東方九竜子―瀟洒の妹―   作:竜華零

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STAGE9:「懐麓宮・宝珠の間にて」

 ――――信じられないことが起こっていると、白夜は思った。

 魂魄妖夢は、終わらぬ夜の異変を解決した立役者の1人だった。

 東風谷早苗は、空飛ぶ宝船の異変に深く関わった人間の1人だった。

 姉・十六夜咲夜に至っては、いくつの異変解決に駆り出されたかわからない。

 

 

 3人のいずれもが、異変を起こす側・異変を解決する側の両方を経験した稀有な人間だ。

 幻想郷において、そんなことが出来る人間はそうはいない。

 超人。

 そう、超人――半人半霊、現人神、悪魔の狗。呼ばれ方は様々だ――である。

 白夜にとって3人の少女はまさに超人の域に達していた、なのに。

 

 

「――――素晴らしい」

 

 

 謳うように、まさにそう表現するのが正しいと思えた。

 言葉を発し、立っているのは讃だった。

 黄色い皇帝衣装を床に引き摺るようにして立ち、片手には蒼い宝珠を持っている。

 周囲に土埃が舞っているのは、つい先程まで激しい動きがあったことを物語っている。

 

 

(……どうして)

 

 

 白夜には、わからない――いや、信じられなかった。

 

 

「素晴らしい人間達だ。勇敢で、容赦が無く、そして強い。余の長い生の中で、これ程に勇気に満ちた人間は、はたして何人いただろうか……?」

 

 

 何故、讃とか言う敵の親玉(ラスボス)が平然と立っていて。

 

 

「ぐ、く……!」

 

 

 妖夢が刀を杖代わりに、膝をついていて。

 

 

「……これは、想定外です……」

 

 

 早苗が、床にうつ伏せになって倒れていて。

 

 

(どうして)

 

 

 その光景は、白夜にとって信じ難いもの。

 信じたくないもの。

 大きな眼を真ん丸に見開いて、白夜はその光景を凝視していた。

 

 

「…………」

 

 

 額が切れているのだろうか、白面が朱色の血に染まっていた。

 肩口のパフスリーブが破れて、スカートの左側が抉り取られたかのように千切れて、青痣や土埃に汚れた白い肌が覗いている。

 立ってはいるが、痛めでもしたのか右肩が下がっており、いつもの凜とした様は鳴りを潜めている。

 膝は今にも折れそうに震えていて、いつ倒れ込んでも不思議では無いように思えた。

 

 

 あの姉が。

 あの十六夜咲夜が、<完全で瀟洒な従者>が。

 こんな、まさに無様としか形容できない様を晒しているなど、白夜には信じられなかった。

 信じられる、わけが無かった。

 

 

(どうして、咲夜姉達の方が負けそうになってるの――?)

 

 

 はっ、と熱を孕んだ吐息を漏らすのは、緊張のためか、嫌な予感でもするのか。

 それとも。

 火傷しそうな程に胸元で熱を放ち続ける、紅い宝珠のせいか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 自惚れるつもりは無い。

 狭いようで広い幻想郷、上には上がいるものと理解している。

 主人が引き起こした冬の異変以降、もはや妖夢は井の中の蛙では無かった。

 しかしだ。

 

 

「こ、こんなことが……!」

 

 

 3人。

 妖夢、早苗、そして咲夜の3人が立て続けに破られる等、俄かには信じられなかった。

 自分を含めて過去の異変解決に大きな役割を担った、いわば弾幕ごっこのスペシャリストだ。

 それが、幻想郷に来たばかりの新参の妖怪にことごとく遅れをとるなど。

 

 

「あ、あってたまるかぁ――――!」

 

 

 疲労した身体に鞭打って、身を低くして跳ぶ。

 楼観剣を横薙ぎに振るう、讃は身を引いてそれをかわした。

 同時にばら撒かれる桜色の弾幕から逃れて空へ、当然、妖夢はこれを追った。

 讃が放つ黄色の弾幕を掻い潜って、相手の喉元を狙って刺突した。

 

 

 胸を逸らしてかわす讃。

 かわし切れずに、楼観剣の切っ先が帽子を飛ばした。

 身を翻すように離れる讃。

 妖夢から離れるために身体を縦にぐるりと回す形となり、一瞬、背を見せる形になった。

 

 

(ここだ!)

 

 

 妖夢は決断した。

 

 

        ―――― 人符「現世斬」――――

 

 

 勇をもって踏み込む、スペルカードを切って一気に飛び込む。

 しかし、そこであり得ないことが起こった。

 妖夢の刀によって飛ばされた帽子が、落ちて来たのだ。

 あろうことか、妖夢の顔の上に。

 

 

 普通、あり得ない。

 妖夢程の弾幕ごっこの経験者が、空中で邪魔になりそうな物を見逃すはずが無い。

 仮に視界に止まれば、一瞬速く動くなり、逆に遅く動くなり、とにかくタイミングを図ったはずだ。

 決断するタイミングを、である。

 有体に言って、妖夢はそのタイミングを誤ったのだ。

 

 

 

「く!」

 

 

 当然、帽子を弾き落とす。

 だが遅い。

 その時には讃は完全に身を回していたし、スペルカードを宣言し終えていた。

 

 

        ―――― 宝珠「如意宝珠」――――

 

 

 宝珠が蒼の輝きを放ち、放射状に弾幕を放った。

 反応が遅れた妖夢は、ここでさらに普段の彼女ではあり得ない状態に陥った。

 迷ったのである。

 しかもそれは小さな迷いで、「どっちに避けようか」と言う、その程度のものだ。

 一瞬の判断を迫られる弾幕ごっこにおいて、その隙は致命的だった。

 

 

        ―――― 奇跡「白昼の客星」――――

 

 

 緑の弾幕の花弁が天井を覆い、そこから数条のレーザーと付属弾が広間を満たした。

 頭上から降り注ぐそれらの弾幕を、讃は右から左へと流れるように飛びつついなしていった。

 

 

(妖夢さん……!)

 

 

 讃の弾幕に飲み込まれて墜ちていく妖夢、それを横目にしつつ、早苗は唇を噛んだ。

 だって、明らかにおかしいのだ。

 讃は確かに強い、だがこれまで戦ってきた妖怪と比べて強すぎるかと言えば、そんなことは無い。

 彼女より密度の濃い弾幕、彼女より緻密な配列の弾幕、彼女より美しい弾幕――――。

 

 

「残念ながら、余に同じ弾幕は通じぬ」

 

 

 その全てを早苗は見てきた。

 そして全てに対して突破口を見出し、それこそ<奇跡>と言うに相応しい勝利を何度も重ねてきたのだ。

 なのに、それなのにどうして。

 

 

(神奈子様、諏訪子様……ッ!)

 

 

 どうして、こんな弾幕をかわせないのか。

 いざ回避の行動を取ろうとしてそれが出来ず、硬直したように動かない身体に絶望する。

 親とも言うべき神々に祈りを向けるも、その事実は動かない。

 妖夢と同じように、早苗もまた弾幕に飲み込まれていった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ひらひらと、魔理沙の黒帽子が足元に落ちて来た。

 それを拾おうともせず、白夜はただ正面を見つめていた。

 

 

「余は、お前達のような勇気ある人間が大好きなのだ」

「……あまり、油断しない方が良いわよ」

 

 

 何もかもが歯が立たずに、床に倒れ伏した妖夢と早苗。

 信じ難い光景だ。

 ほんの少し前まで、想像もしていなかった。

 

 

(……いやだよ)

 

 

 どうしてそう思ったのか、わからない。

 ただ白夜の視線は、変わることなく姉の背中に注がれていた。

 傷つき、今にも膝を折ってしまいそうな姿だ。

 

 

 知らず、宝珠を握る手に力がこもった。

 掌に熱を感じるが、そんなことは頭に無かった。

 今、白夜の頭を占めるのはそんなことでは無い。

 信じ難いでは無く、信じたく無いもの。

 想像できないでは無く、想像したく無いもの。

 

 

(いやだよ、咲夜姉……!)

 

 

 一方で、咲夜としても今の状況は不本意極まりないものだった。

 敗北したなどと口が裂けても言えないが、敗北しつつあるこの状況。

 主たるレミリアが知ったらどう思うかと、そんなことを考えた。

 

 

「だが、行き過ぎた勇気が無謀となるように――――」

(普通に、考えるなら)

「――――抑え過ぎた勇気は臆病となるのだ」

 

 

 それは、早苗が考えていた疑問とほぼ同じだ。

 強いが脅威を覚える程では無い、優れた弾幕だが攻略できない程では無い。

 ならば何故、こうまで劣勢を強いられているのか。

 この幻想郷においては、答えは一つしか無い。

 

 

(何らかの能力を、使っている)

 

 

 程度の能力、と呼ばれるものがある。

 幻想郷には咲夜の<時間を操る程度の能力>のように、固有の特別な力を持つ者達がいる。

 それは特技や性格を表したものから、物理法則を無視する超常の力まで様々だ。

 この讃もおそらく、弾幕と併せて何らかの能力を使用していると見て間違いが無かった。

 

 

「さぁ、お前が最後だ。そして宝珠を奪い、我らは天へと至る」

「……言ったそばから」

 

 

 それはさせない。

 天云々は関係ない。

 それはさせない、それだけのこと。

 

 

「また油断!」

 

 

 目には目を、能力には能力を。

 相手がいかなる能力を使用していたのだとしても、止まった時の中で何が出来るものか。

 ――――時よ、止まれ!

 

 

        ―――― 幻符「殺人ドール」――――

 

 

 咲夜の十八番のスペル、幻符「殺人ドール」。

 周囲に無数のナイフを配置し、再び時間が動き出すと同時に対象へ殺到するスペルだ。

 対象の感覚では、一瞬の内にナイフに取り囲まれたかのような錯覚に陥るだろう。

 事実、このスペルを完璧な形で攻略した者は数える程しかいない。

 

 

(負けられないのよ)

 

 

 銀時計が揺れ、指を鳴らす。

 勝利を得るために。

 自分を信じて送り出した主のために、そして。

 

 

(――――あの子の前で!)

 

 

 完璧でなければならぬ、瀟洒でなければならぬ。

 それは、咲夜が己に課した誓約。

 紅い霧の異変の時、それは1度は破られた。

 2度目は無いと、己で決めている。

 

 

(獲った――――!)

 

 

 讃は油断していたのだろう、碌な反応も出来ないままに咲夜のスペルに晒された。

 無数のナイフが頭上から降り注ぎ、豪雨のように銀の閃光が叩きつけられる。

 避けられるはずも無い。

 柄にも無く咲夜が勝利を確信しただったが、しかしその直後、目を大きく見開いた。

 

 

 スペルの効果が終わり、夥しい銀のナイフが床に突き刺さっている。

 そしてその中で、讃はそれ以前と変わらぬ様子で立っていた。

 せいぜいが、衣服にいくつか切れ目が入っていることぐらい。

 直撃には、程遠かった。

 

 

「……決断と言う言葉が、あるよなぁ」

 

 

 ぽつりと、心中を零すかのように呟く讃。

 

 

「何かの行動を決める時、そこには必ず何らかの決断がある。例えば今のスペル、弾幕の配置には必ず決断がある」

 

 

 弾幕ごっこにおいて、「絶対に回避できない弾幕」は張ってはならないことになっている。

 だから当然、今の咲夜のスペルにも回避ルートと言うのは存在する。

 設定された回避ルートをいかに見破るかで、弾幕ごっこの勝敗は決すると言って言い過ぎでは無い。

 

 

「だがもし、その決断が間違っていたとしたら?」

 

 

 咲夜が設定したルートは、まさに讃が今立っている位置。

 つまり「その場から動かなかった場合」の、まさにその位置だ。

 讃の言葉を借りるなら、咲夜がそう「決断した」。

 

 

「間違った決断からは何も生まれない。そう、何も、な」

 

 

 讃が振り向く、その手には蒼の宝珠が輝いている。

 今にも弾幕が放たれようとしているそれに、咲夜の反応はやはり遅れた。

 即座の決断、それが出来ない。

 妖夢と早苗が嵌まった術中に、咲夜もまた嵌まろうとしていた。

 

 

 敗北するわけにはいかない。

 その気持ちばかりが空回りする現状に、咲夜は唇を噛んだ。

 瀟洒なメイドが苦渋に顔を歪める、その刹那。

 

 

(咲夜姉!)

 

 

 妹従者が思わず一歩を進んだ、その直後。

 

 

 

 どんっ!

 

 

 

 大きな音が、響いた。

 それは床を揺らす程に大きな音で、パラパラと天井から土埃が落ちて来た。

 しかもその音は、だんだんと近付いてきているような気がした。

 

 

「何だ……?」

 

 

 何事かと誰もが手を止めた、その時だった。

 広間の扉が、爆発した。

 実際に爆発したわけでは無いが、そうとしか形容できないような形で、鉄製の大扉が吹き飛ばされたのだ。

 舞い上がる土埃の中から、何かが飛び出して――否、投げ出されていた。

 

 

「覇下」

 

 

 讃が呼んだ名前は、早苗が倒したあの水路の妖怪だった。

 やけにボロボロの姿で、気を失っているのか、まな板の上の鯉のようにビクビクと跳ねている。

 そして、続いて、出てきた。

 土埃が落ち着いてくると、まず蹴りの形に突き出された足が見えた。

 

 

 その足は赤い衣服――紅白の巫女装束に包まれていて、黒髪の少女がそれを纏っていた。

 少女は据わった目で広間をぐるり見渡すと、小さく首を傾げた。

 そうして、どこか不機嫌な声音で讃を見据え、言った。

 

 

「あんたが、異変の犯人(ラスボス)?」

 

 

 博麗霊夢が、そこにいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 博麗霊夢。

 その存在の意味は、もはや説明するまでも無い。

 

 

「「<博麗の巫女>!」」

 

 

 右から贔屓が、そして左から蒲牢が飛びかかるのが見えた。

 それに対して霊夢が取った行動は、右から左へと視線を流しただけだった。

 白夜があっと声を上げた次の瞬間には、全てが終わっている。

 

 

 左脚を軸に、くるりと一回転。

 一言で言えば霊夢がしたのはそれだけで、それだけで蒲牢の輿と贔屓の銭束をかわしてしまった。

 擦り抜けるように、右から来た贔屓が左へ、左から来た蒲牢が右へと流される。

 

 

「なぁ」

「う?」

 

 

 そして、鈍い音が響く。

 紅白の陰陽玉が贔屓と蒲牢の後頭部に直撃した音であって、2人は目から星が飛び出した心地で、気を失ってしまった。

 妖夢の一太刀のダメージが残っていたとは言え、2人の妖怪を一瞬で打ち倒してしまうとは。

 

 

「あんたも異変(あっち)側?」

 

 

 そして、上から襲いかかって来た鎧眦も。

 衣服が刀の裂傷の形に裂けてしまっているから、隠すべきものも隠せていない有様だ。

 それでも彼女の爪の一撃は鋭く速く、霊夢の柔肌を引き裂かんと振り下ろされた。

 

 

「なら、退治するわ」

 

 

 躊躇など、一切なかった。

 鎧眦の一撃を大幣で受け止め拮抗させると、殴りつけるかのように左手を大幣に当てる。

 それだけで押し返され、鎧眦は一度空へと逃れた。

 一見すると霊夢が相手を膂力で押し返したように見えるが、実際には、霊力の衝撃で吹き飛ばしたと言った方が正しい。

 

 

「くそ……!」

「遅い」

 

 

        ―――― 霊符「夢想妙珠」――――

 

 

 鎧眦がスペルカードを出した時には、すでに霊夢は宣言を終えている。

 五色の弾幕が鎧眦の身体を立て続けに襲い、打ち上げ、そして墜落させた。

 悲鳴を上げて、そして顔から床に墜ちた鎧眦は、そのまま倒れ伏した。

 一瞥もくれずに霊夢は広間の中央へと足を進めた、すなわち異変の元凶である讃に向かって。

 

 

「あんたが親玉ね?」

「だとしたら、どうすると言うね?」

 

 

 その時、床で倒れている早苗や妖夢を見た。

 咲夜を見て、それから白夜を見た。

 一瞬、白夜の姿があることに眉を動かした以外は、何らの反応も返さなかった。

 

 

「決まっているじゃない、退治するわ」

「余達は幻想郷(ここ)に害を成すつもりは無いぞ?」

「いるだけで邪魔になるのよ」

「酷いことを言う」

「砂が飛ぶから、いくら掃いても境内が綺麗になりゃしない」

「それこそ言いがかりでは無いのかね……」

 

 

 鼻で笑って、霊夢は顔にかかった髪を払った。

 言いがかりだろうと何だろうと、霊夢のやることは変わらない。

 変わるはずも無い。

 だって彼女は、<博麗の巫女>なのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 弾幕が、飛び交う。

 妖怪と人間、讃と霊夢の弾幕だ。

 広間の全ての空間を使って炸裂するそれは、美しくも凶悪な威力を持って弾けた。

 

 

 下を見つつ讃が飛ぶ、その後方を3枚の霊符が追走する。

 不規則な機動で追いかけてくるそれを、まず1枚を宝珠の障壁で弾く。

 霊力の反発で火花が散って障壁が消えた、これにはさしもの讃も驚いた。

 残り2枚、縦と横にそれぞれ回転、肌1枚布1枚を切らせ(グレイズし)て回避した。

 

 

「流石は、<博麗の巫女>と言った所か!」

「妖怪が褒めても何も出やしないわよ」

 

 

 そうして、さりげなく後ろに回っている。

 他の人間のように「飛行する」と言う感じでは無く、どこか「浮いている」と言った方が正しい。

 不思議な飛び方をする。

 こんな飛び方をする人間は、数百年の生の中で見たことが無かった。

 これが<博麗の巫女>、楽園の守護者か。

 

 

「余の今回の所業を異変と断ずるのであれば」

 

 

 弾幕を張り、霊夢の接近を阻止する。

 左右に並べて配置された弾幕は、右から左へと時間差で空中を滑っていく。

 それに対して一旦飛ぶ速度を落とした霊夢は、しかし次の瞬間には急加速した。

 身体をぐるぐると回しながら徐々に速度を上げ、時間差で襲い来る弾幕を全て回避してしまった。

 

 

「そして妖怪を倒すのは人間、それが異変のルールなのであれば」

 

 

 お返しとばかりに、再び霊夢が懐から取り出した霊符をバラ撒く。

 ヒラヒラと落ちた符が、次の瞬間、自分の意思でもあるかのように飛ぶ。

 後ろ向きに急加速、霊夢から距離を取りながら讃は言った。

 

 

「お前を倒せば、この異変は完遂されると言うわけだ!」

「残念だけど、それは無理ね」

「ほう、何故だ?」

「私が巫女になってからこっち、異変を完遂した奴なんていないからよ」

 

 

 妖怪が、異変を起こしやすく。

 人間が、異変を解決しやすく。

 それがルールだ、だから幻想郷において異変とは「完遂されないもの」である。

 だが、と讃は言う。

 

 

「ならば余の異変は、その最初の1つとなる」

「何? そこまでして幻想郷を砂まみれにしたいわけ?」

「そうでは無い。砂漠の進行は余の居城の出現に呼応したもの。それが目的では無い」

 

 

 讃達、8匹の砂漠の妖怪には目的がある。

 それは他の者からすれば、きっと理解はされないだろう目的。

 生まれた時、彼女らの魂に刻まれた、いわば本能とも言うべきもの。

 それはもはや、衝動と言って良かった。

 

 

「我らは今宵、天へと至る」

 

 

 すなわち。

 

 

「こんな話を聞いたことは無いかな? 人間よ」

 

 

 天に輝く7つの星あり。

 其は星座の王、天竜の星なり。

 天竜は星に非ず、不死の竜なり。

 地より生まれ、空に昇り、天を支配する存在(もの)なり。

 

 

「そして天竜が北の果ての秘宝、すなわち不動星を手にした時。彼女は天下を支配するだろう!」

 

 

 讃の手の中で、蒼の宝珠が輝きを放つ。

 それは膨大な量の弾幕を放ち、霊夢の接近を阻んだ。

 弾幕の向こう側にいるであろう妖怪を見つめ、霊夢は目を細める。

 それは、力の象徴だった。

 

 

「しかし、彼女が天下を支配することは無い。何故ならば!」

 

 

 讃と言う妖怪の、力の象徴。

 天へと至る力。

 彼女らにとっての、不動星となるべきもの。

 

 

「我らこそが天竜(はは)に成り代わり、遍く天下を支配する! 幻想郷は、その礎となるのだ!!」

 

 

 竜が生んだ妖怪、竜生妖怪。

 それこそが讃達の正体、彼女らの望みは、天竜を追い落とし、自分達こそが天へと至ること。

 今回の異変の、発端とも言うべきものだった。

 

 

「ふぅん、だから何だって言うの?」

 

 

 しかし、一方の楽園の守護者。

 霊夢はつまらなそうな表情を崩すこと無く、讃の言葉に対して思うことも無かった。

 大幣の柄を掌に打ちつけ、「御託は良いのよ」と嘆息する。

 

 

「あんたは異変を起こす、私は異変を解決する――――それだけよ」

 

 

 それ以外に、何も必要は無い。

 博麗霊夢と言う人間の芯は、いささかもブレることが無かった。

 弾幕の宴が、続く。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 霊夢は、他人への興味が薄い少女だ。

 だから咲夜達の状態を見ても、特に何か声をかけてくると言うことは無かった。

 今回ばかりは、それを少し有難いと思った。

 

 

(天竜、と言ったかしら)

 

 

 霊夢と讃の会話は、咲夜の所にも届いている。

 だが正直、その全てを理解している言うわけでは無い。

 咲夜も天竜と言う言葉自体は聞いたことがあるが、それがどう言った存在なのかまではきちんと理解していない。

 それこそ、パチュリーなら何か知っているかもしれないが。

 

 

 ただわかるのは、讃達がその天竜とやらに成りたがっているのだと言うこと。

 今回の異変はいわばそのおまけのようなもので、この戦いもその延長なのだろう。

 天竜とやらになるのは勝手にしてくれれば良いが、自分達に影響を与えるのならば看過は出来ない。

 この異変は、つまりはそう言う理由で起こったものなのだった。

 

 

「う、霊夢さんが来たんですか」

「2人とも、大丈夫?」

「な、何とか……」

 

 

 その時、顔を擦りながら早苗が身を起こした。

 妖夢も刀を杖代わりに立ち上がっている、やはり弾幕の威力自体はそれ程では無かったのだ。

 そしてこの2人も、咲夜が感じていたように、讃の弾幕に違和感を覚えていた。

 

 

 すなわち、讃の能力の正体。

 戦いを終えて、落ち着いて考えてみればその正体はうっすらとわかってきた。

 それは、讃の言動の中にヒントがある。

 

 

「何と言うか、何かをしようとするとことごとく失敗すると言うか」

「逆に、何かをしようとして出来なくなったりとか……」

「そして、『決断』と『勇気』。つまり、そういうことなのでしょうね」

 

 

 物事の成功と失敗は、全て人間の行動に起因する。

 そして人間の行動は、無意識の感情によって影響を受ける。

 讃の能力とは、そうした人間の無意識の感情――おそらく『決断』か『勇気』――に作用するものなのだろう。

 人間の感情に影響を与える類の能力、咲夜達の行動を縛ったのはそれだろう。

 

 

「霊夢は、流石ね」

 

 

 今、讃がその能力を使用しているのかはわからない。

 だが頭上で戦っている霊夢は、讃に対して互角以上の戦いを見せていた。

 その体捌き、弾幕は、流石としか言いようが無い。

 しかも過去の経験からして、まだ全力では無い。

 

 

 だが、どうだろうか。

 いくら霊夢に実力があると言っても、彼女も人間だ。

 感情のある人間である以上、感情に影響を与える能力を前にしてどうなるか。

 そしてもし、万が一、霊夢が敗北するようなことがあれば。

 

 

「…………」

 

 

 咲夜は首を動かすこと無く、視線を動かすだけで白夜を視界に収めた。

 何やら口を開けて上の戦いを見ている様子で、こちらに気付くことは無い。

 だが宝珠の熱は冷めていないのだろう、掌で覆ったままだ。

 

 

(もし、この異変の解決に失敗するようなことがあれば)

 

 

 異変を起こす者達の目的、これまでの行動。

 それら全てを思い起こして、咲夜は目を細くして妹のことを見つめた。

 

 

(その時は……)

 

 

 妖夢や早苗が霊夢の戦いを見ている中で、咲夜だけは別のものを見ていた。

 それにどう言う意味があるのか、どんな『感情』に起因する行動であるのか。

 実の所、咲夜自身にも良くわかっていないのかもしれなかった。

 わかっているのは、ただ1つ。

 それは彼女が<完全で瀟洒な従者>であるという、それだけであった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――再び冥界、白玉楼。

 スキマ越しに全てを見ていた一堂は、紫が「パチリ」と扇子を閉じた音を聞いた。

 紫が声を発するまで、誰も何の言葉もかけなかった。

 

 

 この妖怪の賢者は、この幻想郷の管理者は、あの讃とか言う新参の妖怪の言葉に何を思うのだろうか?

 幽々子は愛用の扇で口元を隠して動かず、藍は橙と共に襖の陰から出ない。

 魔理沙を膝枕している文は、興味深そうにニヤニヤと笑うばかりだ。

 言葉どころか、音も立てずに紫の言葉を待っている。

 そして、紫の形の良い唇が紡いだ言葉は。

 

 

「ねぇ、幽々子」

 

 

 意外なことに、親友への呼びかけの言葉だった。

 

 

「貴女はどうして、もう一度異変を起こさないのかしら?」

「……?」

 

 

 さしもの幽々子も意図を計りかねたのか、これには小さく首を傾げた。

 確かに彼女は、かつて異変を引き起こしたことがある。

 それはある目的をもって引き起こされたものだが、<博麗の巫女>、つまり霊夢の手で解決された。

 それ以来、幽々子は異変を起こしていない。

 

 

「そもそも、どうして異変は一度限りなのかしら?」

 

 

 いや、それ以前に。

 レミリア・スカーレットを始めとする過去の異変の首謀者達は、どうしてもう一度異変を引き起こさないのだろうか。

 やろうと思えば何度でも出来るはずなのに、どうしてだろうか。

 

 

「そこの記者さんはどうかしら? もう一度霊夢と戦ってみたくは無いのかしら?」

「あややや、私は記者なので。記者は自分では事件を起こさないものですよ」

「なら質問を変えましょう」

 

 

 愛用の扇子を開き、問う。

 

 

「もう一度、異変を解決しに来た霊夢と戦いたいかしら?」

「…………」

 

 

 異変を起こす者、期せずして異変に加担する者。

 じゃれ合いのような戯れならば、数え上げるのも馬鹿らしくなる程にあるだろう。

 いつかの宗教戦争しかり、だ。

 しかし、明確な意思をもって異変を起こすとなると別だ。

 

 

「同じ異変は、2度起こらない」

「二番煎じはつまらないじゃない?」

「そうね、その通りだわ」

 

 

 幽々子の言うことも最もだ、同じ芸を続けるなど美しくない。

 だがそれでも、異変をもう一度起こさない理由にはならない。

 必要が無い、と言う意見もあるのかもしれない。

 それはそれで、理由になるのかもしれない。

 

 

 だが紫は、そうは考えていなかった。

 だからこそ彼女は、讃の言葉に対して何も返さない。

 何故なら、信頼しているからだ。

 当代の<博麗の巫女>を、信頼しているからだ。

 

 

霊夢(あのこ)に異変を解決された誰もが、霊夢に対して異変(たたかい)を挑まないのは、何故かしら」

 

 

 博麗霊夢、幻想郷が生んだ破格の巫女。

 紫はこと異変に関する限り、あの少女を疑ったことも、心配したことも無い。

 

 

(あの子は、特別な子)

 

 

 幻想郷にとっても。

 そしておそらく、紫自身にとっても。

 

 

「弾幕ごっこは、遊びよ」

 

 

 存在を懸けた、遊びだ。

 人妖の中には誤解している向きもあるが、弾幕ごっこは命懸けの遊びなのだ。

 弾幕による事故死とかそう言う意味では無い、それだけなら妖怪が死ぬことは無い。

 強い妖怪と弱い人間が、それでも対等に勝負するために用意されたルール。

 

 

 妖怪の中には、それを妖怪側のハンデだとか、あんな遊びでは人と妖怪の力関係は変わらないとか、そう言うことを言う者がいる。

 いったい、何を言っているのだろうと紫は思う。

 ――――本気で遊べない者に、どうして勝負の本質を語ることが出来るのだろう?

 

 

「遊びの勝敗に種族の強弱を持ち込むのは、無粋」

 

 

 妖怪が人より長く生きるのは当然、妖怪が人より強い力を持っているのは当然。

 だがそれは、「鳥は犬より上手く飛べる」「馬は亀より速く走れる」と同じレベルの話だ。

 そんなことは、当たり前では無いか。

 むしろ対等の条件で勝負するからこそ、種族差に縛られない個の勝敗が決するのだ。

 そして、妖怪にとって。

 

 

「人間に敗れる――退治されると言うのは、特別なこと」

 

 

 だから、同じ異変は起こらない。

 手順を踏んだ敗北に対し、妖怪は言い訳をしない。

 何故なら彼女らは精神に重きを置く存在、認めるべき敗北を認めなければ、その瞬間に死ぬのだ。

 何故ならそれは、妖怪にとってとても大切なものだから。

 

 

 彼女達は、たった1度の敗北(ほんとう)を抱いて見守るのだ。

 自分を倒した人間を、見守るのだ。

 だから2度と異変を起こさない、2度と本当の意味で戦いを挑まない。

 博麗霊夢は、そんな妖怪達の想いを背負って異変を解決する。

 

 

「だからきっとこの異変も、当代の<博麗の巫女>が無事に解決してくれるでしょう」

「……ええ、そうね」

「そうですねぇ、霊夢さんですからね」

 

 

 ……まぁ、もしもだ。

 ぱちりと扇子を閉じながら、一方で紫は考えた。

 もし仮に、あの巫女を打ち倒す、そんな奇跡を起こせる者がいるならば。

 それはきっと、妖怪では無いだろう、と。

 

 

(そう、それは例えば)

 

 

 あの巫女を、あの破格の天才児を同じ条件で倒すのは、至難の技だ。

 博麗霊夢を打ち破り、全てを奪えるような者。

 それはきっと、成長も退化もしない妖怪ではあり得ない。

 

 

(例えば……)

 

 

 ちらりと視線を向ければ、鴉天狗の膝枕ですやすやと眠る白黒の少女。

 ゆっくりと扇子を開いて口元を隠しつつ、目を細める。

 ――――ぱちり。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 <勇気を操る程度の能力>!

 それが讃の能力の名である、内容は咲夜達の読みにほぼ近い。

 いかなる人間であろうとも、何かの行動には決断が伴う。

 

 

「お前が人間である限り、それは同じこと!」

 

 

 弾幕を放つ時、弾幕を避ける時。

 弾幕ごっこの中で必ず求められるその瞬間、讃の能力は発動する。

 勇気が過ぎれば無謀に、勇気が足りなくば臆病に。

 

 

 勇気が過ぎたがために、妖夢は踏み込むべきで無いタイミングで踏み込んだ。

 勇気が足りなかったために、早苗は弾幕を避けるための行動が出来なかった。

 だから勇気と決断が必要な勝負において、彼女は圧倒的な優位に立つことが出来る。

 何故ならば、相手が勝手に自滅してくれるのだから。

 

 

「<博麗の巫女>の伝説も、ここで終わると言うわけだ!」

 

 

        ―――― 熱波「大漠風食」――――

 

 

 讃がスペルカードを宣言する。

 放射状に広がる弾幕が波打つように動き、讃の正面180度の空間を制圧にかかった。

 当然、霊夢は回避する。

 見惚れる程の見事な回避だが、それも長くは続かないだろう。

 

 

 何しろこの広間は、讃の能力の支配下にあるのだ。

 ならば霊夢の決断は、その勇気はいずれ致命的な間違いを犯すだろう。

 讃は弾幕を放ち、それを待っていれば良い。

 ――――そのはず、なのに。

 

 

「何ぃ……!?」

 

 

 なのに何故、霊夢は弾幕を避け続けているのか!

 

 

「……!」

 

 

 霊夢は被弾する様子も無く、ひらりひらりと回避を続けている。

 早苗や妖夢の例で言えば、最初の弾幕で被弾していてもおかしくは無いのに。

 それなのに、いつまで経っても霊夢が被弾する様子は無かった。

 それ所か霊夢の視線は讃を捉えて離さず、すぐ側を擦過する弾幕を見てすらいなかった。

 

 

 その視線は、あくまで讃を見据えている。

 

 

 この時初めて、讃は怯えを感じた。

 霊夢、あの人間がいつまで経っても決断を誤らないことが不思議だったのだ。

 もう何度も決断の瞬間は訪れているはずなのに、霊夢が回避を失敗する様子は見えない。

 

 

「くっ!」

 

 

 弾幕を突破して大幣を振り下ろして来た霊夢。

 それを回避しつつ、再び弾幕を張る。

 だがその弾幕ですらも、霊夢は全て悠然と回避してしまう。

 讃の能力の中にありながら、一切の失敗が無い。

 

 

(どう言うことか?)

 

 

 讃の中に、焦燥感が生まれる。

 それは徐々に大きく育ち、ただの人間である霊夢を不気味に見せていく。

 それはまるで、妖怪のようでは無いか。

 

 

(まさか<博麗の巫女>は、臆病者なのか?)

 

 

 勇気を持ち合わせていないのだろうか?

 いや、それなら讃の能力で勇気を強められるはずだ。

 第一、あんな風に弾幕の中に身を晒すことなど出来ようはずも無い。

 あの少女には、咲夜や早苗達に勝らぬとも劣らぬ勇気が備わっているはずだ。

 

 

 ならば何故と、焦燥感が育っていく。

 どうしてこの人間には、自分の能力によって失敗しないのか。

 まさか。

 あり得ない想像が、讃の頭の中を駆け抜けて行った。

 

 

「まさか、余の能力が通じないとでも言うのか!?」

 

 

 その事実に慄いた一瞬、讃の弾幕に乱れが生まれた。

 放射状に放たれ、そして波打つように上下するその弾幕に、隙間が生まれた。

 そしてその隙間を、霊夢は見逃さなかった。

 

 

 馬鹿な、讃は慄いた。

 人間はすべからく決断の瞬間を持つ、勇気を出す瞬間が必ずある。

 讃の能力はそこに影響を与えるものだ、例外は無い。

 それなのに、どうしてこの巫女は平然としているのか。

 

 

「く……!」

 

 

 追走劇が始まる。

 もはや讃に余裕は無かった、一方で霊夢に一切の乱れは無い。

 距離を取るように飛翔する讃を、ふんわりとした飛び方で追撃する。

 くるりと身体を横回転、ばら撒かれた霊符が時間差で撃ち放たれた。

 

 

 飛びながら同じように身体を回転させ、失速しつつ全ての符を回避する。

 だが、失速。

 それはつまり、霊夢との距離が縮まったことを意味する。

 背後からの圧力、讃は今、それに怯えつつあった。

 

 

(ば、馬鹿な、余は砂漠の大妖怪・讃だぞ!? この余が、人間に怯える!?)

 

 

 あり得ぬことだ。

 蒼に輝く宝珠を見やり、唇を噛む。

 勇気を司る獅子、それが自分だ。

 

 

「余は――――余は! 九子(・ ・)の皇! 人間などに、怯えぬ!」

 

 

 自らを奮い立たせて、縦に身を回して、逆さまの体勢で背後を見る。

 思ったよりも近い位置に霊夢を見定め、躊躇することなく少女皇帝はスペルを宣言した。

 

 

        ―――― 漠符「デザート・オブ・ノース」――――

 

 

 讃の背後に展開された赤・黄の弾幕――それぞれに速度と動きが違う――が、霊夢のいる空間を目掛けて殺到する。

 まさに怒涛の如く押し寄せるそれを、しかし霊夢は冷静に見つめていた。

 そして一旦、大きく後ろに下がる。

 

 

 距離を取った後、最加速。

 まずは高速で縦に動く赤の弾幕を抜き、次いでゆっくりと円を描くように動く黄色の弾幕の間を縫うように飛んだ。

 そして次の波が来るのを確認すると、再度後退、同じことを繰り返した。

 そうして、讃の弾幕は攻略された。

 

 

「な!」

 

 

 そこに一切の躊躇も、迷いも無かった。

 決断に失敗は無く、選択にミスは無かった。

 完全に、弾幕を見切っている。

 

 

「捕まえたわ」

 

 

 そうやって、霊夢は辿り着いた。

 讃の、異変の(ラスボス)の目前に。

 そこは完全に、彼女の距離だった。

 そして讃が宝珠を掲げるよりも先に、巫女服の袖の中から零れ落ちた1枚のカードが輝いた。

 

 

        ―――― 霊符「夢想封印」――――

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 白夜にとって、姉・咲夜の存在は別格に映る。

 早苗・妖夢も人間と言う種族の枠組みで見れば、超人と言って差し支えない。

 だが、それはあくまで「人間」と言う枠組みの中での話だ。

 

 

(……霊夢さんは正直、ちょっと怖いんだよね)

 

 

 だが、博麗霊夢。

 あれは本当に人間なのだろうか。

 姉も大概だが、姉は姉で喜びや悲しみがあって、人間じみた部分を多分に持っている。

 だが霊夢は、そうした部分を余り外に見せない。

 

 

 異変の時は特にそうで、白夜はそうした霊夢のことを破格の存在だと思っていた。

 普段は、そうでも無いと思う。

 普段の霊夢は神社から動くことも無く、縁側でお茶を啜っているか境内を掃いているかだ。

 だが一度異変ともなれば、それが解決されるまで独特の雰囲気を纏うようになる。

 

 

(まぁ、あんまり関わることも無いんだけど)

 

 

 放熱が穏やかになった宝珠を弄りつつ、異変が終わるのを待つ。

 今は咲夜も早苗達も霊夢と讃の方に意識を向けていて、白夜のことを気にする者はいない。

 なんだかんだと言いはしたが、霊夢が犯人を倒した以上、この異変は終わりであろう。

 そんなことを思いながら、落ちていた魔理沙の帽子を拾った。

 

 

(……うん?)

 

 

 その時だ、何かが目に留まった。

 

 

(あれは……確か、あの讃って妖怪が持っていた)

 

 

 霊夢の「夢想封印」を受けた際に取り落としたのだろう、蒼の宝珠が砕けた床石の上に転がっていた。

 それなりの距離を落ちて転がったはずだが、それでも傷一つ無く綺麗な状態だ。

 白夜の胸元で輝く紅の宝珠と、非常に良く似ている。

 魔理沙の帽子をぽふんと頭に乗せて、咲夜達がこちらを見ていないことを確認しつつ、宝珠に近付いた。

 

 

(綺麗)

 

 

 そのまま、引き寄せられるように近付いた。

 じっと、蒼の宝珠から目を離さない。

 近付き、しゃがみ込んで、そっと指先を伸ばした。

 気のせいか、蒼の宝珠がキラリと輝いたような気がした。

 

 

(この蒼色、咲夜姉に……)

 

 

 そんなことを考えて、宝珠に触れ――――。

 

 

「よせ、それに触れるな!!」

(え?)

 

 

 ――――た。

 讃が何か叫んだような気がするが、その時には白夜は宝珠に触れてしまっていた。

 指先にひやりとした感触がまずあって、顔を上げた直後に。

 一気に、熱を放った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 讃は、己の敗因を図れずにいた。

 床に這いつくばっているから、自慢の衣装もすでにボロボロ。

 天竜への野心も、いや妖怪としてのプライドも、脆くも崩れ去ってしまった。

 

 

「お前には、恐れは無いのか? 勇気を持って困難を乗り越えようとする時は無いのか?」

 

 

 だから、思わず問うてしまった。

 敗北によって精神が弱った今、讃には自身を取り繕うことが出来なかった。

 それに対して、肝心の巫女は何と答えたか。

 

 

「あるわよ、そりゃあね。私だって人間なんだから、当たり前じゃない」

 

 

 私だって、人間なんだから。

 これ程に信じ難い言葉も無いなと、そう思った。

 だが次に霊夢の放った言葉で、彼女は認識を改めることになる。

 

 

「けど、恐怖を堪えたり。勇気を出したり。それってそんなに大変なことなの?」

 

 

 実の所、霊夢にとってはどちらも同じことなのだ。

 恐ろしかろうが、勇気が必要だろうが、やるべきことは変わらないのだから。

 ならば、どちらだろうが変わらない。

 それこそが<博麗の巫女>、これこそが博麗霊夢。

 

 

 彼女は、何者にも縛られない。

 それは、そう、自分自身の感情にすらも。

 そんな霊夢を見つめていた讃は、やがて力を抜いてふと微笑んだ。

 嗚呼、これが幻想郷の――楽園の、巫女か。

 

 

「……異変解決、かしらね」

「そう、みたいですね」

「うぬぬ。今回も、霊夢さんに持っていかれましたか」

 

 

 咲夜は、傍らの早苗と妖夢の様子を見つつ、やはり身体から力を抜いた。

 異変解決、仕事が一つ終わったわけだ。

 彼女にとって数多くある仕事の一つに過ぎないが、それでも一区切りは一区切りだ。

 何度目の異変解決かはわからないが、特に感慨と言うものは無かった。

 

 

(お嬢様のご命令を果たせて、何よりだわ)

 

 

 今までの例から言って砂漠が消えてなくなることは無いだろうが、それでも気温は下がるだろう。

 過ごしやすい気候を取り戻せれば、レミリアの機嫌も直ると言うもの。

 咲夜にとっては、それだけで良かった。

 それから、もうひとつ。

 

 

 ついと視線を動かして、あるものを視界に収めた。

 するとその人物は、いつの間にか広間の隅でしゃがみ込んでいた。

 どうやら何かに触ろうとしているようで、指先に見えるのは蒼の。

 

 

「よせ、それに触れるな!!」

 

 

 讃の言葉が、飛ぶ。

 だが遅かった、何もかもが遅かった。

 何故ならその時にはもう、白夜は蒼の宝珠に触れてしまっていたからだ。

 だからもう、何もかもが遅かったのだ。

 

 

 紫色の輝きが、全てを覆い尽くした。

 

 

 それは1つの輝きでは無い、蒼と紅の輝きが重なって、紫色に見えているだけだ。

 視界を焼く光量、足を止める暴風、耳をつんざく轟音。

 その場にいる誰もが、それこそ霊夢ですら顔を顰めて目を庇い、動きを止めていた。

 そんな、誰もが動きを封じられる空間の最中。

 

 

「だ、ダメだ! お前が外に出るのはまだ早……っ!」

 

 

 何かを言おうとしたらしい讃も、勢いを強める風量に身を低くするばかりだった。

 それを横目で見つつ、咲夜は暴風の中心にいるだろう妹の姿を探した。

 

 

(くっ……いったい、何だって言うのよ)

 

 

 砂埃が目に入るのも構わず、狭まる視界の中で、それでも見つけた。

 白夜は暴風に煽られてよろめき、尻餅をついた上に身を竦めていた。

 その場に留まるのが精一杯と言う風だ、能力は使っていないと見える。

 その事実に、咲夜は舌打ちを隠さなかった。

 

 

 まったく、あの妹はいつもそうだ。

 どこか鈍くさいと言うか、気が回らないと言うか、不器用なのだ。

 今も能力を使えば、つまり自分の肉体の状態を止めてしまえば、こんな暴風などものともせずに行動できるだろうに。

 

 

「白……ッ!」

 

 

 声を上げようとしたその時、状況にさらなる変化が生まれた。

 競うように輝きを放っていた2つの宝珠の内、讃の持っていた蒼の宝珠が離れたのだ。

 上へと飛び出し、紫の輝きは単なる紅と蒼の輝きに別れる。

 そして、蒼の輝きが爆発した。

 

 

「ああ、もう。面倒くさいわね!」

「下がってください!」

 

 

 とにかくも、動いたのは霊夢と早苗だった。

 袖から符を掌に落とし、それを宙に放った。

 薄赤の結界が霊夢自身を、緑の結界が咲夜達を守る盾となった。

 そこへ、蒼の弾幕が襲いかかった。

 

 

 蒼の宝珠が放ったものだ。

 

 

 主の手から離れていながら、ひとりでに放たれた弾幕。

 それはこれまでに見たどの弾幕よりも無秩序で、纏まりが無く、そして暴力的だった。

 天井の星々が砕け散り、壁が抉り取られて門が破壊され、床石に致命的な破損を与えていった。

 結界越しに感じる弾幕の威力は、比喩でなく人の身体を吹き飛ばしてしまいそうな程だった。

 

 

「有難う、早苗。何とかたすか……」

 

 

 そこで、咲夜はふと気付いた。

 霊夢と早苗、妖夢と、そして自分。

 人間は結界によって守護(まも)られている。

 

 

「し、死ぬぅ」

「こ、これは危険だ。常識的に考えて」

「ひゃわわわ」

 

 

 妖怪共はどうでも良い、妖怪ならば自分で何とかするだろう。

 だがひとり、結界の外で無防備を晒している馬鹿がいる!

 暴風の中心にいながら、どう反応すれば良いのかもわからずに。

 ――――妹様との「遊び」でも、逃げるか殴られるか、それ以外の思考をしたことが無い白夜。

 

 

「……ッ!」

 

 

 他の誰かが呼びかけるよりも、なお速く。

 

 

 

(――――時よ!)

 

 

 

 なお、速く。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――ぱちくり、と目を瞬かせる。

 白夜は一瞬、自分がどうなっているのかわからなかった。

 

 

(えーっと?)

 

 

 讃の宝珠が光ったかと思えば、急に何か風とか音とか弾幕とか出て、何も出来なくて。

 あまりにも突然のことだったから、能力を使う判断も出来なかった。

 これがフランドール相手なら、考えるよりも先に能力が発動していただろう。

 それは日常だから、考える必要も無い。

 

 

 姉がいる。

 これも日常、変わる所が無い。

 自分の傍に姉がいると言うのは、物心ついた時から当たり前のことだった。

 物心ついて、紅魔館が自分の居場所になってから。

 

 

(……え?)

 

 

 いつも瀟洒であった姉。

 どんな時でも取り乱すことが無く、どんな仕事でも完璧過ぎる程に完璧にこなす姉。

 病気や怪我で寝込む所か、休んでいる所すら見たことが無い姉。

 だから、姉はそう生き物なのだと思ったこともある。

 

 

(え、何で?)

 

 

 だから、動いていない姉を見るのは初めてだった。

 姉の顔は、正面にある。

 自分、うつ伏せに倒れている。

 姉はそんな自分に腕を被せるようにして、やはりうつ伏せに倒れている。

 首根っこを掴んで、何かから身をかわすように跳べば、こんな格好になるのかもしれない。

 

 

 静かだった。

 姉が倒れているなんて、まさかそんなことがあるわけが無いじゃないか。

 そう思って身を起こしても、姉の手は自分の肩から力無く落ちるだけだった。

 それが本当に不思議で、本当に、わからなかった。

 

 

(え、咲夜姉……? 何、してるの?)

 

 

 4歳の頃、自分が妖の館にいることに気付いた。

 5歳の頃、美鈴と一緒に花を育てた。

 6歳の頃、パチュリーと小悪魔に勉学を教わった。

 7歳の頃、初めてレミリアに会うことを許された。

 

 

 そして10歳の頃、フランドールの世話を任された。

 その日の内に、狂気に触れた。

 掴まれ、引き摺られ、叩かれ、殴られ、潰され、噛まれ、そして壊される日々。

 まず、表情がいらないものだと気付いた。

 次に、言葉がいらないものだと思った。

 

 

(ねぇ、ちょっと、冗談よしてよ)

 

 

 姉は、助けてくれなかった。

 甘えを一切許さずに、白夜を地下室に通わせ続けた。

 時には引き摺られていったこともある。

 レミリアの命令なのだから、姉がそうするのは当たり前だった。

 

 

 そう、姉はいつだって助けてくれなかった。

 どんな時でもレミリアの命令を優先して、違えることは無かった。

 いつしか、姉はそう言う人なのだと思い定めた――諦めてしまったのかもしれない。

 まぁ、とにかく姉は今まで一度だって自分を助けてくれたことは無いのだ。

 

 

(咲夜姉……?)

 

 

 その姉が、どうして自分を庇ってくれたのだろう。

 どうして自分は無事で、姉は動けなくなっているのだろう。

 何で、どうしてと、そんな疑問だけがからからと音を立てて空回っている。

 それでも、姉は倒れたまま動かなかった。

 

 

(――――――――)

 

 

 

 この気持ちは、何なのだろう。

 

 

『――――願いを』

 

 

 この声は、何なのだろう。

 

 

『願いを、言え』

 

 ――――咲夜姉を、助けて。

 

『それは出来ない』

 

 ――――どうして。

 

『出来ない』

 

 ――――助けてよ。

 

『出来ない』

 

 ――――それなら。

 

『他の願いを、言え』

 

 ――――それなら、力が欲しいよ。

 

『力? どんな力が欲しい?』

 

 ――――どんな?

 

『力にも色々あるだろう。

 

 それは例えば、門番のような。

 

 それは例えば、司書のような。

 

 それは例えば、魔女のような。

 

 それは例えば、悪魔のような。

 

 それは例えば……』

 

 ――――それなら。

 

『それなら?』

 

 ――――あいつを。

 

 

 

(――――――――)

 

 

 広間の天井近くに、蒼の輝きが見える。

 倒れた姉の傍にへたり込んだまま、上を見る。

 その瞳は。

 

 

(あいつを)

 

 

 瞳は、血のように紅く、紅く、紅く。

 ただ、紅く。

 傍らで輝く宝珠もまた、紅く。

 広間を覆う蒼の輝きに、反発するように。

 

 

(――――あいつを!)

 

 

 脳裏を掠めるのは、記憶、いや魂にまで刻まれた七色の羽根。

 それは白夜にとって、力そのもの。

 白夜の叫びが。

 声にならない、心の叫びが響き渡った。

 

 

 

 

(あいつを、壊す力(・ ・ ・)が欲しいっっ!!)

 

 

 

 

 紅色(スカーレット)が、蒼の輝きを吹き飛ばした。

 




ち か ら が ほ し い か。
そんな展開。

最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
今回は今まで一番分量が多くなりましたが、書き上げられて良かったです。
言うなれば6ボス戦、ノーマルならこれでエンディングに行くところですが、ところがぎっちょん。
東方には、EXボスと言う伝統がありますよね!

というわけで、次回。
EXボス編でお会いしましょう!

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