東方九竜子―瀟洒の妹―   作:竜華零

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STAGE2:「博麗神社にて」

 ――――苦しい。

 余りの寝苦しさに、白夜は目が覚めた。

 まず視界に入ってくるのは、見慣れた自室の天井だった。

 

 

「…………」

 

 

 衣服が肌に張り付いている、べっとりとした汗をかいているためだ。

 身体を起こすと、シーツにまで汗が染みていた。

 熱に浮かされていたわけでは無く、単純に暑かっただけだ。

 

 

 要するに、寝汗である。

 昨夜眠りについた時にはそんなことは無かったのに、どうしてこんなにも暑いのか。

 部屋の中がむわっとした熱気に包まれていて、身体中の水分が搾り取られそうだ。

 

 

(あ、暑い……)

 

 

 身に着けていた白のネグリジェ――メイド衣装のまま寝てしまったはずだが、誰かに着替えさせられたらしい――の襟元に指を入れ、パタパタと仰ぐ。

 透明な汗の雫が白い肌の上を滑り、胸下へと落ちて染みを作った。

 正直に言って気持ち悪い、シャワーを浴びたいと思った。

 

 

 しかし、それにしても暑い。

 まだ少し早い時間だが、たまらなくなって白夜はベッドから出た。

 寝散らかした髪の毛は身を起こすと寝癖となり、ピンピンと跳ねていた。

 年齢相応のその姿は、無表情と言う点を除けば可愛らしくもあった。

 

 

(うお、眩しっ!?)

 

 

 風を入れようと窓を開けると、想像通りに風が部屋に入り込んできた。

 しかし同時にカーテンに遮られていた日の光がかっと照って、その余りの眩しさに目を閉じた。

 しかもである、風が「熱い」。

 どこか砂っぽくもあり、不意のことに白夜は軽く咳き込んでしまった。

 

 

(え、え、何……?)

 

 

 何度でも言うが、昨夜は言う程に寝苦しい夜では無かった。

 だから今、目の前に広がっている光景を一瞬、現実のものとして受け入れることが出来なかった。

 何故ならそこには、「夏」が広がっていたからだ。

 

 

 雲一つ無く透き通るような青空に燦然と輝く、大きな太陽。

 どことなく砂っぽさを感じる風は熱い、こんな感触の風は初めてだった。

 じりじりと肌を焼くような感覚に、さらに汗がどっと吹き出てきた。

 見紛うことなく、そこは「夏の世界」だった。

 

 

(え、えーと……え? どう言うことなの、これ……?)

 

 

 何度も言うが、昨日は夏とは程遠い気候の日だった。

 と言うか春すらまだである、春告精(リリーホワイト)がアップを始めたかどうかと言うところだろう。

 季節はずれの暑い日があると言っても、これは無いだろう。

 つまりこれは、明らかな異常、と言うことだ。

 

 

(あ、暑い)

 

 

 ひたすらに暑い1日、その始まりは何を意味するのだろう。

 日の光を受けて、枕元の紅い宝珠がキラリと輝いたような気がした。

 

 

   ◆  ◆  ◆

 

 

 日差しが、強かった。

 異常な暑さは幻想郷全体に及んでいるようで、まさにうだるような暑さが身体を苛んでくる。

 動くのも面倒になる暑さだが、それで仕事が休みになる程、紅魔館は人に優しくは無かった。

 むしろ逆、紅魔館の主は残酷に言った。

 

 

『こう暑くちゃ寝てもいられないわ。何とかしなさい』

 

 

 何とかしろと言われても、相手は天候である。

 どうしようも無いと思っていたのだが、そこは姉である。

 レミリアの命令に咲夜は表情一つ変えずに是と答え、てきぱきと身支度を整えた。

 

 

 そして咲夜が向かった先は、博麗神社だった。

 幻想郷の東端にあるその神社は、何かしかの異常が見られた時にはとりあえず向かうべき場所だった。

 何故なら幻想郷の異常――『異変』解決の専門家が、そこにいるからだ。

 博麗霊夢、先日のパーティーにも来ていた少女だ。

 

 

「白夜、早く来なさい」

 

 

 先に階段を登り終えた姉が、自分を呼んでいる。

 そこは神社の境内へ続く階段で、白夜はどうして自分がこんな場所にいるのかわからなかった。

 いや、理由などはっきりしている。

 姉が自分を連れて来たからだ、それ以外にあり得ない。

 

 

(と言うか、何で私まで行かなくちゃいけないの)

「お嬢様は私達にお命じになられたのだから、当然でしょう」

(いや、どう考えてもあれは咲夜姉だけに言ってたと思うけど)

 

 

 実際、ここに来るまでにすでに相当の時間を使っている。

 昼は過ぎておやつの時間にすら差し掛かっていて、咲夜だけであれば朝の内に到着していただろう。

 白夜が、空を飛べないからだ。

 咲夜のように空を飛べない白夜を連れていては、時間がかかるのも仕方なかった。

 

 

 と言うか、こういう時にこそ時間を止めて移動するべきでは無いのか。

 この姉は何故か、自分を連れて行く時に能力を使って移動しない。

 もちろん、相当急がないといけない時は別だが。

 

 

「白夜」

(はーいはいはいはい)

 

 

 微かに苛立ちのこもった声に、足を速める。

 本当に、どうしてこの姉は自分を連れて来たのだろう。

 まさか一緒に行きたかったわけではあるまい、この姉に限って。

 

 

「……相も変わらず、寂れた神社ね」

 

 

 長い石階段――太腿が痛い――を登り終えると、急に開けた場所に出た。

 森に囲まれているからだろう、はらはらと落ちた葉が地面のそこかしこに散っている。

 日差しは強いが、風が少し冷たく感じるのは雰囲気のせいだろうか。

 赤い鳥居、小さな手水舎、本殿と、その奥に見える高床式の倉庫と母屋。

 姉の言う通りに人気の無い寂しい神社だが、言い知れぬ重厚感があった。

 

 

「五月蝿いわね。そう思うなら賽銭の一つも入れていきなさいよ」

「悪魔の狗に神様に祈れって? ふふ」

「別に笑わせようとしたわけじゃないんだけど」

 

 

 そして、いた。

 艶やかな黒髪に、腋を外に露出した紅白の巫女衣装。

 博麗神社の巫女、博麗霊夢がそこにいた。

 

 

「あら珍しい、今日は妹の方もいるのね」

(あ、どうも)

 

 

 不意に視線を向けられて、白夜は居住まいを正した。

 そうでなくとも、この巫女の静かな瞳に見据えられればそうせざるを得ない。

 何故なら白夜は、姉を除けば、人間の中では彼女を1番恐れていたからだ。

 人間の中で、彼女は特別に過ぎた。

 

 

「……はぁ。何の用かは知らないけど」

 

 

 年齢に似合わない溜息を吐いて、霊夢は落ち葉を掃いていた箒の柄を肩に乗せた。

 それから、顎先で母屋の方を示して。

 

 

「お茶くらい出すわよ、出涸らしで良ければ」

 

 

 当代の巫女、博麗霊夢。

 彼女は、幻想郷の秩序であった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 博麗の巫女は、幻想郷と外界を隔てる<結界>の管理者である。

 <結界>について詳しいことは白夜も知らない、ただ幻想郷を幻想郷たらしめている重要な物だと。

 姉やパチュリーが常識と非常識を分けるとか何とか言っていたが、正直「何それ」状態である。

 ただ、博麗の巫女への接し方は何度と無く聞いていた。

 

 

 曰く、博麗の巫女を貶めてはならない。

 曰く、博麗の巫女を穢してはならない。

 曰く、博麗の巫女を犯してはならない。

 曰く、博麗の巫女を殺してはならない。

 曰く――――。

 

 

(……いや、え、これお茶?)

 

 

 巫女が手ずから出してくれた湯飲みを前に、白夜は衝撃を受けた。

 中身は当然お茶なのだが、お茶の色がほとんど見受けられない。

 出涸らしのお茶しか出せないと言うのは本来は世辞のようなもので、本当に出涸らし――と言うか、もはや薄すぎてただのお湯である――を出されるとは思わなかった。

 

 

 しかし無表情に目を見開く妹と違い、姉はまるで顔色一つ変えずに出されたお茶を啜って見せた。

 この姉、ちょっとお茶と言う飲み物には一家言あるのだが、瀟洒過ぎである。

 咲夜がお茶を一口啜って置くのを見てから、ちゃぶ台の向こう側から霊夢が言った。

 

 

「それで、何か用かしら?」

「お嬢様の使いですわ」

「ああそう、そうでしょうとも。それで、レミリアは何て? またパーティーのお誘い?」

「それはまたの機会に。それよりも、今回の異変はいつ解決するつもりなのか、と」

 

 

 異変の解決。

 博麗の巫女の使命であるはずのその言葉を聞いた瞬間、霊夢はあからさまに面倒くさそうな顔をした。

 

 

(えぇ――……って、いつものことか)

 

 

 異変、幻想郷で引き起こされる「異常なこと」の総称である。

 例えば紅い霧で覆われたり、冬が終わらなかったり、宝船が空を跳んだり、空に城が浮かんだりだ。

 異変は妖怪によってき引き起こされ、そして人間によって解決されなければならない。

 そしてその異変の解決を生業とする者、それが博麗の巫女なのだ。

 

 

(まぁ、この人はいつも最後に動く人だから)

「そうは言ってもね霊夢。この暑さは明らかに異常でしょう?」

「あー……? ただちょっと暑いだけでしょ。夏日なのよ、夏日」

「夏日の一言で片付けないで頂戴、こう暑くちゃお嬢様のご機嫌も絶賛急降下中なのよ」

「それこそ私の知ったことじゃないわよ」

 

 

 霊夢は博麗の巫女だ、しかし彼女はこれまで積極的に異変を解決したことが無い。

 腰が重いと言うか、初動が遅いのだ。

 それでも最後には異変をきちんと解決して見せるのだから、役目については一応は意識しているらしい。

 

 

「まぁ、まだ異変と決まったわけじゃないしさ」

「はぁ……貴女、もう少し真面目にしたら?」

「良いのよ、別にこんなのは適当で。……と言うか、あんた」

(え、私?)

 

 

 自分のことを指差して確認すると、霊夢は頷いた。

 正直、姉と会話してそれで終わりだと思っていたので少しばかり驚いた。

 彼女は白夜の首元を指差すと、僅かに首を傾げて見せた。

 

 

「それ」

(これ?)

 

 

 指先で触れながら示す、頷きが返って来た。

 そこには例の紅い宝珠があって、白夜はドキリとした。

 隣の姉が訝しげな目を向けてきているのを感じて、背筋に汗が滲むのを感じる。

 ――――「あのこと」は、姉にも言っていない。

 

 

「それさ、何か――――ん」

 

 

 何か言いかけて、霊夢は止まった。

 横を向き、縁側に面した障子を睨む。

 

 

(……? え、なにがふぉっ!?)

 

 

 姉が急に後頭部を掴み、ちゃぶ台に白夜の額を叩きつけた。

 何故急に暴力沙汰になったのかと思った次の瞬間、霊夢が睨んでいた障子が爆発、いや爆散した。

 そして白夜の頭上スレスレの所を何か大きな物が擦過し、遅れて一陣の風が室内に吹き荒れた。

 ふわり、と、何かが舞い降りる。

 

 

「――――おい、霊夢ッ!!」

 

 

 その原因を作ったのは、蜂蜜色の髪の少女だった。

 障子どころか襖まで吹き飛ばし、箒に跨った状態で逆さまになった状態で。

 

 

「おい霊夢、これは異変だぜ!!」

 

 

 霧雨魔理沙は、それこそ太陽のような笑顔で言った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「いやー、悪い悪い。ちょっと停まる位置を間違えちまってな」

 

 

 出涸らしのお茶すら出して貰えず、頭にたんこぶを作った魔理沙は悪びれなく笑った。

 相変わらず、底抜けに明るいことだ。

 ちなみにたんこぶを作った張本人、霊夢は障子と襖の残骸を適当に片付けた後。

 

 

「ちゃんと直して行きなさいよ」

「善処するぜ」

 

 

 霊夢への対処をそこそこに、魔理沙は白夜達2人を見つけると「よっ」と手を挙げて挨拶してきた。

 ぺこりと、軽く会釈した。

 その時に白夜の首元で宝珠が揺れたので、それを目ざとく見つけたのか。

 

 

「あ、それ霖之助の所にあった奴だろ。いーよなー、私も欲しかったんだけど」

「貴女は盗もうとしていたんでしょう」

「だからそれは誤解だって、借りてくだけだって」

「はいはい」

 

 

 今欲しいって言ったよね?

 白夜は心の底から首を傾げたものだが、姉にとってはもはや様式美のようなものであるらしい。

 流石、図書館の本を盗み(かり)っぱなしでも特に何もしない姉である。

 まぁ、あれはパチュリーが黙認していると言うこともあるのだろうが。

 

 

「ああ、それより霊夢。異変だぜ、異変!」

「あんたもそれ? 異変かどうか何て、まだわからないでしょう」

「お前はまたそれか。幽々子の時もそうだったけど、何たってそんなに腰が重いんだよ」

「あんたは腰が軽すぎなのよ」

「人聞きの悪いことを言うなよ……」

 

 

 どうやら魔理沙は、この異常気象を異変と思ってすでに行動を開始しているようだった。

 それで霊夢の様子を見に来た、と言うより、一緒に異変の解決に行こうと誘いに来たのだろう。

 あるいは、競争したいと言う子供じみた感情があったのかもしれない。

 

 

 しかしどうやら、と言うかやはり、霊夢は動く様子を見せなかった。

 あまりにも頑ななので、白夜も「実は異変じゃないのかも?」と思い始めた。

 ちらりと隣を見るが、姉は出涸らしのお茶を啜るばかりで何も言わなかった。

 もしかしてこれは、本当に異変では無いのだろうか?

 

 

「いえいえ、これはれっきとした異変のようですよ」

 

 

 ――――いつの間に、現れたのか。

 魔理沙によって吹き飛ばされた障子の向こう、縁側に座った少女がひとり。

 黒髪、白のブラウスに黒のミニスカート、赤い高下駄。

 そして何より目立つのは、背中の黒い翼だった。

 

 

「お、何だ。ブン屋も来たのか」

「ええ、今回の異変について取材中なのですよ」

 

 

 射命丸文、妖怪の山に住む鴉天狗である。

 妖怪の山の天狗は新聞を作っていて、文もその例に漏れていない。

 つまり彼女は記者であり――彼女の新聞にはゴシップが多いが――情報通と言う意味では、彼女ほど幻想郷の情報に触れている者はいない。

 何しろ、「幻想郷最速」の新聞なのだから。

 

 

「と言っても、霊夢さんはまだ動いていないようですが」

「妖怪に心配される筋合いは無いわ」

「おお、怖い怖い」

 

 

 おどけるように笑って、文は懐から1枚の写真を取り出した。

 何だ何だと魔理沙が四つん這いで近付き、続こうとした白夜は咲夜にチョップされ、霊夢はまるで興味を示さなかった。

 結果として、その写真を見たのは魔理沙1人だった。

 

 

「お、おお? な、何だこりゃあっ!?」

「……五月蝿いわね。何なのよ、いったい」

「ふふふ、それがですねぇ……」

 

 

 妖しく笑い、文は言った。

 

 

「幻想郷に、『砂の湖』が出来たんですよ」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「直して行きなさいっての……」

 

 

 ぼそりと呟いて、霊夢は境内で空を見上げていた。

 真夏のような青空の中、黒い点が2つ、もう随分と遠くに飛んで行ってしまっている。

 魔理沙と、そしてもちろん文である。

 飛ぶ速度と言う点で見れば、あの2人は幻想郷でも相当に速い部類に入る。

 

 

 なお、母屋の障子は直されていない。

 大して期待もしていなかったのか、腰に手を当て呆れたように吐息を漏らすその姿からは怒っているような様子は見えなかった。

 あるいは、単にこだわりが薄いだけなのかもしれない。

 

 

「それで、貴女は本当に行かないの? 何か、普通で無いことが起こっているようだけれど」

「しつこいわね」

 

 

 今度は深々と溜息を吐いて、霊夢は言った。

 

 

「異変だってはっきりしたら、ちゃんとするわよ」

「はっきりさせるために調査するものなんじゃないかしら」

「あー、はいはい」

 

 

 ヒラヒラと手を振って母屋へ戻る霊夢に、咲夜は苦笑を浮かべた。

 ただ、彼女はもうあまり心配していなかった。

 魔理沙が解決に向かった以上、遅かれ早かれ霊夢も解決に向けて行動するだろう。

 過去の異変の傾向から、咲夜はそう踏んでいた。

 

 

 主人のレミリアには、もう少し我慢して貰う他無いだろう。

 そこで銀時計を取り出して、思いの外時間が過ぎていることに気付く。

 あたりを探ると賽銭箱の中身を物色している妹の姿を見つけて、咲夜は溜息を吐いた。

 

 

「白夜、戻るわよ」

(あ、うん)

 

 

 賽銭箱の中身の無さに興味を引かれていた白夜は、姉の言葉に振り向いた。

 鳥居の下にいる姉の所まで駆けると、階段の下から上がってくる女性の姿を見つけた。

 

 

「やぁ、紅魔館の姉妹じゃないか。お前達も博麗の巫女の様子を見に来たのか?」

 

 

 人里の半妖、上白沢慧音だった。

 腰まで届く銀色の髪に、胸元を大きく開いた上下一体の青い衣服を身に纏っている。

 ワーハクタクと呼ばれる半獣人で、人里で寺子屋の教師をしている才女だ。

 彼女は霊夢に会いに来たらしく、母屋にいることを伝えると礼を言って、そのまま境内へと入って行った。

 

 

(あの人、何しに来たんだろう)

「私達と同じよ、霊夢に異変の解決の催促に来たのでしょう」

(ふーん……)

「私達にとってはただの夏日でも、人里にとっては日照り。あまり長く続くようだと、里の水も枯れるかもしれないし」

(大変だねぇ)

 

 

 紅魔館の仕入れの一部は人里で行われているので、実は無関係では無い。

 無いのだが、気付いていない様子の白夜に咲夜はまた溜息を吐いた。

 

 

(それにしても……砂の湖かぁ、どんなのなんだろう?)

 

 

 そんな姉の様子に気付くことなく、白夜はまだ見ぬ「砂の湖」とやらに思いを馳せていた。

 白夜自身が目にすることは万に一つも無いだろうし、異変レベルの危険に首を突っ込むつもりは無いが、それでも想像してしまうのだった。

 今頃、魔理沙はそれを見ているのだろうか?

 少しだけ、羨ましいと思った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 自分の追い求めるものは、正面にしか無い。

 魔理沙は常にそう思っていた、それは信仰と言っても良いレベルだった。

 欲しい物も、目指す物も、全て正面にある。

 一方で彼女は、自分の前に誰かがいることが我慢できない性格でもあった。

 

 

「――――おおっと、この辺だな」

 

 

 箒の先端を持ち上げるようにして、それまで空に雲を引いていた白黒の魔女が停まった。

 今度は停止も上手くいったようだ、魔理沙は満足そうに頷いた。

 その後、はっとした顔で周りを見渡し始めた。

 誰かを探しているようだが、どこかニヤリとしている様子でもあった。

 

 

「あれ? 飛ばしすぎたか。おーい、文ー?」

「はい、どうかしましたか?」

「うわっち!?」

 

 

 ふわり、と、人間の少女の頬を黒い羽根が優しく撫でた。

 頭上にいたのだろうか、目を細めたいやらしげな笑みがまず目についた。

 そして、カシャリ、とシャッターを切る音。

 

 

 驚き、呆然とした顔をカメラに撮られた。

 そう理解した瞬間に魔理沙は手を伸ばした、カメラを奪おうとしたのだ。

 すると腹立たしいほどに滑らかでゆっくりとした動作で、文が魔理沙から離れる。

 しばらく、戯れのようにも見えるそんなやり取りが続いた。

 

 

「……で!」

 

 

 カメラを奪うことを断念し、不機嫌さを隠すことも無く、魔理沙は眼下を指差した。

 

 

「あれか?」

「ええ、そうです。アレが噂の『砂の湖』です」

 

 

 眼下の世界、そこは本来、穏やかな草原が広がっているはずの場所だった。

 いつかの花の異変の時には太陽の畑に近かったこともあり、あたり一帯は色とりどりの花々で覆われたものだ。

 しかし、眼下にはそんな面影は欠片も残されていなかった。

 

 

 砂。

 

 

 砂、砂、砂――――そこには、砂だけがあった。

 幻想郷にこんな広大な場所がまだあったのか、そう思える程の広い範囲が砂で覆われていた。

 湖の水面のような模様を描くそれは美しいが、しかしどこか不気味にも感じた。

 気のせいか日光がより強くなったような気もする、空気は乾いていて肌がヒリヒリする程だ。

 一言で言えば暑い、風も熱を孕んで衣服の下に汗が滲んできた。

 

 

「おいおい、ご機嫌なくらいに異変だな、これは」

 

 

 ニヤリと笑って、魔理沙は帽子のつばを引っ張った。

 先程までの不機嫌はどこへやら、新しい玩具を見つけた子供のように瞳をキラキラとさせていた。

 異変、それは幻想郷で1番のイベントなのだ。

 まだ見ぬ世界が広がっている、そう思うだけで魔理沙は胸はワクワクとしたものに満たされるのだった。

 

 

「どうしますか?」

「決まってるだろ、突撃あるのみだぜ」

 

 

 そう、欲しい物はいつだって正面にあるのだ。

 

 

「行くぜ文、頼りにしてるからなオプション!」

「オプションて……いや、良いですけど」

「この異変、私がすぐに解決してやるぜ!」

 

 

 あっという間に解決して、霊夢の驚く顔を想像した。

 何に対しても面白くもおかしくも無い、と言う顔をしている霊夢だが、自分の役目を奪われると不機嫌になるのを魔理沙は知っていた。

 最近はいろいろとライバルも増えてきて、最初のように2人で競るということも少なくなっていた。

 口には出さないが、魔理沙はそのことを少し寂しく思っていた。

 

 

「……障子も直さないといけないしな」

「ああ、一応気にはしていたんですね」

 

 

 やかましい、そう言って彼女は箒に跨ったまま足を振った。

 それはどこか騎手が馬の腹を蹴る仕草にも似て、次の瞬間、爆風を残して魔理沙が飛んだ。

 肩を竦めて文も続く、2人が目指すのは砂の湖――「砂漠」の中心。

 異変の元凶がいるだろう、次のステージだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 結局、その日は1日中暑かった。

 日差しが強いままだったし、不思議と日が落ちても風から熱が失われることは無かった。

 しかも砂を運んでくるので窓は開けられない、ただでさえ窓の少ない紅魔館の中は熱が篭るばかりだった。

 

 

(あっつぅ――い……)

 

 

 寝苦しい夜、明日も早いと言うのに白夜は寝付けずにいた。

 何度拭っても、じんわりと汗で衣服が湿ってくる。

 ベッドの上で何度も何度も寝返りを打っていると、枕元で紅い輝きが瞬いた。

 

 

『どうやら俺様の出番のようだな』

(ノーサンキューで)

『おいおい、遠慮すんなって。俺様の力ならこの部屋を涼しくするのなんて楽勝だぜ?』

 

 

 宝珠だ、宝珠の声が頭の中に響いてくる。

 昼間は危なかった、何度か指摘されそうになったからだ。

 白夜は未だ、姉に対してこの宝珠のことを告げてはいない。

 と言うか、館の誰にも言っていない。

 

 

 こんな明らかに妖しい物、報告なんてしたら取り上げられるに決まっている。

 白夜はそれを恐れていた、だから姉に言わなかったのだ。

 この宝珠が、妖の類だなどと。

 

 

『おいおい、俺様を妖怪風情と一緒にするなよ』

(じゃあ何さ)

『人の願いを叶えるのは、どっちかと言うと神様だろ?』

 

 

 なお、幻想郷では神も妖怪と大差ない扱いを受けている。

 

 

『さぁ、願いを言えよ人間。俺様がすぱっと叶えてやるよ』

(ぐぅぐぅ)

『っておい、寝るのかよ!』

 

 

 人間の願いを叶える宝珠、この幻想郷でそんなうまい話があるわけが無い。

 何か明確な願いがあるわけでは無い、だが、何故か捨てることもしなかった。

 それに……。

 

 

(勝手に捨てると、咲夜姉が何か言ってきそうだし……ね)

 

 

 ……――――その姉でさえ、察してくれるだけで会話してくれはしないのだ。

 




最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
新たな異変、ステージは砂漠! 幻想郷に砂漠が出来ました。
さぁ皆様、残機は十分ですか?

次回は弾幕ごっこを描きたいです、東方と言えば弾幕ごっこですよね。
それでは、また来月にお会いしましょう。

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