

 ただ、暗黙のルールとして決まっていることがある。

 フランドールが起きている時、基本的に白夜は彼女の傍にいる。

 

 

「あつい、あついー」

(今日はまた一段と寝つきが悪いなぁ)

 

 

 姉の手によって修繕された地下室、大きな天蓋ベッドの中に白夜はいた。

 外はすでに朝のはずだが、地下は暗く、わからない。

 ただ普段はひんやりと冷えているはずの地下ですら、今は熱が篭って異様に暑い。

 空気の入れ替えが難しいこともあって、寝苦しさは常にも増して酷いものだった。

 

 

(まぁ、おかげでフラン様が大人しいんだけど)

 

 

 ふりふりと目の前で揺れる七色の羽根は、自分の膝を枕に眠る――正確には、眠ろうとしている――フランのものだ。

 寝苦しい(よる)、吸血鬼にとっては眠りにくい環境だ。

 だからフランの機嫌は急降下を余儀なくされるわけだが、眠気のせいか暴走する気配は無い。

 そう言う意味で、白夜にとってこの暑さは悪いものではなかった。

 

 

『ふーん。こいつがお前のご主人様か?』

(喋んないでよ、フラン様に気付かれるから)

 

 

 今は白夜の膝とお腹に顔を埋めてくれているから良いが、明滅しながら喋る宝珠なんて目立ちすぎにも程があった。

 フランの金の髪に指先を通しながら、密やかに溜息を吐く。

 

 

(と言うか、あなたって結局、何なの?)

 

 

 気になる所ではある。

 人の願いを叶えるだ何だと言っているが、「じゃあ何?」と言われるとわからなかった。

 妖怪か付喪神か、何れかだとは思うが由来がわからない。

 人の心に畏れとして残ってこその妖、この宝珠はいったいどんな類のものなのだろう。

 

 

『あ、俺様は願いを叶える伝説の宝珠だぜ?』

(だから、どんな伝説?)

『えぁ?』

(いや、えぁ? じゃなくて)

『あ、あー……どんな、伝説? あー……』

 

 

 しばらく待った後、宝珠は言った。

 

 

『あー……お前、俺様の伝説、知らね?』

(知るわけ無いでしょ!?)

「あーうー、白夜ー」

(あ、はいはい)

『俺様は……? いったい……?』

 

 

 何か考え込んでいるらしい宝珠を意識の外に追いやって、フランの相手をし始めた。

 フランの相手が白夜のメインの仕事のようなものなので別に構わないが、これはフランが寝付くまで続く。

 どうやら今日は、もうしばらくかかるようだった。

 

 

 ――――今頃、姉もレミリアの寝室で似たようなことをしているのだろうか?

 ふとそんなことを思っていると、フランの髪を梳いていた手に違和感を感じた。

 見ると、フランに甘噛みされていた。

 もしかすると嫉妬したのかもしれない、そんな風に思った。

 吸血鬼の瞳が、猫の目のように自分を見つめていて。

 

 

「白夜」

(うぅ、何かスイッチ入ってるし)

 

 

 こうなってくると、暴走するよりもタチが悪くなる。

 と言うか膝枕の段階で思っていたが、ベタベタくっつくと余計に暑いのでは無いだろうか。

 

 

(……まぁ、良いか)

 

 

 深く考えても仕方ない、白夜は諦めたように溜息を吐いた。

 身を擦り付けて来るフランをあやしながら、白夜はそっとメイド衣装の襟元を緩める。

 後はフランに抱きつかれるまま、状況に流されていった。

 

 

 

 

『……俺様は……?』

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 魔法の森の入り口近く、香霖堂。

 

 

「――――いらっしゃい」

 

 

 店主・森近霖之助は、突然の来客に転寝から目覚めた所だった。

 それでも店主としての第一声を間違えなかったのは、ひとえに、いつも突然やってくる少女達による経験のおかげだった。

 しかしその彼をして、今回の来客は「おや」と思わせる相手だった。

 

 

 と言うか、初めて見る顔だった。

 まぁ最も、彼はほとんど店に引き篭もっているし、特に最近幻想郷に来た面々等はほとんどが会ったことが無いと言う状態だった。

 だから知らない顔であったとしても、淡白な彼は「おや」以上の感想を抱かなかった。

 

 

「いらっしゃい、何かお探しかな」

 

 

 それは少女――最も、それこそ幻想郷では珍しいことでは無い――だった、勝気そうなツリ目の、やや幼目の容貌をしている。

 ただ見た目の幼さに反して衣服の露出は多めで、柔らかそうなお腹や太腿の肌色が目に眩しかった。

 何より目を引くのは、半透明の薄い皮膜のような一対の翼だった。

 明らかに妖怪、しかしそれこそ幻想郷では当たり前の存在だ。

 

 

「ここに」

 

 

 幼げな甲高い声が、少女の小さな唇から放たれた。

 不思議と耳に残る声だ、霖之助は僅かに眉を立てた。

 

 

「ここに、宝石はあるか?」

「宝石、かい? どんな物かな」

「そうだな、紅い宝石だ。血のように紅い、紅い宝珠さ」

「宝珠……」

 

 

 ふむと考え込んで、頭の中の商品リストを探す。

 しかしそもそもリストが無いことに気付いて、考えることをやめた。

 とは言え記憶力が無いわけでは無い、ふと、そういえば最近1つそう言う物を売ったことを思い出した。

 まともな商取引が成立することは稀なので、良く覚えている。

 

 

「すまないね、そう言う品は最近売ってしまったから。品切れなんだ」

「品切れ? 誰かが買って行ったってこと?」

「まぁ、そうだね」

「それはどこの誰? どこに行けば会える?」

「……?」

 

 

 霖之助はそこで首を傾げた、別に守秘義務があるわけでも無いが、さりとて顧客の情報をペラペラ喋るような性格もしていない。

 流石に疑念を得て、彼は少女に言った。

 

 

「それを知って、どうするつもりなのかな?」

「うん? そんなこと決まってるだろ」

 

 

 少女は答えた。

 両手を広げ、舞台の開幕を告げる演奏者のように。

 

 

「受け取りに行くのさ。それは元々、オレ達のモノなんだから」

「……キミは」

 

 

 少女の身から青い、鱗粉のような光が漏れ始めた。

 それは明らかに妖気の片鱗であり、加えて言うのであれば穏やかな物では無かった。

 すなわち、彼女には明らかな害意があると言うことだ。

 少女の眼前に出現し、光を放つ1枚のカードを見た瞬間、霖之助は眼鏡の奥の目を見開いた。

 

 

「無いならしょうが無い。でも、宝珠のことを知っているお前を放ってもおけない。なら、どうすれば良いと思う?」

「……!」

「――――ハッハァ! 引っ越し祝いだ!!」

 

 

 次の瞬間、香霖堂の中に青い光が満ち溢れた。

 霖之助は呆然として動けず、お腹のあたりに朱鷺色の何かが衝突して来たのを最後に。

 ――――彼の意識は、閃光の中に呑まれた。




最後までお読み頂きありがとうございます。
大チルは俺のアイシクルフォール、竜華零です。
ちなみに私はマリアリがジャスティスな人間ですが、しかし幽アリが嫌いなわけじゃないのです。

初の本格的な弾幕ごっこのシーンを描いてみましたが、はたしてこれで合っているのでしょうか。
とにかくアリスをカッコ良く描きたかったのですが、今後はこの弾幕ごっこが後々の弾幕ごっこのモデルになるのかもしれません。

さーて、次回も頑張って弾幕ごっこを描きますよー!
それでは、また次回。

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