東方九竜子―瀟洒の妹―   作:竜華零

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STAGE1:「紅魔館にて」

 ――――紅魔館。

 幻想郷において、それは霧の湖に建つ建造物の名称であると同時に、ある強力な妖怪が治める勢力(なわばり)の名でもある。

 その妖怪の名は、レミリア・スカーレット。

 

 

 500年を生きる吸血鬼であり、<永遠に紅い幼き月>と呼ばれる大妖怪だ。

 強靭な肉体、圧倒的なパワーとスピード、悪魔を従え魔道を操る魔力、並の精神力では目にしただけで目を潰してしまうだろう妖艶な美貌。

 彼女がいる、それだけで霧の湖に近付こうと言う弱小妖怪の数は9割減ったとすら言われている。

 そんな彼女、レミリアがその日の昼下がりに何をしていたかと言えば。

 

 

「退屈ねぇ……死んでしまいそうだわ」

 

 

 退屈に殺されかけると言う、前代未聞の事態に陥っていた。

 

 

「ねぇ、パチェ。退屈だわ、何か面白い話をして頂戴」

「嫌よ。そう言うのは門番にでも言ってなさい」

 

 

 無限に本を収蔵し続ける魔法の大図書館。

 四方どころか八方を古びた本に囲まれたその空間で、レミリアはテーブルに突っ伏していた。

 赤をあしらったピンク色のドレスを着た幼い少女にしか見えないが、彼女はれっきとした紅魔館の主人である。

 

 

 憂鬱そうな顔でカップの縁を指先で弾く様などは、まさに退屈を持て余した子供だ。

 そんな彼女の様子に溜息を吐いているのは、対面に座っている図書館の主。

 パチュリー・ノーレッジ、紅魔館の大図書館に引き篭もる知識人である。

 長い紫の髪に、寝巻きのような薄紫の服を着た「魔女」だ。

 

 

「大体、暇なら寝れば良いじゃない。吸血鬼が昼に活動するなんて非常識だわ」

「目が冴えて眠れない夜ってあるでしょ?」

「吸血鬼の眠りって、そう言うものじゃないでしょう」

 

 

 レミリアは暇を持て余すか、あるいは気が向いた時に図書館に来る。

 本など少しも読まない癖に、決まって本を読んでいるパチュリーに絡んでくるのだ。

 

 

「お嬢様、お茶のお代わりをお持ちしましたわ」

「パチュリー様も、どうぞ」

 

 

 冷えてしまったお茶を片しながら、そんな2人の様子に従者達が笑う。

 レミリアのメイドである咲夜と、パチュリーの下僕(しもべ)である小悪魔。

 咲夜はいつも通りの丈の短いメイド衣装で、小悪魔はスーツにも見える司書服姿だった。

 片や人間、片や悪魔と言う彼女らだが、互いの主の怠惰な姿に思う所があったのか、視線を交し合ってくすりと笑った。

 

 

「あーあ、退屈だわ。憎いことに晴れているから外出も出来ないし、いっそもう1度異変でも起こしてやろうかしら」

「やめておきなさい、巫女が来るわよ」

「想い人に会うために世界を揺るがす、素敵だと思わない?」

「相手が貴女を想っているのならね」

 

 

 本から目を離さず、辛辣(しんらつ)なことを言う。

 これがパチュリー以外の者の言葉であったなら、その者は次の瞬間には滅ぼされているだろう。

 だがレミリアはそんなパチュリーとの会話を心の底から楽しんでいる様子で、クスクスと笑い声を上げていた。

 

 

「なぁに、パチェ。もしかして嫉妬しているのかしら?」

「私に魅了(チャーム)の瞳は効かないわよ、レミィ」

「そうね。だってもう貴女は私の虜だもの、改めて魅了する必要なんて無いわ」

「……レミィ、貴女。実は半分寝ているんじゃないの?」

 

 

 知識人を抱えるのは貴族の嗜みなどとレミリアは言うが、結局、パチュリーのことを気に入っているのだ。

 だから傍に置いているし、だから戯れ合いもする。

 それがわかっているから、咲夜も小悪魔も暢気に2人の話を聞いていられる。

 

 

「……うん?」

 

 

 その時だ、図書館――いや、紅魔館全体が震動する程の揺れを感じた。

 魔法で防護されているはずの図書館が鳴動し、パラパラと天井から石材の欠片が落ちてきた。

 自然現象では無い、断続的に、しかし確かに感じるその震動の源は。

 

 

「……地下、ね」

「そうね」

 

 

 パチュリーの指摘に、レミリアが頷く。

 レミリアは深々と溜息を吐くと、ますます憂鬱そうに、こう言った。

 

 

「あの子ったら、いつまで経ってもはしたないんだから」

 

 

 ずずん、と、再び紅魔館が揺れた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 楽しそうな笑い声が聞こえる。

 いや、(たの)しそうな(わら)い声が聞こえる。

 暗い昏い地下室に、その嗤い声はとめどなく響き続けていた。

 

 

「キャハハハハハハハハッ!」

 

 

 フランドールは楽しかった。

 地下室の床を蹴り砕き、壁を爪先で抉り取り、調度品を破壊しながら部屋中を飛んでいた。

 サイドテールに纏めた金髪に七色の翼、10歳の少女が楽しそうに笑う姿は愛らしくすらある。

 だがその正体は、500歳に届こうかと言う吸血鬼。

 全てを破壊する力を持つ、人智を超えた存在である。

 

 

「アハハハハッ。待ってよぉ白夜ぁっ」

(待てるわけ無いでしょぉお――――っ!)

 

 

 その人智を超えた破壊の嵐から逃げるのは、白夜だった。

 黒いスカートを翻しながら跳び、走り、駆けていた。

 数秒前までいた床や壁が砕かれる度、すぐ傍の調度品が弾け飛ぶ度に肝を冷やした。

 と言うか泣きたくなった、表情はまるで変わらなかったが。

 

 

 姉がレミリア付きのメイドであるように、白夜はフランドール付きのメイドだった。

 幼い頃――白夜がまだ赤ん坊だった頃――姉は紅魔館の一員となり、メキメキと頭角を現してメイド長にまで上り詰めた。

 自分はそのおまけのような物だと、白夜は常々思っている。

 その結果が狂気の吸血鬼の相手と言うのだから、割に合っているのかいないのか。

 

 

「アハハッ、きゅっとして~」

(あ、ヤバッ……!)

 

 

 ぞわり、と肌が粟立つのを感じて、白夜は自分の身を抱いた。

 腰についた金の懐中時計の蓋が開き、長短秒の針が回り、コチコチと音を立てる。

 それは身体の中にまで響いているようで、そしてその錯覚の中で白夜は奥歯を噛んだ。

 瞬間、白夜は己の中の「時」がガシリと音を立てて軋むのを感じた。

 

 

「ドカーンッ!」

(い――――っ!?)

 

 

 比喩では無く、自分の肉体が砕けそうになるのを感じた。

 それはフランドールの力による物であり、かの吸血鬼は掌を握るだけで対象を破壊することが出来るのだ。

 床や壁、地下室や調度品のように、<ありとあらゆるものを破壊する程度の能力>は万能にして無慈悲に全てを、白夜の肉体を破壊する、はずだった。

 

 

(痛い! 冗談じゃなく痛いんですけどフラン様!)

 

 

 しかし、白夜の肉体は破壊どころか綻び一つ見せなかった。

 そればかりか、驚異的な跳躍で白夜の前に回り込んだフランドールが蹴り飛ばしても、怪我一つ無く耐えて見せた。

 吹き飛んだ彼女を受け止めた壁は、月面のクレーターのように陥没したと言うのに、だ。

 

 

(き、今日は一段とキッツい……)

 

 

 白夜は怪我をすることが無い、傷を負うことが無い、損なわれることが無い。

 何故ならば、白夜は己の感じるべき時間――否、「時刻」を操ることが出来るからだ。

 <時刻を操る程度の能力>、パチュリーは白夜の能力を姉の咲夜が持つ<時間を操る程度の能力>と比較してそう名付けた。

 

 

 そもそも時間と言う言葉には、過去から未来へと至る連続した「間隔」と言う意味がある。

 故に咲夜はその流れの間隔を自在に操り、区切り、停止させることが出来るのだ。

 一方で時刻とは、その時だけに訪れる人間の「感覚」のことを示す言葉だ。

 わかりやすく言えば「瞬間」、白夜はこの自身の「瞬間」を好きなタイミングで止め、維持できるのだ。

 

 

(でも痛いものは痛いんですけど!)

 

 

 ダメージを感じないわけでは無い、フランドールの能力の圧力そのものは受けるからだ。

 壊れないだけで、痛みを感じないわけでは無いのだ。

 

 

「面白い! 面白いヨ白夜ぁっ! ねぇっ、白夜も面白い? 面白いよネぇっ!?」

(そんなわけ無いでしょおおおぉ――――ッ!?)

 

 

 もう逃げることすら出来ずに、ひたすらに打たれているだけだった。

 掴んで投げられ、殴られ蹴られ、壊れないことを良いことに床に壁に天井に、叩き付けられ続ける。

 普通の人間であれば1秒と保たずに死んでいるだろう、そんな時間が延々と続く。

 これが仕事と割り切るか、さもなくば慣れるか、それしか無かった。

 

 

(――――ぶべらっ!?)

 

 

 投げられて、顔から床に落ちた。

 怪我は無い、が、そろそろ限界だった。

 

 

「アハッ」

(く……!)

 

 

 フランドールが再び掌をこちらへ向けるのが見えて、白夜は奥歯を噛んだ。

 手は腕を抱いているから、額と膝で身を上げている状態だ。

 動けない、逃げられない、そして避けられない。

 絶望的な状況に、白夜が一種の諦観を得たその一刹那の後。

 

 

 

 フランドールが、銀のナイフで滅多刺しにされていた。

 

 

 

 肉片と血が、まるで止められた時の中から解放されたかのように一気にぶちまけられた。

 白夜が唖然とした顔で見守る中、全身から血を噴出したフランドールが落ちる。

 そしてここで、また不思議なことが起こった。

 

 

(お、おお……?)

 

 

 次の瞬間、突如として現れた少女が気絶したフランドールを受け止めたのだ。

 しかしフランドールに怪我は一つも無く、穴だらけだった衣服も元の綺麗な状態に戻っていた。

 一見すると、ただ眠ってしまっただけのようにも見える。

 そして受け止めた人間が自分の姉だと気付いた時、白夜は驚くことをやめた。

 

 

「白夜」

(げ。さ、咲夜姉……)

 

 

 白夜の姉、十六夜咲夜である。

 姉ならばこのくらいのことは軽くこなすだろう、何の不思議も無い。

 だから白夜はほっとして、身体の軋みを堪えながら立ち上がった。

 

 

 咲夜はそんな妹の様子を見ているだけで、特に手を差し伸べることはしなかった。

 むしろ冷ややかな目で白夜を見つめ、どこか責めるようですらあった。

 フランドールの相手をしきれなかったことを責めているのだろう、白夜はそう思った。

 この姉は、そう言う人間なのだ。

 

 

「白夜、今夜の支度はどうしたの。料理の下ごしらえがまだ済んでいなかったのだけれど?」

 

 

 ほら、と、白夜は胸の奥で1人ごちる。

 この姉はいつだって仕事優先で、頭の中にはそれしか無いのだ。

 いつだって、どんな時だって、だ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「それで、ここまで逃げてきたわけですか」

 

 

 紅魔館・門前。

 館の中から出てきた――つまり逃げて来た――白夜に、門番妖怪が苦笑を向けた。

 四方を壁に囲まれた紅魔館唯一の正門を守護する妖怪、紅美鈴。

 横髪に編み上げリボンを添えたストレートの赤い髪が目を引く美女で、肉付きの良い肢体を丈長で緑基調のエキゾチックな衣装に収めていた。

 

 

(だって、料理の下ごしらえなんて何時間かかるかわかんないんだもん)

 

 

 身を屈めて美鈴の腰のあたりに手を当てて、こそこそと隠れているのは白夜だった。

 右を見て左を見て、誰もいないことを確認してから、ようやく美鈴の横に普通に立った。

 かいてもいない汗を手の甲で拭う様子に、美鈴は今度は声を立てて笑った。

 非難の気持ちを込めて見つめてみても、何の効果も無かった。

 

 

「いえ、すみません。ただ、逃げた方が咲夜さん、余計に怒るんじゃないですか?」

(うむむ)

 

 

 言われてみれば、確かにそうである。

 と言って、今さら中に戻って作業をするかと言われれば、それに対しても首肯し難い。

 そうした悶々とした考えを見抜かれたのか、美鈴は苦笑のままにポンポンと白夜の頭を軽く叩いた。

 もうそんな年齢では無い、と思う反面、その手を払いのける気もしなかった。

 

 

 白夜と美鈴の関係は、おおよそこんなようなものだった。

 姉である咲夜は幼い頃から厳しかったので――咲夜自身が完璧であった分、特に――何かにつけて、白夜は美鈴の下へと逃げ込んでいたものだ。

 だから美鈴が、白夜にとってはもう1人の姉のような存在だった。

 美鈴も満更では無かったらしく、今も妹分として扱ってくれている。

 

 

「咲夜さんも咲夜さんなりに、白夜さんのことが心配なんですよ」

 

 

 そうなのだろうか。

 あの姉はグズな自分をただ嫌っているだけのようにも思えるのだが、その証拠に褒められた記憶がほとんど……いや、全く無い。

 首を傾げる白夜に、美鈴はまた別の意味で苦笑を浮かべようとして。

 

 

「おや、それは?」

(え?)

 

 

 ああ、と気付いたのは、美鈴の視線が自分の首元に注がれていたからだ。

 そこには、チョーカーに加工された紅い宝珠があった。

 元は香霖堂にあったもので、加工したのは姉だ。

 一夜開けて、枕元に置いてあった時は相当に驚いたものだ。

 

 

「綺麗ですね。妹様からの贈り物ですか?」

(ああ、これはね)

「香霖堂から買い取った物よ。余計な出費だったわ」

 

 

 ひぃ、と悲鳴が上がったのは空耳では無かっただろう。

 何しろ、美鈴が本当に悲鳴を上げていたのだから。

 白夜にも「声」があれば、そうしていただろう。

 ただし、咲夜が白夜の首根っこを掴んで引っ張った時には「ぐえ」と音が出たかもしれないが。

 

 

「美鈴、これの相手をしている暇があるなら職務に集中しなさい」

「あ、あはは……」

 

 

 ずるずると姉に引き摺られながら、白夜は美鈴に手を伸ばした。

 

 

(め、美鈴姉、助けてー)

(あ、すみません。無理です)

 

 

 美鈴はあっさりと白夜を見捨てた。

 あははと笑いつつ手を振る美鈴を心の中で「裏切り者!」と罵るが、状況は何も好転しなかった。

 引き摺られながらちらと姉の様子を窺えば、姉は表情を動かさず、まして白夜の方を見下ろすことも無かった。

 

 

「白夜」

(あ、はい)

 

 

 下ごしらえの話だろうか、今日はやたらに量が多かったのだが。

 

 

「それはもう終わらせたわ」

(あ、そうなんだ……まぁ、咲夜姉ならあれくらい、軽いものだもんね)

 

 

 自分と違って、と言う言葉が後に続く。

 しかしそんな白夜の心の内を知ってか知らずか、咲夜は変わらない冷たい声音で続けた。

 

 

「レミリアお嬢様がお呼びよ」

(え)

 

 

 白夜がこの紅魔館で恐れているものは3つある。

 1つは姉に叱責される(ついでにお仕置きも)こと、2つは直接の主人であるフランドールの遊びに付き合うこと。

 そして3つ目が、館の主であるレミリアに呼び出されることだ。

 どうやら今日は、その全てを体験する日であるらしかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 先にも述べたが、レミリア・スカーレットは紅魔館の主である。

 幼い少女の容貌をしているが500年を生きる大妖怪であって、対面などしようものなら、押さえきれない妖気が手となり根となり、身体中を這い回るような心地を感じることになる。

 人はそれを、カリスマと呼ぶのだが。

 

 

(の……喉が痛くなってきた)

 

 

 レミリア自身はパチュリーとのお茶会の姿勢を僅かも崩さずに、極めて気楽に白夜と対面していた。

 位置関係としては、机についてお茶をしているレミリアとパチュリー、それぞれの傍に控えている咲夜と小悪魔、少し離れた位置に白夜が立たされている――と言った具合だ。

 もう、まさに査問でも開始されるのでは無いか、と思える程の状況だった。

 

 

 特にレミリアが自然に放つ妖気が危険だった。

 視線を向けられるだけで自分の中の重要な何かを掴まれているような気分になって、背筋に冷たいものを感じずにはいられ無かった。

 こうして立っているだけで、身体からどんどんと熱が奪われていく。

 

 

宴会(パーティ)を開こうと思うの」

(は……は?)

 

 

 宴会、幻想郷ではありふれた催し物だ。

 毎月どこかでは開かれているし、大小の規模を問わなければ毎週のように開かれている。

 そして宴会の代名詞と言えば、博麗神社で開かれる宴会がまず挙げられる。

 季節の節目や異変解決を祝う宴会で、これには毎回レミリアと咲夜も参加している。

 

 

 そしてそれ以外では、紅魔館等、幻想郷の各勢力の拠点で開かれる宴会だ。

 博麗神社のものと違い、これには「力と権勢を誇示する」と言う側面がある。

 要するに、ホストする側の力が試されるわけである。

 その宴会を紅魔館で開く、レミリアはそう言ったのだ。

 

 

(な、なるほど。……え、じゃあ何で私は呼び出されたんでしょう?)

 

 

 本気で首を傾げたかったのだが、姉の視線が厳しくて断念した。

 しかし実際、そう言う話はレミリアが決めて姉が実行するのが常であったはずだ。

 それを何故、自分などにわざわざ言うのだろう。

 そんな白夜の内心を察したのか、パチュリーが溜息を吐いて。

 

 

「レミィ、それだけじゃ何も伝わらないわよ」

「あら、そうなの?」

 

 

 心の底から思い至らなかった、と言う顔をして、レミリアが椅子の背もたれに身を押し付けた。

 ぎぃ、と言う音ですら、白夜の身を竦ませた。

 

 

「咲夜ならわかるかしら?」

「勿論です、お嬢様。あれの不出来を恥じるばかりですわ」

(恥じられる側の身にもなってほしいものだけど)

 

 

 姉である咲夜ならわかるらしいが、自分にはさっぱりだ。

 

 

「とは言え、あれもお嬢様の意図を理解できぬままでは仕事に差し支えます」

「ふん、そうね。不出来な部下に労を惜しむのは主の器では無いわね」

「仰せの通りです」

(どの通りだってんですか)

 

 

 と言うか、実は姉もわかっていないのではないだろうか。

 声を殺して笑っている小悪魔の様子を見るにそうも思うが、それを確かめるような勇気は無かった。

 そんな白夜の内心を他所に、レミリアは机に肘を置いて、傲然とした様子で言った。 

 

 

「紅魔館で宴会を開くわ。そしてその場に紅魔館のメンバーとして、つまり私の妹として――――」

 

 

 自信に満ち溢れた瞳を、ほんの僅か、迷いの色を滲ませながら。

 

 

「――――フランドールを、同席させるわ」

 

 

 この段になって、白夜はようやく自分の仕事を理解した。

 それは料理の下ごしらえよりも遥かに難易度が高く、鮮烈で、かつ葬式の列に並びたくなってくる。

 そんな、仕事だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 紅魔館の宴会は、満月の夜に行われる。

 それはレミリアの力が最も強まる時間であると同時に、月を友とし夜を支配する吸血鬼としての格を示すに相応しいからと言う理由でそうしている。

 招待に応じる数はまちまちだが、宴会の時には紅魔館は常とは違う姿を見せる。

 

 

 誰も、失敗をしない。

 門番はもちろん、図書館の主と司書もこの時ばかりは表に出てきて、瀟洒なメイド長はいつにも増してキレている。

 悪戯好きの妖精メイドですら、今日は慌しそうに真面目に仕事に取り組んでいた。

 

 

「紅魔の宴へようこそ。歓迎致しますわ」

 

 

 レミリア自身もいつもと違う出で立ちと態度で、咲夜の案内で次々に会場へとやってくる参加客達を出迎えていた。

 堂々としているが傲慢では無く、丁寧ではあるが卑屈では無い。

 血のような鮮烈な紅のドレス姿の彼女は、いつにも増して美しく、そして君臨していた。

 

 

「お久しぶりです、レミリアさん。本日はお招き有難う」

「遠い所をようこそ。今宵は無礼講、堅苦しい謝辞は不要よ」

 

 

 ちなみに今やって来たのは人里近くの寺「命蓮寺」の住職、聖白蓮とその信者達だった。

 人と妖の共存を訴える珍しい教えを持っており、人里でも一定の信仰を集めているらしい。

 寺に住む妖怪もバラエティに富んでおり、毘沙門天の代理から山彦までいる。

 聖自身もウェーブがかった金髪の美しい女性であり、豊満な身体と可愛らしい服装のギャップも手伝っているのかいないのか、あるいは生来の気質ゆえか、里の人間の間で評判だった。

 

 

 彼女の他にも、紅魔館の大広間では多くの人妖が集まっていた。

 氷精や大妖精、闇の妖怪や蟲の妖怪、騒霊楽団や森の人形遣い、天狗や鬼までいる。

 形態としては立食パーティーなのだが、立ったり座ったり食べたり呑んだり踊ったりと、好き勝手極まる様相を呈していた。

 

 

「それと、紹介するわ。こちらは私の妹……」

 

 

 一通りの挨拶を済ませた後、レミリアが手を自分の後ろへと向けた。

 するとそれを待っていたかのように、その手の先にスススと歩いてくる者がいた。

 現れたのはレミリアとはデザインの違う、胸元と背中が大きく露出した真紅のドレスを纏った少女だった。

 

 

 フランドールだった、七色の翼が真紅に映えて美しい。

 緊張しているのかどこか身を固くしていて、モジモジしているようにも見えた。

 あら、と聖が感じたのは、フランドールの羽根を見てのことだった。

 

 

「私の妹、フランドールよ。フランドール、挨拶なさい」

「ふ、フランドール・スカーレット、です。宜しくお願い、します」

「まぁ、貴女がフランドールさん!」

 

 

 レミリアに妹がいると言う話は良く聞いていたが、こうして正式に紹介されるのは初めてだった。

 これは他の幻想郷の人妖の多くにも言えることで、今回の宴会は半ばフランドールの紹介のために開かれたようなものだった。

 今の所、何とか大過なく過ごしている。

 

 

「ふ、ふぅ――――……」

 

 

 姉と聖が食事の出来る方へ向かった後、フランドールは大きく息を吐いた。

 他の人間は単純に緊張している――姉であるレミリアだけは、見抜いていただろうが――ように見える彼女だが、疲労からそうしたわけでは無かった。

 だから彼女は、自分の侍女の名を呼んだ。

 

 

「白夜」

(……あー、はい)

 

 

 呼ばれた白夜は、フランドール以上にげっそりと疲れた様子で――その割に、表情には露とも現れていない――歩み寄ってきた。

 そんな彼女の手を、フランドールが目にも止まらぬ速さで掴んだ。

 

 

(――――ッ)

 

 

 咄嗟に、能力を使った。

 さもなければ手首を潰されていた、フランドールの手にはそれ程の力があった。

 ぎしり、と何かが軋むような音がして、それでも振り払わなかったのは、フランドールが震えていたからだ。

 どこか、荒い呼吸で。

 

 

(大丈夫ですよ、フラン様)

 

 

 そう思いながら、白夜は自分の手を掴むフランドールの手に、もう片方の手を置いた。

 

 

(大丈夫です、壊したくなったら私に触れてください。私は壊れないので、大丈夫です)

 

 

 狂気に陥る一刹那、フランドールにはそれがある。

 それは、己の能力に強く依存している一線だ。

 何かを意図せずに「壊してしまった時」、フランドールの心は限りなく弱くなる。

 怯え、逃げ出し、全てを無かったことにしようと暴れてしまうのだ。

 

 

 全ては、<ありとあらゆるものを破壊する程度の能力>のために。

 もとい、完全に制御できないその強大過ぎる能力のために。

 ――――この世界は、彼女には脆すぎる。

 

 

「め、目が、目が……いろんな所に、あって」

(はい、そうですね。私にはそれは見えないんですけど、でも、フラン様が怖がってるのはわかりますよ)

 

 

 例えば、薄いガラス張りの床の上に立っていたとしよう。

 ガラスの至る所に蜘蛛の巣状のひび割れがあって、その上を歩かなければならないとしたら?

 ひび割れが見えていない人間であれば、恐怖心も抱かず歩くことが出来るだろう。

 だが見えてしまっている者にとっては、恐怖に身が竦み、動けなくなるに十分な状況なのだ。

 フランドールの見ている世界は、そう言う世界だ。

 

 

(フォローしろ、って言われてもなぁ)

 

 

 レミリアの命令は、この宴会が終わるまでフランドールをフォローせよと言うものだ。

 とどのつまりはフランドールを暴走させるなと言うことだろうが、具体的に何をどうしろ、と言うようなことまでは言ってくれなかった。

 もちろん、姉も含めて。

 

 

 そもそも、レミリアはどうしてこのタイミングでフランドールをお披露目などしたのだろうか。

 今までだって一部には知れていたわけで、あえて宴会まで開いて顔見せをさせる意味があったのだろうか。

 いつもの気まぐれなのか、あるいはまた「運命を見た」だの何だと言うのだろうか。

 まぁ、どのような意図があったとしても白夜がレミリアに意見できるわけは無いわけだが。

 

 

(何かこう、フラン様の気晴らしになるようなことがあれば良いんだけど。そう言うのがそうそう都合良く……)

「お――っす! タダ飯食いに来たぜ――ッ!」

「あっ……魔理沙っ!」

(おおっと)

 

 

 その時だった、招待状片手にホクホク顔で会場に入って来た少女がいた。

 一応場の空気を読んでいるのか、珍しく正面からやって来たようだった。

 白黒の魔女衣装に身を包んだその少女は、魔理沙だった。

 からからと笑っていて、駆け寄ってきたフランドールの頭に手を置いていた。

 

 

 そして魔理沙と一緒に来たのか、もう1人、同時にやって来た人物がいる。

 その少女の名は、博麗霊夢と言う。

 艶やかで美しい黒髪に白磁の肌、紅白の腋出し巫女服を翻す少女だ。

 博麗神社と言う幻想郷でも特別な意味を持つ神社の巫女で、同様に、幻想郷の「特別な」人間だ。

 どことなく近付き難く、白夜も少し苦手だったりする。

 

 

「あら、霊夢。いらっしゃい、貴女なら今日と言わず歓迎するわ」

「妖怪の歓迎なんかいらないわよ」

「あらそう? フランドール、はしたないわよ」

「はーい!」

 

 

 そこへレミリアがやって来て、場を収める。

 フランドールも先程の不安定さが嘘のように笑顔を振りまき、魔理沙にじゃれついていた。

 置いて行かれる形となった白夜は、フランドールに掴まれていた手をさわさわと撫でていた。

 何というか、酷い肩透かしを食らった気分である。

 

 

(……はぁ)

「何をしているの、白夜。早く妹様のお傍につきなさい」

(うわっ。と、はいはいはいはいはい!)

 

 

 不意に耳元で姉の声――お客様に飲み物のグラスを届ける際にか――がして、白夜は慌てて駆け出した。

 それにさえも「走るな」と姉に注意されてしまい、白夜はしずしず歩きながら急ぐ、と言う曲芸をするハメになった。

 宴会は、まだ始まったばかり。

 急ぐ白夜の首元で、紅い宝珠が揺れていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 がはっ、と、潰れるようにしてベッドに倒れ込んだ。

 白夜である。

 メイド衣装から着替えることもせず、白夜は自室に辿り着くと同時にベッドに飛び込んだ。

 

 

(つ、疲れた……)

 

 

 窓の外を見れば、すでに空が白み始めている。

 宴会は明け方まで続いて、先程ようやく終わった所だった。

 レミリアを含めた面々も、最後の客を見送った後、使用人達の労を労って、今は自室に戻っている。

 主人が自室に戻らなければ、使用人がいつまで経っても休めないからだ。

 

 

 今は当直の使用人以外は、全員が白夜のように自室に戻っているはずだ。

 ああ、いや、唯1人の例外がいるか。

 十六夜咲夜、彼女だけは今も働き続けているのだろうが。

 

 

(ま、私には無理なわけだけど)

 

 

 ふー、と枕に顔を埋めたまま息を吐く。

 もう、今日はこのまま寝てしまおうか。

 メイド衣装が皺になってしまうだろうが、制服は何十着と支給されているので問題は無いだろう。

 ああ、でもそれこそ姉に叱られてしまうだろうか。

 

 

(あ、それは嫌だな)

 

 

 今日の仕事については、白夜もレミリアからお褒めの言葉を貰った。

 褒美として貴重な砂糖菓子を下賜もされたし、フランドールも今日は1日中上機嫌だった。

 まぁ、概ね魔理沙の存在が大きかったと思うが。

 とにかく、今日と言う1日を無事に過ごしたのは間違いない。

 

 

 明日の朝1番に姉に叱られるのも嫌だ、だから着替えようと思うのだが、身体が動かなかった。

 ああ、もう何もかもが面倒くさい。

 誰か着替えさせてくれないだろうか、などと言うどうでも良いことを考えた。

 まぁ、考えたところで着替えさせてくれる誰かがいるわけでも無かった。

 仕方が無い、頑張って起きて着替えるかと、そう思った時。

 

 

『着替えさせてやろうか?』

(あ、そうなの? じゃあお願い……って、え?)

『なぁに、俺様の力をもってすればそれくらいお安い御用さ』

(え? ……え?)

 

 

 今、自分は誰と会話したのだろうか?

 この部屋には誰もいないはずだ、まして声無き自分と会話できるわけが無い。

 紅魔館、いや姉でさえ、察してくれるだけなのに。

 

 

 あるはずの無い声。

 幻想郷において、そんな声が聞こえた時にはまず疑うべきことがある。

 すなわち、妖怪。

 これは、妖の仕業なのか。

 

 

『安心しろ、妖しいもんじゃねぇ』

 

 

 世界で最も説得力の無い言葉だった。

 と言うより、思ったより声は近くから聞こえてきているようで。

 反射的に身を起こして、キョロキョロとあたりを見渡す白夜。

 

 

(ど、どこ? どこから声が?)

『そっちじゃねぇ。こっちだ、こっち。もっと、そう、下だ。下、手前、首元だ』

(下? 手前? 首?)

 

 

 首、と言われて手に触れたのは、あの紅い宝珠だった。

 もしやと思った白夜は慌ててチョーカーを外し、宝珠を目の高さまで持ち上げた。

 

 

(も、もしかして……?)

『おう、それだ』

 

 

 宝珠がチカチカと明滅し、自己主張するかのように光を放ってきた。

 聞こえてくる声も、間違いなく宝珠から響いてきていた。

 宝珠、無機物、ずっと身に着けていたそれ。

 ひっ、と息を飲み込んだ後、白夜は声無く叫び声を上げた。

 

 

(し、喋ったああああぁぁぁ――――――――ッッ!!??)

 

 

 その叫び声に気付く者は、1人を除いて誰もいなかったと言う。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 地平線の彼方に日の光の片鱗が見え始めた幻想郷、じきに生命の賛歌を歌い上げる煌きが見えてくるだろう時間。

 妖の時間(じだい)が終わり、人の時間(じだい)となった闇夜の世界。

 幻想郷中で妖怪が眠りにつくその時間に、彼女らはそこにいた。

 

 

「ここが幻想郷。忘れられた者達の最後の楽園……か」

 

 

 影の数は、8。

 彼女らは前に出た1人――便宜上、「人」と数える――を除き、他の7人がその後ろに並ぶ形を取っていた。

 姿は人間の少女のように見えるが、人間の少女には無い部位がそうでは無いことを証明していた。

 

 

 例えば尻尾があり、例えば鱗があり、例えば翼があった。

 そして人ならざる者が放つ狂気の気配、すなわち妖気を放っていた。

 蟲の音も聞こえぬ程の静寂さは、あるいは彼女らの放つ妖気の強さによるものなのだろうか。

 先頭に立つ1人が、不意に他の7人へと振り向いた。

 

 

「さぁ、始めようか」

 

 

 先頭の1人が手を(かざ)すと、あたりに蒼い輝きが満ち溢れた。

 それは先頭の少女の手から、いや掌から、否、掌の上に浮かぶ宝石――蒼い宝珠から放たれる輝きだった。

 波動のように明滅しつつ広がるそれは、次第に世界に変化を及ぼし始めた。

 

 

 変化は、少女の足元から現れ始めた。

 砂だ。

 細かな粒子のようなそれが、少女の足元から溢れるように周囲へと流れ始めたのだ。

 それは急速に周囲の植物の水分を奪い、不思議な熱を放ち始める。

 

 

「ついに私達は――――へと至る」

 

 

 そうして、新たな異変が幻想郷を覆った。

 




最後までお読み頂きありがとうございます。
次回から本格的な異変編に入ります。
オリジナルの妖怪達によるオリジナルの異変となるため、苦手な方はどうかご注意願います。
それでは、また次回にて。

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