べつじんすと~む   作:ネコ削ぎ

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セシリアさんは

 とある数学教師の言葉を借りるなら、セシリア・オルコットには前世の記憶があることになる。

 セシリア本人の言葉をそのまま引用するとしたら『死ぬことは即ち天国へ行くことになるのだから、今の自分はあくまで前の自分の続き』ということになる。

 どちらにしろ、セシリアには本来なら存在するはずのない別の人間だった頃の記憶が残っている。

 セシリアは、数学教師の言う前世の頃の自分を夢に見ることがある。頻繁に見るわけではないが、夢を見て起きるのと見ないで起きるのでは気持ちに雲泥の差が生じる。

 夢を見ることなく目覚めると、セシリアは特別何か感じることもなく上体を起こして溜息を吐き出す。今日もまたつまらない勉強をしなければならないのかと。

 夢を見てから目覚めると、セシリアは躍動感に安心感と奇妙な感覚に包まれている。夢の内容に左右されることなく二つの感覚が発生してしまう。

 夢の内容の全てが前世の頃に関するものだ。それはつまり、セシリアの心が前世を一番の世界だと感じていたからかもしれない。今のセシリアには前世にあった何かが足りないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 セシリアは夢を見ていた。

 セシリアの夢に出てくる登場人物たちは大体決まっていた。

 

「お嬢、腹減りましたね。なんか食いません?」

 

 一人は縦にも横にも広い男だ。背を屈めなければ扉を潜り抜けられないほどの高身長は目を見張るものがあったが、どことなく頼りになれない。その通りに決断力が弱かった。

 

「よっしゃ。お嬢、ここらに違法な飯屋があるって話っすから。そこ行きましょうぜ」

 

 一人はチビで筋肉質というアンバランスな男だ。小さいのは見た目だけで、心は大海のように広く決して人を恨むことはない聖人のようだった。その聖人ぶりはナイフで刺されても恨み言一つ言わず、復讐も行わないほどだ。

 

「あー、そうなん。じゃあとりあえず行くか。まったく、アタシらのボスに挨拶もなく営業なんて度胸があるね」

 

 一人はそこそこ器量の良い女だ。見た目だけを言うなら華奢ではないが、かと言ってたくましいわけではない。少し運動ができる程度といったところだろうか。しかし、瞳は常に獲物を求めるかのように爛々と輝いており、女が見た目通りの女でないことを示唆していた。

 

「このセシリア様が礼儀を教えてやろうじゃないか」

 

 女の名前はセシリアだ。

 夢を見ているセシリアと同じ名前をしている。これは前の名前を憶えていないからだろうと、セシリアは考えている。

 

「違法な店なだけでなく、飯がマズかったらどうするんですかい?」

 

 チビが道先案内となって歩き、その後ろをセシリアが、さらに後ろに高身長が並ぶ。

 

「うーん……潰そうか。元々違法なんだからさー」

 

「まあ、そうなるもんですぜ」

 

「でもお嬢。もしもソイツらが荒っぽい連中だったら、どうなさるんで?」

 

「決まってんだろ。関係なくぶっ潰す。アタシらそんなもんだろ」

 

 前世のセシリアも中々に物騒な発想の持ち主だった。

 

「それにだ。こっちのシマに勝手に居るって奴ら、もしかしたらカンヌキ組の連中かもしれないだろ。それだったら考える暇もなく叩き潰すべきだ。それがアタシらだ」

 

「いえ。それはお嬢だけです。俺たちはそこまで仰せつかってませんよ」

 

「間違いねぇ。確かにお嬢だけだが、こうやってつるんでる時点で言い訳無用だぜ」

 

 おどおどと言い訳を始める高身長と、全く嫌がらずに突き進むチビ。

 セシリアは相変わらずだ、と思いながらチビの背中を追いかける。

 暫く歩いた先の、廃墟群の中に「お食事処」と書かれた看板があり、チビが「あれです」と指で示した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこまでで夢が終わった。

 セシリアの意識がパッと水面から浮かび上がってくる。夢の湖に小石を投げ込まれた衝撃に、心地よい時間が無理矢理終わらせられたのだ。

 夢見心地から、わずか二秒で脳がクリアになった。

 まず感じたのは腹部に何かのしかかったような感覚。誰かが腹に跨っているのが分かる。セシリアの経験がのしかかる人物の情報を引き出す。重さと横腹に当たる足の部分から小柄な人物。息遣いはまったく乱れていないことから、相手はプロに近いアマチュア。プロなら寝ている相手にのしかかったりはしない。

 のしかかる何者かがセシリアの首に手をかける。指に配置から首に押しつけられた手は左手。

 のしかかるだけなら誰かの悪ふざけ。だけど、首を押さえてくるのなら敵だ。

 セシリアがパッと瞼を上げると、視界に鋭いナイフが映り込んだ。ナイフの向こう側には冷淡な顔をしたラウラがいる。

 ナイフの存在を認識した瞬間、セシリアは何も考えずに行動に移した。それは前世の頃からやってきたこと。条件反射にまで達した玄人の技。

 右腕を伸ばす。ベッド脇に置かれた、二十歳にも満たない学生の部屋には不釣り合いな置物。英語とカタカナでビールと書かれたラベルの張ってある瓶の、頭の部分を掴み取った。

 ガシャン、瓶の割れる音が室内に響き渡る。セシリアが容赦なく振るった瓶は、襲撃者のコメカミに打ちつけられ散っていたのだ。

 硝子の塊で頭を叩かれたラウラは構わずにナイフを突き出す。脳震盪を起こしてもおかしくないはずなのだが、彼女は表情を変えていなかった。

 ザクッと突き刺さるナイフ。その先端は、セシリアが首を曲げたことによってその背後のベッドに突き刺さって動きを止めてしまった。

 

「チッ。外したか」

 

「朝から舐めてんのか? ってまだ4時じゃんか!? 朝早くから何してんだよ!」

 

 襲撃されたことに対しても、ナイフを突き立てられたことに対しても、さして動じずに時間を確認したセシリアが吼える。

 

「死のモーニングコールだ」

 

 ベッドに突き刺さったナイフを回収しながら、こともなげに言ってのけるラウラ。

 いつまでも腹にのしかかっているのと、朝早く起こされたことにキレかかっていたセシリアは、その冗談なのか本気なのか分からない回答にキレて、ラウラの腹を殴りつけて立ち退かせた。殴られたラウラは強制立ち退きによってベッドから転がり落ちていった。

 

「ぐっ。腹が減っているところを殴りつけるとはな。朝飯を要求する」

 

 痛みではなく、空腹で腹を押さえて立ち上がるラウラ。

 

「テメェは欲望に忠実な幼稚園児か何かか? とっとと帰れよ。わたくしはまだ眠いんだよ」

 

 セシリアは布団を被り直して二度寝の準備を整える。不愉快なラウラの相手をするよりも、今は睡眠欲求を満たすことの方が重大なのだ。

 

「私は腹が減っている! キサマ、昨日の約束を反故にする気か!」

 

「なんも約束してねぇよ! 起きながら夢みてんじゃねぇぞ!」

 

「夢ではない。昨日の夕食時、キサマは私とのじゃんけんに負けた。あの瞬間からキサマは私に尽くす運命となったぁっ!」

 

「お前、寝ぼけてるだろ。昨日の飯時にじゃんけんなんてしてねぇよ」

 

「した! してないわけがない! 私が負けるわけがない! 私は寝ぼけているわけではない!」

 

 力強く叫びつつ、ラウラはのそのそと再びベッドに進軍してくる。

 セシリアは眠さが勝っているのか、再度のしかかってきたラウラを振り落とすこともせずに意識をシャットアウトした。

 

「寝ぼけているわけではないから。……だから」

 

 穏やかな寝息を立てて眠りについたセシリアに跨るラウラも、心なしか瞼が下がり始めた。

 

「焼肉定食ナマ5人前を頼まれる……おかみぃ」

 

 ラウラもまた跨った体勢のまま眠りに落ちていった。


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