東方九竜子―瀟洒の妹―   作:竜華零

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STAGE10:「懐麓宮・幻想郷にて」

 哀しい、哀しい、哀しい。

 哀しみの余り、身体が2つに引き裂かれてしまいそうだった。

 「彼女」は、深い哀しみの中で目覚めた。

 

 

「――嗚呼、酷い母様――」

 

 

 閉ざされた瞳、白面の顔、子供のような矮躯。

 その身を包むのは蒼い「半分だけの衣服」。

 右袖が無く、左の肩甲骨から脇腹にかけて肌が露出し、二重構造のスカートは片方が長く片方が短い。

 小さな頭には、金銀細工と宝石で花を象った冠を被っている。

 

 

 身長よりも長い金糸の髪に、顔立ちはどこか讃に似ている。

 独特な衣装の随所に竜の刺繍が入っているが、頭の部分は失われた生地の部分にあるのだろう、どこか蛇が全身を這っているように見えて不気味だった。

 そして、胸に輝くのは台座に嵌め込まれた蒼の宝珠。

 

 

「――わたしを置いて、不動星(アイツ)を選ぶだなんて――」

 

 

 「彼女」は、母に捨てられた。

 この世の誰よりもいと高き位置に住まう、母たる天竜に捨てられた。

 竜の子でありながら、竜とは違うものに生まれた哀れな捨て子。

 ――――竜生九子。

 

 

 竜の子として生まれた彼女達は、妖怪として非常に強い格を持つ。

 それは神よりも猛々しく、魔よりも深遠であり、人よりも気まぐれである。

 だが、彼女達は竜にはなれない。

 他の何にもなれるが、竜にだけはなれない、哀しい生き物……。

 

 

「――酷い――!」

 

 

 謳うように叫べば、宝珠が蒼く輝いた。

 それはまるで「彼女」の感情を表しているかのようだ。

 つまり、収まりが無く、止めようも無く、抗いようも無い。

 溢れ出るままの、激情。

 

 

「と、(とう)――――ッ!」

 

 

 そんな中で、讃が少女の名を呼んだ。

 董、それが彼女の名前か。

 びりびりとした痛みを感じる程の、荒々しい妖気。

 無秩序に放たれるそれは、早苗や妖夢のような人間寄りの存在には厳しい。

 

 

「な、何? とても嫌な感じがします……!」

「幽々子様の前にいる時のような、寒気と緊張……!」

 

 

 董と言う少女妖怪は、その姿を目にしただけで畏怖を感じる何かがあった。

 

 

(面倒くさいわねぇ)

 

 

 そんな中にあって、霊夢だけは普段と変わらなかった。

 二重に張った結界は小揺るぎもしておらず、状況の急変を「面倒」の一言で片付けてしまった。

 そして、どうすれば労少なくこの異変を解決できるかを考える。

 終いにはそれも面倒になって腕づくになるのだが、それでも考えるだけマシと言うものだろう。

 

 

「……うん?」

 

 

 その時、霊夢はあるものに気付いた。

 そして「それ」を目にした瞬間、彼女の表情から全ての感情が消えた。

 <巫女>の視線の先にあるもの、それは――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――熱い。

 身体が熱い、全身の血が沸騰しているのでは無いかと思える程に。

 呼吸が荒い、自分を抱き締める、身動きが出来ない。

 胸元で紅の宝珠が輝いている、熱い。

 

 

(な、何? 何が……)

 

 

 自分の身体に何が起こっているのかわからず、白夜は怯えた。

 何かが変わっていく感覚。

 何かが変えられていく感覚。

 それを感じているのに、それが何なのかわからない。

 

 

 怖かった。

 

 

 誰かに傍にいてほしかった。

 誰か?

 いつも気が付けば、傍にいた誰か。

 いつでも、自分は1人では無かった。

 

 

(誰か、誰か)

 

 

 門番の所で仕事をサボっていると、必ず叱りに来て。

 司書に絡まれていると、気配を察したのかすぐに姿を見せて。

 魔女に勉強を教わっている時は、監視と称して近くにいて。

 悪魔な主に呼び出されれば、そもそもすでにしてそこにいる。

 悪魔の妹が本当に危険な時は、気が付けば助けてくれていた。

 

 

(咲夜姉)

 

 

 咲夜は、目の前で倒れたままだ。

 動かない。

 動かない姉を見て、自分の中で何かが罅割れるのを感じた。

 そんな自分に、正直、驚いた。

 

 

 いつでも完璧であった姉。

 いつも鬱陶しいと思っていた姉。

 どんな時でも、そう、どんな時でもだ。

 いつだって、それこそ物心ついた時から、姉は自分の傍にいるのが当たり前だった。

 

 

(よくも……!)

 

 

 当たり前、だったのに。

 当たり前を当たり前でなくされることが、こんなの嫌で、不愉快で、屈辱で。

 こんなにも、辛いだなんて。

 

 

(……姉さん、を!)

 

 

 ユルサナイ。

 その時、身体の中で嫌な音が響いた。

 メキメキと音を立てるそれは、背中から聞こえる。

 脳が一瞬、余りの熱さに気絶を判断しようとした。

 

 

(ア、アアア、ア゛ア゛ア゛ァ゛――――ッッ!)

 

 

 声があったなら、そう叫んでいただろう。

 だけど、声は失われている。

 だからその変化に誰も気付かなかった、白夜の慟哭は誰の耳にも届かなかった。

 たった1人、<巫女>を除いては。

 

 

 そして、反転する。

 

 

 世界が変わる。

 目に見える色の中で紅の色だけがやたらに眩しい、胸元で輝く色、身体の中を流れる色だ。

 頬を伝い顎先から零れるのは、紅い紅い一筋の雫。

 魂にまで刻まれた、血を吸う鬼の一雫。

 

 

(――――飛べ!)

 

 

 思う、それだけでそうなる。

 皆が自分に気付く、驚いた顔をする。

 どうでも良い、身体が熱い、死んでしまいそうなくらいに紅く熱い、苦しい。

 身体の中で、何かが煮え滾っている。

 

 

(苦しい、苦しい! どうしたら良いの、教えてよ、咲夜姉――――!)

 

 

 吐き出さなければ、狂ってしまいそうだ。

 思いの丈を、想いの形を吐き出さなければ、狂ってしまう!

 ――――そんな少女の背に、七色の羽根が揺れていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 十六夜白夜の生涯は、苦しみに満ちている。

 フランドールの侍従として生きる以上、それは避けようの無いことだ。

 姉である咲夜が際立って優秀だったことも、それに拍車をかけていた。

 

 

(これが)

 

 

 春雪異変以降、咲夜は輝ける存在となった。

 異変を解決する者の1人として知らぬ者はおらず、ある意味で主であるレミリアよりも名を馳せている。

 そして咲夜が輝けば輝く程に、無能な自分は陰に沈むことになる。

 誰も白夜を気にすることは無い。

 

 

 それで良かった。

 面倒事は嫌いだったから、妙に目立って危ない目に合うのが嫌だった。

 けれど、人間は光に惹かれるもの。

 皆が咲夜を見ているように、白夜もまた姉を見ていたのだ。

 

 

(これが、弾幕ごっこか――――!)

 

 

 空を飛ぶと言うことが、こんなにも爽快なものだとは。

 弾幕を放つと言うことが、こんなにも熱いものだとは。

 

 

「――消えてしまえ、すべて――」

 

 

 視界一杯に、暴力的な蒼い弾幕が散らばる。

 それは本人の千々に乱れる心を表しているかのように、不規則に動く。

 ある弾幕は連続して直角に曲がる、ある弾幕は半円を描き続ける、ひとつとして同じ動きをするものは無かった。

 これが、董の弾幕か。

 

 

 そしてそんな弾幕を、白夜の瞳は全て映している。

 こんなに間近で弾幕を見るのは初めてだ、こんなにも美しいものだったのか。

 派手だが統制の無い弾幕は隙間も多く、回避はそう難しいものでは無かった。

 大きく飛んで、ゆっくりとひとつひとつの弾幕を避けていく。

 

 

(熱い! 凄い!)

 

 

 頬を撫でる風、すぐ傍を擦過する弾幕の熱、激しく入れ替わる視界。

 胸の奥にふわっとした独特の感覚がずっとあって、正直に言って気分が悪くなりそうだ。

 だけど、凄い。

 何が凄いって?

 

 

 この美しさを、言葉で言い表せないことがもどかしい!

 

 

 目の前で弾ける弾幕の美しさは、地上で見上げていた時とは比べものにならない。

 花火とも星空とも違う、その弾幕を放った者にしか表現できない輝き。

 模倣できぬ心の形。

 興奮、そう、白夜はまさに興奮の中にいた。

 

 

「――母様のいない、こんな世界に何の意味があるのか――」

 

 

 憧れが無かったと言えば、嘘になる。

 空を飛びたい、弾幕ごっこがしたい。

 周囲の環境を思えば、そう考えてしまうのも無理は無い。

 それもまた、十六夜白夜の偽らざる本心だった。

 

 

(何が母親だ、そんなもの)

 

 

 だが、今の白夜は喜びを感じていない。

 感じているのは熱さ、自らの飛翔の後を追う七色の輝き。

 身体の中を駆け巡る熱さ、その源は怒り。

 人はその感情をこう呼ぶだろう、「復讐心(さつい)」と。

 

 

(咲夜姉を、やったくせに!!)

 

 

 ぶち(・ ・)壊してやる。

 白夜の心は今、苦しみで満ちていた。

 胸中の感情を持て余し、その熱に身さえ焦がしながら。

 

 

「――消えてしまえ――」

(消えるのは)

 

 

 瞳を血の色に染めて、白夜は飛ぶ。

 憧れの弾幕ごっこの、その美しさの中に身を飛び込ませて。

 

 

(お前だ!!)

 

 

 紅の弾幕が、何もかもを引き裂いていく。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 見ていられない、早苗はそう思った。

 人でありながら神性を得た彼女には、2人の本質がはっきりと視えていた。

 

 

「……誰か」

 

 

 広間の上方には蒼と紅の弾幕が飛び交っている、董と白夜の弾幕ごっこが行われているためだ。

 互いに互いを打ち倒そうとする意思を感じるが、早苗にはわかる。

 あの2人は、白夜と董は互いを見ていない。

 弾幕を、想いを吐き出していながら、相手にそれを伝えようとはしていないのだ。

 

 

「誰か、あの2人を止めて……!」

「――――無理だ」

 

 

 片や哀しみを叫び続け、片や苦しさに我を失っている。

 哀しみと苦しみ、早苗にはそれが視える。

 彼女にとって弾幕ごっことは、想いを目に見える形で放ち、共に気持ちを伝え合う儀式のようなものだ。

 それだけに、白夜と董の弾幕ごっこは辛いものだった。

 

 

「あちらの娘はわからないが、董は止めようが無い。あれは――あれは、天竜(はは)への慟哭を叫び続けるだけの存在なのだ」

「どういうこと?」

「あれは、あれは……不動星にはなれなかった」

 

 

 董と言う妖怪は、かつては別の名前で呼ばれていた妖怪だった。

 讃達9人の竜子の中では最も母親――つまり天竜に近い力を持ち、そのまま成長を続ければ神性をも得ていただろうと言う大妖怪だった。

 そう、「だった」。

 

 

「不動星、つまり北極星は天における最大の至宝だ。天竜にとってもそれは同じ。あれは天竜にとっての至宝になりたかったのだ」

 

 

 だが天竜は子を捨て天に昇り、二度と戻らない。

 董は絶望し、哀しみの余りに身が2つに裂けてしまった。

 比喩では無く、本当に1人の妖怪の存在が2つに裂けてしまったのだ。

 片方は讃が留めたが、もう片方は彼方へと消えてしまった。

 

 

 それが、蒼と紅の宝珠の正体。

 讃達は紅の宝珠を求めて幻想郷に来た。

 誰もに忘れられた宝珠が流れ着くのは、もはやここしかないと信じて。

 そして今、両者は最悪の形で再会を果たしてしまった。

 

 

「本当なら、余らの力で安定的に2つの宝珠を合わせるはずだった。だが余らはお前達に破れ、抑える者はもういない。董は自らが誰なのかもわからぬまま、天竜への慟哭を叫び続けるだろう」

 

 

 願いを叶える宝珠の慟哭。

 人間はそれを、災厄と呼ぶ。

 

 

「もう、どうあっても止められぬ」

「そんな……」

「…………」

 

 

 床に膝をついた体勢のまま、拳を握り、諦観を口にする讃。

 そんな讃に戸惑いの視線を向ける早苗に、どちらにも視線を向けず何故か動かない霊夢。

 

 

「それでも、何とかしないと」

 

 

 妖夢はひとり、咲夜の腕を自分の首にかけて立ち上がらせながら、上方を見た。

 そこでは変わること無く、無茶苦茶な勢いで蒼と紅の弾幕が散り続けている。

 美しさとは程遠い、咲夜が見れば何と言うだろうかと妖夢は思った。

 咲夜は、何も言わなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 現場においては<巫女>だけだったが、外部においてはそうでは無い。

 例えばスキマから全てを覗き見ている女は、その変化を最初から全て見ていた。

 

 

「あら……」

 

 

 ぱちり、と愛用の扇子を広げて目を細めるその様は、狐のようだった。

 まぁ、それは式神の方だが。

 賢者と謳われることもある彼女が目に見える形で驚くのは、非常に珍しい。

 幽々子がそれこそ「あら」と言う表情を浮かべていることからも、それがわかる。

 

 

 驚く……そう、驚いた。

 何かが起こるだろうと思ってはいたが、こう言う形になるとは思っていなかった。

 ぱちり、扇子を閉じた頃には平静に戻っている。

 すると、隣で何かが激しく動くのが見えた。

 

 

「白夜が弾幕だと!?」

 

 

 魔理沙だった。

 頭に魔女帽子を被っていないので、剥き出しの金髪が眩しい。

 寒々しい冥界にあって、ほとんど唯一の生命の色だ。

 ちなみに起き抜けの一言は「腹減った!」だった、なので手の中には藍に用意させた食事――特製きつねうどん――があり、辺りには温かで仄かな良い香りが漂っている。

 

 

「白夜さんの弾幕と言うのは、初めて見ますね」

「初めてどころじゃないだろ、異変の解決に来ても1発も撃たなかった奴だぞ」

「あの場にいないのが、残念でなりませんよ」

 

 

 愛用のカメラを弄っている文も含めて、彼女達は紫のスキマを通じて異変の様子を見守っている。

 魔理沙は目覚めた直後はかなり慌てていたが、すでに霊夢が異変の元凶と戦っているとわかると、すぐに大人しくなった。

 その後うどんを啜りながら暢気に観戦していたのだが、そこへ白夜の豹変である。

 

 

 弾幕、そう、弾幕だ。

 先にも行ったが、白夜は異変の解決に同行はしても――元々、無理矢理引き摺られて行っていたわけで――弾幕ごっこに参戦したことは無い。

 そもそも弾幕を放てず、スペルカードを持っていない白夜が弾幕ごっこに参戦できるはずが無かった。

 

 

「紫?」

 

 

 扇子を広げ、また閉じる。

 魔理沙達の喧騒も、給仕をする藍達のことも意識の外。

 そんな紫に声をかけることが出来るのもまた、幽々子だけであったろう。

 

 

「どうするの?」

 

 

 そして、そう尋ねることが出来るのも幽々子だけだ。

 知識としても、関係としても。

 そんな幽々子から視線を動かして、スキマの向こう側を見る。

 そこにある事実を見て紫は考える、幻想郷の管理者として、冷静に、冷徹に、冷然と。

 

 

 はたして、アレをどうすべきか?

 人でありながら、魔の気配を色濃く見せた者。

 それは、幻想郷で最も罪深い行為。

 紫は、ひとり静かに考えていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 もどかしい。

 白夜は、己の中の興奮が冷めていくのを感じていた。

 周囲は変わらず蒼と紅の弾幕に満ちていて、何らの変化も無い、だが。

 

 

(何で、当たらないの……!)

 

 

 弾幕が、当たらない。

 董の弾幕が当たることも無いが、白夜の弾幕が相手を捉えることも無かった。

 しかも相手は何かわけのわからないことを言うばかりで、それ以外の反応をしない。

 そう言う状況がずっと続いていて、苛立っているのだ。

 そして、何よりも重要な点は……。

 

 

(そもそも、弾幕ってどうやったら当たるの!?)

 

 

 ……白夜が、弾幕ごっこの初心者である、と言うことだった。

 そも、弾幕を撃てるのは紅の宝珠の力だ。

 対する董も蒼の宝珠の力で弾幕を撃っている、つまりは宝珠の力で押し切ることは出来ない。

 よって、後は技術の勝負となる。

 

 

 つまり、スペルカードだ。

 ただ撃ち放つだけの弾幕なら、ちょっと力のある者なら誰でも撃てる。

 だがスペルカードは、自分の心の形、その表現をはっきりと認識できていなければ創れない。

 本当の意味で、特別なものなのだ。

 白夜にはそれが無い。

 

 

(ああ、やっぱりダメだ)

 

 

 姉のように、上手くは出来ない。

 わかってはいたが、こんな時にまで露呈しなくても良いだろうに。

 畜生、と、口には出来ない言葉で悪態を吐く。

 

 

(結局、私は……)

 

 

 何も、出来ないのか。

 幼い頃から姉の後ろを歩いていた、それで良いと思っていた。

 それが今、響いている。

 フランドールの侍従(おもちゃ)と言う枠から出たことが無い白夜にとって、自分の心を表現するということは難しかった。

 

 

 わからぬままにただ弾幕を放っていても、それは本当の意味での弾幕ごっこでは無い。

 弾幕ごっことは、弾幕の――心の美しさを誇り合う遊びなのだから。

 遊び心(・ ・ ・)の無い者に、体得することは出来ない。

 今の白夜の心理状態では、とても――――。

 

 

『――――まったく』

 

 

 その時、腰に下げた金時計が微かに光ったような気がした。

 そして、胸元の宝珠も。

 

 

『本当に、しょうの無い子なんだから――――』

 

 

 こんな時に。

 こんな時に聞こえるのは、やはり姉の、咲夜の声だった。

 もしかしたなら、それこそが白夜の心の形だったのかもしれない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――妹が動きを止めたことに、レミリアは笑みを浮かべた。

 どうしたの? と問うてみれば、フランドールは姉の言葉を聞く気も無いのだろう、明後日の方を向いたまま微動だにしなかった。

 それに、レミリアはまた微笑を浮かべる。

 

 

「フラン、無視しないで頂戴。寂しいわ」

「……ウザい」

「傷つくわ」

 

 

 仲睦まじい、姉妹の会話だった。

 例えばそこが中庭のお茶会の場であったなら、さぞや見栄えのするものであったろう。

 そう、例えば破壊し尽くされた地下室でなければ。

 

 

 シャンデリアは床に落ちていて、受け止めるべき床とカーペットはいくつものクレーターによって陥没していている。

 壁紙に無事な部分は存在せず、ベッド等の家具や調度品で元あった位置に残っている物は無い。

 壁に突き立てられた燭台の火だけが、唯一の光源だった。

 

 

「ねぇ、お姉様」

「何かしら、フランドール」

「お姉様はどうして、咲夜と白夜を拾ってきたの?」

「あら、覚えていないの? 嫌ねぇ」

 

 

 首を傾げる妹に、レミリアは言った。

 

 

「貴女が言ったのよ? 『新しい玩具が欲しい』『動いて喋るお人形が欲しい』って」

「玩具、お人形……」

 

 

 もう、10年以上も前のことだ。

 正直フランドールはレミリアとの会話をいちいち覚えてなどいないので、そんなことを言ったかどうかもわからない。

 実の所、姉が適当なことを言っているだけと言うこともあり得る。

 

 

「それとこうも言ったかしらね。貴女ったら私の咲夜が羨ましくて、『お姉様ばっかりズルい』って暴れたじゃない」

「それは言ってない」

「あら、そうだったかしら?」

 

 

 レミリアは砕けたシャンデリアの上、フランドールは折れたベッドの上にそれぞれ立っている。

 薄暗い地下室の中、紅い二対の瞳が浮かび上がっている。

 

 

「まぁ、良いじゃない。結果として白夜は貴女のお気に入りのお人形になったんでしょう? パーティにまで持ち出して、見せびらかしていたじゃない。本当に私の真似をするのが好きなんだから」

「……そう言うわけじゃ」

「あら、そうなの? ねぇフラン、貴女もしかして、あれらを家族か何かと勘違いしているんじゃない?」

 

 

 紅、一閃。

 燃える剣を血の槍で受け止めて、弾く。

 4人に分身したフランドールが四方より迫るのを、身体を蝙蝠化することで回避した。

 蝙蝠達の集合場所に4人のフランドールが掌を向け、握る。

 

 

 何かの形を成そうとした蝙蝠が、それだけで爆ぜた。

 けれど蝙蝠はより小さく細かな蝙蝠となって再び集まり、ベッドの上に腰掛けた体勢でレミリアが現れる。

 シャンデリアの上にはフランドール、数秒の内に2人が入れ替わっていた。

 

 

「はしたないわよ、フラン」

「五月蝿い、えっらそうに!」

「淑女の嗜みよ」

 

 

 顎に指先で触れながら、レミリアは嗤う。

 

 

「フラン、もう何度も言っていることだけれど。咲夜と白夜は私達の(しもべ)よ。それ以上でも無いし、それ以下でも無いわ」

 

 

 家族は2人きり。

 図書館の魔女とその使い魔、そして門番も、血族では無い。

 そして、従者。

 魂にまで及ぶ噛み痕は極度の興奮状態の中で主の力を発現させるだろう、だがやはり家族では無い。

 この世で最後の純血の吸血鬼、それが自分達だ。

 

 

「僕を可愛がるのは良いことだわ。けれど、必要以上に入れ込むのはやめておきなさいな」

 

 

 何故ならば。

 

 

「あの子達は人間、いつかいなくなってしまうのだから」

 

 

 飛び掛かる。

 手を繋ぐようにそれを受け止める。

 衝撃でベッドが何の意味も無い残骸と化す、ダンスのターンのように身体を回して、投げる。

 フランドールが壁に着地して顔を上げると、レミリアは割れた爪先を舐めている所だった。

 小さく煙が上がり、傷が癒えて消える。

 

 

「フラン。貴女がいくら白夜を壊した所で、あの子が貴女の眷属になることは無いのよ」

 

 

 その笑顔が欲しかった、だから「表情を作る機能」を壊した。

 その声が欲しかった、そのために「声を発する機能」を壊した。

 勘違いされがちだが、フランドールは壊すものと残すものをある程度選択することが出来る。

 紅い瞳に「目」さえ映っていれば、選ぶことなど造作も無い。

 

 

 白夜の能力は「破壊」そのものへの耐性は強いが、本人の意識できない部分の固定は意外と甘い。

 ましてフランドール、<ありとあらゆるものを破壊する程度の能力>。

 他人の能力そのものを壊すことも、本来なら可能なのだから。

 そこまで出来ていないのは、彼女の能力が成長途上であるからだ。

 

 

「咲夜も、私の眷属になることは無いでしょう」

「お姉様は、それで良いの?」

「勿論」

 

 

 黒い羽根を広げて、レミリアは言う。

 その姿は、どこまでも孤高。

 

 

「私はレミリア・スカーレット、紅魔館の主。私でさえも、それ以上でも無ければそれ以下でも無いわ」

 

 

 それが、運命。

 

 

「大人になりなさいな、フランドール。大丈夫、また新しい玩具を見つけてきてあげるから」

 

 

 妖怪は成長しない。

 だから「大人になる」と言うのは、嫌に人間らしい表現だった。

 

 

「…………」

 

 

 妹が奥歯を噛み締めるのを、レミリアは見た。

 「玩具」「お人形」、それらの言葉に反発を覚えつつも、どう表現したら良いのかわからないと言うその心が見えるようだった。

 そもそも、どうして反発を覚えるのかもわからない。

 

 

 わからないから、攻撃する。

 そうして再び飛び掛かって来る妹に、レミリアは両手を広げた。

 まったく、しょうの無い子だ。

 

 

(なぁ、咲夜)

 

 

 だけど、それこそ「しょうが無い」じゃないか。

 だって、自分達は姉なのだから。

 そんなことで妹を見放したりはしない、見放してなんかやるもんか。

 妹達が、運命を打ち破るその日まで――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その変化は、唐突に訪れた。

 

 

「あれは」

 

 

 誰かが声を上げたその先には、紅の弾幕があった。

 それまで無秩序に放たれていた弾幕が、初めて特定の形を得たのだ。

 楔形の弾幕が放射状に放たれ、整然と並べられたそれが董へと襲い掛かった。

 あの弾幕の配列、覚えがある。

 

 

「あれは咲夜さんの……」

「スペルカード!?」

 

 

 早苗と妖夢の予測は、ほぼ当たっている。

 咲夜との弾幕ごっこを経ている2人には、弾幕の軌跡が咲夜のそれと酷似しているように見えた。

 酷似、いや、そのものだ。

 白夜が放った弾幕は、紛れも無く咲夜のスペルカードである。

 

 

        ―――― 奇術「ミスディレクション」――――

 

 

 時間停止と言う能力が使えない以上、完全では無い。

 しかし白夜の前で輝くそれは、紛れも無く姉のスペルカードだった。

 脳裏に、銀時計が振り子のように揺れる様が見える。

 そして初めて、董が意味のある行動に出た。

 でたらめに弾幕を放っていた彼女が、初めて白夜の存在を認識したのである。

 

 

『避けなさい! 拡散する弾幕は、一旦後ろに下がれば脅威では無いわ』

(う、うん!)

 

 

 やはりだ、声が聞こえる。

 気のせいでは無い。

 言う通りに後退すれば、董の弾幕は距離をとればとる程に隙間を大きくした。

 そこを抜ければ、簡単に突破できた。

 

 

(さ、咲夜姉? 何で――――?)

『今はそんなことどうでも良いわ。次、来るわよ!』

(は、はいいぃ!)

 

 

 どうして姉の声が聞こえるのかは、わからなかった。

 わからなかったが、不思議と安心した。

 白夜にとって、咲夜とはそう言う存在だった。

 いつだって恐ろしく、そして――――頼りになる。

 

 

『右! ああっ、違う。もっと相手の弾幕の動きを良く見なさい! 真っ直ぐ飛ぶだけじゃ回避なんて出来るわけ無いでしょう!』

 

 

 ただ、ちょっと五月蝿い。

 

 

(これがスペルカードか。でも、うーん……)

 

 

 考えるのは、手の中のスペルカードのことだ。

 今は姉のカードを借りている状態のようだが、先程も言ったように姉のスペルはほとんどが時間停止の能力を前提に――ナイフの配置などが典型例だ――しているため、白夜には使えない物が多い。

 使えるのは「ミスディレクション」のような簡単な物だけで、それだけでは相手の被弾を誘えそうに無かった。

 

 

『スペルカードは使い方次第よ』

(そうは言っても、使えないんじゃお話にならないよ)

『はぁ、愚図ねぇ』

(もうちょっと優しくして!?)

 

 

 その時だ、傍らに線が走った。

 両端をリボンで結ばれたそれは、小さなスキマである。

 何でこんなところに、と思った時には、すでにそこにある。

 そこから、1枚のカードが吐き出されるのを白夜は確かに見た。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

<よーし、私のカードも貸してやるぜ!>

 

 

 聞き覚えのある声――確か、白黒の魔法使い――が聞こえて、反射的にカードを手に取った。

 手に取ると、すでに魔力が込められていたスペルカードはすぐに発動した。

 

 

        ―――― 魔符「ミルキーウェイ」――――

 

 

 華やかな色合いの星型の弾幕が、空間を走る。

 見え方によって七色に輝くそれは夜空を走る宝石のようで、放った本人すら惹き付けてやまなかった。

 これまでと違うリズムで放たれたそれに戸惑ったのだろう、董の足が止まった。

 驚いているのが表情でわかる、白夜は追い縋るべく旋回した。

 

 

『畳み掛けなさい!』

(そ、そんなこと言われても……お?)

 

 

 さらに2枚、しかし今度はスキマでは無く、真下から来た。

 霊力が込められたそれを掴む、すると発動した。

 

 

        ―――― 秘術「グレイソーマタージ」――――

 

 

 コミカルな星が緑の星へと姿を変えて、周囲に拡散した。

 それは董が無秩序に放つ弾幕を次々と撃ち落とし、道を作ってくれた。

 そして、その道を。

 

 

        ―――― 人符「現世斬」――――

 

 

 霊力の塊となって、飛ぶ。

 お腹の底をぐいと引っ張られるかのような加速に、一瞬意識が飛びそうになる。

 やはり、他人のスペルは合わないのだろう。

 それでも次の瞬間には、白夜の身体は董のすぐ傍まで動いていた。

 

 

「今です、白夜さん!」

「トドメを――――!」

(え、トドメ? あ、弾幕を当てるってことか)

『当たり前のことを言わない!』

 

 

 その時、董と初めて目が――いや、相手は目を閉ざしているから、正確には違うが――合った。

 間近で見ると、妖怪相手に奇妙ではあるが、酷く幼いように感じた。

 そして今、白夜は初めて董に意識を向けていた。

 董もまた白夜を見ている、お互いに互いを意識した瞬間だった。

 

 

 まぁ、それは良い。

 それは良いのだが、ここで白夜は思った。

 トドメを刺す、と言っても、どうすれば良いのかわからなかったからだ。

 その時、ズキリと背中が痛んだ。

 

 

(トドメ、一番強い攻撃)

 

 

 心に浮かぶのは、七色の羽根。

 白夜が知る限りにおいて、破壊力と言う意味では彼女の右に出るものはいない。

 だが、想像でスペルは生み出せない。

 それでも白夜は手を伸ばした、自然とそうしていた。

 

 

(私の知っている中で、1番強い攻撃!)

 

 

 カッ、と紅の宝珠が輝いた。

 掌の中に炎が渦巻いた、そう感じた。

 それはやがて小さな長方形の形に凝縮されていき、1枚のカードへと変化した。

 宝珠の力か、それとも魂にまで刻まれた――――。

 

 

『――白夜――』

 

 

 ――――絆の、成せる技か。

 掴み取ったそのスペルカードを、握り潰した。

 発動したそれは炎の剣となり、白夜はそれを躊躇無く振り下ろした。

 

 

 

        ―――― 禁忌「レーヴァティン」――――

 

 

 

 紅炎一閃。

 白夜の知る限り、最大の攻撃力、そして貫通力と破壊力を持つスペルだ。

 いつも隠れて見ていることしか出来なかった、全てのスペルカード。

 そう、白夜はいつも、見ていたのだから。

 

 

 爆裂と爆風、熱を孕んだ風が広間に吹き荒れた。

 董の被弾の余波であって、その場にいた全員が腕で顔を庇う程の衝撃だった。

 濛々と煙が立ち上る中、肩で息をしながら様子を見る。

 こんなに動いたのは、人生始まって以来のこと……いや、人生初だったから。

 

 

(た、倒した……の?)

『いや、だから』

 

 

 既視感を感じるやり取りだが、何しろ放ったのは「レーヴァティン」。

 主たるフランドールには当然、及ばないが、それでも衝撃は相当なものだった。

 だから白夜には、これで倒せないとはとても。

 

 

『……避けなさいッ!』

(へ?)

 

 

 思えなかった、のだが。

 しかし現実には、白煙の中から飛び出して来た蒼のレーザーを、白夜は回避することが出来なかった。

 つまり、被弾し(ピチュッ)た。

 ――――人生初の、被弾(ピチュり)だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「白夜さん!」

 

 

 様子が変わった、早苗はそう感じた。

 と言うのも、今、董が放った弾幕はこれまでの物とは明確に違うものだった。

 蒼のレーザーは明らかにばら撒くだけの弾幕とは明らかに質が異なるし、何よりも白夜に当てることを意識した一撃だった。

 

 

「不味いぞ……」

「え?」

「董が目を開いている、あの娘を認識した」

 

 

 白煙の中から、蒼の輝きが現れる。

 それは陽炎の如き妖力であって、胸元の台座に固定されている宝珠から溢れ出ているものだ。

 そして閉ざされていた瞳の色もまた、蒼。

 董が動いた後には、線を引くように妖力が流れている。

 

 

 怒っている、のか?

 白夜の変化が、董に明確な意思を与えたと言うことか。

 とにかくも、ようやく弾幕ごっこらしい形になってきた。

 最も、先程の一撃で白夜が沈んでいれば意味を成さないのだが。

 

 

(い、いたたた……)

 

 

 だが、その心配は杞憂に終わった。

 何故なら白夜もまた白煙の中から飛び出してきたからで、衣服に焦げがある以外は目立ったダメージも無い様子だった。

 しかしそれも、当たり前と言えば当たり前のことだった。

 

 

 白夜は、フランドールの能力による破壊能力からも生き残っているのである。

 <時刻を操る能力>は弾幕にも有効、いや、残機と言う概念からは理想的と言えるかもしれない。

 何しろ、残機が減らないのだから。

 

 

『敵の残機を狩り切るまでは油断しない、常識よ』

(始めて聞いたよ、そんな常識)

『貴女が知らないだけよ。さぁ、次に行くわよ』

(はいはい……)

 

 

 ああ、しんどい。

 顔を上げると、今度こそ董と目が合った。

 ガラス玉のような蒼の瞳は、真っ直ぐに白夜を見据えている。

 正直、怯まなかったと言えば嘘になる。

 

 

(うわぁ、ビリビリ来るよ)

 

 

 これが、本当の意味での弾幕ごっこか。

 互いを意識している今、初めて感じる「決闘」の感覚。

 董の宝珠に共鳴するように、白夜の首元の紅の宝珠もまた、輝きを放った。

 まるで、何かを叫ぶかのように。

 

 

『思い出したあぁ――――ッ!!』

(うわぁっ!?)

 

 

 驚いた。

 いや、本当に驚いた、何しろ宝珠の声を聞いたのは久しぶりだったからだ。

 だがその時には相手が弾幕を放っていて、姉に叱咤される形で飛んでいた。

 その間も、宝珠は自分で騒いでいる。

 

 

『思い出した、思い出したぞ!』

(ちょ、何? いきなり叫ばないで欲しいんだけど!?)

 

 

 と言うか、今までの沈黙は何だったのか。

 董の弾幕をかわしながら、宝珠の声を聞く。

 

 

『思い出した、全部思い出したんだ!』

(だから何を? 何か思い出したわけ?)

『ああ! 思い出したぜ、知恵熱を出すくらいな!』

 

 

 今までの熱は、知恵熱だったのか。

 

 

『俺様は、アイツ(・ ・ ・)だ!』

 

 

 アイツとは、言うまでも無く董のことだろう。

 自分は董だと言う意味は、白夜には良くわからない。

 だが今となって、董の宝珠と自分の宝珠が無関係だと思える程に鈍くも無い。

 つまり、そう言うことなのだろう。

 

 

『アイツは俺様なんだ。俺様は、アイツの所に行かなくちゃならない!』

(いや、意味わからないんだけど)

 

 

 そればかりだ。

 正直な所、どう言う意味で言っているのかはわからない。

 わからないが、本能とでも言うべきなのだろうか。

 白夜は宝珠を首から外すと、握り締めた。

 掌の中に、宝珠の熱を感じる。

 

 

『さぁ、頼むぜ相棒!』

(相棒て。いやそれ以前に、私、近付くことすら出来ないんだけどなぁ)

『あら、それなら私に良い考えがあるわよ』

(嫌な予感しかしない……)

 

 

 身体は、やはり熱い。

 だが先程まで感じていた焦りや怒りは、不思議と消えてしまっていた。

 むしろ身体は軽く、心は軽やかになっている。

 ――――さぁ、楽しくなってきたぞ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 それが自分に近付いてくるのを、董は感じていた。

 小細工も何も無い、ただ突っ込んで来るのが見えた。

 

 

「――近寄らないで――」

 

 

 蒼の弾幕をバラ撒く。

 今度はレーザーをも織り交ぜた複雑なもので、量も質も明らかに向上していた。

 だが、スペルカードでは無い。

 自分の心を見失った者に、スペルカードが生まれることは無い。

 

 

 そして、白夜がそこへ飛び込む。

 だが彼女は弾幕ごっこの初心者、弾幕の中心に飛び込んで攻略できるだけの経験も技量も無い。

 姉のアドバイスがいくら的確でも、白夜がついていけなければどうしようも無いのだ。

 だから。

 

 

(うおおおりゃあああああぁぁっ!)

 

 

 被弾、被弾、被弾。

 これでもかと言うぐらいに被弾す(ピチュ)る、逆に清々しくなってしまいそうだ。

 下で見ている者達は、余りにも弾幕ごっこの常識を超えた行動に呆気に取られていた。

 弾幕ごっこで自分の能力をフル活用するのは良くあることだが、これは予想外に過ぎた。

 

 

 まさか、弾幕ごっこで弾幕を避けないと言う選択があるとは!

 名付けるなら、特攻『やせ我慢エクスプレス』――センスがやや心配――と言った所か。

 自身の状態を固定化できる、白夜だからこその方法だ。

 <時刻を操る程度の能力>の、意外な活用法だった。

 永遠でも刹那でも残機は減るが、完全な停止だけは残機を減らすことは無い。

 

 

「――いや――」

 

 

 弾幕に自ら飛び込んでくる白夜の姿に、董は慄いた。

 怯えている。

 何に?

 白夜の手の中で輝く、紅の宝珠に。

 

 

「――来ないで――」

 

 

 それはどうやら、本能的な恐怖に基づくもののようだった。

 後退する董、追い縋る白夜。

 しかし白夜にしてみれば、董が逃げれば逃げる程に弾幕に耐える時間が増えるのだ。

 可能ならば、早めに終わらせたい。

 

 

(と言うか咲夜姉、これちょっと酷くない!?)

『そうね、我ながら酷い作戦だわ……』

(だったら何でやらせるかなぁ!?)

『貴女がもう少し優秀だったら、もっと別の作戦を考えたわよ』

(辛辣!)

 

 

 飛ぶ。

 ひたすらに飛ぶ、弾幕を避けずに最短距離を飛ぶ。

 この広間は円形のドームのような形をしている、追い続ければいずれはチャンスが来る。

 そしてそれは、意外と早く訪れた。

 

 

 後ろを見たままの後退であるため、壁との距離が掴みにくかったのだろう。

 上昇した時に意外と天井が近くにあったことに気付き、下降したのだ。

 そこへ白夜が飛び込んだ、七色の線を引きながら飛翔する。

 もちろん互いに飛んでいるのだから、追いついたからと言って捕まえられるわけでは無い。

 

 

(この瞬間を……待ってた!)

 

 

 捕まえる必要は無い、ただ交錯する一瞬だけがあれば良かった。

 この一瞬。

 紅の宝珠を握り締めた手を振り上げる、だがその瞬間に、ふと不安が頭を過ぎった。

 

 

(本当に、これで良いの?)

 

 

 今からやろうとしていることは、ほとんど自分の思い付きだ。

 宝珠は「董の所に行きたい」としか言わないし、姉も宝珠のことを明確に知っているわけでは無い。

 最後には、自分の判断だ。

 だがはっきり言って、白夜は自分の判断にまるで自信が無かった。

 

 

 これは、弾幕ごっこのプレイヤーとしての初めての判断と言って良い。

 判断、いや決断だ。

 弾幕ごっこにおいて、勝負を決める最後の瞬間だ。

 白夜にとって、これが始めての決断の瞬間だった。

 

 

(本当に、これで……?)

 

 

 まだ、その時では無いのでは無いか?

 もう少し、様子を見るべきでは無いのか?

 ここで無理をすれば、大きな失敗をしてしまうのでは無いか?

 そうだ、やはりここはもう少し様子を見て、次の……。

 

 

「――――人間!」

 

 

 その時だ、讃の声が聞こえた。

 するとどうしたことか、胸の奥が温かくなった。

 何かに、背中を押されたような気がした。

 

 

『白夜』

 

 

 勇気(・ ・)が、湧いてきた。

 

 

『わかっているわね?』

 

 

 わかっている。

 常に、完璧であれ。

 常に瀟洒であれ、それが姉の生き様。

 紅魔の従者の生き様を、白夜は誰よりも傍で見てきたのだから。

 

 

『相棒――――ッ!』

(勝手に相棒にしないでよ……ねッ!)

 

 

 しかし、悪い気はしない。

 今はどうしてか、気持ちが前に前にと押されている。

 今ならば、何でも上手く行きそうな気がする。

 いや。

 上手く行くに、決まっている!

 

 

(行けええええぇぇぇ――――ッ!!)

 

 

 人生には、希望的観測が必要なのだ!

 だから躊躇無く、紅の宝珠を投げた。

 宝珠はまるで己の意思を持っているかのように放物線を描き、そして。

 

 

「――!――」

 

 

 董の額に、直撃した。

 光が、弾ける。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 白夜の前に、光がたゆたっていた。

 激しい光では無い。

 うっすらと浸透するような、優しい光がそこにある。

 

 

「『今、ようやく全部を思い出した』」

 

 

 白夜は、ゆっくりと降りている。

 そんな彼女の対面の位置を維持する形で、「彼女」もついてくる。

 目を真ん丸に見開く少女の前には、やはり少女がいた。

 

 

 蒼い「半分だけの衣服」に紅の生地が重ねられて、2色の生地が左右対称なものになっている。

 身体つきも幾分か大きくなっているようで、子供と大人の中間程度と言った所か。

 メッシュが入った長い金色の髪の間からは、それこそ宝石のような、蒼と紅の瞳が覗いていた。

 そして、額と胸元の台座に輝く2つの宝珠。

 

 

「『あの日、わたしは天竜を追いかけたんだ』」

 

 

 自分を置いて天へ昇る母親を追いかけたことを、良く覚えている。

 宝珠は、董は、いや、董渚(とうしょ)は、その途中で2つに別れてしまったのだ。

 追いかけたいと言う気持ちと、追いつけないと言う気持ちの2つに。

 前者は紅となって世界のどこかへ飛び、後者は蒼となって讃の下に留まった。

 

 

「『追いかけて、追いかけて……追いつけなくて』」

 

 

 竜の子とは言え、竜では無い者が天竜に追いつけはしない。

 結局、董渚の旅は天に至る前に終わりを迎え、長い年月を経て現在に至り。

 

 

「『そして、お前に出会った』」

 

 

 魔の匂いを漂わせる、「紅の」人間。

 人間の願いを叶える神具(ほうじゅ)である自分が目を覚ましたのは、きっと偶然では無い。

 だって初めて出会った時から、董渚は白夜の「願い」を知っていた。

 彼女の強い願いが、董渚の意識を呼び覚ましたのかもしれない。

 

 

「『ありがとう、十六夜白夜』」

 

 

 光の中で、董渚が言った。

 これで異変は解決された。

 心を取り戻した彼女は、もはや自分を見失うことは無いだろう。

 そしてこの異変は、白夜がいなければ始まりもしなかったかもしれない。

 

 

 だからこれは、きっと、白夜のための異変。

 今となっては、そう思える。

 悪魔か賢者か、あるいは別の存在の意思が働いているのか。

 それはわからない。

 

 

(ああ……)

 

 

 ただその時の白夜は、何だかつき物が落ちたような顔をしていた。

 お終いを、自覚した。

 滾るような熱さは、もう感じなかった。

 

 

(おしまい、かぁ)

 

 

 何かが割れるような音が聞こえると、背中側から七色の輝きが流れてきた。

 それは白夜が感じていた全ての感情を洗い流すような、あるいはその七色こそが、白夜の感情そのものだったのかもしれない。

 嗚呼、穏やかだ。

 穏やかさの中で、白夜は目を閉じた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ぼすっ。

 気が付くと、誰かに受け止められていた。

 そのまま落ちると痛そうだったので、助かったと言えば助かった。

 

 

「まったく」

 

 

 すると、溜息ひとつ。

 

 

「最後まで、手がかかる」

(咲夜姉……?)

 

 

 薄目を開けて見ると、姉が抱き止めてくれていた。

 それ自体は、別段不思議には思わなかった。

 ただ、「やられたのでは無かったのか?」と思った。

 それを言葉にするには、やや意識が薄い。

 

 

(何で……?)

「勝手に殺さないで頂戴。あんな程度でリタイアなんて冗談じゃないわ」

(そっか。よか……った……)

 

 

 宝珠が白夜の願いを聞かなかったのは、単純に宝珠の力で救う必要が無かったからである。

 実際、咲夜は少しの間気を失っていたのは事実で、そのために白夜が誤解したのである。

 そう言う意味では、咲夜としては多少の恥を感じてもいるのだろう。

 だから白夜がすぐに意識を失ったことについては、素直に「助かった」と思ったのかもしれない。

 

 

 一方で、異変が終息に向かいつつあるのは確かだった。

 と言うのも、讃が咲夜と同じように董渚を抱き止めていたからだ。

 

 

「董……」

 

 

 他の九子の妖怪達も、心配そうに様子を窺っている。

 咲夜達に重なるからだろうか、その姿はまさに姉妹のようだった。

 いや、九子は全て天竜の子であるとされているから、全員が姉妹なのか。

 似ていない姉妹もあったものだと、そう思った。

 

 

「一件落着、ですね!」

「正直、私は何でここにいるのかわからないんだけど」

 

 

 腰に手を当て豊かな胸を張る早苗と、今さらな疑問に首を傾げる妖夢。

 2人とも衣服の所々が破れていてボロボロだが、まぁ良いじゃないかと言いたげに早苗が白黒の魔女帽子を妖夢に被せた。

 何だかんだと共に笑顔な2人であったが、不意に何かに気を取られた様子だった。

 

 

「霊夢さん?」

 

 

 霊夢である。

 途中から沈黙していた彼女だが、今は何やら難しい表情を浮かべている。

 はっきりと、ただならぬ様子が窺えた。

 手の中の符をしまわず、大幣も構えたまま。

 

 

 それに気付いたのだろう、咲夜もまた霊夢の方を向いた。

 霊夢の視線は、白夜に向けられている。

 白夜。

 その背中には、今は七色の羽根は見えない。

 

 

「……ねぇ」

「何か?」

 

 

 交わした言葉は、それだけ。

 だがそのたった一言二言で、互いに相手の意図を悟った。

 霊夢が小首を傾げつつ一歩前に進めば、咲夜は妹を抱いたまま身体を横にした。

 白夜を隠すようなその動きに、霊夢の瞳がさらに細まる。

 

 

「――――良いですわ、霊夢」

 

 

 その時だ、何者かが霊夢の耳元で囁いた。

 

 

「貴女は<博麗の巫女>、貴女の判断は全てが正しいのです」

 

 

 その何者かはぬるりと空間の裂け目から腕を伸ばすと、指先で霊夢の頬を撫でた。

 クスクスとした嗤い声が、麻薬のように巫女の耳朶を打つ。

 人形を掻き抱くような仕草のひとつひとつが、妖しく美しい。

 

 

「さぁ、疑わしきは罰しましょう。幻想郷は箱庭の理想郷、ほんの僅かな歪みも許されないのだから」

「…………」

「さぁ、私の霊夢」

 

 

 博麗霊夢は、黙したまま語らない。

 おそらく自分に絡みついて来ている妖怪のことすら、意識していないのだろう。

 結局の所、彼女は己以外のことを信じていないのだ。

 信じているのは、自分自身の判断だけ。

 その判断は、すなわち幻想郷にとっての法となる。

 

 

「…………」

 

 

 咲夜にも、それはわかっている。

 かつて主の引き起こした異変において霊夢の向こうを張ったからこそ、わかっている。

 霊夢の側から発せられる独特のプレッシャーを感じてか、額に汗が滲むのを止めることが出来ない。

 流石の紅魔の狗も、幻想郷の巫女と真面目に相対すれば緊張は隠せない。

 

 

 だからと言って対応は変えない、変えるはずも無い。

 何となれば、瀟洒の称号を投げ捨ててでも抵抗する。

 2人ともがそんな風だから、異変を解決した場でありながらピリピリとした空気が漂っていた。

 そのまま少しの時間が過ぎて、そして次に声を発したのは。

 

 

 

「なーにやってんだよ、お前ら」

 

 

 

 こつん、と、霊夢の頭から良い音がした。

 頭を擦りながらそちらを見やれば、そこに金髪の白黒魔法使いが呆れた顔をして立っていた。

 どうやら柄で叩いたらしく、その手には箒が握られていた。

 いつの間に現れたのか。

 空中でふよふよと浮いている紫を睨むと、我関せずと言った風にそっぽを向いていた。

 

 

「魔理沙、あんたねぇ」

「異変は解決したんだろ? ならこんな所でうだうだやってないで、さっさと帰って宴会やろうぜ! あ、その前に妖夢、帽子返してくれ、頭が寒い」

「ちょっと! ああ、もう」

 

 

 頭をガシガシと掻いて咲夜の方を見ると、どうやら毒気を抜かれたのは同じようで、微妙な表情を浮かべていた。

 救われたような顔をしているように見えるのは、やや穿ち過ぎだろうか。

 どちらか、あるいは両方、か。

 ――――考えるのが面倒になって、霊夢は大きく息を吐いた。

 

 

「おーい、霊夢! ちゃんと宴会の準備してから来たんだろうな!」

「……片付けくらい手伝っていきなさいよね!」

「善処するぜ」

「どうだか」

 

 

 大幣と符を袖の下にしまうのを見て、咲夜もようやく肩の力を抜くことが出来た。

 早苗達も、胸を撫で下ろしている。

 溜息ひとつ――もう、癖のようなものだ――吐いて、腕の中ですやすやと眠る妹を見つめる。

 何の不安も感じていなさそうな、平和な寝顔だ。

 

 

「まったく、いい気なものね」

 

 

 前髪が瞼の上にかかっていて、不意に取ってやりたい気分になったが、やめた。

 手が塞がっていると言うのもあるが、何よりも。

 

 

「あやややや。これは失礼、どうぞお気になさらず」

 

 

 いつの間にそこにいたのか――スキマに便乗したのだろうが――カメラを構えた鴉天狗が、「どうぞどうぞ」と手を振っていた。

 我ながら、相当のジト目を向けているとわかる。

 それに対して、鴉天狗――文の渾身の笑顔。

 

 

「お、おや? 姿が消え……何故にナイフに囲まれて!?」

 

 

 時間停止、ナイフ配置の後、そのまま歩いていく。

 後ろで何かが着弾する音が響いたが、そちらはもう咲夜の意識から消えている。

 自分のダメージを気にしつつ、歩くだけだ。

 歩く。

 

 

 妹を抱えて、歩く。

 それはどこか、咲夜自身の生き様を表しているように思えた。

 本人は否定するかもしれないが、物心ついてから、ずっとそうやって生きてきたのだから。

 答えは、それこそ子供の頃から腕の中にあった。

 今でも、そしてきっと、これからも。

 




最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
たとえどんなに辛くとも苦しくとも、更新すると言ったら更新するんだ……!

お、終わったー!
いや今話は特に難産でした、いやまだエピローグありますけど!
とりあえずEXステージもクリアと言うことで、後はイベントをひとつ残すのみ。
今となっては、1年もあっと言う間でしたが……。
それでは、もう少しだけお付き合い下さい!
また来月、お会いしましょう。

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